ミャンマーに思いを寄せて

亡き母の思いを果たすべく、ビルマで戦死した大叔父の足取りをたどる私の奮闘記録☆

2018年03月

ミャンマーに思いを寄せて 1835

「戦時中の日印協会の機関誌」より



昭和18年12月10日

ロイター電報によると

西南太平洋軍司令官(原文、

南西太平洋方面の

連合国軍総司令官のことかな?)

マッカーサーはニューデリーに到着した

日本軍に対する来るべき作戦に備え

東南亜細亜軍司令部との間に

綿密な連絡を確保するためであると

書かれていた





マッカーサーと言う名前に

反応しちゃった私

”来るべき作戦”とは

この後のインパール作戦だけを

指すのではなくて

対日反攻作戦全般なのかなと言った印象

米英陸軍の連携の強化について

挨拶に来たっておかしくはない

当然と言えば当然の話

だけど、マッカーサーからわざわざ

挨拶に来るなんて。。。

フィリピンを陥とされて~

パプアニューギニアも~

アメリカ軍ズタズタ…プライドも

イギリス軍、頑張ってね!

矢面に立ってね!

なんだか下心が見えるようなw





ロイター通信社はイギリスの通信社

明治30年台には

日本の主要に新聞社10社と

契約をしている

戦時中も敵対国の日本に

情報を発信していたかは分からない

インドもしくはその他の国からの

また聞きで流れてきた情報

と言う説の方が有力だと思われる



続く…



※ブログランキングに参加してみました
大勢の方に読んでいただくことで、情報をいただけるよう
ご協力をお願いしますm(_ _)m
ポチッとな☆↓↓

人気ブログランキング

ミャンマーに思いを寄せて 1834

「戦時中の日印協会の機関誌」より



昭和19年5月発行 第86号

「印度緬甸方面日誌」より

自 昭和18年10月18日
至 昭和19年2月29日

あら、昭和19年はうるう年だったのね





●昭和18年11月9日

緬甸方面陸軍航空部隊は

戦爆連合の大編隊を以て

イムパール、パレル、フォート、

ホワイト及びテイデムの四飛行場を強襲した

(原文)





インパール作戦の頃には

航空隊の活躍をほとんど聞いていないので

この記事を見て嬉しかった

その他にも航空部隊の活躍の記事は

多数見られた

インパール作戦のための

下準備の攻撃だったのかもしれない

このままの状態でインパール作戦も

戦えていたらなぁ。。。

おじいさん達が「日の丸の付いた飛行機を

見た時は見間違いかと思った。

そりゃ嬉しかったよ」と

話しておられたのを思い出す

きっと航空部隊の人達は

手も足も出せなくて悔しい思いを

していたのだろうなぁと思う





戦車はイギリスの方が数も性能も

勝っていたように思うのだけど

飛行機って日本の方が

良かったのじゃないかしら?

なんで活躍出来なかったのかな?

数も最初は同じくらいじゃないかなぁ

でもイギリスは反攻作戦で

追加して多くなっていった

日本は燃料の問題?

侵攻作戦の分しか用意してなかった?

