ミャンマーに思いを寄せて

亡き母の思いを果たすべく、ビルマで戦死した大叔父の足取りをたどる私の奮闘記録☆

2016年01月

ミャンマーに思いを寄せて 1301

大叔父はビルマで通訳をすると家族は聞いていた

光機関の”通訳”の方は

どのような部隊に随行して

どこら辺の地域まで行っていたのか

気になったのでおじいさんに聞いてみた





すると、光機関の通訳は

中野学校卒の人とワンセットで動いたらしい

そしてその人達は、更にインド国民軍の偵察チームと

一緒になって活動したそうだ

そのグループは、部隊よりも前で活動する

どこかの部隊にくっついて行ったのではなく

単独で独自の活動をしたのだそうだ





それらのグループは、インパール付近の

第一線にまで投入された

特務機関だからと言って

後方で活動していただけではないようだ

部隊よりも遥か前方まで敵地に潜入し

イギリス軍のインド人兵に投降や離反を呼びかけた

光機関の通訳要員は

私が想像していた”通訳”とはかなり違った

考えただけでもとても大変であったと察する




続く…




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ミャンマーに思いを寄せて 1300

おじいさんの話を聞いていると

時々、ご本人の話なのかお友達の話なのか

分からない時もあった

話をされるのがとても楽しいようで

おじいさんはノンストップで機関銃のように

話をされている。。。お体は大丈夫かしら?





話の中で「○○さんがね」と名前を出されるのだが

私は全くおじいさんの交友関係を知らないので

誰のことか分からないことも多かった

戦時中以外のお話もたっぷり話して下さって

たくさん質問を用意していった私は

先に進めず苦笑い

おばあさんが時々、加わって下さって

おじいさんは何度も注意されていた(笑)





私の認識では、おじいさんは光機関の教育隊に

入ったままだったと思うのだが

本部にずっと居て、教育隊には入っていなかった

と言う主旨の話も伺った。。。どっちかな?

どちらにしても、おじいさんは

ラングーンから出たこともなく

北部大佐も大叔父の○○大学から派遣されていたA氏の

名前もご存知なかったので

まぁ細かいところはいいっかぁ~と流してしまった

(おじいさん、ごめんなさい)





そんなこんなで、興味深い話もたくさんお聞きしました

少しずつ紹介していきますね♪





続く…





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ミャンマーに思いを寄せて 1299

おじいさんの他の大川塾卒の方は

大叔父を知らないと言われた

その方が光機関員だったかどうかは分からない

さすがに大叔父が大川塾生だったとは

私も思っていない

他の光機関の方で大叔父をご存知の方は

いらっしゃらないのだろうか?





するとおじいさんは

光機関の方は東京・杉並区にある

チャンドラボース氏関連のお寺で

集まっていることを話された

それは私も知っていた

でも、その集まりも現在は会員が少なくなり

数年前に終わったらしい





私は防衛研究所にあった光機関の名簿の中に

大叔父が入っていなかったことを

おじいさんに話した

するとおじいさんは「私も兵籍が証明出来なかったことから

光機関の集まりには行ったことがないのですよ」と

言われた





そっか~、おじいさんは光機関の方達とは

お付き合いが無いのか。。。残念

そにしても、本人が光機関に居たと証言しているのに

光機関の集まりに行けないなんて、かわいそう

あの名簿に載っていないであろうおじいさん

偶然にも稀なケースの方と出会い

やっぱり大叔父の仮説もおかしくないと思ったのであった

何が起きても不思議でない

激動のビルマ、そして特務機関

月日は流れ70年経った今

おじいさんは、そんな数奇な運命を

ニコニコと笑いながら懐かしそうに

私に話されるのであった





続く…





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ミャンマーに思いを寄せて 1298

光機関の軍事部長であり

後の歩兵60連隊の連隊長の

北部大佐はどんな人だったのだろう?と

ふと思ったので、おじいさんに聞いてみた

すると「1等兵の私からすると、北部さんは大佐で

雲の上の神様みたいな人です。

実は1度も顔を見たことがないのです。」と言われた

そうなんだぁ、、、





同じ部隊に居てもそんなこともあるのね…

私は北部大佐は

この調査のキーマンだと思っている

もちろん会ったこともないし

大叔父のことにほんとうに関わって

おられたかどうかなんて分からないけど

勝手な親近感を持っている

どんな方だったのだろうと思ったのだけど

ご存じなくてちょっぴり残念でした





おじいさんは光機関の教育隊に

ずっと入ったままで

外の状況は知らなかったと言う

外に出たのは終戦間際の

タイへの逃避行の時

限られた人達としか接触していないのだった





もちろん大叔父のこともご存じない

もう1人の大川塾卒の方も

大叔父のことはご存じなかった

光機関の他の人はどうなんだろう?。。。

ご存命の方はいらっしゃらないのかしら?




