ミャンマーに思いを寄せて

亡き母の思いを果たすべく、ビルマで戦死した大叔父の足取りをたどる私の奮闘記録☆

2016年08月

本日はお休みします

読者の皆様へ いつも読んでいただきありがとうございます 本日は誠に勝手ながら 所用で多忙を極めるため 記事をお休みさせていただきます お許し下さいませ ※ブログランキングに参加してみました
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富士の総合火力演習

読者の皆様へ



いつも読んでいただきありがとうございます

台風が迫りつつある関東地方

台風の動きがとても気になります

皆様のところも大丈夫ですか?

どうぞお気を付け下さいね





こんな天候の中でしたが

27(土)には、富士の総合火力演習に

家族が行ってきました♪

はい、もちろん大雨の中での見学で

昼も夜もビショ濡れで耐えたそうです

夜の演習は、雨とガスで何も見えなかったらしいw

雨でボケボケの写真でごめんなさい
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チケットが人数分なかったので

大昔に行ったことのある私は

行かなかったのですが

正直、そんなに興味もないのです

こんなブログを書いていると

よくミリヲタ女子と思われがちで

マニアさんと間違われるのですが、違いますぅ

ミャンマーの調査以外はさっぱりで

動かない戦車とかは、かっこいいけど

動いたら怖い~

ドカーンと撃ったら、イヤ~ン、もっと怖い~

出来れば、遠慮したい普通の女の子です





戦時中のビルマで使われた

アメリカ製の英印軍の戦車(M3中戦車)と

自衛隊の今の10戦車と

比べるのはおかしいのだけど

大きさ(高さ)は、M3中戦車の方が高いので

10戦車を見るたびに

これより大きい戦車に攻撃されたら

絶対に怖いよねと思ってしまう。。。

アッ!この時点で、普通の女の子じゃない???

あぁ~、普通の女の子に戻りたいっっ

「ビルマってどこ?」って思ってた頃が懐かしい、、、





そんなこんなで、色々と勉強して

現在進行形で成長中(?)

普通の女の子に戻る日を夢見て頑張ります☆



2016.8.30



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ミャンマーに思いを寄せて 1481 

村に潜伏していた光機関の3人組

光機関は、本部などの他は

連絡所と呼ばれる中継地点に数人ずつ配置し

その他は、このように小さなグループに分かれて

前線まで進出している

もちろん、このグループをいくつか統括する

もう1段階上の大きなグループがあり

それは班と呼ばれている





例えば、このグループが全滅したら

その人達を覚えている人は減る

下手をすれば誰も覚えていない・知っている人が居ない

ケースだって出てくるかもしれない。。。





この師団の経理部に出された彼だって

彼自身が生き残って証言したから

この本に記録が残っているけど

67連隊の人は、彼がどこへ行ったか

知らなかった人も多かっただろうし

師団の経理部の人も

来たばかりの新人の名前を覚えてる人は

少ないと思う





ましてや、行動が小さなグループの場合

そのグループ以外の人は

”彼”に対する記憶がなくともおかしくない

「あのグループにいた…上等兵の…

名前は何て言ったかな?確かよそから来た

ばかりの人だったよね?」

なんてことも普通のことだと思う





結局、潜伏していた光機関の3人組だって

名前なんか分からないのよね

民間人に扮していたら余計に

所属や階級なんて分からない訳で、、、





兵籍簿がほんとで60連隊に居たとしたら

この本に出てきてもおかしくないのだけど

大叔父も、そんな感じで

誰の記憶にも残っていないだけなのかな?

どこの部隊でもいいから

大叔父に関する記述が出てきてほしい。。。



続く…




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ミャンマーに思いを寄せて 1480

「防人の詩~インパール編~」より

原住民の村の中で、光機関員に会った彼

後に彼は、この本の中で

光機関について「対インド秘密情報収集部隊」と

説明をしている





”光機関”と言う組織を知ってたんだぁ。。。

光機関は、まぁ、当初は情報収集もしていたし…

一般の兵隊もインド国民軍の存在は

広く知られていた印象だし

光機関についても、秘匿された組織ではないので

任務の細部は別として、その存在自体は知っていたのだろうなぁ





「光機関の者だ」 「2.26事件の生き残りだ」

と言われたそうだが

特務機関員や2.26事件の生き残りって

そんなに偉かったの???

