ミャンマーに思いを寄せて

亡き母の思いを果たすべく、ビルマで戦死した大叔父の足取りをたどる私の奮闘記録☆

2017年02月

ミャンマーに思いを寄せて 1629

「ネタジと日本人」
~チャンドラボースアカデミー~より



<ラーマン大佐の証言>
※一部抜粋、一部編集

ネタジは意識を取り戻したが

また昏睡状態となった

日本人はネタジを救おうと超人的な努力をした

そのような瞬間に

ネタジがハッサンの名前を口にした

「閣下、ハッサンはここにはおりません。

ハビブがここにおります」と言った





ネタジははっきりと死を覚悟していた

臨終のほんの少し前、ネタジは私に

「ハビブ、私はまもなく死ぬだろう。

私は生涯を祖国の自由のために戦い続けてきた。

私は祖国の自由のために死のうとしている。
 
祖国に行き、祖国の人々にインドの自由のために

戦い続けてくれるように伝えてくれ。

インドは自由にるだろう。そして、永遠に自由だ。」

と言った

それがネタジが私に言った最後の言葉だった




私は打ちのめされてしまった

私はどうなってもかまわかった

日本人達は私をなだめ最善を尽くしてくれた

話せるまでに回復したとき

私はネタジの遺体を出来ればシンガポールへ

それが問題外であるなら

東京へ遺体を運ぶ飛行機を用意するように頼んだ





しかしネタジの棺を飛行機で運ぶことは

実行が困難でうると伝えられた

さらにネタジの遺体が運び出せないなら

早急に火葬の準備をすべきだと彼らは言った

彼らは私に同意を求めた

私には台北での火葬に同意するしか

道はなかった



続く…



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ミャンマーに思いを寄せて 1628

「ネタジと日本人」
~チャンドラボースアカデミー~より



先の他に、別のところでラーマン大佐が

証言をされていて

もっと詳しかったので載せておきます



<ラーマン大佐の証言より>
※一部抜粋、一部編集

左側のエンジンが稼動していなかった。

もう機体が揺れ、操縦士は右側の

エンジンでバランスを取ろうとしていた。

またたくうちに高度が落ちた

振り返ってネタジを見たが

ネタジは全く平静だった

飛行機は鼻先から墜落した





意識を取り戻し

荷物が私の上に崩れ落ち

火が私の方向に向かっていることに気付いた

後方の出口は荷物で閉ざされ

前方の出口へは

火の中を突っ切っていかなければならない





ネタジは頭を負傷していたが

後部出口から脱出しようと

私の方へ足を懸命に動かしていた

だがそれは出来なかった

逃げ出せる隙間は1cmもなかったからだ

だから私はネタジに

「アーゲセ ニクリエ、ネタジ」

(前から脱出して下さい、ネタジ)と言った





彼は状況を認めると

既に崩れ落ち燃えている機首を抜けて逃げようとした

ネタジは木綿の軍服の上から燃料の飛沫を被り

燃えている機首から出ようとした時

それに火が着いた

彼は燃えている服のまま立って

腰の周りの戦闘服のベルトを外そうと懸命だった





私は彼に駆け寄り

ベルトを外すのを手伝おうとした

この時、私の両手が焼かれた

その数分後ネタジは意識を失い

台北飛行場の大地に横たわった

私もネタジのすぐ横に行って横になった




続く…




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新たな資料の発見

読者の皆様へ



いつも読んでいただきありがとうございます

昨日はブログ更新をサボッてしまい

大変申し訳ありませんでした

あまりにも眠くて、朝に更新しようと寝てしまい…

だ~け~ど~、今日は早くから出掛けてしまいました





新たな資料の情報をいただき

先日、『公文書館』に見に行ってきました

今まで、何度と耳にした施設だったのですけど

国会図書館と同じだと思っていて

今回、全く別の施設だと始めて知りました





見たい資料は残念ながら

審査中でまだ公開されていませんでしたが

開示請求の手続きをして

やっと本日、見ることが出来ました





かなりジャストな資料でした

新たな事実を確認して

これからの方向性を見極める

重要な資料だと思います

でもね、ちょっぴり頭の痛い資料でした~

も~、どうしろっての、って感じですxx

ドンドンと訳の分からないことになってます





もうかれこれ8年ほど調査してますが

まだ私の知らない資料はたくさんあると思う

今回のこともそうでした

そして、これにかかりっきりの時に

他からも新たな資料提供があり

今、手配してもらっているところです

ありがたいですね

何か良い情報が載っていればいいな

そんな分けで、やれることがあるうちは

もう少しがんばろうと思います

いつもありがとうございます、感謝を込めて



2017.2.26



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チャンドラボース氏

読者の皆様へ


いつも読んでいただきありがとうございます



ここ最近の記事は

日印協会からご紹介いただいた

お父様が元・光機関員だった方とお会いして

熱く語られた事柄と、その際に持参した本の

内容を詳しくお伝えしていますが

いかがでしょうか?





