ミャンマーに思いを寄せて

亡き母の思いを果たすべく、ビルマで戦死した大叔父の足取りをたどる私の奮闘記録☆

2015年12月

ミャンマーに思いを寄せて 1275

ハガキの謎は解明しないまま

私の心はモヤモヤとしていた





そう言えば、このハガキと一緒に

見つかった手紙もあったなぁ

その手紙は、大叔父が下宿していた姉婿宅の

姉から私の祖父に宛てられた手紙であった

つまり、大叔父の姉から大叔父の兄へ

兄弟間で交わされた手紙である

祖父は長男で、年齢的にも1番上であった





その姉からの手紙の中に

「達(とおる)の遺骨が…」と言う文言が

読み取れたので

慌てて一緒に持って帰ってきたのだった





遺骨って何???

大叔父は白木の箱に入って帰ってきたが

その白木の箱を受け渡し場所まで

受領に行ったのは、祖父と伯父であった

大叔父の留守宅先として届けてあった

兄である祖父のところに連絡がきて

年老いた曾祖父ではなく

祖父は自分の子供を連れて

白木の箱を受け取りに行った





その箱を首から下げて

持って帰ったのは伯父であった

「遺骨とか、何も入っていなかった」と語っていたのに

手紙の中の遺骨って???

もしかしたら、下宿先の姉婿宅に

役所とか戦友からとか

何らかの形で遺骨が帰ってきてたの?





続く…






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ミャンマーに思いを寄せて 1274

中野のおじいさんはお耳が悪い

そのため、電話は一方通行

だから事前に手紙で聞きたい項目を書いておいた





手紙が到着したらしく

おじいさんからほどなくしてお電話をいただいた

お元気そうな声が聞けてとても嬉しい

大叔父と同じく大正7年生まれ

御年96才(2015年現在)のおじいさん





おじいさんは、14年兵で

「私は志願兵です!」と誇り高く

昭和13年に歩兵60連隊が再編復活してから

14年兵は、実質の最古参

歴戦練磨のたたき上げの軍曹殿である





そのおじいさんに大叔父のハガキを見てもらうと

先の60連隊の慰霊祭のおじいさんと同様

「手紙など出せる状況ではなかった」と言われた





おじいさんは軍曹と言う地位だったから

状況下の雰囲気に配慮して出せなくて

大叔父は新兵だったから何も気にせず出せた?

軍曹殿が出せない状況で

新兵が手紙を出せたなんて

序列の厳しい旧軍において

そんなこと出来たのであろうか?

と私は1人考えていた





すると、おじいさんは続けて

「私は大叔父さんは、60連隊におられなかったと

思います。手紙が出せるような、もっと後方の

別の部隊におられたと思います」

と言われたのであった





あっ…やっぱり。。。

当時を体験されているおじいさんの言葉は

何よりも真実に近いような気がした

私の仮説は間違っていないのよね

ありがとうございます

私はまた勇気と元気をもらったのであった

おじいさん、どうか長生きして下さいね

そしてまた色々と教えて下さいね

おじいさんがお元気なうちに完結したい

早く良い結果報告が出来ますように





続く…




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ミャンマーに思いを寄せて 1273

歩兵60連隊の慰霊祭に出席したが

結局、ビルマからの謎のハガキの

解明には繋がらなかった





東京に帰ってしばらくして

ふと中野のおじいさんに聞いてみようと思った

中野のおじいさんとは

全ビルマ会では最後の歩兵60連隊の方

昔々は本拠地の京都の他に

東京にも「東京60会」があった





このおじいさんは、大叔父と同じ第一大隊だ

第一大隊のみ本体の60連隊を離れ

烈師団の山本支隊への編入組である

残念なことに中隊は隣の4中隊であるが

全ビルマ会のご縁で

大変調査に協力して下さっている方であった





早速、おじいさんに手紙を出した

中には大叔父のハガキのコピーを添えて

おじいさんはこのハガキに何と言うだろう?

何か分かることはないだろうか?





続く…





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良いお年を!

読者の皆様へ


いつも読んでいただきありがとうございます


お忙しい年の瀬をいかがお過ごしですか?

