ミャンマーに思いを寄せて

亡き母の思いを果たすべく、ビルマで戦死した大叔父の足取りをたどる私の奮闘記録☆

2016年03月

ミャンマーに思いを寄せて 1347

結局、本多挺進隊は師団直轄だったはずが

15軍から直接の命令が来たり

任務を完遂しても「死守」と言われて放置されて…

近くにいた60連隊と助け合っていたので

60連隊に吸収合併のような形となり

最終的には、60連隊に配属のような

感じとなってるように思う

撤退時の本多挺進隊の詳しいことは

ほぼどの書物に書かれていない





実は、これまで長々と書いた

本多挺進隊の説明は

私自身が戦史叢書をはじめ

その他の複数の書物や

インタビュー画像などから

拾い読みして調べたものです





参加した講演会では

「本多挺進隊の生き残りの方に話を聞いた」

と「本多挺進隊は60連隊に居た」くらいで

詳しい説明は何一つありませんでした

それを元に、これから学会で論文等を発表なさるために

秘匿されているのかもしれませんが

予告編のようにほんの少し触れて講演会は終了してしまった

ええええぇぇぇ???、、、何コレ

某大学の元教授さんの講演会なんだよね???

私が期待しずきたからかしら?

いやいや、でもこれはあまりにもあのその…ガーン





それなのに、両脇に控えていた学会の偉い方々は

講評の際に素晴らしかったと褒め称えておられる。。。

えっ?あの~、ずっと寝てましたよね

よく分からないけど…何だろうこの茶番劇

さすがに私がいつもお世話になっている方は

最後にしっかりと補足説明をされて

なんとか丸く収まる形となった





続く…





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ミャンマーに思いを寄せて 1346

本多挺進隊に出される15軍からの命令は

何度も「死守せよ」と言う電報のみであった

道路を遮断したまま粘る、、、

しかし、このままじゃ全滅してしまう

そこで、段々と陣地を下げていくしかなかった

要するにじわじわとした撤退である





そのうち60連隊も追いついて合流した

そして、コヒマの方を封鎖していた烈師団(第31師団)が

耐えられなくなり

何月何日の何時に、いままで防御したその道をあける

と、連絡員を寄こした

道をあけると言うことは、戦車が入ってくること

タイミングを合わせて撤退した





その後、本多挺進隊は任務を解かれ

近くにいた歩兵60連隊に

吸収合併されたのではないかと思う

私は最初から60連隊に配属していたのかと

思っていたし、講演会の方も「60連隊に居た」と

言われていたが、正規の配属ではなさそうである




続く…




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ミャンマーに思いを寄せて 1345

本多挺進隊は、20日分の糧まつを

持参して作戦に参加

すぐに楽勝で終わると思っていた





なんとか無事にミッションに

到達した本多挺進隊は

敵の主要補給経路である

インパールとコヒマ間の道を封鎖するために

まずは橋を爆破する

挺進隊の中には、工兵隊が若干ついてきていて

工兵隊により、夜中に橋のたもとに

火薬を仕掛け爆破した

敵はまさか日本軍がこんなとこまで来て

爆破するとは思ってもおらず

自動車を乗り捨てて逃げ出した

放置された10台くらいの自動車を接収し

大いに使ったそうだ





本多挺進隊がミッション付近で

橋梁、電線を破壊し、見事に任務を果たし

無線連絡で「インパール・コヒマ道を遮断!」

と師団に連絡したことで

祭師団(15師団)はやっと本多挺進隊と

連絡が取れ安堵した

任務の完遂に師団も15軍も歓喜に沸いた

牟田口軍司令官もこの報告を受け

本多挺進隊の神速な行動を

心から賞賛したと言われている





しかし、任務達成を果たし安堵したのも束の間

本多挺進隊を待っていたのは過酷な命令であった




続く…




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ミャンマーに思いを寄せて 1344

通信は行軍を休んでいるときだけ

できる状態だったようで

師団は安否を心配していたが

まさか本多挺進隊が自ら

通信連絡を封止していたとは思ってもみなかった





祭師団(第15師団)の歩兵連隊は

51連隊(京都)、60連隊(京都)、67連隊(敦賀)