チャンドラボース氏は未だに人気があるのですね

インパール作戦を調べていると

必然的にインド国民軍に結びつき

チャンドラボース氏へとたどり着きます





インド国民軍とチャンドラボース氏については

まだまだ勉強不足で

真剣に取り込まなくちゃと考えています

学校の授業でも

インドの独立には触れたけど

チャンドラボース氏の名前は

この調査をするまで知りませんでした





この後の記事は、蓮光寺にお参りに行こうと

話は続いていくのですけど

先日、チャンドラボース氏のおかげで

良いご縁をいただく機会がありましたので

もう少しチャンドラボース氏のことを

書いてみたいと思います

どうぞお付き合いくださいませ





先日より、新たな資料の発見があり

何かと多忙な日々を送っています

完全に寝不足ですぅ~

毎日PCの前で寝ています

皆様に良いご報告が出来ますように

あ~、頑張らなくっちゃ

今後ともどうぞ応援して下さいませ



2017.2.24



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ミャンマーに思いを寄せて 1627

「ネタジと日本人」
~チャンドラボースアカデミー~より



台湾総督府外事部の通訳であった

中村壽一氏によると

死の間際、チャンドラボース氏は

4つの言葉を残したと書かれている





吉見軍医より、ネタジ(チャンドラボース氏)が

言い残したいことがあれば聞いておくようにと

言われたが、あからさまに聞けないので

「何かして差し上げることはありませんか?」と

遠まわしにお聞きしました

ボースさんは「後から私の部下が来るので

宜しく頼む」と言い

「四手井中将の具合はどうか」とたずねられ

「頭に血がのぼってきたようだ」と言って

「しばらく眠りたい」とおっしゃった

吉見軍医が注射をしますと

ボースさんはいびきをかきはじめ

しばらくすると意気を引き取りました





この他に河野少佐は

「サイゴンの同志諸君によろしく伝えてくれ」と

言葉を残したとも書かれている




続く…




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ミャンマーに思いを寄せて 1626

「ネタジと日本人」
~チャンドラボースアカデミー~より



河野少佐は、燃え盛る炎の中から

飛び出したチャンドラボース氏を見たのが

最後となったそうである

河野少佐は、病院に運ばれたときには

既に目が見えなくなっていた





チャンドラボース氏の最後を看取ったのは

実際に何人だったか、私には分からないが

南門分院長の吉見軍医大尉のほかに

もう1人いた

それは台湾総督府外事部の通訳であった

中村壽一氏である





中村氏は、チャンドラボース氏の最後について

次のように証言されている



ひどい火傷にもかかわらず

彼の口からは

苦痛の言葉やうめき声は全く出ませんでした

同じ部屋の日本人将校達は

うめきや痛みに耐えるくらいなら

殺してくれと叫んでいました

ボース氏の気高い沈黙が大変印象的でした

このことは、ボース氏が最後の瞬間まで

意識がしっかりとされていたことを

物語っているのではいでしょうか

と語っておられた




続く…




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ミャンマーに思いを寄せて 1625

「ネタジと日本人」
~チャンドラボースアカデミー~より



<副官のラーマン大佐の証言>
※抜粋、一部編集

間もなく我々は救急車で

近くの日本の陸軍病院(※台北陸軍病院)に移された

幸いにも私はずうっと意識があり

病院のベッドはボース氏のすぐ隣だった

ボース氏は少し話したが

その間ほとんど意識を失っていた





<ボース氏の治療に当たった
台北陸軍病院南門分院長
吉見陸軍軍医大尉の証言>

事故現場から救急輸送されてきた

ネタジ・スバスチャン・チャンドラボースの身体は

文字通り全身火傷で

頭から足の先までいぶし銀の色に変色しておりました

外科的な処置のため

直ちに手術室に運び込まれました





この間、ネタジの唇からは

痛みを訴える言葉は

一言も発せられませんでした

ネタジは体軀堂々、六フィートを超す偉丈夫でしたが

彼の意思の力も肉体と同じ様

鉄のような強固なものでした

まさにインド独立のために心身を捧げた人物に

ふさわしい姿です





リンゲル注射、輸血、強心剤など

出来る限りの手当てをいたしましたが

その甲斐もなく、その夜最後の息を引き取られました



続く…



