ミャンマーに思いを寄せて

亡き母の思いを果たすべく、ビルマで戦死した大叔父の足取りをたどる私の奮闘記録☆

2015年03月

ミャンマーに思いを寄せて 1018

140820_113029













大叔父の本籍地のあるお役所でのこと。。。

3年前に対応して下さった方々は

ご厚意で本来渡すことの出来ない

原本のコピーを渡して下さろうとしていたのだろうか?

あまり追求したらご迷惑をおかけするかな。。。





本来の役所が発行される兵籍簿の「写し」とは

本人以外の証明権者など関係者の名前は省略されて

軍歴についても、やや簡易な抜粋複製となる

カタカナの部分や昔の漢字などは現代文に修正され

読みやすい物となるが

出来れば私は原本そのままのコピーが欲しかった





私は大叔父から言うと3親等ではない

今回も断られたら困るので、最初に机一杯に資料を拡げた

掲載されている「丸」も持参して

例の可愛い過ぎる軍事ライターの名刺も渡した

表(ポスト)










これだけ身内のことを真剣に調べていると無言で猛アピール

すると担当者に「テレビを見て来られたんですか?」と聞かれた

へ?テレビ??




続く…




※ブログランキングに参加してみました
大勢の方に読んでいただくことで、情報をいただけるよう
ご協力をお願いしますm(_ _)m
ポチッとな☆

人気ブログランキングへ

ミャンマーに思いを寄せて 1017

大叔父の本籍地のある役所に

父に頼んで車で連れて行ってもらった

前回は、電車とバスを乗り継いで

迷いながら行った場所





敷地奥の駐車場には車がいっぱいだった

炎天下、車を降りるとアスファルトの照り返しで

一気にブワーと暑さが襲う

部署の場所も知っているし

コピーをいただくだけなので

たぶん30分もあれば用は終わるなと思って

父に待っていてもらうように伝えた





部署のカウンターで受付嬢に

兵籍簿の開示請求のため訪れたことを伝えると

すぐに担当者のところに案内され

端っこの空きデスクで対応して下さった





戸籍等の関係書類と身分証明書を出して

「兵籍簿のコピーをいただきに来た」と告げると

「コピーはお渡しできない決まりとなっています」とのこと

役所が独自にまとめた写しを郵送することになるそうだ





あれ?コピーはもらえないの?

規則が変わったのかしら?

実は3年前にも請求に来て

コピーを準備して下さったにも関わらず

関係書類が完璧でなかったことからいただけず

ご厚意で筆記にて写して帰ったことを話した





その方には「担当は誰でした?」と聞かれたが

名前を思い出せず、「電話での対応は、定年間際の方のようで

コピーを準備して下さったのはその方の部下のようでした」と言うと

「昔からコピーでは渡さないことになっていて、私はこの部署に

7年もいるのですが、思い当たる人が居ない」と言われたのだ





続く…




※ブログランキングに参加してみました
大勢の方に読んでいただくことで、情報をいただけるよう
ご協力をお願いしますm(_ _)m
ポチッとな☆

人気ブログランキングへ

ミャンマーに思いを寄せて 1016

そう言えば…この調査を開始した頃

この役所に電話で問い合わせをした際に

3親等以内でないと開示出来ないと断られた

消沈した私を哀れに思われたのか

最後に役所の方が兵籍簿を見ながら

電話口でポツリと「アケボノと書かれています」と

ヒントらしきことを言われたのをきっかけに

私は「アケボノ」から調査を始めたのだった



アケボノ関連の過去記事はこちら↓↓

「ミャンマーに思いを寄せて 9」
http://blog.livedoor.jp/aya_sann/archives/1552352.html





その「アケボノ」とは何か全く分からなかった

調べていると「曙兵団」と言うのを見つけ

曙兵団を調べていくとインパール作戦に辿り着いた

そのため、私は大叔父の師団は曙だとずっと思っていた

その後の調べで、曙兵団は満州にあった師団で

インパール作戦には全く関係がないことが分かった

未だになぜ曙兵団からインパール作戦に辿り着いたのか

さっぱり分からない





その上、改めて役所を訪れ、兵籍簿を拝見すると

いくら探しても、遂にアケボノのあの字も発見出来なかった

なんなのよ~アケボノって

その後、大叔父の所属師団は祭師団だったことが判明

しかし、それも束の間、大叔父は作戦間、臨時に

弓師団に編入されていたことが分かった

そして…その弓師団の司令部があった場所を

日本軍は「曙村」と呼んでいた

こんな偶然って、、、ヒィーーー寒い~(><)





大叔父の全ての謎の出発点はこの役所だと

言っても過言でないのだ

私は気持を引き締めてお役所を目指したのであった




続く…




※ブログランキングに参加してみました
大勢の方に読んでいただくことで、情報をいただけるよう
ご協力をお願いしますm(_ _)m
ポチッとな☆

人気ブログランキングへ

ミャンマーに思いを寄せて 1015

思いもよらぬ展開に心が躍った

しかし、家に帰ってからしか動けないのが現状

せっかく関西に来ている間に

今、何か私に出来ることはないだろうか?

そうだ時間がもったいないよね

あれやこれやと思案する。。。





そう言えば、60連隊の中野のおじいさんから

お手紙や電話で何度も、大叔父の本籍地のある役所から

兵籍簿の取得を勧められていた

調査を開始した当初には

まだ戸籍などの書類関係が1部分しか整っておらず

お役所のご配慮で、筆記による写しのみ許可されたのだった

兵籍簿の内容を確認できて

それだけで満足した私は

その後に関係書類が整っても

兵籍簿の正規な取得は行っていなかったのだ





そうだ、せっかくだからお役所に再度行って

正規の手続きで兵籍簿のコピーをいただこう

思い立ったが吉日

2014.8のお盆も過ぎた頃

関東に帰る日のギリギリになって

私は突然お役所に行くことを決めた

以前にお世話になった方にも

もしお会いできたら、きちんとご挨拶したいなぁ

暑い夏の日、これからお役所で

熱い時間を過ごすことになる。。。





続く…





ブログランキングに参加してみました
大勢の方に読んでいただくことで、情報をいただけるよう
ご協力をお願いしますm(_ _)m
ポチッとな☆↓↓

人気ブログランキングへ

ミャンマーに思いを寄せて 1014

大叔父には4人の姉がいた

上から、お国さん、お益さん、忠子さん、信さん

漢字を並べると国・益・忠・信

国益に忠実で、信じていると言う意味になるのかな?

