ミャンマーに思いを寄せて

亡き母の思いを果たすべく、ビルマで戦死した大叔父の足取りをたどる私の奮闘記録☆

2015年04月

ミャンマーに思いを寄せて 1047

おじいさんの証言によると

長野県の中学4年の時に

学校に大川塾の募集が来たそうだ

募集案内を読むと

大川塾で学んだ後は決められた外地に赴任し

そこで10年間は現地の人と親しくなりながら

アジア独立のために活動すると言うものだった

加えて、10年を過ぎて現地に残留する者には

1万円を支給すると書かれていた





おじいさんは、特にアジア解放に対する思いがあったわけではなく

「当時、1万円は相当な額でしたから、それを支給してもらえるのは

いいなぁと言うくらいの気持ちで応募しました」と語られている

私は当時の1万円が現在のどれくらいの価値かは

あまり分からないのですけど

このブログではかなり大まかに当時の1円=現在の1万円と

換算してイメージしている(スミマセン、かなりアバウトですかね

その換算に当てはめると、当時の1万円は現在の…1億円?

そ…それは、いただけるなら欲しいと思うのが正直なところかも





当時は中学を出た後に、さらに勉強が出来るなんて

とっても素敵な話だったと思う

おまけに、その後の高収入な約束も

まさに夢の様だったであろう。。。





続く…





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ミャンマーに思いを寄せて 1046

インタビュー形式で記事は進んでいく

最初に光機関での任務について聞かれたおじいさんは

「まず大川塾について説明しなければいけません」と

大川塾について語り始めた





大川塾とは、昭和13年に

白人による植民地支配にあえぐアジアの自由、

独立を支援する人材育成を目的とし

大川周明氏により「復興亜細亜」を掲げ

開かれた塾であった

大川周明氏は南進論者として有名である





おじいさんは、その二期生として昭和14年に入塾

塾では朝から晩まで語学と世界植民地史や

国際政治経済学などを学んだそうだ

ここで教育された学生は

その後、決められたアジアの各地に赴任し

復興亜細亜の精神で活躍することとなる

おじいさんも2年間の教育を経て

昭和16年に大川塾を巣立ったのであった




続く…





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ミャンマーに思いを寄せて 1045

「祖国と青年」と言う雑誌の中で

おじいさんの経歴はこう記されている

「開戦と同時に南方総軍(サイゴン)にインパール作戦

通訳要員として徴用され、光機関本部の軍属として

シンガポールに勤務。バトパハ士官学校に派遣されました。

昭和19年5月に、徴兵検査の通知が来ました。

そして今度は陸軍二等兵として光機関に入隊。

バトパハ士官学校で英印軍捕虜に対しての教育に

教官として携わることになりました。」





読んでいて、何点かの疑問があるが

きっとまとめた方が、時系列やその背景を

あまりご存知なく、簡略的にまとめられたのではないかと言う印象





まず、「開戦と同時に」の開戦とは昭和16年ではないかと思う

その頃はまだインパール作戦の構想は無かったはずである

ただし、マレー攻略作戦等も含め南方作戦全体において

通訳要員の必要性は開戦前から認識されていただろう





その後「光機関本部の軍属としてシンガポールに勤務。」と

なっていることについては、このおじいさんはほんとうは

大川塾を出た後にシンガポールの昭南通商に赴任されている

しかし、この雑誌では昭和通商について触れられていないので

省略されたのではないかと思う

士官学校のあったパトパハは、マレー半島にある街であるため

シンガポールの昭和通商から軍属として

まだ光機関ではない時代から藤原機関におられたのではないだろうか

と解読したのである





続く…





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ミャンマーに思いを寄せて 1044

やっと東京に戻った

すぐさま冨澤先生に送っていただいた雑誌をじっくりと読む

「祖国と青年」と言う雑誌は始めて見た

こんな雑誌もあるんだなぁとマジマジと拝読

神社関係の雑誌であろうか?

皇室関係の話や旧軍や自衛隊の話などが書かれていた

RIMG0130













80ページほどある中で、

『インパール作戦70年

「インドの独立に命をかけた日印のリーダーたち」』

と言う特集は8ページあった

前半の3ページは、冨澤先生の藤原機関長の話で

後が、おじいさんの光機関の話であった





インパール作戦は「最も悲惨な戦い」と言われるが

「日本軍の戦略は間違っていた」と一言で片付けてしまっていいのか

インパール作戦を含むインド独立戦争に携わった

アジア解放に立ち向かった先人に迫りたいとの主旨で

文章は始まっていた

読み進むうちに涙が溢れた





続く…





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ミャンマーに思いを寄せて 1043

このおじいさんは、最近、大川塾に関する

本を出されたとのこと

冨澤先生はその出版社から

おじいさんの連絡先を伺って私に教えて下さったのだ





私はおじいさんが出された本をネット通販で探してみた

すぐに見つかったので至急購入した

ついでに以前に見つけたおじいさんのDVDも探してみた

すると、前はたくさん残っていたのに

DVDはほとんど売り切れていた

…これは、本を出されたことによる影響だろうか?