クリスマスも過ぎて、今年もあとわずかですね

私は数日前にミリタリー雑誌「丸」への

原稿を仕上げ、一気に帰省準備に突入

何かとバタバタとしています





原稿の方は、何とかリクエストの「中野」と言う

言葉が出てくるまで、短縮して飛ばしました

なのに…「結末はどうなってるの?

エンドありきの話じゃなきゃ」って(T T)

今更そんなこと言われましても、、、丸さん

商業誌に載せていただくだけで

感謝しなきゃいけないのですが…つらいです

自ら選んだイバラの道、頑張るしかないのですよね

グチを言って申し訳ありませんm(__)m

どうかどうか読者様に興味を持ってもらえて

情報提供に繋がりますように





先日、テレビで「戦後70周年の節目」と言う言葉について

「70年でも、69年でも71年でも、節目なんて関係ない」

と言う話を聞き、その通りだと思った

故人を偲ぶ思いに節目は関係ないよね

それと、広島の原爆資料館には

今でも当時の資料が増え続けているのだそうです

今年も新たに800点以上の遺品が寄贈された

「あの戦争はまだ終わっていない、風化していない」

と言うようなコメントを耳にして

うんうんと、大きくうなずいた私でした

これから新たな遺品や資料が出てくる時期なのかなと

遅くから調査を始めたことが

マイナスだらけではないのかもしれないと

良いように考えようと思った





元来からポジティブなワタクシ

七転び八起き、嫌なことの後にはきっと良いことがある

この調査で強くなったのかな?不屈の精神は成長中かも

お正月の歩兵60連隊の慰霊祭が楽しみです

皆様も健康に楽しく年末をお過ごし下さい、良いお年を



2015.12.27



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ミャンマーに思いを寄せて 1272

映像会社の方に、大叔父はスパイだったと言われ


えっ?何を根拠に???


私の調査は、かいつまんでしかご存知ないのに…


スパイって何よ、スパイって

なんだかとっても嫌なんですけど~(T T)エーン






この写真は何のために撮影されたのだろう


そして何に使われるのだろう…


HN○特有の偏った思想の番組に


「スパイからの謎の手紙」とか「悲劇の○○」とか


勝手にでっち上げて使われないかしら…


ちょっぴり不安になった






「そんな人は知らない・いなかった」と言われ続け


挙句の果てには「スパイ」とまで言われますか…


大叔父さん、ビルマのどこに居たのですか?


どんな任務であっても構わない


でもスパイじゃないと思いたい、、、


あなたの名誉のためにも


やっぱり私はこの調査を続けようと思います





続く…





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ミャンマーに思いを寄せて 1271

私とおじいさんとの間で

映像会社の方は熱心に話を聞いておられた

おじいさんとの会話が一段落したところで

映像会社の方に

「でもね、このハガキ…大叔父が書いたものでは

ないのですよ」と言ってみた





裏と表で全く違う筆跡

映像会社の方は驚かれて興味を持たれたようだった

「これ、写真に撮らせていただいて宜しいですか?」

と尋ねられたので私は了承した





写真に収めながら映像会社の方は

「大叔父さんは確か、スパイをされていたのでしたね」

と突然言い出した

はい?…スパイっっ??