曾祖父は教師をしていて

とても忠誠心のある人だったそうだ

その女性たちを挟むように

祖父は1番上で長男

大叔父は1番下で次男であった





○○大学理事のところに嫁いだのは

3人目の忠子さんである

今回、直接お話しを聞けそうなのは

その忠子さんの末娘さんである





伯母が言うには、忠子さんは

○○大学の理事である姉婿の後妻さんとして

結婚したのだそうで

近くの国立大学の教授をして長男は

前妻のお子さんになるらしい





姉婿は、電力会社の社長であり

○○大学の理事でもあって

歌舞伎の長谷川和夫の

京都伏見の屋敷を買い取り

東京中野では、現在は9軒の家が建つほど

大きな家に住んでいた

母が昭和30年初頭に東京に修学旅行に行った際には

自家用車で迎えに来てくれて

引率の先生方全員に万年筆をプレゼントしてくれたため

外泊が許されたなどと話していた

伯父からは、姉婿は骨董の趣味があり

祖父に高価な仏具や掛け軸をプレゼントしていたと聞かされた

そんなことから相当お金持ちだったのではないかと思う





もしかしたら、蔵とか残っていたりして。。。

何か資料はなくとも、末娘さんの記憶に期待したい

私はすぐにお手紙を出した

単刀直入に聞きたいことを書いて

関東に帰ったらお電話することを書き添えた




続く…




ブログランキングに参加してみました
大勢の方に読んでいただくことで、情報をいただけるよう
ご協力をお願いしますm(_ _)m
ポチッとな☆↓↓
 
人気ブログランキングへ

ミャンマーに思いを寄せて 1013

伯父から渡された紙を見て、声を上げてしまった私

そこには、姉婿の末娘さんの住所が書かれていた

その住所とは、、、私の住んでいるとこのすぐ近くであった





姉婿の長男も伯父の家も親戚も関西だったので

てっきり姉婿のお子さんは皆、関西に居たと思い込んでいた

それが関東におられて、私が住んでいるところの

すぐ近くだと知り、ほんとうにビックリした

だって、大通りを挟んで、ほんと目と鼻の先なの~

もちろん偶然なんだけど、、、なんで?

伯父は「これもご縁やな」と言った





そう言えば、大叔父の姉婿は

京都・伏見から中野に引越している

母も大叔父の姉のことを「東京のおばちゃん」と呼んでいた

姉のお子さんがそのまま関東に居たっておかしくはない





母よりも伯父よりも年が上の姉婿の末娘さん

たぶん今、生きている親戚の中で

1番、大叔父を知っている人

そして、もしかしたら大叔父の出兵に

関わっているかもしれない姉婿の子供さんだ





大叔父の出兵のことは期待出来ないが

○○大学に関する姉婿の資料はあるかもしれない

日記や手紙類など何か手掛かりは残っていないだろうか?

聞きたいことは山ほどある

きっと私の知らないことも山ほどあるだろう

私は関東に戻ったら、すぐにでもお会いしたいと思った





続く…





ブログランキングに参加してみました
大勢の方に読んでいただくことで、情報をいただけるよう
ご協力をお願いしますm(_ _)m
ポチッとな☆↓↓

人気ブログランキングへ

ミャンマーに思いを寄せて 1012

伯父が大叔父の姉婿の末娘さんに電話してくれた

私の調査のことを説明している

相手がどう反応されているかは分からないが

伯父は、家に帰ったら私から改めて連絡させるから

宜しく頼むと言ってくれた

ほどなくして電話は終わった





私は突然のことに呆然とした。。。

たぶん姉婿のお子さんはいらっしゃるだろうと思っていた

○○大学の100年史担当だった方からも

○○大学の理事であった姉婿の身内の家に

何か手掛かりになる物が残っている可能性があると

何度も言われていたが

ただ、私からはあまりにも遠縁のような気がして

いきなり遠縁の者が大叔父がどうのと言っていっても

おかしな人だと思われるだろうなと躊躇していた

まさか直接連絡出来るとは思ってもいなかった!!

おっちゃん、ありがとう、ほんとうにありがとう

お墓で涙ぐみ、また伯父の家で涙ぐんだ

これは大叔父や祖父母が助けてくれたんだと思った

ありがとう





伯父は、その末娘さんの連絡先を紙に書いてくれた

そこに書かれている文字を見て

私はかなり驚いたえっ?何これ???





