ミャンマーに思いを寄せて

亡き母の思いを果たすべく、ビルマで戦死した大叔父の足取りをたどる私の奮闘記録☆

2014年05月

ミャンマーに思いを寄せて 732

私の直感で、心の中に引っかかっている物

それは何だろうと考える。。。





持って行った巨額は

A氏に美味しい思いをさせるためではないだろう

○○大学が、軍に見栄を張って、いいかっこうをした

訳でもないだろう。。。う~ん





そもそも、このお金は、どこから捻出した物であろうか?

軍事関係に詳しい人に相談中も

今日の報告をしながら、半分、上の空であった

A氏が大陸に渡る以前の○○大学の動きを思い返して

そして私は、1つのとんでもない仮説に行き着いた、、、

「ねぇ、これって…マネーロンダリングじゃない?

軍の裏金、、、





実は私は、以前の仕事柄、その手の話は

ぼちぼち明るかった

○○大学がこの巨額を生み出せる近年の事業と言えば…

「○○日満工科学校」の設立としか思えなかった




続く…




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ミャンマーに思いを寄せて 731

A氏は、職務として軍に所属している

生活費や諸経費やおこずかいなど

少しは必要だと思うが

A氏には、軍からお給料も支給されていただろう

それならば、なぜ、○○大学から

巨額のお金を持っていく必要があるのか?





大陸に渡った時の250万円はついては

私は、普通に関東軍へのお土産と言うか

大学からの献金なんだろうなぁと軽く思っていた

そして、ビルマの岩畔・光機関に行った時の

60万円についても、お土産や挨拶代わりの持参金と言うか

○○大学から派遣されたA氏を宜しくと言う意味合いで

親心のようなものかと思っていた





私学の大学がお金持ちだと言うのは分かる

しかし、私が勝手に察した雰囲気だと

数年前までの○○大学は

そこまで裕福でもなかったような。。。

全財産をかき集めれば

そのくらい何とでもなるのかもしれない

でも、どうぞご自由にと気軽にあげるような金額ではない

あげても学園運営に困らないお金、、、





えーっと、これって一体、何のお金???




続く…




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ミャンマーに思いを寄せて 730

私は必死に考えた

心の中に何かが引っかかっている。。。





250万円・60万円、、、

これは、昭和17年の話である

この数年前、昭和12~13年の○○大学は

○○工科高等学校の設立のために奔走している





昭和13年の開校の段階では

学校用地の買収及び借用が

最終目的の1/4程度しか進まなかったが

翌年には、○○日満工科学校となり

満州国の補助金を見越したような動きが見られた





用地の買収が進まなかった理由が

経費の面だったのかは定かではないが

補助金を当てにしている雰囲気である

資料によると、土地の買収と言っても

この250万円のような大金ではなかった





それまで毎年行っていた軍への献金にしても

学生や職員から徴収した分に、○○大学が足して

2,500円と言う金額である





なんとか、新校舎着工に着手し日満の学校になってから

その3年後の昭和17年に

250万円をポンと出せると言うのは

私の中では、なんとなく解せなかった




続く…




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ミャンマーに思いを寄せて 729

この資料に目を通し

なんだかボケ~としてしまった

えーっと、これって…

とてもすごい資料だけど、、、

私はこれをどう理解したら良いのか分からない





なんだか心の中がザワザワする

何かが引っかかっているのだ

直ぐさま、軍事関係に詳しい人達数人に相談した

今日、○○大学に行って

○○大学の100年史担当だった方にお会いして

詳しい話をたくさん聞いたこと

そして、A氏の光機関での日誌やこの紙の資料が

今、私の手元にあることを伝えた

皆、一様に、この資料の存在に驚いている





ただ、皆は、私が気になっている

この紙の資料よりも

先の250万円・60万円に注目した

「当時の250万円と言えば、とんでもない金額だぞ」

と言う

私は、漠然と、かなりすんごい金額なんだろうなぁ

としか思えない

簡単に当時のお金を現在の価値に換算して

1円=1万円だとしたら。。。

250万円は、25,000,000,000円…いくら???





