ミャンマーに思いを寄せて

亡き母の思いを果たすべく、ビルマで戦死した大叔父の足取りをたどる私の奮闘記録☆

2016年05月

ミャンマーに思いを寄せて 1402

「資料集 インド国民軍関係者証言」に書かれていた

A氏の証言は34ページにも及ぶ

ものすごく細かい話が多かった

特に入隊後の話は書ききれないほど詳細だ

私が聞いていたこととは違うことも散見される

そこで私が重要だと思った箇所を簡単にまとめてみる





生年月日:1916(大正6年)年5月16日生まれ

※大叔父は大正7年生まれ
A氏は1回生上だと聞いていたので符合する

出身地:岡山県英田郡

入隊前の勤務先: 

1942年(昭和17年)3月14日まで

○○大学で国防学、国際政治学研究室助手、生徒主事、
学生主事、学生課長

国防学研究所で石原完爾氏の助手となる

3月14日から○○大学海外研究員として大東亜各地に
出向のため、各地区軍司令部嘱託となる。高等官扱い。



続く…



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ミャンマーに思いを寄せて 1401

A氏の情報については

○○大学の歴史を担当する部署の方から

何回にも渡り、少しずつ聞き出した事柄と

2冊の書物から調べた情報

そして、その他に○○大学の歴史を担当する部署の方が

先輩研究者から受け継いだと言われる

光機関でのA氏の日誌の一部(復刻版コピー)をいただいているので

そこから読み取れるA氏の人となりと光機関での様子くらいしか

私にはA氏の情報は無かった

しかし、それらの情報が全てほんとうかどうかも

私には判断できなかった





A氏の詳細が分かったとしても

そこから大叔父に繋がるかは分からない

それでも、A氏の詳細が分かれば何かが解けるかもしれない

ほんの僅かな可能性があるのなら

調べずにはいられない

興味や好奇心ではない

私にはこうして調べていくしかないのである





この「資料集 インド国民軍関係者証言」には

A氏の詳細が驚くほど書かれていた

そして<質問表>の質問のほかに

A氏本人が語った事柄がたくさん載っていた





続く…





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ミャンマーに思いを寄せて 1400

○○大学の歴史を研究する部署の方から

A氏の名前が出てくる本を教えてもらった





それは近くの国立の大学が

昭和17年5月~7月に行った

旧満州北部の僻地の探検記録の中

A氏の紹介で、満州国治安部(のちの軍事部)の

高級顧問であった藤村謙少将に便宜を図ってもらった

と言う内容の一文がある





そして、近年に発刊された書籍では

早稲田大学の先生が書かれた

光機関についての本の中に

A氏が満州から北京に活動拠点を移動し

岩畔機関に入ったことが書かれている

北部大佐が南方に行くと言ったら

是非連れて行ってほしいと付いて来たと書かれていた

また、○○大学の資料では

A氏から学校長宛の書簡に

「参謀本部委嘱トシテ、ビルマ駐在特殊機関ニ服務シ」

と言う一文があったとのこと

A氏は南方でインド国民軍の訓練所の所長をしていた

「カンベの所長は、○○氏と言う嘱託の青年で、

光機関の諜報・連絡部門の交渉係をしていた」

と書かれている






A氏が出てくる探検記関連の過去記事はこちら↓↓

「ミャンマーに思いを寄せて 1179」
http://blog.livedoor.jp/aya_sann/archives/1983743.html



A氏に関する過去記事はこちら↓↓

「ミャンマーに思いを寄せて 603」
http://blog.livedoor.jp/aya_sann/archives/1898136.html