続く…




ブログランキングに参加してみました
大勢の方に読んでいただくことで、情報をいただけるよう
ご協力をお願いしますm(_ _)m
ポチッとな☆↓↓

人気ブログランキングへ

ミャンマーに思いを寄せて 1011

突然の姉婿の末娘さんの出現に驚いた私

えっ?そんな人いたの???(←失礼

えーっと、えーっと…大叔父の姉の娘と言うことは…

伯父や母にとっては従兄弟に当たるのね

理解するのに少し苦労したが

あら、そんなに遠い親戚じゃないのね





その末娘さんは、伯父よりも10才ほど上だと言う

たぶん80代後半ではないかとの話だった

単純に計算すると終戦時には15才くらいだろうか

大叔父は、昭和16年夏に○○大学を中退して

神戸の帽子屋さんに勤めている間だけ

祖父のお寺に身を寄せていた

伯父はその約2年間だけ一緒に生活していたのだった





大叔父が○○大学を退学するまで

中学~大学時代には、ずっと伏見の姉婿の家に下宿し

○○大学に通っていた

そのため、大叔父のことは、姉婿の家の者の方が

詳しいのではないかと言うのだ

遺品においても、元々はその姉の家にあった物がほとんどであった





伯父は、従兄弟であるその末娘さんに早速電話してくれた

元気か?と言う挨拶から、懐かしい昔話などに花が咲き

最後に、私の件を話し出した。。。




続く…




※ブログランキングに参加してみました
大勢の方に読んでいただくことで、情報をいただけるよう
ご協力をお願いしますm(_ _)m
ポチッとな☆↓↓

人気ブログランキングへ

ミャンマーに思いを寄せて 1010

2014.8

いつものようにお墓参りを兼ねて伯父のお寺を訪れた

汗だくになりながら、親族のお墓を1つ1つお参りした

お花をお供えして手をあわせる

大叔父のお墓へはいつも1番乗りでお参りする

いつも守ってくれてありがとうと

でも大叔父になかなか良い報告が出来ない

大叔父がビルマのどこに居たのか未だに分からない

この先、どうしたら良いのか

どこをどう探したら大叔父を見つけることが出来るのか

お墓の前で泣きそうになった

「達(とおる)のおじさん、教えて…」

その後の親族や祖母のお墓にも同様に。。。

最後は僧侶であった祖父のお墓

代々の僧侶のお墓は親族のお墓とは別である

「おじいちゃん、達のおじさんを見つけてあげたいの…」

私はお墓で涙ぐみながらいつまでも手をあわせていた





伯父の家で涼みながら

現在の調査の報告をした

調査が停滞していてどうにもならないことに落胆していると

伯父は申し訳なさそうにこれ以上は分からないと言った

伯父は私の母よりは年上だが、そう変わらない年で

大叔父の記憶はあるが出兵時の詳細は分からない

遺品もほとんど無い状況であった





もうこれ以上は無理なのかなと沈んでいると

伯父は思い出したかのように

「そうや、○○さんに聞いてみたらどうやろ」と伯母に相談している

○○さんと言う名前に聞き覚えはなかった

誰だろう?と思っていると

「○○さんは、達(とおる)さんが下宿していた姉の娘や」と言う

大叔父が下宿をしていた姉の家の末娘さん…

大叔父の姉のご主人は、このブログにも「姉婿」と言う表現で

何度も出てきている○○大学理事で石原完爾氏と共に

○○日満工科学校の設立の立役者だった人で

大叔父の出兵のキーマンである!!

そこの娘さん?私はとても驚いた





続く…





※ブログランキングに参加してみました
大勢の方に読んでいただくことで、情報をいただけるよう
ご協力をお願いしますm(_ _)m
ポチッとな☆↓↓

人気ブログランキングへ

ミャンマーに思いを寄せて 1009

西機関長の西さんがビルマ入りするとき

シンガポールの競馬場には馬が残っていて

それらの馬を捕獲して船に積み込めとの命令が出た

馬はみごとなサラブレットだったそうだ

こうして馬は現地で調達したのである





その後も行動を共にする馬は騎兵にとって大切な相棒である

しかし、イパール作戦が始まると

大切な馬は次々に弱っていった

最後の最後まで働いてくれた馬を見取るのはとても悲しい

だがそれよりも、辛かったことは

騎兵でない人達は馬が死ぬのを心待ちにしているように感じた

死ぬと喜び、すぐに食料にされてしまうのである

まさにジンギスカン作戦だったのだ





現代の軍においては、実戦を目的とした騎馬部隊を

持っている国はないらしい

儀礼を目的とした乗馬部隊があるだけに留まっている

そう言えば、先の大戦では、軍馬のほか、犬や鳩など

その他の動物もたくさん戦死?している

犬は駐屯地での警備犬としての役目が多く

いわゆる警察犬や救助犬のようなのではなかったらしい

そして鳩は伝書鳩である





そのことを私は先日知ったばかりであった

それは、全ビルマ会の会長さんのお葬式で偶然お会いした人から

旧軍関係の動物の慰霊碑をお守りしていると聞いた時のことだ

旧軍の動物の慰霊碑があるの?と思った



お葬式でお会いした人の過去記事はこちら↓↓

「ミャンマーに思いを寄せて 845」
http://blog.livedoor.jp/aya_sann/archives/1939825.html





あの方とはそれきりであるがどうされているだろう?

階行社の関係者だそうで

お参りに参加しませんか?とお声かけいただいたのだ

私の調査に、何か協力出来るかもしれませんとも言って下さっていた

連絡を取ってみようかな?