中古も出回っていない

入手された方が手放さないのかな

前回に見つけたときは、少し高かったので購入しなかったが

買っておかなければいけないなと

えいっ!と購入ボタンを押しちゃった





こうやって、我が家には資料が増えていく

どれだけこの調査で散財しているか。。。

冨澤先生が送って下さった雑誌とおじいさんの本とDVD

東京に帰ったらすぐに見よう

わぁ~忙しくなるなぁ




続く…




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ミャンマーに思いを寄せて 1042

光機関員だったおじいさんの経歴と大叔父の経歴を比べる

おじいさんは、昭和19年5月に陸軍2等兵として光機関に入隊

大叔父の場合は、兵籍簿によると

昭和19年5月末に病院に搬送される

そして大叔父は19年の7月に戦病死したので

このおじいさんとの接点の可能性は

かなり低いのではないかと思われる





お年も92才(2014年現在)と言うことは

大叔父よりも4才ほど年下である

冨澤先生からも「歳からすると貴女の大叔父さんより

大分後輩で、時機としても後にビルマ入りしているので

難しいかも知れませんが

光機関関係者通訳要員としては恐らく生き残り最後の方

ではないかと思います。

「ダメモト」のつもりで、当たって見ては如何でしょうか。」との言葉が

添えられていた

そうよね、光機関のことはお聞きしたいし

大川塾についても伺ってみたい。。。





冨澤先生は、「祖国と青年」と言う雑誌を送って下さるとのこと

「まず参考までにそれを読んでから

貴方が大伯父さんを探している事情をお伝えして

何か情報があるかどうかお聞きになっては如何でしょうか。」と

言って下さったのだ

なんとありがたいことか

私は急いで東京に戻ったのだった





続く…





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ミャンマーに思いを寄せて 1041

冨澤先生のメッセージは

雑誌に載っていた文章を抜粋し

光機関のおじいさんの経歴も触れられていた





「その方は、大川塾で学び

開戦前タイ・バンコクへ行き

開戦と同時に南方総軍(サイゴン)に

インパール作戦通訳要員として徴用され英印軍の教官になり

昭和19年5月、陸軍2等兵として光機関に入隊

さらに光機関のあるラングーンへ行ったとのことです。」





メッセージは続く

「ラングーンからの撤退の際には

INAの婦人正規軍連隊の護衛をすることもあったとのことです。」

と綴られていた





正に大叔父の仮説として

私が考えていた通りの人物像が存在した

私はなぜ光機関の人を探そうとしなかったのだろう。。。

大叔父の第1大隊が派遣されたとされる

山本支隊は臨時に寄せ集めの編成だったため

探しても探しても戦友会のような集まりは見つからなかった

そして中野学校出身の方ともご縁は持てなかった





光機関の集まりが東京・杉並のお寺で行われていたと言う

記述を見つけたことがあり

そのお寺に聞きに行こうかと思った時もあったが

光機関要員もたぶん無理だろう

中野学校出身の人にさえご縁が無いのに

その小さな機関の人に出会える確立は少ないだろう

もし、いきなりお寺に押しかけても怪しい人だと思われるだろうなぁ

それにきっとご存命ではないと勝手に諦めていたのだ



光機関員のお寺の集い関連の過去記事はこちら↓↓

「ミャンマーに思いを寄せて 835」
http://blog.livedoor.jp/aya_sann/archives/1938338.html




続く…




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ミャンマーに思いを寄せて 1040

光機関の方が生きておられる。。。

しかもその方は「大川塾」の出身者



大川塾に関する過去記事はこちら↓↓

「ミャンマーに思いを寄せて 880」
http://blog.livedoor.jp/aya_sann/archives/1945523.html





私が1番探し求めていた人物像であった

しかし心の中で、光機関の方でご健在の方はもういないだろうと

勝手に思い込んでいたのだ





「祖国と青年」と言う雑誌に載っておられた方は

以前に見つけたDVDを出されている方だった



DVDの過去記事はこちら↓↓

「ミャンマーに思いを寄せて 881」
http://blog.livedoor.jp/aya_sann/archives/1945525.html





失礼だがまさかご健在とは思わなかった

しかも記事を書けるほどお元気だ♪

冨澤先生も「光機関関係者通訳要員としては

恐らく生き残り最後の方ではないかと思います。」と

書かれている

光機関員、大川塾出身のおじいさん92歳

ついに見つけた!!