紙の資料に記されていた小出しの

A氏への送金にしても

もちろん単にA氏の生活費ではないよね、、、

なんだか、変だよ、とても嫌な予感がする

モヤモヤしたまま私は考えた。。。





続く…




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ミャンマーに思いを寄せて 728

その他には、A氏から○○大学への

手紙類の写しであった

それらは、数種類有り

軍事郵便で郵便隊(?)を通して

普通にビルマから出された物や

帰国する人の荷物に紛れさせてもらい

○○大学へ来た物である






郵便隊を通して届いた物には

検閲を受けた跡があり、所々、文字が

塗りつぶされていた





そのほとんどが、学校長への私信であった

「○月×日に帰ります」とか

「○○でゆっくりしてから、○月×日に大学に

顔を出します」のような感じの手紙や

学校長から、任務の褒賞(記念品)をもらったお礼など





内容的には大したことはなさそうであるが

私が注目したのは

ビルマからの差出人であるA氏の部隊名が

やはり「光機関」と

はっきりと書かれていたことである

当時、特務機関と言っても、正規の部隊であり

光機関がある・光機関にいると言うことは

公にして良かったのだなぁと思うのと同時に

改めてやはりA氏は、光機関員であり

○○大学の公認だったのだと思った





続く…





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ミャンマーに思いを寄せて 727

その次に、書かれていたことは

A氏への○○大学からの送金の詳細であった

先の250万円・60万円とは別のお金である





5回ほどの送金記録

1回当たりの金額は、2,000円~10,000円ほど

先の金額と比べると

大した金額ではないように思うのだが

現在のお金の価値に簡単に換算すると

1円=1万円と考えて(少し多いですが)

