ミャンマーに思いを寄せて

亡き母の思いを果たすべく、ビルマで戦死した大叔父の足取りをたどる私の奮闘記録☆

2014年09月

ミャンマーに思いを寄せて 849

ミリタリー雑誌「丸」の掲載で、情報提供を呼びかけた

このブログでの呼びかけでは限界がある

特に、年配の方はネットなんて見ないと思ったから

読者層の広い、本格ミリタリー雑誌の「丸」の読者さんならば

何か別の切り口で、アドバイスもいただけるかもしれない

そんな思いで読者様からの反応を待った





前回も記事自体は好評であったと聞く

今回は、とにかくまだ必死に調べている最中で

情報が欲しいんだと全面的にアピールしていたのである





すると、掲載から1ヶ月ほどして情報提供のようなおハガキが

編集部に複数舞い込んだ

これには、「丸」の編集部も大変驚かれ、慌てて連絡が来たのである

まずは、ハガキを私に確認してもらうために送ると言われた

その後の対応は、私個人からの接触でも良いし

編集部が対応しても良いし、どちらでも可であるとのこと

にわかにミャンマーの調査が動き出した予感

「丸」の編集部も手応えを感じ、やる気満々である





全面的にバックアップして応援して下さる「丸」さんに

感謝しながら、私は、その情報提供のハガキが転送されてくるのを

心待ちにしたのだった





続く…





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ミャンマーに思いを寄せて 848

佐波さんからいただいた、番組の原稿のチェックを終え

OKのお返事をした 

歴史の生き証人のタイムリミットうんぬんの

私の切羽詰まったメッセージを

真摯に受け止められたチャンネル桜さん

早く放送した方が良いとの番組側の判断で

次の日に収録・当日放映となってしまった
 
※私は出ておりません(^^;)



「丸」との連動企画とかよりも

告知も間に合わず、うちでの録画も出来ないまま

私自身、放送を見ることなく

気がつけば終わってしまっていた(T_T)





そこで、どうにか見たいとの要望をかなえてもらい

YouTubeにアップして下さいましたぴかぴか(新しい)

5分ほどのコーナーです、宜しかったらご覧下さい







少しでも多くの方の目に留まり

情報提供があるように心から祈った

そして、佐波さんやチャンネル桜さんに感謝した




続く…




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ミャンマーに思いを寄せて 847

佐波さんは、スカパー217ch・チャンネル桜の

「撫子日和」と言う番組を受け持っておられる

そこで、「丸」に掲載された私の記事を取り上げたいとの

申し出がありました





私はとても嬉しく、調査を開始した当初から

私の事を忘れずに、ずっと応援いただいていることに

心から感謝した

そして、この度のお話は、亡くなられた会長さんが応援してくれた

ように感じていることを伝えた




 
歴史の生き証人のタイムリミットが迫っていると分かってはいたものの

会長さんとのお別れで、それをほんとうに痛感した





2014年01月には、小野田さんの訃報を聞いた

大叔父には直接関係のない方だとは思うが

お会いできないかと、手配をお願いしていたところだったので

とても残念に思ったことを思い出す



小野田さんの訃報の過去記事はこちら↓↓ 

「訃報を聞いて」
http://blog.livedoor.jp/aya_sann/archives/1899507.html





調査を早く進めなければいけないと改めて思ったことも

佐波さんへのメールに書き添えた




 
早速私は、「丸」の編集部に連絡をし

チャンネル桜での放映と、連動してもらえないかとお願いした

「丸」の方も、喜ばれて、特別企画として宣伝を入れて下さることになった





続く…





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ミャンマーに思いを寄せて 846

ミャンマーの記事が掲載された「丸」を

お礼を込めて、逐次、協力者に送っていた

会長さんのお葬式の2日後

その送った1人である佐波優子さんから連絡があった





佐波優子さんとは、このブログを開始した当初に

大変お世話になった方です

ミャンマーに行きたくて、全ビルマ会を探すことに

奔走していた頃、偶然、ビルマでの戦争体験を語る旧軍さんと

それを取材してサポートされている

ニュースキャスターさんの番組動画を見つけて

そのニュースキャスターさんこと佐波優子さんに

私がメッセージを送ったことから始まった



関連過去記事はこちら↓↓

「ミャンマーに思いを寄せて34」~
http://blog.livedoor.jp/aya_sann/archives/1566938.html





そのニュースに出演されていたのが

先日お亡くなりになった、全ビルマ会の会長さんでした




現在、佐波さんが担当されている、スカパーチャンネルで

私の記事の一部を元に、番組を作りたいと

打診がありとても驚いた 

あぁ~、会長さんが応援してくれたんだぁと思った 




続く…




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ミャンマーに思いを寄せて 845

霊柩車を見送って、トイレに行って、なんやかんやとしていたら

葬儀場には、私達だけとなってしまった





帰りましょうかと、お母さんのところに戻ると

初老の男性とお話しされていた

会長さんより、お若い感じのご老人

その方も、なんやかんや組で、気がつけば誰もいなかった

と言うことで、3人で帰ることになった





お話ししながら駅まで歩いた

ビルマ関係の方かなとお聞きすると

ビルマには全く関係なく、会長さんちのご近所の方だった

私達は、全ビルマ会に入っていて、遺族であることを話した

そして、大叔父を捜してずっと活動していることも

そうすると、ご老人は、会長さんと同じような活動をされていると話された





同じような活動???

なんでも、その方は、階行社の関係の方で

旧軍の動物の慰霊碑をお祀りしておられるらしい

。。。旧軍の「動物」って何???

