ミャンマーに思いを寄せて

亡き母の思いを果たすべく、ビルマで戦死した大叔父の足取りをたどる私の奮闘記録☆

2018年12月

ミャンマーに思いを寄せて 2036

軍規に基づいて

報告がまだ済んでなかったので

報告するからこれで事務処理してね

って意味合いで作られた名簿





21年の4月に作って、5月に復員

4月中にどこかに提出したのか

それとも、帰ることが決まったので

復員後に提出するための名簿だったのか?

そこのところは分からないのだけど

どこかに提出するならどこ?





復員局とか厚生労働省とか???

(昔のお役所事情は分かりません)

どこにせよ、軍が無くなっても

国に提出したのだろうね?

ん?でも国に提出した名簿なら

なんで民間に流れてここにあるのだろう?

事務処理が終わったら要らなくなったのかな?

この名簿の持ち主は

古本屋さんから買ったのだそうだ





いや、さすがに国は用済後は破棄するだろう

この名簿は今後の恩給などに必要だから

正と副を作成し、部隊側の控えの副だった

可能性が高いのではないかなと思った

部隊の誰かが戦後も保管していて

その方が亡くなられて

よく分からない家族が

古本屋に売り払った例はたくさんある

あ~残念ですぅ




続く…




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ミャンマーに思いを寄せて 2035

小さな紙に証明者として名前のあった

西尾少佐について調べてみた

私は失礼ながら

お名前を存じ上げなかったのですけど

調べてみると。。。




昭和19年1月の編成に

連隊本部に大尉でおられた方で

昭和21年5月の復員時の編成には

「連隊長代理 少佐 西尾政見」と

書かれていた実在の人物であり

インパール作戦やその後の諸作戦を

戦い抜いて生き残った強者であった





私は旧軍の編制は分からない

歩兵第60連隊には副連隊長は居なかったようだ

正規に代理と言うことは

連隊長の次級者で、最先任の少佐だったのだろう





代理が証明されているのは

連隊長がサインできない状況にあったと言うこと

連合軍に戦犯の疑いとかで拘束されていたとか

高級将校だけ別の所に収容されていたとかの

情況が考えられる





そして、この名簿は

内地の留守師団の人が作成した

名簿じゃないってことで

タイの収容所で作られた名簿だと思われる



続く…



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ミャンマーに思いを寄せて 2034

名簿の区切りに挟まれていた小さな紙

筆跡からすると

書いた人はバラバラだが

ほぼ同じ言葉が書かれている





「第78号 戦時死亡者報告 

現定第二條に依る

通牒未済に付き

本名簿により上処理せられ度

昭和21年4月1日

歩兵第60連隊長代理

陸軍少佐 西尾政見」

と書かれている





第78号 戦時死亡者報告 

現定第二條に依る

と言う部分の法規の根拠までは

調べていないけど

定められた報告が

まだ済んでなかったので

報告するからこれで事務処理してね

と言ったところか?





名簿の簿冊自体は、4月10日だけど

この小さな紙は全部4月1日だった

連隊区ごとそれぞれを合体させて

名簿が仕上がった日が4月10日だったのかな?





終戦後に作られた物で

証明者の階級が書かれているって

なんだかスゴイ

戦争は負けて終わったけど

戦後も復員するまでは

部隊として機能していたのだろうね





そう言えば大叔父の兵籍簿だって

戦後の日付で連隊長名で

証明されていたっけ。。。

てか、この連隊長代理の西尾少佐って

誰だろう?



※年末年始で主婦は忙しくしています

ブログはサボりぎみになるかもしれません



続く…



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ミャンマーに思いを寄せて 2033

DSC_0016















この名簿が作られたのは

昭和21年4月10日





歩兵第60連隊は

昭和21年5月に出発し、6月には復員している

部隊がタイの収容所に居る時に

作られた物だと言うことが分かる

ただ、現地で作ったのか

内地で留守師団が作ったのかは分からない





私が以前にコピーをいただいていた名簿は

昭和20年9日2日に作成された物
6854296_1654765738_195large[1]











これがあるのに何の為に作ったのか?

