ミャンマーに思いを寄せて

亡き母の思いを果たすべく、ビルマで戦死した大叔父の足取りをたどる私の奮闘記録☆

2017年03月

ミャンマーに思いを寄せて 1653

✳昨夜書いたはずの記事が、、、

なぜか無い💦消えた?


寝ながら打ってたからなぁ


と言う訳で通勤電車の中で


スマホ投稿してみるか!


でも初なんだよね、出来るか自信ない


メカ音痴のワタクシでした






資料をピックアップしてもらう前に


私が既に調べ済みの資料をリストアップ


することにした


あちらにある資料と重複したら


お手数をおかけすることになるから






持っている書籍や資料の名前を書き出すと


思っていたより多くて、自分でも驚いた


まあよく勉強したと言いそうになるw


リストアップ出来なかった細かい資料も


合わせると、かなりの量となった


インパール作戦の資料だけで


これほど揃っている所は


たぶん無いのではないかと思った


しかも、この記事の内容は


1年前の2016年なので


現在はもっと増えている






さて、あちらからはどのような


お宝資料が出てくるか


とても楽しみだあ~




続く…




※ブログランキングに参加してみました
大勢の方に読んでいただくことで、情報をいただけるよう
ご協力をお願いしますm(_ _)m
ポチッとな☆↓↓



人気ブログランキング

ミャンマーに思いを寄せて 1652

私はかいつまんで調査の内容を伝えた

たまたま昔々にお会いしたことのある人で

私からは歴史とか戦史とかビルマとか

全く想像できないそうで

なんで私がこんなことをしているのか

とても不思議そうであった





更に私は大叔父の経歴に

中野学校が関わっている

可能性もあると付け加えた

通訳と主計さんの関係も

その方は分かっておられて

すぐに私の意図を汲んで下さった

そして調査が進まず困っていることも

話すと大変親身になっていただいた





まずは、その図書館並みの

大量の資料の中から

手記、南方、ビルマ、特務機関、中野学校など

キーワードにひっかかりそうな物を

手作業でピックアップして下さった

それだけでもかなりの作業であった

その中から更に、関係しそうな文面を

全てコピーして送ってきて下さったのだ

ほんとうに何と言っていいやら。。。

ありがとうございます、ありがとうございます。。。



続く…



※ブログランキングに参加してみました
大勢の方に読んでいただくことで、情報をいただけるよう
ご協力をお願いしますm(_ _)m
ポチッとな☆↓↓

人気ブログランキング

ビルマ屋さん?

読者の皆様へ


いつも読んでいただきありがとうございます

ここ数日、雨とか寒い日が続いていますね

皆様お変わりありませんか?





27日発売のミリタリー雑誌「丸」にて

こちらの記事が掲載されています

_SX353_BO1,204,203,200_[1]












う~ん、出来はイマイチガチョーン

読み返したら、ちょっと分かりにくいかなぁ

ブログを真剣に読んで下さっている方は

分かると思いますが

雑誌はギュギュギュッと

詰め込んで短縮していますので

短縮しすぎた感がかなりありました

反省しております、ごめんなさい

でも、何か情報提供があるといいなぁと

淡い期待をしています☆





先日、とある経済誌がビルマ戦史を

書ける人を探してたんですって

そしたら「あぁ、パンダさんがいますよ」って

知り合いが紹介しちゃったそうなんです

えっ?私???

だってだって~、それで食べている学者先生は

たくさんいらっしゃるじゃないですかぁ

なぜか先方が私のこの調査に感動されて

私のことを気に入って下さったらしく…

ほんと私なんかでいいのかな?ビックリです





なんだか私の幅が広くなってきた?

いやいや、そんなの目指してないですw

よく最近言われるのが

「パンダさんのブログ、有名ですよ」って

えっ?そうなんですか?これまたビックリ

嬉しいけど、情報提供はないなぁ(笑)

続けていれば良いことあるかな?

