ミャンマーに思いを寄せて

亡き母の思いを果たすべく、ビルマで戦死した大叔父の足取りをたどる私の奮闘記録☆

2018年02月

ミャンマーに思いを寄せて 1812

杉並区の図書館の

地下での見学は続く

パネル展示を見ていると

見たことのない人の写真があった

日本人みたい。。。
DSC_0334















「インドと日本の関係交流の先駆者」

と書かれている

写真だけ撮って、後で調べてみよう





『岡倉天心』さん

ちょろっとネットで調べたら

文久2年生まれ(1863年)~大正2年(1913年)没

日本の思想家、文人

そして美術界にとても貢献された人みたい





で?インドは???

明治34~35年にインド訪遊したそうです

英語も話せたって、スゴイ人ね

隣のインドの人は宗教家だそうです

だけど特別インドに関りがあった訳じゃ

ないみたい、とにかく「先駆者」と言うことで





前の区長さんの時に始まった

インドと杉並区の交流

当時は、このコーナーは図書館の

正面入り口近くの人々がたくさん通る

明るい場所にあったそうです

が、次の区長さんに代わったら。。。

ありゃしかたないかぁ~





インド関係のお勉強が出来るところ

特にガンジーさんとチャンドラボース氏の

コーナーって珍しいよね

ここに案内して下さったおじさまはご満悦

でもね、でもね…私は気付いたの

大叔父の調査の中で

インド国民軍に行き着き

インド国民軍を調べる上でインドに触れた

まだまだインドについては不勉強だ

ただ、ビルマ(ミャンマー)は

幼いころから聞いていた名前で

行ったことは無かった頃から

私の中では懐かしいような

親しみのある国名だった

おじいさん方からお話をいっぱい聞いて

本もたくさん読んで

実際に行ってみて

ビルマ人と接して、益々ビルマが好きになった

ハリケーンなどの被害があると

とても心配になる





だけど、インドはと言うと、、、

チャンドラボース氏、ガンジーさんや

インドが嫌いな訳じゃない

調査の延長上に単に出てきた国であって

パネルを見ていても「あら~すごいわね」

くらいしか思わなかったxx

インド大好きなおじさまとは温度差を感じた

どうしよう私、、、

インド自体に全く興味が無いわ

改めて気付いた自分の感情にショック

そりゃ勉強も進まないはずだ

「ミャンマーに思いを寄せて」

思いを寄せているのはビルマだった




続く…




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ミャンマーに思いを寄せて 1811

そんなこんなで図書館の地下にある

ガンジーコーナーへと行った

地下には視聴覚ホールがある他

喫茶店もあったがひっそりとしていた





インドとの友好交流協定記念と言うことで

「ガンジー展」が常設されている
DSC_0338












ガンジーに関する物の他に

チャンドラボース氏のことも紹介されている

DSC_0333











展示パネル
DSC_0336




「チャンドラ・ボースは、マハトマ・ガンディーに次ぐ

インドの偉大な指導者であり」って

ガンジーさんの次なの?

どちらが上でも下でもないような…

私的には…ガンジーさんでは独立は

出来なかったのではないかと思っている

インドの人にとってはチャンドラボース氏

の方が人気で(?)国際的にはガンジーさんの方が

評価が高いのかなと収めておきましょうか。。。





他にインドに関する本とか資料とか色々

全て年代物のようだ

DSC_0335 - コピー




写真が下手でごめんなさい



続く…



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ミャンマーに思いを寄せて 1810

そもそも何で杉並区に

ガンジーさんなの?





前の杉並区長の時代

平成18(2006年)年4月に

区長を団長とする

「日本・インド地方議員友好親善訪問団」が

インドを訪れた時

「ガンジー修養所再建トラスト」

(ガンジー主義を掲げて活動する団体)から

杉並区に対しインド関係の図書が寄贈された

その後、平成20年(2008年)11月に

ガンジー修養所再建トラストの創立者である

インド国会議員の故ニルマラ・デシュパンデ女史の

遺志により

ガンジーの精神に基づいて

世界平和と相互理解が深められることを祈念して

日本初のガンジー像が贈られ

翌年5月、杉並区日印交流協会により建立された




蓮光寺にチャンドラボース氏の

銅像があるから

インドの人がたくさん来る杉並区

だからインドにあやかって

次はガンジーなのかと

単純に思っていたけど。。。

そうではなかったのね(スミマセン)