戦史が分かっておられない方は

特務機関=怪しい=スパイ

のように思っておられるのだろうか

悪気は無いとは思うけど、スパイって

おいおい、もう少し言い方を考えてよねと言いたかった





ちょうど、少し前にNH○の特集番組で

パールハーバーで民間人のフリをして

スパイ活動をしていた方が

戦後になって、騙していた現地の方達に

ほんとうのことを伝え、謝罪をしたと言う話が

放映されていて

大叔父もそう言った任務だったのでは言われるのである




続く…




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ミャンマーに思いを寄せて 1270

私が差し出した大叔父のハガキを

おじいさんは手にしてマジマジと見ていた

すると、えっ?と言う顔をして、大変驚きながら

「これ、うちの部隊や!!」と叫んだ

そうです、第七三六八部隊とは

歩兵60連隊のことである





お耳が悪く、元々から声が大きなおじいさんが

更に大きな声で叫んだのである

このハガキはビルマから来た大叔父の

手紙だと説明するとより一層驚かれた





「へぇー、ビルマからの手紙がありましたか~

それは大叔父さんは大したもんやで!!」と

言って下さった

何がどう大したものかまでは分からなかったが

60連隊に居て、ビルマから手紙を出せたことが

信じられないと言う感じに受け取れた





ハガキの表に検閲済みの印鑑が押してあった

「ここに印鑑を押す人は誰ですか?」の問いに

「これは、検閲者の印鑑で

普通は中隊の先任者やな」と言われた

大叔父のハガキには、たぶん「金井」と読み取れる

印鑑が押してある

機関銃中隊に「金井」さんと言う人は

いましたか?と質問したが、分からないと言われた




続く…




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ミャンマーに思いを寄せて 1269

お正月で賑わう寒い京都の小道を抜けて

大通りに面した、いつもレストランでの会食

お食事もほどほどに私は行動を開始した





私の前に座っておられた旧軍の方は

60連隊ではあるがビルマとインパール作戦を

経験されていなかった

私の話を聞いて下さったが

「それやったら、○○さんに聞いた方がええ」と

そこで、もう1人の旧軍さんに聞くことにした





この会食には、旧軍の方と、その遺族

そして旧軍さんの証言DVDを作成された

映像会社のご夫婦が参加されていた

この映像会社の社長さんは

元NH○の方だそうで

その放送局に今も顔が利くと言っておられた





もう1人の旧軍のおじいさんの席に移動した

おじいさんは耳が悪く

私からの質問はほぼ筆談であった

「ビルマから手紙は出せましたか?」との質問に

「そんなもん出せまへんでした」

「出したらダメだったのですか?」との質問に

「出したらあかんのとちゃいます。

出せるような状況やなかったんですわ」

出したらダメではなく、出せる状況じゃなかった。。。





そして、私はビルマから来た大叔父のハガキを

おじいさんの目の前に差し出した




続く…




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ミャンマーに思いを寄せて 1268

2015.1.2

歩兵60連隊の慰霊祭が

京都市・東山の霊山観音内にある

慰霊碑で行われた





とっても残念なことに

大叔父と同じ中隊のおじいさんは欠席だった

それでも旧軍の方が数名と

遺族等関係者が大勢集まった

大きな観音様の横手の細道を軽く登る

私には少し足下の悪い小道程度だが

お年寄りは数段の階段を上がるのも

苦労されている

その度に男性陣が介添えして

数人がかりで抱えるように坂道を登る

おじいさん方は、そうでもして

戦友の慰霊祭に参加したいのであった





慰霊碑にお酒やお菓子などのお供え物をして

皆で般若心経を唱えた

大叔父もここに祀られているのかな?
 
ほどなくして慰霊祭を終え

一行は近くのレストランでの会食に移動した




続く…





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ミャンマーに思いを寄せて 1267

調査を止めようと思えばいつでも止められる

止めても誰にも迷惑はかけない

単に私の気持ち次第なのだと

今回はそれを改めて認識した





泣き言を言う時もある

だけど「止める」と「終える」では違う

大川塾出身の元光機関員のおじいさんからの

調査報告もまだである

調べなければいけないことも山積みで

この調査はまだ終わっていない

納得が行くまで突き進んでもいいのではないだろうか





もうすぐ歩兵60連隊の慰霊祭に参加する

そこでどんな見解が出るのか楽しみである

会長さんに参加の旨を連絡した

「大叔父と同じ中隊のおじいさんは来られますか?」

と尋ねると

「きっと来られると思いますよ。

○○さんは月参りの清掃にも自転車で来られますから。」

とお元気な様子であるとお聞きし

ホッとしたのだった




続く…





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ミャンマーに思いを寄せて 1266

このハガキの真実を想像しようとしても

考えれば考えるほど分からなくなる

様々な状況が考えられるからである





乙幹だった??大叔父は

昭和18年の終わりから60連隊に居た??

