ミャンマーに思いを寄せて

亡き母の思いを果たすべく、ビルマで戦死した大叔父の足取りをたどる私の奮闘記録☆

2017年06月

ミャンマーに思いを寄せて 1707

この資料は

誰から・いつ、いただいたのか

全く覚えていなかった

主計さんの資料リストには

含まれていなかったので

主計さん関係の資料では無さそう

我が家には、きっとこんな資料が

たくさんあると思う

まだ読めていない書籍等は

ほんと山ほどあって

どんどん読まなくちゃいけない~





表紙の内側には

この中尉の方が寄贈された際に

書かれたお手紙も添付されていた

そこには、挨拶の他に

その方の思いが綴られていた





<一部抜粋>

「戦後三十数年、既に忘却の

彼方にある事ながら

当時、大本営直轄にて編成されたる

光機関の第一線にて活躍

其の行動は殆ど陰の行動にて

敗戦の今日、殆ど日の目も

見ざる処にて

資料などとは申す間敷く

只、第一線末期の活動の

一部なりとも参考となれば幸甚と存じ

当時の行動の概要を纏め。。。」

(後は、字が達筆すぎて読めないよ~)





やっぱり「陰の行動」だったのかなぁ。。。

悪いことしてた訳じゃないけど

特務機関って言うのは

表に出てこない秘密の部分が多いのだろうなぁ

主計さんの資料にも

「特殊主計」と言う言葉で

特務機関での主計業務は

一般の部隊での業務とは異なり

特別な処理をしていたと書かれていたし

(何でもかんでも”特殊主計”と言って

好き勝手?していた感じもある)

それを中野学校で主計将校さんに

教えていたようなことも書かれていたなぁ



続く…



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ミャンマーに思いを寄せて 1706

※ブログ更新が滞り失礼しました

ただいま、我が家で事件が起きています

少しブログが手抜きになるかもしれません

申し訳ありません



主計将校の手記に奮闘していたら

ふと読んだことのないような

資料を発見した





『緬甸戦記』と題された手記

光機関 桐工作班

陸軍中尉 ○○ ○○

昭和十九年五月





表紙の内側には

資料 大東亜戦後期

緬甸戦記 特務第一線

○○ ○○(氏名)

昭和五十三年十一月記

と書かれていて

内容的には戦後に

思い出して書かれた物であった





おぉ~

珍しい光機関の資料だ

面白そう☆ワクワクしちゃう

↑やっぱり変態でしょうか?



続く…



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ミャンマーに思いを寄せて 1705

※昨日はブログをお休みさせて
いただきました



自衛隊関連のところでお仕事しながら

戦史に詳しい方を探した

一方、フルタイムの仕事の傍ら

私はまだまだ大量にある

主計さんの資料と格闘していた





それらは、主計将校の手記であり

ビルマや中野学校関連だけを

抽出した物であった





旧軍の経理学校には『若松会』と呼ばれる

戦友会がある

この他にも小さな単位の戦友会はあったが

今はこれだけになっている

会の節目には記念誌を発行され

それぞれ

・陸軍経理部よもやま話

・陸軍経理部よもやま話 続編

・若松 総集編

・若松会五十年誌

である





最後の五十年誌の発行は

平成18年であった

これらを中心に私は丹念に読み続けた





若松会全体の記念誌の他にも

各期毎の手記もあり、それも読んだ

・遥かなる回想(陸軍経理学校第6期幹部候補生)




続く…




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ミャンマーに思いを寄せて 1704

1人目のおじさんからは

特に収穫は無かったが

強い味方が出来たように思った

特に思い出に残っているのは

「擲弾筒」の会話だ

すぐさまおじさんは

ご自身の使っておられる

写真入の資料を出してきて

熱く語りだした

こんなだから、周りがついてこれないような

会話と言う訳でした

あっ、でもお仕事もたくさん

教えてもらいましたよ



擲弾筒に関する過去記事はこちら↓↓

「ミャンマーに思いを寄せて 1496」
http://blog.livedoor.jp/aya_sann/archives/2016683.html

「おまけ☆【擲弾筒の続き】☆」
http://blog.livedoor.jp/aya_sann/archives/2016937.html

「擲弾筒の続き♪」
http://blog.livedoor.jp/aya_sann/archives/2017105.html



誰か他にも協力してくれそうな人を

探さなきゃ。。。

私にいつも親切にして下さるおじさんに

それとなく話してみた





すると、近くの職場のおじさんが

歴史的な資料の収集が大好きで

やたらと何でも持っているとのこと

その人に相談してみたら?