続く…




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ミャンマーに思いを寄せて 1039

2014.8

そろそろ東京へ帰る日が近づいていた時

夜中にメールを見て固まった

それは冨澤先生からのメッセージであった





今年は(2014年)インパール作戦70周年の節目

ミリタリー系や歴史系の雑誌では

よく取り上げられている題材であった

時折目にする記事でも新たな話もなく

私にとっては正直、浅い一般的な話が多かった





冨澤先生からのメッセージでは

ある日、冨澤先生のところへ「祖国と青年」と言う雑誌から

「インパール作戦70年」の記事を書くので藤原機関長のことを

教えてほしいと記者が訪ねてこられた





その後、その雑誌が送られて来て読んでいると

「インパール70年」の特集として

藤原機関の話の他に元・光機関の軍人さんの記事が

載っていることに気付かれて

私に連絡してきて下さったのだ!!
RIMG0130













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光機関員の生き残りの方がおられる…

しかも、その方は大川塾出身であった

うわぁ~私はとても驚いた!!




続く…




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ミャンマーに思いを寄せて 1038

兵籍簿が届くまで落ち着かないような

何とも言えないウダウダな時間を過ごしていた

東京に帰ったら忙しくなるぞ~

まずは伯父が取り持ってくれた姉婿の末娘さんに連絡するでしょ

それから厚生労働省もあるし

しばらく時間はかかるけど、大事な兵籍簿も届く

まだ私のやることはいっぱいある

諦めたらダメだよね

早く東京に帰らなくちゃ





そんな折、夜中にメールをチェックしていると

とんでもない内容のメッセージが届いていることに気付く

えっ?何これ。。。サッーと血の気が引いた

調査が大きく動いた瞬間であった





それは藤原機関の藤原機関長の娘婿さんである

冨澤先生からのメッセージであった

冨澤先生とはF機関(藤原機関)の講演会を

聞きに行ってからのご縁で

それ以来ずっとお世話になっている方である



冨澤先生に関する過去記事はこちら↓↓

「ミャンマーに思いを寄せて 524」
http://blog.livedoor.jp/aya_sann/archives/1885923.html





続く…




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ミャンマーに思いを寄せて 1037

この状況をどう受け止めたらいいのか分からない

だけど、この兵籍簿が真実だとは到底思えなかった

何も知らなかった頃の私であれば

この兵籍簿を鵜呑みにして安泰だったと思う

しかし今となってはこの存在や内容自体がおかしいと思えた





今、このタイミングで出てきたことに意味がある?

今までの調査過程を踏まえて、もうこの兵籍簿を信じることが出来ない

これも大叔父さんの計算なんだろうか?

スピリチュアルなことを考えたらダメなんだけど

今までのたくさんの不思議な経験から

ついついそんなことまで考えてしまう





落ち着かないと。。。

「大東亜戦役に従事ス」って何なのよ

調査を完結と決めてしまうのは

兵籍簿が届いてからじっくりと中身を読み解いてからでいいっか

いまさら焦って決めることじゃないよね

今日はもう疲れちゃった、また明日から考えよっと





大叔父さん今日はヒントをくれて(?)ありがとうございました

でも、どこに居たのか、誰に聞いたら分かるのか

どこを探せば名前が出てくるのか

ほんとうは、答えを教えてもらえると1番嬉しいのだけど。。。

もしかして天国から小出しに楽しんでますか???

頑張るしかないのですよね

大叔父さんおやすみなさい




続く…




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ミャンマーに思いを寄せて 1036

お役所から帰ってきてまだ呆然としている。。。

前回の文書と違うと言う不思議な出来事は

単に私の勘違いかもしれないし

新しい(?)兵籍簿が出てきたことは

喜ばしい大収穫なはずなんだけど





それにしても、あそこのお役所では

いつも不思議なことばかり起こる。。。

アケボノの謎と言い、今回のことと言い

狐さんにつままれっぱなしだきっと気のせい???

詳しい兵籍簿が見つかったことに満足しなきゃいけないのよね。。。





しかし、私はとても複雑な気持ちだった

歯抜け状態の曖昧な兵籍簿のおかげで(?)