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ミャンマーに思いを寄せて 1624

「ネタジと日本人」
~チャンドラボースアカデミー~より



<河野少佐の証言>
※抜粋、一部編集

火が機を包んでいる

熱くてたまらなくなった私は

天蓋を破って脱出した

噴き出しているガソリンを頭から被ってしまい

上着を脱ぎ、転がって火を消す

顔も手も足も焼けた

火が消えてもしばらくボーッと

草の上で寝ていた

すると突然、全く突然という感じで

燃え盛る炎の中から

素裸の大男が飛び出してきた

靴を履いただけの素裸で

全身のあちこちから血が流れていた

それがボース氏であった





<副官のラーマン大佐の証言・続き>
※抜粋、一部編集

ボース氏「君は大丈夫かね。傷がひどくないといいが。」

大佐「軽い傷で逃げ出せました」

ボース氏「私はこの事故から生き延びることは

できそうにない。国へ帰ったら祖国の人達に

私が最後まで祖国の自由のために戦ったと

伝えてほしい。今や何者も祖国に縛り付けておくことは

出来ない。我々は戦いを続けなければならない。

間もなくインドは自由になるだろう。」



続く…



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ミャンマーに思いを寄せて 1623

「ネタジと日本人」
~チャンドラボースアカデミー~より



チャンドラボース氏が事故に遭った時の

証言は次のとおりである





昭和20年8月18日

<副官のラーマン大佐の証言>
※抜粋、一部編集

墜落した機は2つに折れ燃え上がった

ボース氏に「後ろから出ましょう」と叫んだ

ボース氏と私は火をかいくぐって外へ飛び出し

転がり出たとたん燃料タンクが破裂し

機は爆発し炎に包まれた





大地に叩きつけられ

顔を上げた目に映ったのは

火炎に包まれてこちらに歩く

ボース氏の不動明王のような姿だった

全身にガソリンを浴び

頭から血が噴き出していた





ボース氏は服に着火し炎と格闘している

私は跳んで行って火を消し地面に寝かせた

頭部が深く傷つき

そこからひどく出血しているのが分かった

全身に深く火傷を負っていた




続く…



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ミャンマーに思いを寄せて 1622

先のチャンドラボース氏が

ソ連を目指した件についての追記

チャンドラボース氏がいつの時点で

ソ連を目指したかは分からない

戦況を分析しながら腹案としてあったと思うが

ほとんどの周りの者はそれを知らなかったようだ

そして偶然なのかどうか分からないが

事故で一緒に亡くなられた四手井中将は

ソ連通だったそうである




日本側の証言と

インド側の証言との間に

微妙なズレを感じるのだけど

この本が発刊されたのは

平成の時代に入ってからのこと

これらの証言がいつの時点の物なのかは

不明なため、それぞれの記憶に思い込みや

不確かな点があったとしても

あれだけの事故だったのだから

しかたのないことだと思う

ましてや、わざと事実を曲げたとも思えない





ただ言えることは

様々に存在するチャンドラボース氏の伝記の中で

この証言だけは、又聞きではない生の声であり

ほぼ真実であるのではないかと思う





この後の事故の模様については

更に生々しい証言が続く

チャンドラボース氏と副官の分しか

準備できなかった飛行機の席

今、お話を伺っている方のお父様も

もし席に余裕があったとしたら

チャンドラボース氏と共に

事故に遭っていた可能性がある

人の運命って分からないよね



続く…




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ミャンマーに思いを寄せて 1621

ここまでの証言を時系列で

簡単にまとめてみると。。。



昭和20年8月11日

チャンドラボース氏はマレー半島で

インド国民軍の訓練をしていた


●8月14日

チャンドラボース氏は

日本降伏の知らせを受け取る

インド側の閣議でチャンドラボース氏は

翌日15日に東京行きと決まる



●8月15日 終戦



●8月17日

河野少佐はサイゴンにて

南方総軍の白川参謀から

18日にチャンドラボース氏を

大連に送るように言われる

トゥーラン到着


●8月18日


出発は午前5時

ソ連の旅順進駐


台北に直行し、大連に向かうことを決めた

トゥーランを出発

正午過ぎに台北着

午後2時に大連に向けて出発

その後、事故に遭う       





この証言だけを見ると

チャンドラボース氏は

いつの時点で東京行きを諦めたのだろう?

