ミャンマーに思いを寄せて

亡き母の思いを果たすべく、ビルマで戦死した大叔父の足取りをたどる私の奮闘記録☆

2018年04月

ミャンマーに思いを寄せて 1858

終戦の日に大叔父のお墓参り

ご要望の”行動”を起こしたので

これで良いのかな?と思っていると

記者さんはカメラを手にされている

ん?えっあ…また写真ですか?

いえいえ、私の写真はあのその

若くもなくキレイでもないし

絵にならないと思うのですが、、、





「この辺りに座ってもらって。。。

角度はこのくらいで」とテキパキと

指示して下さるxx

やっぱ写真が必要なのね、、、涙

暑さのせいだけじゃなくて

変な汗が流れていく

やっと写真撮影が終わった

あーーーー、またお化粧を直してなかった

あ~ぁ、、、最悪





少しお話をと言うことで

涼しい本堂へと案内した

PICT0002












出兵の時に軍に提出した写真と

言われている大叔父の最後の写真

これは、本堂の前で撮られている

同じ場所を記者さんと確認する

「ここくらいから、この角度で撮られていますね」

大叔父が70年前以上昔に

立っていた場所

なんだか涙が出そうになった

これは↓桜の季節に撮った

現在の本堂前の写真
10376166_1629721167260490_4999815848334557176_n[1]














続く…



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ミャンマーに思いを寄せて 1857

2017年8月 終戦の日

朝から伯父のお寺へと行き

記者さんと落ち合う約束をしていた






一足先に着いた私は

親族のお墓参りをした

おじいちゃん・おばあちゃん他

どうか大叔父さんが見つかりますように

新聞記事も良い物となりますように

それと歴代の和尚様のお墓にも

今のお寺の住職は従兄となり15代目かな?

約700年ほどの歴史のあるお寺

和尚様のお墓の数もぼちぼちある

もちろん大叔父のお墓にも参った





東日本版の担当さんからの

お願いだけど

取材に来て下さったのは

元からの西日本版の記者さんだった





この日は、歩兵60連隊でも

慰霊行事を行っている

私はお正月の行事しか

参加していなかったが

記者さんは京都の東山にある

霊山観音での60連隊の慰霊祭に

参加されてから

駆け付けて下さった

汗をかきかき、ほんとうにお疲れ様です

そしてありがとうございます



続く…



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ミャンマーに思いを寄せて 1856

”終戦の日”に何か行動を、、、

今、京都に来ているし

靖国神社へと言われても無理xx

どうすれば良い?困った私、、、





「あの…大叔父のお墓参りって

いかがでしょう?」

突然ひらめいた苦肉の策w

これって、やらせって言うのでしょうか?

いえいえ、シチュエーションは必要なのかも

記事も1つの作品だから、人それぞれの

様々な表現方法があると思うから

私のために頑張ろうとして下さっている

そのための協力は当然のこと!





私は明日の終戦の日に

大叔父のお墓に参ることにした

早速、伯父の家(お寺)に連絡をして

明日、記者さんを連れて行くことを伝えた




続く…




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ミャンマーに思いを寄せて 1855

2017年8月

産経新聞に載せていただけることに

なったのだけど

いつ、全国区なのか西日本だけなのか

どんな記事が載るのかも分からなかった





ドキドキしながら連絡を待っていた

明日は終戦の日。。。

明日の新聞に載るのかなぁ?

すると記者さんからお電話

「終戦の日には何かされますか?」

ん?何かって???

「いえ、特に何も、、、」





歩兵60連隊では毎年、終戦の日に

慰霊行事をされているが

私はこの日の行事には行ったことが無いし

終戦の日だからと言って

特別な何かをしたことは無かった

「靖国神社には行かれませんか?」

「いえ、今は帰省中で京都に居ます」

昨年の夏はまだ東京に住んでいた私





何でも東日本版の担当さんが

終戦の日に私が何か行動をして

大叔父に思いを馳せる(?)

ぽい記事にしたいようだ。。。





と、言われましても~

私を取材して下さった記者さんの

記事とは少し違う記事に

されたいのかな?

えーっと、困ったなぁ

”行動”が出来なかったら

載せてもらえなくなる???