私は詳細を求めてずっと調査を続けてきた

もし、調査当初にこの詳しい兵籍簿に出会っていたら

大叔父の経歴に疑問を抱くことなく

それを信じて、60連隊に居たのだと思い込んだだろう





60連隊の同じ中隊のおじいさん方が大叔父をご存知なかった件も

たまたま知らなかったのだろうと思えたかもしれない

それなのに私は調査をし、様々なことに行き着き

特務機関と言う底なし沼にハマってしまった





時々、なんでこんな苦労してるんだろうって思う時がある

自分で勝手に妄想してるだけじゃないだろうか。。。

意地になってるだけじゃないかしら。。。

素直にこの兵籍簿の内容を受け入れて

大叔父は60連隊に居たと調査完結としなきゃいけないのかな

どうしたらいいのか分からない…涙が溢れてきた





…続く





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ミャンマーに思いを寄せて 1035

結局、狐につままれたままの状態で

お役所から帰ってきた





ふと携帯を見ると、お役所からの着信

電話してみると、その後も私が3年前に見たと言う書類を

倉庫や書庫で探したが、やはり見つからないとのこと

「今、ある書類だけで抜粋を作りますが、いいですか?」

との確認だった

私は、それで結構ですと了承した





すると、このブログも見て下さったと言う

担当者は防衛研究所を紹介しようと思われたそうだが

すでに様々な所に出向いている記事と

防衛研究所で大泣きして帰ってきた記事をご覧になったそうです

「大変でしたね」と言われた
 
でも、あの事件がきっかけで(?)

防衛研究所からは、その後も手厚くサポートいただいている

と伝えると安心されたようだった





最後は励まして下さって

「兵籍簿の写しを送るので待っていて下さい」と言われた 

ほんとうに親身になって下さって、私は心から感謝した

いつかいつか完結したら、この方にもお礼がしたいと思った




続く…




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ミャンマーに思いを寄せて 1034

このお役所には軍人手帳は無かった

担当者は「ここには無いが、厚生労働省にはあるかもしれない」と言う

厚生労働省かぁ。。。 

陸軍だった人の兵籍簿は、基本、各都道府県が

陸軍省から引き継ぎ管理しているが
 
厚生労働省にも似たような資料があり

お役所に兵籍簿が無い時などには

照会してもらっているとのこと



 

厚生労働省には、以前に問い合わせをしたが

こちらのお役所へと案内されたことを言うと

「それは一般的な場合であり、今回のように特殊な例は

事情を話したら、何か資料を探してくれるかもしれないですよ」

と言って下さった

縦割りのお役所仕事、そう言うものなのかと思った





後日、兵籍簿の写しを郵送して下さるとのことで

住所を書くと、東京から来たことに気付かれ驚かれた
 
本気度は益々伝わったようであった

私はお礼を述べてお役所を後にした

次は厚生労働省かぁ。。。あ~手ごわいなぁ、頭が痛い

東京に帰ったら早速取り掛からなくちゃね

アッ!!やっばーい父を待たせていたんだった

30分のはずが、、、2時間もっっ

ごめんなさい、すっかり忘れてた~






続く…






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ミャンマーに思いを寄せて 1033

大叔父の場合は、もう一つ

光機関に居たのではと言う仮説がある

その場合の軍隊手帳はどうなったのか?と考えた

軍事関係に詳しい知人にも聞いたが

「大叔父さんの場合は様々なパターンが考えられるから

難しいよ」と言われた





●60連隊から臨時に派遣されていた場合

●正規の光機関要員で死後に60連隊に組み入れられた場合

●本人が携行中に失くした、または病院で死後に回収・破棄された場合

●光機関本部が保管していた場合

どのパターンかは分からないが

軍人だった以上、何らかの軍隊手帳があったに違いない





ん?あれれ…大叔父の兵籍簿は終戦後(死後)に作られている

死んでから初めて作られたのではないだろう

複製と考えるのが普通である

なんで複製しなきゃいけなかったの?

それより、何を見て複製したのだろう???

●軍隊手帳を見た

●入隊からの大叔父に関する人事の発令文書を丹念に拾い上げた

●同期の者の兵籍簿を写した

う~ん、う~ん、こんなの考えたって分からないけど…





地元のお役所には、軍隊手帳は無いと言う。。。残念

あるとすればどこにあるんだろう?

ちょっと調べてみようかな?