もしくは、脅し文句になるの???





イメージとして特務機関員=謎めいている・怪しい

一般の兵隊にとっては、得体の知れない存在である

そして、2.26事件の生き残りってのは

「いざとなったら、とことんやるぞ」って感じなのかな?

反乱軍と同じ思想を持っている者も多く

関与した者達の大半に有罪判決が下り

「自己を犠牲にして決起した」と同情的な見方もあったため

一部では、英雄視されることもあったようだ





それよりも、銃で威嚇しながらも

光機関員を論破した彼にあっぱれ!

って言うか、光機関員も自身が言っていることが

今や夢物語だと分かっていたのだろうね

分かっていながらも

戦いを続けなければいけないのって

どんな気持ちだったのかしら。。。




続く…




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ミャンマーに思いを寄せて 1479

「防人の詩~インパール編~」より

師団経理部から派遣された彼は

食料を徴発しに行った村で

潜伏していた3名の光機関員と出会う





「インド領内の奥深くまで

進攻するとき…だって?

冗談もほどほどにしろ!

今、インパールの手前では

日本の兵隊が食う物も無く

それでも懸命に戦っとるのだ。

そんな夢のようなことを

聞くわけには行かん。

貴様たちは、いまや日本軍が

インド領内の奥深くへ

進攻できる状態にあると

本気で考えているのか?」





この口論の間

光機関の3人は

徴発班の兵士たち20人あまりに

銃口を向けられ取り囲まれていた

光機関員は、これ以上、自説を強要できず

さすがに折れるしかなかった。。。



続く…



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ミャンマーに思いを寄せて 1478

「防人の詩~インパール編~」より

集落の中に潜んでいた3人組に

「この集落では徴発をするな」と言われた彼





3人組の中の将校と名乗る者は

「いま、お前たちが歩いてきた密林内の間道は

さらに、この集落から

インド・アッサム州に通じる重要な通路なのだ。

インパールを占領した後

日本軍は、この間道をつたって

インド領内の奥深くに侵攻することになっている。

そのためにも、間道に沿った集落の

原住民宣撫対策は、作戦上も重要であり

食料の徴発などゆるされん!」と続けた





「そんなことを言うあなたがたは一体、どこの部隊なのか?」

「俺達は”光機関”の者だ。俺個人について言えば

2.26事件の生き残りだ。分かったかァ!!」




続く…




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ミャンマーに思いを寄せて 1477

「防人の詩~インパール編~」より

原住民の中には

日本軍の状況を理解し

当初は自らお米を何十キロもの山を越えて

運んで来てくれる者も居たが

相次ぐ徴発に耐えかね

もう食料は無くなってしまった

しかし他に食料の自給方法を持たない

第一線の部隊では

やはり徴発に頼るしかなく

何度も集落に出向くのであった





私はこの証言者の「彼」が気の毒であった

だが、それよりも、その先の記述が気になった。。。





ある集落に行ったとき

集落内に3名の日本軍が

潜伏していることを知った

その3人は軍服を着用しておらず

眼光鋭く、冷たいまでの視線を秘めていた





その中の将校と名乗る1人が

「この集落での徴発は、一切禁止する」と言った

「なぜなのだ!!」



続く…




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ミャンマーに思いを寄せて 1476

「防人の詩~インパール編~」より

弾薬や糧秣の補給は

部隊の後方から

輜重隊が行うのが普通である

在庫が無くなれば

現地で調達するのが主計の仕事

(この証言者のケースは経理部が担った)

調達した物を輜重隊が運ぶのだ





ただ主計が行う現地調達は

一般的に、我が占領している地域であり

敵と味方が戦闘状態にある地域ではない

だから、このケースについては

極端に前線に近い地域での活動である





主計の仕事は

安全な地域での事務仕事のイメージがあるが

戦闘部隊ではないものの

意外と前の方へ行くこともあるのね。。。

ついでに、「輜重隊」って

よく目にしていたけど

何と読むのか?何の部隊なのか分からなかった

「しちょう隊」と言って

輸送と補給の能力を持った部隊なんだとか

ハイ!勉強になりました☆





今回のケースは、祭師団の60連隊に

同行した師団の経理部の話だったけど

個人プレイのような

こんな任務の人はたくさんいたのかな?

