ミャンマーに思いを寄せて

亡き母の思いを果たすべく、ビルマで戦死した大叔父の足取りをたどる私の奮闘記録☆

2014年07月

暑中お見舞い申し上げます

読者の皆様へ


いつも読んでいただきありがとうございます

梅雨が明けたら、とたんに暑い日が続いていますね

お変わりございませんか?

こちらは、調査を兼ねて帰省です





調査の方は、難航中には変化なし

歴史の裏側を調べるのは、かなり難しいことですね

進展らしき進展もないまま1年が過ぎようとしています

今は、勢い良く突き進んだ頃に

後回しにした、細かい調べ物を

コツコツとこなしているところです

それにより、新たな発見や気付きも意外と多く

無駄な時間ではないように思います





調査は進まず、辛くて泣いて過ごすことも多かった、この1年

今が、私に課せられた頑張り時なのかもしれません

読者の皆様、家族、友人&知人、巡り逢う方々にに恵まれ

ここまで来ることが出来ました

頑張れば、きっと良いことがあると信じて

これからも、続けていきます





この夏も、お墓参りをし、大叔父さん、おじいちゃん、おばあちゃん、お母さん、ご先祖様にお願いしてきます

もう神頼みの心境ですf^_^;





帰省に伴い、時間がままならず

更新の遅れも予想されます

また、携帯からの更新も多く

改行など、見づらい点があるかもしれませんが

どうぞご理解下さいませ





では、皆様におかれましても

暑さ厳しい折り、ご自愛のほどを

これからも、どうぞご愛読&応援のほど

宜しくお願いいたします


2014.7.31


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ミャンマーに思いを寄せて 790

「丸」を読んでいて、石原莞爾氏を主人公とされている

長期の連載があることに気付いた

フィクションだと思うが、ノンフィクションのような部分もある
 
歴史を研究して書いておられるご様子

ちょうど石原莞爾氏についても

まだまだ勉強しなければいけないことも多く

この作家さんなら…と思った





丸の担当者に相談してみると

その作家さんは、ご高齢の大先生で難しいと言うことだった

あらら、残念無念

では、他に誰か調査に協力して下さる

専門家はいらっしゃらないかとお願いしたところ

もっと詳しい方がいらっしゃるとのことで

その方をご紹介いただけることになった





私は、藁をも掴む思いだったので

天にも舞う気持ちになった

ありがとうございます、丸の担当者さん!