軍馬とか、鳩とか、犬とか、旧軍は使っていたとのこと

なるほどなぁ~、動物もあの戦争で犠牲になったのかぁ

その殉職(?)した動物の慰霊碑があるそうだ

何故、その方がお祀りされているのか経緯は分からないが

私の調査に、何か協力出来るかもしれませんと

今度、良かったら一緒にお参りしませんか?とお誘いを受けた





ビルマの話にも、軍馬や、ジンギスカン作戦に動物は出てくる

大叔父もお世話になったかもしれない、動物さんたち

私もお参りさせてもらおうかな。。。

その後、名刺をいただいて、駅で別れた





ご老人の姿が見えなくなった途端

お母さんが、興奮気味に「○○ちゃん、これって、ご縁よ!」

「きっと、会長さんが巡り合わせてくれたんだよ!!」って

お母さんが言われるには、あれだけたくさんの参列者が居たのに

気がつけば、なぜか偶然3人だけ残ってしまったのが不思議だと言う

「何かいいことあるかもね☆」とお母さんは言ってくれた

そうかもしれないなぁ、階行社の関係者みたいだし

何かお力添えをいただけるかもしれない

それに、私、動物さんの慰霊にも、少し興味あるかも。。。

もうすぐ春休み、それが明けたら連絡してみるかな




続く…




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ミャンマーに思いを寄せて 844

我が家から、会長さんのお家は近く、葬儀場も近かった

最後に会長さんに会いたいと葬儀に参列することにした

子供も学校を休んで「○○のおじいちゃんのお葬式に行く~」と

言い張ったが、それをなだめて、私だけ参列

子供も会長さんが大好きだった

ミャンマーに行った時に仲良くなった親子のお母さんから連絡があり

2人で告別式に行くこととなった






お母さんと葬儀場で合流した

読経が響く中、私は終始涙がこぼれた

弔辞では、遺族代表の副会長さんが

涙を流しながら、会長さんとの思い出を語られた

私よりも会長さんとのお付き合いは遙かに長いであろう

思い出もたくさんあり、最後のミャンマー行きにも同行されていただけに

会長さんとの別れは、悲しいのだろうと思う

親子ほどの年の差があり、お2人は喧嘩してばかりの印象だったけど

それも長年の信頼関係があったからこそ

思い思いのことを言い合えたのだろうなと思う

そして、遺族代表の副会長さんは、会長さんの意志を引き継いで

全ビルマ会を守っていくことを誓っておられた





最後に、会長さんの棺にお花を入れた

会長さん、大好きでした、ありがとう。。。

これからも天国から、私の大叔父の調査をどうかどうか応援して下さい

会長さんは、今にも笑いかけて下さりそうな

安らかなお顔だった

参列者には、香典返しと葬式饅頭が配られた

葬式饅頭をいただいたのは久しぶりで

お心遣いが、会長さんらしいなと思った





続く…




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ミャンマーに思いを寄せて 843

2014.3

ある日、全ビルマ会からメールが届いた

そこには、会長さんが亡くなられたとの訃報があった

あまりのことに、涙が溢れた





私は会長さんが大好きだった

いつも朗らかで、頼りになって

何でも知っておられて、丁寧に教えて下さった

ビルマも戦争も、全く分からなかった私を

温かく全ビルマ会に迎えて下さり

いつも支えて下さって、大叔父の調査を応援していただいた





ミャンマーに一緒に行って

たくさんの話を聞かせてもらった。。。

その後も家族ぐるみでお付き合いさせてもらい

最後にお会いしたのは、昨年11月の靖国神社での慰霊祭

そして、最後に電話で話したのは

先月、会長さんがミャンマー行かれる少し前

「ミャンマーに行って来るぞ!」と元気に言われていた





ミャンマーの慰霊巡拝から戻られてすぐに

会長さんは亡くなられた

何十年と慰霊されてきた戦友の元に、旅立たれたのだ





会長さんがお元気なうちに、もう1度、一緒にミャンマーに行きたかった。。。

行こうと言って、一緒にいけなかった自衛隊病院の資料館。。。



自衛隊病院の資料館関連の過去記事はこちら↓↓

「ミャンマーに思いを寄せて 482」
http://blog.livedoor.jp/aya_sann/archives/1879148.html




昨年5月の全ビルマ会の総会は

お友達との潮干狩りの約束を優先して、不参加の予定が

突然、予定が流れてしまい

やっぱり総会に顔を出そうかなと、子連れで参加した

子供があまり行きたくない様子だったが

「○○のおじいちゃんに会うのは最後になるかもしれないよ」と

言うと、「○○のおじいちゃんに会いたい!」と総会に参加した

何気なく、言ったことがほんとうになってしまうなんて。。。



2013年の総会に関する過去記事はこちら↓↓

「ミャンマーに思いを寄せて 591」
http://blog.livedoor.jp/aya_sann/archives/1896133.html



その際に、会長さんからいただいた

ミャンマーのお土産のヒスイのブレスレッドは

形見のようになってしまった

次はないかもしれないと、心の片隅では分かっていたのだけど

会長さんは、不死身のような、いつまでもお元気でいてくれるような

そんな風に思っていた

まだまだ教えてもらわなくてはいけないことが山ほどあったのに。。。





続く…





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ミャンマーに思いを寄せて 842

2014.2

ミリタリー雑誌「丸」に、ミャンマーに行くまでの記事が掲載された


m1403[1]