それでも、2千万円や1億円くらいの

お金が動いたことになる





○月×日、どこどこ銀行から為替で送金と

細部まで詳細に記されている

中には、A氏が藤村少将に借りたので

返したいからなどの理由もあった

※藤村少将とは、近くの国立大学が行った

昭和17年5月~7月の

旧満州北部の僻地の探検記録の中に

出てくる、満州国治安部(のちの軍事部)の

高級顧問である




藤村少将の関連過去記事はこちら↓↓

「ミャンマーに思いを寄せて 607」
http://blog.livedoor.jp/aya_sann/archives/1898159.html




そのお金が何に使われたお金なのかは

私には分からない

A氏の活動資金なのだろうけど

ただ、A氏は、軍に居るのである





A氏の大陸及び岩畔・光機関の活動において

○○大学がその資金の一部を

補っていた事実がここにあった




続く…




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ミャンマーに思いを寄せて 726

最初のページには

終戦後のA氏の追跡記録であった

住所など個人情報が書かれている

その後、A氏は、養子として結婚し

大阪の寝屋川に住んでいた

昭和○年○月○日にハガキを送ったなどの

詳細が記されている

最後は、昭和の時代に2回ほど手紙を出したが

手紙が戻ってきて音信不通となった





A氏の没後、家族がまだ大阪にいた頃

A氏の戦時中の活動について

聞き取り調査もされているが

家族は光機関のこと自体、初耳だったそうである





A氏とは、どんな人物だったのであろう。。。

光機関での地位は、かなり高かった

職務としてお付き合いする人も

現地の軍人やインド人、軍属のみならず

国内においても、かなりの主要人物ばかりであった

多額のお金を動かし、権限のある仕事

大学の職員だった頃には、あり得ない世界

重鎮からは「自分を辱めぬように」と忠告を受けている





大学からの派遣に際し、独身で自由の身が望ましく

A氏が優秀だったこともあり

白羽の矢が立ったのではないだろうか

大学からの250万円・60万円と言う

大きな資金援助もあり

A氏は、大陸と光機関で、大変であったとは思うが

良い職務を与えられたのではないか

言い換えるならば、良い待遇を受けたとも言える





その過去の栄光を、奥さんには話していない

武勇伝にしようとは思わなかったのだ

それは、特務機関員として、言ってはならぬ事で

墓場まで持って行ったのだろうか

今となっては分からない




続く…




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ミャンマーに思いを寄せて 725

日誌を一気に読んでいった

日誌の詳細については、量も多く

後日、改めてじっくりと検証する必要がある

今日の所は、少し、休憩しよう





黙ってコピーをしていいですよと言われた

資料には、もう1種類あった

それは、A4版・両面の2枚の紙である

日誌に重点を置いていて

その紙の存在を何とも思っていなかったが

日誌を読みふけるのに一段落して

その資料に目を通してみると

それはとんでもない資料だと分かった





○○大学からのA氏に関する送金の細部や

書簡類の写しである

えっ?これって。。。





光機関における日誌が、現代に存在すると言うことは

歴史を研究する者にとって、かなりの発見であり

貴重な資料だと言えるだろう

しかし、それはあっても不思議ではなく

見てみたいベールで包まれた世界の話である

一方、この数枚の紙の資料は

裏の部分であり、決して表には出て来ない物である

それを私は見てしまった。。。





続く…





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ミャンマーに思いを寄せて 724

A氏は、光機関参謀の香川中佐から

新たに5・6名の優秀な学生を推薦して欲しいと

言われている

ただ、人選にあたり、既に軍に入隊している人間は

難しいとのこと

じゃあ大叔父は、ダメなのかなと凹んだ





いやいや、待てよ

大叔父は中国に行かず、光機関に直接行ったと仮定して

A氏が追加の人選に悩んでいる時

既に大叔父は、光機関に着隊している

もしくは、移動中である

そこで、追加の5・6人には、大叔父は該当しない

しかし、これから配属される新入りならば

異動の問題も無い分けで。。。

しかも、A氏がどうのと言うより

私達の推測では、学生時代から入隊後の

運用が予め決まっていた人事であり

光機関に行くことは決まっていたと思っている

とにかく、追加の5・6名には

大叔父は入っていないのは確かである

ただ、A氏は高官扱いの軍属で

大叔父は単なる徴兵の新入りであった

この違いは何を意味するのであろう。。。





続く…





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ミャンマーに思いを寄せて 723

A氏が8月に一旦帰国したのは

日誌から分かるのだが

その後、また光機関に戻ったのかは

大学側も分からないようである

その後、A氏は徴兵もなく終戦を迎えたそうだ





A氏は、○○大学で「学生課長」と言う職に就いていた

卒業後も職員として大学に残るほど

優秀であったのだろう

学生課長の職務が、どんなものかは分からないが

学生を管理する仕事だとすると

光機関においても、インド国民軍を教育する

カンベ訓練所の所長という職は

とても適任であり、能力を発揮したのだろう

その結果、インド人に慕われ

軍部や北部大佐からも信頼されたのだと思う





当時、学生を管理した職務経験があり

インド人を教育管理出来る人は

なかなか居なかったのではないだろうか

ただ、A氏はインド人向けの講演会などでは

通訳を使っていた

軽く英語くらいは話せたかもしれないが

やはりそのくらいでは通用しないのだろうか

大叔父は、通訳としてビルマに行ったと聞いているが

実際には、通訳として通用したのかは分からない





東京外国語大学のヒンズー語課程に在学中だった

石川君と言う学生さんは、在学中に藤原機関に

通訳として引き抜かれ

その後も光機関になっても引き続き活躍されている

しかし、当初は通訳として

あまり役に立たなかったとの話もある

勉強と実際の会話とでは、また違うのだろうなと思う

ちなみに石川君は

卒業後の就職内定が決まっていた状態で

軍に引き抜かれている

その就職先とは、なんと大叔父の○○大学で

姉婿と一緒の時期に同じく理事をしていた

あの2.26事件に関与していた理事さんの会社であった




続く…




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ミャンマーに思いを寄せて 722

私と100年史担当の方は、大叔父はA氏の

後任者ではないかと思っているが

そこのところはどうなのだろう?





軍歴表での大叔父の行動は

この年の7月の末に

大叔父が日本を発つ前に

既を中国を出発している60連隊を目指して???

中国に移動し、60連隊がいない中国で

その年の12月まで60連隊の一員として

警備の勤務に就いていたことになっている





だから~、なんで中国には60連隊はいないのに

中国で60連隊の一員として

勤務してることになってるの???