これって大ピンチかも



続く…



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ミャンマーに思いを寄せて 1854

2017年7月下旬

産経新聞の記者さんの取材を受けた

細かい部分の確認が色々とあった

「テグレパール」などはその代表格?

ほんとうの地名は

テグノパールなんだけど

調査開始当初に問い合わせた

お役所の方の読み間違えか

もしくは私の聞き間違えによって

長い間、このブログでは

テグレパールと書いていた

記者さんは、テグレパールを調べられた

そうだが、見つけきれなかったようだ

ごめんなさい、テグノパールなんです





今は「母の遺言で」と人に聞かれたら

言っているが、ほんとうは遺言とは

言えない微妙な線

説明がややこしいのでそう言っている

記者さんもそこを聞かれたので

そこはボカしておいて下さいとw





細々した確認事項は

その後も電話で質問が来た

今、頑張って下さっているんだなと

とても嬉しかった

でも、結局、何日の新聞に載るのか

産経新聞さんは西日本版と

東日本版があるらしいので

西日本版は載るようだけど

東日本版分は分からなかった

どうか何卒宜しくお願いしますm(__)m



続く…



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ミャンマーに思いを寄せて 1853

申し訳ないくらい話した

記者さんはよく付き合って

下さったと思います(スミマセン)

だって「話を聞きたい」なんて

言って下さる人なんて滅多にいない

ここぞとばかりに私の口は止まらない

その間もひっきりなしにメモされている

良い記事にして下さるといいなぁ。。。






だけど、どんな記事にまとめられるのか

全然分からなかった

産経新聞だし、あからさまな

反戦・反日の記事にはならないと

思いたい。。。

大叔父を「悲劇の〇〇」とか

”可哀そう”的な扱いも違う気がするし、、、





このブログは、様々な観点から

掘り下げることが出来る

切り口はどこなのか?

私としては、単純に

先の大戦から70年以上経った今も

身内を探している人がいるので

情報提供が欲しい

って感じの記事になると嬉しい





その所は、記者さんにも伝えた

「分かっています」っぽい対応だったので

記者さんを信じてお任せしよう

で、私の写真は、、、

出来れば細く&若く修正して下さい!!

記者さんは「…ははは」と流しておられた

まさか私の写真が載るなんて

考えてもみなかった(><)ガーン



続く…



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ミャンマーに思いを寄せて 1852

喫茶店に入っても

話は止まらなかった

調査に関する詳細とブログ裏話





やはり関心を示されたのは

〇〇大学の100年史の編集者の件

そう!バカな私が、まんまと騙されて

「私はこれで論文を書きます」と

言い放った人





このブログでは実名は出していないけど

記者さんにはしっかりと伝えた

記者さんは大学関係者との

お付き合いがぼちぼちあるらしい

中には新聞に掲載されることに

ステータスを感じる人がいるようで

ゴマすりすり近寄ってくる~(?)





何とか掲載してもらえるようだ

私の身元についても

60連隊の戦友会の他

全ビルマ会にも問い合わせられたそうで

全ビルマ会の会長さんが

私は会員で調査をしていることを

口添えして下さったそうだ

ありがとうございます!