新しい名簿は、これと何が違うのか?

前から持っている名簿のコピーは

大叔父の第1大隊の機関銃中隊の分だけで

表紙も無かったので

どんな簿冊かは分からないけど。。。





この新たに発見された名簿には

連隊区ごとに(たぶん)

同じことが書かれた

小さな紙が挟まれていた
DSC_0027



















続く…




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クリスマスでしたね☆

読者の皆様へ


いつも読んでいただきありがとうございます

クリスマスも終わって

年越し、まっしぐらですが

お元気ですか?風邪とかひいてませんか?

私はホームパーティーで楽しいクリスマスでした

たらふく食べちゃった.。゚+.(・∀・)゚+.゚





今年はケーキをいただいて、2ホール完食!!

いえいえ、1人でじゃないですよw

そしてクリスマスに贈られたのは。。。

81gHWCELG6L[1]












えっっ?!、、、あ…ありがとう

よほどインパール作戦が好きな人だと

思われている???

いえ、至って普通の女子です

クリスマスでも忘れずに

調査は続けてますけどねw





この本はまだ全く読んでいません

どんなのかな?とアマゾンでレビューを見た

そこに、熱く書いている方がいらっしゃって、、、

うなずく部分と、そうかな?と思う部分と色々

だけど、60連隊のことが書かれていて

60連隊が発行した「二つの河の戦い」と言う

本についても触れられていて

珍しいなぁと思ったのでした





その文章の最後の方に

「大田 嘉弘氏」というお名前が書かれていたけど

失礼ながら私は存じ上げなかったので

その方の書かれた本を買ってみました

アウッまたインパール本が増えた

来年もインパールまみれ(?)になりそうですw





今月は、もう「丸」に原稿を提出しました

心は年越しモードですが

まだまだ頑張らないと

お正月には歩兵第60連隊の慰霊祭に

参加する予定です

が、体調はまだ良くないので行けるかなぁ、、、





では、今年もあとずか

どうぞ宜しくお付き合い下さいませ

いつも読んでいただきありがとございます



2018.12.26



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ミャンマーに思いを寄せて 2032

名簿は、どうも各連隊地区ごとに

まとめられているようだ

それぞれのページの区切りに

このような小さめの紙がある
DSC_0378















こちらは大津連隊区(滋賀県)のページ

DSC_0025





DSC_0539















興味深い所では

少なかったですが

旭川、札幌、函館、小樽の文字も





この名簿が、いつからいつまでの

死没者の名簿かは分からない

ただ設立当初は北海道の人が居たと

おじいさんは言っておられたことを思い出す

初期の頃に戦死された方の分なのかな?



続く…



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ミャンマーに思いを寄せて 2031

ここで考えいてもどうしょうもない

簿冊を写真に納めることにした

簿冊は2冊あった

DSC_0016
















DSC_0015















1つ目の死没者連名簿は

昭和21年4月10日の物

2つ目のイロハ留守担当者名簿は

昭和18年4月20日の物であり

大叔父はまだ入営していないので

今回はパスしました





1冊だけでもかなりの量がある。。。

私に出来るだろうか?

データ量は大丈夫だろうか?

予期せぬ展開に不安いっぱい






とにかくパチリパチリと撮る

最初は丁寧に。。。

だけど途中からピントがズレてる時もあった

端っこの方は、写らない部分もある

だけど、猛スピードで撮って行った




続く…




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ミャンマーに思いを寄せて 2030

インパール作戦に備えて

バタバタしてたから

甲種に合格したことが分からなかった?

でもインパール作戦が始まるまでには

3ヶ月ほどあるのにね





バタバタで命令さえも届かない時に

大叔父は甲種幹部候補生に落ちたと

親元にハガキを出している

そう、それは他人が書いた手紙、、、





作戦行動が始まっていたから

ビルマからは郵便物を出すことが

出来なかったと口を揃えて言う

元・歩兵第60連隊のおじいさん達





そんな中、偉くもない大叔父だけが

のんびりと手紙を出している。。。

これも”たまたま”と理解しなくちゃいけない?