と言われたのだけど、、、

挨拶する程度で

接点が無く、ほとんど話したことはなかった

少し強面のおじさんなので

声がかけづらいよ~



続く…



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ミャンマーに思いを寄せて 1703

おじさんとの会話は楽しかった

しかし、おじさんは

もうすぐ退職を迎えられる

おじさんは、最後に今までの

自分のヲタネタを書き出して

分厚いネタ帳を作られた

(※守秘義務に違反するような物ではありません)





「間違いがあったら加筆して教えて」と

なぜか私に頼まれた

目を通してみると

素晴らしい内容だった

おじさんの傑作!!

ニッチな世界の専門書のような出来だった





それをおじさんは私に下さった

このミャンマーの調査に使えるかもしれないし

ミャンマーに使えなかったとしても

今後のライターの仕事に使えるかもしれない

そして、おじさんの愛読書をたくさんいただきました

おじさん、ありがとうございます





おじさんが退職の日

花束を渡す係に私が選ばれた

「えっ?新入りの私がですか?

他に適任者がいらっしゃるのでは?」と

控えめにした

しかし、私が適任者だと皆が言う。。。

なんで???





実は、おじさんと仕事以外の話をしたのは

おそらく私くらいだろうとのこと

あの無口なおじさんが唯一

楽しそうに話していた相手が私だったそうで

「パンダさんって不思議な人だとね」と言われた

えっ?それ、どう言う意味でしょう???





おじさん、大変お世話になって

ありがとうございました

第二の人生を謳歌してくださいね☆

あーぁ。。。次の人を探さなきゃ

私は徐々に信頼できそうな人に

このミャンマーの調査の件を話した

私の求めているような協力者は

どこに居るのかな?



続く…



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ミャンマーに思いを寄せて 1702

おじさんとは、仕事の話をしながらも

どうしても戦史とかの話に流れて

やたらと盛り上がった

「パンダさん達が何か盛り上がっているけど

聞いていても、何の話か分からない」と

周りの人に言われた





おじさんに勇気を出して

この調査の件を話してみた

おじさんは、真剣に聞いて下さった

もちろん仮説に対し否定もされなかった





ただ、ビルマや特務機関に

明るくはなかった

マニアさんであっても

得意分野はそれぞれ違う

ミリタリー好きと言っても

戦史から武器、国や年代、陸・海・空など

細部に分かれる

おじさんは、インパール作戦の補給関連や

古い武器や装備品にも詳しくて

私はとっても勉強になった




続く…




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ミャンマーに思いを寄せて 1701

おじさんの素性が気になった

私のチームの協力者達に

「こんなこんな感じの人で」と

おじさんの特徴を伝えると

「あぁ、その人を知ってるよ」と

言うではないか!!

やっぱり、おじさんは有名人らしい





おじさんはいわゆるヲタ系だった

正規に仕事としての研究者ではなく

マニアさんなのだ

何マニアなのかはよく分からない

私の協力者の直接的な

知り合いではなく

そんな人が居ると人伝に

聞いたことがあるらしい





おじさんは他にもマニアぶりを発揮した

お仕事で使う辞典の様な

規則関係の本が

おじさんの机の上にいっぱい並んでいる

それらは最新号が出るたびに

自費で購入され

前号とどこが違うか

間違い探しをすると言う、、、

ってことは、全部、内容を覚えている?

違う所を見つけた時にはニヤリとすると

自分のことを「変態」と言っておられた(笑)

だから、規則なんて全く分からない私は

おじさんに聞くと

すぐにそのページを開いて教えて下さった

おじさんが歩く辞書のように思えた

おじさん、スゴイよ☆




続く…




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ミャンマーに思いを寄せて 1700

祝(?)1700回ヒィー、もう終わりたい(><)



戦史に詳しいおじさんと資料館を訪れた

案内をして下さった係りの方は

着任されたばかりだそうで

質問をしてもシドロモドロ

あら、残念

詳しい方が案内して下さると思っていたのにxx





おじさんを見つけた係りの方は

「○○さんがいらっしゃるなら、お任せして…」と

そそくさといなくなった、、、えっ?