家に帰り、早速、その方へのメッセージを思案した

この長編のブログを全部読んでいていただいて

漠然と「調査に協力して下さい」と言ったところで

先方を困らせるだけだろう

具体的に、何を知りたくて、どう協力してほしいか

きちんと伝えなければ。。。

しかも、失礼のないように





正直、調べ方のコツから教えていただきたいくらいの

レベルの私

しかし、真剣に取り組んでいることだけでも

分かっていただけるようにしなくては。。。

丸の担当者さんが下さった、せっかくのチャンスだもの





続く…





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ミャンマーに思いを寄せて 789

この頃の私は、夏に色々ありすぎて消沈しきっていた

大叔父の調査は、○○大学の件で

訳の分からない方向にそれてしまったきり


これは、単なる寄り道なのか

それとも大叔父も何らかの関係者の1人なのか


全く判断が出来なかった


もし、何か関係があるとしても


後はそれを、どこでどう調べて進めたら良いのだろう。。。





大きな力のある組織や団体など


どこにも属していない、ちっぽけな私


○○大学の100年史担当だった方からは


「こう言った資料が欲しければ、貴女もどこかの大学のチームや

研究所に入ってから、正式に請求しなさい」と言われた

肩書きなんて私は興味がないが


個人で調査を続けるには、限界を感じていた





私の協力者である軍事関係に詳しい人達も


私よりは、遥かに戦史に詳しいが、学者先生ではない


どなたか、信頼出来る人で

相談に乗って下さる方はいないかしら。。。


でも、また騙されたら…怖い

私には人を見る目がない

人間不信に陥りそうであった





そんな折、いつもお世話になっている「丸」の担当者と

打ち合わせをすることになり

このことを話すと、良い方がおられるので紹介して下さると言う

私は、とても嬉しくて、是非、お願いしますと頭を下げた





続く…





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ミャンマーに思いを寄せて 788

大叔父と同じ連隊・大隊の中野のおじいさんは

ご高齢なので、夏の暑さは

厳しいのだろうなぁと分かっているものの


ひつこくて申し訳なかったが

幾度と電話を入れた、「次はないかもしれない」からだ






おじいさんは、お耳が遠いため、電話には出ない


おばあさんが、いつも対応して下さった


「○日の、ご都合はいかがですか?」と尋ねても

「その日は、病院で」とか、なんやかんやと断られた

だんだんと、迷惑がられていると気付く

ごめんなさい、ひつこくて。。。




「では、何日でしたら、ご都合が宜しいですか?」と

聞いてみたが、それでもダメだった

電話の度に、恐縮しながら、おばあさんに懇願した

「もう○○さんだけなんです」、「どうか、お話を伺わせて下さい」と

何度も電話口で頭を下げた

ご迷惑なのは、重々承知しております

ほんとうにわがままで大変申し訳なく思っています

でも、どうかどうか、このとおりです、お願いします

おじいさんにお聞きしなければいけないことは

まだまだあるのです

電話の度に、涙が出た





私からの電話は、おじいさんはご存じなのだろうか。。。

だって、まだ、おじいさんのお元気な声を聞いていないんだもん

おじいさんは、ほんとうにお元気なのだろうか?

ミャンマーの木が狂い咲きしたのは、気のせいだといいな。。。





一昨年、たくさんの写真や資料を準備して

私を迎えて下さったことを思い出す

おじいさんは熱く熱く語られて、時間がなくなって

後ろ髪を引かれる思いで帰ってきた

おじいさんは、とても喜んでおられて

お土産に、ミャンマーの木の苗を持たせて下さったのだ

ミャンマーの木も、元気です

もう一度、おじいさんにお会いしたいです


RIMG0098











続く…





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ミャンマーに思いを寄せて 787