まさか負けるなんて

思ってなかったものね

でも、インパールに飛行場ってあったのね

イメージが無かったわ

航空部隊のことは不勉強な私でした



続く…



※ブログランキングに参加してみました
大勢の方に読んでいただくことで、情報をいただけるよう
ご協力をお願いしますm(_ _)m
ポチッとな☆↓↓

人気ブログランキング

ミャンマーに思いを寄せて 1833

「戦時中の日印協会の機関誌」より



インパール作戦前の戦闘には

連合軍であった中国の軍隊が

インドに派遣され

英印軍と一緒に抗日作戦に参加していた

ことが書かれていた

。。。私は全く知らなかった

更に筆者は、英印軍のイギリス人は

自国の犠牲者を最小限にするために

インド人と中国軍に加えて

「亜弗利加土人」(原文)が配備されていた

とも書いてあった

アフリカの人まで、、、

なんだかヒドイなぁ、、、





インパール作戦は

主に蒋介石ルートの断絶を

目的としていたため

中国軍が抵抗してもおかしくはない

ただインパール作戦時に

インド国内に中国軍やアフリカ兵が

居たかどうかは分からない

私が読んだり聞いた事柄は

日本軍側だけだから

インパール作戦で私の知らない事は

まだまだあるのだろうなぁと思った

まあ、今のところはそれでいい

これ以上は勉強の幅を

広げるつもりもない




続く…




※ブログランキングに参加してみました
大勢の方に読んでいただくことで、情報をいただけるよう
ご協力をお願いしますm(_ _)m
ポチッとな☆↓↓

人気ブログランキング

ミャンマーに思いを寄せて 1832

「戦時中の日印協会の機関誌」より



文学博士 宮本正尊さんの

とってもハイレベルな寄稿文

日印協会って。。。

我が国のインドに関する

トップレベルな有識者の集まりだったんだ~

う~ん、たぶん現在も、、、





現在の会長は元総理の森 喜朗氏

役員さんも会員さんも

スゴイ人ばかりだし。。。

そう言えば、日印協会の交流会には

インド大使もいらっしゃっていたし

「日本とインドとの友好親善を深める活動に

ご賛同頂ける方、

日印協会への入会をお待ちしております。」

とHPで書かれているが

本来だったら私なんかが入れるような

団体じゃないような気がする

とても格式高い団体だと思うわ

今更ながら冷や汗ものだ





日印協会の事務局長さんから

いただいた資料は

私に関係すると思われるところを

抜粋された物

「勉強になるよ」と言う意味だったのかな





ちなみにインド国民軍の

軍用語は「ヒンドスタニー語」

と書かれていました

言語がたくさんあるインドだから

標準語を設定したのだろう

英語じゃないんだぁ。。。

まあ、英語=イギリスだもんね

イギリスから独立するのに

英語を使うのは抵抗があったのかも

しれない

でも、インド国民軍と日本軍は

英語だったのだろうなぁ

だって、ヒンドスタニー語を使える

日本人はそんなに居なかったから




続く…




※ブログランキングに参加してみました
大勢の方に読んでいただくことで、情報をいただけるよう
ご協力をお願いしますm(_ _)m
ポチッとな☆↓↓

人気ブログランキング

ミャンマーに思いを寄せて 1831

「戦時中の日印協会の機関誌」より



ハイレベルな文章が続く。。。

インド人の中には秘密革命団があり

ガンジーの消極的な抵抗では

インドは独立出来ないと考えている

イギリスの旗の下に居る

大勢の英印軍のインド人も

自由獲得運動に同情的であり

独立獲得闘争が起こるならば

はせ参じるとの動向を私は知っている

とあった

なんだかとても熱い文章





これらの情報を筆者は

「インド内部と各地の戦線の

インド軍から直接入手している」と言っている

インド人のネットワーク。。。

中村屋のボースさん達からかな?





て、とってもスゴイんですけど~、この筆者

お名前を拝見すると

「文学博士 宮本正尊」

申し訳ないのですが、私は存じ上げませんでした

チョロッと調べてみると。。。

宮本 正尊:みやもと しょうそん

大正7年(1918年)大谷大学卒

大正10年(1921年)東京帝国大学文学部
印度哲学梵文学科卒

大正13年(1924年)オックスフォード大学院

昭和4年(1929年)オックスフォードで博士号

東京帝大名誉教授、早稲田大学教授

駒澤大学教授、東洋大学教授





えっ?!大正時代の帝大生

んで、オックスフォードで博士号って…

オックスフォードってことは

イギリス留学ってことで

あの時代の留学~

インドはイギリスの植民地だった訳で

えーっと、えーっと…頭が回らないxx





植民地の詳細な資料は

イギリス本国に集まっている

それをイギリスに行って学んだ人

ヤバくない?すご過ぎっっ!!ヒィ~





イギリスの英国博物学協会などは

イギリスの植民地や

世界各地から情報を収集し分析する

巨大なシンクタンクとしての

役割を果たしていたと思われる



 
続く…




※ブログランキングに参加してみました
大勢の方に読んでいただくことで、情報をいただけるよう
ご協力をお願いしますm(_ _)m
ポチッとな☆↓↓

人気ブログランキング

ミャンマーに思いを寄せて 1830

「戦時中の日印協会の機関誌」より

昭和19年5月 86号

インパール作戦が始まっていますね

筆者は、チャンドラボース氏の

演説を聞いて

心に残った言葉として

アショカ王の統治の話に出てきた

「インド人のインド」と

言う言葉を紹介している

また、青年時代に感激を受けた言葉は

岡倉天心の「アジヤは一なり」(原文)