謎ばかり増えて行く

あ~益々よく分からないよ(TT)

名簿は見せていただいたけど

気持ちはどんより~

これでスッキリ終わるかと思ったのに




続く…




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ミャンマーに思いを寄せて 2029

もう1つ付け加えると

甲幹・軍曹の指定日は

普通は、幹部候補生の指定を受けて

3ヶ月後の1日付けで

甲種か乙種かに分かれる





大叔父の場合は、昭和18年の10月に

幹部候補生に指定されているので

3ヶ月後の1月1日に

甲種か乙種か決定される流れ





それに加え

ビルマからお正月頃に出されたと思われる

大叔父のハガキには

甲種に落ちたことが書かれていた

※だ~け~ど、なぜか

そのハガキは他人が書いたものだった

(筆跡鑑定済)





確かに第15師団(祭)は

インパール作戦の反対派の

回避工作(?)に巻き込まれ

タイ国境の困難な道路構築を命ぜられ

ギリギリまで従事してたものだから

第15軍司令官に怒られて

(何とも理不尽な

慌てて作業を切り上げて

インパール作戦参加の為に

準備をしながら急いで移動をした



続く…



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ミャンマーに思いを寄せて 2028

大叔父は伍長で亡くなり

特別昇進で軍曹になったのか?

全く分からない

なぜなら、兵籍簿に

甲幹・軍曹の指定日は

2個も書かれているから。。。





病院に搬送された昭和19年5月末と

亡くなった日の7月末

5月末であれば、生きていた時に

甲種幹部候補生に指定され

軍曹の階級に進んだこととなるし

死んだ日であれば

戦病死であっても特別昇進したとも

考えられる





ただ、どちらにしても

乙種幹部候補生だったのが

甲種に変更されたのよね?

そう言うのって旧軍ではありますか?

スミマセン、どなたか教えて下さいm(__)m

マジで!!ヘルプ・ミ~



続く…



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ミャンマーに思いを寄せて 2027

階級の2つ書き。。。

戦死(戦病死)する直前の階級と

亡くなって特別昇任した後の階級?





ただ、、、乙幹が死んだから甲幹になる

なんてことはありえない

軍事史学会&偕行社の人に

鼻で笑われて嫌な思いをした過去が





今の自衛隊で例えると

陸曹候補生・士長が

亡くなったら

幹部候補生・曹長になるのと

同じようなもので

そんなことはありえない、、、とのこと

よく分からないけど、そうなんだぁ、、、





そんなこと言われたって、、、

この2つ書きはどう理解すればいいの?

大叔父は伍長で亡くなったのかな?

だけど兵籍簿には乙幹も伍長も

書かれていない

階級については上等兵まで書かれていて

いきなり軍曹に飛んでいる





兵籍簿を鵜呑みにすると

上等兵から軍曹に特別昇進???

「2階級特進したのは、特攻の人くらいで…

戦病死でしょ?」と言われたことを

またまた思い出した~(TT)エーン



続く…



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ミャンマーに思いを寄せて 2026

まずは大叔父のページを見た

付箋紙を付けて下さっていた

DSC_0154 - コピー















大叔父の欄には不思議な記述が見られた

まずは階級である

「伍長乙幹」と「軍曹甲幹」と2つ書きとなっている

次は一番下の「遺骨」の欄で「〃」(保管)となっていること





なんだろう…コレ

大叔父の名前を見つけて

涙腺が緩んだのも束の間、、、

なんだかなぁ





階級が2つ書きになっている件については

他の人も2つ書きなので

戦死(戦病死)する直前の階級と

亡くなって特別昇任した後の

階級かな?と考えた



続く…



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ミャンマーに思いを寄せて 2025

目の前に名簿が出された

1冊ではなかった。。。
DSC_0720















これをコピーさせていただきたい旨を

伝えてはみたが、、、う~ん、、、
DSC_0018















古い紙、そしてかなりの量がある

閉じ紐を解いたらどうなる?

破れてしまうページが出るかもしれない

更にコンビニのコピー機の上での作業で

完璧に元に戻せる自信がない

では見開きでのコピーはどうか?