がんばろうっと♪

では本日も良い1日でありますように



2017.3.39



※ブログランキングに参加してみました
大勢の方に読んでいただくことで、情報をいただけるよう
ご協力をお願いしますm(_ _)m
ポチッとな☆↓↓

人気ブログランキング

ミャンマーに思いを寄せて 1651

とある場所にある、主計さんの資料

私だけではどうにもならないと判断し

協力者とチームを組んで臨もうとしたら

その資料は、ちょっぴり非公開ぽいみたいで

個人的な好意で私にだけと言う話だったみたい

それを早く言ってよ~





熱く勧めて下さった人は周りの人に怒られて

別の人からお断りの電話が

私の協力者達にも個別にお断りが伝えられたようだ

熱くオススメしたのはそちら様で…

別にいいけどさぁ、、、なんじゃそれ

忙しい合間を調整してもらって

協力者にお願いした手前、なんだかなぁ、、、





とモヤモヤしていたら

「と言うのは建前で…」と

お断りの電話をして来た人が

偶然にも知り合いだったので

「私の責任で調べます」と言って下さった

でも私のために内緒で調べて下さるのだったら

ご迷惑をおかけしちゃうし、と心配していたら

「特命だから大丈夫」とのお返事に

なら、その人にお任せすることにした

この度、その資料が届いたのだった




続く…




※ブログランキングに参加してみました
大勢の方に読んでいただくことで、情報をいただけるよう
ご協力をお願いしますm(_ _)m
ポチッとな☆↓↓

人気ブログランキング

ミャンマーに思いを寄せて 1650

先日、全く関係のない用事で行った先で

なぜか旧軍の主計さんの資料と出くわした



資料と出くわした際の過去記事はこちら↓↓

「ミャンマーに思いを寄せて 1516」
http://blog.livedoor.jp/aya_sann/archives/2018901.html





そこにはほとんど手付かずの資料が山盛りあった

何があるのかも良く分からない状態

その中には主計さんの手記もあるとのこと

ビルマ関連があるかどうかまでは分からないけど

ダメ元で探してみたらどうかと

熱心に薦めて下さったのだった





光機関のような大きな組織であれば

正規に主計将校が配置されていたはずで

多額の工作費用を動かすためには

主計の存在は欠かせないだろうとのこと





加えて、光機関での仕事は

機関本部での勤務の他に工作活動があり

その際には、少人数のグループで

現地の人と接触する

グループの中で通訳と主計は

一緒に行動していた可能性は高いと

思われるのだそうだ





でもなぁ、主計さんって…きっとまた寄り道だよね

しかも図書館並みに大量だし、、、

1人で調べたら泊まり込みしても何ヶ月かかるんだ?ヒィー

だけど熱く勧めて下さるし。。。

せっかくだし、ダメ元で調べさせていただこうかな

と私の気持ちが傾いたところで

なぜかお断りのどんでん返し

何?何?何かしました私?ええええぇぇぇぇーーーー



続く…



※ブログランキングに参加してみました
大勢の方に読んでいただくことで、情報をいただけるよう
ご協力をお願いしますm(_ _)m
ポチッとな☆↓↓

人気ブログランキング

ミャンマーに思いを寄せて 1649

日印協会からご紹介いただいた方々は

今までの調査路線とは違う方面の

それぞれの重鎮の方ばかりで

この先、私の調査にとってまた新たな展開の予感

大叔父に直結する情報はなかったけれど

それはそれで勉強になったかもしれない

私にとって人との出会いは宝だと思っている

このご縁を大切にしよう

インド大使館の皆さん、日印協会の事務局長さん、

そして出会った方々、ありがとうございます☆





それでも調査が難航していることには変わりなかった

どこでもいいよ、何でもいいよ、ヒントでもいいよ

何か少しでも前進したい

前進しているのかさえ分からないけど

何かやらなきゃ、まだやれることはある





この頃、ちょうど私の元に山盛りの資料が送られてきた

第一弾が届き、あれよあれよと言う間に第二段が届いた

大量だぁ~、う…嬉しい?

今の私にはとてもありがたいことなんです

けど、けど、すごい量だ~エーン

で、これは一体何の資料ですか???

私一人でこの解読に取り組むのですよね、、、

えーっと、えーっと、ありがとうございます嬉しい悲鳴?

提供していただけるだけで感謝しなきゃね

でもさ、何か出てきてよ!!頼むよ~




続く…




※ブログランキングに参加してみました
大勢の方に読んでいただくことで、情報をいただけるよう
ご協力をお願いしますm(_ _)m
ポチッとな☆↓↓

人気ブログランキング

ミャンマーに思いを寄せて 1648

この頃、ブログにコメントをいただいた

お祖父様の戦歴を調べてらっしゃる方からの

お問い合わせでした





時折、このブログにはこのような

コメントやメッセージをいただくことがある

私のブログに影響を受けて調査を始められた方や

調査の途中でたまたまたどり着かれたり

様々なパターンがあります





同志のように感じて下さる方が多く

私も激励いただき、嬉しくそして励ましになります

調べ方が分からない方などには

私のような遠回りの苦労をさせないように

一般的な順番や方法などをお教えすることもしばしば。。。





私はたまたま調べることになっちゃったけど

こんなにもお祖父様やおじ様、大叔父様の戦歴に

興味をもたれる方がおられるんだなぁと

正直、驚きます





中には復員されたけれど

お元気な間に聞けなくて

亡くなられてから調べられる方もいらっしゃいます

私にはその気持ちはあまり分からない、、、ごめんなさい

もしも大叔父が生きて復員していれば

私はこの調査をしていなかったから

戦時中のことを話さない方は多いと思います

なぜ口にされないのかは

人それぞれの理由があるでしょう





私の持っている書籍で調べて欲しいとお願いされ

私も出来ることならばお応えしたかったのですが

日々の自分の調査だけで精一杯で

お返事保留のまま

なかなか調べることが出来ませんでした





その後、ご自身で書籍を購入され

そこに載っていたとご連絡をいただきました

結果、放置プレイとなってしまい

大変失礼なことをしたと反省しております

お力になれず、ほんとうに申し訳なかったです

この場をお借りしてお詫び申し上げます





私は自分のことだけでまだ一杯一杯ですが

そのようなお問い合わせをいただく立場に

知らぬ間になってきたのかなぁと感じています

でも人様に教えるなんてまだまだです

そして、ほんと興味本位や趣味で

調べているのではないのですよ

最初から兵籍簿を疑っていたのでもないです

成り行きで…しかたなく…8年もエーン





だけど、今まで私が受けたたくさんの優しさを

少しずつでも何かの形で困っておられる方に

お返し出来たらいいなぁと思います

それにはまだまだ精進が必要ですね

って、私は何を目指してるんだろう???