長編の前後編だとの話だったが

蓋を開ければ、1回でまとめて欲しいとのこと

載せていただけるだでありがたいのだが

ミャンマーに行くまでのブログ記事は、200話近かった

字数制限もあるため、それを1回に凝縮することにかなり苦労した





凝縮と言うより、省いて省いて簡素化し

私の力不足で、ハッキリ言って

何じゃこりゃの記事となってしまいました、ごめんなさい

「行った後」についても、連載ではなく「また今度」なのだそうです、、、





発売された「丸」を、お礼を兼ねて

全ビルマ会の会長さん他にお送りした

大変喜ばれ、「ミャンマーに行ってくるぞ」と

元気よくお電話をいただいた

今年も会長さんは、ミャンマーに慰霊巡拝に行かれる

私も会長さんがお元気なうちに、もう一度一緒に行きたいなぁ





そして「丸」に掲載していただいたおかげで

この後、調査に、ほんの少し動きが出るのでした




続く…




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ミャンマーに思いを寄せて 841

「中野学校 留魂碑建立記念誌」の中の

「留魂碑建立経過の概要」と言う頁には

事細かに建立までの流れが書かれていた





当初、候補地には、神戸湊川神社、奈良県・吉野山、大阪・四条畷、

京都・宇治、京都・比叡山、和歌山県・高野山、東海三ヶ根山、

静岡・富士霊園が揚がっている





えー?もう候補の時点で、東京と言う考えは無かったのね

これには、驚いた

関東は静岡がギリギリ候補に入っているだけで

なんで候補地のほとんどが関西なんだろう?

中野学校の関係者は、全国にいただろうに。。。





中野学校の集まりで、関西で役員をされていた方々が

主とした発起人となったことも1つの理由かもしれない

慰霊碑を建てることには、最後まで反対する関係者も多かったそうだが

最終的には、京都の宇治霊園と霊山観音が残り

役員さんらが、視察をして最終決定された





慰霊碑の石材についても、かなり吟味されたようだ

何種類も比較して、数社から見積もりを取り、決定された

慰霊碑の「留魂」と言う文字は

中野学校の教官をされていたY氏により書かれたものである

そして、慰霊碑の周りには、北海道から沖縄まで

全国から集められた各都道府県産出の石を並べ

その内側には産出県が彫刻されているらしい

。。。お参りしたとき、そこまで見ていなかったなぁ

だが、これだけでは私のなぜ?は解けない





建立当時の中野学校の校友会の

会長さんのインタビューを掲載した新聞記事によると

京都の地を選んだのは「京都は日本の中心であり

交通の便と環境が良いうえ、維新の志士の墓のそばに建てたかった」

と、書かれていた





えっっ?!京都が日本の中心って、、、

地理的には、中心じゃないよね、、、

文化的なものとしても、いつの話よ、、、

交通の便は、空港も無いし、東京の方がよっぽど良いんじゃ、、、

維新の志士と中野学校って、何か共通する物がある???