続く…




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「丸」発売されました☆

読者の皆様へ


いつも読んでいただきありがとうございます


ミリタリー雑誌「丸」2016.3号が発売されました!

「大叔父の足跡を探した心の旅Ⅵ」のタイトルで

こちらのブログ記事が掲載されています

RIMG0124












かなり詰め込んで先を急ぎましたので

ギュギュッーとした内容です

由緒ある?硬派な印象の「丸」さん

堅い言葉でまじめにまとめましたら

なんだか恐ろしい記事となりました

自分で読んでも胃が痛い重い文章です





ほんとうは小さな事柄をつなぎ合わせて

自然の流れのまま突き進んで行くのですが

そこらへんをしかたなく省略したら

思いっきり「妄想の激しい女」としか思えない

危ない記事となってしまいました





ま、ま、一般の読者様が

どう思われるか分かりませんが

興味を持っていただければ

何かしらの情報につながるかもしれません





未だに編集部からは「終わりはどうなるのですか?」

と聞かれますが…えーっと

そこは突っ込まないで~、許して下さい~

個人的な思惑は「掲載されることに意味がある」

私が頑張らないと何も始まらない

ブログの読者様もどうか

「丸」ご購入の際には

何卒、綴じ込みハガキで

応援メッセージをお願いしますm(_ _)m





私の風邪ひきは、なんとか復活しつつあります

今回は長引いて、ほんとうにしんどかったです

皆様もどうかお体を大切に

くれぐれも自愛下さいね



2016.1.27




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ミャンマーに思いを寄せて 1297

おじいさんは軍属として

シンガポールにあった光機関関係の

バトパハ士官学校に派遣されて

そこではインド国民軍の教官をしていたそうだ





昭和19年5月に

徴兵検査の通知が来て

士官学校を卒業する者を引き連れて

光機関の本部に到着すると

突然、2等兵の階級章を渡された

「あっ…軍人になったんだ」と思ったそうだ





教育隊での教育が終わっても

おじいさん達は教育隊の囲いの中に居た

外の状況は分からないまま

何不自由の無い軍隊生活

その頃、外ではインパール作戦に負けて

日本軍はボロボロになりながら後退している最中





優秀な大川塾の卒業生でさえ

もう光機関員として活躍出来る場がなかった

インド国民軍を率いての進軍しか

考えていなかった光機関にとって

このような状況は不測の事態だったのだろう

可愛い2等兵を戦火に晒すことに

躊躇したのではなく

教育の終わった機関員を

活用する術を見出せず

教育隊内に留まらせることとなった

のではないかと私は思った





そして、おじいさんが大川塾卒の軍人として

光機関での最初で最後のご奉仕が

「残地諜者」と言うのは何と言っていいやら…

残地諜者になったために兵籍が消えたのか

最初からうやむやだったのかは

今となっては分からない。。。




続く…




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ミャンマーに思いを寄せて 1296

光機関に居たことが証明出来なかったおじいさん

ビルマの光機関の本部に移ったのは

インパール作戦が、ほぼ負け戦と決まりかけた頃

光機関の教育隊に入れられたまま

インパール作戦には全く関わっていない





光機関に教育隊と言うのがあったのね。。。

この教育隊は、一般的な新兵を対象とした

普通の教育隊ではなく

光機関用の教育をするための教育隊であったようだ





しかし、そこは教育隊のこと

教育は、体力練成や銃の操作などの

基本的なことから始まる

光機関に配属される人達は

どちらかと言うと体力よりも頭脳重視だったかも

年配の人も比較的多くて

年配者は体力面では苦労したようである





年齢関係なしの教育隊の中において

若いおじいさんは体力面は余裕で

大川塾での経験とその後の実績で

全てにおいて要領が良かった

教育隊では、特務工作で用いる

爆薬の扱い方から爆破の仕方や

様々な事を学んだようである




続く…