その後、何度も中野のおじいさんちに電話した

中野のおじいさんとは、

大叔父と同じ歩兵60連隊の第一大隊の


4中隊で、大叔父は機関銃中隊だから


隣の中隊であった人である


東京60会(東京における60連隊の戦友会)での


最後のおじいさんなのだ






夏の始まりに花を咲かせた

おじいさんからいただいたミャンマーの木


花は終わったのに、夏の終わりにまた咲いた


えっ?狂い咲き??


急におじいさんのことが気になって


おじいさんちに電話した






おばあさんからは、夏バテしてるから


涼しくなってから、また電話して下さいと言われていた

9月に入り、まだ残暑はあったが


また今度と言っていたら、また今度はないかもしれない


失礼かもしれないが、何せ

御年95才(2013年当時)のご高齢である


大叔父と同い年の大正7年生まれ






おばあさんからは、高齢のため、病院に行くことが多く


暑い中、病院に通うだけで高齢の体には厳しい


通院の前後は、それだけで疲れるので


もっと涼しくなってからにしてほしいと


言われる日が続いた




続く…





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ミャンマーに思いを寄せて 786

○○大学の100年史担当だった方からのメールには

最後に、「大叔父さんとの接点は見えてきません。

これ以上はじっくり研究が必要かと思います。」と

書かれていた





冷たく突き放された言い方にも取れるが

その通りなのだろう

まだまだ解明出来ていない歴史なのだ





先の資料とはかなり違うが

私の欲しい箇所をきちんと資料にして下さり

100年史担当だった方の誠意を感じた

ほんとうは悪い人ではないのだろうなぁ

これまでにも、公開されている資料ではあるが

様々な資料を提供してもらっている

これで満足しなければいけない。。。





ただ、大陸に渡った時に持参した250万円

南方に行ったときの60万円の話は

100年史担当だった方からお聞きした話である
 
それを示す文書等は私は確認していない

今回の稟議書の件など

私の知らない資料は、まだ○○大学にあるのだ

全てを私に開示されたのではないのだろう




続く…




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ミャンマーに思いを寄せて 785

A氏の行動は、ざっと以下のとおりである





昭和17年6月

満州にて関東軍にいたA氏に対し、○○大学は

「満州国へ国防研究ため出張中、その研究資料等の諸経費」

について、稟議書を作成している

そして7月

 「陸軍ノ内命ヲ受ケ南方派遣軍総司令部嘱託トナリ」

と、A氏からの報告を受けている





昭和18年

「参謀本部嘱託トシテ、ビルマ駐在特殊機関ニ服務」

8月に一時帰国している

昭和19年8月

約1ヵ年ぶりに帰国した





いつから大陸に渡り

学生課長を辞したのはいつの時点で

帰国した後はどうなったのかなど

詳細は分からない

○○大学の100年史担当だった方も

推測の域を出ないと書かれていた




続く…




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ミャンマーに思いを寄せて 784

待ちに待った○○大学の100年史担当だった方から

約束していた、A氏に関する新たに要約した資料が

送られてきた

もちろん、ものの見事、○○大学からのお金の流れ

などは、跡形もなかった

それでも約束を守って下さったことだけで

私は満足であった





資料は、大叔父及びA氏と○○大学

そして軍部の動きを年表にまとめた物であった

ほぼ、私の中で網羅していたが

年表にまとめると、より一層整理が出来る





新たに収穫となった事項は

A氏は、○○大学卒業後の昭和16年3月に

大学生徒主任となり、翌月4月には学生課長も兼務していた

また、禁衛隊指導部員としてあるいは

国防学研究所員として(?※これは○○大学推測)