でも~、杉並区の人に聞くと

私と同じようなことを

「じゃない?」って言ってましたよw

キャー内緒ですよ





ガンジーさんの像の左側には

ガンジー座右の「七つの大罪」の銘文

が日本語と英語

そしてヒンディー語じゃなくて

インドの地方のグジャラート語

で書かれているとか。。。

グジャラート語なんて知らないよ~(> <)

DSC_0332















・汗なしに得た財産
・良心を忘れた快楽
・人格が不在の知識
・道徳心を欠いた商売
・人間性を尊ばない科学
・自己犠牲をともなわない信心
・原則なき政治



続く…



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ミャンマーに思いを寄せて 1809

平日なのに図書館に人は多かった

おじさまの地元なので

お友達にも会った





ひとしきり図書館裏の

ガンジー像を見たのち

おじさまは図書館の中に入って行く

そして、図書館の中を進み

スタスタと地下へ降りて行った





図書館の地下は人が居なかった

1Fの受付の明るい場所と比べると

少し薄暗く涼しい

階段を降り切った場所が

展示コーナーとなっていた
DSC_0338















DSC_0333















あらあら…わびしい(失礼っっ

テーマがテーマだからか

展示品や写真も古い物が多いせいか

全体的にモノトーンで

”インド”のイメージのカラフルさはなかった

何とも言い難い、、、地味な雰囲気(失礼2

まあ、チャンドラボース氏のことも

展示してあるようなので

見て行きますか。。。




続く…




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ミャンマーに思いを寄せて 1808

久々の本文です


チャンドラボースアカデミーのおじさまに

蓮光寺に連れて行ってもらい

次のところへ移動

蓮光寺でチャンドラボース氏の

お参りが出来ただけで

大満足だったけど

次はおじさまのオススメの杉並区の図書館





はて、図書館に何があるの???

杉並区の図書館は道幅の狭い

住宅地の中にひっそりとあった

後ろには竹藪

緑多いキレイな建物だった





その図書館には入らずに。。。

竹藪の方に歩くおじさま

竹の葉が揺らめいて

日差しを遮り、涼しい木陰

図書館の真裏に

「ガンジー像」があった

杉並区の図書館にガンジー。。。





以前に、おじさまからいただいた冊子で

杉並区にガンジー像があり

インド人がお参りして行くとか書いてあった

これがそのガンジー像

DSC_0327















等身大より少し大きいかな

ガンジーさんのお名前は知っている

こんな感じのおじいさんなのも

テレビで見たことがある

なんとなく知っている功績

もしかしたら日本では

チャンドラボース氏よりも

有名人ではないだろうか?

でも詳しくは知らない私

しかも…あんまり興味がない

だって大叔父の調査の流れからの

インドであって

ガンジーさんは調査には

関係がないと思うから

(ガンジーさんファンの方ごめんなさい)

でもおじさまのオススメだから

少しだけお付き合いしようっと



続く…



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最近読んだ本・その13

読者の皆様へ


いつも読んでいただきありがとうございます

最近読んだ本「ビルマ・戦死者からの手紙」を

引き続きご紹介しています

最後の紹介ページです

少し長くなりますがお許しを





とんでもない事件の話でしたけど

結果としては”闇のまま”

事務局長さん等の名誉のために

何も言いませんが。。。

手紙が偽装された物だったとしたら

私も怒ると思います

特に今の切羽詰まった状況に

こんなことが起きたらアンパーンチw





内容はどうであれ

1つ勉強になった記述があった

それは、戦死したお兄さんには

指を切ったり、穴に埋めたりと

しっかりとした”死の確認”を

した人が居るが

撤退時、敵襲を受ける最中

部隊の転進に付いていけない

傷病者には、この連隊では

軍医や衛生兵が

天汞水を注射して亡くならせたと言う

(「天汞水」を調べたけど分からなかった

”汞”の字は水銀を表すので

そんな感じの液体なのかなぁ)





そうした状態で亡くなった人も

「戦死」とされた

戦死と一言で言っても

ほんとうに敵弾に倒れた人

自決した人

友軍によって安楽死させられた人

部隊に付いて行けず

人知れず草むらで亡くなった人等

様々なパターンがあったことを

再認識した





しかも、このインパール作戦では

”死んだ”とされていても

”生きていた”と言われると

信じてしまうほどの

状況だったのだなぁ





この本は平成4年に出版されており

話は昭和60年台

もしかしたら著者や関係者も

ご健在ではないかも

著者は昭和の終わりに

「戦後どころか戦争そのものが

まだ終わっていないことを痛感した」と

書かれているが

肉親を亡くした遺族や戦友さんは

平成の終わりの近づいた今も

同じなのではないでしょうか?