全国紙に載せていただくには

こうした裏付けをしっかりとされるのね

さすがだわ!!ビックリしちゃった

私は怪しくはないと思うのですけど

世の中には色々な人がいるものね

慰霊祭等、きちんと参加していて

良かった☆




続く…




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ミャンマーに思いを寄せて 1851

記者さんはずいぶんと

このブログを読んで

下さっているように感じた

それを整理するように

質問は続いていく

話もずっと真剣に聞いて下さった

しきりにメモを取られている

さすが記者さん、お仕事熱心





ブログには個人情報過ぎて

書けない部分や

ボカしている部分も全て話した

やはりプロ、聞き上手だわぁ

私の話は止まらなかった





いつの間にか店内には

お客さんが居なくなっていて

とおに空になったグラスには

氷すら残っていなかった

お昼のラストオーダーの時間となり

私達は外へと出た





話し終わらなかったので

記者さんは次のお店を探された

タクシーに乗ってから

忙しく電話を入れておられる

お店の予約をして下さっているのだ

記者さんの気遣いに

すごいわぁと思った

今まで、こんなにして話を聞いて

下さる人は居なかった

お仕事とは言え、良い記事にしたいと

思って下さっているのだろう

と感じて胸が熱くなった





しばらくして、喫茶店に到着

とってもおしゃれで高級そうなお店

関西の人なのに

お店も事前に調べておられたのね

ありがとうございます




続く…




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ミャンマーに思いを寄せて 1850

冷や汗ものの写真撮影を終えて

頭がパープリンのまま

お食事に行こうと誘って下さった

私は食べ物の好き嫌いは

ほぼ無いので何でもOK!!





記者さんオススメの

中華料理のお店に行った

とっても高級そう。。。

店内も静かで緊張しちゃうよ~

コース料理をいただきながら

大叔父の話をした

どう言った経緯で調査が始まったか

質問を受けながら

分かりやすく丁寧に応えた





コース料理がなかなか来ないなと

思っていたら。。。

私が食べてないから次が来ない

とやっと気が付いた

せっかくのお料理をそっちのけで

話していたのだ

お料理は最初のくらいしか覚えていない

美味しかったのは覚えているけど

何を食べたのか今でも思い出せない





たくさんのことを話した

なぜ大叔父が60連隊に居なかったと

判断するに至ったかについては

少人数だけど同じ中隊の生存者から

居なかったとの証言があり

そのうちの1人は

「絶対に居なかった。信じて欲しい

ワシはボケてません」と言われた話をした

そのおじいさんに記者さんは面識があり

「あの〇〇さんがウソをつくとは思えない」と

信じて下さったことが

とても嬉しかった





やっぱりそう思うよね。。。

だってウソを言っても何も得しないもの

おじいさんが「居なかった」と

言い切る理由は

大叔父と同じ大学だったおじいさん

同じ大学なら絶対に分かるはずと

そして、その頃の大卒は珍しく

新兵の年齢からして

中隊に居れば目立つので分かる

そして、インパール作戦の最中に

中隊に配属されたのなら分からない人も

いるかもしれないが

作戦が始まる前から中隊に居れば

絶対に知っている

それから、中隊が玉砕した時に

残っていた人は全て判明している

なぜなら大隊全体で20名ほどしか

残らなかったから

と言うものだった




続く…




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ミャンマーに思いを寄せて 1849

挨拶もソコソコに

記者さんは社務所に行かれて

写真撮影の許可を取りに行かれた

すぐに腕章を着けて写真撮影開始

靖国神社の門を撮られるよう。。。

わぁカメラマンもされるんだぁ

カッコイイなぁと思っていたら

「ここに立って下さい」って誘導される

ん?門を撮るんだよね???