それぞれの各中隊の充足は

51連隊が70名平均

60連隊が80名平均

67連隊が110名平均と

正味、51連隊は1.5個小隊分くらい

60連隊は2個小隊くらい

67連隊でやっと2.5個小隊くらいの人員であった





その中で比較的充実していた歩兵67連隊は

ほとんどが現役兵の精強部隊だったそうである

そこから選抜された挺進隊は

歩兵67連隊の第3大隊の本多大尉以下110名

第3大隊の一部(2個中隊欠、残り2個中隊

のうちの1個中隊分)である

何が何でも部隊の名誉を背負って

挺進行動を成功させなければならない

遅れを取っている今

挺進隊は死にものぐるいで

ミッションと言う地点を目指した




続く…





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ミャンマーに思いを寄せて 1343

師団と本多挺進隊は

2週間ほど通信が途絶えた

本多挺進隊の消息不明を心配しつつも

師団は憤慨していた

再三にわたって60連隊の一部と

交代させようとしたようだ





師団に対する意地もあり

本多挺進隊はとにかく先を急いだ

その時の様子は歩兵60連隊の兵士の

手記で知ることが出来た





本多挺進隊が行方不明と言うことは

60連隊の全員が知っていた訳ではない

60連隊が休憩をしているところに

後ろから来た部隊が休憩なしで

脇目もふらずに必死に追い越して行った

同じ師団の部隊なのに

なんでこんなに急いで

追い越していくのだろうか?と

不思議に思ったようである

それが本多挺進隊であった



続く…



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ミャンマーに思いを寄せて 1342

本多挺進隊に与えられた任務は

ミッションと言う地点に挺進し

インパールとコヒマ間の道を遮断すべし





実は本多挺進隊は頑強な敵の抵抗に合い

右突進隊である歩兵60連隊よりも

遅れを取っており

挺進隊なのに他の部隊よりも後ろに居た





前進の遅れを取り戻すために

昼夜兼行で必死にアラカン山脈を突破する

その間、自ら無線連絡を封止した

師団は本多挺進隊と連絡が取れず

行方不明の状態となった

挺進隊を探すために歩兵60連隊に命令し

何度と支隊を作り捜索をさせたが

見つけることが出来なかった

まさか自分達の部隊より

後ろに挺進隊が居たなんて…




続く…




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ミャンマーに思いを寄せて 1341

挺進隊=空挺とずっと思い込んでいた私は

この本多挺進隊が60連隊に

配属されたことを誇りのように思っていたが

その後の勉強で、一般的に言う「挺進隊」とは

空挺では無く、小隊クラスの小さい規模の

挺進隊もたくさんあって

諸作戦においてその都度編成されて

運用されていたことを知る





本多挺進隊は最初から歩兵60連隊に

配置されていたわけではない

インパール作戦開始当初は、師団直轄の

挺進隊として行動を開始するのである





この講演会の某大学の元教授の方は

どなたかのご紹介で

本多挺進隊の生き残りの方に巡り会い

お話を聞かれたそうだ

へぇ~、生き残りの方がおられるんだぁ

講演会の話の最中で

本多挺進隊と大叔父の60連隊の名前が

出てきてドキリとした

わーい、深いお話になれ~♪




続く…




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春休みは京都へ♪

読者の皆様へ


いつも読んでいただきありがとうございます

更新が遅れて申し訳ありません

桜の便りもちらほらと

だんだんと春らしい気候になってきましたね

皆様お変わりなくお元気にお過ごしですか?

私の風邪は、なんとか復活しました

それでも咳がなかなか抜けませんxx





来週は京都に行く予定です

実は、読者様から「奈良県立の図書館に

60連隊の資料がたくさんある」との

情報をいただいたからです

なるほど~、部隊の地元の図書館かぁ

全国版の資料は国会図書館などでも

閲覧できますが

その他の手記などの資料は

あまり出回らないのかも。。。

部隊の地元の図書館だからこそ

関係者がたくさんいらっしゃって

資料が充実している可能性はある

大叔父の歩兵60連隊は

京都の部隊であるため

近くの奈良県の図書館に

資料があってもおかしくはない

それよりも京都の図書館に行けば

もっとあるかもしれない





穴場情報をありがとうございました!!