こんなところで繋がるなんて不思議なご縁を感じた





続く…





※ブログランキングに参加してみました
大勢の方に読んでいただくことで、情報をいただけるよう
ご協力をお願いしますm(_ _)m
ポチッとな☆↓↓

人気ブログランキングへ

ミャンマーに思いを寄せて 1008

騎兵の戦法は古代からあって昔は重要だったようですね

日本は江戸時代に入り、戦争がほとんどなかったことから

近代までの間に独自に騎兵が発展することはなかった

明治維新前後に、フランス軍の軍事顧問を招いて

やっと本腰を入れて騎兵の訓練が行われ

日本の在来種の馬は体格が小さかったため

日本陸軍が創設されてから、ヨーロッパ種の馬が輸入された







騎兵には大きく分けて重騎兵と軽騎兵がある

重騎兵は時代とともに戦車に変わり

軽騎兵は偵察・警戒の任務を持って

現代ではジープやバイクあるいは装甲車などを使用した

偵察警戒部隊へとなっていった

わが国の自衛隊においては機甲科の偵察隊が該当するだろう

そして重騎兵はもちろん戦車隊である





第一次世界大戦後の軍縮と近代化の波に

騎兵は削除の対象とされ、全面廃止は免れたものの

どんどんと機械化が進み

遂には、昭和16年になって職種としての騎兵は消滅してしまった

騎兵職種の者の多くは機甲兵となっていった

だが、機甲兵となってからも、少数の乗馬騎兵は存続し

昭和20年には、本土決戦用の新たな騎兵部隊が出来たりもした

こんな時代背景の中、菊師団の西機関長の西さんの

騎兵の原隊は無くなってしまったのだろうなと思った


原隊が無くなると言うのは、かなり衝撃的なものなんだろうなぁ。。。





続く…





※ブログランキングに参加してみました
大勢の方に読んでいただくことで、情報をいただけるよう
ご協力をお願いしますm(_ _)m
ポチッとな☆↓↓

人気ブログランキングへ

ミャンマーに思いを寄せて 1007

追記:菊師団の西機関と光機関の西機関を間違えた件

菊師団の西機関長が書かれた本を

光機関の西機関だとすっかり思い込んで

一気読みしたことを書きました

そのことを軍事関係に詳しい知人に話すと

「確かにややこしいね」と言いながら大笑いされました





そして、南機関の鈴木大佐がビルマ人の前に

白い馬にまたがり登場した話のその白い馬を

私は騎兵隊の馬だと勝手に思い込んだことについても

白い馬は一般的な騎兵隊の馬ではないと教えてもらった

何故かと言うと理由は「目立つから」

なるほどなぁ、そうよね

そんなことも分からないレベルの私でした





正直なところ、騎兵隊ってあんまり分からない

イメージが出来ないと言うのがほんとうのところ

騎兵と言えば、もっともっと昔のローマ時代とか

昔々の中国などの映画とかで見たくらいで

日本なら戦国時代のドラマとかで少しだけ。。。

だだっ広いところで戦っている印象かな

それを第二次世界大戦のビルマのジャングルで

騎兵隊を想像するのは、私には難しい~(>_<)





せっかく素晴らしい本を読ませてもらったのだから

西さんに敬意をはらって、騎兵について調べてみた

自分でも呆れるこの性格

急いでいる割には、また寄り道ですね~、スミマセン

アッ!それと、ついでですが

昨日の記事では「この後3回ほど大きなことが」と

書きましたが、5回ほどになりそうな予感です

不思議なことが起こりまくっています




続く…




※ブログランキングに参加してみました
大勢の方に読んでいただくことで、情報をいただけるよう
ご協力をお願いしますm(_ _)m
ポチッとな☆↓↓

人気ブログランキングへ

1,000話を超えて

読者の皆様へ


いつも読んで下さってありがとうございます

とおとお1,000話を超えてしまいましたね





調査を始めて5年が経ちました

毎日更新しても追いつかず

内容はまだ2014年の7月あたりです

日記のように調査の記録なので

読み物としては、まとまりの無い書き方でスミマセン

読者の皆様には、お付き合いいただき感謝しております





毎日更新するために

内容によっては、実は何日もかかって

かなり調べたりすることもあるんです

それを自分なりに理解してまとめるので

それでもまたまた悪戦苦闘しています

調査開始当初と比べると

私の知識レベルはとても向上したと思います

でも~、それが私の生活の中では

何の役にも立たないんですけどね(笑)

こんなにも勉強するのは始めてです(^^;)

自分でもよくやるよなと呆れます

この原動力は何なのかしら?

単なる暇人なのか、物好きなのか

意地になっているだけなのか。。。よく分かりません





この後も、偶然にも大きなことが3度ほど起こります

驚きすぎて何度も悲鳴を上げてしまいました~

作り話ではないので、ほんとスゴイと思います

ゴールかな?とドキドキです

どうかこれからも読んでいただければ幸いです(*^_^*)

何卒宜しくお願いいたします



2015.3.18



皆様のポチッから勇気をいただき励みとなっております
大勢の方に読んでいただくことで、情報をいただけるよう
ご協力をお願いしますm(_ _)m
ポチッとしてほしいな☆↓↓

人気ブログランキングへ

ミャンマーに思いを寄せて 1006

私は人の嫌がることを根掘り葉掘りしているんだろうか?

純粋に大叔父を見つけたいとの思いで

必死に探しているだけなのに。。。

大叔父を探すことが大企業に迷惑をかけるのだろうか?

終戦から70年、それでも中野は生きている???

私達の知らない裏世界があるんだろうか?