と思ってしまうのだが。。。

この状況で東京に行ったとしても

連合国に捕まってしまう

様々な道を考えて

僅かな可能性でも

ソ連であれば生き残りを図れるかもしれない

との考え方は

日本の敗戦後を睨んだ

状況の高度な分析の結果であろう



続く…



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ミャンマーに思いを寄せて 1620

たった数名の証言なんだけど

それらをまとめてみると

とんでもなく生々しい証言となってしまった

それらは、その現場に居合わせた人達にしか

分からないことで

どんな巧妙なフィクションよりもリアルで

飾り気のない証言は時に残酷に写る場合もある





これらの証言が全て正しいかと言うと

私なんかには判断がつかない

このブログを書いている時も

疑問に思うことも多々あった

でもね、この証言って言うのは大切な物だと思う

今となってはもう2度と聞けないことだから





大叔父の場合に当てはめた時

やっぱりおじいさん達の証言は

とても貴重だと改めて思った

どんなに偉い現代の学者先生が

あ~でもない・こ~でもないと

私の調査結果に否定的だとしても

おじいさん達の言葉を信じようと思う

「わしはボケてまへんで!神居さんと言う人は

60連隊にいませんでした」

「あの状況で、インドからビルマまで700km以上も

搬送されることはないです。この兵籍簿は間違っている」

「信じて下さい…遺族は真実を伝えると拒否する」



続く…



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ハッピーバレンタイン☆

読者の皆様へ



ハッピーバレンタイン☆

C824_akahartbox_TP_V[1]





日頃の感謝を込めてチョコ画像を

楽しいバレンタインを過ごされましたか?

私はただいまフルタイムの仕事をしていますので

久々にたくさんの義理チョコを買いました

職場の皆さんに配りましたよ~






このところ、積極的に動いています

先日は「国立公文書館」に行ってきました

見てみたい文書があったからです

国会図書館とはまた違う施設なのですね

知らなかったのです

先日、教えていただいて九段下近くまで行ってきました

ただいま、審査中の文書を公開請求しています

戦後70年以上経っていますので

もう公開されても良いのでは?と期待しています

でもタイトルだけなので、内容はよく分かりません

またいつかの本文で詳しくお伝えしますね





その他には、新聞社の取材を受けました

先日のブログ記事で「テレビのディレクターを

紹介してください」と騒いでいましたら

テレビではなかったですが

新聞社をご紹介いただき

この度の取材へと繋がったのです

しかもその新聞社の方は

このブログの読者様でした!!

私も先方様もビックリしちゃいました

今後はどうなるかは分かりませんが

良い方向に向かうことを祈っています





毎日、とーっても寝不足で眠いです

ブログが手抜きになっていてごめんなさい

どうかお許し下さいね

では今後ともどうぞ宜しくお願いします


2017.2.14



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ミャンマーに思いを寄せて 1619

「ネタジと日本人」
~チャンドラボースアカデミー~より


運命の8月18日

定員を3名もオーバーしていた飛行機は

サイゴンとハノイの間の街「トゥーラン」

(ツーラン、ラーマン大佐はトゥレーヌと表現している)