このインタビューの内容は、本当のことだと思うが

何か違うような、、、ごまかしているような

強引なこじつけのようなにも感じたり、、、

いやいや、単に私が期待していた答えと違うだけで

考えすぎなんだろう





冨澤先生からの回答資料なんだから

これ以上の物は出て来ないと思う

60連隊と中野学校の関連性を必死に調べていたはずが

全く予想外の結果となり、私は呆然となった

えーっと、これをどう解釈すればいいんだろう





続く…





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ミャンマーに思いを寄せて 840

霊山観音について調べても

宗派などはよく分からなかった

建てられた個人の方も、どのような方で

どう言った経緯だったのかも私では調べられなかった





京都のお寺で昭和30年代に建てられたと言うのは

あまりにも新しすぎる

お寺でなく、霊園と考えるならば納得が行った

突如と出現した巨大なコンクリート造りの観音様

50年ほどの月日を経て、現在は京都・東山の風景に馴染んでいる





その中には、大叔父の歩兵60連隊や中野学校以外にも

たくさんの部隊の慰霊碑が建てられていて

世界無名戦士之碑や、韓国人犠牲者慰霊塔など色々ある





京都の護国神社にも歩兵60連隊の慰霊碑はあるらしいが

お寺や霊園として、先の大戦の慰霊碑を迎え入れてくれる所は

京都にはあまり無いように思う

それら全てを引き受けて下さったのが

ここ「霊山観音」と言えるのかもしれない

珍しいと言うか、ありがたい観音様である

ただ、坂本龍馬などを祀った京都霊山護国神社とは違い

一緒にして聖域と解釈するのはやや強引のように思う





60連隊は京都が主体の部隊のため、理解できるのだけど

やはり、ここに東京の中野学校の慰霊碑があるのは

私としては不思議な気がするのです

私は、冨澤先生の回答資料を、どんどん読み進めていった

1番参考となったのは、「留魂碑建立記念会誌」であった





続く…





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ミャンマーに思いを寄せて 839

大叔父の歩兵60連隊や中野学校の慰霊碑他のある

霊山観音(りょうざんかんのん)は、  京都・東山にある





この霊山観音の近くには、京都霊山護国神社と言うのがあり

ここには、坂本龍馬、中岡慎太郎、武市半平太、木戸孝允

徳川斉昭など、維新の志士3,100人余りの人々が祀られている





この地に、なぜ維新の志士が祀られたかと言うと

明治元年5月1日の「太政官布告」により

明治天皇の意志として、この地に祀るように全国に布告されたためである





京都霊山護国神社の側には、霊山歴史館などもある

そのため、霊山観音も含めて、この地域近辺は、「聖域」と見る人もいるのだ

冨澤先生も、そのように思われた1人のようだった

ただ、霊山観音については、昭和30年代に個人が建てられた観音様であり

お寺ではなく、霊園のような位置づけだと私は思う





続く…





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ミャンマーに思いを寄せて 838

冨澤先生からの封筒の中には

お手紙とたくさんの資料が入っていた


RIMG1272








私がつまらぬ質問をしてしまったために

冨澤先生は、お忙しい中、様々な書物を読んで調べて下さり

階行社などにも協力をお願いされたようだった

ほんとうに親切で素晴らしい方です

もう足を向けて寝られないですね





資料は数種類あり、必要な部分のそれぞれコピーをいただいた

● 「中野学校 留魂碑建立記念誌」
   ~中野校友会~昭和56年発行 より


RIMG1274








● 京都・東山の地域資料、60連隊の簡易説明資料など


RIMG1273











「中野学校 留魂碑建立記念誌」なんてあるんですね

さすが冨澤先生です!スゴイ~

その中には、「留魂碑建立経過の概要」と言う頁があり

昭和56年に建つに至るまでに、昭和52年~計画が進められたことが

書かれていた





続く…





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ミャンマーに思いを寄せて 837

お墓の話をしていると

またまた偶然、お墓の話が重なり、ひょえ~

歴史を調べている人は、お墓にたどり着くと言うことが

よくあるらしい。。。

歴史の話に、お墓が出てきても不思議じゃないよと言われるけど

私も行き着いた1人なんでしょうか?…えーっと、えーっと





中野学校の慰霊碑は京都にあった

静かな京都・東山のお寺の奥の、山道のような小径を上ると

小さく開けた場所にそれはあった

60連隊の慰霊碑のすぐ近く

私は、中野学校の慰霊碑の前で手を合わせた





大叔父の調査に関係ないとは思う

慰霊碑が建てられたのは、昭和56年

インパール作戦間だけでなく

戦後まで、60連隊と何かしらの結びつきがあったのだろうか?

なんで京都なんだろう?と、ずっと不思議に思っている

別に京都でもいいじゃないかと言われれば

それまでなんですけど、、、





ビルマで活躍した特務機関であった「F機関」の機関長さんの

娘婿にあたる冨澤先生と、お知り合いになってから

家族ぐるみで、ずっとお世話になっている

F機関長の藤原中佐は、中野学校の出身者ではないが

特務機関という特性から、中野学校関係者とも

深く関係したため、冨澤先生は、その辺りに明るい方である





大先生に、素直に「なんで京都にあるんですか?」と聞いてみた

先生もご存じなく、親切にも調べて下さると約束して下さって

先般、その回答がお手紙と共に送られてきたのである

その理由は、驚く内容だった




中野学校の慰霊碑関連の過去記事はこちら↓↓

「ミャンマーに思いを寄せて 561」
http://blog.livedoor.jp/aya_sann/archives/1890996.html





続く…




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ミャンマーに思いを寄せて 836

大叔父の調査をしていて、よく中野学校に行き着く

私が意識しているからかは分からないけど

私の勝手な推論では、なんとなく中野学校も

大叔父の経歴に関わっているのではないかと思うときがある





大叔父の調査に、中野学校が突然浮上した当初

特務機関と言う言葉をよく知らず

特務機関=中野学校の卒業生のような感覚だった私

現在、中野学校の線は、さて置き

大叔父はビルマの特務機関、岩畔機関→光機関に

居たのではないかと言う推論は

今のところ、間違っていないのではないかと思っている






大叔父を調べるうちに、インパール作戦において

過去に述べてきた通り、様々な観点から

歩兵60連隊は、光機関と密接しているように感じる

特に、大叔父の所属とされる60連隊の1大隊は

インパール作戦間、目立ちはしないものの、調べれば調べるほど

特別な位置のように思え、光機関及びインド国民軍との連携に

特務を帯びていたのではないかと感じる





そんな折、ふとしたことで、京都にある歩兵60連隊の慰霊碑の隣に

中野学校の慰霊碑があることを知った


RIMG0007








かつて東京にあった中野学校

なんで、慰霊碑が京都にあるんだろう。。。

しかも、60連隊のお隣さん。。。

なんだかよく分からないけど、ずっとずっと気になっていた

きっといつもの寄り道だと思う

気にすることもないのかもしれない

だけど、なぜか理由がとても知りたかったのです(笑)

そんなある日、その回答が突然やってきた



中野学校の慰霊碑の過去記事はこちら↓↓

「ミャンマーに思いを寄せて 560」~
http://blog.livedoor.jp/aya_sann/archives/1890992.html





続く…




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ミャンマーに思いを寄せて 835

2014.1

突然思いついた山形の先祖のお墓参り

日程の計画を立てようと思っていた年明け

今年は、全国的な大雪となっていた

東京も、積雪があり、たった10cmで大混乱

雪に慣れない私は困ってしまった

きっと山形は、今頃、一面銀世界だろう

交通網も心配される

雪解けを待つ方が良いのではないだろうか。。。

とりあえず、今は、逸る気持ちの山形行きを見送ることにした





この時、同時に、ふとしたことで

光機関の人が集まると言われているお寺を見つけた

それは、思いもよらず近かった

ビルマ・ビルマと思い込んでいて、インドが頭に無かった私

インド国民軍のリーダーであるチャンドラ・ボース氏のお墓が

東京・杉並にあることを知った

そこに光機関の人が集うらしい

チャンドラ・ボース氏のお墓が日本にあるのにもかなり驚いた

これまた、お墓参りに行かなければ行けない?

さすがに、チャンドラ・ボース氏と大叔父は直接関係はないだろうが

お墓参りするのは悪いことではない

それよりも、もしかしたら光機関の人に会えるかもしれない。。。

お寺で張り込みしようかしら?…私って、危ない人?