とも書いていた

出た!岡倉天心さん。。。こんなところで




岡倉天心さんの過去記事はこちら↓↓

「ミャンマーに思いを寄せて 1812」
http://blog.livedoor.jp/aya_sann/search?q=%E5%B2%A1%E5%80%89%E5%A4%A9%E5%BF%83





「インドの独立と大東亜の大義」と銘打って

とてもハイレベルな寄稿文が続く

仏教等の宗教を含み

昔々のインド王朝の歴史から

植民地になって虐げられている現状と

インド人の気持ち

産業などにおいても様々な事柄が綴られ

日本を含むアジアの小国に対し

私利私欲のために

英米が唱える民主主義や正義の不条理

などが長文で書かれている





現在(チャンドラボース氏が

独立に向けて活動開始)の

気運、民衆の動向

私には難しすぎたが、なんとなく…

”インドは独立すべきなんだ”

”インドの独立はアジアにとって

大変大きな意味を(影響)を持つ”と

言いたいのではないかと思った





1人の文学博士の論説だけれど

インド独立までの経緯は

これを読むと大変よく分かる

大げさに言えば、これらを知らずに

インド独立を語るべからず

みたいなことを感じた

でも私は失礼ながら

筆者のお名前を見ても知らなかった

誰だろうこの人?



続く…



※ブログランキングに参加してみました
大勢の方に読んでいただくことで、情報をいただけるよう
ご協力をお願いしますm(_ _)m
ポチッとな☆↓↓

人気ブログランキング

ミャンマーに思いを寄せて 1829

「戦時中の日印協会の機関誌」より

チャンドラボース氏

ラス・ビハリ・ボース氏(中村屋のボース)

アーナンド・モハン・サハイ(日本に住んでいて

インド国民軍に志願した少女・アシャさんの父

チャンドラ・ボース氏の片腕と言われた人)

もベンガル出身である

と日印協会の機関誌は

ベンガルについて熱く熱く語っている





「ベンガル」と言う地方の名前に

この調査を通して初めて触れた

インパール作戦に関する書物を読んでいても

ベンガルと言う名前は出て来なかった

たまたまだろうか・・・?

ベンガル特集を読んでいて

違和感と言うか、何故こんなに熱く

語っているのか意味が分からなかった

それは「インパール」って何よ?

と思った最初の頃の感情に似ていた





インパール作戦で有名な

インパールと言う場所

日本軍はインパールを目指したけど

インパール自体には何も無い

山岳地帯を抜けて

インド国内への出口の部分にあたり

交通の要衝なだけである

戦術的な観点から見ないと

インパールには価値がない





日本軍がベンガルを最終目標に

していたかは定かではないが

ベンガルはイギリス軍にとって主要な都市

戦略目標はベンガルとして

蒋介石ルートの断絶を念頭に

当面の作戦目標がインパールと言えよう

インパールを突破したらあとは簡単だ

地形は違うけど例えるなら

大阪を守るためor大阪への突破口の

関ヶ原と同じようなもの





国内情勢やインド人の意識

インド国内のイギリス軍の立場等を

知り尽くした日印協会の

軍人ではなかなか出来ない

スケールの大きな捉え方

今更ながらですが。。。

あ~、とっーてもスッキリしました!!



続く…



※ブログランキングに参加してみました
大勢の方に読んでいただくことで、情報をいただけるよう
ご協力をお願いしますm(_ _)m
ポチッとな☆↓↓

人気ブログランキング

ミャンマーに思いを寄せて 1828

日印協会からいただいた

昔の機関誌のデータは

抜粋の一部ではあるが

ぼちぼち量があって

再度、読みふけっています

そのため更新が遅れました

難しい所がいっぱいあるけど楽しいです☆



「戦時中の日印協会の機関誌」より

昭和18年12月の85号は

『ベンガル特集』として

とても量があります

この頃の日本軍は

インパール作戦の発令前

お正月は比較的のんびりと過ごしている

大叔父の祭師団(第15師団)は

タイとの国境の山岳地帯の

道路工事を終えて(諦めて?)