月額50円の特別支給(手当)があったようである

国防学研究所とは、この年に○○大学に

出来たばかりのもので

初代所長は石原莞爾氏であった





続く…




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ミャンマーに思いを寄せて 783

大叔父と同じ大学のおじいさんの

軍歴の詳細がとても気になったが

それ以上は、ご本人に聞くしかないかぁ。。。

次にお会いできるのは、お正月くらいかな

このおじいさんの証言は、とても大切なんだよね

戦争を語るのを少し嫌がるおじいさん

「貴女には次回お会いした時に

ほんとうのことを話します」と言われたが

ほんとうのこととは何なのだろう?

戦場の悲惨さのことだろうか?それとも。。。





ただ、このおじいさんがボケておられたとしても

他のおじいさんの証言や

状況証拠を合わせると、やっぱり大叔父の

軍歴は、変だと言える

地道に調査を進めるしかないのよね。。。





後は、○○大学の100年史担当だった方からの

A氏に関するまとめ資料を

どうしてもいただかないといけない

それには、もう少し時間を要するようである

こちらは、待つしかない

どんな資料になるのか?

果たしてほんとうに送ってくれるのか

それさえも分からない




続く…





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ミャンマーに思いを寄せて 782

そして、おじいさんは

「大叔父さんは大先輩や!同じ大学の出身で

同じ中隊の甲種幹部候補生を知らない訳がない」と

「おかしいなぁ、おかしいなぁ」と

首をかしげておられたのでした





○○大学の後輩、甲種幹部候補生の教官、同じ中隊

ウソをつく必要がないのに

大叔父を知らないと言うおじいさん

名前が違う…、アッ、もしかしたら、おじいさんは

養子さんに行かれたのかもしれない

おじいさんの名前の最後は「三」が付く

三男だったのだろうと思われる

昔の大学生は、引く手あまたと聞いている





おじいんさ自身も、たくさんの人から

「結婚してほしい」と大変モテたと話しておられた

○○大学の100年史担当だった方には

下の名前だけで、その近辺の年代の卒業者を

探してほしいとお願いしたが、もう返事は来なかった





続く…





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ミャンマーに思いを寄せて 781

○○大学の100年史担当だった方からの

メールには、おじいさんについて

 「見あたらないようです、名前が違うのではないかとの

指摘がありました」と返ってきた





2回生下ではなかったのかもしれない

○○大学が、どの範囲を探して下さったかまでは分からない

でもどうしても、おじいさんがボケている・ウソをついている

とは思えないのだ

戦友のいる前で、大きな声で話して下さった

軍歴をごまかしているのであれば

すぐにバレると思う





大叔父が○○大学の学生であったことを伝えると

おじいさんは、とても嬉しそうに「私も○○大学です!」と

言われて、定期入れに入っていた

当時の学生服姿の自分の写真を誇らしげに

私に見せて下さった

その制服が○○大学かどうかまでは分からなかったが

70年余り経った今でも、そうして定期入れに

入れてある大学生時代の写真





私が持参した大叔父の大学構内で

撮影されたと思われた写真についても

○○大学に隣接した写真屋さんでの撮影だと

説明して下さった

自身も、その背景の写真をいっぱい持っているとのこと

…やっぱりウソとは思えない

第一、初対面の私に対して

ウソをつく必要がないのである




続く…





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ミャンマーに思いを寄せて 780

大叔父と同じ中隊のおじいさんは

ご本人も甲種幹部候補生だったそうで

その後、60連隊の甲種幹部候補生の

教官を豊橋でしていたと言われていた





単純に大叔父の入隊日から換算して

おじいさんは、大叔父の期別も担当しているのに

その60連隊の学生の中に

大叔父はいなかったと証言された





ただ、私が疑問に思ったのは

おじいさんが甲種幹部候補生で

将校になってから

後輩の甲種幹部候補生の教官として

活躍するには、かなりの期間を要する

終戦が近くなる頃には、階級の昇級も

様々な教育の期間も短縮されるのだが

それにしても、2回生下だとしたら

期間的に難しいのではないかと思ったのである





その上、おじいさんは、中国での期間もあったようである

それを含めると、やはり2回生下ではない気がした

それを確かめたくて、○○大学の100年史担当だった方に

調べていただいたのである




続く…




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ミャンマーに思いを寄せて 779

同じ中隊のおじいさんは

大叔父より2才年下だと言われていた

と言うことは、大正9年生まれである

早生まれとかは分からないので

単純に考えて、大叔父より2回生下だ





大叔父は、本来ならば、昭和17年の3月に

大学を卒業となるはずだった

大叔父の場合は、卒業を迎えず

昭和16年の7月に中退してしまうのだが…

しかし同級生は、国策により、卒業時期を3ヶ月短縮して

昭和16年12月に卒業し、すぐに軍隊に入ることとなる





同じ中隊のおじいさんが卒業する頃には

卒業時期は、更に短縮され、半年となっていた

それにより、おじさいさんは、昭和18年の9月に

大学を卒業したと思われる





おじいさんは「学徒出陣の少し前」と言われていた

学徒出陣と呼ばれるのは、

昭和18年の10月もしくは11月に出陣学徒の壮行会をして

その年の12月に入隊した

おじいさんの地域では、昭和18年11月21,22日に


「出陣学徒武運長久祈願祭並びに壮行会」と銘打って

平安神宮で行われたと聞く
 




時期的に、おじいさんは学徒出陣の第一回目の

学生ではないのかな?と思ってしまうのだけど

学徒出陣のちょっと前と言われてたので

学徒出陣として行かれたのではないような。。。

志願兵として学徒出陣の学生さんよりも

早く行ったとか?…分からない~(>_<)




続く…




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ミャンマーに思いを寄せて 778

歩兵60連隊第一大隊機関銃中隊

大叔父と同じ中隊のおじいさん

そのおじいさんは、大叔父より2才年下だと言う

そして、大叔父と同じ○○大学の卒業者





おじいさんは経済学科で、大叔父は法政学科だった

おじいさんは、学徒出陣のほんの少し前で

半年以上短縮され、卒業と言う形で出兵されたそうだ





連隊内には大卒者も甲種幹部候補生も

ほとんどおらず、ましてや同じ大学出身者であれば

絶対に知らないはずがないとハッキリおっしゃった





そして、おじいさんは、60連隊の甲種幹部候補生の

担当教官で、集合教育に携わっておられた

本土の豊橋に帰り、その都度、後輩の教育をしたと言うのだ

それが、終戦前のいつ頃の時期までだったのかは不明だ



関連過去記事はこちら↓↓

「ミャンマーに思いを寄せて 417」
http://blog.livedoor.jp/aya_sann/archives/1868377.html





おじいさんに直接お聞き出来れば良いのだが

おじいさんは、あまりインパールに関することを

話したくない雰囲気であった



関連過去記事はこちら↓↓

「ミャンマーに思いを寄せて 595」
http://blog.livedoor.jp/aya_sann/archives/1896911.html




続く…




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ミャンマーに思いを寄せて 777

○○大学の100年史担当だった方には

姉婿の理事の任期の他に

○○大学の卒業生で、大叔父と同じ中隊の

おじいさんについて、調査をお願いしていたのだ





このおじいさんは、京都60会(京都の歩兵60連隊の会)