何が真実なのか全く分からない

いずれにしろ、それでもビルマから

他人が書いたハガキが届いていたことと

60連隊の同じ中隊の方々は

大叔父のことを知らないことだけは真実である





当時をご存じの方にこのハガキを見てもらえば

何かが分かるかもしれない

私は前向きに考えて

お正月明けにある

60連隊の慰霊祭に備えたのであった




続く…




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ミャンマーに思いを寄せて 1265

軍事関係に詳しい人の見解では

甲種合格を親に伝えたら

学校に行くために本土に帰ってくると

期待するだろうから親には伝えない???

まぁそんな考え方も出来なくはないかなぁ

それ以外だったら組織的な偽装工作???

なんだかなぁ、、、

どれもこれも決め手としてパッとしないわ





じゃあ「表記中隊に入り軍務に従ひ

居ります」が怪しい???

ほんとは別の部隊にいるのだけど

特務機関だった場合

それを書くことは出来なかった???

う~ん、よく分からないなぁ、、、

いずれにしても

これからインパール作戦に向かう時期

大事な時期なのである





あっそうだ!!もうじき歩兵60連隊の

慰霊祭に参加する

その時に持って行って聞いてみよう




続く…




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ミャンマーに思いを寄せて 1264

ただいまです!お待たせしました 

更新が遅くなり申し訳ありませんm(_ _)m



「乙幹に採用され」が大叔父に見られては

面倒なことになる内容だった場合

と仮定したら、そこから何が見えるのか?





本人に甲種不合格で乙種だと

嘘を伝えていたとしたら

大叔父は乙種だと思い込んでいるので

代筆して隠すことは必要ない

そうすると、隠す必要があるの場合は

本人は甲種だと知っているが

親にだけ乙種だと伝えることである





もし、親にだけ甲種に不合格し乙種だと

嘘の手紙を出したなら

大学まで行っていた大叔父のプライドを

傷つけることとなり

そんな嘘を「なぜつかなければいけない!」と

怒るかもしれない

では、なぜ親にだけ嘘を伝える必要があるのか

について考えてみた




続く…




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スミマセン!

読者の皆様へ


いつも読んでいただきありがとうございます


昨夜は、ブログ記事を書きながら

半分、寝ていたようです(-_-)zzz

本日はお仕事でお出かけ中ですので

大変申し訳ありませんが

本日の記事更新は20時以降を予定しています

どうぞ宜しくお願いしますm(._.)m


2015.12.19






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ミャンマーに思いを寄せて 1263

軍事関係に詳しい知人と

真実は何なのかは分からないけど

とにかく、このハガキの意味について考えてみた





裏面の本文を他人が書かなければ

いけない理由。。。

良いように考えれば

大叔父が部隊に合流したばかりの上等兵で

軍事郵便に不慣れで

書き直しや検閲の手間を省くため

軍隊流の模範的な手紙の書き方で

係りの方が代筆して下さったとも考えられる





一方、勘ぐって悪いように考えると

内容を大叔父に見られては面倒なことになる場合

では、この場合、都合の悪い部分とは何か?

「乙幹に採用され」と「表記中隊に入り軍務に従ひ

居ります」が引っかかった





甲種ではなくて、乙種、、、

甲種と乙種の差は様々な面で大きいが

何が違うかと言えば

甲種の場合は、原則として学校で教育を受けること

すなわち予備士官学校に行くことだ

予備士官学校は、本土にあった他

南方軍では南方軍幹部候補生隊

ビルマ方面軍では、緬甸幹部候補生隊

と言うものもあったようである

乙種の場合は、原則として部隊で教育を受ける





これからインパール作戦に向かう多忙な時期

学校に行かれると困るのよ、、、






続く…





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原稿書いています♪

読者の皆様へ


いつも読んでいただきありがとうございます


ここ数日は暖かい東京です

この週末はお仕事の展示会がありますが

「丸」さんの原稿締め切りにも追われています

年末と言うことで、いつもよりかなり早い締め切り日

でも、掲載してもらえるので頑張らないと、ファイト!!