見開きで上からコピー機のフタを閉めたら…

閉じ紐が切れる可能性がある





コピーはしても良いと言って下さったが

大事な物である。。。

私はかなり悩んだが難しいと判断した

ここまで来たのに、、、

目の前に名簿があるのに、、、

私の消沈ぶりは

先方にも分かるくらいだったみたい





かわいそうに思って下さったのか

「写真を撮られたらどうですか?」と

提案して下さりビックリした

写真。。。考えてもみなかった

スマホの撮影でも写せると言われるのである





上手く撮影できる自信は無いが

この状態では、それが最善の策だろうと思った

スマホの操作を上手く出来るかな?

写真のデータは全て保存できるかな?

もう一か八かやるしか無かった

私はお言葉に甘えて

写真に納めることを決心した



続く…



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ミャンマーに思いを寄せて 2024

※この週末は泊りがけでお出掛けしていました

ブログをサボってスミマセンでした





車に乗せてもらい、ご自宅へと向かった

途中の道にあった空き地でも

「地震の時には家の中に居ると怖かったので

ここで近所の方と避難して夜を明かした」と

話をして下さった





私は阪神淡路大震災の時は京都

東日本大震災の時は東京に居た

震源地ではなかったけど

怖かったことを覚えている





ご自宅に到着!

本来は、資料はここには無いと言う

収集した資料が大量にあるため

資料の倉庫として別に家を借りているとのこと

すごいなぁ。。。

その資料庫にしておられるお家は

空いているので泊っていくことをすすめて下さった

見ず知らずの私に

とっても親切にしていただき恐縮です





お座敷に通していただき改めてご挨拶を☆

テーブルの上に名簿が数冊出てきた

コピーさせていただけるか私はドキドキした




続く…



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ミャンマーに思いを寄せて 2023 

もし名簿をコピーさせてもらえるなら

コピー機があるのはきっと

コンビニくらいだろう

名簿をお持ちの方のお家の

最寄り駅付近の地図を見たが

コンビニは駅前には無かった





タクシーでコンビニに行くのかな?

どうなるんだろう…と頭が痛かった

そうこうするむうちに最寄り駅に着いた

改札を出て階段を降りるとスーパーがあり

想像していたよりは田舎ではなかった
DSC_0012
















DSC_0013





キョロキョロしていると

駐車場で手を振っている人が見えた

この方だぁ~優しそうな女性の方

挨拶もそこそこに私は車に乗り込んだ





駅前と言ってもスーパーしか無かった

駅前の一等地のなのに

今にも崩れそうなボロボロの家がたくさんあった

そして、所々に更地があって

駅前なのに勿体ないと思った
DSC_0014





しかし、それは震災の傷跡であった

地震から数年経っていたが

傷は深く、個々の家は

復興の兆しは感じられなかった





テレビ等で取り上げられていた

震源地に近かったところには

多くの人からの救助の手が差し伸べられたが

その他の近郊の地域は

それぞれに被害があっても気付かれず

置き去りにされたままのようであった





なんだか、厳しい現実を見てしまい

胸が痛くなった

次から次へと災害が起きて

つい忘れちゃう。。。

すぐに元に戻るわけがないよね



続く…



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ミャンマーに思いを寄せて 2022

2018年5月21日

遂に九州まで行っちゃった

九州は何年ぶりだろう?

最後に行ったのは20年前の長崎かな?





調べてきた在来線に乗り換えて

戦争資料収集家の方のお宅を目指す

DSC_0007





DSC_0008















旅行気分で見る物全てが素敵☆

DSC_0009




自販機のジュース

「知覧の緑茶」って、泣きそうだぁ~

知覧と聞くと特攻を連想し

なんだか飲めないよ、、、(スミマセン)

DSC_0010




九州産の「つぶつぶみかん」!!