で、お知り合いになり

大叔父が60連隊にいなかったと証言された方の

1人であった



おじいさんの証言過去記事はこちら↓↓

「ミャンマーに思いを寄せて 404」
http://blog.livedoor.jp/aya_sann/archives/1865511.html





1番最初に、このおじいさんから

「そんな人は知らない・そんな人はいなかった」と言う

衝撃的な証言を受けて

この調査は、不思議な方向に進んだのである

このおじさいさんが、もしも「大叔父さんをよく知っています」

「大叔父さんとは、ずっと一緒にいて、こんな話をした」とか

「激戦の最中、テグレパールで別れたのが最後でした」

なぁんて、証言をして下さっていれば

こんな終わりの見えない調査にはならなかったと思う




このおじいさんを責めてはいないが

この証言は、1番重要なのである

この証言が何かの間違いであったなら

私の調査は、根底からひっくり返ってしまう

疑うのではないが、お年がお年なだけに

おじいさんについて、ついて少し調べてみることにした





続く…




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ミャンマーに思いを寄せて 776

大叔父の○○大学の100年史担当だった方からの

メールには、姉婿の資料は○○大学に無いとのことで

姉婿の関係者に、大叔父の痕跡の手紙や

はがき等が残されているような気がしますと

アンダーラインを引いて書かれていた




前回に、お会いした時も

執拗に、そのことを言われていて

他のメールでも、同じ事を書かれていた

私に探せと言われているのだろうが

今の私には、もうそんな気力が残っていなかった





伯父さえも、もう疎遠になっている、遠い親戚。。。

今更なんて言って行けばいいのか。。。

また嫌な思いをするんだろうなぁ

私1人では、連絡なんて取れないし

伯父に迷惑をかけることになる

もう東京に帰ってきたし

あ~あ、この件について着手出来るのは

早くても、来年だろうなぁ

調べなきゃいけないことは山ほどあるのに

少し、ボケ~と時間を過ごしたくなった

私、なんでこんなことやってるんだろうか。。。

辛いです、大叔父さん





続く…




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ミャンマーに思いを寄せて 775

姉婿の子供さんは

亡くなられた長男の他に

ご健在の兄弟もおられるらしいが

もっと年下の兄弟であり

大叔父のことをご存じかは分からない

伯父の代では、もう疎遠になっていると言う。。。





大叔父は、姉婿とは、血縁関係ではなく

姉婿の妻の弟であるが

中学生時代から下宿しており

東京・中野に引っ越しした後も

出兵まで約10年間ほど一緒に暮らした仲である

もしも私が推測しているとおり

大叔父の出兵に姉婿が関係していたとしたら

大叔父の死は、かなりショックであったろう





大叔父の死が、理事の任期に影響していたとしても

理事の任期が途切れた昭和19年の初旬は

まだ終戦色も濃くなく、大叔父も生きている

これから、正に、インパール作戦を行おうと

していた時である

そして、姉婿宅は、昭和18年初旬には

すでに東京・中野に引っ越ししている





昭和11年から理事になり

3年任期であることを考えると

昭和14年末で、一区切り

次は、昭和17年末で一区切り

昭和18年の初頭に、東京・中野に引っ越す…

3会目の理事の任期が始まってすぐに

関西から離れた、、、

理事は遠方でも出来たのだろうか。。。

そして、1年経過して、中途半端な時期に

一旦、理事を辞めて、また理事になって、また辞めた

う~ん、何なのコレ?

単に、たまたまなだけだろうか???

もう、本人にしか分からないことなのかな…

大叔父さんでも、石原完爾氏でも、姉婿でも

誰でも良いので、夢の中にでも出てきて

全て話してほしいです(>_<)




続く…




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ミャンマーに思いを寄せて 774

姉婿の○○大学理事の期間の終盤が

なんだか、変だとは思うものの

それを検証するにはどうしたらいいのだろう?





大叔父が戦病死したことも何か影響しているとは思う

我が子と同じような年頃の大叔父

姉婿の長男は、大叔父より3才年上で

近くの国立大学の東洋史学部を卒業している

何故、長男が○○大学ではなく、国立で

大叔父が○○大学だったかは分からない

学部の問題だったのかもしれないし

さすがに自分が理事をしている大学に

息子を入れるのはいかがなものかと思ったのだろうか





長男は、きっと、大叔父とって

良き兄のような存在であったことだろう

姉婿よりも、更に様々なことを話していたかもしれない

後に長男は、○○大学助教授・教授を経て

近くの国立大学の教養部教授

定年後は、隣の県の国立大学の教授を歴任


日本における歴史地理学の先駆者として

各関係学会で会長を務めるなど

その世界では有名な人だったらしい





姉婿が亡くなった後も

長男と私の祖父との交流は続いていた

何通もの手紙が残っているが

その内容は、季節の挨拶や

遊びに来た時のお礼などであった

残念ながら、祖父と同じくらいの時期の

昭和の終わりに亡くなられている

この方が、ご健在だったならば

詳しいお話が聞けたのにと、残念でならない




続く…




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ミャンマーに思いを寄せて 773

大叔父の姉婿は、○○大学の理事をしていた

それは、いつからいつまでだったのか気になった

以前に、それを100年史担当だった方に

質問していたのである





100年史担当だった方からのメールに

添付されていた資料には

こう記されていた



<理事の任期>

昭和11年1月~19年1月
昭和19年5月~19年10月

<評議委員の任期>

昭和23年5月~24年1月






○○大学の理事は、かなりの権限を持っていたようである

任期は3年となっていた

しかし、最後の昭和19年においては

2~4月までの空白と、10月と言う中途半端な

時期で終わっている

…うーん、これは一体、何を意味するのであろう?