他師団よりも遅れていたため

必死にマンダレー付近に

集結しているところかな





ベンガル。。。虎?

猫もいるそうですね

ベルガル特集って何?と無知な私

つい先日までベンガルが

インドの北東部の地方だと知りませんでした





日印協会の機関誌によると

ベンガルは境をビルマと接し

イギリス軍にとってインド国防の第一線

今や軍事上の最重要地域

人口密度が高く

政治・産業・交通・文化等の心臓を形成している

即ちベンガルの動揺は、インドの安危を左右する

ベンガルの喪失は、インドの半身不随を意味する

どの地方よりも政治的に早くから目覚め

民族的義憤を感じ

ベンガルは反英運動発祥の地

その反英運動は最も激烈を極め

イギリス軍からはインドのガンとさえ言われている地方

と書かれていた




続く…




※ブログランキングに参加してみました
大勢の方に読んでいただくことで、情報をいただけるよう
ご協力をお願いしますm(_ _)m
ポチッとな☆↓↓

人気ブログランキング

ミャンマーに思いを寄せて 1827

「戦時中の日印協会の機関誌」より

『印度緬甸方面日誌』

大本営発表の戦果の他に

こんな記事がありました





イギリスの支配下であった

インド、マレー、スリランカ、ビルマ

に居た日本人が

昭和18年4月末の時点で

インドに抑留・拘禁されていた

その数2,100名

開戦と同時に脱出したのかなと

思っていたけど

やっぱ全員なではなかったんだね。。。





<最近のインド情勢>

インド国内の反英抗争としては

各地で反英民衆大会が行われている

・イギリス系の紡績工場を辞める

・大規模な反乱や暴動

・鉄道破壊や爆破事件、警官隊との衝突等

これらの反英運動に対し

イギリスは神経をとがらせ

極端な通信統制を行っていた

チャンドラボース氏のことを

話題にしていただけで

逮捕されるまでの事態になっている

記事を書かれた方の感想として

「一種不穏な空気と風の音にもおびえる

イギリス軍の狼狽が眼に見えるようだ」

と添え書きされていた





(おまけです)

昨日のブログを読まれた

読者様よりメッセージを

いただきましたのでご紹介します

「タタ鐵(鉄)鋼會社」は

タタ財閥の企業で

タタ財閥はインドの3大財閥の

1つですよ、とのこと

グループには様々な企業があり

自動車メーカーのタタ・モータース

製鉄会社のタタ・スチール

電力会社のタタ・パワー等が

有名だそうです

そうなんだぁ~、勉強になりました

ありがとうございました☆



続く…



※ブログランキングに参加してみました
大勢の方に読んでいただくことで、情報をいただけるよう
ご協力をお願いしますm(_ _)m
ポチッとな☆↓↓

人気ブログランキング

ミャンマーに思いを寄せて 1826

「戦時中の日印協会の機関誌」より

大戦下のインド産業

当時の主な貿易農産物は

・粗糖(加工段階の砂糖の一種)

・麦

・綿花

・麻

・落花生

・亜麻仁(アマニ)





