ミャンマーに思いを寄せて

亡き母の思いを果たすべく、ビルマで戦死した大叔父の足取りをたどる私の奮闘記録☆

2016年07月

ミャンマーに思いを寄せて 1455

本を読んでいくうちに

今まで分からなかったことを知ったり

部分的にしか勉強していなかったことが

全体像の中で捉えることが出来たりと

私って成長しているのかも?と思えた

振り返ると、長い道のりである

でもこれほど勉強して、一体、何のためになるのか?

未だ本の中には大叔父の名前は出てこない






考えてみれば、私が勉強しているのは

ビルマの陸軍の歩兵60連隊と光機関の

昭和18年後半頃~

昭和19年7月の大叔父が亡くなるまでの間

と言う、かなり狭い範囲の事柄だけであった

その後の60連隊や光機関がどのような運命を辿ったのか

を含め、その他はあまり詳しくはないのである

もっと広げなければいけないのかなぁ、、、

じゃあ次はどこに照準を合わせるの?

もう不可能に近いよね、、、





とくかく今は、この本を網羅するしかない

ウダウダ言ってないで頑張れ私

大叔父に直接関係のなさそうなことだけど

面白い話はたくさん出てきた

この本、かなりオススメです♪




続く…




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「丸」掲載のお知らせ☆

読者の皆様へ



いつも読んでいただきありがとうございます

関東は梅雨明け間近、今日か明日か?

皆様、お変わりございませんか?





ミリタリー雑誌「丸」2016.9月号(7/27発売)にて

『大叔父を探した心の旅VII』のタイトルで掲載されています

サブタイトルは「ビルマの密林に消えた幻の日本兵をもとめて

なんですが、幻か?といつも思う(笑)

丸さんはタイトルに「幻」を付けるのが好きですww

まぁ、見つからないのだから幻と言われてもしかたないですが~

密林に消えたのか?ほんとうにビルマかな?

もう何だか分からない状態ですが

皆様の応援を受けて細々と続けております、ありがとうございます
m1609b[1]











丸さん用の記事は、このブログ記事を

ギュギュッと凝縮して、読みやすいダイレクト版となっております

ブログ読者の皆様も、是非、ご参照下さいね

是非、綴じ込みハガキでご感想&応援メッセをお待ちしています

あぁ~こんなこともあったなぁなんて、懐かしく思う事柄も満載

内容は4年ほど前のこととなります

まだまだ特務機関に出くわしたばかりのピヨピヨ時代の話です

あの頃は可愛かったなぁ。。。なぁんて

まさかまさか、こんなことになろうとは…トホホ





丸さんの記事は、今までは、単なる大叔父探しでしたが

本格的な特務機関説に突入し

また違った層の読者様の目に留まることで

情報提供に繋がることを祈っております

だけど、待ってるだけじゃご存命の方に出会うのに間に合わない

もう最終局面に来ていると思うのでここが正念場かと

何やかんやと頑張りま~す♪

今後ともどうぞ宜しくお願いします



2016.7.30



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ミャンマーに思いを寄せて 1454

大叔父の機関銃中隊さえも玉砕した4月末には

当初は1,000人以上居た大隊人員も

20名余りとなっていた、、、

どう考えても大隊として機能してないでしょ

それでも山本支隊長からは、玉砕と認めてもらえなかった

他の部隊も同じようだったのかもしれないが

最後の1兵になるまで戦えと言うことなのか?

同じ散るのであれば、60連隊の軍旗の下で散りたい、、、





インパール作戦が中止となり

その後の第一大隊がどうなったのか私はあまり分かっていない、、、

だって大叔父は、もうその頃にはこの世に居ないから…

詳しくはどこにも出てないのだが

どうも直轄となって15軍に吸収されたような雰囲気である

そして、晴れて60連隊関連の書物に第一大隊が出てくるのは

昭和19年の末のことであった





大叔父は歩兵60連隊には存在せず

ビルマの光機関に居たのでは?と言う仮説を立てているが

やはり60連隊の動向は気になる私でした

この本で、特に大叔父の第一大隊の様子を知るたびに

胸が締め付けられるような思いだった

涙をこらえて読み進めました




続く…




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ミャンマーに思いを寄せて 1453

山本支隊長から発せられた

次の行動は、北方に反転したのち

改めて起伏の激しい山稜を

20km余りも西方へ向けて

踏破しなければならなかった





その後も第一大隊に対し発せられる命令は

いつも「支隊主力の企図を容易にならしむため…」と

冠詞が付いた物で

大隊は屈曲した反復行動を強いられる

峻険なアラカン山脈の大密林内を

北に南に前進したかと思うと

またもや反転すると言う難渋な行軍が続いた

その度に出くわす敵と戦った

この行動に何の意味があるのか?

果たして山本支隊のためになっているのか?

末端の兵隊には全く分からなかった





これは、「他師団に混用転用されたことと無縁ではない」と

感じていたようである

本来の祭師団であれば、こんな使われ方は

しなかったはずだと言う思いがあるように思った





60連隊を離れた第一大隊に

厳しい内容の命令を出してくる山本支隊長

よその師団から預かっている・借りている

と言う気持ちは、あったのか、なかったのか…

少なくとも第一大隊の将兵の中には

「どうなっても良い部隊」、「嫌がらせ」のように

感じていた者が居たことは確かである





悔しい思いと、60連隊の名前に恥じないようにとの気持ち

必死になればなるほど、第一大隊は消耗していった





続く…





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ミャンマーに思いを寄せて 1452

第一大隊は、攻撃中止命令を受けて

黙って夜襲態勢を解くしかなかった

そして、攻撃中止とともに下命された

新たな攻撃目標に向かい準備を整える

これは昭和19年3月29日のことである





本来であれば、第一大隊は

この総攻撃の夜襲が最後となったかもしれないと

考えると、この中止命令はありがたいことであるが

何度も書いているが

この状況を見かねた元の祭師団(第15師団)の

情報参謀であった桑原中佐の助言により

弓師団(第33師団)の山本支隊長は

中止命令を出したのであった





この状況を見ていた弓師団の他部隊は

第一大隊が戦線離脱し、逃げたと思い込んだ

これが末代まで語り継がれる(?)