またいつもの寄り道?悪いクセかしら

だって私には思いつくことから調べていくより他ないんだもん

まだまだ先は長いなぁ。。。





続く…






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ミャンマーに思いを寄せて 1032

大叔父本人が携行していなかった場合

段列の人事係が預かっていたと思われる軍人手帳

中隊もしくは大隊段列にあっただろう

どれほど段列が前線より後方に位置していても

アラカン山脈を越えてしまっているのだから

段列の要員でさえも白骨街道を辿っただろう





飢えと疲労と蔓延するマラリアやアメーバ赤痢で弱った体

戦友の小指の遺骨でさえも重いと感じたと言われる敗走路

食料や弾薬ならばともかく

段列預かりの軍隊手帳などは早くに放棄対象とされても

おかしくはない

中隊の全員分の軍隊手帳は、かなり重かったと想像する

全員分の大事な軍隊手帳ではあるが

生き残った者はわずか3名

そのほとんどが既に戦死している状況で

自分の命に代えてまで守るべき物とも思えない





結果、中隊人事が軍隊手帳を預かっていた場合は

インド国内に置き去りにされたか

焼却もしくは埋めて処理された可能性がとても高いと言える





しかし大叔父の場合はその他に

光機関に居たのではと言う仮説もあるため

もっともっとややこしいのである

頭が痛い~(><)





続く…





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ミャンマーに思いを寄せて 1031

大叔父の軍人手帳の行方を考えてみる

大叔父が60連隊に居たとしても

2つのパターンが考えられる

大叔父本人が携行していた場合と

中隊の人事係が持っていた場合





同じ第1大隊の隣の4中隊だった中野のおじいさんは

軍隊手帳を持っていたことはなく

戦後も本人に渡されることはなかったと証言している

もしも中隊人事が持っていたとしたら

中隊の段列にあったと考えられる





大叔父が病院に搬送されたとされる日に

機関銃中隊は玉砕している

中隊の生き残りは僅か3名だったとされているが

その中に大叔父の名前が無いことから

大叔父は玉砕の前に中隊を離れたことになる

その際、軍人手帳は持たされなかったのだろうか?





大叔父本人が携行していたなら

白骨街道で紛失したか、最後の病院で回収されたと思われる

もしも中隊人事が持ったままだったとしたら

中隊が玉砕した際にも段列に居た中隊段列の要員は

突撃をしなかったと仮定すると

残った中隊本部の要員は、他の中隊もしくは

大隊の段列に吸収合併されるのが一般的だろう

その後、中隊分の軍隊手帳はどこに行ったのだろうか?




続く…




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ミャンマーに思いを寄せて 1030

敗戦で軍隊が無くなった日本

終戦後は軍隊手帳はどうなったのだろう?

お役所における恩給支給の手続きのための証明根拠資料として

「軍隊手帳」もその一つに名前があることから

生き残った人は軍隊手帳を個人で持っていたと思われるる

では、戦死した者の軍隊手帳はどうなったのか???

特に外地の者の場合は、様々な状況が考えられる





みなみに、ナチス・ドイツでは軍人手帳は普段は中隊本部が管理し

身分証明書は常時携行し、その他に俸給手帳があったそうで

退役の際には本人に返された

もしも所持者が戦死した場合は

遺品として遺族のもとに送られたそうだ





そうだよね。。。戦死したら遺族に渡してもおかしくないよね

日本軍はどうだったのかな?

ざっと調べてみたが、よく分からない

でも軍人手帳についての取り扱い規則はきっとあるはずだ

もう少し調べてみようかな。。。

大叔父の軍隊手帳はどこに行ったのだろう

※詳しい方がいらっしゃいましたら是非とも教えて下さい





続く…




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ミャンマーに思いを寄せて 1029

自衛官向けには自衛隊手帳と言う物が「売られて」いる

ダイアリーやメモ帳機能のほか

「服務の宣誓」や「自衛官の心がまえ」などが載っていて

陸海空各自衛隊部隊・機関等の組織編成、所在地一覧などの

資料も充実しているそうです

とにかく旧軍の軍人手帳とは全く違い

自衛官の身分証書は、米軍と同様のIDカードなんですって

もちろん退職時には、返却だそうです





また、陸上自衛隊には予備自衛官と言う制度があり

普段は一般の会社などに勤めながら

日頃から訓練を受け

有事の際には召集されて任務に就くのだそうです

その予備自衛官には3種類あって

「即応予備自衛官」、「予備自衛官」、「予備自衛官補」

即応予備自衛官の身分証明書は、自衛官と同じくIDカード方式で

予備自衛官と予備自衛官補は、それぞれ手帳がある

軍人手帳と同じような感じなんですね

ちなみに、警察官には警察手帳がある





そこで大叔父の軍人手帳はどこに行ったのか?とても気になった

大叔父の軍人手帳があれば、詳細が分かるのに。。。

個人携行とされている軍人手帳

記入は中隊などの人事係の仕事だと言う

皮の表紙で、布製の外袋が付いていたと言われる軍人手帳

戦闘中もポケットに入れて持ち歩いていたのかなぁ?

濡れたり汚れたりしない???ボロボロにならない???