落花生もインドからなのか。。。

落花生だけ思いもしなかったから

少し調べてみた(また悪い寄り道の癖

落花生=南京豆=ピーナッツ

あら~、そうなんだ♪

父が「南京豆」って言うのです

茶色い皮が付いた豆のことかと

勝手に思い込んでいましたが、、、

原産地は南アメリカ大陸で

南アメリカ以外に落花生の栽培が

広がったのは16世紀

ポルトガルの船乗りたちが

アフリカに持ち込んでアジアに広がる

ほぉ~勉強になったわ





他には

亜麻仁(アマニ)にドキュン

繊維でもあり、オイルもある

オイルが健康に良いと言われ

今、とっても流行ってますよね

生で飲むのが良いようですが

飲むのは、私はちょっと苦手かな。。。

戦史ブログで落花生&アマニww

たまにはいいっか('javascript:void(0)▽'*)ニパッ♪





工業は紡績工業が主

綿布、麻布等

多量の毛織物をイギリス軍に提供している

軍需面では

戦争勃発以来、イギリスは

インド内の既存の工場を拡張していた

その中でも「タタ鐵(鉄)鋼會社」には

アメリカの技師を招き

世界最新の設備を備えた結果

小型兵器、弾薬等

各地戦線のイギリス軍に

軍需物資を急激に

増大提供出来るようになった

記事の中でアメリカを「亞米利加」と

書かれていたのに昔を感じました





そして、こんな詳細まで

日印協会は把握していたのねと

驚きと同時に

きっとこれらは軍にも

情報提供していたのだろうなと思った




続く…




※ブログランキングに参加してみました
大勢の方に読んでいただくことで、情報をいただけるよう
ご協力をお願いしますm(_ _)m
ポチッとな☆↓↓

人気ブログランキング

ミャンマーに思いを寄せて 1825

専門家じゃないので

機関誌の細かい所までは

読み取れない部分もある

だけど、私なりに歴史的に大事かなと

思った部分を少し挙げてみますね




いただいたデータは

昭和18年6月 機関誌83号~

この頃は、インパール作戦に向けて

各地に居た部隊がビルマに移動する

少し前くらいかしら





『日印協會編輯部(編集部)』が書かれた

記事によると

5月にチャンドラボース氏が来日した際に

日印協会はお世話をしていたそうだ

専務理事や理事他が

チャンドラボース氏と会談し

チャンドラボース氏から

「協會が40年の長きに亙つて、日印の親善に

藎力(尽力)されたことは感謝に堪えません

今やその40年の努力が立派な実を結ぼうとする

大切な時期に遭遇しています。」

と言う言葉を頂戴した





明治から活動されている日印協会は

この時点で既に40年の歴史があった

すごいなぁ。。。

そしてチャンドラボース氏と会談出来るなんて

やっぱすごいことだよね☆

ロシア革命前のレーニンと会うのと

同じくらいかも

なんだか感動しちゃう



続く…



※ブログランキングに参加してみました
大勢の方に読んでいただくことで、情報をいただけるよう
ご協力をお願いしますm(_ _)m
ポチッとな☆↓↓

人気ブログランキング

ミャンマーに思いを寄せて 1824

少し更新が滞りましたが。。。

日印協会からいただいた

機関誌のデータを読み返していました

膨大な中から事務局長さんが

私に関係するところを抜粋して下さったので

全てじゃないんですけど

楽しい、実に楽しいw

戦時中の日印協会の機関誌を

読んでいること自体、そして

それを「楽しい」と言う私は

「そんな主婦はいない」と笑われた





何が楽しいのか

自分でもよく分からないのだけど

歴史的な部分かなぁ。。。

”私に関係するところ”って言うのは

たぶん、大本営発表とか

チャンドラボース氏の記事だと思う

大本営発表の戦果は

盛ってあるあるだろうし

私はそんなに興味はない

それよりも、その前後のページの

コピーのおまけ部分に

面白い記事が載っていたりして

続きが読みたい~と思う時がある





大叔父の調査に直接関係ないけど

戦争と言う時代背景がある中で

インドとの懸け橋として

懸命に活動されていた日印協会は

インド国内の民衆の気持ちや動き

インドやビルマでのイギリス軍の状況

そして、インド独立に奮闘する

チャンドラボース氏等の様子を

写実的に伝えている

研究論文のようではなくて

生き生きとした小説のように感じた





勉強の意味も含めて

当時のインドに関する詳細な資料として

やはり歴史的な価値があると思います



続く…



※ブログランキングに参加してみました
大勢の方に読んでいただくことで、情報をいただけるよう
ご協力をお願いしますm(_ _)m
ポチッとな☆↓↓

人気ブログランキング

ミャンマーに思いを寄せて 1823

昭和8年には岩手県を中心とした