どこに進んでいるのか全く分からないよ~

とにかく早くゴールしたい、それだけです

※リアルタイムでただいまご相談を抱えていますが

是非お役に立ちたいと思っています

今しばらくお時間を下さいませ



続く…



※ブログランキングに参加してみました
大勢の方に読んでいただくことで、情報をいただけるよう
ご協力をお願いしますm(_ _)m
ポチッとな☆↓↓

人気ブログランキング

ミャンマーに思いを寄せて 1647

~資料集 インド国民軍関係者証言~より


チャンドラボース氏と最後の方まで

一緒におられたお父様

「彼はソ連に行くとはっきりと言っていないのです」

「しかしその時イギリスと対抗するのは

ソ連しかいませんでした。ドイツは駄目、

アメリカはイギリスとつうつうですし、

捕まるならソ連に捕まりたいと思ったのでは

ないでしょうか。四手井さん(チャンドラボース氏と

一緒に飛行機事故死)は日本のソ連通でした。

ですから一緒に武装解除されて…と考えられます。」

と証言されている





他には。。。

チャンドラボース氏は最後のフライトに発つとき

スーツケース2個分の宝石類(ダイヤモンド等)を

積載したと言われている

お父様は「あの時、日本人はかなりの金塊も渡しています」

しかし、過載積だったため途中で降ろしたと

河野少佐が別途証言されている





光機関では、現地の人々との通貨として

現金やダイヤモンドを使っていた

現地通貨は不安定だったのかな

軍票なんかは信用ならないし

だからダイヤモンドだったのかな

光機関関連の手記には、ダイヤモンドのことが

度々出てきます

靴下に入れていたとか巾着にとか

一斗缶に入っていたとか

終戦時に現地の人にあげたと言うのも

よく目にしました

私もダイヤモンドは大好きですいいなぁw




続く…




※ブログランキングに参加してみました
大勢の方に読んでいただくことで、情報をいただけるよう
ご協力をお願いしますm(_ _)m
ポチッとな☆↓↓

人気ブログランキング

「丸」掲載のお知らせ

読者の皆様へ


いつも読んでいただきありがとうございます

桜の開花宣言もちらほらと

皆様お変わりございませんか?

花粉症とか大丈夫ですか?





今月末発売号のミリタリー雑誌「丸」にて

こちらのブログの記事が掲載されます

内容は4年ほど前のことで

靖国偕行文庫での話や

偶然にも東京・中野に行って

大叔父の下宿先だった姉婿の経歴を知る

ところが出てきます

これからググーとダークな世界へ

突入するところです





これから映画のような展開が待っているので

新たな読者様も興味を持っていただきたいなぁと

思っています

是非、「丸」も読んで下さいね





現在のブログは

日印協会からご紹介いただいた方の

お話を書いていますが

そろそろ次の話題に移ります

次はかなり難題なんですよ、、、

また私は勉強しまくり

とても貴重だと思える資料を託されたからです

乞うご期待です





これ全部、ほんとうの話なので

私は大変なんですよ~

頭が付いて行けない

PCの周りには参考書代わりの

様々な書籍がゴロゴロ散らかっています

そんなこんなでまだまだ続いています

ブログももうすぐ1,700回を刻みそうです

今後ともどうぞお付き合い下さいませ

いつもほんとうにありがとうございます!!