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ミャンマーに思いを寄せて 1295

おじいさんのお兄さん達は

それぞれの戦地で戦死されていた

白黒の昔の遺影が飾られている

その後、おじいさんはお兄さん達の軍事恩給?を

いただくこととなったようだ





すると、お役所の係りの方が

おじいさん自身の恩給は無いのか?と聞いてきた

おじいさんは以前に申請したけど

兵籍が残っていなかったのでもらえないと伝えると

軍隊に居たと言う証明を取れば良いと教えてもらい

おじいさんは手続きをしたそうです

しかし、色々と手を尽くしたが

結局、残念ながら証明する事が出来なかった

お役所の方も、ずいぶんと調べて下さったが

「あなたはどんな所に居たのですか?」と

首を傾げられるほど難しく

お手上げとなったのだとのこと

結局、お金には困っていなかったし

もういいやと諦めて現在に至るそうだ





「私は確かに光機関に居たのですよ」と

おじいさんはニコニコと笑う

おじいさんは、大川塾を卒業したあと

シンガポールの昭和通商に入り

軍属としてシンガポールにあった光機関関係の

学校に派遣された





昭和19年5月

徴兵検査の通知が来て

陸軍2等兵として引き続き勤務

後にビルマ入りし、光機関の教育隊に入隊

そして終戦の翌々日、昭和20年8月18日

残地諜者を言い渡され

その日をもって、1等兵のおじいさんは戦死の扱いとなった

、、、だが、復員してきたら

兵籍そのものが消滅していた

しかし何でもありの特務機関

インパール作戦は負け戦となり

ドサクサの時期のため

もしかしたら、最初から兵籍簿自体、無かったのかもしれない

かわいそうだな、おじいさん

と言うか、それを言われたら

大叔父の兵籍簿の不備のことなんて

何も言えなくなってしまったよ





続く…





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ミャンマーに思いを寄せて 1294

おじいさんが調査続行を依頼された

他の3名の方からの報告は

結果的に何の進展にも繋がらなかった

あぁ…やっぱり大叔父のことは

分からないのかぁ、私はややガックリときた





するとおじいさんは私を励まそうと

「大叔父さんの兵籍簿は詐称の可能性が

あるのですね。私なんて兵籍さえありません」と

言われた…えっ?!

「5年ほど軍務に就いていたのに…ははは」と

おじいさんは笑うのであった





大叔父の兵籍簿は確かにおかしな所が多いが

一応なりとも兵籍がある

しかし、おじいさんは兵籍全てが

消されてしまっていた、、、

中野学校関係の人や

特務機関関係の人の中には

そんな人が居るとは聞いたことがあったが

その本人を前にして

私とても衝撃を受けた

それに比べると大叔父は幸せなのかもしれない





おじいさんは、部屋の鴨居に飾られている

戦死されたお兄さん達の写真を見上げながら

ポツリポツリと語り出した




続く…




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ミャンマーに思いを寄せて 1293

その方は報告書の中で

私を批判する訳でもなく

冷静な目で、大叔父の情報を分析されている

ほんとうであれば

つたない説明だったことが原因で

お手をわずらわせて

スミマセンって言わなきゃいけなかったんだね。。。

怖がったりしてごめんなさい





しかし私からその方へ接触をしてはいけないと思った

おじいさんとその方との信頼関係に

私は関係ないからである

そして、もしその方と接点を持ったとしても

これ以上の収穫はないので無意味であった





この筋の方には

「そっとしておいてあげるのが礼儀」である

もしもまだこのブログをご覧になっているのでしたら

さすがと思うほどの報告書でした☆

お世話になってありがとうございましたm(_ _)m

と、この場をお借りして伝えたい





続く…





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ミャンマーに思いを寄せて 1292

おじいさんは手帳を持って降りてきた

手帳を開きながら

「そうだそうだ、○○さんだ」と私に言われた

ええぇぇ、いやーん

私に、お名前まで言って大丈夫ですか?

おじいさんが怒られたり

私が消されたりしない?