その間は、ブログはちょっぴり

手抜きになるかもしれませんが

どうかお許し下さいね

ついでに春の京都&奈良旅行を楽しんできますっ

また何か情報がございましたら

些細なことでもかまいません

是非お寄せ下さいませ

今後ともどうぞ宜しくお願いします


2016.3.24


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ミャンマーに思いを寄せて 1340

本田挺進隊は、歩兵67連隊第三大隊

本多宇喜三郎大尉率いる

選りすぐり110名の精強部隊である





挺進行動は、高い連度がないと実効が難しい

「明日から挺進隊ね」と言われて

すぐに挺進行動が出来る旧軍は

すごいなと思う

歩兵の将校だからって

誰でも挺進隊長が出来る訳ではない

この本多大尉が能力のある人だったのだろう





ビルマでの地形や状況が

挺進行動に適しており好条件ではあったが

しかし、挺進行動をとらなければいけなかった

一番の原因は、通常の攻撃に必要な

機甲戦力と火力が確保出来なかったことであろう

火力が不十分のため、しかたなく

迂回浸透による奇襲的な戦術に

依存しなければならなかったと言うのが実態である




続く…




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ミャンマーに思いを寄せて 1339

私は挺進隊と聞いて

現在で言う”空挺部隊”だと思い込んでしまった

挺進連隊と言うのがあって

パレンバン空挺作戦などは有名であり

てっきり落下傘の部隊がインパール作戦に

参加していたのかと思っていた





すごいなぁ、そんな部隊が60連隊に配属されたなんて

なんと珍しい部隊が組み込まれていたのだろうと

なんだかとっても嬉しかった(笑)

制空権があまり無かったから

華々しく落下傘を使った活躍は皆無だったけど

きっと精強部隊の人だから

地上においても活躍されたのだろうなぁと

勝手に思い描いていた





しかし、ここで言う挺進隊とは

味方から離れて、敵の前線の奥深くに潜入し

主に遊撃活動を行い、敵の重要施設の破壊や

後方撹乱を行う特命を与えられた部隊のことである

必要に応じてその都度編成し運用するのが一般的である

日露戦争時にも活躍したし

中国大陸では中国軍との戦闘で一部使われた

…と、ずいぶんと経ってから知ったごめんなさい





ただし、正規軍同士の大規模な作戦において

作戦構想から計画的に挺進隊を編成し運用した事例は

珍しいのではないかと思う




続く…




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ミャンマーに思いを寄せて 1338

学会会員の方が開かれる講演会

きっと何か新しい研究成果を

発表されるのだろうなぁ

どんなことだろう

私のドキドキはずっと続いている

それにしても…プリントに書かれている

インパール作戦の時系列を

ずっと読み上げておられるだけ

早く楽しい話にならないかな。。。





話の途中で「本田挺進隊」のことが出た

おっ、ついに本題に入るのね♪

本田挺進隊については

ほんの少しこのブログでも触れている



挺進隊関連の過去記事はこちら↓↓

「ミャンマーに思いを寄せて 379」
http://blog.livedoor.jp/aya_sann/archives/1851059.html

「ミャンマーに思いを寄せて 527」
http://blog.livedoor.jp/aya_sann/archives/1886472.html





”ていしんたい”ってググッたら

「女子挺身隊」とかって、慰安婦問題の記事が

たくさん出てきて、何?何?ってビックリした

挺進と挺身って文字が違ったのね

こちらは挺進隊の話題です




続く…




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ミャンマーに思いを寄せて 1337

ゆったりとしたペースで流れ出した講演会

やっぱり基礎は押さえておかないとね!

まぁ序盤と言うことで

のんびりと聞いておきましょう

配布されたプリントの中盤に入っている

部隊の話がメインかもしれない

いい感じの部隊だし楽しみ♪





インパール作戦の講演会なんてあんまり無いし

その研究者にお会いできるチャンスはまたと無い

インパール作戦を研究する学者さんは少ないと聞く

有名な作戦であり、日本の戦史を語る上では

必ず押さえておかなければいけない

大きな影響力のある重要な作戦である





ただ、昔々、専門家の人に言われたのが

「調べても”分からない”で終わる作戦」

としても有名で、それを調べようなんて

本気で思う学者さんはいないみたい、、、

学会での功績を手っ取り早く上げるためには

選んだら損な題材なんだろう。。。

私は素人だし、そんなこと関係がないけどね

だけど私を応援してくれている協力者に対して

「素人がインパール作戦を調べたいと

言い出したところで、調べても分からないんだから

止めなかった周りがバカだ」と言うようなことを

言われたのは許せなかったわ

私じゃなくて協力者をバカにするなんて。。。

そんなこんなで今日を迎えている私は

この講演会をされている学者先生が

素晴らしい人のように映ったのである




続く…




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ミャンマーに思いを寄せて 1336

まず最初にインパール作戦の

おおまかな流れが読み上げられた

ふむふむ、インパール作戦の基礎を踏まえて

進んでいくのね。。。





でも…でも、、、基本中の基本のような事項???