2017.3.23


※ブログランキングに参加してみました
大勢の方に読んでいただくことで、情報をいただけるよう
ご協力をお願いしますm(_ _)m
ポチッとな☆↓↓

人気ブログランキング

ミャンマーに思いを寄せて 1646

~資料集 インド国民軍関係者証言~より



以前に書いたチャンドラボース氏の

日本国からの1億円の借款について

詳しく書かれていたので書いておきます



1億円の借款に関する過去記事はこちら↓↓

「ミャンマーに思いを寄せて 1637」
http://blog.livedoor.jp/aya_sann/archives/2032034.html





1億円の残りは8,000万円か9,000万円あったらしい

南方開発銀行から、お父様とチャッテルジーと言う

インド人(?)と共に全部引き出して

スマトラ、フィリピンなどの連盟支部に送金した

南方開発金庫ではびっくりして

「機動部隊でも来ましたか?」と聞かれた

もちろんそれは、仮政府の役人の退職金でした





チャンドラボース氏とお父様は

セレンバン(マレーシア)でポツダム宣言受諾を聞き

マレーの飛行場を発ち

シンガポール、バンコクと一緒に行き

最後はサイゴンで別れたそうだ

チャンドラボース氏の行動と照らし合わせると

お父様がチャンドラボース氏と別れたのは

8月17日だと思われる




続く…




※ブログランキングに参加してみました
大勢の方に読んでいただくことで、情報をいただけるよう
ご協力をお願いしますm(_ _)m
ポチッとな☆↓↓

人気ブログランキング

ミャンマーに思いを寄せて 1645

~資料集 インド国民軍関係者証言~より



印象に残った証言は

お父様は、大叔父の○○大学から派遣されていた

A氏と行動を共にしたことがあったこと

お父様とA氏は、昭和18年に

牟田口15軍司令官を訪ねたそうだ





チャンドラボース氏は、日本軍が

昭和17年に快進撃で進攻した際に

なぜそのまま継続してインドまで行けなかったのかと

残念がっていたそうで

A氏は今後のインド進攻をどう考え

いつ頃になりますか?と質問した

すると牟田口司令官は

「君たち情報関係の者はそんなふうに

イージーゴーイングに考えてもらっては困る

マレー作戦は相手が仕切ってなかった時だったから

騎虎の勢いで行ったけれど、今度は相手は

待ち構えているのだから

そうは簡単には行かない」と言った





お父様はその時、「牟田口さんを見直しました」

「その後どうして牟田口さんがああ言うふうに

なられたのか心境は分かりません。

ノイローゼ気味だったのかもしれない、、、」

と証言されている





なんだか…全般的な印象派

質問者の意図があまり分からない

たぶん、色々な質問を用意して行かれたのだと

思うのだけど、話がやたらと飛ぶのと

噂のような薄っぺらい(スミマセン)ことを

聞いている部分も多くて

記載されている証言自体は多いんですけど

この証言の正直な感想は、「もったいない」

もちろん、私の主旨とは関係ない調査だから

しかたがないんですけどね、、、

私の調査がもう少し早ければ

私をスキーに連れてってじゃなくて(古っ)

「私を聴取に連れてって」と言いたかったw




続く…




※ブログランキングに参加してみました
大勢の方に読んでいただくことで、情報をいただけるよう
ご協力をお願いしますm(_ _)m
ポチッとな☆↓↓

人気ブログランキング

ミャンマーに思いを寄せて 1644

~資料集 インド国民軍関係者証言~より


そこにはお父様の証言があった

<以下抜粋、一部編集>
1906年(明治39年)長崎生まれ

旅順の小学校→長崎大村中学→上海の東亜同文書院


※東亜同文書院の詳細過去記事はこちら↓↓

「ミャンマーに思いを寄せて 1598」
http://blog.livedoor.jp/aya_sann/archives/2027822.html


三菱商事に入社

1933年(昭和8年)インドのカルカッタに転勤

1938年(昭和13年)上海支店に転勤

やがて戦争のために南方出張となり

タイのバンコク、ビルマのラングーンなどに行く

その時に岩畔機関(後に光機関)に徴用され

三井、三菱、日綿からそれぞれ1人ずつ出した

光機関では、翻訳と通訳の仕事に就いた





1943年(昭和18年)

突然電報が来て、昭南(シンガポール)へ行け

と言われて行ってみると

千田司政長官(※司政長官とは

軍政部(後に軍政監部)の顧問として

軍政の実施に参画し,軍政部の補佐役のこと)

のところへ行けと言われた

千田長官からは、チャンドラボース氏が来るので

その秘書になれと告げられた





チャンドラボース氏は大物で

秘書を誰にするか

外務省と軍からそれぞれ候補を出したがまとまらず

千田長官に一任され、このお父様を推薦した

「大物だからあまり出すぎて押し付けがましいのも困る。

私の知る限り、君ならそう言うことはないだろう。

誠心誠意尽くして出過ぎたことはするな。」と言われた




続く…




※ブログランキングに参加してみました
大勢の方に読んでいただくことで、情報をいただけるよう
ご協力をお願いしますm(_ _)m
ポチッとな☆↓↓

人気ブログランキング

ミャンマーに思いを寄せて 1643

大叔父の新たな情報が

そんなにゴロゴロ出てくるとは思っていない

この方との出会いは

ちょっぴり残念な感じはしたが

私にとって何かしらのプラスとなっているであろう

チャンドラボース氏のお墓にも

いつか連れて行ってもらえそうだし

良い方に考えておこう





本格的なカレーを食べて

光機関やインドの話をたくさん聞いて

私の中はインド調になっていた

インドかぁ。。。カレーと踊る映画のイメージしかなくて

同じアジアなんだけど近いよう遠いような

あんまりご縁はかったわ

地図で見ても、よくもまぁあんなとこまで

日本軍は行ったよねと思う

大叔父の件では行かなきゃいけないのかなぁ

でも個人的には別にそんなに興味ないような…

いきなりインドって言われてもなぁ。。。

まぁ、ここまで来たら何でもありだけどさぁw

自然の流れに任せてみようかな





私は家に帰り

再度、このお父様について調べてみた

ネットにはほとんど情報はなかったので

私の持っている資料に何かあるかもしれない

せっかくなので調べてみると

良い物がありました!!

一度は目にしていたお名前だったんだね



続く…



※ブログランキングに参加してみました
大勢の方に読んでいただくことで、情報をいただけるよう
ご協力をお願いしますm(_ _)m
 ポチッとな☆↓↓

人気ブログランキング

ミャンマーに思いを寄せて 1642

長い時間、私はその方とお話した

しかし、大叔父に繋がる有力な情報は得られない

するとその方は、光機関員の生き残りの方を

ご紹介しましょうか?と言って下さった





光機関員の方にお会いできる!!

私は大変喜び「是非お願いします」

毎年のチャント゜ラボース氏の命日に

惹かれ機関員は蓮光寺に集まっていたが

現在では旧軍の方はもう参加されていないそうだ

ただ、参加できないだけで

ご健在の方がいるとのこと

私はわくわくした





どんな方なんだろう?