考えすぎでしょうか?(>_<)怖いーーー





その後、その方について調べてみた

すると実在の人物であった

もう現役を退いておられて

特に人に危害を加えるようなお仕事ではなく

私にも害を及ぼすことはないだろうとのこと

あ~良かった





報告書をおじいさんに渡す時点で

私のブログ内容に不信感があったなら

自身の存在を私に知られないように

おじいさんに口止めしただろうし

お人好しのおじいさんのことだから

自分のことも話してしまうことは

安易に想像出来ることで

口止めしなかったと言うことは

話したとしても害のない人間だと

私が判断されたのではないだろうか

プロ中のプロのこと、ぬかりはないと思う





続く…





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ミャンマーに思いを寄せて 1291

その概要をお聞きするだけで

本物のその筋の方であった

おじいさんはその方について

きっと私が理解しづらいだろうと

一生懸命説明して下さった

でもおじいさんが思われているより

私はすんなりとそれらを理解した





なるほどなぁ。。。

そんなお仕事の方がいらっしゃる

と言うことは知っていた

でもまさか私の前で突然浮上してくるなんて

だが、その方の存在を知ったからと言って

別に騒ぎ立てるでもなく、質問責めにもせず。。。

私はおじいさんの話をうんうんとずっと聞いていた





その筋の本物の人が

心を開いていもいいと思うほどの

おじいさんのお人柄

そんなおじいさんとお知り合いになれて

今こうしてお世話になっていることが

私には何より光栄で嬉しかった





そして、誰彼と言えないような

そんな大事なことを私に話して下さったことに

心から感謝し恐縮した

ある意味、おじいさんだって「大川塾」と言う

素晴らしい経歴の『その筋の本物の人』である

おじいさんは、高い志を持った

若き日の自分とその人を

重ねておられたのかもしれない




続く…




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大雪が降りました

読者の皆様へ


いつも読んでいただきありがとうございます

昨日の東京は大雪が降りました

あんなに暖かかった年末~お正月

そして、この大雪、、、急に寒いですぅ~

私は、年末からの風邪が長引いていて

この週末は、発熱でダウンしていました

まだ熱が下がったばかりで

ヘロヘロ状態です





そんな中、お仕事の関係で

可愛がってもらっていた”親方”の

突然の訃報に触れ、とても悲しかったです

伝統工芸士だった親方

とある展示会でご一緒したのがご縁で

「遊びに来い」と言われ

工房に遊び行くようになりました

江戸っ子で口は悪くって頑固でね

職人気質って言うのかしら

人の好き嫌いが激しかった親方(笑)

でも仕事以外のこのミャンマーの件も

いつも応援して下さっていた親方

心からありがとう。。。





私には何のご恩返しも出来ませんが

親方に良いご報告が出来るように

この調査を頑張らないと、天国から怒られそうです

でも、あのダミ声で、もう一度怒られたいなぁ…

親方はおじいさんだったけど

ミャンマーのおじいさん達よりはずっと若かった

でも突然、亡くなっちゃった、、、

日頃の忙しさに追われて、月日は流れていく

おじいさん達も不死身じゃないのよね

この寒さが響かないといいなぁ

お元気なうちに、色々なことを聞かなきゃ

私は風邪くらいで寝込んでる場合じゃないのになぁ

気持ちだけ焦る今日この頃でした





皆様も寒さ厳しい時期

どうかお体を大切に

いつも読んでいただきありがとうございます

今の私には皆様からのポチッが

何よりの特効薬です



2016.1.19



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ミャンマーに思いを寄せて 1290

私はおじいさんに単刀直入に

この報告書を作られた方について聞いてみた

おじいさんは言いにくそうにされている?

えーっと、無理にとは言いませんけど…

おじいさんは言いにくいのではなく

どう説明して良いやら

自分でもよく分からないようであった





その方は、旧軍関係者ではないと言う

何十年も前から、とある所で

お付き合いのあった方で

大変信頼の出来る人だそうだ

しかし、あることを機に

その方はおじいさんだけに

ほんとうは特殊な仕事をしていることを明かした

おじいさんとの信頼関係があったからだろう





「えーっと、名前は何だったかな?」と

おじいさんは手帳を探されている

えっ?そんなの私に言っていいの?

いやいや、別に知らなくてもいいんですけど

2階の部屋に手帳はあるそうで

お脚が悪いのに2階に行くと言い出した

いや~ん、無理しないで下さい




続く…




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ミャンマーに思いを寄せて 1289

おじいさんから調査続行を依頼された

「中野系の人」は

この方が考えられる調査方法を

全て私が実践済みであることを

このブログで知り

「私からこの人に出来るアドバイスはありません」と

この調査報告書を送ってこられたとのこと





おじいさんは、私が真剣に

長年かけて本格的に調査をしていることが

ほんとうだと確認できて

より一層信頼して下さったのであった





私が心配したようなことではなく

このブログが良い方向に役立ったと分かり

ホッと胸をなで下ろした

それにしても、この報告書を作成した人って

どんな人?私はとても気になった




続く…




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ミャンマーに思いを寄せて 1288

私の何を報告されているのだろう?

信用出来るか・出来ないかかしら…?