第一大隊の「汚名事件」である



「汚名事件(?)」の関連記事はこちら↓↓

ミャンマーに思いを寄せて 378
http://blog.livedoor.jp/aya_sann/archives/1850542.html




続く…



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ミャンマーに思いを寄せて 1451

更新が遅れて申し訳ありませんm(__)m

決死攻撃を下命された将兵たちにとって

突撃を直前にした緊張の時ほど

重苦しい時間はなかった





第一大隊が攻撃発揮地点への

全勢力の展開を終えた

満を持した将兵たちが、いよいよ突撃に移るべく

一斉に前進を始めた時

突如「攻撃中止」の伝令が大隊本部に飛び込んで来た!

それは山本支隊長からの命令であった





その瞬間、大隊本部内には

緊迫の沈黙から一転、微妙なざわめきのような空気が流れた

これを受け、大隊長は直ちに散開する各中隊に

「攻撃中止」の命令を出した





緊張の極点にあった第一線の将兵は

この中止命令を受けて

言いようの無い脱力感を抱いたのであった




続く…





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ミャンマーに思いを寄せて 1450

第一大隊は全勢力を投入し

シボン高地の英印軍の防御陣地に

最後の大夜襲を決行する





兵士たちは全員が白鉢巻姿

指揮官は十文字たすき姿

先の戦闘で大打撃を受けた第4中隊では

「戦友の死に対する弔い合戦であると言う気持ちが

全将兵の表情ににじみ出ていた」そうだ

中隊長から『決死攻撃』の命令が下され

「中隊長からの訓示を聞く全将兵は一語も発さず、

あたりは物音ひとつ聞こえない静まり返った中、

中隊長の音頭で水盃が交わされた」





息詰まる緊張の中、同僚の兵士がにじり寄って来た

押し殺すような低い声で話しかけてきた

「おい…おれは、あと30分ほどでこの世から消える。

死んで行くのは怖くない。だが、いま、俺の胸の中に

うづくような気持ち…この気持ちを鳥でも良い、

内地の者に知らせてくれんかなぁ」

その言葉を聞き、黙ったまま、ただ視線伏せた

「…なぁ、貴様、何とか言えよ」

「言われる通りです。だがいずれは死ぬ身ですから

何とも言えません」と答えた

改めて声をかけてきた主へと視線を移した時

暗夜の山腹に伏せたままの兵士の頬に

大粒の涙が光っているのを見た。。。




続く…




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ミャンマーに思いを寄せて 1449

「敵は日本軍が白兵突撃をすれば

すぐに恐れをなして逃げ出すだろう」

「インパール占領を終えれば満期除隊だ。

除隊時には、インパール空港から輸送されるそうだ」

と安易に考えていた将兵は

中国戦線ではおよそ夢想だにしなかった

桁違いの猛烈な火網の前に

「インド領内の敵は手強いぞ」と痛感したのであった





本の中では、「それは一人一人の兵士も下士官も

小隊長も中隊長も、いや大隊長自身も同じ考え

ではなかったかと思う」と記されていた





第一大隊は、また新たな攻撃目標に向けて

戦闘準備をすることとなった

この新たな攻撃目標は「シボン」と呼ばれる

高台にある小集落であった

第四中隊を先頭に進んでいくと

それを察知した英印軍陣地からは猛砲撃

大隊主力の到着する前に第四中隊は猛火に包まれた





山本支隊から第一大隊に課せられた任務は

厳しかったようである

もう既に大隊はボロボロになっていた、、、

他師団に1個大隊だけ派遣され

ほんとうは60連隊の軍旗の元で戦いたかった…

60連隊であると言う誇りを持ち


60連隊の名に恥ないように

昭和19年3月29日

大隊長は自らの掌握する全兵力を投入して

最後の突撃を行うことを決意した




続く…




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ミャンマーに思いを寄せて 1448

第2中隊を先頭に進んで行くと

ついに英印軍の陣営を眼前にした

このとき、密林を揺るがすような砲撃音と

連続する銃火音が第2中隊を包み込んだ





密林内は、一瞬にして砲煙と銃弾の交錯する

修羅場と化した

第2中隊は、強引に眼前の第一陣を突破し

第二陣に向けて、かん声を上げながら突撃して行った

大隊長は、ただちに続いて第一中隊も突撃させた

しかし、四囲を鉄条網で固めた英印軍の陣地内からは

迫撃砲と重・軽機関銃、さらに自動小銃の猛射

肉薄した日本軍には手りゅう弾が襲い掛かった





この結果、第2中隊長以下、戦死者が相次ぎ

多大な負傷者が急速に増加した

そして夕刻になり、この日の攻撃が失敗に終わったと

大隊長は知ったのである





この日の戦闘が、第一大隊にとって

インパール作戦においての最初の戦闘となったが

初戦において、大隊は多大な損害を出し

また、それらの傷兵の後方搬送のため

戦闘力は大きな打撃を受けてしまった、、、




続く…




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ミャンマーに思いを寄せて 1447

大叔父の歩兵第60連隊第一大隊は

インパール作戦に参加中

昭和19年3月21日に祭師団(第15師団)の元を

離れて、弓師団(33師団)の山本支隊へと編入される





翌日の3月22日には

第1・2・4中隊(3中隊は、師団本部護衛のため欠)と

大叔父の機関銃中隊で

山本支隊に向けての経路上

山本支隊と対峙する敵を背後から急襲出来る位置にいた





前進しながら敵を排除しようとしたが失敗を重ね

既に23日の時点で、玉砕しかける

これは何度と書いたことであるが

この時の様子が詳しく載っていた





大隊は第2中隊を先頭に進む

その一帯は、巨樹の密生する原始林に覆われており

視野は全く遮断され

英印軍をなかなか見つけることが出来なかった

その頃、英印軍は、偽装鉄条網を四囲にめぐらした

堅固な防御陣地で日本軍を待ち構えていた




続く…




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ミャンマーに思いを寄せて 1446

読み応えのあるボリュームになかなか読み進まない

60連隊についての記述も多く

それが60連隊だけのカテゴリではなく

時系列の中に他の部隊と絡めながら

所々に散りばめられているから

じっくりと読まないといけなかった





でも、この本で1番苦手だったのは…

「カビ臭い」ことだった(> <)イヤ~ン

古本にはよくあることだけど

カビの胞子を吸い込んでいるようで、とても不快であった

手袋してマスクして読みたい気分





そう言えば…この本がどんなのか見せてなかったですね

こんな感じの本です↓↓

ご興味のある方は買ってみてね!

RIMG0253






RIMG0254






私はマンガが大好きなんですが

読まないといけないビルマ関連の本が山積みで

マンガを買うのを自粛しています(現在も)

思いっきりマンガを読んでみたい~

ちなみに大好きなのは『ゴルゴ13』

えっ?女性なのに変ですか?