お話を聞いているうちに。。。

あ…「その方ってもしかして…○○さんですか?」

大変驚いておられたが

私の直感は当たった

もう既にお会いしていた方であった



光機関員の生き残りのおじいさんの話はコチラ↓↓

「ミャンマーに思いを寄せて 1283」
http://blog.livedoor.jp/aya_sann/archives/1994723.html



続く…



※ブログランキングに参加してみました
大勢の方に読んでいただくことで、情報をいただけるよう
ご協力をお願いしますm(_ _)m
 ポチッとな☆↓↓

人気ブログランキング

ミャンマーに思いを寄せて 1641

※日曜日の趣味の発表会(大会)で

優勝しちゃった~

そのお披露目で多忙中

またまた更新出来なかったxx



その他には、チャンドラボース氏の

奥様とお嬢さんの写真(記事)の

コピーをいただいた

正式には結婚していなかったようだが

家庭があったと知り

チャンドラボース氏を身近に感じた

万能な神様のような人かなと思っていたけど

普通に恋をして結婚して、子供を授かり。。。

やはり、お嬢さんもお父様の

ご遺骨がインドに帰ることを

願ってらっしゃるようだった





今、お話を伺っている方は

幼少期に覚えたヒンディー語を

今でも覚えておられ

(ちなみに私はヒンドゥー語かと思っていましたが

ほんとうはヒンディー語だと

”朝子”の著者に教えていただきました)

更に今現在、語学教室に通って

勉強されているとのこと

すごいなぁ

私ももしもインドを目指すなら

少しくらい話せたら素敵だろうなぁ。。。

なぜか心は既にインド行きを

視野に入れているかのような

自分に気が付きビックリした





この頃、「丸」編集部は焦っていた

最近、私が急にインド・インドと言い出したので

もしもインドから大叔父が出てきたら

「ミャンマーじゃなくなる」ってw

例えインドから出てきたとしても

それは調査の上での結果論であって

インパール作戦はミャンマーが舞台だと思う

だから丸さんは何も困らないと思うのだけど…

正直、どこから出てこようが

別にいいのよ私はww

※次回くらいから次の展開に進みます




続く…




※ブログランキングに参加してみました
大勢の方に読んでいただくことで、情報をいただけるよう
ご協力をお願いしますm(_ _)m
ポチッとな☆↓↓

人気ブログランキング

ミャンマーに思いを寄せて 1640

※日曜日に趣味の発表会があり

昨日は疲れ果てて更新をサボリました

ご心配下さり、メッセージをいただきました読者様

ありがとうございます



お父様が元・光機関員だった方は

今でもインドが大好きであった

お父様がチャンドラボース氏の

秘書兼通訳だったこと

そして、ご自身も幼少の頃に

インドに住まわれていたことなどから

インドに関する様々な資料をお持ちであった





特にチャンドラボース氏とお父様の写真

チャンドラボース氏からの手紙は

とても貴重なのではないかと思う

その他、インドに関する記事など

その中で1つ、珍しいと思ったのは

靖国神社の”ちょうちん”の写真だった





大礼祭などのときに

参道にズラリと並ぶあれですよ

なんで提灯の写真なんか。。。と思って

写真をよ~く見ると

ある1個の提灯に「光機関」と書かれていてビックリ

まだチャンドラボースアカデミー(チャンドラボース氏を

しのぶ光機関の戦友会のようなもの)の

皆さんがお元気で活発に活動されていた時代

慰霊のために提灯を上げておられたのだ

私の中では「特務機関」と聞くと

なんだか怪しくて(ごめんなさい

戦後に集まりがあっても

ひっそりとされているようなイメージだったのだけど

違うんだよね。。。

もう少し私の調査が早ければと

今でも残念に思う



続く…




※ブログランキングに参加してみました
大勢の方に
人気ブログランキング読んでいただくことで、情報をいただけるよう
ご協力をお願いしますm(_ _)m
ポチッとな☆↓↓

ミャンマーに思いを寄せて 1639

先日お会いしたアジアの歴史を

研究されている先生の著書「朝子」

戦前から日本で育ち

インド国民軍に参加した

朝子と言う日本名を持つ

インド人の少女「アシャ」の話

※またいつか詳しく書きますね





このアシャさんのお父様は

インド仮政府の書記官長をされた

インド独立運動の活動家”サハーイ氏”