早稲田大学の先生が書かれた光機関の本関連の過去記事はこちら↓↓

「ミャンマーに思いを寄せて 651」
http://blog.livedoor.jp/aya_sann/archives/1905975.html





続く…




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ミャンマーに思いを寄せて 1399

研究チームのテーマに沿った調査のため

調査表には私にあまり関係のない事項も多かった





まずはA氏のことが知りたかった

A氏は○○大学からビルマの光機関に

派遣されていた人で

光機関から「優秀な学生を推薦するように」と

言われていたのである

私はそのうちの1人に大叔父が入っていても

おかしくはないと思っている

A氏がなぜ大陸に行き、その後どのような経緯で

光機関に入ったのか細部は謎であった

そして光機関と○○大学の関係も気になっていた

それを知ったところで大叔父に関係するかは分からないが

○○大学や○○大学の理事であった大叔父の義兄(姉婿)が

大叔父の出兵に関わっている可能性は高いと考えており

何からの解明に繋がればと思っていたのである





私が知っていたA氏の情報は

○○大学の歴史を担当する部署の方から

教えていただいた事項として

・氏名

・大叔父より1回生上で同じく法学部

・昭和16年3月に○○大学を卒業し

同年3月に、○○大学の職員として学生主任に就任

翌4月には学生課長を兼務

・同年に○○大学に出来た国防学研究所の

所員(大学側推測)として月額50円の

特別支給(手当)があったようである

※国防学研究所とは、昭和16年に○○大学に

出来た研究所

初代所長は石原莞爾氏

・昭和17年3月に、学生課長を解任され

関東軍情報部に勤務したと思われる

同年6月に、北京に移動

その後8月に、バンコク→ビルマに移動

ビルマの特務機関・岩畔機関→光機関に勤務

・昭和18年8月23日、日本に帰国

・帰国後は徴兵はなかった

・戦後は大阪の寝屋川に住んでおられた

・戦後、ご家族(ご遺族)に聞き取りに伺った際には

ご家族は何も知らなかった

・戦後しばらくは手紙の往来があったようだが

返事が来なくなり音信不通となった




続く…




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ミャンマーに思いを寄せて 1398

この本は、戦前・戦中のアジア(特に南アジア)の

認識・研究の関連を考え、勉強しようとする

大学のグループが

インド国民軍に関係した光機関の日本人を

対象として行った証言資料集である





何組かの担当グループに分かれ

個人へ共通の質問を行う形式で行われた



<質問表>

・氏名
・生年月日
・出身地
・出身学校
・入隊前の勤務先
・入隊後の所属部隊

1 開戦の時はどこに居たか?その時の感想

2 光機関に関係するきっかけ

3 光機関での役割

4 インパール作戦について、当時に何か気付いた点

5 軍事上の方針を巡って、勤務地で意見の違いはあったか?

6 チャンドラボース氏の印象

7 チャンドラボース氏の願望を叶えようとして
インパール作戦を始めたと言う説はどう思うか?

8 インド国民軍及び兵士の印象

9 インド人との具体的な接触例

10 当時、インドやアジアについてどんな考えだったか

11 同じく、当時、中国については?

12 同じく、当時、朝鮮については?

13 当時読んだアジア関連の書物

14 質問10~12の考えは、戦時中は変わることはなかったか?

15 終戦はどこで迎え、いつ帰国したか

16 戦後はアジアやインドと関係を持っていたか?

17 当時の日記等は持っているか?

18 他に持っている人を知らないか?