しかも、徴兵されたばかりの新入りなのに、、、

このことも含めて、おかしな軍歴表であり

中国での勤務自体、ウソではないかと思っている





軍歴表では、中国に行ったことになっているが

もしかしたら、ほんとうは、日本を発ってすぐに

軍歴には載せられない、別の勤務場所に派遣されていた

すなわち、光機関に行っていたのではないかと考えた




続く…




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ミャンマーに思いを寄せて 721

結局、日誌の中には、大叔父の名前は無かった

しかし、1番気になったのは

A氏は、光機関参謀である香川中佐(後に大佐)から

「内地に帰っている間に、5・6名

優秀な青年を機関に推薦せよ」と命を受けて

○○大学のA氏の後輩を考えているようであった





ただ、既に入隊している者については

その者を引き抜くのは、困難が多いとの見解であった

そのため困っているようである

確かに、A氏の後輩が将校として

入隊していたとしても、まだ、下級将校である

ここに無理矢理に持ってこようとすると

昇級だの異動だのと、ややこしい事に成りかねない





A氏は、思案しながら、大叔父の○○大学他

A氏の後輩の候補者数名の名を列挙しているが

○○はこう言う理由でダメで、これは○○がダメで…と

悩んでいる様子





「帰国の上で考えよう」と言っているのと

「私の任務を彼らと共同でやれば…」と言っているのを

見ると、帰国=任務終了ではないようだ




続く…




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ミャンマーに思いを寄せて 720

気になった箇所は色々とあった

60連隊のおじいさんがビルマ入りした時

昭和18年の7月以降

まだインパール作戦の始まる前であったが

ビルマからは手紙は出せなかったと言っていた

しかし、A氏の日誌では、昭和18年の8月の

帰国までの記録ではあるが

自由に手紙の行き来が出来た

作戦開始に向けて、展開をしようとしている

部隊配属の下士官と、高官扱いの軍属との

差なのであろうか?





その他に、暗号のような「京都の春」と言う言葉が

気になった

前後の文章からしても、意味不明の言葉なため

隠語なのかなと思う





個人名について、有名どころはほとんど出来ている

チャンドラボース氏、藤原機関長だった藤原中佐

15軍司令官だった牟田口中将

通訳で藤原機関時代から従軍している石川君

この他にもたくさんの個人名が出てくる

軍人の場合は、ほとんどが要人のため

階級である程度分かるが

軍属については、名字だけでは判断に苦しむ

所々に、アルファベットの頭文字1文字で表す

人物も出てくる

これは、じっくりと調べなければいけないが

かなりの時間を要すと思われる




続く…




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ミャンマーに思いを寄せて 719

A氏は、自身でインド人に

慕われている・尊敬されていると感じていたようだ

行く先々の講演会でも、圧倒的に人気があったようだ

一橋大学の先生が書かれた光機関の本の中の

北部大佐の証言でも

「その献身ぶりは、インド青年の中でも

なくてはならぬ存在でした」と出てくる

日誌にも、それを物語る逸話が

何回となく書かれている





無論、その活動には、多額のお金がかかる

A氏は、お金はかなり自由に使えたようだ

インド人からの寄付の他、軍からの配分

日誌には、現地の通貨ルピーの他に

46万円、15万円、60万円、150万円などの

具体的なお金の動きも記載されていた

その上、大陸から南方に移動の際には

○○大学からも60万円持って行っていると

100年史担当だった方は言っていた





昔のお金の価値を現在の価値に

簡単に換算して、1円=1万円(少し多いですが)として

60万円って、60億円???