とにかく近くのお墓から行くのが賢明だよね

お墓参りに行ったら何か良いことあるかな?

もう何だか、お墓ばっかりなんですけど~どう言うこと?

実は、この後も、突然、別件のお墓の話が舞い込むのです、、、

お墓の話3連チャンって、いや~ん




続く…




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ミャンマーに思いを寄せて 834

山形県の先祖様のお墓参り計画

山形に行けば、何か道が開けるような気がした

もう神頼みの心境である





先祖のお墓のあるお寺は、祖父のお寺の宗派ではないと言う

曾祖父の時代に、曾祖父の兄弟がお坊さんになって

山形から京都のお寺に来たことから仏門と関係しただけで

それまでは関係が無かったんだよね、そっか~





お寺の住所と、和尚さんの連絡先を教えてもらって

私は、山形行きを計画することとなった

しかし、単にお墓参りだけではない

行かなければいけない所、調べることが山ほどある





・大叔父が昔住んでいた所や本籍地

・材木問屋が焼けた「大火」を調べに米沢市の歴史関係の資料館

・石原完爾氏の資料館×2

その他に、お墓を探して掃除して…草刈りからやらないとダメかも

それに加えて親戚への挨拶は…無理だと思う





1泊2日じゃ時間的に厳しいよね

山形と言っても、場所もバラバラだし、鉄道とかバスの接続も確認しないと

東京じゃないから、夜中までバスが走っているとも思えないし

順路を考えて、時間的な配分と、宿の手配

資料館の定休日も確認して、予め連絡してお願いしておかなきゃ

かなり綿密な下調べと計画が必要だ

えーっと、これ、私1人でやるんだよねガーン




続く…





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ミャンマーに思いを寄せて 833

山形県にあると言う先祖のお墓参りに行こうと決めた

伯父に話すと、意外に喜んでくれて驚いた

また何を言い出すのかと怪訝な雰囲気を想像していたからだ

伯母は、親戚にも挨拶してきて欲しいと言う





現在は、神居姓は山形には無く

親戚と言っても、祖父の従兄弟に当たる方の子孫がいるくらいで

伯父との年賀状があるかないかの間柄

そんな状態なのに、私が訪ねて行っても、何と説明すれば良いのだろう。。。





お墓は、永代供養の形で、お寺にお願いしてあるが

きっと誰も参ってはくれていないよね

伯父の長男(私の従兄弟)が、10年前にバイク旅行で

山形を訪れた際に立ち寄ったのが、1番最近である





そのお寺も、住職さんが居なくなり

現在、お守りをして下さっている和尚さんは

何軒ものお寺を兼務されているのだとか

尋ねて行く際には、和尚さんに連絡を取って

お墓を探さないと分からないかもしれないとのこと

私は草木が生い茂った山寺のだだっ広い墓場を想像した

こりゃ大変なことになりそうだ、、、





続く…





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最近の雑感

読者の皆様へ


いつも読んでいただきありがとうございます


最近の調査の方は、少し、動き出しそうかなと言った雰囲気ですが

正直、半分、諦めの気分もあります

今まで、喜んでは凹んで、山有り谷あり、泣いて泣いて、、、

もうあまり期待しないようにと思っています

でも、やはり、常にミャンマー漬けの日々

早いもので、かれこれ4年も続いています





テレビのニュースでは

「デング熱」が騒がれていますね

私は初めて聞いた病気だったのですが

終戦直後にも、日本で流行った病気なんだそうですね

外地に行っていた方々が戻ってこられて

持ち込まれたであろう「デング熱」

京都60会のビルマから復員されたおじいさんも

帰国してからもマラリアが発症したと言われていたなぁ。。。

私の中では、マラリアもデング熱も異国の病気のイメージだけど

日本に蔓延していた時代もあったのですね

蚊を見る度に、デング熱?と怖くなる今日この頃ですが

大叔父が戦病死したのも、この蚊が原因のマラリア

蚊が憎らしく思うこともある(笑)