ゴルちゃんがタイプな訳ではありませんよ~

背後のストーリーが楽しいのです

フィクションと分かっていても、「あの話が元よね」とか

「こんなのがあっても不思議じゃないな」とか





ゴルゴ13が好きな女性のことを「ゴル女」と言うらしい

ゴル女の方から親近感を持たれて

「ブリーフ派ですよね?」とか聞かれるのですが…

ブリーフ派でも何でもありませんし

「マンガでは無地ですが、柄が入っていると思いません?」

とか言われましても、、、えーっと困る





そんなこんなで、話が逸れましたが

まじめに本の紹介の続きをしますね

実は本の紹介って苦手なんですよね、、、

早く次の展開を書きたいので先を急ぎま~す

どうぞお楽しみに☆




続く…




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ミャンマーに思いを寄せて 1445

2週間で、すぐに敵は落ちると言う安易な考えは

15軍司令と、何も知らないその他大勢の将兵

個人の食料等も「重いから」と言う理由で

ビルマ国内に置いて行った者(部隊?)も少なくなかった





ただ、この考えがあったからこそ

意気揚々とアラカン山脈を越えて

あの壮絶な戦いを果たすことが出来た

と言う捉え方もある

最初から白骨街道の運命をその他大勢の将兵が知っていたら

逃げ腰で戦いにはならなかったからである





前線の指揮官は、薄々、この惨状を予測出来ながらも

一般の将兵には、それを伝えず

士気を維持しながら最善を尽くしたのだろう

補給は途絶え、隷下の部隊が次々と玉砕して行く中

15軍司令部からは、状況を無視した

行け行けドンドンの命令、、、





その惨状を悟り、実感した時の一般の将兵の胸中はいかほどに…

大変驚愕し、恐怖をも感じたことだろう

しかしそこは、もう逃げることの出来ない戦場だった




続く…





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ミャンマーに思いを寄せて 1444

無謀な計画だったインパール作戦

師団長をはじめとする一部の前線の指揮官は

当初から、この作戦は困難となることが予想されていた

しかし、その他の兵は、なぜか簡単に勝利すると

とても安易に思っていた





中国戦線では、そんなに大した戦いもなく

「空に発砲すれば、敵は逃げて行く」と言われていた

東洋一と言われたマレーの要塞をあっという間に落とし

ビルマになだれ込んだ際にも、すぐにラングーンを制圧し

快勝を続けていた日本軍

英印軍は弱いと言うイメージを持っていた者が

多かったように思う





この本の中にも、インパールに向かうまでのことが

たくさん綴られていた。。。

英印軍の倉庫を接収した際

中にはウールの毛布がたくさんあった

その毛布を何枚も背中に背負っている者が居た

「そんな毛布をどうするんだ?」と聞くと

「内地で嫁さんが子供を産んだばかりだから

お土産に持って帰るんです」と答えたそうだ

お土産を考える余裕と、持ち歩く元気

帰路は、飢餓状態で白骨街道を通ることとなるとは

誰一人、思ってもみなかったのだろうなぁ、、、





「インドの地さえ踏めば内地に帰れる」と

任期を終えて交代が来たら日本に帰れるんだと

アラカン山脈を元気に登る者も居た

「白刃をかざし、銃剣を擬して突撃すれば、

敵は四散する」と思っていたのに…

「英印軍の銃・砲火の熾烈さは

かつて中国戦線で経験した戦闘の比ではなかった」

これが素直な感想であろう




続く…



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ミャンマーに思いを寄せて 1443

この本には、京都の部隊を中心に

15師団、60連隊の他、インパール作戦での

他部隊の動向が詳細に書かれていた






調査の過程で、分からないことがあっても

先に進まなければならず

棚上げしたままの小さな事柄が

ジクソーパズルのように埋まっていく

少しずつ賢くなっていってるように思う

歴史って楽しい

って、言ってる場合じゃないんだけど

楽しくなくて良いのよ、趣味じゃないんだから





60連隊以外の部隊の部分も読んだ

勉強になると言うより

どこかに大叔父の名前が出てこないかと。。。

この際、どこの部隊に居てもいいわよ

誰か1人でも大叔父を覚えていてほしい





この本の末巻には、「登場関係者名簿」と言うのが付いている

そこには、大叔父の名前は無かった

もちろんビルマ戦線の全将兵の名前が出ている訳ではない

証言をした人や、その方が語った中に登場した人物の

名前が並んでいた





この本に出てこないからと言って60連隊に居なかった

と言う証拠にはならない

大叔父の名前は、60連隊を調べていても出てこない

兵籍簿がほんとうだと言うのであれば

出てこないとおかしいのだ

だからって光機関に居たと言う証拠も無い、、、

なんで大叔父はどこにも出てこないのかなぁ




続く…




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ミャンマーに思いを寄せて 1442

この「防人の詩~インパール編」には

私がよく分からなかったことが

きちんと書かれていた





「15師団の場合、当初の師団編成期において、

基幹歩兵連隊3個連隊のうち、第60連隊は名古屋、

第51連隊は京都、第67連隊は東京と、

およそ地縁関係を無視した分散編成となっていた」

このことは、15師団の成り立ちに関係する

日中戦争に伴い、急遽、第15・第17・第21・第22・第23の

5コ師団が編成された

第15師団は留守第3師団(名古屋師管)の編成担任であったが

 前年の昭和12年に、母体の第3師団が上海において