「えっ?私が入るのですか!?」

思ってもいないことだったので

ビックリして慌てふためいた

いや~ん、私は写らなくていいですよ

抵抗はしたものの、、、ガチョーン





視線はカメラから外して

「この辺りを見て下さい」と指示される

「誰かと話しているようにお願いします」

えっ?1人で話す・・・?どうやって

明後日の方向を見ながら~

セリフは出てこないので

「こんな感じでいいですか~?」

「一人で話していますよ~」

「キレイに撮って下さいね~」など

大きな独り言





腕章を着けたカメラマンさんに

撮られるモデルなんだけど

どこをどう見てもモデルさんには見えない

他の人も通っているのに

大きな独り言を言っているおかしな私

きっと何してるのかと思っていたことだろう





被写体になるなんて滅多に無い

恥ずかしさMAXで

照れて照れて、、、ずっとニコニコの私

記者さんは「あの~、まじめな記事なので…」

あっ、笑っちゃいけないのかぁ。。。

でも、無理だよ~

逃げ出したいくらい恥ずかしかった

訳の分からない汗が噴き出して

撮影が終わったらフラフラにxx

あっ--!!お化粧直すの忘れてたキャー



続く…



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ミャンマーに思いを寄せて 1848

待ちに待った産経新聞の

記者さんから連絡が来た

東京に来て下さるとのこと

そして、改めて経緯等

この調査の聞き取りを

していただくこととなった





たぶん近い年代の女性記者

お電話では色々と盛り上がり

お会いするのを楽しみにしていた

それでも、まだ掲載してもらえるのかは

全くお返事をいただけなかった





待ち合わせ場所は

靖国神社の門

早くに着いて辺りを散策した

いつもは参道から拝殿前の

お賽銭箱の前でお参りしてから

すぐに参集殿か靖国偕行文庫にしか

行ったことが無かったので

靖国通りをウロウロと

お茶でもしようかなぁ。。。

でも、、、何も無かった





記者さんから待ち合わせ時間には

到着出来ないと連絡が来て

しばらく待つことに





門の近くで手を洗っている私を見つけ

記者さんが声をかけてこられた

(よく私だと分かりましたね)

汗をかきかきダッシュで走ってこられたよう

お仕事バリバリ・キャリアウーマン!!

って感じでした~

やっぱ大手新聞社の記者さんだわぁ

カッコイイっす☆



続く…



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ミャンマーに思いを寄せて 1847

ハラハラした日々を過ごしていた

2017年7月

終戦の日、8月15日はもうすぐだ

このチャンスを逃すと

12月の開戦の日となる

それでも約束して下さった訳じゃない

どうなるのだろうと不安だった





ブログでの情報発信

雑誌「丸」での発信など

やれることはやってきたつもり

だけど結果としては

そんなに収穫があった訳じゃない





「丸」での掲載も

読者様から情報が寄せられたのは

最初だけで

それも直接、大叔父に関することでは

なかった

「丸」での掲載も

いつまで続くか分からない。。。





戦争を知っている高齢者は

ネットのブログや、ミリタリー雑誌を

見てはいないだろう

出来ることなら新聞やテレビ等の

大きな影響力のあるメディアに

取り上げていただければ

何か情報提供が得られるのでは?