そして、この高官待遇に対しA氏本人は

「現今軍の組織に於ける文官の役割は低級である。」

「私は、北部中佐の配意知遇により(中略)例外である」

と書いている




続く…




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ミャンマーに思いを寄せて 718

光機関の組織は、本部(ラングーン)の下に各支部がある

本部には、機関長と参謀の他、ビルマ支部があり

各支部は、ビルマ支部を中心に、他にバンコク、イポー

ペナン、シンガポール、サイゴンにある

ビルマ支部長は、北部大佐であった





日誌の中で気になったのは

やはり、北部大佐(当時は中佐)である

何度も出てくる北部大佐の名前

A氏は、北部大佐の部下のような

あるいは、同等くらいの地位であったように

見受けられる





軍部上層部との調整などは北部大佐に任せ

インド人のインド国民軍(友軍)への勧誘のための

講演会や、インド国民軍の教育などは

A氏が任されているように思う

各支部を集めての支部長会議の開催の起案も

A氏が行い、招集し、主導して会議を進行している





文面からは、2人は仲が良く

ペアで仕事をしているように感じた

A氏は、北部大佐の人柄について

仕事はとても優秀な人だが

片付けが出来ないと書いている

日記なので、素直な感想なのだと思う

北部大佐の詳細は、全く掴めない中

少しイメージが出来て、クスッと笑ってしまった





この北部大佐にお聞きしたら

大叔父の全ての謎が解けそうな気がするが

もうきっと、ご健在ではないであろう。。。




続く…




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ミャンマーに思いを寄せて 717

A氏の日誌にざっと目を通し

すぐさまコピーを取った

コピーした自分の分に

大事であると思うところに線を引きながら

じっくりと読み進む





A氏は、大叔父の○○大学で学び

大叔父より1回生先輩で、昭和16年に卒業後は

そのまま大学に職員として残った

そして、昭和17年3月より、○○大学から大陸に派遣され

同年8月には、後の大叔父の

60連隊の連隊長になる北部大佐の口利きで

大陸から移動し、ビルマの岩畔→光機関の所属となった





A氏は岩畔機関(昭和18年3月~光機関)において

昭和18年1月の時点で、ビルマのラングーンにあった

カンベ訓練所で軍属として所長をしている

日誌は、昭和18年5月~8月までの

この訓練所での記録である





A氏は大学から派遣された大学職員であり

単に当時26才くらいの青年であった

訓練所の所長という地位が私には分からず

気になっていたが

日誌から受けた印象は

訓練所の所長は、かなりの権限を持つ高官待遇であった





優雅な晩餐会、歓送迎会

ドライバー付きの優先的な車両や汽車の手配

軍部の偉い方との直接の交渉及び意見具申

無礼だとの理由での、軍政監部の軍属の更迭等

料亭での外食や、ピクニックに行ったり

プールで泳いだなどの記述も多く

インパール作戦が始まる前のビルマは

時折、空襲はあるものの

こんなに悠長だったのだろうかと思った




続く…




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ミャンマーに思いを寄せて 716

夕飯もそこそこに、早速、お借りした

A氏の資料に目を通した





1つは、A氏が光機関にいた時の

日誌の一部であった

日誌は、100年史担当だった方が

横書きの現代文に復刻作業された物だった

A4版の46ページにも及ぶ冊子





日誌は、昭和18年5月1日~8月20日までの内容だ

A氏は、同年8月17日に帰国し

日誌は、その後の数日間のことも書かれていた





誰かに見せる報告日誌の様な内容では無かった

個人の日記もしくは記録の覚え書きと言った雰囲気だった

きっと戦史に詳しい人が読めば

私のレベルとは違う発見があるだろう

しかし、私には名字が書かれていても

今まで調べた人物でない限り

誰のことか分からなかった




続く…




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ミャンマーに思いを寄せて 715

100年史担当だった方と

4時間もノンストップで話して

お腹は減っていて、喉もカラカラ

大学のキャンパスも近くにあったが

お食事処は無かったxx

すぐに近くにコンビニを見つけて飛び込んだ





コンビニで生き返って帰路につく

私は大叔父の調査の濃い話を

たっぷり出来て、とても嬉しかった

キャンパスで、何か催しがあったのか

バス待ちの人は、長蛇の列だった

蒸し暑いギューギューの車内だったが

そんなこと平気なくらいルンルン気分だった





京都駅に着き、電車に乗り換える

夕方早い時間の車内は、すいていた

席に座り、手元のカバンに入っている

A氏の資料が気になった、早く読みたい

でも、ここで読んでいいような物だろうか?

さっきのお金の話と言い

なんとなく、誰かに見られたらヤバイ気がする





とにかく早く帰ろう

いったいA氏の資料には何が書かれているのだろう…




続く…




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ミャンマーに思いを寄せて 714

大叔父が○○大学を中退した後の

就職先については、遺品から判明している

もしかしたら、大学からの縁故での

就職だったのかしら?と思い

100年史の方に、名前を伝えてみた




就職先関連の過去記事はこちら↓↓

「ミャンマーに思いを寄せて 671」
http://blog.livedoor.jp/aya_sann/archives/1909447.html





すると、「大学関連でしょう」とあっさり言われて

調べれば、どこかにすぐ名前は必ず出てくるので

調べておきますと、とても自信満々であった

やっぱり大学からの斡旋で

普通に就職したのだろうか?