ご当地ジュースって欲しくなる

スミマセン、ブログには全く関係ないですが

おまけ画像でしたw





そうこうするうちに目的の駅に到着

いよいよです!!ドキドキするよ~



続く…



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ミャンマーに思いを寄せて 2021

最初の連絡から約1ヶ月が過ぎた頃

再度、電話を入れて

お宅に行かせていただく調整をした





ギリギリ日帰り出来そう。。。

ほんとうは前泊してゆっくりと行きたかったけど

我が家のゴタゴタがあったので

そんなにゆっくりしていられない

しかたなく強行に日帰りで行くことにした





始めて乗った九州新幹線

とっても素敵な車内でした
DSC_0004





DSC_0006















あ~、観光もしたい

美味しい物も食べてみたい

やっぱラーメンだよね!

時間があるかなぁ、、、





昨年の山形の旅行で

乗り継ぎの怖さを経験したので

今回は、綿密に時刻表とにらめっこ

お役所に尋ねたりして情報収集した





名簿をコピーさせてもらいたい

願いが叶うかな?



続く…



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ミャンマーに思いを寄せて 2020

何のいつの名簿かは

お電話では全く分からなかった

その名簿をこの目で確認したい。。。





それと、まだよく分からない名簿だけど

戦争資料収集家の方の

お手元にあるこの名簿は

本来ならば歩兵第60連隊の戦友会が

持っていなければならない物だと

個人的には思うのだった





コレクターの手に渡ってしまうと

譲り受けることは出来ないと思うが

コピーだけでも戦友会に届けたい

でも…何の為にコレクションされているのだろう





まあ実物も見ないで、ご本人にも会わずに

ゴチャゴチャ言っていてもしかたない

すると関西にちょうど来られるとのこと

ラッキー☆と思ったのも束の間

名簿は持ち出せないとのことで

「会うだけ」のご提案、、、

えーっと、えーっと、お会いして

もしも私が粗相をしたら

名簿は見られなくなるかもしれない

私ってば…おバカなので自信がないです

それなら遠くても直接お伺いします





お忙しくされていたので

来月辺りだと時間が取れるかもしれないとのこと

遠回しに敬遠されてるかも、、、

とも思ったが、ごめんなさいっ、待ちます

で、1ヶ月後の2018年5月に行ってきました~☆




続く…




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ミャンマーに思いを寄せて 2019

当時の陸軍の規則には

「戦場・掃除及び戦死者埋葬規則」と言うのがあり

その中の「遺髪遺骨取り扱い方」によると

士官以上と下士官では、もちろん扱いが違う





士官以上は、遺骨または遺髪等の一部を本土の家族に

渡すようになっているが
 
下士官はその義務は規則では決められていなかった

(防衛省・防衛研究所資料閲覧室より回答) 





よく映画などで下士官兵でも遺品が帰ってくるのは

戦友が個人的に持ち帰った場合であり

出撃前に遺髪等を準備するのも

規則ではなく部隊長などの配慮なのだそうだ





大叔父は歩兵第60連隊の戦闘地域で

亡くなったのではなく病院で亡くなっている

下士官であり

遺骨は病院の墓地に埋葬されたと思う

そのため、もしも大叔父の遺骨が

歩兵第60連隊にある(あった)とすれば

同じ病室に戦友が居たとか

病院関係者に大叔父の知り合いが居たとか

何らかの要因が無い限り考えられない状況だ

だから遺骨は残っていないと思うのだけど…

遺骨「有」って何???




続く…




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お勉強をしに行ってきました♪

読者の皆様へ


いつも読んでいただきありがとうございます

暑くなったり、急に寒くなったりと

体がビックリするような天候が続いていますが

風邪などひかれてませんか?





昨日は、インパール関係のお勉強に

神戸の大学の公開講座に行ってきました

DSC_0955
















情報をいただくとどこでも参上しまっす

もう数打てば当たる精神でw

率直な感想としては、とっーても良かったです!!