初耳の話で、もちろん60連隊の話にも

全く出てこない人達である

ご本人が生きて日本に帰られたから

こうして証言出来たのよね

語らなかったら、きっと誰も知らなかった話

原隊を離れて、60連隊のために働いたのに

誰も気に留めていない、、、

大叔父も、こんな感じで出てこないのかな?

なんて思ったりして。。。



続く…



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ミャンマーに思いを寄せて 1475

「防人の詩~インパール編~」より

原住民からの食料の徴発も限界があった

なぜならば、原住民は

自分たちの食べる分しか

作物を作っていなかったから





このため、師団の経理部から

60連隊に派遣されていた

証言者の「彼」らは

糧秣倉庫の監視要員から糧秣徴発班となり

更に範囲を広げて食料を探すことを要求された





それは非常に危険なことであった

今まではインパール近くの

日本軍が進出している地帯内での活動だったが

そこにはもう食料が無くなった

次は、インパール・コヒマを越えて

英印軍側に潜入するしかなかった、、、





師団の経理の人も酷な命令を出すよね…

自分たちは倉庫監視で居残って

よそから来たばかりの者に長をさせ

その先の前線に行かせて

食料を現地調達しろなんて

市場がある訳じゃないし

知り合いがいるわけでもない

外国の知らない山奥の戦場で

自分達の分ではなく

1個連隊を養える量の食料なんて

そんな簡単に手に入らなかったと思う

私はこの証言者の彼がとても気の毒になった



続く…



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ミャンマーに思いを寄せて 1474

「防人の詩~インパール編~」より

原住民の目に日本軍は

銃を持って脅して食料を持って行く存在

食料を出さなければ、銃で撃たれて殺されるかも…

しかし、差し出してしまうと

自分たちが飢え死にする…

どちらにしろ厳しい決断であった





そのうち原住民は食料を

家の中に置かなくなり

住居とは別の場所に隠すようになった

日本軍が来ても「食料は無い」と言い張るのだ

だが、その秘密の隠し場所をも

日本軍は執拗に探し出し

結局は、食料を徴発してしまう





食料の代わりに原住民に手渡されるのは

原住民には価値のない”軍票”であった

この行為に証言者の「彼」は心を痛める

無理やりに食料を奪うことは恨みを買い

日本軍に反感を持たれることとなる

それがいつかは、英印軍へと通報される

危険へと繋がるかもしれないと懸念した

その時は良くとも、結果的に

自分たちの生死に関わるのである





どうにか原住民に感謝の意を伝えたい

「彼」は軍票に代えて

英印軍陣地の倉庫から接収した

被服をプレゼントしてみた

”真新しいズボン”

しかし、裸族の原住民には不必要な物であり

軍票と同様、役には立たなかった、、、




続く…




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ミャンマーに思いを寄せて 1473

「防人の詩~インパール編~」より

師団の経理部から60連隊に派遣され

その後も余儀なく60連隊と共に行動した3人は

食料が無くなった60連隊のために

次の任務は「独力による食料の確保」であった





敵からのチャーチル給与は無理となれば

アラカン山脈に居住する原住民からの徴発に

頼るしかなかった





原住民は、数種類の部族がいて

かろうじてシャツを着ている部族から

裸族の部族もあった

どちらの部族もお米を作っていたため

それを徴発するのだが

自分達が食べる分だけしか作っておらず

婦女子は大声を上げて泣きながら抵抗したのだそうだ…





証言者の彼にとっては辛い任務であった

つい先日までの、60連隊との小競り合いの進軍の方が

まだ良かったかもしれない

原住民の訴えを退けて、無理やりの徴発

これも自分や60連隊が生き残るための任務

そして日本の勝利へと繋がるために。。。




続く…




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ミャンマーに思いを寄せて 1472

「防人の詩~インパール編~」より

アラカン山脈の中央位置にある

サンジャックと言う地点の英印軍陣地跡には

豊富な糧秣倉庫軍が残っていた





師団の経理部から60連隊に派遣された小隊の

本隊はここに残り、これ以後の前線追及は

証言者である上等兵の「彼」を長にして

3名での行動となった

。。。上等兵と言えば、しっかりとしているのだろうけど

よそから来た(もしくは、借りている)ばっかの者に

前線行きを押し付けて???