しかも配られたプリントに書かれていることを

ずっと読んでるだけ???

いやいや、きっとこれからだよね

期待しすぎで焦ってるだけなんだ

落ち着け~私!

先生のお話をじっくりと聞かなきゃね

きっと私の知らない良いお話が聞けるはずだ





あれれ?前にズラリと並んでおられる

学会の偉い先生方は

目を閉じて真剣に聞いているように見えるのだけど

よく見るとコクリコクリと居眠りしている。。。わおっ!

プロジェクターのために少し暗い会場は

確かに眠りを誘うのかもしれない

皆さん、お疲れなんだろうなぁ

でもでも、なんだかすごい舟を漕いでる人もいる

気のせいよね、、、

だってだって、某大学の元教授って偉い人なんだよね?

どうしよう…関係のないところに目が行っちゃう

おもしろい!いやいや、参ったなぁ、、、




続く…




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ミャンマーに思いを寄せて 1335

楽しみにしていたインパール作戦の

講演会が始まった

各自に資料が配られた

今日の演目の概要が書かれている





ここに来られてる人々は

みなさんプロの方なんだろうか?

講演会って、どう言った人が来るのだろう。。。

皆さん、すごいんだろうなぁ

周りを見回しても

もちろん知り合いなんていないし

女性も私だけだった、、、完全に浮いてる

でも、新たな勉強になるだろうし

しっかりとお話を聞かなきゃ

私に理解出来るレベルの話かな?

ドキドキとした





インパール作戦と一言で言っても

この作戦は色々な意味で大きい

その他の戦地の諸作戦とは

比べものにならないほど

参加人員も戦場も大きいし

この結果により、その後の歴史に与えた影響力も

大きいのではないかと思う

詳しく語れば、1日や2日では終わらないように思う

今回はどこに注目して語られるのであろうか?





プロジェクターが映し出され

講演会をされる某大学の元教授が

挨拶をされた

はじまり・はじまり~♪




続く…




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2016年、動き出したか?

読者の皆様へ


いつも読んでいただきありがとうございます

私の重い腰はなかなか動かず

どうなってしまうのだろう、、、と

焦る気持ちばかりが募っていた昨今





先日、お友達と食事をしていて

良いお話を聞くことが出来ました

”自分から動かないと何も始まらない”

それには好奇心や継続力など

様々な要素が必要なのだと言うのである

今の私にとても当てはまる話で

私には何が足りないのかと考えた時

やはり継続しようとする努力が足りないのだと

改めて感じました

この調査は忍耐力と洞察力と継続力と人の縁

これらの1つ欠ければ続かないのだと。。。

諦めたらおしまいだ…頑張れ私!!





そうしたら、1件、とても大きな報告が舞い込みました

それがどんな意味を持っているのか

私にはまだ分かりませんが

何かが動き出したような気がしました

とにかく動かなきゃ

休んでいる暇なんてないのよね

またまた風邪をひいてダウンしかけですが

体調に気を付けながら邁進します

季節の変わり目、皆様もどうぞご自愛下さいませ

ほんとうにいつも読んで下さってありがとうございます



2016.3.17



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ミャンマーに思いを寄せて 1334

インパール作戦の講演会
 
某大学の元教授がされるようだ

会場は偕行社だった

インパール作戦のどんなお話なのか

詳細は分からなかったけど

きっと勉強になると思う

インパール作戦の専門家だったら

私の相談も乗って下さるかもしれない

私はウキウキしてその日を待った





その日はとても蒸し暑かった

まだ春だと言うのに初夏のような季候

早めに会場に着いたのに

偕行社の小さな会議室は

既に大勢の聴講者で埋め尽くされていて

蒸し蒸しの状態だった

受付を済ませて

いつもお世話になっている偕行社の方に

ご挨拶に行った





ほどなくして講演会は始まった

講演者の左右には学会の偉い先生方がズラリと陣取っておられた




続く…




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ミャンマーに思いを寄せて 1333

重い腰は全く動かず

気が抜けたようにやる気無し、、、

たまには休憩も必要か?

いやいや、おじいさん達に時間はない

分かっちゃいるけど~。。。と時間は流れて

2015年の4月を迎えた





春になると緑が芽吹き

冬眠していたクマも起きてくる

私もやる気を出さなきゃ

でも何からやろう?と思っていると

協力者から「インパール作戦」の講演会があるとの

情報が入った!!

おおおぉぉ~、ドンピシャの講演会じゃないですか!