このブログは、大叔父を捜すために

公開しているので

私個人の思想などはあまり書いていないし

人柄は?と言われると

想像力豊かで、すぐに凹んで泣いちゃうけど

基本は天然系の楽天家

アホとしか言いようのない行動も多いけど、、、

ミリタリー雑誌「丸」に掲載しているし

○○大学の事件や、専門家からの攻撃のグチも

たっぷり書いてるしなぁ、、、ヤバイかな





しかし、報告内容は

大叔父についての情報が主であった

このブログから細部を拾って下さったようである

おじいさんには、お手紙で簡単な経歴しか

伝わっていなかったので

それを補足するような

素晴らしい報告書であった





それにしても詳細な報告書だなぁ…

で、この報告書で

おじいさんは私に何を言いたいのだろうか?

そして、こんなのを作れる人ってどんな人?

私はドキドキしたのであった




続く…




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ミャンマーに思いを寄せて 1287

えっ…何コレ?ゾゾゾーーー

自分の調査報告書を前に青くなった





おじいさんにこのブログの存在を

教えていなかったのは

悪気があった訳ではない

手書きの手紙でURLを書いたり

「ミャンマーに思いを寄せて」ってブログを

インターネットで検索してね!

と伝えたところで、ご年齢を考えると

どうにもならないと言う思いと

以前に、ご協力をお願いした人から

ミリタリー雑誌「丸」で

情報提供を目的として

掲載していただいていることや

ブログで情報を公開していることに対し

「そんな人は信用が出来ない」と

言われたことが原因である





おじいさんに聞きたいことは

「大叔父のことをご存じですか?」だけなので

余計なことを話して警戒されることを

懸念したと言うのもちょっぴりあった





そう言えば、おじいさんにお手紙をしてから

連日、すごいアクセスがあった

1人の方が、1日に何百ページと

一気読みされていたのだ

新規の方が、ハマったのかな?と

あまり気にしなかったけど

この人だったんだぁと思った




続く…




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ミャンマーに思いを寄せて 1286

最後の「中野系の人」

おじいさんが言われるには

この世界に精通している人とのこと

旧軍の特務機関の人なんだろうなぁ





すると、おじいさんは

私の目の前に見覚えのある写真や

イラストが印刷された数枚の紙を出された





…えっ?これ何???

大叔父の写真と私のブログに使用している

ピンク色のパンダジュエリーのロゴ…

確か私は、おじいさんにこのブログのことは

話していなかったはず、、、

私の中がザワザワとした

それは私の調査報告書であった




続く…




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ミャンマーに思いを寄せて 1285

1人目は、大川塾出身の方らしい

こちらについては、全く関係が無かったようだ

。。。まだ大川塾の方がおられるのね

おじいさんが最後じゃなかったんだ

でも、大川塾生だからってビルマに居たとは限らないし

ビルマに居た兵士を全部知っている訳じゃない

大叔父をご存知なくともしかたないなぁ





もう1人は、防衛研究所の方だと言う

本を執筆されるに当たり

お世話になっている方だそうで

大叔父・神居 達(かみい とおる)について

防衛研究所の資料を探して下さったそうだ

60連隊関連の資料やら何やらを見ても

大叔父の名前は出てこなかったとのこと

。。。あぁ、次はもう現代の方なんだ

防衛研究所の資料は私も調べ済み

下士官の大叔父の名前なんて出てこないよね





そして、最後の方は

「中野系」とおじいさんが言われていた方である

。。。”系”って何だろう???特務機関の方かな?