この時期に何があったのか?





大叔父は、昭和19年の7月に戦病死している

それも関係するのかな?

○○大学の理事であった姉婿の家に

中学生時代から下宿していた大叔父

その大叔父が亡くなってしまったことは

姉婿にとっても辛いことだったと思う

しかし、昭和19年の2~4月の空白は

大叔父の死とは、関係がない





この理事の任期に何かあったと推測するが

それを突き止めることは大変なことだと思った

○○大学の100年史担当だった方が言うには

○○大学には、姉婿の資料は無いそうである

ほんとうか・ウソかは別として

○○大学の理工学部の設立者とも言うべき姉婿の

資料が何1つ無いなんて、やっぱり変だと思う




続く…




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ミャンマーに思いを寄せて 772

2013.8のお盆も過ぎ、8月も終わろうとしていた

○○大学の100年史担当だった方からは

その後も、何の連絡もなかった

モヤモヤとした気持ちのまま、私は東京に戻った





このまま、うやむやになってしまうのだろうか。。。

私は思い切って、○○大学の100年史担当だった方に

催促のメールを入れてみた





すると、「作業は思うように進みませんでしたので

もう少しお待ちください。」と返事が来た

その代わりに?他の資料が添付されていた

それは、以前に質問していたことだった

1つは、○○大学の理事であった姉婿のこと

もう1つは、同じく○○大学の卒業生で

大叔父と同じ中隊で、大叔父が60連隊に

いなかったと証言された、おじいさんのこと





取りあえず、100年史担当だった方の言葉を

そのまま受取り、資料を送って下さるのを

待つことにしてみた
 



続く…




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ミャンマーに思いを寄せて 771

2013.8

まだまだ残暑は厳しく、もう8月も終わると言うのに

私の気持ちはくすぶったままであった





振り返ると、この夏は、熱かったなぁ。。。

○○大学の100年史担当の方との接触で

激動の夏だったと言える

進展したのか?単なる寄り道だったのか?

○○大学のA氏の存在は

この先の大叔父の調査に、どう関係するのだろう?





でも、私は、このまま終わりにする分けには行かなかった

○○大学の100年史担当だった方から

資料を取り上げられたその代わりに

A氏の行動をまとめた資料をいただく約束となっている

騙された人を信用しているわけではないが

渋々であれ、何であれ、約束は約束である

それもウソであったなら、決して許しません



関連過去記事はこちら↓↓

「ミャンマーに思いを寄せて 750」
http://blog.livedoor.jp/aya_sann/archives/1923016.html





3年間もの交流を経て

一時期でも、私が信頼していた方である

心底悪人とは思えなかった

魔が差したのであろう、、、

ほんの少しの可能性だろうが

○○大学の100年史担当だった方からの連絡を待った




続く…




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ミャンマーに思いを寄せて 770

調査もあり、1ヶ月ほど実家に滞在していた

そろそろ東京に帰らなければ

ミャンマーの木=中野のおじいさんも気になる

帰ったらすぐに、中野に行こう

おじいさんにお会いしたい

昨年9月に会ってから、約1年会っていない

1年と言うのは、私にとっては

アッという間の1年であるが

96才のおじいさんにとっては大きな1年である

どうかどうか、お元気でいて欲しい





早速、おじいさんちに電話してみた

おばあさんが電話口に出られた

おじいさんにお会いしたいと申し出ると

夏バテしていて涼しくなるまで待って欲しいとのこと

あぁ、取りあえずご健在と分かりホッとした

またお電話しますと電話を切った





おじいさんにお会いした時に

何を伺いたいか、しっかりとまとめておかないと

時間はないのである

貴重なおじいさんを大切にしなければ。。。

大叔父と同い年のおじいさん

もし大叔父も生きていたら

中野のおじいさんみたいだったのかな

ビルマの武勇伝をたくさん聞きたかったよ、大叔父さん





続く…





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ミャンマーに思いを寄せて 769

東京60会の最後の生き残りである

中野のおじいさんにいただいた

ミャンマーの木が狂い咲き???





昨年9月にお宅にお伺いし

その後も、年賀状などを交わしていた

つい先日も、暑中見舞いを出したところだった





大叔父の歩兵60連隊は

大正期の宇垣軍縮により廃止となり

昭和13年に再編成され復活した

元々は、愛知県・豊橋の部隊であり

昭和14年から、隊員が総入れ替えされ

ほぼ京都の人間が占めることとなった





この中野のおじいさんは

14年兵と呼ばれる志願兵で

京都の人が投入された、言わば1期生であった

中国戦線を皮切りに

ビルマでも数々の戦闘を乗り越えた古参兵であった





大叔父と同じく大正7年生まれのおじいさん

(平成13年の時点で)御年96才

まだまだ教えていただかなくてはいけないことが

山ほどあるのです

どうかお元気でいてほしいと願い

早速、おじいさんに連絡をとってみた





続く…




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ミャンマーに思いを寄せて 768

これからどうして行こう、、、

何をどう調べればいいのだろう?