これは行かなきゃですね♪

早速、申し込みをした

某大学の元教授がされるとのこと

楽しみだわ(^o^)ルンルン☆




続く…




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ミャンマーに思いを寄せて 1332

大叔父のことは分からなかったけど

なんだか大きな山を一つ越えたような

達成感のような思いと共に

次は何をしたら良いのか分からない。。。

片付けなきゃいけない細々とした確認事項は

まだまだ山積みのはず

でもどこから手を付ければ良いのだろう





毎日のブログ更新が

とにかく継続の心意気の現れのように

自分を奮い立たせる

でもドラマじゃないんだから

早々、次から次へと上手く展開はしないよね、、、

今はまだ、毎日ブログを更新しても

記事の内容が現実の時間に追いついて

いないけど、何もしなかったら

このままじゃいつか追いつくよね

追いついたら毎日のブログ更新からは

解放されるけど、それはそれで

嬉しいような・悲しいような、、、

やる気はあるんだけど

もう5年以上この生活が続いていて

お疲れモードを感じる

諦めればそこで終わるし

諦めなければ続けるパワーが必要

どうしたらいいんだろう、私はどうしたいのだろう

はぁ~、今更ながら参ったなぁ

2015年の1月、今年もまだ始まったばかりなのに

私は何1つとして手を付けることがなく

重い腰は動かなかった




続く…




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ミャンマーに思いを寄せて 1331

道に出ると現実に戻ったかのように

寒さが身に染みる

行きに通ってきた道が懐かしい風景のように見える





結局、大叔父のことは何一つ分からなかった

大川塾生ではないことは確かだ

消去法で1つ消えたこととなる

ただ、光機関に居たかもしれないと言う仮説は

未だに肯定も否定も出来ない

しかし、おじいさんに巡り会えたのは

運命のような気がする

きっとお話を伺いに来たことは無駄足ではないと思う





回り道もある、寄り道もある

だけど、おじいさん方から聞かせてもらった

貴重なお話は私の財産となり

いつか大叔父へと繋がると信じている

私は大叔父のことが分からなかった落胆ではなく

とても晴れ晴れとした気持ちとなっていた

駅は夕方の通勤客で溢れている

数時間前の私より、きっと今の私は

何かしら成長したように思う

おじいさんとおばあさんのおかげかな。。。




続く…




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ミャンマーに思いを寄せて 1330

おじいさんのお話は尽きることがなかった

穏やかな口調のおじいさんと

お料理上手で美人の奥様

ポカポカの日差しのリビング

隣の建物は息子さんのお家

幸せそうなご夫婦だなぁと思った





この家の子供のように大事にしてもらい

いつもまでも居たい気持だったが

そろそろ長居しすぎだわ、、、

最後におじいさんに本にサインしてほしいと

頼んでみた

おじいさんは「何て書けばいいかなぁ」と照れている





お脚が悪いのに、おじいさんは

玄関まで送ってきて下さった

おばあさんも「また遊びに来なさい」と笑顔だ

持ちきれないほどのお土産は

おばあさんの手料理と天丼

大きなお庭には、春になるとタケノコが

たくさん出てくるのだとか

竹林を通り抜け、道路へと出た

いつまでもいつまでも手を振っておられる

私も振り返り振り返り

見えなくなるまで手を振り続けた

なんでだろう…涙が溢れてくる

おじいさん・おばあさんありがとう

また是非遊びに来ます

お元気でどうか長生きして下さい

おじいさん達がお元気なうちに

良い報告が出来ますように。。。




続く…




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ミャンマーに思いを寄せて 1329

そしておじいさんは懐かしい話を

次から次へと話して下さった





戦後しばらく経ったある日

見知らぬ女性がおじいさんを訪ねてきた

その女性はフィリピンで戦死されたお父様のことで

なぜかおじいさんところに来られたそうだ

その女性のお父様は憲兵だった

おじいさんは人脈を駆使して

その女性のお父様の最後を知っている人を探した

すると知っている人を見つけることが出来た





憲兵であったお父様は

裁判と称して、壁に後ろ向きに一列に並べられて

拳銃で撃たれて亡くなられたとのこと、、、

その壁にはまだ血の跡が残っていたそうだ

その証言をしたのは現地の人だった

壁の隣に住む小間物屋のおばあさん

お父様は慶応ボーイで

慶応大学のマークの入った珍しいベルトを

していたことからお父様だと分かった

おばあさんはその時のことを鮮明に覚えていたらしい





お父様の最後が分かって良かったねと

言いたいところだけど

心からおめでとうとは言えないなぁ

その女性の心境を想像したらとても苦しい…

私も大叔父の最後を探していて

どんな真実が出てきても覚悟は出来ているけど…

ずいぶんと前の話であって

会ったこともない大叔父を探す私と

お父様を探す娘さんとでは重みが違うのだけど

彼女の気持ちが痛いほど分かるので

泣きそうになった


 