おじさんは、顔パスで

資料館の人のようになっている

なんでも、この資料館には

おじさんが寄贈された資料もあるとか。。。





おじさんって何者???

資料館には、戦前どころか

もーっと、もーっと昔々の時代の

遺跡から出土した物まであった

いやいや、そこまで古くなくても(笑)

おじさんは、私の質問にサクサクと答えて下さった





先ほどの係りの方が

おかしな説明をされていた部分を私が指摘して

「こーじゃないかしら?」と仮設を出すと

おじさんと熱く熱く語ってしまった

それは、米軍の空襲に関することで

到底、女の子がする会話ではなかった(笑)





残念ながら、ここの資料館からは

ビルマに関することは出てこなかった

でもとっても楽しかったです♪

でもほんと、おじさんって何者なんだろう?




続く…




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ミャンマーに思いを寄せて 1699

向かいの席のおじさんが

とても戦史に詳しくて

戦史の他に、武器や装具なども!

大変分かりやすく丁寧に教えて下さった

すごいなぁ自衛隊関係の人って☆





私は仕事をこなしながら

まずは、どこから攻めようと考えていた

詳しいおじさんは居るけど

まずは、資料館の見学に行ってみよう

きっと、そこにはもっと詳しい人が居るはずだ





私はその部署に連絡をして

見学させていただけないかと交渉した

すると、すんなり「どうぞ」との返答

私はおじいさんを誘って

資料館を訪ねた




続く…




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ミャンマーに思いを寄せて 1698

自衛隊関係のお仕事が始まった

緊張しながら慣れない仕事を覚えた

まずはミャンマーなんてことは考えずに

おとなしく仕事に邁進しよう。。。





ミャンマーがどうの

ビルマで戦病死した大叔父がどうの

なんて言い出したら

さすがに自衛隊関係のところでも

おかしな人だと思われるもの

私はただの臨時雇いの人





そして、自衛隊関係の仕事をしてたって

誰でも戦史に詳しい訳じゃない

ずっと様子を見ながら過ごしていた





前の席に退職前の方がおられて

大変、物静かな方だった

最初は、自衛隊関係の方でも

こんなおとなしい人がいるんだなぁと思った

(スミマセン、勝手なイメージです)





退職前なので、大ベテランだ

自衛隊関係のお仕事の中で

分かりにくい言葉や

それを取り巻く環境や歴史等

臨時雇いの私に、大変分かりやすく

教えて下さった

単にお仕事をこなすよりも

楽しくて、覚えやすかった





そして、歴史の話になると

スイッチが入ったように饒舌になる

ん?この人は戦史に明るいかも。。。

最初は、あちらも私が戦史等に明るくないと

思っておられたようだが

響くであろう言葉を返していると

お互いピンときて意気投合☆

み~つけた!! 1人目ゲットだぜ



続く…



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お坊さんにお会いした

読者の皆様へ



ガンジー像を見た後

ビルマ関係に詳しいと言う

お坊さんがいらっしゃるので

紹介したいとのことで

お寺にお邪魔しました

このお坊さんは、元々、光機関の

国塚氏と懇意にされていて

そのご縁でチンドラボースアカデミーの

代表者の方ともお付き合いされているらしい


国塚一乗氏(藤原~光機関員)の著書
『インパールを越えて』



光機関の国塚氏に関する過去記事はこちら↓↓

「ミャンマーに思いを寄せて 1052」
http://blog.livedoor.jp/aya_sann/archives/1970461.html





なぜそのお坊さんが

戦争に関して詳しいのかは分からないけど

仏教の関係でビルマなどに

よく行かれているそうだ





お邪魔している最中にも

相談の電話がかかってきていました

私の件も短いまとめのプリントを見ながら

真剣に話を聞いて下さいました

特務機関に居たのでは?