を出発し、正午過ぎには

台北の松山空港に到着した





ソ連が既に旅順を占領したことが知らされ

1,800km先の予定地「大連」に

暗くならないうちに到着するため

午後2時に台北を出発した





離陸からすぐに

突然、敵機の攻撃かと思うほど

鼓膜を破るような轟音が響いた

左側のエンジンのプロペラが吹き飛び

ショックで左エンジンが飛び散った音だった





河野少佐は火を出してはならないと思い

「スイッチを切れ」と叫びながら立ち上がろうとしたが

落ちる機の遠心力は、それを許さない

操縦手の滝沢少佐は傾いた機を立て直そうとしたが

失速に近い機は全く自由が効かなかった





機はたちまちバランスを崩し

錐もみ状態のまま

飛行場の外れに

アッと言う間に機首~右翼にかけて地面に叩き付けられた

落ちた機は、2つに折れた後、3つに分裂した

衝撃で燃料タンクが破裂し

燃え上がった機は炎に包まれた




続く…




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ミャンマーに思いを寄せて 1618

昭和20年8月11日

チャンドラボース氏はマレー半島中部の

イポーと言う街でインド国民軍の第3師団の

訓練をしていた

この時、通訳であるお父様が

チャンドラボース氏に渡すようにと

タイ駐在の坪上大使から手渡たされた封書には

日本がポツダム宣言を受諾し

降伏することが書かれていた


この時の様子の過去記事はこちら↓↓

「ミャンマーに思いを寄せて 1599」
http://blog.livedoor.jp/aya_sann/archives/2027909.html





ただちにチャンドラボース氏はシンガポールに戻り

南方総軍の寺内総司令官を訪れた

ソ連行きの飛行機を要求

提供された飛行機は双発の九七式重爆撃機

関東軍参謀副長に就任する四手井中将のほか

連絡のために東京に向かう

7名の日本軍将校が乗る飛行機に

同乗する形であった





しかしインド国民軍に提供された座席は

わずか2席しかなかったため

チャンドラボース氏は憤慨した

仮政府主要幕僚の同行を予定していたが

この飛行機に乗れない他の

閣僚やインド国民軍首脳が次の飛行機で

後を追うと言うことで納得し

参次長であり副官でもあるラーマン大佐

一人だけが同行することとなった

ただし、他の者が次の飛行機で必ず来ると言う

確認が取れるまで動こうとはしなかったそうだ




続く…




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ミャンマーに思いを寄せて 1617

この8月18日前後のことを

チャンドラボース氏と共に

飛行機に乗り合わせ

事故に遭ったラーマン参謀次長は

次のように語っている





昭和20年8月14日

日本降伏の知らせを受け取った

ただちに今後の行動を協議する

「自由インド仮政府」の閣議が開かれた

その結果、日本政府と協議のために

チャンドラボース氏を翌日(15日)に

東京に派遣すべきだとの決定が行われた





15日の朝、チャンドラボース氏と

ラーマン参謀次長とS・A・アイヤー氏を含む

数名の将校を伴い空路東京へと向かった

途中、我々はバンコクに立ち寄り

シンガポールで飛行機を乗り換えた

チヤンドラボース氏とラーマン参謀次長だけ

東京に向かう日本軍の高級将校と一緒の

重爆撃機に搭乗することが出来た





なんとなく先の河野少佐と

少しニュアンスが違うところもある

これが真実なのかどうなのかは

私には判断がつかないので

もう一人の証言と重ねてみた

もう一人とは、今、お話を聞いている方の

お父様であった



続く…




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ミャンマーに思いを寄せて 1616

「ネタジと日本人」
~チャンドラボースアカデミー~より


チャンドラボース氏の事故の時の

生存者である河野太郎少佐の証言によると

昭和20年8月17日

サイゴンにて南方総軍の白川参謀から

「18日の飛行機でチャンドラボース氏を

大連に送り、その後東京に帰るように」との連絡を受けた





飛行経路はサイゴン→トゥーラン→屛東→大連→東京

無事にトゥーランに着き

明日の出発は敵機の出現を考えて午前5時と決定





運命の日、8月18日

トゥーランを出発し、午前11時頃には

次の目的地である屛東が見えてきた

その時、突然、無線がソ連の旅順進駐を伝えた

協議の結果、台北に直行し

出来れば本日中に大連に向かうことを決めた

正午過ぎには台北に到着した





14時少し前、滝沢少佐が外でエンジンテストをした

この河野少佐も立ち合った

ガソリンは3,000リットル満タン

左のエンジンに若干の振動を感じたので

機に乗り込み再テスト

今度は何も異常を感じられなかった

この時、もう少し慎重だったらと

今では考えられるのだが…

と語られていた




続く…




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ミャンマーに思いを寄せて 1615