と常々夢を見ていた

でも、そんな世界にご縁があるはずもなく…





そんな時に突然訪れたチャンス

どうにかしてここで頑張らないと

だけど私は非力であった

ただ祈ることしか出来なかった




続く…




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ミャンマーに思いを寄せて 1846

2017年・夏



60連隊の戦友会から

産経新聞の記者さんを

お正月明けにご紹介いただいた

以前に60連隊を取り上げて下さった

とのことで、ご縁があったそうだ





お忙しい記者さんと

春に連絡が取れて

電話で長話をした

新聞に載せていただけるかもしれない

5月に東京でお会いする約束をしたけど

7月になっても会えず

具体的な話は進まなかった





記事にはそれぞれ季節があり

戦争関連の記事の場合は

8月の終戦の日か

12月の開戦の日くらいだと言う

その方が、読者の関心も高く

紙面の枠が大きく取れるから

と言う理由だった





新聞の記事がどのくらい前から

準備されるのかは私には分からない

小さな記事であれば

いつでも載せられるだろうけど

8月15日と12月9日の

年2回しかないチャンス

その2枠に取り上げられたい人は

きっとたくさんいるだろう





もう7月だし、5月にも会えなかったし

ダメなのかなぁ。。。

あまりにもひつこくしたら悪いし

でも困ったなぁ、どうしようもない

私はずっとソワソワしたままだった



続く…



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よく分からないけど。。。

読者の皆様へ


いつも読んでいただきありがとうございます💛

気が付けば桜も散りました

これから暑くなるのかなぁ

新年度、新学期、新入生。。。

新しく始まる何かにドキドキの季節です

でも私は、何だかボケ~としたまま

時間だけが過ぎていく

しかもとってもPCの調子が悪い~最悪

明日には直してもらう予定ですが、、、

明日の更新はどうなりますやらxx





このまま、この調査はどうなるのだろう

と思っていたところ…

先日思いもかけず

同時に3件の連絡が舞い込んだ

どの方も私の調査を

以前からご存知の方だった

とても嬉しかった☆

私の調査のことを覚えて下さっていた





その連絡が今後どのようなことになるか

まだ全く分からないけど

私が発信を続けていたことが

良い方向に繋がった気がする

キツイけど、まだ頑張れるかも

立ち止まっていたらダメだぁ

勇気を出して前に進まなきゃ

喝っ!!ありがとうございます



2018年4月13日



続く…



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ミャンマーに思いを寄せて 1845

日印協会の機関誌の

戦時中の最後は

昭和19年12月発行

日本軍もインド国民軍も

英印軍の攻撃を受け

ドロ沼の後退を続けている頃

日印協会も機関誌の発行を

することが出来なかったのだろう

そしてその後、終戦を迎える





終戦に伴い、軍に協力したとして

多くの研究所等が

GHQから閉鎖・追及に追い込まれる中

日印協会も例外ではなかった

大戦中にインド独立運動に協力したとして

連合軍から協会活動を禁止されたのだ





しかし、昭和22年

インド独立と共に、早くも

「日印経済協会」と言う名前で復活し

昭和24年に「日印経済協会報」が発行された

昭和27年になり、会長に日銀総裁の

一万田尚登氏を迎え、(財)日印協会となった





隠れた存在かもしれないが

近代日本史に貢献した

縁の下の力持ちとして

そして、日本とインドの懸け橋として

現在も活動されている

日印協会は素晴らしいと思います





そこに私のような者を迎え入れて下さり

事務局長さん他

大変親切にして下さったことに

心より感謝申し上げます

機関誌を拝見させていただき