久々に当たりでした





戦史関係の学会の先生や

大学の講師等の講演は何度も行った

二次資料を元に

チョロっと調べたことの私見で色を付けて~

みたいな印象だけど(あら失礼w)

歴史学や民族学や考古学など

戦史以外の分野の研究者は斬新な切り口で

真摯に研究されていると感じたわ

目からウロコの話もあって

とにかく「楽しかった」





ここから何かご縁が生まれたらいいのになぁ

どうなるか分かりませんが

皆様にとても親切にしていただき

心が温かくなって帰ってきました

感動しすぎで涙腺ウルウル状態に。。。

ほんとうにありがとうございました

詳細はいつかの本文で!お楽しみに





毎日更新しても、調査記録が多くて

まだブログ記事は

リアルタイムに追い付いていません

今は2018.4月頃の話です

ここ数年は、1年くらい差があったので

少しだけ近づいてきています

だけど、リアルタイムに追い付くとは

書くネタが無いと言うことなので

嬉しいことなのか・悲しいことなのか





タイトル数は2018まで来ました

これだけ見たら2018年?と思うかな

タイトル数1945を超えた時は

なんとなく複雑な思いで

2018を過ぎるのも微妙ですけど

まあ、頑張っていると言うことで

タイトル数を誇りに思おう!と

ポジティブ思考はいかが?w

大叔父さんをそろそろ見つけたい

最終手段は青森のイタコさんだぁ





年末まで、まだまだやることてんこ盛り

お掃除もしなくっちゃ

読者の皆様もお体を大切に

いつも読んでいただきありがとうございます



2018.12.9



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ミャンマーに思いを寄せて 2018

2ヶ所の不思議な記述

その1つは、階級が2個書いてあると言う

伍長と軍曹、、、なぜ?

そして、「遺骨」と言う欄もあり

そこには「有」と書かれているとのこと

う~ん、何それ、、、





遺骨って何???

大叔父は兵站病院で亡くなったので

遺骨は無いはず

なぜなら、遺体は病院の近くの火葬場で

荼毘にふされて

骨は、他の人の分もごちゃまぜで

火葬場の隣の墓地に埋められたから





私もミャンマーに行った際に

見に行った第121兵站病院のあった地区の

外れに在った「陸軍墓地」

PHOTO130











ビルマで旧軍が作った墓地の碑で

現存しているのはここのみ

他の碑は、戦後、戦友が建てた慰霊碑だ





この碑の周りには無数の遺骨があって

戦後、昭和40年~50年代に

遺骨収集で訪れた際に

全ビルマ会の前会長さんが参加した収集団が

全て持ち帰り、千鳥ヶ淵に納められた

だから大叔父の遺骨は

日本に帰ってきていると私は思っている



続く…



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ミャンマーに思いを寄せて 2017

歩兵第60連隊の名簿をお持ちと思われる

戦争資料収集家の方に

連絡を取ってもらい

私から連絡を入れることになった





その名簿がどんな物なのか?

大叔父の名前は載っているのか?

どのような経緯でその方がお持ちなのか?

全く分からないけど

学校で社会の先生をされていたと言う

戦争資料収集家の方の

指定された日に電話を入れた





とてもお忙しくされているようで

なかなかきちんとお話しできない

もどかしい日が続いた、、、





大叔父が歩兵第60連隊の所属で

単にその名簿に載っているか

聞いてきたと思われたようだった

大叔父の氏名や生年月日等聞かれて

すぐに調べて下さり

「載っていましたよ」と連絡いただいた

そして、そこに書かれている死因や死亡場所を

電話口で読み上げて下さった





書かれていたことは、今までに既に

判明している事柄ばかりだった

しかし、2ヶ所だけ不思議な記述があった




続く…




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ミャンマーに思いを寄せて 2016

どんな名簿なのか?

それよりもその持ち主の方が

歩兵第60連隊の関係者なのか?

歩兵第60連隊の戦友会の会長さん(遺族)

さえも知らない名簿を持っている人

私はそこも気になった





お正月に情報を教えて下さった方と

メールで連絡を取り合った

その名簿の画像は、4年前のツイッターの記事だそうで

そのツイッターにアップされていた方が

お持ちなのではなく

その方が地方新聞に載っていた

「戦争資料収集家」を訪ねて

見せていただいた物だそうです






情報を下さった方は

ツイッターの主が見たと言う地方新聞を探し

その戦争資料収集家の方を探し出して

その方が活動されている団体を通じて

お手紙を出されて、やっとたどり着いたとのこと

なんと素晴らしい行動力☆アッパレ





そんなご苦労された情報を

簡単に「教えて下さい」と言って申し訳ない

私も必死なの、厚かましいけど許して~





その戦争資料収集家の方は

元学校の先生で、とても親切な方だそうです

でもなぁ、、、戦争資料収集家って居るんだぁ

名簿はコレクションってことだろうか???