多大な損害を受けたため、その充員に苦労していた

そのため第15師団を編成できないほどの充員不足で

第1師管(東京)と第16師管(京都)にも編成を分担してもらった

と言う経緯があったのだ





「その後、補充兵は同一地区出身者が望ましいとの方針で、

集中的に京都師管区の将兵が選抜された」

歩兵60連隊においても

名古屋師管区で編制された当初の基幹隊員を

昭和14年から総入れ替えされ

ほぼ京都の人間が占めることとなった

その結果、明治期の愛知県の歩兵60連隊とは

全く関係の無い「新・歩兵60連隊」となり

所在地は「京都」となったと私は理解する





これは、「師団編成の性格から著しく遊離した異例の編成」

とこの本では説明されていた

ああ、だから昔の私のレベルでは理解が出来なかったんだぁ。。。

戦史を知らない者だったからこそ疑問に思った小さなこと

やっとやっと今頃になって分かりましたヤッター

昔々、「15師団も60連隊もなんだか変だよ」と言ってしまい

ごめんなさいね色々な事情があったのですね





続く…





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ミャンマーに思いを寄せて 1441

歩兵60連隊の本拠地はどこ???

60連隊のおじいさんの証言で

「甲種幹部候補生の教育を豊橋で行った」と

聞いていたため、60連隊の留守部隊(?)と言うか

本部などの一部は豊橋に残っていたのかと思った

現に、愛知県には明治期の15師団庁舎跡や

60連隊の将校集会所などが現存しているらしいので

その辺で、余計に頭がこんがらかった

豊橋での教育は、予備士官学校があったから

そこで事前教育を実施したのではないかと思われる





しかも、名古屋連隊区があったにも関わらず

名古屋を通り越して、豊橋連隊区を

京都の師団が補充担任を受け持っていたと言うことが

なんだかずっと理解できなかった

その上、15師団には留守15師団は無く

留守16師団が15師団の分も受け持っていた





旧軍は、郷土愛を用い団結の強化のために

「共に郷土を同じくする将士によって編成される」

と言う定義で、部隊を地域出身者で固めていた

それでも末期の頃は、出身都道府県が2個一組で

混成の部隊があったことは確かである





ただ、おじいさんの話によると

60連隊に於いては、編成当初は

愛知県の他に、北海道や静岡県の人も居たそうだ

なんじゃこれ?こんな部隊ってある???

何でもあり~の寄せ集め部隊ですか???

と不思議に思っていたのでした




続く…




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ミャンマーに思いを寄せて 1440

第15師団と60連隊の編成の成り立ちについて

私はずっと理解できなかったことがあった





60連隊は元々、愛知県・豊橋の連隊である

明治38年に設立された由緒ある連隊だ

上級部隊である15師団も

明治38年に豊橋で編制された

しかし第一次世界大戦の後、世界的に軍縮が叫ばれる中

関東大震災の煽りを受け、復興費捻出のために

第15師団は大正14年に廃止となり

隷下部隊の60連隊も廃止となった

いわゆる宇垣軍縮と呼ばれるものである





昭和の時代になり、日中戦争が勃発した影響で

昭和12年に60連隊は名古屋管区内において復活する

そしてその上級部隊の15師団も

翌年昭和13年に京都で編制された





元々、愛知県の豊橋にあった15師団と60連隊

昭和の時代になって、60連隊は豊橋で復活し

師団はなぜか京都で復活し

愛知県の60連隊は京都の師団に編合された形で復活する

その後、すぐに大陸に派遣され

私にはどこに本拠地があったのかさっぱり分からなかった

ん?何か変じゃない?





以前に疑問をブログに綴ったら

読者様から「何が疑問なのか、言いたいことが分からない」と

笑われたことがある

だってだって、自分でも漠然とモヤモヤしていたんだもん



編成が理解出来ないとつぶやいた過去記事↓↓

「ミャンマーに思いを寄せて 537」
http://blog.livedoor.jp/aya_sann/archives/1887613.html





続く…





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ミャンマーに思いを寄せて 1439

印象に残った箇所は

「アラカン山脈では、粉雪が舞い、凍死するかと思った」

との証言であった





日本軍が通って行ったアラカン山脈は

3,000m級の山々が連なる険しい地

道無き道を、牛や馬を連れて

または重い武器や弾薬、装備を背負って

越えなければいけなかった





インパール作戦では、飢餓と雨季が日本軍を

苦しめたことは有名であるが

アラカン山脈越えについては、行程の一部として捉えられている

ように感じ、詳しく書かれた書物はあまり見たことが無い

飢餓や雨季に比べたら、そんなに大したことじゃ

ないのかもしれないけど

現代の私から見たら、とんでもない強行突破だと思う





3,000m級と言えば、簡単に言うと富士山に登っているのと

同じくらいじゃないだろうか

歩兵60連隊も、中支那(中国)では、寒冷地の服装だったそうで

中支那を出て、呉淞港(上海港)で熱帯地域(ビルマ)対応のために

衣替えの準備をしたと聞いている

夏服で富士山登頂って、普通に考えたら無謀だよね





「世界の屋根とも言われるヒマラヤ山系の支脈をなす

アラカン山脈の北辺部最高峰を通過し、

まるで極寒の地にでも迷い込んだような急激な温度の降下」

山々の山頂は濃霧に覆われ

見たことも無いほど幻想的であったそうだ

雲の中だったのかな?