19 インタビューすべき人がいたら教えて下さい

20 その他、感想等



続く…



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ミャンマーに思いを寄せて 1397

「資料集 インド国民軍関係者聞き書き」と

「資料集 インド国民軍関係者証言」の2冊

何が違うかと言えば

「聞き書き」の方が先に出版され

それに収めきれなかった他の証言者の分が

「証言」の方に掲載されているとのこと





私は脇目もふらず

○○大学から光機関に配属されていた

A氏の証言を探した

「聞き書き」の方には約60名ほどの

証言者の名前が並んでいる





こんなに光機関の方がおられたんだ…

もちろんご存命の方がたくさんいても

おかしく無いほど大きな機関であるが

こんなに多くの方にお話を聞かれたことに驚いた

1人ずつ調べて訪ねて行かれたのだろうなぁ…

素晴らしい、その努力に頭が下がる思いだ

この本が出たのが2008年

その頃だったら、こんなに多くの方の話が聞けたのね

私なんて1人しか見つからないのに。。。





並んでいる名前の中には

私が知っている方は1人しかいなかった

A氏は「聞き書き」には載っていなくて

後で追加された「証言」の方に入っていた




続く…




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昨日の靖国で

キャーまたまた日付を間違えた

夜中に更新すると翌々日に予約してしまうことがあるっ

スミマセーンm(_ _)m



読者の皆様へ


いつも読んでいただきありがとうございます


2日間に渡り、私的な記事で失礼します

昨日は、靖国神社内にある靖国偕行文庫の偉い方を

ご紹介いただき、会いに行って参りました

偕行社や軍事史学会の先生方には

いつも大変お世話になっていて

この靖国偕行文庫にも通ったことがありました

たくさんの知識人の見解をお伺いすることは

様々な角度からご意見をちょうだい出来るので

とても有意義なことだと思っています





うふふ、収穫事項もありました

さすがっっっ!!知識がとっても豊富な先生でした

大変親切に丁寧な対応で感激

ただ~残念ながら私の仮説には否定的で

その根底には「たかだか下士官」と言う思いが

あるのではないかと、お話の端々に感じました





「兵籍簿は絶対」のお考えは変わることなく

全ての不都合は「たまたま」で済まされ

私の仮説を否定する根拠として

「英語が話せたくらいで…。大学に行っていたら

誰だって英語くらい話せる、そんな人は山ほど居た」

「司令部や特務機関に下士官はいない」

「司令部や特務機関の人間は

マラリアやアメーバ赤痢で死なない」

、、、えぇぇぇぇ???あーーー、えーーー、う゛ーーー

私はドンドン無口になってしまった、参ったなぁ





ここでそんなことを論じていてもしかたがない

私の仮説を確実にするために

決定的な何かを見つけられるよう

お知恵を拝借したいと来ただけなんですけど、、、





私はシクシクと靖国神社の参道を帰りました

参道を泣きながら歩く女性って危ない人よね

でも収穫が1つでもあっただけ良しとしなきゃ

詳しくは、ブログ本文でいつか書きますね、お楽しみに


2015.5.25


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「丸」さんとの打ち合わせ

読者の皆様へ


いつも読んでいただきありがとうございます


昨日は、「丸」編集部にお邪魔して

今後の話し合いをしてきました

そのため、とーっても疲れてしまい

ブログを更新したいのですが

頭が働きませんので

話し合いの内容に少し触れておきます





「丸」の掲載では、やっと特務機関が出てきた頃

これから状況は、大々的にガラリと変貌するのですが

編集部としては”じれったい”のでしょうね

この記事が人気がないとのことで

徐々に掲載が遠のいていました

遂に打ち切りをほのめかすお話が、、、

商業誌ですので売り上げに貢献しない記事は

消えていく運命なのですが

この記事を載せていただいているご恩返しに

その他のことを引き受けていたにも関わらず

そのような運びになりかけて凹みました





ダメ元で編集長様とお話しさせていただきました

現状と、これからの展開について説明し

何とか繋ぐことが出来ました

やはり直接お会いしてお話をすると言うことは

大切だなと思いました

あちらも鬼ではなく人なのですから





ただ、今後は、丸さんだけに頼るのではなく

他の道も模索しないといけないと痛感しました

そして、フィクションではないので

面白い記事になるかは分かりませんが

私の文章能力と構成も勉強し直して

読者の皆様が興味を抱く記事に努めなければなりません





まだまだ課題の多い私ですが

どうか皆様、今後とも応援を宜しくお願いますm(_ _)m

いつも読んで下さってほんとうにありがとうございます

今日は靖国神社に行ってきます

良い方向に向かいますように



2015.5.24



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ミャンマーに思いを寄せて 1396

近くのコンビニ受け取りにした2冊の本

届きましたのメールに

なんだか重たい気持ちで受け取りに…

あ~諭吉さんとさようなら

こんなに投資して、ほんとうにいいのかな?

ミャンマーの調査で、いつかお金儲け出来るかも

なんて思っていない

ただ、ハッキリとして満足して終わることを

望んでいるだけ

言い換えたら、自己満足のために苦労して

投資しているんだよね、、、

と思うと、なんだか罪悪感のようなものが…

主婦の私が、こんなことやってていいんだろうか?