なんだか、かわそうな気がするのは私だけ?





こうして3人は60連隊と共に行動するのだが

英印軍の猛烈な反撃が続き

「敵中の糧を求む」と言うインパール作戦の

補給方針は、実施困難となっていった、、、





チャーチル給与が無い=自隊の保有糧秣を

消費するしかなく、60連隊のわずかな蓄えは

すぐに底をつきはじめた




続く…




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終戦の日が過ぎて

読者の皆様へ



いつも読んでいただきありがとうございます

先日、8月15日は「終戦の日」でしたね

人それぞれの思いがあることでしょう

なぜか、この終戦の日に毎年

このブログは最高の人数が訪れて下さいます

偶然かな?なんでかな???

終戦の日だからミャンマーブログをポチッてあげよう

って人が多いのかな???

何はともあれ、ありがたいことです





現在の調査は、最終段階に突入中

私個人は新たに挑戦していることがあり

残念ながら、この夏は大叔父のお墓に

参ることが出来ませんでした

また、8月18日のチャンドラボース氏の法要にも

お誘いいただいたのですが

これも残念ながら不参加となってしまいました

とっても行きたかったので残念でした

とにかく毎日ヘロヘロですが

最後の大仕事に向けて、準備しているところです





7月末発売の「丸」での掲載も良い感触でした

次回は10月末発売号に掲載予定でしたが

早まって9月末発売号となります

どうにかこうにか、頑張っています!

あと少し・もう少し(ほんとかな?)

皆様も温かい目で応援願います☆





残暑まだまだ厳しい折

皆様もどうかご自愛のほどを




2016.8.19




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ミャンマーに思いを寄せて 1471

「防人の詩~インパール編~」より

糧秣監視の任務を受け

師団の経理部から60連隊に派遣された1個小隊

英印軍の陣地に投入直後

「食料を取るのは待て!!」と言うが

「戦友が命を捨てて奪取した敵の陣地だ!!何を言うか!!」と

殺気立つ60連隊の兵





瞬時に食料集めを始める60連隊と

小競り合いの絶えない奇妙な同時前進

ただ、この証言をした彼は

インパール作戦が始まる前まで

歩兵67連隊に居たため、60連隊の心情が

痛いほど分かるのであった





こうして、アラカン山脈を60連隊と喧嘩腰のまま

ついにインパールを眼下にする地点まで一緒に

来たのであった




続く…




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ミャンマーに思いを寄せて 1470

「防人の詩~インパール編~」より

「一般に作戦軍が行動をおこすや、

部隊の後方からは輜重隊による

弾薬、糧秣の補給の行われるのが通年であり

『野戦倉庫の管理にあたる』と言う任務は

おかしな任務であった」と彼は言う





しかし、このインパール作戦においては

「糧を敵中に求む」と言う軍司令部の方針から

英印軍を駆逐しては、その都度、敵の放置して行った

陣地内にて糧秣を求めようと言う発想であった





このため、各連隊に派遣された経理部の小隊は

第一線の歩兵部隊が突撃し

英印軍の陣地を奪取するや

間髪を入れずに英印軍陣地内の倉庫に乗り込み

これらの倉庫内の糧秣を押さえ

監視するのであった





なぜ、師団司令部の直轄部隊が

このようなことをしたかと言えば

先陣を切る歩兵部隊は英印軍陣地を占領するや

倉庫内の食料を探し出し

「チャーチル給与だ!!」と叫びながら、次々と持ち出す、、、

後方から追尾する砲兵隊や工兵隊などの将兵には

肝心の食料が当たらなくなるため、苦肉の任務であった

これは、歩兵60連隊においても起きたことだった




続く…




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ミャンマーに思いを寄せて 1469

「防人の詩~インパール編~」より

司令部経理部の1個小隊は

各連隊においてどんな任務に就いていたのだろう?





師団に経理部ってあったんだぁ~

経理だから主計の話なのかな?