と言う仮説についても

否定はされなかったのでホッとした





アドバイスとまでは行かなかったけど

私が思っていなかった調べ方を教えてもらい

少しだけ収穫?があったかも

とっても親切なお坊さんでした

お世話になりありがとうございました

また詳しくはいつかの本文で☆

とりあえず、このお話はここまで





今年は大詰めを迎えそうな予感

もう少しだけ頑張らなくっちゃ

最近は大きなお話ばかり転がり込んでますが

ぬか喜びになる可能性も大

慎重に、慎重に。。。



続く…



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ガンジーさんの銅像

読者の皆様へ




蓮光寺に行ったついでに

東京・杉並区の中央図書館(荻窪)に

連れて行っていただきました

以前から「ガンジー」の銅像がある

と言うのは知っていたのですが

この図書館の裏が竹林風の公園に

整備されていて

その緑の中にガンジー像がありました

DSC_0327















正直、荻窪でなんでガンジーさんなの???

と思いました

それは蓮光寺と関係があるそうで。。。

蓮光寺があるので杉並区には

インド人がたくさん来られるとか

そしてガンジーさんに関係した財団から

ガンジーさんに関する書物を

寄贈されたことから

杉並区の中央図書館には

常設のガンジーコーナーが設置された

ガンジーコーナーなんだけど

チャンドラボース氏や

その他のインドに関係した人の資料も

展示してありました

DSC_0338















しかし、区長さんが代わると

1Fの受付の裏にあった華やかなコーナーは

地下の誰も来ないようなところに

移動されてしまい

今はひっそりと展示してあります
DSC_0333















印象に残ったのは

チャンドラボース氏の説明書きで

「ガンジーに次ぐ偉大な指導者」

と紹介されていました

どちらが上か下かは

見る人によって違う話で、、、

ガンジーさんが好きとか嫌いではなくて

今の所、全く触れていないので

チャンドラボース氏の

肩を持っちゃうのかも

杉並区の宝はチャンドラボース氏と

そのお骨を戦後の混乱期に預かり

70年以上守ってこられた

蓮光寺だと思うワタクシでした



2017.6.16



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蓮光寺に行ってきました♪

読者の皆様へ



昨日はチャンドラボース氏が眠る

東京・杉並の蓮光寺に行ってきました♪





昔々はお蚕さんの資料館があった

公園を抜けると

東京にしてはわりと大きな境内があった

車を停めると

すぐにチャンドラボース氏の銅像が見えた

画像では何度と見ていた銅像なのに

チャンドラボース氏の銅像を見た途端

涙が溢れそうになった

「やっと会えた~」って気持ちでした

神様ではないのですが

なんだか守ってもらっている感じで

「いつもありがとうございます」って

気が付くと、お礼を言っていたわ(笑)

DSC_0315
















ここまでは、一般の参拝客も見られるのですが

ご住職のお心遣いで

本堂に上がらせていただき

チャンドラボース氏の御位牌も

拝ませていただくことができました

超・感動でした!!