調べるために・勉強のために

家事も手抜きの時が多い

ブログを書くために時間を費やすることもある

現代の家族よりも、遠い昔に亡くなった親族の方を

優先しているような生活、、、

家族のみんなごめんね





しかし、購入ボタンをポチッとしてしまったし

目の前には荷物として本が届いている、、、

今更、何を言ったってしかたがないかぁ。。。

などと、一生懸命に言い訳をして

とってもズッシリと重い荷物を受け取った





家に帰ってダンボールを開ける

分厚い本が2冊入っていた

さあ、頑張って読ませていただきましょうか

どんなことが出てきても受け止めますっ

気合い入れて行きますよ~(^^)/




続く…




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ミャンマーに思いを寄せて 1395

ネットショップで検索をしたら

『資料集 インド国民軍関係者聞き書き』と

『資料集 インド国民軍関係者証言』と

2種類あることが分かった

どちらがどうで、何か違うのか分からない、、、

そして、その中にA氏の談話が入っているのか

それさえも分からない





すぐに国会図書館に行った

しかし、館内の検索予約をかけても出て来なかった

相談係のような方にお願いして探してもらうと

「たぶんこれじゃないでしょうか」と見つけて下さった

著者が連名だったのと、その他諸々で

手こずったのだった

国会図書館には1種類しか置いていなかった





そっと中をチラ見すると、、、こっこれはっっっ

なんだか、とってもとっても

すんごいことが書かれているように思う

私は青ざめて、本をすぐにパタリと閉じて家に帰った

ずっと悩んでいたが、家族の了承を得て

その高価な本を2種類とも即決した

購入ボタンをポチッとなあ~、買っちゃった

これって調査以外に

いつか何かの役に立つ本かしら、、、う゛ぅ

主婦の私には、漬け物の重石に使えるかも

こんなの私が買うようなレベルの資料じゃないよ

どっかのプロの研究者レベルだよ~




続く…




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ミャンマーに思いを寄せて 1394

プロの方には以前に私が読みたいと思っていた

本の確認をお願いしていた

様々な書物の末巻に綴られている

参考資料の一覧から

読んでいない物をいつも探す

私の欲しい資料のほとんどは

古いため今は市販されていない場合が多く

なかなか手に入らないのが実情だった

プロの方のご配慮で探していただいた





その一例として

光機関の軍事部長であり

後には大叔父の歩兵60連隊の連隊長になる

北部邦雄大佐の書かれた

「思い出と反省 ビルマインド独立運動の記」

その他には、大陸を経て光機関に配属された

○○大学のA氏が懇意にしていた

藤村兼中将の「主として満洲国軍の最高顧問時代の所感」

なども拝見することが出来た





そしてプロの方は

「A氏の談話記録」が入っている

『資料集 インド国民軍関係者聞き書き』

と言う本を見つけて下さった!!

何これ…(>_<)タイトルを見た途端ゾゾゾ~

ドンピシャなタイトルじゃんいやーん、キャー

一体その本には何が書かれているの???




続く…




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ミャンマーに思いを寄せて 1393

そんな折り、そのプロの方が

すんごい本を見つけて下さった

これって…これって…ドンピシャかもしれない、、、

内容はどんな物か分からなかったが

タイトルを見ただけで震えが来た(>_<)





ネットで調べてみると

10年ほど前に発行された本で

ほとんど流通していなかった 

厳密に言うと、ネットでは

新品で1冊しか売りに出ていなかった

きっと特殊な分野の本だから

発行部数も少ないだろうし、中古も出回っていない

プレミアが付いての値段ではなく

最初から、とっても高価な本なのだ

これって、参考書ってレベルの資料じゃないよね





私は購入するかどうか迷ったが

国会図書館を訪ねることにした

いつも参考書は購入してしまう私

とってもとっても欲しいと思ったが

諭吉さんが何人も飛んでいくような

ものすごく高価な本だったから

とりあえず、内容をチラ見して

もしも素晴らしい本だったら考えようかな。。。

とにかく早く確認しないとっっ




続く…




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ミャンマーに思いを寄せて 1392

スミマセーン、更新予約時間を間違いました



筆跡鑑定は、ちょっと後回しにして

その他のことを調べなくっちゃ

まだまだやらなきゃいけないことは

山積みの状態だった





ご協力をいただくこととなったプロの方は

たくさんの書籍を準備して下さっていて

参考になる物があればとすすめて下さり

家に持ち帰り、かなりの量だったけど

必死に読んだ

時間をかけて全てに目を通したが

勉強にはなるものの

大叔父に関する事柄は何も見つからなかった





このプロの方は、国会図書館などの

所蔵目録をネットから引っ張り出して

そこから、関係のありそうな書物を

ピックアップして下さった

すごいね☆さすが!!そんな方法があったのね♪

プロはプロの調べ方があるのね~

ありがたく、頼もしい限りだわ感謝です




続く…




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ミャンマーに思いを寄せて 1391

大叔父の文字のように見える兵籍簿

大叔父の文字には今まで2種類あった

1つは丁寧に書いた角張った文字と

達筆で綴った丸目の続け文字

兵籍簿の文字は文書用の平たい文字





私も3種類使い分けている

1つは楷書、もう1つは文書用の平たい文字

最後はチャラ書きのマンガ文字





見れば見るほど分からなくなる兵籍簿の文字

”もしも”とばかり素人が考えていても

モヤモヤとするばかり

筆跡鑑定に出そうと思って

関係サイトをブラブラとしてみたが

筆跡鑑定って、とーってもお高いのね

ビックリするほど高額だった

これが一般的なんだろうけど

日頃は筆跡鑑定なんて関係のない

生活をしている私にとっては

こんな大金…はぁ、困ったなぁ

このミャンマーの調査には

意外と支出が多いのですよ、、、

参考書購入や、調査のための旅費

季節のご挨拶やお礼など、その他諸々

筆跡鑑定をお願いするには

どこを選んだらよいのかも分からない

貯金をして、もう少しだけ慎重になろう。。。




続く…




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ミャンマーに思いを寄せて 1390

兵籍簿は異動の際は

人事係から人事係へと渡される大切な物である

大叔父に当てはめたら

京都師管区の歩兵128連隊から

大陸の歩兵60連隊の人事係へ

渡されるのが普通だと考える





兵籍簿をよ~く見てみると

入隊から大陸の歩兵60連隊に合流して

その後にビルマ方面に移動して

サイゴン(ベトナム)に行ったところまで

大叔父の文字と似ている人が

通して書いている





そのままその事実を受け取ると

とある128連隊の人事係が

60連隊に送り込まれる新兵を受け持って

その人事係は60連隊に配属されて

そのまま引率して送り届けた後も

サイゴンまで人事係をしていた???