”主計さん”と聞いて、イメージは「とても賢い」である

軍隊の中において、少し異質な雰囲気ではあるが

一目置かれていたと言った印象である

仕事的には、花形ではないし、あまり目立たない感じ。。。

でも、どんな時でも軍隊が動けば経費も動き

主計さんのお仕事は不可欠である

だけど主計さんの手記も読んだことがないし

このブログでも”主計”と言う言葉は初めてだと思う

どんなお仕事なのか興味が出た





インパール作戦が始まる前に

突如、歩兵67連隊から師団の経理部に行くこととなった

上等兵の彼に言い渡された任務は

「作戦の進展に伴う、最前線での野戦倉庫の管理」

簡単に言うと、糧秣集積所の勤務兵であった

、、、???えーっと、、、

これも経理部のお仕事なのね?

彼自身は、主計の兵科ではなく、言わば支援の身であった





彼は60連隊に随行し、任務にひたむきに取り組み

食料の無くなった60連隊の実情を詳しく語っていた




続く…




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ミャンマーに思いを寄せて 1468

「防人の詩~インパール編~」より

「最前線の部隊に、いよいよ食料らしき物が

見当たらなくなった」と痛切に感じ始めたのは

4月末を迎えた頃であった





彼の言う「最前線の部隊」とは

歩兵60連隊を指していた。。。

この証言者は、60連隊の兵隊ではない

身分は祭師団司令部の経理部所属であった

師団司令部の経理部では

インパール進攻を目指す各連隊に

1個小隊ずつ特派していた





これから紹介するのは

インパール作戦開始前になって

経理部への勤務を命ぜられた

歩兵67連隊出身の上等兵の証言である





経理部。。。主計の話かしら???

もちろん主計の人だってビルマにたくさん居たと思う

でもあんまり戦記とかには出てこないよね

ほんの少し興味があったのと

60連隊の話なので注意深く読んでみた




続く…




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ミャンマーに思いを寄せて 1467

連隊長はほんとうに嬉しかったのだろうなぁ

でも、中隊総員45名って、、、

普通は200名くらいだよね?

それでも「こんな多くの兵隊のいる中隊を見たことがない!」

って言わせるくらいなんだから

ほんと、どんだけ~の戦況だよね?





60連隊に復帰出来て良かった

だけど、連隊長にその言葉を言われた方は

不安になるのも当然のこと

一方、第一大隊はどうなった?

第3中隊が欠のまま

戻ってくることはなかった。。。





戦後にまとめられた連隊長自身の手記は

冷静な雰囲気で書かれているが

本当は違ったと知り

”ウソ”ではないが

自分でまとめると、キレイになっちゃうのかな?

との印象である

その点、この「防人の詩~インパール編~」

個人の手記ではないため言いたい放題で

なかなか面白い本である




続く…




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ミャンマーに思いを寄せて 1466

第3中隊にとって

「最前線の所属部隊」とは

弓師団(33師団)に出されている第一大隊と

本隊である祭師団(15師団)の60連隊とあるが

第一大隊は、第3中隊が最初から欠の状態での

派遣であるため

本隊とは60連隊となり、復帰したのである





第3中隊が司令部の護衛に使われていたことすら

知らなかった60連隊長は

突如、援軍を得て

大変喜んだそうである





60連隊は、インパール北方10数Kmの地点にて

猛砲撃下において死守している最中であり

既に、微弱な軍旗小隊のほか

一兵の予備もない状態であった





インパール作戦時の60連隊長・松村弘大佐は

後に「比較的充実せる1個中隊を迎えたことは、

誠に大きな戦力の増強であった」と記しているが

第3中隊の将兵に発したほんとうの言葉は

「こんな多くの兵隊のいる中隊を見たことがない!」

だったそうである

そして、連隊長の顔面は喜色に包まれていたと

第3中隊の隊員は証言している




続く…




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暑中お見舞い申し上げます

読者の皆様へ


いつも読んで下さりありがとうございます

暑中お見舞い申し上げます!

毎日、暑いですね~

"これぞ夏"って感じですが

夏は苦手だわ☀


ただいま、帰省中です♪

それでも分厚いミャンマー関連の

本を、鞄の中に入れて来ました

ムッチャ重かったです


少しの時間でも勉強しなくっちゃ

賢くなっているような

その分、何かが抜けて行くような?


ここ最近、チョロっと展開があり

協力者達は「で、で、どうなったの?」と

興味津々な様子でした

私の報告に、ゲラゲラ笑いながら

「おもしろいよね~」って、、、

えっ?!真剣なんですけど~、面白い??