大風が吹けば吹雪のようになり

粉雪の舞う中を、歯をガタガタ言わせて行軍したそうである

「凍死するかもしれない」と思ったほどであった






行きは、インパールを目指す士気は高かったが

後退の時にも、この山脈を越えなければいけなかった

食料も無く、負傷している者も多かった

英印軍の追撃を受け、ボロボロになりながらも

祖国のために、生きるために、待っている家族のためにも

山脈を越えてビルマ国内を目指したのであった





続く…





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ミャンマーに思いを寄せて 1438

インパール作戦の書籍等でよく見かける記述は

「英印軍の射撃は大変正確だった」と言うこと

この本にも何度もたくさんの方が証言している

なんで正確だったのだろう???と考えてみた

正確に射撃できる高性能な最新鋭の兵器だったのだろうか?





確かに戦車は、インパール作戦の頃には

アメリカから輸入された物が用いられ

日本軍の物とは比べ物にならないほど強力だった

装備の充実や弾薬数なんかもぜんぜん違う

ってのは分かる

だけど、迫撃砲や機関銃、小銃などは

性能にそんなに大差がないと言ってもいいだろう

なのに、なんで英印軍は正確に射撃出来て

日本軍は正確に射撃出来なかったのだろう?





それは、英印軍は、周到に準備した陣地防御をしていたから

正確に照準が出来ただけの話である

それに対し日本軍は、長距離の移動からの接触・攻撃だったため

偵察の不十分と準備期間なしの行け行けドンドン

その上、支援火力もなし

攻撃が頓挫するのも当然である





中国大陸での中国軍相手の戦闘であれば

それでも良かったのだろうが、、、

中国戦線では、日本軍として長い間

周到な陣地防御の経験は無かった

また、そのような陣地を攻撃する機会もなかっただろう

英印軍の強固な陣地にビックリした日本軍





考えてみれば

第一次世界大戦でのチンタオ攻略戦以降

陣地攻撃は経験していないのではないだろうか

日本がこの後、陣地防御を行ったのは

ペリリュー島や硫黄島くらいしかない

この時は、日本軍も周到な準備で

正確な射撃をし、米軍を苦しめている

きちんとやれば出来るのよね





なんだかね、読んでいると

驚くくらいのスピードで部隊が玉砕しちゃうの

人の命が呆気ないほど消耗品のように使われちゃう

そんな時代だったのだろうけど

もう少しだけ賢く戦えたなら、その後は変わったかもしれない




続く…





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ミャンマーに思いを寄せて 1437

この本には歩兵60連隊の話がたくさん出てくる

歩兵60連隊関連の本は大変少ない

私が知っているのは

・戦史叢書

・二つの河の戦い(60連隊戦友会発行)

・遥かなるインパール(伊藤圭一著)

と、この本くらいだろうか?

※他にご存知の物がございましたら、お知らせ下さい





60連隊の部分については

読んだことや聞いたことのある話が多かった

でも、知らない小さな話もたくさんあり

60連隊以外の他の部隊の苦労話や

興味深い話も多く

私の貼った付箋紙は山盛りとなった





しかも、証言の登場人物は

全て京都の人で、「どこどこの○○さんは…」みたいな

京都の地名が入り

近所同士が会話しているような紹介の仕方は

なんだか生活観があり、好感の持てる内容だった





比較的、下士官や兵の方の証言も多く取り上げられ

親しかった同僚の名前がたくさん書かれている

将校以上の者の中にも、特に若手については

お世話になった下士官の名前を出している人も居た

中には、無能な上官の実名を挙げて

悪口を並べている人もいたり

なかなか面白い内容だった





ただ、ここで証言をしておられる方は

運良く生きて帰って来られた方の一部の人だ

単なる個人の武勇伝ではなく

証言の内容は戦死した戦友への

弔いの意味もあるように感じた

そして、戦争の実態を過去の物と風化させずに

後世に残したい・伝えたい。。。





それを偶然にも次世代の私が手にし

またこれをブログで紹介する

読者様は、本の紹介なんて面白くないかもしれませんが

これも何かのご縁、私は伝えなくちゃと思うのでした




続く…




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ミャンマーに思いを寄せて 1436

読者様からの情報提供で購入した

「防人の詩~ビルマ~悲運の京都兵団証言録」が届いた





いつものように、すぐにビリビリと封を開け

玄関に座り込んで一心不乱に読んでいた

このシリーズは、大変よく出来た本と言う印象である

証言集ではあるものの

個人ごとの編集ではなく

時系列を追った事柄や作戦に合わせて

本格的な説明を添えながら

その時の証言を都度交えて進んでいく





京都と言う土地柄、思想が入った物かなと思っていたが

もちろん反戦の意味合いはあるだろうが

そんなにひどい感じではない

”牟田口15軍司令官が悪い”と言う一貫したテーマはある

しかし、後から派生した戦争とはどうのこうのの感情論ではなく

戦場で個人が体験した実情と、その時の感情など

せきららに綴られていた

ただ、証言のつまみ食いと言うか

編集者のストーリー上に都合の良い部分だけを

繋ぎ合わせた内容とも言えるので

カットされたその他の証言が何だったのかが

残念なところである




続く…




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ミャンマーに思いを寄せて 1435

すみませーん更新出来ませんでしたm(__)m

まだ夏じゃないんですが”夏バテ”でしょうか?