サイゴンからは帰ったのか、他の係になったのか?

引率して、受け渡しをしたら帰国ではないのね





それってかなり強引な解釈な気がする、、、

読者の皆様、他に何か考えられますか?

だけど、これが大叔父の文字だった場合は

人事係も存在しないこととなる。。。

エーン、もう何でもありだ~参ったなぁ




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ミャンマーに思いを寄せて 1389

4つ目は、大叔父単独での移動だった場合

新兵が単独で大陸に渡るって

おかしな話だよね

補充交代要員は、1人や2人ではなかったはず

これも考えられないなぁ





じゃあ、5つ目のその他って…

それは、この記載が最初からウソだった場合

最初からウソと言うより、後から偽造されたと

言うべきだろうか?

自分で自分の兵籍簿を作成するって

やっぱりありえないことだと思うから

そもそも普通であれば

兵籍簿を自分で作成する理由がないのである

自分で作成しなければいけない場合って

どんな場合があるんだろうと考えると

この兵籍簿自体が疑わしいと思えてくるのは

当然のことではないだろうか?





この兵籍簿が全てウソだとは思わない

大叔父が亡くなったことも含めて

ほんとうの部分がほとんどだと思いたいが

どこがほんとうで、どこがウソなんだろうか

もう少し詳しく兵籍簿を見てみないと

分からないよね




続く…




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ミャンマーに思いを寄せて 1388

可能性について追究する

1つ目の、引率者に仕事を押しつけられた場合

と言う可能性は無きにしもあらずかもしれないが

移動中に人事記録を取り出して

記入することは考えづらい





2つ目の、大叔父が代表者だった場合

大叔父は昭和18年には25才くらいである

新兵と言えど、立派な青年である

先任者として若い新兵さんを引き連れて

移動した可能性はあるが

普通であれば新兵の移動には

引率者が付くのではないだろうか?

そして当然のことながら人事係ではない

大事な兵籍簿の記入を頼まれるとは思えないのと

やはり移動中に記入することは考えづらい





3つ目の大叔父が人事係りだった場合は

いくら大学を4回生で中退していても

部隊配属もされていない新兵が

いきなり人事係には就かないだろう

兵籍簿は単なる記録綴りではない

記載要領には決まり事があり

ある程度の知識が必要である




続く…




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ミャンマーに思いを寄せて 1387

昭和18年7月22日

大叔父は、歩兵60連隊の補充交代要員として

伏見師団(第16師団)を出発して

大陸である中支(現・中国)に渡ったと

兵籍簿ではなっている

この時、歩兵60連隊は

インパール作戦に向けて

中国からビルマへと移動中である





新兵の移動には、引率者が付くのが普通である

兵籍簿などの重要な人事記録は

移動の際には個人または代表者が

携行書類として持参したと言う前提で

もしも、大叔父本人が兵籍簿を書くとしたら

そんな状況はどんな時なのだろう?と考える





1つ目は、引率者であり兵籍簿を管理する者に

仕事を押しつけられた場合

2つ目は、大叔父が代表者だった場合

3つ目は、大叔父が人事係りだった場合

4つ目は、大叔父単独での移動だった場合

5つ目は、その他





昭和18年の夏

まだ、学徒出陣も始まっておらず

交代のための補充が行われていた時期

京都師管区から大陸の歩兵60連隊への

補充交代要員は、1人や2人ではなかったはず




続く…




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ミャンマーに思いを寄せて 1386

兵籍簿とは、例え有事の際でも

個人が記入する物ではないと判断する

普通であれば、兵籍簿は所属先の人事係が記入する





大叔父の場合、昭和17年12月に

第一補充兵役に編入され

翌年の昭和18年4月に京都師管区に臨時招集されて

京都・伏見師団(第16師団)歩兵第128連隊に応召

入営して、新人教育を受ける

ここにはきっと、きちんとした人事係が居たはずだ





しかし、この時点においても既に

兵籍簿には、大叔父の物とおぼしき文字が散見される

たくさんの新兵が入隊してきたとして

氏名や住所くらい本人に書かせるのは分からないでもない

しかし、履歴欄の配属先や行動記録などまで

本人が書くと言うことはありえないだろうと

私の調査のチームメンバーは判断する





では、どのような場合に

大叔父本人が書いてもおかしくないかと考えた…




続く…




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ミャンマーに思いを寄せて 1385

おじいさんは、兵籍簿は個人が

書く物ではないと言った

私もそうだと思う

もう1人だけ聞いてみようと  

偕行社の人に聞いてみた

当然のことながら

何をバカなことを聞いているんだと言う

雰囲気であった

質問への答えはいつものことながら

「たまたまでしょ」でした(笑)