特務機関に居たからって

あの広いビルマで大叔父をご存知だとは思えない

無理なのかなぁ、、、




続く…




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ミャンマーに思いを寄せて 1284

優しい雰囲気のおじいさんとおばあさんに

出迎えられて

温かく陽のさす応接室へと通された

暖房がガンガンに効いている

すぐにおばあさんがお茶を準備されて

ゆっくりゆっくりとおじいさんは椅子に腰掛けられた





私はご挨拶も早々に、お茶には手をつけず

すぐに本題に入った

時間は午前中であったがグズグズしていると

お昼の時間にかかりそうだったからだ

おじいさんはたくさんの資料を準備して下さっていた

おじいさんの著書を私にプレゼントしようと

思っておられたようだが、私は全部持っていた

そしてそれらを持参していたため

おじいさんは驚かれてとても嬉しそうだった





まずは、今回の目的の

引き続き他の3名の方に

聞いて下さっていたことについての

報告を受けた





続く…





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ミャンマーに思いを寄せて 1283

おじいさんちに行く約束をした

おばあさんからも「説明不足だから」と

道順の詳しいお電話をいただいた

新興住宅地の中で、1番昔からある

竹やぶの近所のお屋敷だそうで

どうもお住まいは、入り組んで難しい場所らしい





当日は、途中まで電車で行き

駅前からタクシーで行った

運転手さんも迷うほど「ここら辺だと思うのですが…」

すると道におじいさんがポツンと立っておられた

この方かな?タクシーを降りて会釈した

お家が難しい場所なので 寒い中

道まで出て待っていて下さったのだ





最近、骨折されたらしく

ゆっくりとした足取りで先に進まれた

道の奥には、手入れされた立派な竹林

都心だと言うことを忘れてしまうほど

昔話に出てきそうな美しい風景

その中に真新しい大きなお住まいがあった

おじいさんに招き入れられ

私はお邪魔したのだった




続く…




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ミャンマーに思いを寄せて 1282

大川塾出身の元・光機関員のおじいさんから

「お話したいことがあるので、家に来てください」と

連絡をいただき、お家に行くこととなった

この日を待ち望んで、私は大川塾について

猛勉強をしていたので

ついにこの日が来たぞと思った





大川塾生の中には大叔父が居なかったと

お返事をいただいていたのだが

それは想定済みのことで

さすがに大叔父が大川塾生だったとは思っていない





光機関に居たのではと仮定し

ずっと調査を続けてきた

おじいさんが覚えておられなくとも

他の方が覚えて下さっている可能性は捨てきれない

おじいさんの人脈で、どうにかこの調査が

繋がらないかと期待していたのである





おじいさんは、他の方3名にお声かけして

下さっていると言う

その結果を話したいと言われるのであった

その「3名」とはどう言った人達なのか

そのうち1人は中野学校出身ではないが

中野系の人だと言う

「系」って何だろう???

特務機関に関係していた人なんだろうか?

とにかく、おじいさんちに行かなきゃ





続く…





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近辺の慰霊碑

読者の皆様へ


2016.1.2

歩兵60連隊の慰霊祭に参加

早くの着いたため時間があったので

初めて周りの慰霊碑を見て回った





順不同

どこのどんな部隊なのかは

私にはよく分かりません


【飛行第81戦隊 飛行第8戦隊 第1中隊】
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【陸軍兵器学校】

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【予科練十八会】

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【飛行19戦隊

RIMG0067






RIMG0068








【高射砲第22連隊】

RIMG0069









お正月だからだろう

各慰霊碑には、お酒やお花が供えられている

私達の慰霊祭の間にも

他の慰霊碑へのお参りの方が来ておられた

でも、もう誰も来なくなった慰霊碑もあるそうだ

それらの慰霊碑は永大供養で

霊園がお祀りして下さっている

ついで参りはあまりよくないと言うけれど

私は近隣の慰霊碑にも静かに手をあわせた




続く…




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歩兵60連隊の慰霊祭・続き

歩兵60連隊の慰霊祭に参加して東京に戻ったら

歩兵60連隊の戦友会からお便りが届いていて

私と入れ違いになったようです





現在、歩兵60連隊の戦友会は

『千歳碑護持会』と言う名前となり

護持会では、年に数回、護持会だよりが発行されています





その中で、先日の記事に書きました「長椅子」のことが

ちょうど書かれていましたので驚きました

以前は、戦友会保有の長椅子がたくさんあり

それらの一部は、使用不能であったり

錆びて危険な物が多く含まれ

慰霊碑の周りに置いてあったそうです





その数は30脚余り、それらを会長さんが整理され

慰霊碑の周りを片付けて下さったと

便りには写真付きで紹介されていました

私がブログ記事に書いていた「少し古い椅子」とは

整備後に残った椅子だったのですね

それ以前はもっとたくさんの椅子があったとのこと

ほんとうに60連隊の戦友会は恵まれていたのだなぁと思った





そして、現在もこうして護っていただいていることに

感謝して、私も微力ながら協力したいなと思いました

大叔父がほんとうに60連隊に居たかどうかは

未だに分からないけど、原隊には違いないと思います

きっと60連隊の英霊さんは私を応援してくれていると

勝手に思い込んでいます☆





それと、歩兵60連隊の戦友会に参加していて

よく耳にするのは「高野山」と言う言葉

関西では高野山を中心にして、大きなビルマ関係の

慰霊祭や会があるようです

全ビルマ会においても、何度と聞いていたのですが

あまり手を広げても私自身が活動出来ないため

そのままになっています

もしもこのブログを参考にされている方がおられましたら

高野山の方もありますよと情報提供まで

※詳細は私は分かりませんのでご紹介は出来ません





。。。明日も続きまして、お正月・お年玉特集(?)