意味が分からず唖然💧

「きっと、みんなそうだと思うよ」って…

戦史ブログが面白いって、変態??💦

私の行動が、予測不能で奇想天外とのこと

そうかな?普通だよね?ビックリです

もしかしたら、読者様も面白いと思ってます??💧

ま、とりあえず頑張っております、はい


早くご報告が出来ますように⭐

まずは、スマホを使いこなせるように

今日はスマホから投稿してみます

きちんと出切るかドキドキです


では皆様、暑さ厳しい折

どうぞお体を大切に、楽しい夏を♪


2016.8.12



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ミャンマーに思いを寄せて 1465

15師団司令部の護衛任務に就いていた

第一大隊の第3中隊

司令部自体が何度も襲撃を受け

かなりの犠牲を出し、総員は45名となっていた





しかし、第一大隊は弓師団(第33師団)の

山本支隊に差し出しており

その大隊の第3中隊だけが司令部の護衛に

使われていたことを、60連隊長は知らなかったようである

、、、知らないってそんなことあるんだぁ~

師団司令部にピンハネされたようなものだよね





原隊である60連隊の戦力は

逐次低下の一途を辿っていたため

「司令部警備中隊の任務を解き、直ちに最前線の

所属部隊に復帰せよ」との命令が下された




続く…




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ミャンマーに思いを寄せて 1464

先の写真の歩兵60連隊第一大隊第3中隊は

祭師団(第15師団)の司令部護衛の

任務に就いていた

しかし、司令部と言えど戦地

2度に渡る英印軍との交戦で大損害を

受けた上、後退した地域で

中隊戦力の根幹を痛打されるまでの

犠牲を出していた





そのため、中隊長は

各方面な分派されている

数人単位の兵士に「直ちに原隊に復帰せよ」

との命令を出した





この復帰命令を受けたある隊員は

原隊に合流しようと道を急いでいた

そこで初めて”野戦病院”の惨状を見た、、、

「野戦病院とは言っても、病患兵士の

ほとんどは密林内の草の上に寝かされており

それよりも驚いたのは、これら病患兵士の

数が多かったことだ」と語っている





そして次の瞬間、更に、衝撃的に事を目にした

兵士達の寝かされている地面の横に

直径4m、深さ3mほどの大きな穴が掘られ

「そこには息絶えた患者が次々と放り込まれていた。」

直径4mもの広さのため

死体は5~6人を並べて置くことが出来たが

深さ3mの穴が死体でいっぱいになるや

彼らの上から土がかけられ

またその隣に同じ大きさの穴が掘られていた」

そうである





耐え切れず視線を逸らした

山腹の斜面の草地に並んだまま

身を横たえている兵士の中に

同じ3中隊の隊員で小学校の同級生を

見つけた

言葉を交わし、食料を渡して励ました

しかし、部隊への合流を急いでいたため

前線に向かわなければならなかった



続く…



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ミャンマーに思いを寄せて 1463

「防人の詩~インパール編~」より

本を読んでいくと少ないが時折

展開図の他に写真が入っている

今まで他で見てきた写真は行軍中の物が多く

次いで景色の写真

そして戦闘中が少しと、死体の写真である





インパール作戦が始まってからは

第一線の部隊は記念写真を撮っている暇は無かった

本に載っていた記念写真もインパール前の物である

その中で、比較的、顔が分かるような

しっかりとした写真が目に留まった

よく見ると「歩兵60連隊第3中隊の初年兵

(昭和16年兵)たち」と書かれていた
DSC_0005




※本の写真をカメラで撮影しました

60連隊の第3中隊と言えば

大叔父の第一大隊の所属中隊である

そこの初年兵の写真。。。

16年兵だと、大叔父より先輩となる

大叔父は18年兵である

でも、大叔父が大卒からそのまま徴兵されていたら

同期くらいになっていたかもしれない人達





この写真の添え書きには

「このうちビルマ戦線派遣55名、生還者6名」と

書かれていて、思わず涙が出た、、、




続く…




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ミャンマーに思いを寄せて 1462

インパール作戦中、15軍司令官は

次々と部隊を15軍直轄にしていくような印象

山本支隊にしたって、途中から直轄となっている

なんで直轄にしちゃうの?

自分の命令が直に届くから?