先日の試験に向けて、一応少しだけダイエットしました

試験が終わったので、食欲解禁!

この週末は、食べたかったピザと

本日は焼肉食べ放題に行きました

すると…お腹がビックリしてしまったようで、、、エーン

アホとしか言いようがありませんxx

でも選挙には行きましたよ!

と言うわけで、ブログ更新を本日はお休みしました

どうかお許し下さいませ



2016.7.10



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「丸」への連載計画

読者の皆様へ


いつも読んでいただきありがとうございます

まだまだ梅雨の時期で、不安定なお天気ですね

でも暑い日もあって、もうすぐ夏が来るのですね

暑さが苦手な私は、このままの気温が続いて欲しい気分です





さてさて、ミリタリー雑誌「丸」さんでの

この調査の連載『大叔父を探した心の旅』の

だいたいの連載計画を途中までですが提出しました

一度は「人気がないから」と消えかけた連載、、、

ほんとうは、執拗な妨害があったらしい(> <)

”兵籍簿を疑う”と言う結果となり、賛否両論あるとは思いますが

自分の仮説を立証するために必死に頑張ってる実話なので

応援せずとも、アンチの方はスルー願います

妨害なんてあんまりです





連載計画を見せたら、編集部の態度が変わった(?)

「動きがあって流れが良い」って…今ごろ気づきました???

まとめてみたら、自分でも「濃いなぁ」と唖然としました(笑)

あぁ、これが全部実話って、すごいと思います

今後は、もう少しコンスタンスに連載予定です

良い情報提供に繋がりますように

無題





今月はかなり動いていてムチャクチャ忙しいです

早く本文にてご報告したいです

昨年は読書ばかりしてサボったので(?)

たぶんもうすぐリアルタイムに追いつくのではないかと思います

どうぞお楽しみに~



2016.7.9



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ミャンマーに思いを寄せて 1434

教えていただいた「防人の詩~悲運の京都兵団証言録」

の存在については、以前に冨澤先生を通じて

中野学校の関係者に調べていただいた際に

参考資料としてコピーをいただいた時に知り

インパール編だけは既に持っていた

しかし、インパール編以外にも

ビルマ編と言うのがあることを知った

インパールとビルマとどう違うんだろう?

大叔父の60連隊や光機関を中心に調べているので

インパール作戦に関係のないビルマ派遣の部隊が

あるのか・ないのか知らないけど…

インパール作戦以外の時期の話かもしれないなぁ





奈良県の図書館にもあるであろう

「防人の詩~ビルマ編~悲運の京都兵団証言録」

あぁ奈良県までは行けない、、、

いつものクセでネットショップで見つけてポチッとな

またまた我が家のビルマ図書館のリストが増えた

いやいや、これ私にとっては大変不可欠な資料だわ

と恒例の言い訳をして買ってみた(笑)





届くのが楽しみだなぁ

この際に、もう一度、インパール編もビルマ編も

じっくりと読んでみるか

私の読み方は、まずはザっと大叔父の名前や

キーワードだけを確認する

その際に、じっくりと読みたい部分に付箋を付けておく

それから再度、付箋のところを読み直して

線を引っ張ったり書き込みしちゃう

時間があればまたまたじっくりと全体を読む

そして、辞典のように何度も使うとボロボロになっていく、、、

あ~、転売を考えていない、アホな使い方ですね




続く…




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ひまわりは私のラッキーフラワー
見ているだけで元気をもらいます
夏の暑さに負けずに頑張るぞ~

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ミャンマーに思いを寄せて 1433

読者様からの情報はとてもありがたかった

でも奈良県かぁ。。。

具体的にどんな資料があるのか知りたいなぁ

近くで通い詰めることが出来れば良いのだけど…

行かれたついでに「60連隊の資料も見て下さい」

なんて言えないし~





その方とは、その後も詳細を伺ったり

直メッセージでのやり取りも続いた

その中で、「こう言った書物はご存知ですか?」

と、新たな資料を教えていただいた

それは「防人の詩~悲運の京都兵団証言録」であった





これは、京都新聞より、昭和50年代から

発刊されたシリーズである

調べてみると、比島編、インパール編、ビルマ編、南太平洋編、

沖縄編、レイテ編、ルソン編の全7種類あるようだ




続く…




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ミャンマーに思いを寄せて 1432

ある日、読者様からコメントが寄せられた

私のブログから第49師団(狼)の慰霊碑の

記事にたどり着かれたとのこと

お爺様とその弟さんがビルマで亡くなられたそうだ

孫として、家族をビルマに連れて行きたくて

色々と調べてらっしゃる最中だった





熱心に取り組んでいらっしゃるようでした

同じようなことをしている私を励まして下さって

私も同士のように感じエールを送りました





その方とのコメントのやり取りで

奈良県立の図書館が比較的

戦争関連の蔵書が充実していることを知った

その方も遠方から奈良に通っておられるとのこと

大叔父の歩兵60連隊は京都の部隊で

近隣である奈良県の図書館にも

60連隊関係の書物がたくさんあるとの

情報をいただき、とても感謝した





奈良県かぁ。。。考えたこともなかった

ちょっと遠い気もしないではない

具体的にどんな物があるんだろう?

奈良まで行って、私が持っている物ばかりだったら

困るしなぁ、、、




続く…




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どこを目指してるの???