それも今は、珍しい病気となり

当時の厚生労働省とかが頑張られたのだろうなと思います

今回のデング熱も、これ以上拡大しないことを祈ります





それと、ニュースでは最近よく拉致問題が報道されています

拉致されたご本人もですが、ご家族の気持ちを考えると

いつも涙が出てきます

それでも、いつか帰ってくることを信じて、がんばり続けておられる

その気持ちや活動は、途切れることはなく

最近、発売された本のタイトルは「愛は、あきらめない」

タイトルを聞いただけで、もう涙が溢れてしまいました

そうだね、続けられる原動力は「愛」なんだよね





私も、この調査が続けられているのは「愛」なのかもしれないです

母が大好きだった大叔父

母の思いを通して、私も接するようになった大叔父

そして、私自身の母への思い。。。

うん、まだまだ頑張れるような気がする

もう少し、諦めないで頑張ってみよう

皆様どうか、今後とも応援のほど宜しくお願いいたします



2014.9.13



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ミャンマーに思いを寄せて 832

突然、私の中で山形行きが大きくなった

山形に行ったら、何か良いことがあるかも

漠然とだけど、そんな思いがする

大叔父のお墓参りの際に、伯父に山形の件を相談したところ

思いもよらず、伯父と伯母はとても喜んでくれた





行きたくてもなかなか行けない、遠く山形にある先祖のお墓

伯父と伯母は、祖父が生きていた頃に何度か行った他

最後に山形に行ったのは、15年ほど前だと言う

そう言えば、その時、母も同行していて

その他の兄弟も皆元気な頃で、夫婦揃って山形に行ってたなぁ。。。





その帰り、空港からのタクシーの中で

母と母の姉が大喧嘩をしたとかで…

旅行が台無しになったと憤慨していた母からは

私は、とおとお山形の旅行話は聞かなかったのだ

あぁ、なんとなく思い出した





山形のお墓には、ひいひいおじいさんの代までと

曾祖母が入っているらしい

もう分骨で、曾祖母もこちらのお墓に来ているのかもしれないが

曾祖父は、こちらで亡くなっているが

曾祖母は、山形で亡くなっているからである





なぜかと言うと、曾祖父と曾祖母は晩年

山形から出てきて、祖父のお寺に身を寄せた

しかし曾祖母は、祖父(自分の息子)と、些細なことで喧嘩し

お菓子をくれなかったと言って、怒って山形に帰ってしまったきり

もうこちらには、来なくなり、そのまま山形での最後となったらしい

えー、そんなことで(笑)ほんとかなぁ?

ほんとか・嘘か、この話は、笑い話として、語り継がれている




続く…




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ミャンマーに思いを寄せて 831

2014.お正月

気持ちが乗らないまま、お正月を迎え

京都60会(60連隊の戦友会)のお正月恒例の慰霊祭にも

不参加で、うだうだと過ごしていた





昨年から、山形繋がりの石原完爾氏との関係で

曾祖父のことを調べ始め

現在は、そのまた上のひいひいおじいさんにまで及んでいる

そして、ミリタリー雑誌「丸」からご紹介いただいた方からは

調査のご協力を断られたが

山形県にある資料館をご紹介いただいた





同時期、自宅のポストには、旅行会社の「東北の旅特集」の

チラシパンフレットが入っていて

JRだか何だか、テレビのCMでも、山形への旅が流れて出して

私の周りに山形が急に溢れ出した





なんだろコレ…山形?

もしかして、大叔父さん、山形へ行けってことですか???

山形に行ったら、何かヒントをくれますか?

確かに、祖父のお寺にある大叔父さんのお墓には

いつも参っているものの、山形にある先祖のお墓には

一度も参ったことがない

先祖のことをあれや・これやと調べているのに

先祖様に挨拶もしないで失礼じゃなかろうか。。。





先祖様のお墓参りをしたら

何か良いことがあるかもしれない。。。

よ~し、山形に行ってみよう!!

、、、だけど、山形の先祖様のお墓って、どこにあるの?





続く…





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ミャンマーに思いを寄せて 830

2013.12

やる気をなくしたような、休憩したいような

年末恒例の全ビルマ会の忘年会にも

なんやかんやと理由をつけて行かなかった

相談に乗ってくれる専門家の当てもないし

この先、どうしたらいいのかも分からない





この秋~年末にかけて

インパール作戦に関する様々な資料や本を買いあさり

おとなしく家で、勉強する日々が続いていた

戦史叢書まで買い込んで

我が家は、ちょっとした図書館になりかけている(笑)



RIMG1162









RIMG1163







当時の雑誌?「週報」も買ってみたりして


RIMG1167







興味深いことがたくさん書かれています


RIMG1166








1番驚いたのは、インド国民軍の女性部隊であった

イメージはしていたものの、こんなにたくさんの女性兵士がいたなんて

写真を見てビックリ!!

祖国の独立を念願に、志し高く集まった女性兵士達

素晴らしいなぁと思うのと同時に、同じ女性として尊敬しちゃう


RIMG1164












他の人からは、「資料なんて図書館で借りたらいいんだよ」

「切りがないよ」と言われる始末

そうなんだけど、分からなくなったら、何度も何度も読み返して

アンダーラインを引いて、辞書のように酷使してしまうタイプなんです

私の元に来た資料は、喜んでいるのか・悲しんでいるのか

ボロボロになるスピードが…それでも更に使われております





自分が動かなければ、周りも動かない

それは分かっていても、何をしたら良いか分からない

どこを調べたら大叔父さんにたどり着きますか?

大叔父さん…どうしたらいいですか?

。。。泣いて過ごす日が多くなった




続く…





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ミャンマーに思いを寄せて 829

2013.12

やっと、ミリタリー雑誌「丸」での連載が再開する 

お正月号から長編の前・後編と聞いていた 

丸さんも気合い入れて下さっていて

今回は、とても積極的に動いて下さった





前月発売号から予告を出して下さるとのこと

そのタイトルが「ビルマの密林に消えた幻の日本兵をもとめて」

え?

大叔父さんは、密林に消えてないし~、幻でもないし~

なんとも大袈裟なタイトルに

読者様から苦情が来ないかとヒヤヒヤでしたが

と…とにかく頑張るしかないのです!