なんだか今まで会ったことのないタイプだわ





情報を教えて下さった方は

その戦争資料収集家の方に連絡しましょうか?

とまで言って下さった

かたじけない、、、もうお言葉にドップリ甘えちゃいます



続く…



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ミャンマーに思いを寄せて 2015

ネットに写真が掲載されていた

歩兵第60連隊の名簿

何の名簿かはよく分からないのだけど

写真の印象では古い物だった





私が知っている、現存している

歩兵第60連隊の名簿類は

戦友会(遺族会)の会長さんがお持ちの

戦後の昭和50年代に作られた物↓↓と
20181.2















戦友会の関係者がお持ちの

昭和21年4月25日に作られた

「入院患者名簿」と
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昭和20年9月2日に作成された

「死没者連名簿」と

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靖国偕行文庫にある

昭和18年までの戦死者名簿だけだと思う





戦友会の同じ中隊のおじいさんまで

大叔父を「知らない」と言うので

「ここに名前が出ています」と死没者連名簿を見せると

「これ、うちの名簿ですよね…あれ?ほんとや…

でも誰やろ、この人…」って言われたのを思い出す





ネットに写真が出ていた名簿は

私も会長さんも知らない名簿だった

何の名簿なのだろう?

それをお持ちの方は60連隊の関係者なのかな?




続く…




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ミャンマーに思いを寄せて 2014

歩兵第60連隊の戦友会(遺族会)の

慰霊祭に不参加のお返事をした

久々に戦友会と接して、ふと思い出した

そう言えば。。。お正月の慰霊祭で。。。





参加者から歩兵第60連隊の

新たな名簿が見つかったと

スマホ画面を見せていただいたっけ

その後、家に帰ってネットで調べたけど

ヒットしなくてそのままになっていた

そう、私はよく色々なことを忘れる

その時は何とも思わなくて

後からアレ?とか思ったり

ふとした瞬間にウズウズと

頭の片隅に引っかかって思い出す





名簿のことが気になりつつ

そのままになっていたなぁ

その方も親族の方を

真剣に調べておられる1人

親族が歩兵第60連隊の所属だけど

分からない、そんな私達2人なのでした

その方も私と同じくお正月の

慰霊祭だけ参加される方で

次にお会いできるのは来年だ





久々にその方に連絡を取ってみた

何度か検索したけどヒットしなかったと

素直に伝えて

厚かましくも情報を教えていただいた



続く…



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質問をいただきました☆

読者の皆様へ


いつも読んでいただきありがとうございます

12月に入り、今年もあと少しとなりました

早いですね~

この調査を始めて8年

来年は9年目を迎えます





昨年からの我が家のゴタゴタはまだ続き

京都に引越して、父が亡くなり

体調不良でボロボロの私にしては

まあ、少し頑張ったかな?って年となりました

大した成果には繋がっていませんが

少しずつ埋めていく作業を

地道にやっています

来年はどんな年となるのでしょうね

良い年になるといいなぁ





主婦と言えども、少しはお仕事もしています

月末は意外と忙しいのと

次回からは、また違うお話へと突入しますので

本日はちょこっと手抜き記事で(汗)





先日、読者様から質問をいただきました

ブログ記事に興味を持って下さるのは

とても嬉しいことです

ありがとうございます





以前に使った写真で、、、

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質問内容:

「写っている機関銃は、

ヴィッカース重機関銃とルイス軽機関銃でしょうか?

最奥の機関銃はブレン軽機関銃でしょうか、

それともビッカース・ベルチェー軽機関銃ですか、

分かりましたら是非教えて下さい。」






あらら、素晴らしい専門的なご質問

えっ?こんな私に聞いちゃいますか???