続く…




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桜の季節に

読者の皆様へ


いつも読んで下さってありがとうございます

桜の季節になったのに、急に寒の戻りで雪が~

皆様、お変わりございませんか?





現状報告としましては

特に進展も無いまま、季節は流れています

この春も大叔父のお墓参りをしてきました

ちょうど伯父や伯母が庭先でお花見していました


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のどかですね~

お墓参りした日はポカポカと暖かでした





さて、今年は終戦から70周年の節目の年

切羽詰っているはずなんですけど

なんの根拠もなく

なんとなく大叔父の調査は完結を迎えるんじゃないかと

いつも楽観視している自分が居ます。。。なんでかなぁ(笑)





最近、読者様からコメントが寄せられました

(※livedoorプロフィールはメッセージは受け付けられますが

コメントは表示及び返信が、livedoorの機能により出来ませんので

ブログへのコメントは各ブログページのコメント欄よりお願いします。)

私のブログをご欄になって兵歴簿の存在や入手方法を

お知りになったそうで、ただいま奮闘されている方がおられます





こんなブログがまさかお役に立つなんて!

私の調査方法は、手探りで進めてきましたので

決してきちんとした賢い方法とは言えませんが

何らかのお役に立ったとすれば嬉しく思います

続けてきて良かったなぁと思う瞬間です





実は掲載をしていただいているミリタリー雑誌「丸」では

徐々に掲載期間が空き、3ヶ月に1度が現在は約半年に1度になっています

字数も当初は2万字くらいでしたが現在は5千字くらいに減り

この先はもっと減るようです

商業紙ですので人気の無い記事は干されていくのだろうなぁ

それでもお情けで掲載していただいていることに

感謝しなきゃいけないのですが。。。

掲載記事の内容は、まだ「特務機関」が出てきていない頃で

これから怪しい世界に急展開します

編集部からは、そこからが面白いのでそれまでの内容を省いて

もう特務機関にまで飛んでくれませんか?と言われた

フィクションでないため、計算された楽しい読み物ではないです

商業紙としては、じれったいのでしょう

様々な積み重ねでここまできているので正直なところ悲しいです





そんな折、このコメントがとても励みになりました

ありがとうございます

諦めずにもう少し頑張ってみようと思います

今後ともどうぞ宜しくお願いします




2015.4.11


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ミャンマーに思いを寄せて 1028

正式な文書は、後日、郵送して下さる

今、ブームで、いつもならすぐに取り掛かれるが

1ヶ月半くらいは、かかるとのこと

アドバイスもたくさんいただいて

とても親身になって下さり嬉しかった

ありがとうございました、頑張ります!




 
その他には、お役所に軍隊手帳など文書以外の資料はありませんか?

と尋ねてみた

なぜかと言うと、軍隊手帳と言うものは

旧日本陸海軍の下士官と兵に交付された手帳らしい

兵士の必須所持品であり、いつも携行し身分証明だったそうだ 
 
手帳の中には、軍人勅論、教育勅語や戦陣訓などのほか

個人の経歴として、入隊から除隊までの経歴や賞罰

部隊号、兵科、階級、得業、戦時着装被服のサイズ

本籍、住所、氏名、生年月日、身長などが

詳細に書かれていると言うのだ

ある意味、兵籍簿よりもリアルで詳細だ

大叔父の軍隊手帳が出てきたらいいのになぁ。。。






軍隊手帳は、個人携行されていたが

記入は部隊の人事係だったと言われている

各人に配布されたが、それは国として貸与していた形なのか

個人の持ち物だったのかどうか分からない

戦後、軍隊が無くなった日本において

軍人手帳は誰がどのように管理したのか分からない





現代の自衛官の方に聞いてみた

自衛官にも軍人手帳に似た「自衛隊手帳」と言う物があるが

それは、旧軍の軍人手帳の意味合いとは異なり

国から支給される物でもなく、身分を証明する物ではないそうです

民間のお店で売っていてるとのこと





えっ?売ってるの?私でも買えるんだろうか???