こんなたまたまあってたまるもんか(^_^;)

どんだけ『たまたま』が重なるんですか

全てが『たまたま』で済ませられたら

私の調査は、とっくに終わっているのになぁ~





ざっくりと大叔父の文字ではないかと

見て取れる部分は

氏名や本籍地、入隊年月日や入隊区分などの

基本的な部分と

入隊してから、大陸に渡り

しばらくの間の行動記録の部分である





もしも、大叔父の兵籍簿を

大叔父本人が書いていたとしたら

どのような状況が考えられるのだろう?




続く…




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ミャンマーに思いを寄せて 1384

どさくさ紛れの戦時中

人事記録であった兵籍簿さえも

個人で記入したのだろうか???





大叔父の歩兵60連隊においては

軍人手帳は配布されていなかった

兵籍簿の写しのような役割のあった

軍人手帳の代わりに

兵籍簿そのそものが個人配布されていて

個人で管理していた???

何があっても不思議でない

何でもありの時代だから

今の私達が考えられないことがあったって

おかしくもないのかな。。。





早速、歩兵60連隊の生き残りの

おじいさんに聞いてみた

おじいさんは半分怒ったように呆れたように

「兵籍簿ってもんは、そんな物と違いますっっ!!」

あぁ、やっぱそうですよね…

私も分かってはいたのですか念のためにね

戦争を知らない若い者は何を言っているのか!

そんなことも分からないのかっ

と言いたげなおじいさんの反応

ごめんなさいね





もしも、兵籍簿の文字が

大叔父本人の物だったら、やっぱり変だよね、、、

これってとんでもない発見なんだろうか?

どうしたらいいのかなぁ。。。(T_T)エーン




続く…




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ミャンマーに思いを寄せて 1383

えっ???兵籍簿の文字って…???

いやいや、兵籍簿って個人が書く物じゃ

ないと思うんだけど、、、

人事記録だよね???

もしも、兵籍簿が大叔父本人の文字ならば

大叔父が自分の兵籍簿を

自分で作っていたことになる。。。

そんなこと、、、ん?変だよね???

旧軍ってそんなものなのかな???





突然、そんなことを言われても

私は何も言えなかった、、、えーっと、えーっと

頭の中はパニック状態であった

「もしも、大叔父本人が書いていた場合…

それって、どう言う意味なんでしょう?」と

プロの方に聞いてみたけど「う~ん、さあ、、、」と

困っておられる

だよね、だよね、そんなこと聞かれてもね、スミマセン





私は今の今まで熱く語っていたことも忘れるくらい

目の前にある疑問に無言となった

とにかく新たな疑問が出現したので

これを何とかしないとね、、、

何とかってどうするの私???参ったなぁ(T_T)




続く…




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ミャンマーに思いを寄せて 1382

私の熱くて長い話を聞き終わった時に

その方がふと気付かれた。。。

「これ…大叔父さんの字じゃないですか?」

はい???え…!!