私は、すぐにでも出てくるような気がして

とても嬉しく期待した





就職先の調査については、100年史の方に頼んで

「手分けして調査して、情報を共有しましょう!」と

盛り上がったのである

お会いして、今まで以上に信頼した

力強い味方が出来たととても嬉しかった





私は、まずはA氏の出てくる本を書かれた

一橋大学の先生に手紙を書くこと

そして、出来れば姉婿の息子さんのそのまた子孫に

何か資料が残っていないか聞くこと

そして、山形の神居家について調べること





忙しくなるぞ~、頑張らなければ

気がつくと、ノンストップで4時間も話していた

お昼ご飯も食べていなかったし

お茶も飲んでいない。。。

私は、丁寧にお礼を述べて

○○大学の平和に関するミュージアムを後にした




続く…




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ミャンマーに思いを寄せて 713

100年史担当だった方は、私の研究に対し

研究所や大学のチームなど

どこかに所属してやって行くことを勧められた

この○○大学にも、様々なチームがあると言う

プロの研究者は、そんなものなのだろうなぁ。。。

大叔父の調査は、完全に個人的なものなので

そんなことを考えたこともなかった





確かに、その分野を専門的に研究しておられる

どこかの研究所やチームなどが

バックアップして下されば

調査を早く進めることが出来るかもしれない

でも、私は何の資格もないし

どこかの大きな団体にも所属していない

単なる素人である

そもそも、その方達を見つけ出す方法が

思い浮かばないのであった





どこかに属するのが得なのか分からない

それでも、こうして個人的にでも

応援して手伝って下さる方がいるから

今は、これで満足している

他にもたくさんの方にご協力いただいている

背伸びせずに細々とでも、頑張って行こう




続く…




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ミャンマーに思いを寄せて 712

そう言えば、以前に、この○○大学の法学部に

大叔父の在学記録の調査をしてもらい

この100年史担当だった方から

メールで丁寧なお返事をいただいた




在学記録の調査結果の過去記事はこちら↓↓

「ミャンマーに思いを寄せて 168」
http://blog.livedoor.jp/aya_sann/archives/1683954.html




このメールにより

大叔父がこの大学に確かにいたことが分かり

学費未納と言う衝撃的な退学理由も分かった

今、思うと、退学理由にばかり

目が行ってしまっていたが

在学の確認は、この方からの個人的なメールだけだ

大学から、正規に在学証明や、学籍簿の写しなどを

いただけないだろうか?と思った





すると、学籍簿などの個人記録は

個人情報保護法で3親等以内でないと見られない

私の場合は、伯父などの委託書などが必要であると言う

学籍簿には、成績や家の事情などの記載もあり

簡単には見せられないのだそうです

100年史の方は、やたらと請求は難しいと言われた





ん???なんでそこまで否定するの?

見せたくないのであろうか?

いやいや、この方が大叔父の学籍簿を

私よりも先に見ていることはないだろう。。。

だって3親等内でもなければ

親族でも何でもないんだから

部署の全く違う、大学の職員なだけであり

○○大学は、そこまでずさんな書類管理は

していないであろう




続く…




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ミャンマーに思いを寄せて 711

私は、いつかこの調査が完結したら

手記をまとめて、本にしたいと思っている

それは、完結したらの話で

いつかいつかの夢である

もちろん本の発行が目的ではない

完結したら、その記念の意味合いと

自分へのご褒美かもしれない

それは、いつになるのか全く分からない

完結せずに、いつまでも続くかもしれない

明るい未来を夢見て、完結を目指して

乗り越えていくしかないのである





100年史担当だった方との会話の中で

私の本の発行という夢を話してみた

すると100年史担当だった方は

「作り話として書かれたらいいんですよ」と

いとも簡単に軽く言われた

「いいえ、私の調査手記ですので、作り話として

本を出す気はありません」と

私は爽やかに返答した

ほんとうに、ほんとうに

いつか完結出来たらの夢である

本を出すことが目的ではないので

作り話にして、急ぐこともないのである





私は、いつかの自分を想像していた

この先、どうなるんだろう。。。

不安はあるが、100年史担当だった方から

お借りした資料が今ここにある

きっと、これが道を開いてくれると信じている





しかし私は、この時、全く気付いていなかった

これから起こることを。。。




続く…




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ミャンマーに思いを寄せて 710

私にはもう1つ気になることがあった

それは、大叔父の出兵の関係者として

祖父のお寺の宗派が関わっている

可能性はないだろうか?と言う点であった




関連過去記事はこちら↓↓

「ミャンマーに思いを寄せて 519」
http://blog.livedoor.jp/aya_sann/archives/1885279.html




100年史担当だった方にお聞きすると

○○大学は、宗教は全く関わっていないそうである

当時のこの地区に於いて

特定宗教が関与しない最初の私立大学であったらしい

確かに、他の私立大学は、宗教が関わっていることが

多いが、この○○大学は、そんな雰囲気はない





裏で繋がりはあったとしても

一応、宗教とは関係がないと言うことから

祖父の宗派は関係がないのかなと思った





100年史担当だった方は

大学を卒業していない人でも、○○大学の関係者であり

大叔父さんについて、誇りを持ってもらっていい

現に、○○大学を中退された有名野球選手などでも

○○大学の関係者として、テレビなとで

公表されていると言われた




続く…




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読者の皆様へ

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いつも読んでいただきありがとうございます



読者様からの感想として

「推理小説みたいですね」とか

「NHKスペシャルが作れますよ」とか言われます

推理小説のような作り話であれば

どんなに楽だろうと思います(笑)