ついでにググってみた(笑)

あった!!!ネット通販されてる~、ビックリ

「自衛隊手帳」に興味のある方はこちら↓↓
http://www.asagumo-news.com/homepage/htdocs/asagumo-books/tecyou2015.html





続く…





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ミャンマーに思いを寄せて 1027

「兵籍簿に書かれていることが真実とは限りません」

との言葉に驚いた

なぜ担当者がそう思うかと言うと

昔、自分の兵籍簿の取得のために訪れた方がいて

調べるとその方は戦死したこととなっていた

生きてる本人が来てるのに…





恩給の関係で、生きている=軍歴表が間違っているという証明し

記録を修正するために大変ご苦労されたのだそうです 

その人は、大本営で情報関係の仕事をしていた人で

戸籍も死んだことにされていたとのこと





そのような経験があったから大叔父の件も

私の単なる妄想や作り話として笑われることなく

「そう言うことはあると思う」と言って下さったんだぁ





その方と比べると、大叔父の件は

「兵籍簿詐称の疑い」なだけであって

そのことにより、私が何か被った訳でもない

今まで無かったとされていた大叔父の行動記録の詳細が

出てきただけでも大きな収穫だと割り切るべきなのかなぁ。。。 





続く…




 
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ミャンマーに思いを寄せて 1026

担当者は、頭の中がパニックになって

今にも泣き出しそうな私を心配して下さっている

 「でも、この書類では、60連隊に居たと

書かれていますよ」と言う担当者に
 
現実には60連隊に居なくて

軍歴表が死後に作られていることなどから

死んだ後に、つじつま合わせで

60連隊に入れられたのではないか思っていて

兵籍簿が詐称されている可能性があること

別の任務を帯びて特務機関にいたのではないかと

思い、そのため調査を続けていることを話した





つまり、目の前にあるこの文書の内容は

嘘だとの結論に至り、再度、洗い直していると伝えた

70年も文書を管理して下さってありがとうございますと

言わなきゃいけないのに… 

親身になって協力して下さっている担当者に

気分を害されるかな?と冷汗をかいた

とてもとても申し訳なく思った

「ごめんなさい…」 ふと私は担当者に謝っていた





すると担当者は「そう言うことは、あると思います」と言った

続いて「兵籍簿に書かれていることが

真実とは限りません」と言われたのだ

失礼なことを言って、怒られるかもと思った私は

突然の発言にとても驚いた!




続く…




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ミャンマーに思いを寄せて 1025

なんだか泣きそうになった(TT)
 
担当者に何を言っていいのか分からない。。。





担当者から「なぜ大叔父さんの軍歴を調べているのですか?」

と聞かれた

母の遺言のようなもので、4年前から調べていることと

ミャンマーにも行ってきたことを伝えた

そして、実は、大叔父は60連隊に存在しなかったことが判明していて

未だにビルマのどこに居たのか分からないこと




 
その後の調査で特務機関にいたのではと思われること

通っていた○○大学からもその関連が出てきたこと

もしかしたら中野学校とも関連があるような気がすると話した





担当者に前回の謎の言葉「アケボノ」の話をした

一緒にくまなく探して下さったが

やはりアケボノのあの字も兵籍簿にはなかった

毎回、謎だらけのお役所

今回も腑に落ちない結果に。。。

でも、これしか大叔父に関する資料はないと言う





続く…





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ミャンマーに思いを寄せて 1024

出てきた書類にビックリする

いや~ん…何?何?これっっ

やっぱり気のせいじゃないと思うよ~

大叔父の兵籍簿は2種類あるのかしら?

でも今回拝見した兵籍簿もかなり年代物で

新たに作られた物ではなさそうだ。。。




 
担当者に「あの~…前回、拝見した物ではないと

思います」と伝えると

「そんなはずはない、これしかありません」と言われる

そうなのかなぁ。。。

まぁ、前回の内容をほぼ網羅しており

それ以上に詳しい書類も出てきたし

これで良しとしなければいけないんだろうけど。。。 





前回と書類が違うとの私の申し出に

担当者は、慌てて手当たり次第探して下さったが

それでも書類はこれしかなかった
 
…こんなことってあるんだろうか?

私、きつねにつままれているような気分だった





続く…





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ミャンマーに思いを寄せて 1023

うそ…何これ…

兵籍簿の証明年月日が前回と違う!!

えっ…なんで???





単に私が前回は写し間違えた可能性も捨てきれないけど…

でも、私は以前に仕事をしていた頃は

公文書を扱う仕事に長年従事し

文書の発簡番号や日付、発簡者はとても重要だと分かっている

急いで書き写したため、文書の内容の文字を

多少間違えることはあっても

発簡日を間違えることはないと思うのだけど…





だって前回、最後に何度も確認したもの…

更に驚くことに、戦時死亡者調書においては

決定的な違いがあった

紙が違うのだ!!

前回は、薄い油紙のような白っぽい紙だった

今回も似たような紙だったが

前回に確認したときは、ちょうど日付の箇所が

折れ曲がっていて、日付が読み取れなかったのだ

担当者も一緒に読めないですよねと

折れ目を確認したのを覚えている

しかし、今回も日付は消えかかっており

読み取れなかったのだが…

紙の折れ目がなかった(>_<)

いや~ん、なんで?なんで???