お父様はアメリカで医学を学ぶために

渡米を決意するのだが旅券が取れず

日本のイギリス大使館であれば

旅券を発行してくれるのではないかと

来日したまま、日本での独立活動に至る





日本と戦場を行ったり来たりしながらも

神戸の北野町に済み

後に東京の荻窪に移り住む

終戦を迎え、南方から復員してきた

今、お話を伺っている方のお父様一家は

このサハーイ氏の家に身を寄せた

インド人に抱かれた幼少期の写真は

この時にサハーイ家の前で

撮られた物だと思われる




チャンドラボース氏や光機関でのご縁で

終戦後の東京でインド人に助けられる。。。

なんだか

ちなみにチャンドラボース氏のご遺骨が

日本に着いた3日後には

このサハーイ氏の家にご遺骨は預けられた




続く




※ブログランキングに参加してみました
大勢の方に読んでいただくことで、情報をいただけるよう
ご協力をお願いしますm(_ _)m
ポチッとな☆↓↓

人気ブログランキング

ミャンマーに思いを寄せて 1638

元・光機関員のお父様を持つ息子さん

戦後、幼少のころには、ご自身も

インドに住んだことがあった






南国の雰囲気の広大な芝生のお庭に

大きな大きな白亜のお屋敷の写真

まだまだ海外旅行や飛行機が珍しい時代に

セスナ機の前で機長さんらとの写真など

とにかく”お坊ちゃま”ぶりは写真から伝わってくる

まぁ、なんてお金持ちなんでしょう






昔からインド人の知り合いも多いらしく

中村屋のボースの件も詳しかった

子供の頃、インド人の腕に抱かれている写真もあった

先日ご紹介した本の”朝子”の中にも

お父様のことが、しっかりとフルネームで書かれていた
51UdIIukHcL[1]












続く…




ブログランキングに参加してみました
大勢の方に読んでいただくことで、情報をいただけるよう
ご協力をお願いしますm(_ _)m
ポチッとな☆↓↓

人気ブログランキング

ミャンマーに思いを寄せて 1637

お父様が元・光機関員だった方からのお話は

とても貴重で楽しかった

この方、本人じゃなかろうか?と思うくらい

リアルな話っぷりで

お父様が繰り返し話されていたのかな?

と思った





日本がポツダム宣言を受諾して

敗戦を迎えることを知ったチャンドラボース氏は

ただちに、このお父様に

南方開発金庫に預けてあったお金を

引き出すようにと指示をした






このお金はインド仮政府が日本から

借りた資金で

1億円借りた残りで、8,000万円くらいは残っていた

と話された

今のお金の価値に換算したら。。。

すんごい金額になると思うんだけど

それは、インド国民軍の将兵と

仮政府職員の退職金に充てるためだった





この時点で、チャンドラボース氏は

日本にお金を返す気はなかったのかな?