地震で津波が発生し

大きな被害が出た

その後すぐに

日本は国際連盟脱退

次いで昭和10年頃まで続く

冷害のための凶作等

日本は世界恐慌による影響に加えて

大変な時代が続く

そして、ついには

昭和11年の2.26事件に至り。。。






昭和12年(1937年)には日中戦争が始まる

昭和14年(1939年)には

イギリス・フランスVSドイツの戦いが始まり

イギリスとの仲は

同盟により敵対関係となる

昭和16年12月には日米開戦

これを機にイギリス領のインドには

日本人はなかなか行けないこととなるし

きっとインドに居た日本人も

インドを出なければならなかったと想像する





しかし、日印協会の機関誌は

インドの情勢などの詳細が載っている

これは日印協会の日本人による

情報ではなく、インド人からの

情報提供ではないかと思われる



続く…



※ブログランキングに参加してみました
大勢の方に読んでいただくことで、情報をいただけるよう
ご協力をお願いしますm(_ _)m
ポチッとな☆↓↓

人気ブログランキング

ミャンマーに思いを寄せて 1822

明治36年(1903年)に日印協会の設立

当初は、親善を図る傍ら

インド事情の調査と

日本文化と経済事情の紹介等を行った

それまでもインドに渡った

日本人は居たが

組織だってきちんと交流を始めたのは

日印協会で、その功績は

大変素晴らしいと思う

そして現在も続いていることに

感動すら覚える





大正時代に入り~昭和初期にかけては

経済活動に重点を置き

インド・カルカッタにおいて

日本商品館の経営や列車バザー等で

インド各地に日本商品を紹介等

日印貿易の発展に貢献した





その一方、日印関係を取り巻く

世界の動向や政治面では

大正12年(1923年)に日英同盟を解消

この時点ではイギリスとの関係は

悪くなった訳ではない

昭和4年(1929年)から始まった世界恐慌

からのブロック経済へと発展し

インドではイギリスのブロックの

高関税政策により

日本との貿易にも影響が出始める

「日印会商」と言う話し合いの場が

持たれ、在インド領事が参加したりと

まだイギリスとの関係も悪くなかった





昭和8年(1933年)日本は

国際連盟を脱退する

だけど、イギリスと仲が悪かった訳ではない

まだインドに日本人は居ただろう

それらの日本人によりもたらされる

情報を元に日印協会の機関誌も

発刊出来ていたのだと思う




続く…




※ブログランキングに参加してみました
大勢の方に読んでいただくことで、情報をいただけるよう
ご協力をお願いしますm(_ _)m
ポチッとな☆↓↓

人気ブログランキング

ミャンマーに思いを寄せて 1821

日印協会の昔の機関誌は

サイズはB5サイズ程度

明治42年に第1号を発行

年に2~3回の発行があったようだ





現在の機関誌は

サイズは少し大きくなったが

数ページの薄い冊子となっている

内容的には、インド関係のニュースや

イベント等の紹介、新刊書籍の紹介等

旬のインドがもりだくさんの

インドに親しみやすい内容のように

個人的には感じている





それに対し、昔の機関誌は

堅い内容の論文や、紀行文、

政治・経済・産業に関する記述、

あるいは外交安全保障という内容が多い

文量は1号につき150~200ページもある

場合によってはもっと多い時もある





更に、戦争が始まってからは、

インド・ビルマの戦局も載っている

特に昭和18年~19年は

2年間に6回も発行し

そのうち1号は「ベンガル特集」であった

日印協会も日本の国と共に

盛り上がっていたのかもしれない

(ベンガルってインドだったのね

ベンガル虎って、インドのトラだったのかぁ

スミマセン、バカです私



続く…



※ブログランキングに参加してみました
大勢の方に読んでいただくことで、情報をいただけるよう
ご協力をお願いしますm(_ _)m
ポチッとな☆↓↓

人気ブログランキング

ミャンマーに思いを寄せて 1820

戦時中の機関誌は

年1回の発行となった頃もあった

その分、分厚いものになっていた

その内容は、月々に日誌のように

インドや近辺のミャンマー等の動向が

掲載されている





文面からは、現地で何があったか

読み解くことができる

当然のことながら、チャンドラ ボース氏や

インド国民軍も出てくる





事務局長さんは、日印協会にある

この戦前からの膨大な機関紙を

読んで下さって

私に関係がありそうな箇所を

送って下さった





事務局長さんは

「記録的な価値はあるかと思います。」

と言っておられた

その通りだと思います

大変貴重な資料をありがとうございます!!