それだったら、最初から自分の手駒を作って

置いて(持って)おいたらいいんじゃないの???





バラバラにした挙句、すぐに直轄にしちゃう

そのメリットって、私には分からなかった

そう言う戦法があるのかしら???

だから、知人に質問しました!

すると…知人曰く「作戦立案の段階から、既に戦力が

足りていなかった」=

「楽観視していた、敵を過小評価していた」

えっ?!…それだけ???

15軍司令官の感情的な人事(師団長更迭等)も絡み

好き勝手にやって、負けた???

えぇぇーーーー、、、それってそれって

今頃、そんなことに気付いてガーン

なんだかクラクラきました(><)

失礼な言い方かもしれませんが

そんなことに付き合わされて死んじゃった大叔父って

とってもかわいそうなんですけど

そして、それを調べている私は…途方にくれるドヨヨーン




続く…




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ミャンマーに思いを寄せて 1461

インパール作戦を学んでいると

いつも不思議に思うことがあった、、、

それは「なんで部隊をバラバラに使うのだろう?」

と言うことである





大叔父の歩兵60連隊の第一大隊が

祭師団(第15師団)&60連隊を離れ

弓師団(第33師団)の山本支隊に

配属されたことを始め

その他にも、少しずつ部隊を切り貼りのように

バラバラに使うのよね。。。

そして、最後には決まって”15軍直轄”と

なってしまうのは何故なんだろう?





巨大な部隊単位であれば、多少のそれも当然だろう

でも、師団単位くらいなら、使い勝手の良い単位

ではないのだろうか?

しかも、山のように師団を作り、それらを宛がい

でも、つぎはぎだらけのバラバラに使って

本体は歯抜け状態って、、、

戦法とか私には分からないのだけど

それって何か意味のあることなのかな?

それをすることで何か強くなるとか理由があるの?

他の地域や作戦でも同じようだったのかな?

インパール作戦だけを見ていると

その方法は、決して良い結果を

生んでいないように感じる




続く…




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眠いです~

読者の皆様へ


いつも読んでいただきありがとうございます

梅雨も明け、夏真っ盛りの東京です、暑いですね~

大叔父が居た昭和19年のビルマも

暑かったのかしら???ふと、そんなことを考えます





最近の私的なご報告としては

レベルアップのために、新たに修行?を始め

早朝から夕方遅くまで、、、ヘロヘロの毎日となっています

やっと1週間を迎えたところで、まだまだ先は長いなぁ。。。

ですので、ブログの更新がきちんと出来るか不安です

(と思ってたら、更新予約日時を間違えました)