中野学校に直接関係した人達は、もう残り少ない

中野魂は最後まであるとしても

中野魂はもっと純粋であって陰惨ではないと信じたい

おじいさん達が私に危害を加えるとは思えない

もしも私に危害を加える人がいるとしたら

自称:中野関係者と接点があったなどと

現代の何らかの思想にかぶれた人だったりで

ほんとうの中野関係者じゃないと思う

もしくは、中野とはまったく関係の無いおかしな人だと思う





その他の先生方や協力者、その方面に精通している方に相談した結果

上記の「中野は生きている」説は、勘ぐり過ぎだと思うと言われた

中野関係者はもうほとんど亡くなっておられる

残っておられる方も、そのお年を考えればほとんど影響力はない

そもそも世間的に目立つ恐れのあることを

極端に忌避されているはずであり

大叔父の調査でご本人やそのご家族に迷惑が及ぶとか

日本の立場を悪くするとかの恐れがなければ

今更何らかのアクションを起こすことも無いだろうとの事

そういうものかと思い、調査をを続けることに

問題はないと判断し現在に至る

だってぇ~、どう考えたって

この調査ってそんな大それたことじゃないもの




続く…




※ブログランキングに参加してみました
大勢の方に読んでいただくことで、情報をいただけるよう
ご協力をお願いしますm(_ _)m

ポチッとな☆↓↓ 

人気ブログランキングへ

ミャンマーに思いを寄せて 1005

この頃、相次いで心配の声が寄せられた…

お世話になっている先生からは

先日のミリタリー雑誌「丸」での

防衛省批判とも取れる防衛研究所の記事の件で

嫌がらせがあったことの他

以前に中野関係者ではないが

「中野の亡霊」と私が勝手に呼んでいるご老人から

たしなめられた件や

○○大学の件などで、大丈夫か?と心配された

また同時期に、ブログの読者である友人からも

「ヤバくないですか?刺されませんか?」と言われたのである





お世話になっている先生は 

これからも防衛研究所の戦史資料班には

お世話になることもあるんだから敵を作っちゃダメだよとも、、、

「敵」と言われましても…

私は事実を書いているだけで

お世話になったこともきちんと書いている

喧嘩を売った形だと思われればそれまでだけど

あまりの対応に泣いて帰ってきたのはほんとうのこと

「丸」においては、少しおとなしく書きましたが

ブログでは素直に表現している部分は

大いにありますけどね(^^;)





ある方からは、「中野は生きている」と言われた

何でも中野学校出身のそのほとんどの人が

現代の大企業の基礎に関係しており

それらの大企業は、日本を動かすような存在である

昔のこととは言え、掘り返されたくないこともあるのではないかと言う

危険だからもう大叔父の調査は

止めた方がいいと言われた

…と言われましてもパート2 

それは勝手な憶測じゃないでしょうか


私を心配してでのことでありがたいとは思う反面

その説について安易に受け入れることが出来なかった




続く…




※ブログランキングに参加してみました
大勢の方に読んでいただくことで、情報をいただけるよう
ご協力をお願いしますm(_ _)m

ポチッとな☆↓↓ 

人気ブログランキングへ

ミャンマーに思いを寄せて 1004

一橋大学の先生の本の中での西機関の記述は

1ページにも満たない

それでも私はこの西機関がとても気になった

編成の中に「通訳」と言う文字があったのが

1番の理由だと思う





でも、この本以外に西機関についての

詳しい資料はほとんど無かった

防衛研究所に行けば何か分かるかもしれないが

正直、西機関って何よと言う状態だ

今はまだ光機関でさえ調べている最中

資料の少ない新たなことを調べるとなると

かなりの負担となり厳しいのが現実であった

もしも大叔父が西機関だったとしたら

見つかることはないだろう





現実に目を向けて、大叔父を取り巻く状況から判断すると

大叔父の○○大学が直接光機関に関係していることから

やはり光機関に居た可能性の方が高い

光機関員を探してお会いして話を聞くか

何らかの文書に大叔父の名前を発見するか

まずは優先して調べるのは光機関であるとの結論に至った

どうしても見つからずやむを得ない場合になった時には

西機関まで手を伸ばそう

西機関を熱く語ったけど、今は封印することにした

調べたいけど、調べたくない~(笑)

西機関を調べる前に大叔父が見つかることを祈ります。。。





続く…




※ブログランキングに参加してみました
大勢の方に読んでいただくことで、情報をいただけるよう
ご協力をお願いしますm(_ _)m

ポチッとな☆↓↓ 


人気ブログランキングへ

ミャンマーに思いを寄せて 1003

まだ分からない私、しばらく私は混乱して

「アッ!!この西機関って、光機関の西機関じゃないっっ」

と初めて気が付いたのだった





そうだビルマの西機関には3種類あったのだ

機関長の名前が「西さん」だから西機関

他の西機関の名前の由来は東西南北の西であるが

今回読んだ本の西機関は、西さんの機関なのだっっ

なんともややこしい(>_<)

西さんの西機関は菊師団(第18師団)にあった西機関であり

光機関の西機関とは全く別物であった





そうとは気付かず、必死に読んだ

いや~ん、参ったなぁ、トホホ。。。

本のタイトルは「西機関ビルマを征く」

西さんはビルマを征ったのよね

はい、その通り(^^;)

同じ時期、大叔父もビルマのどこかに居たのよね

どこに居たのかなぁ。。。誰か教えて下さい

自分のバカな早合点に凹んだ私でしたガーン

こうして私の図書館は

あんまり関係なさそうな本が増えていくのでした




続く…




※ブログランキングに参加してみました
大勢の方に読んでいただくことで、情報をいただけるよう
ご協力をお願いしますm(_ _)m

ポチッとな☆↓↓ 

ミャンマーに思いを寄せて 1002

西機関は、日緬混合の特務機関で

情報収集や宣撫もやれば

日本軍に代わって攻撃・防御もすると言う

大変使い道の多い特殊機関であった

藤原中佐は、その西機関の活躍を耳にして

スカウトのために筆者を見舞ったのだろう





だけど筆者はマラリア患者

きっと、やせ細ってヘロヘロの状態

それを見た藤原中佐はガッカリとしたのだろうか。。。





それでもこの後に光機関に入るんだよね?

いつ南機関や光機関が出てくるんだろうと読み進めていると

気が付けばインパール作戦は終わっていた

えっ???いつの間に???

私、大事なところを飛ばしちゃった?

良い本であり、あまりにも面白い本で、届いたその夜に一気読み

空はもう白々と明るくなりつつあった

私、寝ぼけてるんだろうか?





やはり何度読んでも、南機関や光機関は出てこず

藤原中佐も再度登場はしなかったなんで~???