「ネタジと日本人」
~チャンドラボースアカデミー~より



この本の中には

チャンドラボース氏が命を落とした

事故の時に生き残った人等の

証言が載っている

事故の様子は、どの書物よりもリアルで

貴重な証言だと思う

・ラーマン参謀次長の覚書

・河野太郎少佐の証言





また、この他には

チャンドラボース氏のご遺骨を

台北から日本に運んだ林田達雄少尉の証言

チャンドラボース氏の手当てをされた

台北の陸軍病院の軍医さんの話など

かなり詳しい話が満載である

ネットで探してもなかなか詳しいことが

出て来ない現状

本にして残されたのには

後世に伝えたい思いがあったのではないかと思う

ただ、この本はチャンドラボース氏をしのぶ会の

元・光機関員にのみ配布された物で

一般には出回っていない非売品

初版本は平成2年に発刊され

この度、修正と新たな資料を加えて

改訂版が発刊されたが

これにおいても100部ほどの発行部数である

このような貴重な資料を残して下さったことに

感謝して、ぜひ皆様に知っていただければと思います

少々お付き合いくださいませ




続く…




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ミャンマーに思いを寄せて 1614

「ネタジと日本人」
~チャンドラボースアカデミー~より



まずは、チャンドラボース氏の事故の様子について


生存者の証言を紹介します







昭和20年8月18日


突然、無線がソ連の旅順進駐を伝えた


そこで協議の結果、台北に直行することとなった


出来れば本日中に


大連に向かうことを決めた






搭乗員は全部で12名

日本軍の将校10名とチャンドラボース氏と


インド国民軍の参謀次長が乗り込んだ


四手井中将、野々垣中佐、操縦手の滝沢少佐、河野少佐、

坂井少佐、青柳操縦士、チャンドラボース氏、ラーマン参謀次長、

機関係の下士官ほか


そのうち、事故により6名が即死


四手井中将は後頭部を割って即死

滝沢少佐は操縦捍が顔に食い込んで即死

チャンドラボース氏は後頭部に裂傷とやけどにより死亡




続く…




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ミャンマーに思いを寄せて 1613

チャンドラボース氏のご遺骨が

東京・杉並の蓮光寺になぜ安置されているのか

詳しく書かれている資料がありましたので

ご紹介したいと思います






私が参考にしたのは

光機関員・大川塾生のおじいさんからお借りした

同じく光機関員・大川塾生であった方の手記「白い航跡」と

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↑この本はおじいさんがお持ちの物で

返却したのですが、ずっと古本で探していました

本日、久々に古本屋を覗いてみると

なんと「在庫あり」って!!すぐにゲットしましたキャー

しっかりと書かれていて、とっても良い本です

こぼれ話の方はまだ入手出来ていませんが

いつかいつか私の元に来てくれたらいいなぁ





この他に、チャンドラボスアカデミー発行の

「ネタジと日本人」やいただいた資料を参考にしました

大叔父の調査に蓮光寺のお話は関係がないと

思うのですが

終戦の混乱の時期

連合軍に目を付けられるのを嫌がり

誰しもがチャンドラボース氏のご遺骨を

預かろうとしなかった

しかし勇敢にもご遺骨を守られた

蓮光寺さんに敬意を表して書かせていただきます



続く…



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ミャンマーに思いを寄せて 1612

蓮光寺に連れて行って下さるとのことで


後日、調整しましょうと言うことになった


蓮光寺にはチャンドラボース氏の銅像があり


その後ろには光機関員の名前が


刻まれているそうだ。。。


さすがに大叔父の出兵に


チャンドラボース氏が直接関わっているとは


思っていないが


何はともあれ、お墓参りして悪いことはない


チャンドラボース氏にお願い事をしたら


何でも叶えて下さりそうに思う(おいおい)


下心があったらダメかな?とか


一人で妄想してしまった(笑)


私はその日を楽しみにしたのであった






未だにチャンドラボース氏の死の真相は


色々な説がある


ほんとうは亡くなっていなかったとか


満州で見たとか


事故ではなかったのではないかとか様々


だけど、この蓮光寺にご遺骨が安置されているのは


確かなことである


そしてその経緯は、明らかとなっているが


あまり知られていないように思う





続く…





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ミャンマーに思いを寄せて 1611

※またもや更新時間が遅れましたペコリ

単に光機関員の息子さんかと思っていたら

現在もチャンドラボース氏のお墓を守る

重鎮であることを知ってビックリ!