今まで、素人の私が思いつく限りのことを

片っ端から、根こそぎ調べて来た

何の知恵もない、何の力もない

何が私を突き動かしているのかも分からない

ただ私は、何か分からない直感で

忍耐力をもってがむしゃらに突き進んできただけ

何事でも「始める・続ける」のにはパワーがいる

その心も折れそうになっていた





案の定、もう1つの組合からの

メールの返信は無かった

あぁ…おかしな人からの問い合わせとして

スルーされたのだろうなぁと残念であった

大叔父の勤務先は、調べてもしかたないのかなぁ。。。





そんな折

東京の家から、連絡が入った

何でも、7月に咲いたミャンマーの木が

また花を咲かせたと言うのである





そう、ミャンマーの木と呼んでいる

東京60会(東京での60連隊の戦友会)の

最後の生き残りである中野のおじいさんから

いただいた木

ビルマの戦場での夜間行軍の際に

いつも良い香りを放っていた

おじいさんの思いでの木

ほんとうの名前は「夜香樹」と言う





先月、花が終わったその木に、また花が咲いた

えっ!狂い咲き???

やだ~、何か嫌な予感がする

中野のおじいさんに何かあった???





続く…




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ミャンマーに思いを寄せて 767

実家にたどり着いた

とても疲れていたが

取りあえず、教えていただいた、もう1つの

組合の方に連絡を取ってみることにした

今日のように押しかけても

きっと、結果は同じであろう

もう1度、大阪まで行く気にはなれなかった





HPの問い合わせから、メールで問い合わせ

してみることにした

問い合わせ内容は、前回と同じく

大叔父の勤務していた帽子の組合を探しています

何か分かることがあれば教えていただきたいと言う

主旨である

ちゃっかりと、前回の組合からのご紹介でと

書き添えておいたので

少しは何かの効力があるのではと期待した





私の個人情報を書き込むのは嫌であったが

信頼していただくには、書かざるを得なかった

どうかお返事をいただけますようにと

祈るような思いで送信ボタンを押した




続く…




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ミャンマーに思いを寄せて 766

表通りに出ると、来た時と同じく炎天下

足取りは重く、容赦なく太陽が照り付いた

地下鉄に入っても、ひどく蒸し暑かった

教えていただいた、もう1つの組合に行こうかとも

思ったが、もう余力はなかった





喉がカラカラになっている

持参していたペットボトルの生ぬるいお茶を

一気に喉に流し込んだ

それでも流れない、重い気持ち、、、

全ての調査に劇的な展開が待っているなんてことは

あるはずがないと分かっていても

なんと私は無力なのだろうと落ち込んだ

こうなるであろうことは、薄々分かっていた

それも覚悟で大阪まで出向いた

ショックではなかったが

今の傷心の私には、辛かった





私がやっていることは、おかしなことなんだろうか?

他人から見れば、変な人なんだろうね

大叔父さん、間違っていますか?

どこを調べれば、大叔父さんに出会えますか?

私は、これからどうすればいいですか?

大叔父さん、、、大叔父さん、、、





続く…




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ミャンマーに思いを寄せて 765

事務所内におられる80才代の

ご老人との面会を希望したが

これから出掛けるため断られた

どうかほんの少しの時間で構わないのでと

何度も頭を下げたが

女性の態度は変わらなかった

迷惑そうに「もう帰って下さい」と突き放された

これ以上は無理かぁ。。。残念だ





当然と言えば当然の結果であった

突然、胡散臭い聞き込みに来た、迷惑な人と

映るのだろうなぁ。。。





トボトボと暗い通路を入り口の方へ引き返した

私は、遠く大阪まで来て、何をしているのだろう

なんでこんな思いをしてまで続けているか、、、

「大叔父さん…」

ポロポロと涙がこぼれた

泣き顔のまま、通りに出ることが出来ず

しばらく通路で落ち着くのを待った




続く…




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ミャンマーに思いを寄せて 765

女性に「昭和17頃に、大叔父が勤めていた組合で

大叔父の足跡を追っているのです」と答えたが

もちろん、ほんとうのことなんだけど

普通は、怪しいと思われるよね





続けて女性は「何でうちに来たのですか?