”残留兵問題(中略)の

事実がどこにあるのか

明らかになることを願っている”

昭和の終わりで分からなかったこと

今ではさらに難しいですね。。。

色々と考えさせられる本でした



続く…



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最近読んだ本・その12

読者の皆様へ


いつも読んでいただきありがとうございます

最近読んだ本「ビルマ・戦死者からの手紙」を

引き続きご紹介しています

何なのこの本?とビックリしました





連隊の戦友会の事務局長と

その人の知人で手紙を翻訳したり

この件に関わっていた別の連隊の人

2人が訴えられた





しかし、その訴状を提出した日

事務局長は心臓発作で突然死した

結局、肝心要の事務局長の

話は聞くことが出来ず、、、

最後は兄からの手紙が

本物か偽物かうやむやなまま

後味悪く話は終わる。。。





残念ながら私はタイトルなどから

勝手に勘違いしたのだけど…

インパール作戦を調べる上で

つい本を買いたくなるような紹介文

謎めいた書き方など

さすがに新聞記者だわと思った

「中立の立場でないと自覚している」と

あとがきに書かれていたが

読んでいても思想的な物は感じず

たぶん弟さんの気持ちに寄り添って

書かれているのだろうなと読み取れた





本を読むために時間を割かれて

ちょっと困惑したけど、これは実話。。。

遺族にとっては、とんでもない大事件

こんなことがあったなんて、、、

ある意味ショックでした



続く…



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最近読んだ本・その11

読者の皆様へ


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最近読んだ本「ビルマ・戦死者からの手紙」を

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とんでもない展開ですよね





連隊の戦友会の事務局長は

香港にいる旧日本軍の遺族であると言う

女の子達に会いに行くツアーも企画し

参加者たちには

「女の子達は、自身の素性を知らないので

お父さん(日本兵)のことは話してはいけない」

と参加者に言っていた

あれも嘘のツアーだったのか?





事務局長が企画されていた

生存者を探すことも含んだ慰霊ツアーも

ツアー参加者を増やして利得を得るために

遺族に「生きている」と伝えたのではないか

現地に送ったり、ツアー時に託した

お金や物資はどこに行ったのか?





この件に翻弄され

時間もお金も気力も使い果たした遺族

この事件は、裁判にまで発展した

それでも、頭の片隅に「もしかしたら」と

言う思いは残ってしまった

事務局長らの動機は計り知れない





裁判所に訴状を出すと

新聞各社は「『戦死した兄の手紙』偽装

戦友2人を訴える」との見出しで掲載した

取材に応えた事務局長は

「偽装などやるわけがないし

そんなことを考える方がお笑いだ」と話した





この新聞を見て

「うちにも手紙が来た」と名乗り出る人が

他にも居て、弟さんの元に連絡が来た

かなり広範囲に手紙は出されているが

皆、必ず事務局長が

残留日本兵=犯罪者(麻薬関係)などと

家族に話してはいけないと

釘を刺していたことが分かった



続く…



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最近読んだ本・その10

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弟さんを応援していた戦友さんは

戦友を必死になって探したことが裏目に出て

戦友とその家族と遺族にも

悲しみをもたらしてしまったと

どうしたら良いか分からなくなった





しかし、ここで状況が一変した!!

戦友と手紙を見ていた時

とんでもないことに気付く

手紙の文字が全て同じであった、、、

後日、専門家に筆跡鑑定もしてもらっている





そう言えばおかしいと思っていたことがある

戦友や弟さんは今までの疑問をあげる

1通を除き、手紙の宛先は家族ではなく

全て戦友宛てであったこと

しかも必ずしも極めて親しい戦友でないこと





以前に出した手紙は宛先不明で戻ってきたが

その届いていない手紙に対して

「返事が遅れてスミマセン」と

返事が来たこともあった

出したことを話をしたのは

あの連隊の戦友会の事務局長だけ…





外国語のカタカナの変換間違い

イラワジ河をエラワジ河と表す手紙

日本のとある地域では「イ」を「エ」と

発音する習慣があるそうで

それも事務局長のお住まいの地域の

発音方言であった





えっ?何コレ、うそでしょ~

なんで、、、何のために???