じっくりと読むことが出来たのも

きっと私にとってプラスとなることでしょう

重ねて御礼申し上げます





この機関誌のデータをいただいた

事務局長さんは、現在の機関誌

「月刊インド」の2017年5月号の編集をもって

最後の仕事とされました

しかし、以後も日印協会のお手伝いを

なさるそうです

日本とインドの良い関係が

これからも末永く続くことを祈念しております




続く…




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ミャンマーに思いを寄せて 1844

昨日までに書いたこれらはのことは

”兵要地誌”として使われたのだろう

このブログでは以前に兵要地誌について

熱く語ったことがある



兵要地誌について熱く語った過去記事はこちら↓↓

「ミャンマーに思いを寄せて 1179」
http://blog.livedoor.jp/aya_sann/archives/1983743.html





作戦展開予想地域の

地理・社会・政治・経済・言語事情等の

情報を入手することは

軍隊にとって大変重要なことである

しかし、軍だけでその調査全てを

行うことは難しく

専門家による調査協力を求めた





地誌資料は、軍の機密文書の場合もあるが

並行して出版物としての刊行が

許されたケースも多い

調査に関する費用の割り当て

出版に関する優遇(当時は用紙等)が

潤沢に受けられたことから

発行部数がかなり多い物が散見されるようだ

日印協会の機関誌も

これらの一端であろう





敗戦時には、多くの資料が焼却等で

処分されている中

当時のインド地域の作戦環境

インド仮政府及びインド国民軍の状況等を

現在に伝える

歴史的に価値のある大変貴重な資料である


00773







00944









続く…




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ミャンマーに思いを寄せて 1843

私がいただいた機関誌のデータよりも

以前の物であると思うが

いつのことか詳細は分からない。。。





インパール作戦を念頭に

軍部はインパール付近のインドの

詳細な情報を日印協会に求めた

日印協会の事務局長さん曰く

その報告の中で

「雨が積もっています」と返答したらしい

軍は「雨が積もる訳がない」と

本気にしなかったそうだ





「積もる」と言う言葉が

外国語の直訳なのか

文学的な表現なのか分からないが

雨は積もっているように見えるほどの

量なのは事実であった





この情報を日本軍が真剣に受け取っていたら…

インパール作戦は補給の失敗が

敗因の大きな要因ではあるとしても

雨季に入ってしまったのも計算外で

雨季がなければ

もう少し違った展開となっていた可能性は

あったかもしれない

その意味では

この「積もっています」を見過ごした

日本軍は残念としか言いようがない




続く…




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ミャンマーに思いを寄せて 1842

日印協会を軍が利用したであろうことは

当然のことながら想像できた

調べてみると色々と出てきた





平成27年(2015年)3月31日の

ネットニュースによると

日印協会顧問の三角佐一郎さんは

「インドのために卓越した働きを

した人に贈られる「パドマ勲章」を

インド政府から受けた

「日本とインドは明治時代から

お互いを尊敬してきた。

今後もそれは変わらない」と

受章の喜びを語った。





三角さんは戦前の昭和12年(1937年)から

日印協会で働き

戦時中には日本軍の要請で

インド情報の収集のため

ビルマに派遣され、インパールも訪れたそうだ





今回、私がいただいた機関誌のデータは

戦時中の物であるが

「月刊インド
財団法人日印協会
創立100周年記念特集号」と

「日印協会と歩んだ65年」
三角佐一郎著によると(一部抜粋)