作り話であれば、とっくに大叔父は

中野学校の卒業名簿に出てきて

光機関で活躍し、共に戦った戦友が名乗り出て

「大叔父さんは確かに私達の部隊にいました」と

証言して終わっていることでしょう

もし作り話であったとしたら

ものすごく巧妙に組まれた壮大な世界観ですよね

作家さんではないので

そんなの作れないです~




それでも読んでいただき感想をいただけることは

とても嬉しいことで、感謝しております

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残念ながら調査は全く進展がありません

毎日、かなり勉強して

様々な所に出向いては、資料を収集していますが

このまま迷宮入りしてしまうのでしょうか…? 



もうすぐ母の日ですね

亡き母に良い報告が早くできますように

どうか、大勢の方に読んでいただくことで

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ミャンマーに思いを寄せて 709

100年史担当だった方と、姉婿の息子さんは

知り合いではないようだ

息子さんをこの方が知っておられるだけのようである





100年史担当だった方は

姉婿の息子さんの家に、何か資料があるのでは

と言い出された

以前から、姉婿の子孫が資料を持っている

可能性が高いと言われていた





以前に、偉い先生に同行し

この○○大学の歴史的に重要な方の家の

蔵を開けた経験がおありで

蔵からは、大学にとって貴重な

素晴らしいお宝がたくさん発見されたらしい

その時の興奮が忘れられないご様子

だから、姉婿の息子さんの家にも

何か残っているかもしれないと言われるのである





ただ、息子さんは、すでに他界されていて

そのまたお子さん達がおられても

私にはもうかなり遠縁であった

それよりも、100年史の前には、50年史とか

過去には色々な区切りで

○○大学は書物を発行しているのに

姉婿や息子さんなどと

大学側は接触していないのだろうか?





○○大学の歴史から消されているような姉婿

日満○○工科学校設立時の聞き取り調査の中にも

姉婿の名前は出て来ない




続く…




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ミャンマーに思いを寄せて 708

後で調べたところによると

姉婿の息子さんは、近くの国立大学の名誉教授だった

この○○大学の助教授を経て

近くの国立大学の教授になっている

近くの国立大学で定年後は

隣の都道府県の国立大学の教授もしており

人文○○学会会長や歴史○○学学会会長を務めている

日本における歴史地理学の先駆者として

有名だったようだ





私にはさっぱり分からないのだが

「○○先生を知らないと言ったら

この分野ではモグリだと言われる」と

100年史担当だった方が言われるほど有名のようだ

「いや~、そうでしたか、○○先生のお父様が~」と

かなり上機嫌で嬉しそうである





この調査を始めて、研究者の方に接する度

いつも感じることは…

偉い先生方の名前を列挙しながら話をする人が多い

誰々さんと知り合いだとか・知ってるだとか

私は、プロの世界を知らないので

スミマセン全く分からなくて、、、興味なし

きっとスゴイことなのかもしれないけど。。。





この100年史担当だった方も同じで

姉婿の息子さんと接点を見つけたことに

とても高揚されているようであった





だけど、私はそんなことより

さっきのお金の話が頭の中をグルグルと回っていた

なんだろう、なんだろう、あのお金って、、、




続く…




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ミャンマーに思いを寄せて 707

よく分からないお金の話にボケ~としながら

話は進んでいった





私には、なんとなく気になっていることが

もう1つあった

ブログでは何度も書いていることだが

近くの国立大学と、ここ○○大学との関係だ

私の中では、2つの大学は2個1と言うか

官と私だけでなく、表と裏と言うか、、、

何だか言いようのない、ちょっぴりドロドロとした

強いの結びつきがあるように思っている





だからと言って、根拠もなく、そのまんま

100年史の方に伝えるのも失礼な話なので

心の中にとどめている





姉婿の息子さんは近くの国立大学の教授だった

そのことを、チラリと話し、息子さんの名前を出すと

えっ?ととても驚かれた

こっちの方が驚くくらいであった





「息子さんは○○先生だったのですか~!!」

「○○先生のお父様が、うちの理事ですか…」

と、何やら 納得されているような

私には100年史担当だった方の反応は

何なのかよく分からなかったが

息子さんのことをよくご存じのようだった




続く…




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ミャンマーに思いを寄せて 706

当時のお金で250万円って、、、

金額を聞いても、私にはどれくらいなのか

瞬時に現在のお金の価値に換算出来ないほど

分からない額であった

すごい金額なのだろうとしか思わなかった





そして、大陸から南方に移動した際には

更に60万円を持って行っているとのこと

すごいですね~とは言ったものの

だから何?それが何を意味するのか分からない私

○○大学から与えられたA氏の活動資金???