私は読んでいて

あまりの展開にビックリした

戦死した戦友を生き返らす偽装…

遺族を巻き込む一大事

迷惑以外の何物でもない

なんでこんなことするの???

正直、腹立たしい気持ちになった




続く…




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最近読んだ本・その9

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これらの残留日本兵からの

中国語の手紙を翻訳した人は

事務局長の知人で別の連隊で

インパール作戦に参加された人だった

その人のお宅に行くと

ビルマの生存者からの手紙の束を見せられた

手紙は10年くらい前から来ていて

300名ほどから来ていると言う

1,000通にも上る手紙の山

しかし、生存者の家族には連絡していない

と話したそうだ

生存者たちが家族への連絡を望んでいないから

それが理由だと言う

弟さんや協力者の戦友さん達は

この人の気持ちが理解できなかった





これらの手紙は

歩兵第214連隊と歩兵第215連隊のことで

どちらも弓師団(第33師団)として

インパール作戦に参加していた歩兵連隊である

大叔父は祭師団(第15師団)の

歩兵第60連隊であるが

大叔父の大隊だけは弓師団に編入されている

これほどまでに同じ師団の歩兵連隊に

現地の生存者がいたのなら

大叔父だって生きていた可能性はあったかも。。。





手紙の存在(身内が生きている)を

知った遺族の中には

ビルマで平穏に生きている肉親に

危害が及ぶことを恐れて

捜索に否定的な立場を取る者もいた

”遺族”と一言で言っても

それぞれの考え方がある

一刻も早く探し出したい弟さんと

そうでない遺族との間は埋められない





私も”遺族”の一人として様々なことを感じている

遺族と言っても遠縁の私と肉親を亡くした人とでは

全く立場が違うのは言うまでもない

そして、旧軍さんの中でも、戦後において

天皇陛下や日の丸、先の戦争等に対する考え方は

人それぞれで

特に志高く戦争に参加し誇りに思っておられる

主に階級層の高い人と、そうでなかった若年層の人とは

考え方に大きな隔たりがあるよう感じた

。。。更に遺族を含む戦友会となると

まとめるのは難しいように感じることがしばしば




続く…



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最近読んだ本・その8

読者の皆様へ


いつも読んでいただきありがとうございます

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次々と生存している者の家族から手紙が届く

手紙は中国語が混ざった書き方で

代筆が多かった

先の同じ連隊で慰霊に行く人に

お兄さんの捜索をお願いしたことが

ビルマでは残留日本軍狩りのように思われて

現地の生存者家族は逃げ惑って

死人が出たと非難する文面が続く

どうか捜索を止めてほしいと言ってきている





この本を書いたのは弟さんではなく

弟さんから相談を受けた新聞記者である

知り合いではなく、ビルマ情勢が分からない

弟さんが、家で読んでいる新聞の

南方の担当していたバンコクの特派員に

連絡を取ったことからご縁が生まれる

そして、この特派員の新聞社では

「”戦死”の兄から43年ぶり音信」との見出しで

社会面で大きく掲載した





連隊の戦友会の事務局長は

残留兵からの手紙を元に

この新聞社を訪れ、これ以上の捜索を

中止するように要請した

ビルマで生き残った人達は

「あの時は死ぬこともできず

生きるために様々なことした。

故郷にはもう帰ることが出来ません。」

「過去の人となった私達は身内に迷惑を

かけたくない。」と言ってきているとのこと

「残留日本兵の捜索は

官憲の犯罪グループ追求として発展し

家族の生活を破壊し、

本人の生命を脅かすことになる」と言うのだ





戦死したはずの将兵は

薬も食料も無い

あのインパール作戦の状況の中で

「激戦のさなか重傷を負い

友軍に追求を果たせず

友軍に収容されることもなく、人事不詳のまま

その場に放置された。生命のある者は、

インド国民軍または原住民の手により

戦場区域外に搬出され、

長期間、その庇護のもとに

生き残った」と言うのだ





私だったらどうするだろう。。。

”犯罪グループの追求”って、、、

でも大叔父さんが生きていたら素直に会いたい

この弟さんのお兄さんは生きていたら60台後半

生きているうちに探し出さないとと

思うのは当然である

ましてや、肉親のお兄さんなら必死になるだろう

ワクワクしながら読んでいたのに

弟さんの気持ちを考えると泣きそうになってきた



続く…



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最近読んだ本・その7

読者の皆様へ


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意外と長くなっていますね

ごめんなさい、しばしお付き合いください





事務局長から、誰にも言わないように言われたが

弟さんは厚生労働省に

ビルマ残留の肉親捜しの協力依頼をした

しかし、「手紙の宛先が戦友ではなく遺族に届き

かつ、その内容に本人でしか書けないようなことが

書かれていれば手助けできるのだが…」と断られた





このお話の昭和60年台だと、戦後40年

戦争に行った人で、若い人だと60才くらいかな

ビルマに生存者が暮らしていてもおかしくない

復員された方も多く、証言も容易に得られた

私ももう少し早く調査を始めていたら。。。

大叔父さんが生きていたとは思わないけど

手紙が来たら祖父はどんなに喜んだだろう

この弟さんのように必死に探したと思う

弟さんの気持ちを思うと

胸が締め付けられるようでした





兄を一刻でも早く探し出したい

手紙に書かれていたビルマの村に宛てて

「何としても会いたい。」と

弟さんは何度も手紙を出したが返事は来なかった

返送されて来ないから届いているのだろう…





弟さんに手紙が来た1ヶ月後に

ちょうどビルマに慰霊に行くと言う

同じ連隊の人を見つけ

お兄さんを探して欲しいと依頼したが

手掛かりは全く見つからなかった





このすぐ後に、戦友会の事務局長が

主催された慰霊団に参加し

弟さんはビルマへと行った

その間にも事務局長の所に

他の生き残りの戦友から手紙が届き

次々と新たな生存者が増えて行った




続く…




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ハッピーバレンタイン

読者の皆様へ


いつも読んでいただきありがとうございます

今日はバレンタインデー

素敵な日を過ごされましたか?