今回の掲載分で、どこまでの話が載せられるか

まだ分かりませんが

特務機関の話が出てきますので

以前の記事とは、ガラリと雰囲気が変わります

新たな展開に、丸の読者様が興味を持って下さり

情報提供に繋がればと願っています





小刻みなブログ記事を繋げて

いかに上手くまとめるかに苦労しています

1月末発売号をどうぞ楽しみにしていて下さいね

風邪をひかないように頑張ります

皆様もどうかお体に気をつけて

何かと忙しい年末をお元気にお過ごし下さい

いつも応援して下さりありがとうございます




2016.12.17




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ミャンマーに思いを寄せて 1262

他人が書く理由を色々と考えてみた

もしも大叔父が偉い人だった場合

「おい、ちょっと書いておけ」と人に頼むことも

あるかもしれないが

上等兵の大叔父には、あまり考えられない

「書いといてやるから、宛名だけ書け」と

言われたのかもしれないが

宛名を書く余裕があるならば

裏面も書けるのではないだろうか。。。

ましてや、文字が書けない人ではない

しかも、書かれている文字は

大叔父の字より下手である

手を負傷していたのであれば

宛名さえも書けないだろう





手紙も自由に出せず

これから大きな作戦に突入する状況で

もしかしたら、この手紙は

最後になるかもしれないと思ったら

人になんか書かせるはずはない

残念ながら、正に最後の手紙と

なってしまったのだけど…





「今は唯萬歳を唱える日を待って居ります」

なんて、模範例のような遺書めいたセリフ

当時は誰もが書いていたのかもしれないし

なかなか出せない手紙を出させてもらって

状況を知らせて下さって

ありがたいと思いつつも

よくもまぁ、他人様が書けたものだと

現代に生きる私は

呆気に取られてビックリしてしまった




続く…




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ミャンマーに思いを寄せて 1261

他人が書いた大叔父の手紙

それは一体、何を意味するのだろう。。。





まず、その当時の60連隊の様子について

同じ大隊の隣の4中隊のおじいさんは

(中隊最古参の軍曹)

ビルマに入ってからは写真もないし

手紙も書けなかったと証言している





それは、作戦行動に入ったためなのか

禁止されていたのかどうかまでは分からない

ただ、隣の中隊だけの話ではないと思う





まだインパール作戦が始まっていない時期だが

大叔父においては

入ったばかりの新兵に等しい

それなのに手紙を出すことが出来た。。。

しかし、それは他人が書いたもの。。。

なんだコレ?どう解釈しろと言うのだろう




続く…




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ミャンマーに思いを寄せて 1260

いや~ん、なんじゃコレ

すんなりと調査は終わらない、、、

と言うより「まだ諦めるな」と言われているようだ





新たな発見により、パスルのような駒は

何かしら埋まっていっているのだろうが

全体像は益々分からなくなっていく

どんだけ~

普通、これだけ遺品や証言が揃っていたら

もうとっくに調査が終わっていたっておかしくないでしょ

至って普通でいいのよ、普通で





お願いだから、この件に関わった昔の人~

遺族が疑問を持つようなことを残さないで下さいーーー

嘘でも何でもいいから

騙すなら綺麗に騙して下さいよぉぉぉ(TT)





他人が書いた、大叔父の手紙、、、

どうしてこうなるの?

大叔父さん、これはヒントですか?

ここから何を分かれとと言うのですか?

難しすぎますよ~(><)




続く…




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ミャンマーに思いを寄せて 1259 

ほんとだ…

ハガキの表と裏は字が違った

表書きの宛名は確かに大叔父の文字

しかし、裏面の文章は別人の文字であった





私だって走り書きのようなメモ書きは

いい加減な文字を使ったり

用途によって文字を数種類使い分けている

大叔父の文字も丁寧なものから

急いで書いたであろう文字をも見たことがあるが

しかし、これは完全に違う人の文字だぁ、、、

言われてみて初めて気が付いた





えーっと、これってどう言うこと???