あとがきや表紙をよ~く見てみると

表紙に「元陸軍大尉 西機関長  西 ○○」と書かれていた

あれ???西機関の長は藤原中佐だったはず、、、

この西さんって誰----




続く…




※ブログランキングに参加してみました
大勢の方に読んでいただくことで、情報をいただけるよう
ご協力をお願いしますm(_ _)m

ポチッとな☆↓↓ 

人気ブログランキングへ

ミャンマーに思いを寄せて 1001

騎兵隊解散により原隊喪失は筆者にとって

かなり大きなショックであった

心労からかマラリアと黄疸にかかり入院していると

軍参謀がお見舞いに来ると言う

兵站病院ともなると軍参謀がお見舞いに来るのかと

皆と話していると

藤原中佐は、脇目もふらず筆者の方にやってきた

筆者は、まさか軍参謀である藤原中佐が

自分のお見舞いに来るとは思わずとても驚いたそうだ





妙な顔をしながら藤原中佐は

「騎兵隊からフーコンに入ったのは貴官か?」と聞いた

「ハイ!そうであります」と返事をすると

藤原中佐の怪訝な顔つきは、明らかに落胆の表情へと変わった

藤原中佐は、お見舞い品であるジョニー黒のウイスキーを

ベッドに置いて呆気なく帰っていった





筆者が思うに、藤原中佐は筆者の風貌や容姿を

豪快・魁偉な偉丈夫と想像していたのに

出てきたの小柄で優しい顔つきの男だったので

落胆したのだろうとのこと

内心、不愉快で「馬鹿にするな!期待に添えず悪かったなあ!」と

思ったそうだ

病院内では、軍参謀がわざわざお見舞いに来たのは

あの有名な西機関の人だと評判になったそうである





やっとこさ藤原中佐が出てきた!

そろそろ南機関も出てきて、光機関も出てくるのかな?

私はワクワクしながら読み進めた




続く…




※ブログランキングに参加してみました
大勢の方に読んでいただくことで、情報をいただけるよう
ご協力をお願いしますm(_ _)m

ポチッとな☆↓↓ 


人気ブログランキングへ

ミャンマーに思いを寄せて 1000

【祝?1,000回】わーい(^^)/


西機関の人が書かれた本の文中には

下士官や兵の個人名がたくさん出てきた

その度に大叔父の名前がないかドキドキする

その他、おもわず笑ってしまう話まであって

筆者の素敵なお人柄を垣間見る内容である

快調に一気に読み進む





筆者の任務が一段落した頃

気が付けば原隊が無くなっていた

精神的にもショックを受けて、マラリアにかかってしまう

その際、メイミョーの兵站病院に入院することとなった





入院中、軍の参謀が病院にお見舞いに来るとのこと

みんなベッドで整列をしていると

参謀は、真っ直ぐに自分の下にやって来た

その参謀とは、西機関の活躍を耳にした

藤原中佐であった




続く…




※ブログランキングに参加してみました
大勢の方に読んでいただくことで、情報をいただけるよう
ご協力をお願いしますm(_ _)m

ポチッとな☆↓↓ 












人気ブログランキングへ

ミャンマーに思いを寄せて 999

西機関の人が書かれた本を一気に読んだ

冒頭に、西機関の起源は

「騎兵挺進将校斥候」だと書かれていた

そして、記録もほとんどなく、戦史にも記載されていない

とも書かれている

そうよね~、西機関について全然分からないもの

すごく貴重な本を見つけたわ☆

なんて私ってラッキーなんだろう





中野学校で特別な訓練を受けた

諜報部隊ではないとのこと

西機関って騎兵の部隊の斥候から

波及したんだと思った

南機関の鈴木大佐がビルマの伝説を取り入れて

白い馬にまたがって民衆の前に現れた話は

有名であるが、あの馬は騎兵隊の馬だったのかな?

へぇ、騎兵隊って白い馬もいたのかぁ





それでも、現地のビルマ人を訓練し

独自に諜報活動を開始し

上級部隊からその功績が認められ

どんどん大きな組織となっていく西機関

本土の新聞にも大きく取り上げられ

大変有名な機関となった

その編成の内訳は日本兵約20名と

ビルマ兵80名程度に

各部落のカチン族やシャン族などの

兵隊が50名ほどであった





独自の諜報活動は一旦終息し

原隊に戻ると、なんと原隊は無くなっていた

それにショックを受けて筆者はマラリアで入院した




続く…




※ブログランキングに参加してみました
大勢の方に読んでいただくことで、情報をいただけるよう
ご協力をお願いしますm(_ _)m

ポチッとな☆↓↓ 

人気ブログランキングへ

カウントダウン☆

読者の皆様へ

いつも読んでいただきありがとうございます



西機関の話の途中で何ですが

もうすぐ1,000話です!!

タイトルはカウントダウンですが、すでにリーチ(笑)

普通のブログであれば1,000回も続けば

めでたいとお祝いムードなんでしょうけど

私の場合はめでたくない~(>_<)

まさかまさか1,000話も続くとは思いもよらず

気軽に始めてしまったのがドツボでした~

いつになったら完結するのでしょう。。。





ここまでやったら大したものだ

大叔父さんも喜んでおられるだろうと

皆が労をねぎらって下さりながら

これ以上は無理だろう、、、と言う雰囲気を醸し出す

私も諦めモードに入る時もあるのですが

もう少しもう少しと続けています





この後には、3度ほど大きなことが起こります

いつもお世話になっている人達に

「ゴールかもしれない」と言うと

喜んでくれるかと思いきや

「えーーー、終わったら面白くないよ」と言われてしまった

そんな~(^^;)




そんなこんなで、まだまだ続きそうですので

どうぞ応援のほど宜しくお願いいたします



2015.3.10

皆様のポチッから勇気をいただき励みとなっております
大勢の方に読んでいただくことで、情報をいただけるよう
ご協力をお願いしますm(_ _)m
ポチッとしてほしいな☆↓↓