関心がない!と言う方もいらっしゃるかな

日頃の感謝を込めて私からも

チョコの『画像』を(画像だけでごめんなさい
pie-2980431_640






今日はバレンタインの他に

「ふんどし」の日なんだそうです

214で「ふ(ん)とおし」=ふんどし

大叔父が苦戦したビルマでは

布が貴重品だったそうです

現地の人が布製品を求めたとか

食べ物に交換するために

最後はふんどしも渡したと手記にありました

私自身は、ふんどしって見たことがないし

どうなっているのか分からないんですけど

ふんどしは今、流行っているそうですよ

健康に良いらしいですね☆

ふんどし・ふんどし・今年は戌年





本日ギリギリの時間に更新です

間に合って良かった

明日からも頑張ろうっと☆

これからもどうぞ応援をお願いします



2018.2.14



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最近読んだ本・その6

読者の皆様へ


いつも読んでいただきありがとうございます

最近読んだ本「ビルマ・戦死者からの手紙」を

ご紹介しています

長くなってごめんなさい

あんまりにも衝撃的な結末だったので…





手紙を見た戦友は

「何としてでも探し出さなければならない。

生きて帰って来た者の責任だ」と思った

例え戦死を確認した戦友が居ても

生存を伝える手紙を信じたかった





そこで連隊の戦友会の事務局長を

している人に相談した

事務局長は最後の連隊旗手だった人

事務局長は、「戦死したとされ、

なおも生きている人は何人もいる。

身分を隠して生活しているから

表立った捜索はしないように」と言った





事務局長の元には、以前から

何通も手紙が来ている模様

20年前には40名くらい生き残っていて

現在9名ほどになっているとのこと

それら全てが”戦死”とみなされた者だった





「この手紙のことを兄弟等誰にも

話さないように」と事務局長は注意した

事務局長のところに来た手紙には

手紙の主たちが公にしないで欲しいと

書いてあったとのこと




続く…




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最近読んだ本・その5

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いつも読んでいただきありがとうございます

最近読んだ本「ビルマ・戦死者からの手紙」を

ご紹介しています

こんなことってあるんだろうか?と思う本です





弟さんは兄を探すため

会社からの定年延長の申し出を断り

調査に着手した

まずは、ビルマ関係の本を買い込んだ

そこで戦没者遺骨収集の記録である

「勇士はここに眠れるか」

全ビルマ戦友団体連絡協議会 昭和55年発行

を見つけ、生き残りの戦友を見つけた





同じ中隊の人を尋ねると

その人は兄の戦死を確認した人だった

お兄さんは、結果的に

この人の代わりに斥候に行く形となった

その人は「とても申し訳ない」と何度も繰り返した





この時点で戦後40年ほど経っているけど

この人の心の中で、ずっと忘れることのできない

ことだったのだろうなぁ。。。





お兄さんは、砲片が額から後頭部に抜けての

即死だった

数人で遺体を塹壕に運び埋めた

この人は、小指を切って衛生兵に手渡したそうだ

今の今まで、遺族には

その小指が届いていると思っていたが、、、

遺族の受け取った白木の箱には

小さな石が2個だけお皿の上に乗っていた

そして、戦死を確認したはずが

ビルマに生き残っていたなんて。。。





大叔父さんの場合は

白木の箱の中には