金色の大きな御位牌

チャンドラボース氏のお姿のような印象

御位牌には

「インド独立運動の英雄 スバス・チャンドラ・ボース英霊」

と書かれていました

「御霊に国境はない」と言う

先々代御住職のお人柄が偲ばれるような

素敵な御位牌

御位牌を見て素敵っておかしいかもしれませんが

素直な感想です





その御位牌の後ろにお骨がありました

もちろん生で見ていませんけど

厳重に保管されていました

さすがに本堂での写真撮影は控えました





他にもチャンドラボース氏の銅像の後ろには

光機関の方々の名前が刻まれていたり

たくさん写真を撮らせていただきました

また、色々とお話を聞かせてもらいましたが

詳しくはいつかの本文で☆

そして、ここだけでなく

チャンドラボース氏とインドにゆかりのある

都内の色々なところを巡り

ビルマ戦線などに詳しいお坊様を

ご紹介いただきました♪

引き続き、ご報告いたしますね



続く…



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蓮光寺に行ってきま~す☆

読者の皆様へ



今日はチャンドラボース氏が

眠っておられるお寺

東京・杉並の蓮光寺にお参りに

行ってきま~す





これだけチャンドラボース氏の記事を

書いていて、1度もお参りしていない

チャンドラボース氏、ごめんなさいね

行きたくとも行けなかったお寺

普段は非公開のお寺のようですね

ありがたいことに連れて行って下さる方が

おられましたので

お言葉に甘えてお邪魔してみます

また帰ってきたらご報告したいと思います





戦後の大変なときに

チャンドラボース氏のご遺骨を預かるには

相当な覚悟がいったことと思います

国際的・政治的・思想的な圧力も

あっただろうと想像しちゃいます

自身の身の危険を顧みず

弔われた蓮光寺先代住職様を

尊敬いたします





旧知の人にでも会うかのごとく

とっても嬉しい気分です

お花とお供え持って行ってきま~す

チャンドラボース氏、待っててくださいね



2017.6.14



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ミャンマーに思いを寄せて 1697

この頃、進まない調査に

どうしたら良いのだろう?と

いつも思っていた





やらなければならないことは

まだまだある

それを終えない限り

私はきっと調査を止めないと思う

自分が諦めたらそこで終わりだ

反対に止めようと思えば

いつだって止められる

投げ出したところで

誰にも迷惑はかけないからだ





自分が動けば回りも動く

一生懸命頑張っていれば

自然と道は開ける

自然の流れを感じて

素直にそれに乗ってみよう

がむしゃらではあるものの

以外と気楽に続けている気もする





誰かプロの方で相談に乗って下さる方は

いらっしゃらないかしら?

日本国内で戦史に強くって

資料もたくさんある所。。。

そしてその資料を肩書きの無い私にも

開示して下さる所。。。





そう考えていると

「そうだ!防衛省があるわ♪」と名案が浮かんだ

防衛省はその道のプロの方ばかりだ

防衛省の職員となって中に入れれば

資料だって簡単に見せてもらえるかもしれない

でもどうやって職員になるの?





ちょうどその時

「自衛隊関係で臨時雇用の募集があるけど

来てくれない?暇そうな人は

貴女しか思い浮かばなかったの」と

知り合いから声がかかった

「えっ?そんなのあるのですか?」と

私はビックリして

あれよあれよと言う間に

念願の自衛隊関係の施設で働くこととなった





知り合いと言っても10年以上前の人で

3年くらい前に、たまたま道でバッタリと再会し

連絡先を交換してそのまま、、、

今回、突然、連絡が来てビックリしたわ

。。。すごいタイミングだよね

こんなことってあるんだね~

素直に自然の流れに乗ってみよう




続く…




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新聞にチャンドラボース氏の記事

読者の皆様へ



いつも読んでいただきありがとうございます

防衛省でのお仕事を終え

やっと最近、なんとかブログの更新が出来ます

ただいまの内容は、ちょうど1年くらい前です

主計さんの資料の話ばかりで

面白くないかもしれませんが

ほんとうに山盛りの資料と

格闘しましたので、もう少しお付き合い下さいませ





先日、読者様から

チャンドラボース氏の記事が

新聞に載ってますよと情報をいただきました

【チャンドラ・ボース「生存説」に終止符】

「インドの英雄 政府が事故死認める」

と言う見出しでした

詳しくない方は

何のことか分からないかもしれませんが

チャンドラボース氏の死については

ほんとうは生き延びて

旧ソ連に渡ったなどと諸説あったのですが

この5月31日にインド政府が

初めて公式に事故死を認めたそうです





この経緯は、大川塾のおじいさんの手記や

チャンドラボースアカデミーの本などに

詳しく書かれていましたので

いつかブログでも取れあげたいなと

思っていたのですがなかなかで。。。






少し書いてみましょうか?

えっ?寄り道ですか?(笑)

そんなことを考えていたら

実は、明日はチャンドラボース氏のご遺骨が眠る

杉並の蓮光寺にお邪魔させていただく予定です

一般公開されていないお寺だそうで

チャンドラボースアカデミーの代表に

連れて行っていただきます♪

大変嬉しく思います、楽しみです☆

お墓参りしたら、何か良いことあるかな?