どう解釈すればいいんだかっ(>_<)

も~何が何だか分からないよーーー

調査は終わりかなと思った瞬間

別の展開があったのは嬉しいのだけど

益々、訳の分からない状況





例えば、別人が手紙を書いていたとしたら

この手紙の内容は

どう受け止めれば良いの???

そもそも、なんで他人が手紙を書くの???

あれれ…調査は続くの?




続く…




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ミャンマーに思いを寄せて 1258

凹んだままの私の耳に

「おいっ!これ…おかしいぞ!!」との声

…???はい?何ですか?

何がおかしいと言うのだろうか。。。





軍事関係に詳しい人は

「これを見てみなさい…」とハガキの裏面を指差す

文章がおかしいと言いたいのだろうか

どうせ、乙幹のことなら分かってる、、、

「このハガキ…大叔父さんと別人が書いている」

えっ?ええええええぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ





私もよ~く見てみた

ほんとだ!!表書きの文字と裏面の文字が違う

えっ?えっ?いや~ん、何コレ、、、、

RIMG2323






(表面)

RIMG2324






(裏面)




続く…





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ミャンマーに思いを寄せて 1257

すんごい手紙の発見にビビるくらい

心底喜んだのに、思いもよらない内容に凹んだ

なんだか、私の心は単純すぎて

その度に振り回される





もうこの調査は終わりになるのかなぁ。。。

終わる時って急にやってくるんだね

自分が終わりだと思ったらいつでも終われるんだぁ

もっと『ゴール~!!』と喜ぶ様子を夢見ていたので

正直、悲しかった、、、





2014年もあと数日

年末の家の雑事に追われて忙しいのに

はぁ~とため息ばかりが出る

心の中はポカンと穴が開いたようだった

この大叔父の調査のために

毎日、毎日休む間もなく勉強を続けてきた

気が付けば、もう5年ほど経ち

私の生活の一部となっていたのかも

私は想像力豊かに、あ~でもない・こ~でもないと

勝手に妄想して何をやっていたのだろう、、、

素人だからとバカにされた人達に

「絶対、この兵籍簿はおかしい」と証明したくて

意地になっていたのかなぁ、、、





そんな中、軍事関係に詳しい人に

大叔父からのハガキを見てもらう機会を得た

このハガキが引き金となって

調査を終える覚悟を口にした

すると、その人がハガキをマジマジと見ていて

「おいっ!これ…おかしいぞ!!」と言い出した





続く…





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ミャンマーに思いを寄せて 1256

兵籍簿に記されていることと

大叔父からの手紙

どちらかを信じるとしたら

もちろん大叔父の手紙となる。。。





大叔父が甲種幹部候補生でなく

乙種だった場合

同じく機関銃中隊の生き残りの

甲種幹部候補生の集合教育を

受け持っておられたおじいさんが

大叔父のことを知らなくとも

おかしくはないのよね、、、

このおじいさんが

「そんな人は知らない・いなかった」と

証言をされたのは

この調査に大きく影響している





もしかしたら、私の仮説が

根底から覆る事態となるかもしれない

大叔父が、きちんと60連隊に居て

幸運にも700km離れた兵站病院で

息を引き取ったのであれば

全て丸く収まる

苦労して調査なんかする必要はないのである

調査を終えるならば

嬉しいと思わなくちゃいけないよね

兵籍簿を疑わずに

様々な疑問符は、単なる間違いとか

たまたまが重なっただけと思おうかな

何だか悲しくなってきた。。。




続く…




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ミャンマーに思いを寄せて 1255

う~ん、なんだかよく分からない(>_<)

昭和19年の新春には乙種幹部候補生

昭和19年5月24日には軍曹甲種幹部候補生

またまた昭和19年7月24日には

同日甲種幹部候補生ヲ命レ軍曹ノ階級ヲ與





乙種の幹部候補生に指定されてから

その後に甲種の幹部候補生に指定される

なんてことがあるんだろうか?

死んだから特別昇進して?乙種が甲種になったとか?





でも、軍事関係に詳しい人に聞いたけど

そんなことはあり得ないと言う

う~ん、う~ん、でもでも、じゃあ、大叔父の件は

どう解釈すればいいの





兵籍簿が間違いor大叔父の手紙が間違いか?