何も入っていなかったと伯父は言う。。。

石でも入っていていいなぁ



続く…



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最近読んだ本・その4

読者の皆様へ


いつも読んでいただきありがとうございます

最近読んだ本「ビルマ・戦死者からの手紙」を

ご紹介しています

とってもビックリする展開です





なぜ戦友の現住所を知っているのか?

の疑問については

この年、この連隊はビルマに慰霊碑を建てた

その慰霊碑にはかつての所属部隊や

現住所を刻んだ”銅板”が埋め込まれたため

それを見たのだろうとのこと

そして、慰霊碑には、この連隊の奮戦ぶりを

書いた書籍も奉納されており

それも手紙の主は読んだそうだ





その書籍の内容が事実に反すると

手紙には批判が書かれており

ビルマには牛車2台分ほどの

手記を書き残していると言ってきた

この膨大な手記の中に

この書籍の内容を覆す事実が

含まれているかもしれないと

戦友たちは思った





なんだかスゴイわぁ~

私は時間を忘れて本を読んだ




続く…




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最近読んだ本・その3

読者の皆様へ


いつも読んでいただきありがとうございます

最近読んだ本「ビルマ・戦死者からの手紙」

の続きです

大変興味深いものでしたので

皆様方にご紹介しますね





この本の内容は、昭和62年に

インパール作戦で戦死したはずの兄から

同じ中隊の戦友宛てに

手紙が届くと言うもの

手紙を受け取った戦友はビックリして

他の戦友2人に相談する

そして、これはご家族に知らせた方が良い

との判断で、弟さんに電話が来た





弟さんは兄の戦友の家にすぐに行き

その手紙を確認した

代筆してもらった手紙の最後に

本人が書いた名前があり

家に1枚だけ残っていたハガキの筆跡と

照合したところ「似ている」と判断した





その手紙には数奇な運命でビルマで

生きていることの他

驚くことに、他にも複数の

生き残りが居ることが書かれていた



続く…



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続・最近読んだ本

読者の皆様へ


いつも読んでいただきありがとうございます

最近読んだ本の続きです





タイトルと説明文に惹かれて

勢いよくポチッとしてしまいました

インパール作戦で戦死したはずの

お兄さんから“ビルマで生きている”と

手紙きたんだぁ~スゴイ!!

未帰還兵がいることは知っていたけど

その家族の実話の本ってなかなか無いわ☆





大叔父が生きている(た)説は

調査当初に人から言われたことはあった

だけどさすがにそれは夢のような話で

私の仮説には入れなかった

この本を大叔父と重ねるわけではない

でも、その幸運なご家族のお話を読んでみたい

そして、私は顔も見たことのない大叔父だけど

実のお兄さんを思う気持ちを

そっと覗いてみたいと思った

大叔父は、祖父にとっては

年の離れた弟ではあるが

きっと同じような気持ちだったと思うから





本が届き、ワクワクとしながら読んだ

そのビルマからの便りは

家族ではなく戦友に宛てて送られてきたそうだ



続く…



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最近読んだ本

読者の皆様へ


いつも読んでいただきありがとうございます

近頃、東京では

大雪のニュースで大騒ぎでしたが

皆様のお住まいの地域は大丈夫でしたか?