だって敗戦となれば返す相手が

それどころじゃなくなるのだからW

お父様は、チャンドラボース氏の

危機にも沈着した様子に

大層感激されたそうだ



続く…




※ブログランキングに参加してみました
大勢の方に読んでいただくことで、情報をいただけるよう
ご協力をお願いしますm(_ _)m
ポチッとな☆↓↓

人気ブログランキング

ミャンマーに思いを寄せて 1636

蓮光寺での慰霊祭は


今でも毎年欠かさず行われている


昔は元・光機関員が大勢集い


インド国民軍だった方も参列されていたそうだが


現在はおられないとのこと


先に紹介した本の”白い航跡”の中でも


「慰霊祭参加者は高齢化し」と言う文があった


皆、行きたくとも行けない人が増えていき


そうこうするうちに天国に旅立って


しまうのよね






もう戦後70年以上も経っているのに


未だ日本にあるチャンドラボース氏のご遺骨


何も日本側が引き止めていた訳じゃない


むしろチャンドラボースアカデミーは


インドへの返還に力を入れている


しかし、チャンドラボース氏の死を


信じたくない者がいたり


政治的な物が関係したりと


まだ返還出来ていないのが現実







死を信じたくない者のために


国家レベルでの調査なども行われたが


インド独立のために命をかけて戦った


インド祖国の英雄はまだ祖国の地を踏んでいない


チャンドラボース氏の眠る


東京・杉並の蓮光寺に行くのを


私は楽しみにしたのであった





続く…





※ブログランキングに参加してみました
大勢の方に読んでいただくことで、情報をいただけるよう
ご協力をお願いしますm(_ _)m
ポチッとな☆↓↓


人気ブログランキング

ミャンマーに思いを寄せて 1635

昭和20年9月18日

蓮光寺の和尚さんは「霊魂に国境はないのみならず

死者に回向するのは

仏法に従事する僧侶の役目」と言うことで

葬儀を挙行し、ご遺骨はここに安置された

ご遺骨は和尚さんの黄金のタンスに収められているとか





国際関係も極めて複雑な時に預かったため

住職の身辺に何かがありそうな時は

中野電信隊跡に駐留していた

アメリカ人に通報して保護を求めよと

言われていた頃もあった

ご遺骨を密かに盗み出そうとする動きもあり

ご遺骨を抱いて寝たことも再三あったそうである



蓮光寺り先代住職は

昭和54年6月20日にご逝去された

現在はその息子さんが継がれているようだ

蓮光寺では毎年8月18日に慰霊祭が行われている

今年(2016年)の慰霊祭にお招きいただいたが

お仕事が休めず不参加、大変残念であった

今、お話を伺っている

お父様が元光機関員だった息子さんが

慰霊祭を取り仕切っておられた




続く…




※ブログランキングに参加してみました
大勢の方に読んでいただくことで、情報をいただけるよう
ご協力をお願いしますm(_ _)m
ポチッとな☆↓↓

ミャンマーに思いを寄せて 1634

昭和20年9月5日

ラーマン大佐は坂井、中宮、林田氏とともに

ご遺骨を東京へと運んだ





昭和20年9月7日

インド独立連盟のラム・ムルティ氏と

アイヤー氏の2人は

遺骨返還のために陸軍参謀本部に

来るように言われた

ラーマン大佐がご遺骨を持ってきたが

火傷と負傷のため全身を包帯で

巻かれている状態だと告げられた





東京に到着したチャンドラボース氏のご遺骨は

インド独立連盟のラム・ムルティ氏と

アイヤー氏に渡された

2人は預かってもらえるお寺を探したが

終戦直後の不安な世相では

どのお寺からも拒絶され途方に暮れていた





昭和20年9月15日 午前8時頃

光機関には僧侶も居た

日本妙法寺の丸山上人、永井上人

しかし、その妙法寺も断る中

妙法寺役僧が蓮光寺に来られて

「蓮光寺の和尚は変わっているから」と

チャンドラボース氏の葬儀を依頼された




続く…




※ブログランキングに参加してみました
大勢の方に読んでいただくことで、情報をいただけるよう
ご協力をお願いしますm(_ _)m
ポチッとな☆↓↓

ミャンマーに思いを寄せて 1633

えーっと、話はチャンドラボース氏が眠る

蓮光寺に連れて行ってもらう約束をした

からの~寄り道をしている感があるけど

チャンドラボース氏のご遺骨が

なぜ日本の東京・杉並のお寺にあるのか?

を書きたくて、前置きが長くなっているのです

ま、私のブログあるあるなんですけどねw




蓮光寺への経緯については

先の「ネタジと日本人」には載っていなくて

光機関・大川塾生だったおじいさんから

お借りした同じく大川塾生の手記に

書いてあったように思うのだけど…

RIMG0223






と言うのも、コピーした資料が見当たらなくて、、、

昨日、更新をサボッたのは家探ししてたのです

これを書きたくて長~く書いてたのですけど

裏山に穴を掘ったとか、蓮光寺の和尚様が

命がけで守られた詳しい話があったと思うのです

ごめんなさいもしも見つけたらまた今度書きます





簡単な経緯については

どこの書籍にも書かれているんですけどね

珍しいなぁと思ってコピーしたつもりだったのに

って、家探ししてたら

見たことのない(?)資料が出てきた☆

光機関員の手記で良さそうだわ





昨年、調べた書籍リストを公開しましたが



リスト公開ページはこちらから↓↓

「ミャンマーに思いを寄せて 1429、1430」
http://blog.livedoor.jp/aya_sann/archives/2009907.html


その他にコピーや、昨年から増えた書籍類が

まだまだ山ほどあるのです

きちんと見られていない物も多く

時間が足りない毎日です

ほんと、ビルマとインド国民軍関係の

図書館が出来そうなくらいの量です

と言うことで、全く本筋から離れて

調査報告になっていない本日のブログでした

申し訳ありませんm(__)m

連光寺のお話はさっさと終えて

次に進みますから~




続く…




※ブログランキングに参加してみました
大勢の方に読んでいただくことで、情報をいただけるよう
ご協力をお願いしますm(_ _)m
ポチッとな☆↓↓

最近の動き

読者の皆様へ


いつも読んでいただきありがとうございます

最近とても寝不足です~

フルタイムのお仕事もあるのでお疲れちゃんモード

毎晩、PCの前で寝落ちしています

書きたいことがたくさんあるのに

半分寝ながら書いていると、全く進まないxx





今は思いつくまま僅かでも可能性があるようなら

それらを詳細に調査しています

「そんなとこ調査しても出てこないよ」と

思うときもあるのですが

【調査済み】と言うのは、安心となり自信に繋がり

また更に頑張っていける源かもしれません

「あと何が残ってるのよ~」

あっそうだ、あれとこれとあれも。。。

邪魔くさそうなあんなことも~

はい、やらなくっちゃねとほほ

なので、もちろん寄り道や遠回りが多々あります

でも無駄なことは何ひとつないと思う

戦史・歴史に明るかった訳ではない私にとって

全てが勉強であり人生の財産のように感じます

だ~け~ど、何かを目指しているのでもない(笑)

ライフワークと言われると

やりたい訳じゃないです~、早く調査を完結したい

大叔父さん、出てきて下さい!!と言いたくなる





そんな崖っぷちの中

足を運んで様々な所へ出向くたびに

たくさんの方と出会い、そのご縁に助けて

いただくことが多く

私はとても恵まれているなぁと感じます

行き詰まっては泣いて

でも自然の流れに乗って頑張っていれば

いつかゴールにたどり着くんじゃないかと

なぜか意外と楽観的なんですよね





なので現在も動きがあります

今は新たに3つの方向から

それぞれ攻めている感じです!

私の攻め方は、時にプロの学者先生が考える

レベルの話ではないことも多い

「大叔父さんに直接聞いた方が早いんじゃない?」と

東北地方のイタコさんに頼ろうとしたり

先日なんかは、もしもドラえもんが実在したら…

タイムマシーンで過去に戻って

大叔父さんに直接、部隊を聞く

でも戦時中のビルマだったら

私が死んじゃうかもしれないし

いやいや、大叔父さんが戦争で死ななかったら

私も探さなくて良いんだから

「戦争に行かないで」と伝えたらいいんじゃない?

でも、どの時点が1番効果があると思う?

「大叔父さん、私が未来の姪っ子の子です」と

20代前半の若者に、それより遥かに年上の私が

行って告げたとしても信じてくれるかな?