歩兵60連隊の慰霊碑の近隣慰霊碑をご紹介します、お楽しみに☆





続く…





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ミャンマーに思いを寄せて 1280

突然、舞い降りた70年前のハガキと手紙

すごい物ではあると思うのだが

これがこの調査にどう影響するのか

私にはさっぱり分からない(>_<)

賢い人なら何かピンと来るのかなぁ。。。

フィクションの推理小説ならば

これが鍵となって、面白くなるんだろうけど

そうが行かないのがノンフィクション

いつか何かの形で、アッと驚くのかなぁ。。。

それはいつのことなんだろう(涙)





そんな訳で、この手紙類はとりあえず

このまま置いておいて、先に進もうかな

「とりあえずそのまま」にしてある事項は

増えているような気もするが

だってしかたがないよね(^^;)





そうこうしていたある日

大川塾出身の元光機関のおじいさんから

「会ってお話したいことがある」と

連絡をいただいたのであった

ウワァーーー、とおとお来たわ




続く…




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ミャンマーに思いを寄せて 1279

※更新時間が遅れてスミマセン

風邪ひきで寝込んでおりますm(_ _)m



昭和20年・春に東京から来た手紙には

時勢を感じるようなことも書かれていて

大叔父には直接関係ないが

当時の状況に少し触れたような気分になった





大叔父を最後まで下宿させていた大叔父の姉

たくさん兄弟がいる中で

1番下の弟である大叔父は

中学生の頃からずっと姉の家に下宿していた

姉にとっては、思い出が1番あったのではないだろうか

その弟が戦争で亡くなった

そして、白木の箱に入って帰ってきた

お葬式は無いけれど、会いたい。。。





「東京は毎日やりくりの生活にて、

私が参りますと文子が一人で可愛そうですので、

もう少し食生活が落ち着くまで、

身動き出来ない有様で

食料持参で行かねば何処にも行けない今日では

致し方ないです。」

東京の中では、やや都心から離れている中野

昭和20年の暮らしを垣間見る





文中の「文子」とは

先日、伯父に紹介された

姉婿の末娘さんの名前である

当時13才くらいだと思われる

知っている人の名前が出てきて

なんだか嬉しかった

今はもう85才くらいになられた末娘さん

この大叔父の姉は、末娘さんのお母さんに当たる

お母さんが自分を残して東京を離れることが

出来ないと言っていた手紙があると知ったら

嬉しいだろうなぁ





「達の遺骨はすぐ納骨されましたか?

来月にでもと今から心がけておりますが

どうなりますやら。」と手紙は続く

一般の国民は、なかなか遠出は出来ない

時勢だったのだろう

昭和20年の東京

もう空襲も激しかった頃ではないだろうか

中野は実は空襲被害がほとんどないのだが

史実をしっている私は

この手紙の時代の姉に

もしタイムスリップして会えたなら

東京住まいはオススメしないと思う




続く…




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ミャンマーに思いを寄せて 1278

大叔父が戦病死したのが昭和19年

その次の春と言うことは

昭和20年に東京・中野から来た手紙である





季節の挨拶の後に

「27日に達の遺骨が着きました由」と書かれていた

「由」は現代文にしたら

「だそうで」とか「とのことで」くらいだろうか?

と言うことは、祖父が知らせたのだろう





白木の箱が届いたことを

戦地から遺骨が帰ってきたと

勘違いしたのではないだろうか

白木の箱に遺骨が入っていると思うのが当然である

何も入ってなくて、空だったとは

祖父は言えなかったのかもしれない

空っぽの白木の箱って

かなりショッキングな出来事だと思う





国としては、国の為に英霊となった国民に対し

一応、礼儀として(?)

遺族の元に送り届けたと言う形を示すために

白木の箱を渡したのかしら?