正規の裁判だったのだろうか

壁に残るほどの血痕、、、

1人や2人でないことは容易に想像出来る

指を指されただけで死刑になった等の話はよく聞く

戦争が終わって生き残ったのに

戦勝国に一方的に裁かれ命を落とした方は

きっとかなり屈辱的だったのではないかと思うと

私はやるせない気持になった

戦病死の大叔父は、志半ばで亡くなったけど

この方達と比べると遙かに幸せだと思った




続く…




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ミャンマーに思いを寄せて 1328

おじいさんに私の出身地を聞かれた

返答すると、私の出身地には思い出があると言う





おじいさんは長野県の出身で

戦時中に東京の大川塾を卒業し

戦後に東京で住むことを決め結婚された

大川塾で習った語学と戦争で培った経験と人脈は

その後のお仕事でも活かされて

外国人との繋がりも大切にされ様々な活躍をされる






しかし、いつの日も忘れた事が無いのは

戦争で亡くなられた大川塾の仲間達

ある日、おじいさんは仲間の最後の状況を

ご家族に知らせてあげたいと思うようになった

しかしご実家の連絡先が分からない、、、

遠い記憶をたどると、ご実家が和菓子店だったことと

そのお店の名前を思い出すことが出来た





おじいさんは電話番号案内に電話し

だいたいの地域と店名だけで調べてほしいとお願いした

その当時は電電公社でしょうか

案内係りの人は必死に調べて下さったそうです

そして遂にお店が発見された

電話した地域の外で隣の市内にあることが判明





名字ではない店名

ほんとうに仲間のご実家かどうか分からないが

恐る恐る電話を入れると、見事に仲間のご実家だった

お父様が電話に出られ

おじいさんは大変感謝されたそうだ





私の出身地とその和菓子店の場所が同じだったことから

昔話を思い出されたようだった

いいなぁ、そのご遺族。。。

遺族の悲しさが癒えることないけど

でも真実を知りたいのです

大叔父も戦友に看取られて亡くなっていたら

こうして最後の状況を知らせて下さったり

遺骨を持ち帰ってくれる戦友がいたかもしれないのに

病院で亡くなったのは幸せだったと思うのだけど

私はなんとも言えない切ない気分となった




続く…




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ミャンマーに思いを寄せて 1327

大川塾出身・元光機関員のおじいさんの

お話はまだまだ続く





もう1人の生き残りの山梨のおじいさんと

電話で話されている

会話が通じているような…いないような…

でも通じているんだろう

大きな声でお互い一方的に話しているような

お年寄りのなんとも不思議な会話が聞こえる





その方は、先の話に出てきた

前線まで行っていて、徴兵検査のために

ラングーンまで戻ってきた人だ

その経路をおじいさんはメモしている

中野学校出身の金子中尉とともに

テグレパール付近のコヒマまで進出し

そこからホマリン→モニワ→マンダレー→

そこから鉄道沿いにトングー→ペグー→

ラングーンに戻ってきた

健康体であったが、徒歩だったそうだ



山梨のおじいさんに関する過去記事はこちら↓↓

「ミャンマーに思いを寄せて 1303」
http://blog.livedoor.jp/aya_sann/archives/1996536.html





一般的な経路だろうなと思う

インパール作戦の最中とはいつのことなのか

どれくらいの日数で帰れたのかなどの詳細は分からない

ただ、命令があれば

作戦の最中に、前線から離脱し

逆走することが出来たのだなぁと思った

命令がなければ逃亡兵だと思われちゃうよね

若いし軍属だし、遙かな道のりでご苦労されただろうなぁ

今でも昔の経路の地名がスラスラ出て来る

素晴らしいわ~




続く…




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ミャンマーに思いを寄せて 1326

まだまだミャンマーには

帰れていないご遺骨が山ほどあると思います

で、大叔父は帰って来てるのかな?





このラングーン別院のご遺骨は

どこのご遺骨なんだろう???