どこでうちを知ったのですか?」と

勢いよくまくしたてた

「インターネットで調べて来ました」と答えた

「うちでは分かりませんので、もう1つの組合に

聞かれたらどうですか?」と言って下さった

親切に、もう1つの組合の連絡先のメモをいただいた

「こちらのお近くですか?」と聞くと、遠いと言う

組合のため、事務所には、常時、人がいないとのこと

今日は、行けそうにないなぁと思った





私は事務所内にいらっしゃる80才代のご老人が

気になった

大叔父の組合のことをご存じなくとも

この大叔父の給料袋を見ていただいて

何か分かることはないだろうか?



6fd7c8de.jpg











昔の大阪の帽子産業のこともお聞きしたかった

女性に、ご老人お話を伺うことは出来ないかと

申し出てみた




続く…




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ミャンマーに思いを寄せて 764

ドアをノックすると、返事があり

中から人が出て来られた

私と同年代くらいの女性であった

軽く挨拶をし、大叔父が勤めていた製帽組合の

名前を書いたメモを渡して

この組合について、何か分かることがあれば

教えていただきたいと伝えた





女性は、メモを見ながら無言であった

私はおずおずと「古い話で恐縮ですが

この組合は、昭和17年頃にはあったのですが…」

と言うと、事務所にちょうど80才代の方がいるので

聞いてみますと言って下さった

なんとありがたいことか!!





しばらくして、女性が戻って来られた

しかし、その老人は「知らない」と言っておられたとのこと

そして、「この組合が、貴女に何の関係があるのですか?」

と、怪訝な雰囲気の対応であった

「昭和17頃に、大叔父が勤めていた組合で

大叔父の足跡を追っているのです」と答えた




続く…




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ミャンマーに思いを寄せて 763

お茶屋さんの店主に教えていただいた

建物を目指して歩いた

日差しは強く、もうすでに汗だくである





ここかなぁ~。。。???

教えていただいた建物は

古い2階建ての、倉庫のような建物であった

看板や入り口は見あたらない

もちろん、人の出入りもなかった

グルッと周りを歩くと、入り口のような通路を発見した





古いコンクリート敷きの薄暗い通路

昭和の映画に出てきそうな雰囲気である

その通路は建物の奥へと続いている

恐る恐る中へ入り、しばらく進むと

建物の中庭のような明るい空間に出た

中庭の向こうの部屋では

窓を開けっ放しにして、汗だくで働く人が見えた

やはり帽子の工場のようである





すると、通路の角から人が出てきた

「あの~、恐れ入ります、事務所はどちらですか?」と

尋ねると、あちらですと指さされた

通路のまだ奥の暗い暗い突き当たり

知らない人間は、きっと行かないような雰囲気の

場所に事務所はあった





奥に進むと、暗い通路に部屋明かりが漏れていた

正直、色々な意味で怖かった

やっぱり帰りたい。。。

もし映画だったら、ドアの隙間から覗いていると

「誰だ!!」とドアが勢いよく開いて

きっと捕まるんだろうなぁ、、、

そんなイメージである





でも、その時の私にはそんなことを考える余裕もなかった

そして勇気を出して

深呼吸をして、事務所のドアをノックした




続く…




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ミャンマーに思いを寄せて 762

HPから住所や最寄り駅を調べて

大阪まで電車で出掛けた

その日は、夏の太陽が降り注ぐ

とても暑い日だった





移動の電車の中でも

行って何と言おう…ととても不安であった

やっぱり行くのはよそうかしら

今から、どこかに予定変更して行こうかしら

きっと、また傷つく結果になると思う。。。

逃げ出したい気分であった





乗り換えを繰り返して、大阪のとある最寄り駅へと

たどり着いた

ある程度の場所は、簡易な地図から分かっていたが

地下鉄から地上に出ると

現在地が全く分からなかった

駅に引き返し、住所を示して駅員さんに尋ねると

電信柱に番地が書かれているから探して行くようにと

言われた

わちゃ~、困ったわ(>_<)





大阪の街と言っても、繁華街ではなかった

住宅地でもなく、道行く人の姿もない

大きな道路に面した殺風景な道が続く

炎天下を彷徨っていると

1軒のお茶屋さんを発見

道を尋ねるため飛び込んでみた

「この住所だと、たぶん、この道をまっすぐに行って

あの角あたりの工場みたいな建物だと思うよ」と

教えてもらった





お礼を言って、お茶屋さんを後にし

私は、その建物を目指して、黙々と歩き出した




続く…




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