こちらは東京から京都に引越しましたが

他人事とは思えなく

大雪のニュースを見ておりました





時折、ビルマやインド国民軍関係の

本を探しています

検索ワードを少し変えたり

古本屋やオークションなどを

ウロウロと。。。





タイトルだけで中身が分からない本は

正直、博打のような物で

当たりハズレが大きいのが困りもの

先日も何冊が買いましたが

う~ん、残念な物が多かった

資料じゃない本だからどうにかしなきゃ

本だらけになってきました

本格的に「ビルマ図書館」が出来そう





私が知っている個人図書館(収集家)は

何人かいらっしゃるのですが

その中に私も入っている~

嬉しいやら悲しいやら。。。





そんな折、先日、新しい本を買った

タイトルからして良さそう

更に読んでビックリ!!かなり驚いた

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<アマゾンの本の説明>
『無謀なインパール作戦で

戦死したはずの兄から

突然舞い込んだ

“ビルマで生きている”との手紙…。

それは生き残った者たち=

戦後社会につきつけられた

重い問いかけでもあった。

家族・戦友の懸命な

捜索の旅がはじまる。

終わらない悲劇を追った

痛惜のノンフィクション。



続く…



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ミャンマーに思いを寄せて 1807

ずっと来てみたいと思っていた蓮光寺

やっとチャンドラボース氏にお参り出来て

なんだかホッとしたりして

チャンドラボースさん

いつもありがとうございます☆





そして戦後70年以上経った今も

手厚く供養されている

蓮光寺やチャンドラボースアカデミーの

関係者の皆様に敬意を表します





私達は蓮光寺を後にした

おじさまは「案内したいところがある」と

ドライブにGoーー☆

杉並の閑静な住宅街を抜けていく

「ここは東京かな?」と思った

もちろん都会ではあるのだけど

静かで、大きな住宅がたくさん

そして、由緒正しそうな

歴史を感じる住宅が多かった

昔は、文豪などの別荘地だったそうです

まもなく車は図書館に着いた



続く…



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ミャンマーに思いを寄せて 1806

その御位牌の付近に

骨壺(?)があり

厳重に保管されていました

防犯上、詳しくは書きません

先々代の住職様が

戦後すぐの動乱の時代に

命を懸けて守られたご遺骨

現代でもふとどき者が

いるかもしれない




境内の銅像には

誰でも参ることが出来るが

本堂には誰でも

入れてもらえる訳ではない

私も、おじさまに同行させてもらったから

お参り出来たのだ

おじさまに感謝しなきゃ





私は静かに御位牌に手をあわせた

現在の住職様は

前住職様の息子さんではなく

先ほどの奥様が娘さんで

住職様は婿養子さんに入られたとのこと

チャンドラボース氏やインド国民軍のことは

あまり分からないのだそうです





そして、戦争に参加された

チャンドラボースアカデミーの方々は

熱心にご遺骨返還にご尽力されていたが

現在は、そのご遺族や関係者となり

ご遺骨返還への思い入れは

当時を知る人々のそれとは

少し違うかもと感じた





私個人としては

チャンドラボース氏にインドの地を

踏ませてあげたいと思いつつも

インドに帰って、いざこざが起こるなら

日本で静かに眠り続けてもいいかなぁと

思ったのでした



続く…



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ミャンマーに思いを寄せて 1805

おじさまは、まだ何か

話したそうだったけど

住職様のご案内で

本堂に向かうことに





階段を上り2Fへと行く

畳敷きの大広間が

本堂であった

ご本尊にお参りし

本題のチャンドラボース氏の元へ





本堂の脇の

畳敷きが1段高くなったところに

チャンドラボース氏の御位牌があった

金色の大きな御位牌

チャンドラボース氏のお姿のような印象

御位牌には

「インド独立運動の英雄 

スバス・チャンドラ・ボース英霊」

と書かれていました

「御霊に国境はない」と言う

先々代住職様のお人柄が

偲ばれるような素敵な御位牌でした



続く…



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「丸」2018年3月号

読者の皆様へ


いつも読んでいただきありがとうございます

1月27日発売のミリタリー雑誌「丸」に

このミャンマーの調査記事を

掲載してもらっています

ご興味のある方はお買い求めくださいね
51SidS1yOyL[1]