なんてスゴイ人なんだろう

大変な作業であったと想像する

ほんとうにありがたくて

涙が出そうだった、心から感謝します☆



続く…



※ブログランキングに参加してみました
大勢の方に読んでいただくことで、情報をいただけるよう
ご協力をお願いしますm(_ _)m
ポチッとな☆↓↓

人気ブログランキング

ミャンマーに思いを寄せて 1819

書き忘れていたことがありました

時期は少し遡って

2017年2月頃

日印協会の事務局長さんから

メールをいただいた

事務局長さんには日頃から

お世話になっている

私の調査にいつも

大変親身になって下さる





事務局長さんは、

日印協会機関紙「月刊インド」の

編集もされている

私が初めて日印協会を訪れた時の

機関紙の表紙には

事務局長さんが

インドに行った時に撮られた

美しい写真が使われていた

お話をしながら、その写真に

見とれていたことを思い出す





長い歴史のある日印協会

機関紙の第1号は明治42年(1909年)年

8月に発刊された

戦中戦後の一時期を除いて

現在も発行は続き

現在は年10回の発行となっている



続く…



※ブログランキングに参加してみました
大勢の方に読んでいただくことで、情報をいただけるよう
ご協力をお願いしますm(_ _)m
ポチッとな☆↓↓

人気ブログランキング

ミャンマーに思いを寄せて 1818

「パンダさんの方が…」の言葉に

テレビ局の人が食いついたらしい

”パンダさん”とはもちろん私のことです





「詳しく話を聞かせて下さい!!」

かくかくしかじかで

長年ビルマで戦病死した大叔父さんを

探している人が居て

番組作りのために

一から始めるのだったら。。。と

その方は、東南アジアに関することを

得意とされているようだった

「いいですね!それにします」

みたいな感じのことを言われたそうだ

で、このブログも教えたんだって

「何でしたら、パンダさんをご紹介しますよ」

とも言っておいたとのこと





ん?えっ?私???

船のことで頭がいっぱいだったので

突然、私に話が向いてビックリした

あまりのことにうろたえる私

「どうなるか分からないけど」と

知人は言っていた





壮大な船の引き上げ計画よりも

この地味~なミャンマー調査が

視聴率を稼げるか自信なんて全くない

それよりも、その時に私のことを思い出して

話をして下さった知人に感謝したい

無駄かもしれないけど

発信を続けることは大切なのかもしれない





それから数日間、ブログの閲覧数が

グッと上がっていた気がする

読んで下さっているのかなとドキドキした

だ~け~ど、、、それ以来

知人の元にも全く音沙汰が無いって

そんなもんよね、残念

夢を見られて、少しの間、幸せでした

(この内容は去年の話なので、

リアルタイムに1年ほど経っていて

もう無いなと諦めていますw)



続く…



※ブログランキングに参加してみました
大勢の方に読んでいただくことで、情報をいただけるよう
ご協力をお願いしますm(_ _)m
ポチッとな☆↓↓

人気ブログランキング

ミャンマーに思いを寄せて 1817

大戦中に沈んだ船を引き上げる

これ自体は注目はされるかもしれない

スゴイ計画だよね

「で、遺族会のような物は

もう見つかったのですか?」との問いに

「いえ、これからです」と

何とも壮大な、、、

戦友会は無いけど

遺族の人はたぶんまだ居ると思う

遺族会を作っているか

作っててもまだ活動しているか

分からないけど

船を引き上げたら喜ぶのかな?





お金と時間を費やして

それらしい番組にまとめても

ミリタリー好きの人にウケるか

と言うと、何とも言えない

更に視聴率となると想像もつかない





知人はテレビ局の人に

つい本音を漏らした…

「そんなことなら、パンダさんの方が…」



続く…



※ブログランキングに参加してみました
大勢の方に読んでいただくことで、情報をいただけるよう
ご協力をお願いしますm(_ _)m
ポチッとな☆↓↓

人気ブログランキング

ミャンマーに思いを寄せて 1816

テレビ局の人から知人に

もたらされた相談。。。





う~ん、軍事関係に詳しい知人も

名前を聞いてすぐに浮かぶような

船ではなかった

と、言うことは特にファンがいるような

船ではないと言うことだ





ちょちょいのちょいで調べると

あ~、分かった、あの船か。。。

引き上げたとしても

最新鋭の船でもなく

性能も戦歴も取り立てて

特筆することも無い

地味めな船だと知人は思った

(失礼な言い方でスミマセン)