梅雨入り間近の関東です

読者の皆様も季節の変わり目

どうかご自愛のほどを

いつも読んでいただきありがとうございます



2017.6.12



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ミャンマーに思いを寄せて 1696

~主計さんの資料の中の
「陸軍経理部よもやまばなし 続編」より~




協力者にこのことを話してみた

「大叔父さん以外の人で

光機関で死んだ人の兵籍簿は

どうなっているの?」と聞かれた





。。。う~ん、私がお会いしたのは

もちろん生きて復員してきた人であり

死んだ人にはお会いすることは出来ない

遺族を探し当てて

兵籍簿を見せて下さいと言うことも

さすがに厳しいなぁ、、、





私が兵籍簿を見せていただいたのは

大叔父と同じ歩兵60連隊の

同じ大隊の隣の中隊の

おじいさんだけ

そして、光機関の生き残りを探して

お会いできたのはお1人だけで

その方は大川塾生だったので

兵籍自体が無かった

光機関の新兵教育隊に入隊し

光機関で一等兵までなったのに

兵席が無かったことは

戦後になって分かったこと

結局、光機関に居たことを証明出来ず

恩給がもらえなかった

もう関東には元・光機関員は

このおじいさんしかおられない

他の地域にはまだご存命の方が

いらっしゃるかもしれないが

今の所、私は巡り合っていない





だから、他の人の兵籍簿と

大叔父の兵籍簿を比べることは

今の所できないのが現状



続く…



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ミャンマーに思いを寄せて 1695

~主計さんの資料の中の
「陸軍経理部よもやまばなし 続編」より~



光機関での戦後処理の一端が

明らかとなったと言って

それが大叔父の件に直結するとは言えないが

ただ、やはり私が想像していたことが

ほんとうにあったんだなと思うと

大叔父の兵籍簿の

数々の疑問も解消されるように思う





それを大叔父に当てはめてみる。。。

一つ一つ、よ~く考えてみよう

兵籍簿上の大叔父の最後は

”病院”である

勝手に病院に入院していたことに

出来るのであれば

病院で死んだことにだってできるのでは?

と思うのもあたりまえだ





インパールに近いインド国内から

700Kmも離れたビルマのメイミョウの

兵站病院まで後送され

死んだとされる件、、、

そして、終戦後に作成された兵籍簿、、、

大叔父の死後、1年経ってから

終戦間際の日付で光機関の軍事部長で

後に歩兵60連隊長となった北部大佐の

証明で発行された死亡者調書、、、

60連隊で大叔父を知っていないとおかしいと

思われる立場の方々が口を揃えて

「そんな人は知らない・居なかった」と証言した件、、、

それでも、終戦後の昭和20年9月に作成された

歩兵60連隊の死亡者名簿には

大叔父の名前が入っていること、、、

戦後処理の過程で歩兵60連隊に

入れられたんじゃないだろうかとの

仮説をずっと前から持っていた。。。





大叔父だけが特別な存在ではなく

特務機関の常套手段として

(敗戦なんて想定になかっただろうけど)

軍歴詐称(もしくは偽装)は

一般的な処理ではないだろうか




続く…




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ミャンマーに思いを寄せて 1694

~主計さんの資料の中の
「陸軍経理部よもやまばなし 続編」より~



光機関での戦後処理の一端が

明らかとなった

「退院患者として転属」

それは病院と調整したのではないだろう

光機関が勝手に病院に居たことにしただけで

頑張ったとしても人事発令くらいで

それも終戦前の日付でさかのぼって

ごまかしたであろう

もしかしたら人事発令すら出さずに

兵籍簿のみ査証した可能性もある

なんと言っても終戦のドサクサの

隠蔽人事なのだから





悪いことをしていた機関ではない

だけど英印軍にとっては

インド国民軍を誘導した、憎むべき相手であるし

終戦となっても、正体の分からない

怖い存在であったと思う

そうでなくとも「特務機関」と言うだけで

連合軍には”秘密の任務を担っていた”として

目をつけられるだろう

軍事裁判等、何が待っているか分からない

光機関での勤務歴は都合が悪いと考え

兵籍を詐称することによって

身の安全確保したいと思うことは普通である





現に大川塾生だったおじいさん方は

収容所に入っていても

片っ端から見つけ出され

刑務所に移送されている

光機関の首脳であった北部大佐においては

いつの時点で歩兵60連隊長を

終え交代されたのか

公式な記録さえ残っていない

そして、いつ・どのように復員されたのか等

全く謎のままである



続く…



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ミャンマーに思いを寄せて 1693

~主計さんの資料の中の
「陸軍経理部よもやまばなし 続編」より~



いやぁ~、すんごい証言が出ましたね!!