それにしては、多いような気がするけど…

何のためにお金???

お金、、、う~ん、私には分からない





何だかよく分からない方向に話が行ってる。。。

A氏の派遣には、○○大学からの

巨額のお金が絡んでた

えーっと…えーっと、頭が回転しない(>_<)

なんだかヤバクない???




続く…




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ミャンマーに思いを寄せて 705

平和に関するミュージアムを出た

外のフロアの椅子に腰掛け

100年史担当だった方と話を続けた





A氏の話になった

A氏は、大陸に渡って、その後にマレーで

特務機関に入り、インド人の教育をしていた

当時、A氏は○○大学を卒業し

○○大学の学生課長に就任している

学生課長という職務がどんなものかは分からないが

卒業しても、大学の職員に採用されるのは

優秀だったからではないか





そう考えると、この100年史の方も

A氏と同じ立場であり、優秀だったのだろうなぁ

素直にそれを口にしてみた

「いえいえ私は、1度、他の所に就職していたのです」

と言われた

大学に残っていた先輩に声をかけられ

○○大学に戻って来られたそうです

それって、引き抜きなんじゃないの???

やっぱりこの方も、優秀だったのだろうなぁ





そして、100年史の方は、A氏の行動について

A氏は、大陸に渡る際に250万円を持って行っている

と言い出した

…250万円、、、、



続く…



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ミャンマーに思いを寄せて 704

岩畔の前身のF機関は、現地マレーでの

日本の企業やお金持ちの有力者の

協力が絶対欲しかったと思う





○○大学の理事さんは南進論者として

知られている

その理事さんは外国にも

たくさん鉱山を持っておられた

2.26事件においては

逮捕・起訴されたが無罪釈放

戦後は、昭和23年まで

A級戦犯容疑で巣鴨に拘禁されるも

不起訴で釈放





すると、100年史の方は「鉄鉱石か何かでしたよね」

と言われた

鉱山の産出物には鉄鉱石もあったが

ボーキサイトもあったようである

ボーキサイトと言えば、日本では産出されず

アルミの原料であり、日本にとって

大量に必要なとても貴重な資源であった

「ボーキサイトは、アルミの原料でジェラルミンとなり

ゼロ戦の材料にされたのですよ」と私が言うと

100年史の方は、顔色を変えられた





その顔色の変化は、知らずに驚かれたのか

○○大学の英雄に、失礼なことを

言っている私に対しての

嫌悪感だったのか

何だったのかは分からない





私は、顔色の変化には気付いたが

プロの研究家である100年史の方の

知らないことを説明していると言う優越感に

1人酔っていたのかもしれない

これから起きることに

まだ全く気付いていなかった



続く…



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ミャンマーに思いを寄せて 703

展示物を見ながら、姉婿と同じ時期におられた

もう1人の○○大学の理事さんの話になった

以前に私が、とても気になった理事さんである





理事さん関連の過去記事はこちら↓↓

「ミャンマーに思いを寄せて 661」
http://blog.livedoor.jp/aya_sann/archives/1907777.html

「ミャンマーに思いを寄せて 662」
http://blog.livedoor.jp/aya_sann/archives/1907862.html

「ミャンマーに思いを寄せて 663」
http://blog.livedoor.jp/aya_sann/archives/1908036.html




A氏が岩畔・光機関に行ったことに

この理事さんは関わっているのか?

A氏は軍属として岩畔・光機関に配属されている

しかし、大叔父は召集令状で軍人として下士官の身分で

ビルマに行っている

A氏の派遣と、大叔父の出兵は関係ないのか?





もう1人の理事さんは、戦後の○○大学史では

英雄であるのに対し、姉婿は学園史から消されている

これは何を意味するのだろう?

大叔父の出兵には、このことは関係ないよね???





この理事さんと、姉婿の関係はどうだったのだろう?

姉婿と仲が悪かった???

それとなく100年史担当だった方に聞いてみた

すると「あの当時は、○○さん(姉婿)は絶大な力を持っていて

逆らえる人はいなかったと思う」と言われた

その発言がどんな理由からなのかは分からない





この理事さんが、この○○大学から特務機関に

A氏を派遣した件に何らか関係していても

おかしくはないと思うと100年史担当だった方に話した




続く…




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