「あんた誰だ?何おかしなことを言ってるんだ」と

言われちゃうよね、、、

なんて、お友達と真剣に話してしまった

あ…とおとお、私はアホになってしまった?(笑)





最近のブログは少し手抜き感がありますが

頑張っている証のお疲れモードと言うことで

ちょっぴりお許し下さいませね

まだ途中でお話出来ないこともあるのですが

追々、お話したいと思います

いつも応援していただきありがとうございます


2017.3.4


※ブログランキングに参加してみました
大勢の方に読んでいただくことで、情報をいただけるよう
ご協力をお願いしますm(_ _)m
ポチッとな☆↓↓

ミャンマーに思いを寄せて 1632

今、皆様にご紹介している本は

元光機関員を中心とした

偉大なネタジ(チャンドラボース氏)を

知る同士が集まって結成した

「チャンドラボースアカデミー」と言う会が

平成2年に「ネタジ45年祭」の時に

作った本である
DSC_0230















布張りで金箔の文字

とても高級感のある素敵な本である

まさかこの本を持参したことが

”信頼”へと繋がるなんて思いもしなかった





たまたまのいただき物で

私のところにやってきたこの本は

表紙は色焼けがあり

ずいぶんと古びた本のように見えた

今まであまり興味のなかったこの本が

大変貴重な証言集だと気づいたのは

最近のことである





45年祭に配布された初版本は在庫がなくなり

平成27年に修正・加筆され改訂版が出た

DSC_0232















分厚さは初版の1.5倍くらい

希少な改訂版を、この度頂戴しました

更に詳しい内容が追記されています

既に付箋紙がベタベタと私の参考書になっていますw





日印協会では、この本で信頼を得て
DSC_0013






本1つで、こんなこともあるのだなぁと

なんだかとっても不思議です

これも何かのご縁なのかな?

これらの本を大切に活用したいです

ありがとうございます



続く…



※ブログランキングに参加してみました
大勢の方に読んでいただくことで、情報をいただけるよう
ご協力をお願いしますm(_ _)m
ポチッとな☆↓↓

ミャンマーに思いを寄せて 1631

あぁほんとうにチャンドラボース氏は

亡くなっちゃったんだね(TT)

偉大な人を失っちゃったね、、、

それでもインドはその後、意思を受け継いで

みんなで力を合わせて独立する

その裏方に光機関及び日本軍の

尽力があったことも忘れてはならない

もしかしたら、その一役をほんの僅かでも

大叔父も担っていたかもしれないと思うと

今更ながらインドに親近感のようなものが湧く





って、調査は7年目(2016年現在)に突入して

初めて「インド」の存在に気が付いた私

「遅いって!!」って声が聞こえそうですが

また一から今度はインドについて学ばなければ

いけないなんて、、、前途多難だわぁ

どんだけ毎日勉強してるか、ほんと人生最大の

勉強期なんですけどぉ~

だ~け~ど、どんだけ勉強しても

私の実生活には何の役にも立たないと言う…イヤ~ン





チャンドラボース氏は独立を見られなかったけど

きっと天国から見守ってるよね

私もどうか守って下さい!!とすがってみる(笑)

と言うことで、チャンドラボース氏に直接

お願いに上がるため

チャンドラボース氏のご遺骨が安置されている

東京・杉並区にある蓮光寺を目指す

このお寺にあるチャンドラボース氏の銅像の後ろには

光機関の方々のお名前が刻んであるそうです

普段は一般公開されていないお寺さんらしく

今、お話を伺っている方が連れて行って

下さるとのことで楽しみにしたのだった



続く…



※ブログランキングに参加してみました
大勢の方に読んでいただくことで、情報をいただけるよう
ご協力をお願いしますm(_ _)m
ポチッとな☆↓↓

ミャンマーに思いを寄せて 1630

「ネタジと日本人」
~チャンドラボースアカデミー~より



<ラーマン大佐の証言より>
※一部抜粋、一部編集
昭和20年8月20日

彼の遺体をシンガポールへ飛行機で

送ることが不可能であることが分かり

葬儀は私も列席し、軍礼に則って神社で行われ

火葬された後、

遺骨はツボに入れられ神社に安置された







出来るだけ早くネタジの遺骨を

東京に運ばなければならないことを

日本側に伝えた

私を台湾から東京へ輸送するのが問題で

台湾から日本へ行く船も飛行機もなかった





東京へ着く望みがなく3週間が過ぎた

突然、台北を発つ患者輸送機の席が

取れたことが知らされた

昭和20年9月5日

坂井、中宮、林田氏と遺骨を東京に運んだ

(※林田氏とは、元陸軍少尉 台湾軍司令部

参謀部付 林田達雄さん)

私がネタジの遺骨を持って

飛行機で東京に向け台北を出発しのは9月5日

東京に到着したのは9月6日だった



続く…



※ブログランキングに参加してみました
大勢の方に読んでいただくことで、情報をいただけるよう
ご協力をお願いしますm(_ _)m
ポチッとな☆↓↓


人気ブログランキングへ
記事検索
プロフィール

aya_sann

カテゴリ別アーカイブ
タグクラウド
QRコード
QRコード
  • ライブドアブログ