そうだろうとは思っていたものの

今までは、私の勝手な想像だった

それがやっと証明されて

「ホッとした」と言うのが正直な気持ち





だから記事を読んでも驚きもしなかった

ただ、後から後からドンドンと興奮してきた(笑)

だってね、全く関係の無い用件で訪れた先に

偶然にも非公開の主計さんの資料があったの

しかも、その資料の持ち主とは

23年ぶりの再会だった

会いに行ったんじゃなくて

たまたま仕事で行った先にいらっしゃって

この調査に非常に興味を示された

こんなのがお好みだったなんて知らなかった

これも偶然だったんです





そして持ち主に頼まれて

資料を全部コピーして送って下さった方とは

15年ぶりの再会だった

全然関係の無い静岡県で知り合った方で

持ち主と送って下さった方が

お知り合いだなんて全く想像出来なかったし

突然お電話をいただいて

「資料を送ります」と言われて

何のことか最初は分からないくらいだった





「経理将校と通訳は一緒に居た可能性が高い」

と持ち主に、強引にすすめられて…

何かが出てくる可能性は

ほぼ無いだろうと思っていた

届いた資料は

行く手に立ちはだかるように

山のようにあり、泣きそうになった





持ち主さんも資料を下さった方も

特務機関なんて全く詳しい人じゃない

ほんの数行の記事なんて知らなかったと思う

こんな偶然ってあるんだね

この調査で何度目の驚くべき偶然なんだろう

この調査に協力してもらうために

何十年も前に出会っていたのかしら?と思うくらい

ほんと不思議な調査だと思う

自分でも理解出来ない

運命ってあるような気がするわ




続く…




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ミャンマーに思いを寄せて 1692

~主計さんの資料の中の
「陸軍経理部よもやまばなし 続編」より~



その文章を見たとき

「あぁ、やっぱり、、、」と思った

衝撃でも何でもなかった

でも考えれば考えるほど徐々に

すごいことを発見しちゃったと思えてきた

だって、私の1つの仮説が

こうして現に存在したからだ





やはり私が睨んでいたとおり

光機関では終戦時に兵籍詐称が行われていた

今までも大川塾のおじいさん方や

地元のお役所の職員の方の証言など

兵籍すら無い人が居たり

この手記のご本人は

南方軍付きになったきりで終わっていたり

兵籍簿がおかしい人なんていっぱいいる

兵籍簿が絶対ではない!!と言いたい





ちなみに、この方は

全員の転出作業をしてから

サイゴン出張所の最後の人となり

最寄の歩兵29連隊に受け入れてもらい

出張所は消滅した





しかも、転属した先で首実検があるとのことで

次は、名前も階級も変えて

別の部隊に転属したそうだ

終戦後に2回も転属したなんて。。。

普通じゃありえないと思うし

でもそんな人もきっと

兵籍簿はキレイに詐称されたのだろうなと思う





復員の船の中では

名前と階級(階級は准尉)を変えた

元・光機関の大尉にも会ったとも書かれていた

やっぱり何でもありだよね



続く…



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ミャンマーに思いを寄せて 1691

~主計さんの資料の中の
「陸軍経理部よもやまばなし 続編」より~

【重要証言を発見!!】




終戦時、サイゴン出張所長であった方の

手記を読んでいて

光機関の戦後処理についての

大変貴重な証言を見つけた

それはほんの数行だった

関心の無い人には分からないくらいの

小さな記事である





「玉音放送の後、(中略)

出張所所属の将校以下全員を、

光機関からの指示により、

最寄の部隊と連絡し、

退院患者として転属させ、、、」





”退院患者として転属”

これが何を意味するのか?

病院で長期の入院をすると

所属は「病院付」となり

形式的には原隊から転属扱いとなる

単に最寄部隊に光機関から転属させたのではなく

病院と言うワンクッションを入れることで

「所属ロンダリング」とでも言うべきか

光機関に居た事実を

病院に入院していたこととし

光機関での勤務を、兵籍上、

隠蔽する工作が行われていたのである!!