どうかどうか、情報提供が寄せられますように

年末の帰省前に、原稿を上げようと奮闘したのだった





調査の方は、依然、動きはなかった

このまま、分からず終いなのかなぁ。。。

70年前に残された公的文書が間違いだと証明するのは

無謀なことだよね。。。これからどうしたらいいんだろう。。。

私の推論はさて置き、事実関係だけ並べると

「大叔父は60連隊にはいなかった」だけだ

他の状況証拠は、限りなく臭いけど、推論の域を出ない





私の推論が間違っているのかなぁ。。。

ほんとうにインパール作戦の最中に

第一線から兵站病院まで、700kmも搬送していただいて

たまたま、大叔父を知らない人が証言をして

ほんとうに、たまたまの偶然がいくつも重なって

実は、普通に死んでいた…だったりして

あーあ、参ったなぁ




続く…





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ミャンマーに思いを寄せて 828

大叔父は、光機関の名簿に載っていなかった

この結果を受けて

私は落ち込んでいるかと思いきや

さほど落ち込んではいなかった

最近は、ダメ元で突き進んでいるので

少々の事では、落ち込まなくなっていた

あまり期待しすぎないこと

そして、いつの間にか、少しずつ強くなっていることに気付く





昭和47年6月に作成された光機関の名簿

現在は、その日からも約40年くらいは経っている

当時、ご健在の方々が

覚えている限りの方を、一生懸命思い出して

作成されたと思われる「旧光機関在籍者 戦死者名簿」





それ以後、現在において

名簿の数が増えるとは到底思えない

中野学校の名簿も見た時にも感じたこと

その当時、「不明」だった人は、この先もずっと不明なまま

浮かばれないのだろうなぁ。。。

特に、中野学校などは、仮名も使っていた

光機関においても、特命を帯びていた工作員は

仮名で通していた可能性は高い

文字通り、命をかけて戦ったのに

それがどこの誰だったか、またはその存在さえも人知れず。。。

特殊な仕事の悲しい運命なのだろうなぁ





大叔父も、もしかしたら、その1人かもしれない

しかし、それで諦めてしまったら終わりだ

後は、ご存命の方を探し出して

写真を見ていただいて、珍しい名前や、経歴等から

思い出して下さる方がいるかもしれない

無謀にも、万が一の可能性を追い求めることとなった




続く…




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ミャンマーに思いを寄せて 827

名簿を見ていて気付いたこと

あまりにも記載されている人員が少ない。。。

何気に数えてみた





光機関は、全盛期には500名近くの大きな機関となっていたはずなのに

名簿に書かれていた人数は

現住所名簿…141名
戦死者名簿…103名

合わせても半分以下であった





これは何を意味するのであろうか?

500名近かったと言う記録が間違っているのか

そうでなければ、不明者が半分以上居ることになる





重要な役職であった偉いさんであれば

きちんと兵籍簿に記載されているだろうが

通訳要員を中心とし、急遽、引き抜きで呼び集められた者は

単なる派遣や臨時勤務など、運用の範囲だと思う

兵籍簿に記載があったとしても、特殊な仕事のため

方面軍付きなどとされることも多いだろう





女性の軍属の方々は、本部や各支部など

比較的大きなところに配置されていたと考えられる

侵攻していた優勢の頃から、光機関に配属されていた軍人なら別だが

途中から配属され、即、前線に出向いた男性陣は

本部の女性には会っていないだろう





作戦中は、一般部隊と違い、小さなグループ単位で行動していた光機関

そのグループが全滅した場合

生き残った者が、思い出してくれない限り

この名簿には名前が載らない

顔が分かっていても、名前を思い出せなければ

それもまた、載らない。。。

その結果が、この数になったのではないだろうか





続く…





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ミャンマーに思いを寄せて 826

光機関の名簿をめくっていく。。。

大叔父の名前は「神居 達(かみい とおる)」

「か」の行まできた

お願い!出てきて!

ドキドキとしながら、ゆっくりと確認する





しかし、残念なことに、大叔父の名前は見つからなかった

もしかしたら、読み方を間違えられて

違うところに記載されているかもしれない

再度くまなく全部を調べる

それでも、何度見ても遂に確認することは出来なかった

私はとても落胆した

やっと探し当てた資料だったのに。。。

大叔父さん、どこに居たのですか。。。





大叔父の名前の載っていない名簿を

悲しい気持ちで見つめる。。。

A氏も、北部大佐も、藤原中佐、桑原さんも、先の泉大尉も載っている

そして、女性の軍属の方がとても多かった

そっか~、女性も働いてたんだぁ。。。






女性の軍属の方のお仕事のイメージは

電話交換手やタイピストなどの他に

お商売で行っている女性は知っていたが

軍属として、あんな遠いビルマに

こんなにたくさんの女性が行っておられたことを知った





名簿の中の女性の割合が多いと言うより

生き残った方は、女性が多かったと言えるのだろう

男性の軍人さんは、前線に行って戦死した

軍属の女性は、後方で支援していたため、戦渦を免れることが出来た

もしくは、情勢悪化に伴い早めに帰国命令が出たのではないだろうか




続く…




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ミャンマーに思いを寄せて 825

続いて光機関の名簿を見つけた!!

私が探し求めていた資料である

他の書物と格闘しながら、その名簿の閲覧請求をした

しかし、光機関の名簿は、なかなか出て来ない。。。

その間、どうかどうか名簿に大叔父の名前が載っていますようにと

心の中で祈りながら待った





待つこと約1時間、やっと番号が呼ばれた

光機関の名簿は、B5版くらいの手作り感のある小さな薄い冊子であった

表紙には「旧光機関在籍者 現住所名簿」

「旧光機関在籍者 戦死者名簿」と書かれている

昭和47年度6月作成





恐る恐る開いてみた

中の紙も数枚程度である

名簿は、50音順に氏名と住所が書かれていた

詳しい所属などは一切書かれていない

果たして大叔父の名前はあるのだろうか?