人気ブログランキングへ

ミャンマーに思いを寄せて 998

この光機関の西機関の以外にも

ビルマには全部で3つの「西機関」と呼ばれる

組織が存在していたようである

頭が混乱するほどの南機関→西機関ほか。。。





光機関の西機関、菊師団(第18師団)の西機関

そして稲田大尉指揮下の西機関の計3つ

同じ名前の西機関~





一橋大学の先生の西機関の説明の箇所に

西機関の人が書かれたとされる

「西機関・ビルマを征く」と言う本の名前が紹介されていた





すごい!西機関の人が書いた本なんてっっ☆

ネットで探すと、かなり古い本ではあるが

購入者のレビューは、なかなか評判が良かった

ルンルン気分で早速購入してみた



RIMG0089







偉い方が書かれた本には

将校の個人名は出てくるが

それ以下については名前なんかほとんど出てこない

しかし、初級将校や下士官以下の方の手記には

下士官や兵の個人名がかなり出てくるのだ

筆者はよく分からなかったが私は少し期待した





続く…






※ブログランキングに参加してみました
大勢の方に読んでいただくことで、情報をいただけるよう
ご協力をお願いしますm(_ _)m

ポチッとな☆↓↓ 



ミャンマーに思いを寄せて 997

南機関が改編され

西機関の担当は藤原機関長だった藤原中佐である

その他の東機関と北機関の担当は誰か分からない

藤原中佐は、まだこの頃は少佐で15軍の参謀であったようだ





藤原機関→岩畔機関→光機関と組織は逐次大きくなり

光機関となる時には機関長は少将

光機関の隷下として改編された南機関(西機関、北機関)

そしてそこに出戻りの形の藤原中佐。。。

しかも階級はまだ少佐だったなら

何ともお互いやりにくそうな人事だなぁと言う印象





それでも、階級は低くとも、今までの経歴を元に

南方における戦域全体の特務活動のキーマンとして

15軍司令部の参謀になったのではないか

おそらく戦域における特務活動全体の計画調整は

藤原中佐が最適任者だったのに違いない





参謀と兼務って、なんだか不思議な感じがするけど

階級が低いため光機関内では西機関ほかの長にしか

付けられなかったと言えよう

15軍の作戦と光機関含む特務活動の調整役は不可欠

参謀と機関の長の兼務もいたしかたない

まぁ戦時だから何でもありなのかな(笑)




続く…




※ブログランキングに参加してみました
大勢の方に読んでいただくことで、情報をいただけるよう
ご協力をお願いしますm(_ _)m

ポチッとな☆↓↓ 

人気ブログランキングへ

ミャンマーに思いを寄せて 996

南機関は立派に役目を果たし任務を終えて

インパール作戦のために形を変えて

光機関に取り込まれた

そして、今までのビルマでの活動の経験を生かし

インドまでの道のりの後方連絡線における

特務活動を担う組織となった





詳細は不明であるが

後方連絡線沿いにビルマ内に展開し

おそらく地域のビルマ人に働きかけて

日本軍の作戦に様々な便宜を図ってもらえるよう

活動していたと思われる





名前の由来となった東西南北についての私の見解では

南機関の「南」から始まり

ビルマ国内”マンダレー”を起点にし

「北」機関は、マンダレー~烈師団のコヒマ正面

「西」機関は、マンダレー~祭師団・弓師団のインパール正面

後から菊師団(第18師団)に追加の形で

「東」機関はマンダレー~15軍司令部のあるメイミョウ

であると思う





南機関が終息し、改編で名称変更し

北機関、西機関が出来て、後から東機関が出来た

西・北機関はそれぞれ横並びのようであるが

東機関は菊師団の隷下

しかし、その代表的組織はやはり西機関であった





「西」がインパールで主攻正面だからであろう

西機関が展開している方面には

祭師団、弓師団、そして準師団クラスの山本支隊もあり

本作戦の主攻兵力とも言えるからである

ちなみに終息した「南」については

マンダレー~ヤンゴン地区が当てはまる

そこはすでに日本の支配地域だから必要ないと考える





続く…





※ブログランキングに参加してみました
大勢の方に読んでいただくことで、情報をいただけるよう
ご協力をお願いしますm(_ _)m

ポチッとな☆↓↓ 

人気ブログランキングへ

ミャンマーに思いを寄せて 995

西機関って何だろう???

いや~ん、また新しいのが出てきた(TT)





一橋大学の先生の本の中で西機関について

ほんの少し書かれている

南機関が終息した後に、西機関と北機関となり

光機関隷下となり

後から18師団隷下として東機関が出来た

それぞれ受け持ち地区の東西南北の名前が付けられたようだ





任務としては光機関と類似しているが

光機関がインド国民軍を対象としているのに対し

西機関は地域の原住民を対象としている





西機関には、ホマリンとピンマの間に
 

40マイルの間隔で5つの哨所があり


各哨所には1人の軍曹が指揮し


その下に2人の日本兵と1人の医師


そして2人の通訳、1人のビルマ人とチン人が居た


とも書かれている





そして西機関の指揮者は藤原機関長であった藤原中佐である


藤原中佐はその時はまだ少佐だったようだが

15軍の参謀を兼務している

出たーーー!!藤原中佐!!またまたこんなところで!!