それとも大叔父が勝手に

甲種不合格と思い込んだだけなのか?

でも、この手紙に書かれていることが

きっと真実なんだよね。。。




続く…




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ミャンマーに思いを寄せて 1254

兵籍簿には日付の違う2回の甲種・軍曹の指定

しかも、その2回ともがおかしな日付

そして、本人からの手紙には乙種の指定、、、

…えーっと、これってどう言うこと???





昭和19年の新春のハガキ

まだインパール作戦も始まっていない

祭師団は、タイとビルマ国境での

道路工事を終えて

インパール作戦に向けて移動中である

移動中だったから、人事発令通知が届かず

大叔父は乙種と思い込んだのであろうか?





もしも、兵籍簿が正しくて

甲種の指定の日付も正しいとすれば

昭和19年5月24日は、大叔父にとって

最後の参加作戦が終わった日で

中隊は既に玉砕していて

その2日後の26日には

前線を離れて病院に搬送される、、、

大叔父本人は、生死を彷徨っており

甲種であるとか軍曹になったとか

知らなくともおかしくはない





そして、もう1つの甲種・軍曹指定の日は

大叔父が戦病死した日付なので

本人は知るよしもないのである

えっ?!…もしかして、大叔父は

乙種だと思い込んだまま亡くなったのだろうか…




続く…




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ミャンマーに思いを寄せて 1253

以前にも書いたが

大叔父の兵籍簿には謎が多い

「官等級」と言う別の欄に

走り書きのようにはみ出て

「昭和19年5月24日 軍曹甲種幹部候補生」と

書かれているのと

戦病死した昭和19年7月24日の最後の行には

「同日甲種幹部候補生ヲ命レ軍曹ノ階級ヲ與」と

書かれている





どちらの日付が正しいのだろう?

甲種の場合は、普通であれば

昭和19年5月1日に軍曹になるはずであった

いやいや、そもそも甲種なの???

大叔父は乙種幹部候補生に採用されたと

ハガキに書いている

乙種であった場合には、

5月1日に伍長になるんだけど、、、





大叔父の兵籍簿は

昭和18年の11月に上等兵に昇進した後には

各作戦への参加は書かれているものの

戦病死するまでの8ヶ月間

甲種・乙種の区分や昇進類は

何も書かれていなかった





※今、記事を書いていて気付いたんですけど…

2つの甲種幹部候補生・軍曹の指定日

「昭和19年5月24日」と「昭和19年7月24日」

偶然だろうけど、どちらも24日なのね、、、

大叔父が亡くなる2ヶ月前の日付

何とも中途半端な5月24日って何だろう?

いや~ん分からない(>_<)




続く…




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ミャンマーに思いを寄せて 1252

大叔父は甲種幹部候補生ではなく

乙種の幹部候補生だった?

このハガキではそう書かれている





大叔父の兵籍簿と照らし合わせてみよう

幹部候補生は、兵として在営4か月以上が

条件であり、採用時に一等兵→

採用後におおむね部隊教育2か月で上等兵→

採用後3か月で甲種・乙種に区分に至る

(昭和13年4月時点での改正陸軍補充令により

定められた規則)





大叔父が幹部候補生の指定を受けたのが

昭和18年の10月1日

同日付けで1等兵に昇任

昭和18年11月20日に上等兵に昇任

この後の3ヶ月後に当たる昭和19年1月1日に

甲種もしくは乙種が決まるはずである

しかし、大叔父の兵籍簿には

甲種・乙種の区分は書かれていなかった




続く…





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ミャンマーに思いを寄せて 1251  

大叔父のビルマからのハガキ

本文の内容にかなり衝撃を受けた

どう解釈したら良いのだろう。。。





【謹みて十九年の新春を御祝申し上げます】

この文章で、昭和19年のお正月だと分かる

【幹部候補生受験の結果は

残念にも乙幹に採用され期待に沿ひ得ず】

問題はこの一文である

乙幹に採用って、、、

兵籍簿では甲種幹部候補生となっている

どういうことなんだろう?