戦友が持っていたご遺骨なら

それぞれが手放して預けたとも思えないし

生身ではなかっただろうから

病院等できちんと火葬されたご遺骨じゃないかと…

ラングーンの陸軍病院のかな?

もちろんいくら考えても結論は出ないのだけど、、、





戦後の引き上げで、軍人さんと共に帰国出来たとしたら

第一陣のご遺骨帰還だよね

そして第二陣は、戦後しばらくしての遺骨収集

大叔父の兵籍簿が合っていたなら

大叔父の最後の地、メイミョウ・第121兵站病院は

この第二陣で厚生労働省主催による遺骨収集で

帰還していると思われる

そして今は千鳥ヶ淵に眠っているのかな?




続く…




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おかえりなさい

読者の皆様へ


いつも読んで下さりありがとうございます



先日、夜中にテレビを見ていましたら

ニュースで「ビルマ・インパール作戦」と言う

言葉が聞こえ、ピクリと反応しました

2年前にはインパール作戦70周年

昨年は終戦70周年と

何かと節目の年として特集が多かったのですが

最近は、下火と言いますかあまり…





何事かとテレビに食い入ると

約70年ぶりに、ご遺骨がミャンマーから

帰って来と言うニュースでした

ちょうどブログでもご遺骨の話を書いていたので

あぁ良かったなぁ、おかえりなさいと思った

どなたのご遺骨かは分からなくとも

日本人が探しに来てくれて

日本に帰れて絶対に喜んでおられるだろうなぁ





地方の少数民族の村から出たご遺骨らしい

今回は10柱(18柱?)とか

この活動にご尽力されている方々には

頭が下がります、ありがとうございます

そう言う思いがあったとしても

なかなか行動に移せる人はいません

活動されている団体は

「ミャンマー / ビルマ ご遺骨帰国運動」
http://mbr-rtj.net/

HPでは、「第一陣帰国。3月4日の6時45分

成田空港着の全日空NH814便にて

ご遺骨の第一陣が帰還いたします。

志ある皆様、出迎えのための

ご参集をお願いいたします。」と書かれていました

ただ、どのような団体かは私には分かりません





私は?と考えますが…

時間もお金もありませんし

大叔父の調査と日々の生活で一杯一杯の実情

個人の活動ですので大きな活動は出来ません

でも私には私にしか出来ない形で

携わろうと思っています

小さな活動ですが、大叔父や英霊さんのご供養に

なればいいなと思っています





今後ともどうぞ応援のほどを

2016.2.7


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ミャンマーに思いを寄せて 1325

光機関におられたお坊さんは

日蓮宗の杉並の大きなお寺のお坊さん

日蓮宗で杉並。。。

なんだかどこかで聞いたような?





確か…チャンドラボース氏のご遺骨があるのが

杉並区のお寺で、日蓮宗だったような。。。

ちょっこっと調べたら、チャンドラボース氏の

ご遺骨が安置されてるお寺は

杉並区のお寺で日蓮宗だけど

光機関のお坊さんの名前は無い、、、

杉並区の日蓮宗の大きなお寺って

たくさんあるのかな?別のお寺かな?

たまたまの偶然かな?

いい線いったと思ったのだけどな

う~ん、残念ながら分からなかった





ラングーンから運んだご遺骨が

千鳥ヶ淵の戦没者墓苑で安らかに

眠っておられることを祈っています




続く…




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ミャンマーに思いを寄せて 1324

モールメンに無事に着いた遺骨

調べると、ビルマ方面軍の最終位置は

モールメンとなっていたため

遺骨はモールメンで終戦を迎えたと思われる

終戦後に遺骨がどのようになったのか?

日本に帰れたのか?

帰ったとしたら、その後は

千鳥ヶ淵に納骨されたのかな?

それともお坊さんのお寺に持って帰られたとか?