続く…




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ミャンマーに思いを寄せて 824

光機関で、インド国民軍の訓練所の所長輪していたA氏

その訓練所は、ペナン訓練所だと思い込んでいて

ペナン訓練所の箇所を見たが

ペナンの訓練所の所長さんは、海軍の将校となっていた

A氏の配置は、非公式だったのだろうかと思ったが

A氏の訓練所は、マンダレー郊外にあった「カンベ訓練所」である

私の覚え間違いで、一生懸命ペナンを調べてしまった

結局、カンベは調べず終いになり、帰ってきてから気付いた

A氏の名前は、かろうじて「タム派遣班」と言う箇所に出てきた




A氏関連の過去記事はこちら↓↓

「ミャンマーに思いを寄せて 646」
http://blog.livedoor.jp/aya_sann/archives/1905126.html




A氏の光機関の日誌はこちら↓↓

「ミャンマーに思いを寄せて 716」~
http://blog.livedoor.jp/aya_sann/archives/1916722.html




A氏は、日誌の中で「もし、支部長にして他に転出するが如きことあらば

私は直ちに現在の機関から去ろうと考える」と書いておられたが

気持ちの変化か、断れなかったのか

カンベの訓練所を動いて、所長でもないタム派遣班に

行ったのだなと思った

中野学校の本には、「タム派遣班 A嘱託」と書かれていた





それでも名前が出てくるだけマシである

光機関のインパール作戦時の展開は

主要な支部の他に、経路上には、各派遣班や出張所など

4~5人程度のチームが点々と散らばっている

言わば、中山道の宿場町のような状態で繋がっている

各チームには、将校がおり、軍医がいるチームも所々あるが

小さいグループでは3人くらいのところもあった

将校の下に、下士官が数名配置されている

下士官の個人名は、資料にはほとんど出てこない

もちろん大叔父の名前も載っていなかった

下士官である大叔父を捜すのは無理なんだろうか。。。





続く…





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ミャンマーに思いを寄せて 823

それから中野校友会が発行している

中野学校の本についても見てみた

ほんとうは、資料としてこの本は欲しいのだが

ネットで見ても、1冊 40万円を超える高値が付いている

関係者のみの配布で、発行部数も少なく

貴重な資料として、プレミアが付いているんだろうなぁ。。。





こう言った場所でない限り

なかなか拝見することの出来ない本

中野学校の本には、光機関についても掲載されている

組織図を見てみると、北部大佐(当時は中佐)は

ビルマ支部長(軍事班を兼務)となっていて

その部下には、桑原さんも確認出来た

桑原さんは、中野学校出身者で、中野の教官もされている人で

インパール作戦においては、祭師団(15師団)の情報参謀であった




桑原さん関連の過去記事はこちら↓↓

「ミャンマーに思いを寄せて 533」
http://blog.livedoor.jp/aya_sann/archives/1887002.html





インパール作戦と言う、1つのカテゴリの中では

日本軍の要人が、繋がっていてもおかしくはないのだろうけど

やっぱり、なんだか60連隊の特に第一大隊は

光機関に直結しているように感じるのは気のせいか?

私の思い込みが激しいのかなぁ。。。





しかし、北部大佐のビルマ支部の関係者に

○○大学から派遣されていた軍属であるA氏の名前は出てきていない




続く…




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ミャンマーに思いを寄せて 822

泉大尉の「印度国民軍 第四遊撃連隊 陣中日誌」の中には

誰々が体調不良で搬送したなど

下士官兵の個人名も時々出てくる

インド国民軍の遊撃連隊の組織の中には

指導将校のみならず、何名かの日本兵が含まれているのだ

残念ながら、大叔父の名前は見あたらなかった





他に「陸軍部隊歴史 その他」と言うところには

『33師団(弓)と印度国民軍第1師団主力

(第1、第4遊撃隊欠)

師団後方地区に集結

中西混成部隊 生存者 4/11

師団高級副官 鈴田 正忠 中佐 指揮』

と書かれていた





これが何を意味するのか私には分からない

中西混成部隊って何???

きっと、単に中西さんと言う指揮官にまとめられた

ごちゃまぜの部隊だよね…

4/11に、中西混成部隊の生存者とインド国民軍をまとめて

弓師団(33師団)の高級副官が指揮を執ったと言うことだろうか?

高級副官って、あまり聞き慣れないけど

そんなポストもあったのだろうなぁ

高級幕僚ならよく耳にするけどなぁ。。。

遊撃隊と遊撃連隊が同じかも分からない

同じだと仮定して

先ほどの泉大尉が指導将校の第四遊撃連隊は

この時、弓師団の後方地区にはいなかったようだ





ただ、この時、指揮を執ったのは

鈴田中佐、、、出たーーーー

この方は、北部大佐の次に60連隊最後の連隊長となる人であった

この方が、インド国民軍を指揮した。。。

えーっと、何かよく分からないけど、いや~ん

この方も、光機関関係者だったのだろうか?

鈴田連隊長名で、死後に作成された大叔父の軍歴表(兵籍簿)

こんなところで、また60連隊の関係者が出てきた、、、参ったなぁ、、、





続く…





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ミャンマーに思いを寄せて 821

インパール作戦は、日本軍と印度国民軍との

共同作戦のような形だが

日本軍がインド国民軍への補給等の

支援をしていただろうと考えられることや

藤原機関→岩畔機関→光機関が

教育を受け持っていたことから

日本軍に指揮権はないにしても

印度国民軍を実質運用していたと言えるだろう





そこには、インド国民軍との連絡要員がいただろうと想定していた

そして、大叔父は、通訳という仕事において

インド国民軍と接点があったのではないかと想像している





この「印度国民軍 第四遊撃連隊 陣中日誌」から読み取れることは

連絡要員どころか、インド国民軍の組織の中に日本軍将校が

組み込まれていたと言う事実であった





そして、「第四」と言うことは、第一や第二など、他にも遊撃連隊が

存在したと言うことである

少なくとも、各遊撃連隊に日本軍の指導将校が配属されていたと

考えられる





報告文書の宛先は、決まって「印度部長」であった

階級や氏名は書かれていない

印度部長とは誰だったのか?

印度部長宛の文書は日本語であったことから

日本軍の誰かと言うことになる




続く…




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