続く…





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ミャンマーに思いを寄せて 1690

※昨日は日曜日でしたのでブログを
お休みしちゃいました!
たまにはお休みも許してくださいね



~主計さんの資料の中の
「陸軍経理部よもやまばなし 続編」より~



チャンドラボース氏が死去し

サイゴンに残されたインド仮政府の閣僚は

仮政府は支那に対して宣戦布告はしていないし

インドへも近いと言う理由で

(中国の)重慶行きを日本軍に要望した





この方は、光機関の香川参謀と南方総軍に

調整し、了承を得て

特別機を出してもらい、閣僚をハノイに案内した

その際、光機関長から処分を委された

金魂等の工作物資を最後の選別にと贈ったそうだ





翌日、サイゴンに帰り

最後に残った親衛大隊の武装解除を行った

彼等はなおも日本軍を信じ

この方の署名入りの通行安全証を欲しがった

それを受け取り、インドに帰ると言っていたと言う





。。。この方は、サイゴン出張所長として

光機関の戦後処理に当たられた一人である

この後に、貴重な証言を目にし

私は「やっぱり」と思った




続く…




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ミャンマーに思いを寄せて 1689

~主計さんの資料の中の
「陸軍経理部よもやまばなし 続編」より~




終戦間際

今までインド人を教育し

潜水艦、飛行機等で

インド国内に潜入させ

通信していた光機関・ペナン支部(マレー、ペナン島)は

サイゴンに移ってきた





戦局緊迫する頃

チャンドラボース氏は

「ドイツが降伏した以上、

日本軍も戦線を収縮し、

日本・満州の要域を確保すべきである。

インド仮政府はソ連に対し宣戦布告をしていないので、

自らソ連に行き、日ソ親善の労をとり、

またソ連からインドの反英独立運動を

継承したい。」との意向を

光機関及び南方総軍に具申したそうである

南方総軍とその調整をしたのがこの方だった





ほどなくしてインド国民軍もサイゴンに移動してきた

そして、大本営の結論の出ないうちに

終戦がやってきた。。。

翌8月16日、大本営から杉田参謀が飛来し

終戦処理の伝達が行われた

南方総軍の寺内総司令官、杉田参謀、

磯田機関長等が協議し

チャンドラボース氏のソ連行きを容認した




続く…




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ミャンマーに思いを寄せて 1688

~主計さんの資料の中の
「陸軍経理部よもやまばなし 続編」より~



バンコク出張所長時代には

機密費が使いきれないほどあったそうだ

使い道に困ったこの方は

自動車ばかりたくさん買ったそうだ

後々、光機関本部がバンコクまで

後退した際に感謝されたそうである





終戦間際でもふんだんにあった機密費

軍事費の中からではあるだろうが

どんな積算で

いくらくらいの予算配分があったのだろう?

主計将校が使いきれないくらいって

やっぱりすんごい金額だったんだろうなぁ

そこんとこを詳しく知りたかったかも。。。





次に、この方はサイゴン出張所に異動となった

サイゴン出張所の任務は

在インドシナのインド人の動向調査と組織、

南方総軍との連絡等を担っていた



※「とんでもない記述」まであと少し!




続く…




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ミャンマーに思いを寄せて 1687

~主計さんの資料の中の
「陸軍経理部よもやまばなし 続編」より~



インド国民軍がチンドウィン河を渡りきった頃

この方には、バンコク出張所の所長として

転属の発令が出ていた

しかし撤退作業に追われなかなか転属できず

発令命令も届かなかったそうだ





やっと転属の時が来た

第五飛行師団の師団長専用機に

便乗させてもらい

無事にバンコクに着いた

副所長以下が出迎えてくれたが

ボロボロの軍服に拳銃一丁だったため

所長と分かってもらえず

この方自身もボンテアックと言う高級車が

自分の車とは思わなかったそうだ





バンコク出張所の任務は

在泰印度人の動向把握、IIL(インド独立連盟)の指導、

INA(インド国民軍)カンチャナブリ補充訓練所の

指導、バンコク放送による夜間の対印宣伝、

光機関本部への物資調達等であった





そして私は、とんでもない記述を目にする




続く…




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