当時の陸軍の規則には

「戦場・掃除及び戦死者埋葬規則」と言うのがあり

その中の「遺髪遺骨取り扱い方」によると

士官以上と下士官では、もちろん扱いが違う

士官以上は、遺骨または遺髪等の一部を本土の家族に

渡すようになっているが
 
下士官はその義務は規則では決められていなかった

(防衛省・防衛研究所資料閲覧室より回答) 





外地だから、ビルマだから

インパールだからではなく

下士官だったから白木の箱には

何も入っていなかったのね、、、

ほんとに形だけだぁ





よく映画などで遺品が帰ってくるのは

戦友が個人的に持ち帰った場合であり

出撃前に遺髪等を準備するのも

規則ではなく部隊長などの配慮なのだそうである

残念ながら、大叔父の戦場からの遺品や遺骨は

誰も持ち帰ってくれなかったってことかぁ

病院で亡くなってたのがほんとうなら

やっぱり現地で荼毘にふされて

今頃は千鳥ヶ淵の中で

遺骨は混ぜ混ぜね、、、エーン


 


続く…





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ミャンマーに思いを寄せて 1277

祖父はゴミとしか思えないような物でも

何でも大事に取っておく人だったそうだ

しかし、約70年前に

ビルマから来た大叔父のハガキと

一緒に大事に保管されていた手紙






「達(とおる)の遺骨が…」と言う文面が

とても気になって分析を開始した

まぁ分析と言っても手紙を読むだけなんですけど

字が雑なのと、昔の言葉で

私にはなかなか読めなかったので

父に読んでもらった





父は私よりは読めたが

それでも読むのに苦労した

手紙は2枚の便箋に書かれていて

その1枚目に「達の遺骨」と言う言葉が

2回書かれていた

※ただいま帰省中のため

手紙の写真は、東京に戻りましてから

アップさせていただきますね





手紙の季節は彼岸を過ぎた春

どうも祖父から連絡をしての

その返事のようである





続く…





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歩兵60連隊の慰霊祭に参加して

読者の皆様へ


2016.1.2

リアルタイムなお話

昨日は京都・東山の霊山観音で行われた

歩兵60連隊の慰霊祭に参加してきました





風邪でかなりしんどくて

直前まで参加しようか迷いました

しかし、滅多に行けないのと

旧軍の方にお会いできるのは

「また今度」はないかもしれないと思うと

倒れてでも行くべきだと思い

フラフラでしたが行きました





かなり早く着いてしまい

準備からお手伝いしました

参列者の方は、お脚の悪い方も多く

長椅子が準備されていました

少し古い椅子だったので

霊園の椅子かなと思っていましたが

後ろに「60会 寄付」と書かれていて

在りし日の60会の栄華を垣間見た気分でした





最盛期には、慰霊碑の周りには人が溢れ

何千人と参列が続き

受け付けは、テントを張って

観音様の前の広場を使用したと言われていた





歩兵60連隊出身者には

京都の財界人も多く含まれ

一例としては、京セ○やワコー○など

散っていった戦友の弔いの為

惜しみない供養をされ

大変恵まれた戦友会であったようである





今年は旧軍の方が2名参加

残念ながら大叔父と同じ中隊のおじいさんは

来られていなかった

後でお手紙を書こうと思います





歩兵60連隊の戦友会は(遺族含む)は

毎年1月2日、4月29日、8月15日の大きな法要の他

東京・靖国神社での例大祭参加及び

毎月の慰霊碑の清掃など

しっかりと活動されています

まずは皆様に取り急ぎご報告まで




続く…




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ミャンマーに思いを寄せて 1276

大叔父の遺骨って何だろう???

伯父は白木の箱は空だったと言っていたし

お墓には、骨壺を入れるスペースはなく

墓石で塞がれている。。。





ビルマから戦友が持ち帰ってくれた

遺品や遺骨があったなら

1度でいいから見てみたい





そうよね、60連隊には居なくて

他の部隊に居たとしても

「戦友」ってのは居ただろうし

誰かが何かを持って帰ってくれても

おかしくはないのよね

どこの誰でもどんな物でもいい





いや、反対に誰かが持ち帰ってくれたなら

その誰かがどこの部隊の人だったか辿れば
大叔父が居た先が分かるよね





ああ、この手紙を早く分析したい~

でも…字が雑なのと、昔の書き方で

私にはほとんど読めないよ






続く…






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あけましておめでとうございます

読者の皆様へ


y0659[1]










新年あけましておめでとうございます

旧年中は、応援していただきありがとうございました

皆様に支えられて新年を迎えることができました

本年も何卒どうぞ宜しくお願いいたします





さあて今年はどんな年になるでしょうか

ワクワクしています

皆様をアッと驚かせるようなことがあったらいいな





明日は歩兵60連隊の慰霊祭に参加予定ですが

年末から風邪をひいてしまい…

どうなることやら、、、ゲホゲホ





今日の夜に見る夢が初夢ですよね

良い夢が見られますように

2016年の幕が開けました、今年も頑張りま~す




2016.1.1 元旦




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