それは、兵籍簿であった

まさか…そんなことがあるはずがない

と言いたかったが、言われてみると

大叔父の文字のように見えてくる、、、





全部ではないが、兵籍簿の最初の方が

大叔父の筆跡ではないかと

その方が発見された

えーーーーー

これって、これって…どう言うことなんだろう




続く…




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ミャンマーに思いを寄せて 1381

キャー、すみません

予約投稿の日付を間違いました

更新が遅くなり申し訳ありませんm(_ _)m



2015年、5月末のある晴れた日

私はその方を訪ねて行った

小さな部屋は本棚で埋め尽くされ

これでもか~と言うほどの資料が並んでいる

うわぁ、ほんとうにプロの人なんだぁ、すっごい

私には、それらの資料が

どれほどの価値かは分からないけど

かなり凄い物だと感じた

今の私にとっては

スーパーマンのような救世主のように思えた





メールでは伝え切れていない

細部の情報を伝える

上手く伝えられたかどうかは分からない…

勢いよく話したので、唖然とされていることだろう

「う~ん」とうなっておられた

私の妄想や思い込みではないと言うことと

熱意だけは伝わったと思いたい





これだけの膨大な調査記録と

とんでもない話の内容は

誰が聞いてもビックリするよね

私もどうしたら良いのか分からないほどの

大事になっていて、途方に暮れているです、、、





すると、その方がふと気付かれた。。。

またまたとんでもないこととなった




続く…




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ミャンマーに思いを寄せて 1380

気がつけば2015年の5月末となっていた

早いものでこの調査を始めて5年目を

迎えようとしていた

やらねばならないことはまだまだ山のよう

気持ちが焦るばかりで

どれから手を付けて良いやら…





まずは、先日、ご協力をいただけることとなった

プロの方とのメールが続いた

メールでは、大量のデータとなるため

まずは、お会いして詳細を伝えることとなった





このブログをじっくりと読んでいただければ

かなりの部分がきちんと伝わると思うのだが

残念ながら、このブログは日々の記録なので

読むにはかなり時間がかかり

まとまってもいない

メールでブログへの案内もしたが

ご覧になっている雰囲気はなかった





今までの調査記録を

上手くまとめて口頭で伝えられるだろうか?

私が調べたい方向のアドバイスや

調査をお願いするためには

どこから話せば良いのか

決定的な事実と、仮説の部分を明確にして

それに状況証拠を併せて…

シュミレーションしたけれど

ほんとうに伝わるかしら、、、

そして私の話を本気にして下さるかしらと

とても不安だった





続く…




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ミャンマーに思いを寄せて 1379

隣で飲んでいた常連さんの名前は

ソ連旅行の仲間の名前と一致した

でも、こんなことってあるのね、、、

なんだか、とてもビックリなんですけど~

この調査で起こる現象に似ているなぁ

もしかしてこのミャンマーの調査に

何か関係があったりして~

なぁんて、あんまりにも期待しすぎかな?(笑)





ところで、何で主人の地元の片田舎に

この人達は居たのだろう???

妹さんの話によると

2人は地元の国立大学の助教授らしい。。。

2人は元々知り合いではなかった

たまたまツアーで一緒になった仲

出身大学は、この地元の国立大学ではない

それぞれ違う大学




その2人が、なぜか同じ時期に

こんなところで(あら、失礼)で助教授だなんて

ほんと奇遇だよね~

2人の出身大学を主人に聞いてみた

すると、1人は違う国立大学で

残りのもう1人は、大叔父と同じく○○大学だった





えっ…○○大学???

いや~ん、なんだかとても寒いーーー(>_<)

そりゃ○○大学出身の人なんて他にも

たくさん居るんだけど

何もこんな時に名前が出てこなくても~

えーっと、ちなみにその人の学部って何…???

「史学科」だったような、、、って、ゲロゲロ





どうする?どうする?と1人で慌てていた私

主:「どうするって…」

私:「会いたいよね?」

主:「いや別に…」

妹さんに、「次に会ったら連絡して」と言ってみようか。。。

でもこれが、調査に関係するかは

まだ全く分からないのだけどね(笑)