写真もあんまり見えないし~

カテゴリは”戦史”ですが

戦史ONLYって感じでもなく

幅広い調査の記録のこのブログ





しかも、昭和16年くらい~

大叔父が亡くなる昭和19年・夏までの

約3年間くらいのビルマ中心の調査なので

私の勉強範囲はか~な~り狭いです

そして元々、歴史も戦史も全く明るくない主婦ですし

難しい質問は泣きそうになります





ブログにコメントいただくことはとてもありがたく

いつでも受け付けております

出来るだけご要望にはお応えしたいと思いつつ

それでも、調査に対する考え方への批判や

思想的な物はご遠慮いただき

また、各自のなさっている

ご家族の調査への協力も

大変恐縮ですが辞退することが多いです

恥ずかしながら、自身の調査だけで

アタフタしており余裕が無いのが実情

ほんとうにごめんなさい





今回は純粋なご質問と言うことで

とにかく精一杯、回答してみました

私のお返事は。。。

「この度はブログをご覧いただきありがとうございます。

ご質問の件に付きまして、あくまで個人的な主観ですが

手前の2種類はその通りだと思います。

奥の1種類は写真からでは判別できません。

ただし、これらの兵器は

マレー~シンガポールを守備していたイギリス軍からの

鹵獲兵器のはずですので、

インドでビッカース・ベルチェー軽機関銃が

生産されていたことと、

ブレン軽機関銃はイギリス軍にも

まだ完全に行き渡りきっていない状況で、

イギリス本国軍から優先的に配備していた

ことから考えると、二線級兵器扱いになっていた

ビッカース・ベルチェー軽機関銃が

植民地軍であるマレー守備部隊に

配備されていたと考えられるので

ビッカース・ベルチェー軽機関銃であろうと推定します。

どうぞ宜しくお願いします。」





こんなので良かったでしょうか?

きっと読者の皆様の方がお詳しいと思います

ご指摘があれば優しくお願いしますね





そんなこんなで毎日、忙しくしております

年末行事もてんこ盛り~☆

調査もまだやりたいことが山積み~

スミマセン、明日のブログはお休みします

今夜はお仕事を終えて寝たいです

では今後ともどうぞ宜しくお願いします!

いつも読んでいただきありがとうございます



続く…



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ミャンマーに思いを寄せて 2013

戦争に対する考え方は

人それぞれなので

色々な考え方があって当然

革新系の”京都”と言う土地柄

そう言うのは多いと感じています

だからと言って戦友会(遺族会)が

思想的な活動をしている訳では

決してないのですが





全ビルマ会においても

戦友さんと遺族とでは

戦争に対する考え方の温度差を感じていた

果たしておじいさん方は、反日思想の遺族会を

期待していたのだろうか?





私も遺族の1人であり

平和・反戦の願いはもちろんあるが

その時代を知らない現代の人が

先の大戦が間違っていたとか言うのは

どうかな?と思う

その時代に生きていないと分からないことはある





その時々に状況があり

当時を生きていた人々にとっては

それが正義で当たり前だった

少なくともそう信じて

自らの命を懸けて日本のために戦って

くれた人が居た

その先人たちの思いを受け止めて

感謝して供養するのが遺族会じゃないかな?

なぁんて私は思うのでした





過去を反省して未来に活かすことは必要であるが

戦争・旧軍=悪で、戦争で亡くなった人=犠牲者

ではないと思う





大叔父はどんな思いで戦争に行き

何を思って死んでいったのか分からない

大叔父が死んだことで旧軍を恨んでいないし

大叔父が高い志を持って人生を国に捧げたのなら

悲しみよりも誇りに思う

それはたぶん、当時を知らない私だからであって

当時、弟を亡くした祖父は

違う考え方だったかもしれない。。。





大叔父を「かわいそう」と言って下さる方に

私は何と言っていいのか

いつも困ってしまうのです

論議するまで熱いわけでもなく

出来ればそう言う場は避けたい





結果、今回は体調不良を理由にお断りしたのでした

ごめんなさい、勇気がありません

それと…大叔父は歩兵第60連隊の

所属ではあったと思いつつ(書面上?)

胸の中では光機関の思いは捨てきれず

慰霊祭に参加しながらもいつも微妙なんだよね




続く…




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