詳細は分からなかった





戦没者のご遺骨を埋葬してある

東京・千鳥ケ淵戦没者墓苑は

昭和34年に国によって建設されたから

もしも本土にご遺骨が帰ってきていたとしたら

それまで日本のどこかに保管されてたのだろうね



千鳥ヶ淵戦没者墓苑関連の過去記事はこちら↓↓

「ミャンマーに思いを寄せて 306」
http://blog.livedoor.jp/aya_sann/archives/1826817.html





おじいさんが言われるには

光機関におられたお坊さんは

東京の杉並にある日蓮宗のお寺の

お坊さんだそうで、杉並の大きなお寺なんだとか



続く…



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ミャンマーに思いを寄せて 1323

ラングーンにあったラングーン本願寺別院には

戦時中、日本軍の遺骨が保管されていた

その数はざっと4万柱と言われている





昭和20年4月23日

ビルマ方面軍はラングーン放棄を決定

4月29日には、最後の船がラングーン港を出た

その船は水産会社の木造船であった

積み荷には、1m四方の箱が37個乗せられた

その中には4万柱の遺骨が納められていた





秩序無く、我先に船に乗り込む兵

最後の船に乗れないと陸路で退去するほか無い

後回しにされたが

やっと最後の船に積み込めた遺骨

戦友の大切な遺骨を守りたい

置き去りにするわけにはいかない

一緒に連れて行ってあげたい

生き残った者より優先して積み込まれた

その作業は混乱の中

熾烈を極めたのではないだろうか

その後、船は無事にタイ国境のモールメンに着いた

※モールメンはビルマ方面軍の転進先




続く…




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ミャンマーに思いを寄せて 1322

次におじいさんは、光機関の中に

お坊さんが居たと言っておられた

よく文献で目にする名前の方である

軍属扱いではなかったかと思われる





なぜ光機関にお坊さんが必要だったのか。。。

たまたまお坊さんだっただけなのかな?

とも思ったが、そうでもないような気がしてきた

軍がお願いして抜擢したのか

はたまたご本人からの熱烈な参加希望だったのか等

詳細は分からないのだけど。。。





仏教国であるビルマでの

布教活動はあまり意味がないと思うけど

お坊さんを敬う民族であることと

仏教ルートでのビルマとの繋がりで

現地の方々と密になると言うのは考えられる

軍としては効果的な宣撫手段であろう





光機関の宣伝工作では

イギリス軍の中をたいこを叩きながら

通ったとおじいさんは語る




続く…




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ミャンマーに思いを寄せて 1321

おじいさんの口から飛び出した「アキャブ作戦」

インド国民軍が初めて祖国の地を踏んだ作戦

この第二次アキャブ作戦の話を

長く引っ張ってしまいましたが

この作戦と同様の事態が

直後のインパールではより大規模となってしまい

多大な死傷者を出す結果となったことは

覚えておかなければならないことだと思った

第二次アキャブ作戦の敗退が

それまで開戦から守ってきた

南方の主導権を放棄する一端となったことは

間違いないと言えるのではないだろうか

戦史を学ぶ人は、少なからず

名前だけは聞いたことのあるやや有名な作戦らしい

インパール作戦を勉強中の私は

知らなかったことを恥ずかしく思った





初めて祖国の地を踏んだインド国民軍の人は

どんな風に感じ、どんな風に表現したのか

その側で、その様子を見ていた日本軍は

どう思ったのだろう?

また、それを私に語り継いで下さったおじいさんの

胸中はいかなるものだったのか

計り知れないのだが、きっと大事なことだったのでは

ないのかなぁと思ったのであった




続く…




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ミャンマーに思いを寄せて 1320

あれれれまた更新が…m(_ _)m
昨夜もブログを書きながら半分寝てました



昭和21年2月13日未明

連隊長は軍服に着替えと軍刀を持って

「では行ってくるからな」と言い

既に覚悟をしていた奥様は

正座して「いってらっしゃいまし」と両手をついて送り出した





連隊長は長男を連れて近くの神社へと来た

拝殿下の石段の下にあぐらをかいて軍服の胸を開く

短刀で割腹し、頚動脈を自ら切って自決されたらしい

自決に同行された長男は

その後、その時の模様を話したがらなかったと言う。。。





戦争が終わっても、自身の中のそれまでの歴史は

無くなるわけではない

部下のことを常に考えて軍規に反してでも

独断撤退を決めた連隊長

英断にも関わらず、引責解任で内地に左遷

せっかく救った命は

苦しいインパール作戦の最中にビルマに置いたまま

何もしてあげることが出来なかった

なんと無念であったろう、、、





平成の時代になり、平成21年に

当時の連隊長のご家庭の様子を

幼子であったお嬢さんを主人公にした小説

「トラとカラスと絢子の夢」が発刊された

私も買おうかなと思った

かなり迷ってポチッと注文しそうになったが

大叔父の調査には関係ないよね。。。と

申し訳ないけど買わなかった

読者の皆様には寄り道にお付き合いいただき

恐縮でしたが

こんなピュアな軍人さんが居たと言うことを

ささやかですがこのブログで紹介することが

連隊長様のご供養になればいいなと思っております




続く…




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