攻撃により普通に沈んだだけで

特別な戦いだったのでもなく

謎というよりも

生存者が居ないから

艦内の最後の詳細が分からないだけで…



続く…



※ブログランキングに参加してみました
大勢の方に読んでいただくことで、情報をいただけるよう
ご協力をお願いしますm(_ _)m
ポチッとな☆↓↓

人気ブログランキング

ミャンマーに思いを寄せて 1815

知人がテレビ局の人から

相談を持ち掛けられた






開戦当初に沈んでしまった船

「謎の」沈没

誰一人生き残りがいない

「悲劇の」「悲しみの」。。。

なんとなく筋書きが想像できた





遠く離れた場所で沈んだままの船

その船を引き上げる大規模な計画

戦友会は無いにしても遺族会はあるかも

遺族を探し出して。。。





「なんて企画はミリタリー好きの人に

ウケると思いますか?」と言う質問・相談

ご本人はミリタリーには

あまり詳しくないけど

男のロマン(?)ヨロシク

熱く語られたようだ



続く…



※ブログランキングに参加してみました
大勢の方に読んでいただくことで、情報をいただけるよう
ご協力をお願いしますm(_ _)m
ポチッとな☆↓↓

人気ブログランキング

ミャンマーに思いを寄せて 1814

産経新聞のハラハラは続く

心ここにあらずのワタクシ

気が付けばため息が出て

心の中は産経新聞でいっぱい

なんだか切ない片思いの乙女みたいw





そんな時

いつも協力して下さっている

軍事関係に詳しい人と

ランチをしていると

「実はこの間ね。。。」と切り出された

なんでも、テレビ局の人から

相談を持ち掛けられたらしい





それが、戦時中の

なんとかって言う船の件で。。。

その船が駆逐艦だったか巡洋艦だったか

何だったのか全く忘れちゃった

もちろん聞いたこともない船の名前

陸軍も分からないのに

海軍の船なんて全然知らない私

零戦が海軍の飛行機と最近知りました

ごめんなさいっっ





そのなんとかって船が

開戦当初に沈んでしまって

乗ってた人がみんな

亡くなっちゃったそうなんです

そこで。。。




続く…




※ブログランキングに参加してみました
大勢の方に読んでいただくことで、情報をいただけるよう
ご協力をお願いしますm(_ _)m
ポチッとな☆↓↓

人気ブログランキング

ミャンマーに思いを寄せて 1813 

2017年 初夏

産経新聞での掲載予定が

具体的に決まらず

ほんとうに載せていただけるのだろうか?

と不安で一杯だった





直近の時期と言えば

8月の終戦の日

もしもこれがダメだったら

12月の開戦の日くらいかなぁ

産経新聞の記者さんは

関連の日に載せられれば

紙面を多く使えるかもしれない

とのこと





掲載の手順と言うか

取材からどのくらいで載せることが

出来るのか素人には想像できず

「時間が無いかも、間に合わないかも」と

ハラハラしていたのだった





大きなチャンスが巡ってきているけど

掴むことが出来るのか?

掴むためには何をしたらいいのかしら?

何もしない方が良いかな?

急かした方が良くないのかもしれないよね

と、もどかしい日々を過ごしていた





調査を始めて8年目

情報発信の手段として

考えられることは出来るだけやってきた

でも新聞とテレビは自分では難しかった

そんな私にとって今回は一大事である

もしも掲載されれば

影響力は今までの比ではないだろう

そして、この状況を打破できるかもしれない

祈るしかない気持ちでした



続く…



※ブログランキングに参加してみました
大勢の方に読んでいただくことで、情報をいただけるよう
ご協力をお願いしますm(_ _)m
ポチッとな☆↓↓

人気ブログランキング
記事検索
プロフィール

aya_sann

カテゴリ別アーカイブ
タグクラウド
QRコード
QRコード
  • ライブドアブログ