だけど、やっぱ変だよね~




続く…




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ミャンマーに思いを寄せて 1378

突然、妹さんから主人に電話あり

学生時代にソ連旅行に行った時の

一緒に居たグループの人の名前を思い出せと

慌てているような口調 

主人は訳が分からず

何を言い出すのかと呆れ顔

「何で急にそんなこと聞くの?」

「も~、なんでもいいから、早く思い出して~」

妹さんの悲鳴のような声が電話から

漏れ聞こえてくる





記憶をたどり、なんとか名前を思い出して

妹さんに伝えると

やはりズバリ、ご本人だった、、、

こんなことってある~???あせあせ(飛び散る汗)何これ、キャー

なんだか私までドキドキ&ゾゾゾ~





30年前に行ったソ連旅行で一緒になった人達が

たまたま主人の地元のお店で飲んでいて

隣に居合わせた妹さんが偶然にも

その会話を耳にして、兄と知り合いだと分かったって、、、




続く…




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ミャンマーに思いを寄せて 1377

主人が大学生の時に行ったソ連旅行から

約30年経った2015年・春





地元に住む主人の妹さんが

馴染みのお店で食事をしていると

隣で他の常連客が飲んでいた

顔は知っているけど、話したことはない人





隣の会話がふと耳に入ってきた

お連れさんとは久しぶりに会ったようで

大学時代の話で盛り上がっていた

大学時代に行ったソ連旅行の話をしている

「チェルノブイリの翌年だったよな~」と聞こえた

そう言えば。。。うちのお兄ちゃんも

チェルノブイリの翌年に

ソ連旅行に行ったわよねと妹さんは思った





「その時の○×大学の人がさぁ~」と聞こえて

お兄ちゃんも○×大学だよなぁと思った

しかも主人が卒業した大学は少し珍しい大学だ

気のせいよね、単に偶然の他人の話なんだろうけど

何か分からないけど、妹さんはとても気になった




続く…




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ミャンマーに思いを寄せて 1376

このミャンマーの調査では

いつも思いもよらぬ方向から

急に展開することがある

しかも驚くほどの信じられない偶然で。。。

スピリチャル系のことは

よく分からない私なんだけど

あまりにも不思議なことが多すぎるので

最近では、おかしな動きが出ると

「ミャンマーか?」と思うほどに(笑)

実は、またまた不思議なことが起きた!!

なんだかゾゾゾ~としたので書いておきますね





主人は国立の大学をハシゴした変わった経歴の人

第一の大学は地元の国立大学

第二の大学はそれより少し上のランクの大学





大学時代に滅多に行けないからと

ソ連旅行に行ったそうだ

ソ連からシベリア鉄道でドイツへ

ツアーでたまたま一緒になったのは 

ツアーの最少人員の7人

年頃が一緒だったため

知らない者とも仲良くなった

旅行を無事に終え

男同士だし、連絡先も交換せず別れた

名前も半分忘れて

なんとなくしか覚えていない遠い記憶

あれから約30年経ち

2015年・春を迎えようとしていたある日…




続く…




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先日の件から復活しました☆

読者の皆様へ


いつも読んでいただきありがとうございます


先日はグチッてしまい大変失礼しました(^^;)

弱音を吐きたい時もあるよねと

流していただければ幸いです





いつもポジティブな私ですが

凹むことも多く、泣き言を言うことも多々あります

その度に七転び八起きで

より一層やる気になってしまうのは

気のせいでしょうか?(笑)

でも、先日の丸さんとの一件ではかなり凹んでしまい

いつもお世話になっている先生に

久々に電話をしてしまいました





私からの久々の電話に良い報告かと思った先生は

私の凹みぶりに慌てたようです

新たに分かった事実の報告を添えて

「大叔父が特務機関に居たって言うのは

私の妄想なんでしょうか …?」と聞くと

「どう考えても特務機関以外に考えられないよ!」と

先生は熱弁をふるう

大叔父の経歴や環境は

特務機関員の条件に大変好都合であることと

普通の2等兵とは思えないことは

今までの調査で明らかであると言う

”黒に極めて近いグレー”

「大丈夫、自信を持って頑張りなさい」

「怖がらずに動いてみなさい」と

先生は励まして下さった





心配して翌日も朝からお電話いただきました

ご迷惑をおかけして申し訳ありません

そうよね、誰に何を言われても

私の今までの6年間の調査は無駄ではない

それを元に仮説を立ててるのだから

自分が信じた方向に突き進めば良いのよね

そうすると自ずと結果が付いてくる

周りも応援してくれるよね

確かに最近サボッてると思う

私の頑張りが足りないのねと反省





もう少し頑張ってみます!

最後のあがき?まだ着手していないことは山ほどある

心を入れ替えてパワーアップしなくっちゃ

読者の皆様もどうぞ応援下さいね☆



2016.5.2



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ミャンマーに思いを寄せて 1375

大叔父が市ヶ谷か千駄ヶ谷を

訪れた昭和15年には

市ヶ谷には大本営と予科士官学校があったけど

結局、大叔父がどこに行ったかまでは分からない

でもまさか朝霞の広報センターに行ったことで

こんなことを慌てて調べるとは思ってもみなかった

歴史って色々なところで繋がっているのよね

私の知らないことはまだまだ転がっていると

つくづく思い知ったのであった





遺品であるこの切符が私に何を伝えたいのか

全く分からないのだけど

何か意味があるのかなぁ。。。

昔々、ある専門家に「中野学校の人間で

こんな証拠を残すマヌケはいない」と

ボロカス言われたことを思い出す

だけど、「例え中野学校を卒業していたとしても

人間なんだよ、小さな手がかりを残したかった

のではと私は思うよ」と言う先生もいる

中野卒うんぬんはかなり微妙かなと

最近は思っているんだけど

まだ捨てきれないと言うか

まだ捨てなくてもいいかなと思う

今の段階では肯定も否定も出来ないから





いつかいつかこの切符の謎が解けるのかなぁ。。。

今更ながら私って大変な調査を始めちゃったなぁと

頭が痛くなったのだった




続く…




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