と私は思った




続く…




※ブログランキングに参加してみました
大勢の方に読んでいただくことで、情報をいただけるよう
ご協力をお願いしますm(_ _)m

ポチッとな☆↓↓ 

人気ブログランキングへ

ミャンマーに思いを寄せて 994

一橋大学の先生が書かれた本を

再度読んでいると、他にも気になること見つけた

それは、光機関以外の特務機関である





ビルマの特務機関として有名なのは南機関と藤原機関

南機関は、昭和16~17年にかけて

存在した特務機関だそうで

機関長は鈴木敬司大佐

鈴木大佐はビルマの伝説を上手く取り入れ

ビルマ人の心を掴み味方に付けた

ビルマの独立運動の支援を任務とし

ビルマ独立義勇軍の誕生に貢献したとされる



南機関の過去記事はこちら↓↓

「ミャンマーに思いを寄せて  319」
http://blog.livedoor.jp/aya_sann/archives/1835128.html





南機関については、ビルマ人工作

藤原→岩畔→光機関はインド人工作

南機関の活躍した時期を考えると

南機関は大叔父には関係がなさそうだと早くに結論を出した

そこで藤原機関に絞って調べだしたところ

○○大学が岩畔機関→光機関に

直接関係していたことが判明し

藤原機関→岩畔機関→光機関を調べて来た




しかし、一橋大学の先生の本の中には

南機関の新しい名称として「西機関」と言う物が出てきた



続く…




※ブログランキングに参加してみました
大勢の方に読んでいただくことで、情報をいただけるよう
ご協力をお願いしますm(_ _)m

ポチッとな☆↓↓ 

人気ブログランキングへ

ミャンマーに思いを寄せて 993

寄り道だったかもしれない神本利男さんの件

何のご縁か神本さんの経歴を調べて

帰らぬ人となっていたことに涙した

大叔父の調査が無ければきっと知らなかった人

そして知らなかった歴史

触れることが出来て良かったのではないかと思う

神本さんも天国で喜んでおられるかも

神本さん、大叔父のことを知りませんか?

って聞けたらいいのに。。。

神本さん、どうか大叔父の調査が上手く行きますよう

見守ってくださいね





結局、神本利男の偽名説は間違いであり

久々に大きく動くかと騒いだため私は凹んだ

すぐさま軍事関係に詳しい知人に

神本利男さんは実在の人物で

こう言った経歴の人だったと報告した

すると、知人はそれは収穫だと言ったのだ

収穫って言ったって…慰めてくれてるの?





中野学校の卒業生は軍人だけかと思っていたが

一般の人の中にも稀に

特別な扱いの人が居たと言う実例だと言う

大叔父ももし中野学校に関係していたとしたら

かなり稀なパターンとなるが

まだ希望は捨てることはないと言ってくれた

神本利男さんにたどり着いたのは

単なる偶然かもしれないけど

そうだね、諦めずにもう少し頑張ろう。。。




続く… 




※ブログランキングに参加してみました
大勢の方に読んでいただくことで、情報をいただけるよう
ご協力をお願いしますm(_ _)m

ポチッとな☆↓↓ 


人気ブログランキングへ

ミャンマーに思いを寄せて 992

神本さんらしき人の日記の中では

「連隊長」と言う言葉が数回登場する

その中で第3連隊と言うのが出てくるのだが

神本さんが居たとされる烈師団には

日本軍の第3連隊は無い

このため、神本さんが言う第3連隊とは

インド国民軍の連隊だと思われる

インド国民軍がどんな編成だったかは分からないが

インド国民軍の師団毎に何個かの連隊があったようだ

神本さんは第3連隊以外の連隊に居たようである

命令等の印象から、神本さんは大隊に同行した

光機関員だったように思う





インパール作戦が失敗に終わった後も

インド国民軍は共に日本軍と行動する

独立を念頭にインド領内に入っていながら

ビルマへと引き返す気持ちはどんなものだったのだろうか

日本軍同様、多くのインド国民軍の方も白骨街道を作った





以前にも書いたが、弓師団の「山本支隊長の回想録」では

近隣にいたインド国民軍の部隊の長が

食料を分けて欲しいと懇願してきたこともあった

こちらも全くないのだと説明するが

何度も何度もインド兵は来た

しかしどうしてあげることも出来なかったと書かれていた



山本支隊長の回想録の過去記事はこちら↓↓

「ミャンマーに思いを寄せて 468」
http://blog.livedoor.jp/aya_sann/archives/1876575.html



そして残念なことに、一緒に戦った友軍であっても

日本軍の医療機関では二の次扱いもあったようである





続く…





※ブログランキングに参加してみました
大勢の方に読んでいただくことで、情報をいただけるよう
ご協力をお願いしますm(_ _)m
ポチッとな☆↓↓


人気ブログランキングへ

ミャンマーに思いを寄せて 991

その後、神本利男さんはマラリアにかかり病床に伏す

ビルマに留まりたいと言う神本さんを

同じくマラリアにかかっていた

藤原機関長だった藤原中佐が説得して

帰国することとなるった





昭和19年8月、神本さんと藤原中佐は

ビルマの首都ラングーンから

マレーのペナンの海軍基地へと運ばれ

それぞれ別の潜水艦で帰国することとなった

これが運命の分かれ道だとは知らずに、、、






藤原中佐は無事に帰国できたが

神本さんを乗せた潜水艦は南シナ海で

夜間浮上航行中に米軍機のレーダーに発見され

撃沈され亡くなられたのだった

昭和19年9月30日、神本利男さん39才であった




続く…




※ブログランキングに参加してみました
大勢の方に読んでいただくことで、情報をいただけるよう
ご協力をお願いしますm(_ _)m
ポチッとな☆↓↓


人気ブログランキングへ

ミャンマーに思いを寄せて 990

ガチョーン偽名説は呆気なく崩れた

あら~私ってなんて素晴らしい想像力(笑)

呆れるくらいに勝手な妄想であった





しかも「かみもと」と読まず「かもと」さんであった

でも、神本利男さんの経歴を見てみると

私が普通の人じゃないと思った通り

スゴイ経歴であった





ググった結果をまとめると

神本利男さんは民間人で唯一の中野学校卒業生であった

特別第二期生として約半年の教育を受ける

神本利男さん33才の時のことである





大川周明氏にイスラム文化を学び

様々な武道に精通し、卓越した能力を持っていた

マレーで「ハリマオ」と呼ばれた谷豊さんを説得して

諜報員として見方に付けて

イギリス軍の攪乱工作を行い

藤原機関→光機関において

歴史に残る大活躍をした人だった




続く…




※ブログランキングに参加してみました
大勢の方に読んでいただくことで、情報をいただけるよう
ご協力をお願いしますm(_ _)m
ポチッとな☆↓↓

人気ブログランキングへ
記事検索
プロフィール

aya_sann

カテゴリ別アーカイブ
タグクラウド
QRコード
QRコード
  • ライブドアブログ