読者の皆様へ



いつも読んでいただきありがとうございます

ここ最近、何やかんやと動いている私です

その動きが、今後どう繋がるかは分かりませんが

感じたまま、直感で、自然の流れに任せようと思っています

苦労はあるけど、きっといつかは良いことがあると

勝手に信じています(やたらとポジティブw)





昨日は、都内某所で、某試験を受けてまいりました

なんだか勧められるままに、自然の流れに乗ったら

こんなことになってしまいました

今更ながら、私はどこを目指しているのだろう???

と自分でも分かりませんが

きっと、これもいつか私の調査のプラスとなると思います

まだ具体的なことは言えませんが

えっ?そんな形で攻める??と驚かれることと思います





これとは別件で

先日、書いていた「資料集 インド国民軍関係者聞き書き」等

の中で、光機関員の方々が

研究チームに多大な資料を提供されています

それらの資料は、タイトルは記載されているものの

どんな内容なのかは、本の中には出てきていません

私が見たいなぁと思うような資料名ばかりです





きっと、この研究チームが大切に保管されているのだろうと思う

ただ、それを私が「見せて欲しい」と頼んだところで

はいよっ!と簡単に見せていただける訳がない

昔々、○○大学の100年史担当の方に

「これは、○○大学の資料です」

「見せて欲しければ、貴女もそれ相応のどこかの大学の

研究チームに入るなりして、正規に請求行為をすることです」

と言われたのを思い出す





光機関員の資料を見るためには

私が著名な研究者や有名人となるか

研究チームをきちんと確立して正規の請求行為をするか。。。

私が著名な人になるのは難しいよね、、、

そうか!私が直接、この研究チームに入ればいいんだ

よ~し、この大学を受験しようと考えた

有名人になる確率よりも、大学入試の方が確立は高い

すぐに大学の偏差値を調べて、予備校を模索した





家族に「○×大学を受験するね」と告げると、家族は唖然とした

「そこまでする?どんだけ~」と大笑いされた

いえいえ、わたくし真剣なんですけど

この調査のためだったら、どんなことも乗り越えられそうです(たぶん)





だ~け~ど~、、、とんでもない事実が発覚

このインド国民軍の研究チームは、なんと

20年ほど前に解散していましたーーーーーーイヤーン

ああ、早まらなくて良かった

そんなこんなで、昨日は、きちんと違う件を受験しました

合格するかは分かりません、どうなるかドキドキです

私、このミャンマーの調査で、幅広い人間になってきたような?

どこを目指しているのか分かりませんが

とにかく前進していると思います

頑張りま~す



2016.7.5



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ミャンマーに思いを寄せて 1431

ざっくりと参考資料をリストアップしてみました

”手当たりしだい”って感じもしないではないですが(笑)

この他にも現在は増加中ですが

「こんなのもありますよ」とオススメがありましたら

是非、メッセージ下さいね

きっと私がまだ知らない物はたくさんあります





実は、国会図書館の文書類は

まだ手付かずの状態なのです

あまりにも数があり、タイトルだけでは

何が何か全く分からないので

まだチャレンジ出来ていません

たぶん、貴重な物がたくさんあるのだろうなとは思います

調べ方のコツがありましたら是非、ご指導下さいませ





書物類の他に、インパールや特務機関のことだったら

この人に聞けばよいと言う専門家がいらっしゃったら

いいのになぁと思いますが、なかなか巡り合いません

学会などで、論文等で成功したい方達にとっては

インパールは、「調べても分からない」ので

題材として選んでは損なのだそうです

そのため本気でインパールを調べるプロの方は

おられないと言うことでした

その無謀なインパールに真剣に挑んでる私は

理解し難い存在なのでしょうね

だって、私は場所を選べないのですから…

好き好んでインパールや特務機関を調べてる訳じゃないですよ

「大叔父さん、もう少し分かりやすいところが良かったです





所有している書籍類は、ザッと目を通した物も多く

また詳しく読まなければいけいなと思っています

大切だと思った部分や、新たに知ったことなど

少しご紹介していきますね

次の展開まで、もうしばらく我慢して下さい





そんなこんな日を過ごしていた中

読者様から、メッセージをいただきました





続く…





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ミャンマーに思いを寄せて 1430

昨日の続きですご参考まで(順不同)

<書籍及び手記等>
・戦史叢書(ビルマ、インパール)
・二つの河の戦い…60連隊発刊のビルマ編書物
・中野学校…中野校友会
・全陸軍甲種幹部候補生制度史…全陸軍甲種幹部候補生制度史刊行会
・インパール作戦(上下巻)…陸戦史研究普及会編
・イラワジ会戦…陸戦史研究普及会編
・防人の詩(ビルマ、インパール)…京都新聞発刊
・光機関でのA氏の日記…復刻版
・○○百年史(通史1)…○○大学発刊 
・○○日満高等学校報告…○○日満高等学校発刊
・チャンドラボースと光機関…外務省資料、磯田・光機関長の手記
・ネジタと日本人…チャンドラボースアカデミー
・スバス・チャンドラ・ボースと日本…外務省アジア局第四課
・ビルマ戦記…陸軍中尉 長瀬浩基(光機関員)
・大東亜戦争における心理戦…藤原岩市(藤原機関長、調査学校長)
・磯田三郎中将回想録(光機関に就いて)…防衛研究所戦史室
・思い出と反省「ビルマ独立運動の記」…北部邦雄大佐著(光機関軍事部長、60i長)
・インパール作戦の回顧…松村弘著(60i長)
・山本募回想録…山本支隊長
・一武人の波乱の生涯…桑原安正(15軍参謀・桑原中佐の弟)
・チャンドラボースと大川周明…山本哲朗著(大川塾生)
・大川周明 訓話集…山本哲朗著(〃)
・DVD大川塾塾生の足跡…(〃)
・東亜経済調査局附属研究所…大川塾生手記
・白い航跡…山田巌(大川塾生)
・白い航跡こぼれ話…山田巌(〃)
・インド国民軍を支えた日本人たち(大川塾生)…関岡英之
・インパールを越えて…国塚一乗(藤原~光機関員)
・インドの嵐(マンガ)…原作・国塚一乗(〃)
・憤死…高木俊朗著
・特務機関の謀略(光機関)…山本武利著
・陸軍中野学校のすべて…著者連名
・姿なき戦い(中野学校)…村井博著
・陸軍・秘密情報機関の男…岩井忠熊著
・陸軍中野学校…加藤正夫著
・中野学校…丸山静雄著
・回想インパール…小澤太郎著(烈師団軍医)
・遥かなインパール(60連隊)…伊藤圭一著
・ビルマ独立秘史(南機関)…泉谷達郎著
・野田日記(南機関)…野田毅著
・ビルマ戦記…後 勝著
・帰還せず…青沼陽一郎著
・物語 ビルマの歴史…根元敬著
・戦傷病者とその家族の体験記…戦傷病者資料館
・祖国と青年(平成26年8月号)
・アジアの人々が見た太平洋戦争…小神野真弘著
・日本倶楽部昭和16年会員名簿
・資料集 インド国民軍関係者聞き書き…長崎暢子ほか
・資料集 インド国民軍関係者証言(〃)