今度、その蓮光寺に連れて行って下さるとのこと






わぁ~蓮光寺に行ってみたかったんだぁ

チャンドラボース氏のお墓にお参りしたい

とずっと思っていたから

もしかしたら大叔父が

お世話になったかもしれない人。。。

インド国民軍を率いて勇敢に戦った人

一部の日本軍の将官よりも人格的に素晴らしいと

私は尊敬している





杉並は近いんだけど

なかなか行けなかったお寺

お話による普段は一般に公開されていないらしい

良かった~、知らずに行って入れなかったら

困っていただろう

ワラをも掴みたい私にとって

神様でも仏様でも何でもすがりたい気分(笑)

よ~し、行ってみよう!!



続く…



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昨日はインドのパーティー

読者の皆様へ


いつも読んでいただきありがとうございます

本日の更新が大変遅くなり申し訳ありません

昨夜は所用で遅くまで出かけておりました

帰宅後は、やらねばならないことを

てんこ盛りにしたまま

眠りこけてしまいました





実は昨夜はインド関係のパーティーにご招待いただき

ド緊張しながらも参加してまいりました☆

インド料理店での華やかな夢のようなパーティーでした

参加者は財界や大企業の社長さんなどがほとんどで

初参加でオロオロしている私に

皆さんとても親切にして下さいました





皆様のお計らいで

インド大使と直接お話しする機会をちょうだいし

なんと、この調査にインド大使館より

ご協力いただけることとなりました

自分でもなんでそうなったのかビックリです

宴席でのリップサービスなのかもしれませんが

今の私にはとても心強く涙が溢れそうなりました

インド大使様、ありがとうございます

とても優しい方でした↓↓
DSC_0207 - コピー





DSC_0205
















ただいま頑張って行動しています

もう少しだけ頑張ってみます

今後ともどうぞ応援のほど宜しくお願いします



2017.2.4



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ミャンマーに思いを寄せて 1610

チャンドラボースアカデミーとは


元・光機関関係者等を中心に

今は亡きチャンドラボース氏をしのぶ会であった


場所は東京・杉並の蓮光寺


このお寺にチャンドラボース氏のご遺骨が


安置されているからだ






チャンドラボース氏のご遺骨が


このお寺にどうして安置されているのか


そして今なお日本にあるのかについては


後ほど記述したいと思っている






このお寺では毎年、命日の8月18日に


慰霊祭が行われているが


もう旧軍さんの参加はないそうだ


そして現在は、この方がチャンドラボースアカデミーを


お世話されているみたい


えっ?あらそうなの?


なんだかとっても重鎮と


お知り合いになっちゃったわ




続く…




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ミャンマーに思いを寄せて 1609

すごい写真を提供いただいたのだけど

正直、この方は息子さんであって

当のお父様ではない

そのため、残念ながら

光機関の詳細などは

あまり分かっておられないように感じた

あぁ、これ以上は難しいのかな、、、





私は今日は、たまたま

「ネタジと日本人」と言う本を持参していた

いただき物でかなり古い本である

この本はチャンドラボース氏のことを中心に

光機関のことも詳細に書かれている本だ

発行元はチャンドラボースアカデミー

何度か調べたけど

このチャンドラボースアカデミーとは

いまいちよく分からない団体であった





すると、その本をご覧になって

大変喜んで下さった

実はこの本は昔々に発行され

チャンドラボースアカデミーの関係者のみに

配布された非売品であったことと

発行部数が少なかったため

現存している当時の物は珍しいのだそうである



続く…



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ツイッターはじめました☆

読者の皆様へ


ここ数日は暖かい東京です

皆様お変わりないでしょうか?

いつも読んでいただきありがとうございます





なんと!ツイッターを始めてみました

あんまり得意ではないのですが

大叔父の情報提供に繋がったらいいなと

何でも手あたり次第チャレンジしてますw

ブログは少しでも多くの方の目に留まるように

ブログランキングに参加したり

丸での掲載も読者様が興味を持っていただき

拡散したらいいなぁと思って続けていますが

なかなか上手くは行かないのが現状

そこでSNSを始めてみては?と

アドバイスをいただいたのでした





戦史等がお好きな方のお友達も

同じような趣向の方が多いと思いますので

今までこのブログをご存知ない方にも

自然と拡散したらいいなぁと願っています

宜しかったらお友達になって下さい

https://twitter.com/panda_jewelry_





ブログでは時折、近況をお知らせしていますが

それより以前に速報など小出しに

つぶやいてみようと思っています

でもまだ始めたばかりで、操作がよく分からないので

お手柔らかにお願いしますv

https://twitter.com/panda_jewelry_



2017.2.1



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