続く…




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ミャンマーに思いを寄せて 1022

出てきた書類を見て、ビツクリ!

種類が増えている上

なんだか、他の文書も変な感じがするんだよね

気のせいかな???

前回に写した文面と見比べる

ほぼ網羅しているから、たぶんこれなんだよね。。。





増えた(?)書類から新しく分かったことは

昇任年月日・候補生の指定年月日・

詳しい移動経路・参加作戦歴

とても詳細に記されている

しかし肝心の大事な所だけは

「大東亜戦役に従事ス」と曖昧な表現

伍長で死んで、特昇で軍曹になったことも分かった





何なのコレ…

こんなの前回には無かったってばっっっ(>_<)

私は唖然とした

それにしても、他の文書も何か違和感を感じるのよね、、、

何か違うような、、、気のせいかな…

落ち着け~私

じっくりと前回の写した文面と見比べると

決定的な違いを確認したのだった!!




続く… 




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ミャンマーに思いを寄せて 1021

「前後の他の方の分は見ないで下さいね」と言われながら

3年ぶりに懐かしい文書に目を通す





しかし、、、あれ?何だろう?

…何か分からないけど…この文書に見覚えがない…

えっ?えっ?なんで?

…単なる気のせいかな?

私の記憶違いかしら。。。





えっ!いや違う、やっぱり違うって!!!

見たこともない書類がある!!!

前回、3種類だった書類は、なぜか4種類に増えていた





今まで大叔父の兵籍簿は

歯抜けのようないい加減な文面しか無かったのに

とても詳細な行動記録が出てきた!!

うそ…何これ~ヒャーーーーーー




続く…




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ミャンマーに思いを寄せて 1020

問い合わせをいただいても、全員の兵籍簿があるとは限らず

あるかないか探すだけでも一苦労するのだとか 

開示請求のための用紙に

私の個人情報や、兵籍簿の本人の氏名や間柄を書いていると

担当者が「あの~、私、この苗字のお家は

他の地域で知っているんですけど…」と言い出した

あぁ、親戚だなと思い「はい、一族です」と言うと

担当者は更に親切になって 

信用していただけたようであった





担当者は例の可愛過ぎる名刺をまじまじと見ながら

「…もしかして、この調査のために

ライターになられたのですか?」と聞かれ

「はい」と答えるととても驚いておられた

この調査のためになったと言うか

調査の過程でしかたなくライターを始めて

ライターだと名乗る方が得策だと考えた結果なんだけど。。。





お役所からいただくことになる兵籍簿の写しは

先にも書いたように

証明権者など本人以外の者の名前は省略される

もうこのお役所には来ることもないかもしれないと思い
 
前回も拝見ているが、再度、目視で確認しようと思った 





前回に出して来られた棚を伝えると

すぐに見付けて持って来て下さった

大叔父のことが記された書類のある、古い古い綴り

分類はどのようになっているかは分からないが

他の人の書類もたくさんあり、その中の数ページが大叔父であった




続く…




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ミャンマーに思いを寄せて 1019

兵籍簿のコピーを渡すのは禁止されているとのことで
 
3年前も規則は変わっておらず

「そんなことが出来る権限を持った人は

誰だったのだろう?」と担当者は不思議がりながら
 
「いやぁ~、今、まいってるんですわ。

あのテレビ番組を見て来られたんですか?」と…

えーっと、テレビ???





何事かと思ったら、数日前にテレビのローカル番組で
 
終戦記念日の特集として永遠のゼロにあやかって

「軍歴の調べ方」みたいな放映があり

兵籍簿はお役所の援護課にありますと大きく取り上げられたことから

兵籍簿の開示請求が相次ぎパンクしているとのこと





戦後すぐには、ご本人が恩給やお見合いや就職の際に

取り寄せられたことはあったが
 
その後は大した動きもないまま

兵籍簿が役所に残っていることすら知られておらず

ひっそりと静かな職場だったそうです

それが、そのテレビ番組のおかげで(?)

近年稀な忙しさでてんてこ舞いだとのこと 





「来られる前に、電話を入れてくれてますか?」と聞かれ

「軍歴が残っていない人もいるので

まずは調べてからでないと」と邪魔くさそうだった

3年前にも拝見した旨を伝えながら資料を見せると

ブームに乗ったにわかマニアと違うと分かってもらえ

「前に来られて兵籍簿を確認されてるんでしたら

あることは確かですから、すぐに出せるので待っていて下さい」と
 
機嫌が良くなり、張り切って下さった

3親等の件も、気付いておられたが、スルーして下さった

ありがとうございます
 



続く…





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