この一文が正しいとすれば

兵籍簿が間違っているのか?

大叔父と同じ歩兵60連隊の第1大隊の

機関銃中隊の生き残りのおじいさんが

甲種幹部候補生の教官だったことから

「この時期の幹部候補生は

自分が受け持ったと思うが、その中に

大叔父さんはいませんでした」と証言されたのは

大叔父が乙幹であれば、当然のことである

甲種幹部候補生じゃなかったに

そのおじいさんが大叔父を知らなくても

しかたがないことなのかもしれない





私の今までの調査は無意味だったのだろうか。。。

大げさに想像力豊かな妄想で

騒いだに過ぎないのかも、、、

私の推測は間違っていたのかなぁ、、、




続く…




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ミリタリー雑誌「丸」さん・ご報告

読者の皆様へ


いつも読んでいただきありがとうございます



皆様に嬉しいご報告です☆

さて、数日前に「丸」さんのお話を書きました

すると、、、すぐに「丸」さんから

「1月末発売号にミャンマー記事の続きを

掲載しますのでお願いします」とお電話あり

えっ?ほんとですかっ!!キャー嬉しいですっっ

でも、すごいタイミングだったのでビビリました





これは単に偶然のタイミングなのか

読者様の中に「丸」関係者がいらっしゃるのか

はたまた、「ハガキを出して下さい」と懇願してたので

読者様が「丸」さんにメールなりして下さったのでしょうか?

何はともあれ、ご心配をおかけしましたが

皆様のおかけで良い方向に向かい、ありがたい限りです

ちょっと早いクリスマスプレゼントのようです

嬉しいです、ありがとうございます!!

これでまた私は希望を持って頑張れます





たくさんの方の目に触れることで

大叔父に関する情報提供が増えますように

これからも発信を続けてまいります

いつも応援くださりありがとうございます




2015.12.4




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ミャンマーに思いを寄せて 1250

問題の裏面の本文、、、

RIMG2324






以下、本文

『謹みて十九年の新春を御祝申し上げます

其の後は以外に御無沙汰致し申し訳ありません

幹部候補生受験の結果は

残念にも乙幹に採用され期待に沿ひ得ず

唯今表記中隊に入り軍務に従ひ

居ります故御安心下さい

今は唯萬歳を唱える日を待って居ります

父上様には御老体故充分御自愛の程

兄上様達にも宜敷御傳下さい』





えっ?えっ?ええええぇぇぇぇぇぇぇぇぇ

乙幹???あの~、えーっと




続く…




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ミャンマーに思いを寄せて 1249

宛名は曾祖父(大叔父の父)

住所は祖父のお寺であった

当時、曽祖父は退職し山形から出てきていて

祖父のお寺に居候していた

差し出しは「緬甸派遣祭第七三六八部隊眞崎隊」

と書かれている

そして大叔父の氏名





第七三六八部隊とは歩兵60連隊のこと

眞崎隊とは、中隊長が眞崎さんだった

第1大隊機関銃中隊で、大叔父の所属先である





このハガキの出現により

大叔父は自分の所属部隊を知っていたことになる

私の推測では、死後に60連隊の第一大隊の

機関銃中隊に突っ込まれたのではないかと

思っていたので、それは違うことが判明





そして、裏面の本文を読むと

どう解釈していいのか分からないことが書かれていた




続く…





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ミャンマーに思いを寄せて 1248

大叔父のハガキほかを持ち帰り

心を落ち着かせ、ゆっくりと見てみた。。。





確かに大叔父の字である

会ったこともない大叔父だけど

なつかしいような、いとおしいような

ハガキの文字を見るだけで涙が出そうだった

大叔父が生きていた証

よくぞ残っていてくれたビルマからのハガキ

そして私の前に現れてくれてありがとう


RIMG2323






軍事郵便と書かれたハガキ

軍事郵便と言う言葉は知っていたが

見たのは初めてだった

約70年前の戦時中に

海を渡って遠い異国の地ビルマから来たのね

これが大叔父の遺品の中で

1番最後に大叔父が触れた物である




続く…




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