『昭和16年(1941年)8月28日、

参謀本部山内豊秋氏

が私のと ころに訪ねて来られ、

是非相談したい事があるので

参謀本部に来て頂きたいと依頼されま した。

参謀本部に伺ってみると

「世界の情勢は大変厳しく

日本は米英等との戦争は避けられない。

日本の陸軍は南方のことは

殆ど調査してい ないので何の資料もない。

そこでビルマ・インド方面の事情を

調査して資料を作りたいので

ぜひ協力してもらいたい」とのことでした。』





『その直後に外務省・海軍省・内閣情報部からも

同じ様な調査依頼と合計95,000 円の

補助金を受ける事になりました。

参謀本部の依頼は、

十月末迄に調査報告書を提出して頂いて、

単行本として南方基地に送り たい

と言う要望でした。

日印協会ではインド方面の

地形・資源・産業等を大判で

カラー印刷も加えて、

200頁あまりの資料集として

提出致しました。』




続く…




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ミャンマーに思いを寄せて 1841

日印協会の機関誌を

長らくご紹介してきましたが

昨日の88号が戦時中の最後でした





私が気になった興味を持った箇所を

ピックアップしただけですので

識者が読まれたら

きっともっと別のすごい所があると思います

機関誌は、日印協会の他

東京外国語大学がデータ化し

公開しているそうです

興味のある方は是非♪





私なんかが読んでいても

スゴイなぁと思う機関誌

正直、とても難しくて半泣きで読みました

でも事務局長さんのご厚意に感謝です

実録のブログですので

奮闘ぶりは伝わったと思いますw

こんな詳細なことまで

日印協会は把握していたのねと感じました





当時、ここまでインドの情報を掴んでいたのは

日印協会以外は無いのじゃないかと思います

”日印協会調査部”があったことからも

調査部と聞くと満鉄などが有名であるが

日印協会は大きな組織であることが分かる

それを軍が利用したであろうことは

当然のことながら想像できる




続く…




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ミャンマーに思いを寄せて 1840

「戦時中の日印協会の機関誌」より



昭和19年12月発行 第88号

冒頭には

自由印度仮政府首班 スバス・ボース

「インド進撃の決意を語る」と言うタイトル





「このように盛大な宴を…感謝」とあることから

何かの折に日印協会が

チャンドラボース氏をおもてなしした際に

頂戴した言葉のようだ

日印協会への長年の親善のお礼から始まり

インドと日印協会及び日本の信頼関係は

人間的な関係である。

政治的・経済的な関係だけでは

深く信頼することは出来ないが

人間的な関係は永続である

と熱く語っている




(インド)国民軍は最近日本軍と共に

ある地点においては若干後退をいたしましたが、

他の戦線においては依然として陣地を確保し、

次の作戦を準備しているのであります。

面して来るべき遺作においては

過去におけるよりも更に

大規模なる攻勢に出でんとしております。

と言っているが

この発言がいつの時点でのことかは

分からない





内容的には

昭和19年の8、9、10月の頃

しかし、インパール作戦中止のことは

どこにも書かれれていない

インド仮政府の話やガンジーさんの

話ばかりであった





この昭和19年12月発行が

戦時中の最後の発刊となった

その頃のインドの情勢は…

日本軍と共に戦ったインド国民軍は

インパール作戦が負け戦となり

まだ壊走している最中で

インド国内の情勢を知ることは

難しかったと思う

更に日本本土においても

もう機関誌を発行していられるような

状況ではなかっただろう



続く…



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ミャンマーに思いを寄せて 1839

昨日の記事の追記☆

昨日の記事中の

インド駐屯米軍航空部隊の

発動機の修理工場が竣工して

世界最大であると言う件について

読者様からメッセージをいただきました

とても興味深かったので

ご紹介しますね





インドにアメリカ軍の発動機の工場が

もしかしたらあったのかもしれないが

その方は知らないと言う

実は、昭和17年にアメリカ軍が

初めて日本本土を空襲した時

ほんとうは爆撃機は空母からの

発進だったのに、トップシークレットとされ

記者会見の際に

「発信地はシャングリラ」と発表され

シャングリラとはどこか?と混乱したそうだ

なぜならば、シャングリラとは

イギリスの作家が出版した小説

『失われた地平線』の中に出てきた

中央アジアのどこかの

架空の地名だったからである

中央アジアのどこかを

インドの奥地と日本軍は勝手に

勘違いしたようだ

ちなみに私はシャングリラと言うと

電気グルーヴの曲を思い出すのですがw





冗談でシャングリラと言ったとなっているが

これは情報操作ではなかったか?

これと同じく

「インドに世界最大の米軍の修理工場」の

情報がウソだった場合

インド方面に日本軍の

注意を惹き付けるための

情報操作と考えられる

これを信じた日本軍は

是か非でもインパール作戦を

続行しなければならないだろう

そして、その間は、サイパンやグアム等は

当然のことながら手薄な状態となる





イギリス軍の修理工場ならば分かる

また、インドでなくオーストラリアだとすれば

無きにしも非ず

日印協会は発表を鵜呑みにして

まんまと引っかかってしまったのでは

ないだろうか?