続く…




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ミャンマーに思いを寄せて 1429

書籍との格闘は、2015年の夏~2016年の初頭まで続く

”読書の虫”報告は、読者の皆様にとって

面白い展開もなくつまらないと思いますが

このブログは、私の調査記録の実録を綴っていますので

しばらくお許し下さいね





それまでも、参考書籍類はたくさん持っていたのですが

去年は、とっーても多くの資料を入手しました

ああ、”ビルマ貧乏”です

「大叔父さん、この散財は、いつか何かの形で返してね」(笑)

将来は「ビルマ図書館」でも出来るかも~

購入した物の他、非売品などの貴重な資料もお譲りいただいたり

意外と充実したラインナップとなっています





協力者から「二度手間になったら困るから

今まで参照した資料をリストアップして欲しい」と言われ

まとめてみたら、意外と頑張ったなぁと自分でも思っちゃった

この頃よりも現在はより一層、確実に資料は増えています

これからビルマ・インパールを研究なさる方がおられましたら

参考になればと思います






<文書や図表>

・兵籍簿(兵籍、戦時死亡者調書、戦時死亡証明書)
・靖国神社調査表(個人)
・大叔父の戸籍
・曽祖父個人経歴簿
・歩兵60連隊第一大隊第4中隊の方の個人の兵籍簿コピー
(参考のためにいただいた物)
・歩兵60連隊「インド・ビルマ方面戦没者名簿」
・歩兵60連隊「インパール周辺主要遺骨収集要図」及び戦没者分布図
・歩兵60連隊「入院患者名簿」(昭和21年4月25日)
・歩兵60連隊第一大隊機関銃中隊「死亡者連名簿」(昭和20年9月2日)
・歩兵60連隊戦友会機関紙「輝」…発刊~現在まで
・歩兵60連隊「概要まとめ」報告…鈴田正忠(最後の連隊長)
・第121兵站病院「概要まとめ」報告
・インパール作戦参加師団一覧
・インパール作戦の15師団、33師団、山本支隊、歩兵60連隊等の作戦図及び展開図
・個人経歴データ…北部大佐(60i長)、鈴田大佐(60i長)、藤村少将(満州国
治安部)、前中尉(60i軍医)
・満州国の技術員・技術工養成の諸施策に関する研究(論文)…佐々木亨
・戦時下、技術員・技能工養成の諸局面(論文)…原正敏
・昭和16年当時の○○大学学則、学生数・卒業生数の表
・兵役の変遷…日本陸海軍事典より資料抜粋
・「マラリア」豫防内服薬ノ効果ニ就テ…祭兵団軍監部
・大東亜戦争陸軍衛生史…衛生学校
・中野区人名辞典
・中野区詳細地図(昭和初期)



続く…




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ミャンマーに思いを寄せて 1428

偉い方の手記には、下士官はほとんど

「その他」、「その他の下士官」などの表現で

個人名は出てこない

現代においても、戦史を語る上で

「たかだか下士官」と言われる度に、正直、悔しいです

下士官であろうと将校であろうと、命の重さは変わりないと

私は思っているからに他ならない

軍隊において、将校よりも圧倒的に下士官の方が多く

どれほど素晴らしい指揮官であっても

部下がいなければ戦闘なんて出来なかったはず

将校も下士官も、それぞれの立場でみんなで頑張ったのよ

下士官以下は、消耗品でも虫ケラでも何でもない

「その他」で片付けないで下さい!

軍隊だからしかたが無いと言われれば

それまでなんだけど、未だに解せないわ(涙)





誰か1人でも、大叔父のことを覚えていて欲しい

どこかの文書に、大叔父の名前が出てこないかしら。。。

大量の書籍を購入し、私は無謀にも挑む

キーワード検索で、タイトルだけで本を選ぶと

読んでみたら、全く関係なくてハズレだった物も多々あった

本来、本を読むのは嫌いじゃない

だけど、読みやすい推理小説くらいしか読んでなかった私

小難しい戦史の本に、頭がおかしくなりそうだ

今までの人生で、こんなに勉強したのは初めて

しかも受験やテスト勉強のような期間限定ではない

いつまで続くのか検討もつかない有様 (> <)ヒィー

それでも思いつくまま、今の自分が出来ることをするしかなかった

重圧が私を襲うため息しか出ないよ~




続く…




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