掲載記事は、ブログ内容を

ギュギュっと濃縮した

ダイジェスト版と言ったところかしら

私の感情はあまり入れずに

調べた事柄を淡々と綴っています





情報提供を目的に

雑誌に掲載してもらっているんですけど

なかなかですね~

やはり産経新聞の反響とは全く違います

「丸」編集部は、「結末ありき」でと

言われますが、結末が分かっていたら

掲載を頼んだりしませんよ

商業誌だからしかたがありませんけど…

いつも肩身の狭い思いをしています





戦車や飛行機がたくさん登場する

迫力のある戦記物でもないし

歴史記事ではあるけど

純粋な戦史記事でもない

教育史や社会系の要素も多い

なんとも言えない微妙な記事なんだけど

作り話じゃないからしかたがないの~





でも「丸」の潮書房光人社が

潮書房光人新社として

産経グループになったことで

ちょっぴり社会系の記事でも許される?

新聞でも大々的に取り上げて

いただいていた経緯もあり

正直、助かったかなと思います





記事は2013年頃の内容ですが

5年経った今も、先は見えない状況。。。

「丸」のとじ込みハガキで感想・激励メッセ等

いただければ嬉しく思います

どうか頑張れますように応援してください



2018.2.4



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ミャンマーに思いを寄せて 1804

【2017年5月30日

インド政府は市民団体の情報公開請求に対し、

ボースが「1945年8月18日、

飛行機事故のため台北で死亡したと

結論付けた」と回答し、

生存説を公式に否定した】





そこに法要を終えた住職様がいらした

挨拶を済ませ、おじさまは

早速、この新聞記事の話をされた

すると住職様は

「この後すぐに、インド政府は

この公表を否定しましたよ」って





おじさまも私も「えっ?」と驚きの声を上げた

ありゃりゃ、、、そうですか、、、

結局、避けたと言うか弱腰と言うか、、、

(失礼ですかね、ごめんなさい)





ウィキペディアのチャンドラボース氏の

ページの「死に対する議論」においては

1番下の段にこの2017年5月30日の

記事の内容が書かれていて

そこで終わっている

残念ながら、まだ続きがあるのよ。。。




続く…



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ミャンマーに思いを寄せて 1803

これまで3度の調査団の来日でも

なんやかんやと言葉だけで(?)

結局、ご遺骨返還に至らなかった





近年では、チャンドラボース氏の

妹さんや娘さんが、遺骨の細部調査

(例えばDNA鑑定とか)を

申し出てこられたけれど

日本・インド政府を通しての正式な物でない限り

受けないと住職様はお断りしたそうだ





チャンドラボースアカデミーの方々は

「確認せねば信用出来ないというのであれば

持っていってくれなくても良い、

日本人が今日まで大切にしていた真心を

何と心得るのだ」と手記で怒っておられた





数奇な運命で、戦後70年以上経っても

ここ蓮光寺に安置されているご遺骨

未だに死んだか・死んでいないかで

もめているなんて、、、ビックリ

なんだかチャンドラボース氏が可哀そう



続く…



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ミャンマーに思いを寄せて 1802

チャンドラボース氏の死を

インド政府が公式に認めた件について

えっ?まだ認めてなかったの?と私は思った





チャンドラボース氏は、インドの希望であった

指導者を失ったインドの人々は悲しんだ

日本は戦争に負け

今後に対する不安や

インド仮政府やインド国民軍の士気の低下は

計り知れなかったと思う

死を認めたくない気持ちは分かる。。。

でも70年以上も前のことだよね、、、





チャンドラボース氏のご遺骨が

未だにインドに返還できず

日本で預かったままになっていること自体

チャンドラボース氏を偲んで設立された

チャンドラボースアカデミーの

古い会員は「もどかしさを感じてならない」と

手記を残しておられる





なぜ、返還に至らないのかと言うと

第1回の調査団が来た時に

チャンドラボースの実のお兄さんが

「ネタージは死んでいない」と言い張ったので

ややこしくなったようだ

そして、時のインド首相が

チャンドラボース氏の政敵だったりして

またまた流れたり、、、

で、現在に至る。。。なんだかなぁ



続く…



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