と、その方は考えられたそうだ





「インドに世界最大の修理工場」の情報の

真偽のほどは分からないが

私がたまたま興味を持った記事が

こんな風に広がりを持つなんて

驚きと共に、歴史って面白いと思いました

ありがとうございました♪




続く…




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ミャンマーに思いを寄せて 1838

「戦時中の日印協会の機関誌」より



『印度緬甸方面日誌』

基本、日本軍の戦果が

華々しく書かれている文面が多い

3月には「陸軍航空隊が

インパールを連日爆撃」なんて

記事が踊っていたが

4月に入ると陸上部隊の活躍が

綴られている

しかし、書き方は

具体的な部隊の名前は無く

〇〇方面の我が軍は程度に留められていた





5月以降の記事は

陸軍航空隊の爆撃目立つ

と、言うか。。。

陸上の部隊のことがほぼ何も書かれていない

書けないよね、、、

陸上の部隊の惨状は

情報統制されていて知らなかったのか

日印協会は、知っていたが伝えなかったのか

もしくは、伝えてはいけなかったのか

そこのところは分からない





インドの食糧難や、仮インド政府のことや

チャンドラボース氏が

放送で呼びかけたとかだけしか無かった





昭和19年5月3日

「インパール戦線には雨季が到来し

敵側は補給に悩んでいる」と書かれている

英印軍が補給に悩んでいたかどうかは

分からないけど

この頃には、日本軍は

悩むどころじゃないくらいの状況だ

そのことは伝えられていない





7月17日

リスボン電報によると

インド駐屯米軍航空部隊はベンガル州に

発動機の大修理工場を建設中であったが

最近進竣工したと言う

同工場は専ら日本本土空襲に使用された

B29型爆撃機の発動機の修理にあたるはずであるが

発動機の修理工場としては世界最大である





米軍の修理工場がインドにあったんだぁ。。。

日本本土空襲用のB29。。。

インドのすぐ隣で戦っている日本軍はいるが

ただいま後退の最中

それを飛び越えて日本本土空襲

なんだか泣きそうです




続く…




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ミャンマーに思いを寄せて 1837

「戦時中の日印協会の機関誌」より



昭和19年9月発行 第87号

「戦況」

発行は19年の9月であるが

内容的には、19年の4月末頃~の

ことが書かれている





華々しく進軍する日本軍の

様子が伝えられる

「敗走する敵を追って北上し」

…あ~、追って行っちゃダメ

馴染みのある地名である

コヒマやミッション、バレル、

もちろんインパールも並んでいる

大本営発表なのだろうか

「撃破」とか威勢の良い言葉が

使われている

「インパール平原の敵を完全に包囲した」

との文面を見ると悲しくなってきた。。。





文面の中で「テグノパール」と言う

地名を見つけてドキッとした

大叔父がビルマのメイミョウの

兵站病院に向けて出発した

インドの地名

涙が出そうになった

真偽のほどは分からない兵籍簿だけど

大叔父が居た可能性が大きい場所





全ビルマ会の前会長さんが

ミャンマーに行った時に

「60連隊はデグノパールなんて通っていない」

と言い出したことから

第1大隊だけが祭師団を離れ

弓師団に編入されていたことを

会長さんが調べて突き止めて下さって

大叔父が第1大隊の所属だと分かったのだ

戦傷病者資料館のしょうけい館に

行った時、偶然流れていた

ビルマ特集のビデオ

米軍のカラー映像で

テグノパールの山々が

真っ赤に燃えているのを

泣きながら見たのを思い出す

テグノパール

この地名から私の調査は

始まったのかもしれない

テグノパールに行ってみたいとの思いが

ふとよぎった

テグノパールに行けば

大叔父さんに会えるような。。。

そんなことあるわけないか




続く…




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ミャンマーに思いを寄せて 1836

「戦時中の日印協会の機関誌」より



昭和19年2月2日

インド仮政府の新方針決定

・ヒンドスタニー語をインドの国語とする

・インド人間の挨拶には「ジャイ・ヒンド」
(インドの勝利のために)を使う

「ジャイ・ヒンド」って挨拶スゴイ

こんなことまで正式に決めてたんだ

なんだかハイルヒトラーぽくない?

チャンドラボース氏がドイツにいたから

影響を受けたのかな?

インド独立にかける熱い物を感じる





18年11月14日

午前10時から日比谷公会堂において

チャントラボース氏の大講演会が行われ

通訳を通じ、1時間半に及ぶ熱弁を振るった

その後、大川周明氏による

感動の辞がおくられた

あら、こんなところで大川周明氏の名前が

インドの独立を支援していたと言うから

不思議ではないんだけど

おっ!と反応しちゃう私

この時代に生きていたら

私も講演を聞きに行ってたかしら?

いや、私はただのミーハーだw

でもこの豪華な組み合わせを

見てみたかったなぁ。。。



(リアルタイム)
次号の丸掲載記事に

ちょうど大川周明氏が登場します☆



続く…



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丸の原稿を書き終えました☆

読者の皆様へ


いつも読んでいただきありがとうございます

桜が美しい季節になりましたね

皆様お変わりなくお元気なことと思います

こちらは、京都に引越し

なんとか落ち着いたところです






家のゴタゴタも少し上向きになり

子供は新しい学校に通い始めました

この先、どうなるか分かりませんが

少しだけホッとしています

先日、学校からスキー旅行に行き

初めてスキーをした子供

帰ってきて自慢げに旅行の話をした

「お母さんはスキーしたことある?」

あるよ

「じゃあお父さんは?」

あるよ

「おじいちゃんはさすがに無いよね?」

「いや、俺は満州でやってたよ

若い頃には、仕事で東北にいたし」って

まさか満州が出てくるとはっww

こんな会話が出来ることに

幸せを感じる今日この頃☆





昨夜は、丸さんに提出する

原稿を仕上げていました

4月末発売号に掲載されます

『大叔父の足跡を探した心の旅』と言う

タイトルで、次は17回目になります

内容は2013年の夏

日満の技術工養成所

(後に工科学校に昇任)の話です

どうぞ宜しくお願いします





只今の本文は

日印協会の機関誌の話です

機関誌を楽しく読ませていただいています

”楽しく”っておかしいかもしれませんが

難しい所は置いておいても

今まで読んでいた戦争体験の

手記とは違って

もっと視野の広い当時のインドの

情報誌として読みごたえがありますね

では続きをお楽しみください

皆様のポチッから勇気をいただいています

いつも応援していただき

ありがとうございます



2018.4.1
(※記事はエイプリルフールの

フェイクではありませんからね)

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