もしも更新出来ない日がありましたら、ごめんなさい

この修行が、いつか何か調査に役立つかは分からないけど

頑張れば良いことが待っているような気がします♪





それと、ついに!スマホにしました~

えっ?今頃

だってね、お気に入りだったガラケーちゃんとは

ミャンマーに一緒に行った仲

しかも、ミャンマーに忘れてきたにも関わらず

奇跡的に帰ってきてくれた強運の持ち主

その後も落としたけど、ちゃんと帰ってきてくれました

なので手放せなかったのです

スマホになった今も目覚まし時計として私の側に居ます

だ~か~ら~、スマホの操作がよく分からなくて

携帯からの更新もまだ出来ない





そんなこんな毎日ですが、一応、元気にしています

皆様も暑さ厳しい季節に向かいます

どうかお体を大切にご自愛のほどを

これからもどうぞ応援して下さいね



2016.8.6



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ミャンマーに思いを寄せて 1460

こうして軍司令部内での

対立する意見は一致点を見出すことのないまま

英印軍による投下は続けられ

このR号電に各地の駐屯部隊が

振り回される事態となった





結局、意味は分からず

謎めいた奇怪な感を抱き続けた日本軍

私が読んだ感想としては、1個中隊程度の兵力を

費やするのは軍としては痛手であるが

それを命令される部隊は、「宝探し」のような

わずかに浮かれたような印象を受けた

初めの頃は、英印軍の捜索に神経を使ったであろうが

英印軍は絶対おらず、弾薬と食料が必ず手に入る

なんと嬉しいことか、、、

そして、英印軍は見事かく乱に成功し

おちょくられていた感も否めない





このR号電の話は、今まで聞いたことがなかったので

なかなか興味深かった

70年以上前のイギリス軍が

ビルマ全土の敵(日本軍)に大量の物資を投下し

味方には、熱々ホカホカの素晴らしい

「チャーチル給与」を投下していたのに対し

日本軍は、物資に乏しく

中身が壊れたり、確実に届かなかったりと

”勿体ない”非効率な空中投下は、あまり用いなかった

それよりもそもそもビルマには制空権が無かった、、、





現在の自衛隊においても、「物資の投下」については

まだまだ弱い分野だと思う

現在の国内ではもちろん制空権はあるが

訓練実施には、広大な訓練場が必要なため

場所が限られており

各都道府県や米軍などとの調整が難しく

支障となることが多いのが実情である

いつになったら70年前のイギリス軍を

越えることが出来るのだろう、、、





物資投下は、降下した空挺隊員への補給や

孤立した味方への補給に使われることが多いが

特に空挺部隊に対する支援は

空挺部隊は無くては困るが

ただ自衛隊は、”防衛”を主としている定義上

正直、活躍の場が限定されているのも事実である

そんなこんなで、物資投下は今も昔も

なかなかご縁が無い日本でありました




続く…




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ミャンマーに思いを寄せて 1459

英印軍が投下する弾薬と食料が

無人の密林内や辺境な地区にまで広がり

第15軍司令部内の特別情報収集班では

この状況を日本軍の後方戦線の混乱を企図した

敵の作戦だとの結論に達した





しかし、中には

「意味もなくビルマ領内に空輸し

ただ勝手に投下することは考えられない。

近い将来、必ず降下部隊を侵入させる

事前の準備ではないか」と根強く考える者も居た





それと言うのも、いかに連合軍側が

食料や弾薬を豊富に貯蔵するとは言いながら

兵力展開も考えない地区に

次々と空輸&投下するとはありえない

との意見は、それなりに説得力を有していた





特に補給面が十分でなかった日本軍から見ると

兵力進攻も考えずにして

弾薬や食料を敵地にばらまくことなど

軍事常識の外に置かれた行動であった



続く…



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ミャンマーに思いを寄せて 1458

R号電が発信される度に

指示される地区に1個中隊程度の兵力と

別に憲兵隊を急派する日本軍

速やかに落下物を捕獲する

そして、その一帯に英印軍降下部隊の

有無を確認する

しかし、英印軍の姿は見当たらない、、、

「どこに英印軍は潜んでいるのだろう?」





R号電は、次第にその範囲を拡大し

ビルマ全土へと広がると

「こんなにも英印軍は、

ビルマ国内に展開しているのだろうか?」

と、不安となる





そのうち、前人未踏の大密林に数日もかけて

たどり着く部隊も出てきた

ん?これは…おかしい???

明らかに日本軍のかく乱を狙った策謀ではないかとの

疑念が増えて行った



続く…



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ミャンマーに思いを寄せて 1457

英印軍輸送機によって投下される

弾薬と食料

「英印軍兵士もゲリラ部隊も全くいない地域に

なぜこのように物資のみ投下するのか?」

報告を受ける軍司令部内でも

英印軍の企図に対して、ただ疑惑の念を

深めるのみであった





この「R何号に指令す…」の符号を頭にした

英印軍の奇怪な無電指示による投下は

その後も続けられた





しかも、投下地帯は次第に拡大され

ついにはビルマ全土に及ぶまでになった

だが、それが何を意味しているのか不明のまま

これを『R号電の怪』と呼んだのである




続く…




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ミャンマーに思いを寄せて 1456

何の話を書いているか分からなくなりそうなので

「防人の詩~インパール編~」より





大叔父の調査には関係がないが

面白い話が載っていたので

ついでに書いておきますね





昭和19年4月上旬ころから

第15軍司令部内の特別情報収集班

(特情班)には、奇怪な英印軍の電波を

捕捉するようになっていた

その電波は、明らかにインド領内から

強力な電源により発信されていることが

確認されていた





常にその冒頭には「R○○号に指令す」との

符号が付けられ

その後にビルマ国内の村の名前と

日付が明示されていた





そして、電文に明記された日時に

その場所に行ってみると

必ず、一定量の弾薬と食料が

英印軍輸送機によって投下されていた




続く…




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