ミャンマーに思いを寄せて

亡き母の思いを果たすべく、ビルマで戦死した大叔父の足取りをたどる私の奮闘記録☆

2019年06月

ミャンマーに思いを寄せて 2149

〇〇大学(中学も)の禁衛隊では

所属する部活や学年から

各隊に学生が配置されていたそうだ





昭和14年の

「京都付近大学高等専校連合演習」において

大叔父は学生最高位の大隊長役で参加している

編成表の「大隊長」役は

禁衛隊組織に準じているでしょうと

〇〇大学の100年史担当の人は言った

「大学2回生」と私は今まで表現してきたが

正式には「二部予科の2年生」と言うみたい





軍隊編成を擬した禁衛隊には

総司令部には学校長

その下に参謀総長として学校関係者

その下に各教授

連隊長は学校に居た配属将校で

そしてまたその下に

学生を中心として組織した銃隊、杖術隊

剣道隊、柔道隊、軍楽隊、自転車隊などの

各隊が配置されていた

ほんと、まるで軍隊のようである





大叔父は「大隊長」クラス

平時には学年代表や級長と

呼ばれていたことは

昭和14年に〇〇大学が

大叔父に宛てた手紙から分かっている





これにより反対に

昭和14年にはまだ〇〇大学の中では

完全に禁衛隊のみに

移行していなかった分かる

戦時体制へと完全に移行するのは

やはり昭和16年からなのでしょうか



続く…



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ミャンマーに思いを寄せて 2148

ちなみに、先日の海軍倶楽部の総会で

いただいた読み物の中に

ちょうど学徒出陣の記事があって

書きたいと思っていました

書きそびれたので

ついでに書いておきます





昭和18年(1943年)10月21日

東京·明治神宮外苑競技場での

あの有名な学徒出陣の壮行会





今でも何度もテレビ画面で流れる

秋雨が煙る中、東京を中心に77校の

約25,000人の学徒が参加

陸海軍軍楽隊が奏でる「抜刀隊」の

力強く重厚な行進曲と共に

東京帝大の校旗を先頭に

出陣学徒は銃を担え筒(になえつつ)で行進した





この後、12月1日に第一回入隊

3ケ月間の初年兵教育を受けると

将校になる教育を受けるために

それぞれの学校へと進み

1年後には少尉に任官し

部隊に配属されたと言う

そして、この第1回入隊者の

戦死率が1番高かったらしい





その中で、学生代表として

家族ら約6万5千人が見守る中

答辞を読み上げた学生が居た

その人は、入隊後は

航空機の整備兵として内地に留まり

終戦を迎えたそうだ





戦後は、壮行会の事ことを

語らなかったと家族は言う

苦しまれたのだろうかと私は想像した

ただ、この方のせいではないが

やはり「選ばれし者」感は拭えない

次世代の為に残ってもらう人と言うのは

やはり必要なのだろう





〇〇大学から光機関へ送り込まれたA氏は

徴兵検査を乙種として逃してもらい

軍属として大佐級の好待遇で光機関で活躍した

それに比べて大叔父は2等兵から入営し

マラリアとアメーバ赤痢で戦病死した

しかたがないことだけど

この差は何なのかしら?

もう悲しくなっちきちゃう、、、




続く…



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ミャンマーに思いを寄せて 2147

わーい、久々の本文です

「学校報国隊(団)」の続きです



〇〇大学が昭和3年から

禁衛隊を組織していたことは

国策の先駆けとは言えない

遥か昔からのレベルで

「学校報国隊(団)」の制定は

〇〇大学を真似するようにと

国が言ったのと同じようなものだ





スミマセン、少し話は逸れますが…

この「学校報国隊(団)」って

私はあまり聞いたことが無くて

調べても言葉だけは出てくるが

詳しいことは出てこない

すると、ある文章の中にこの言葉を見つけた





 昭和18年(1943年)10月21日の

東京·明治神宮外苑競技場での

あの有名な学徒出陣の壮行会は

文部省学校報国団本部の主催だったと

書かれていた





アッ、、、なるほど

あれも勤労作業の学徒動員組織で

分かりやすい代表的な物かもしれないと思った




続く…




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ただいた戻りました2

読者の皆様へ


いつも読んでいただきありがとうございます

ただいま病院から戻りました~

結局、熱が下がりませんでしたので

病院送りとなってしまいましたが、、、

変な病気ではなくて

風邪か疲れでしょうとのことでした

と言うことで単なるお疲れオババ

ホッと安堵しました~





インドでの初日の夜に

レストランで食事をしていると

足が痒いことに気が付いた、、、

虫よけは万全のはずだったのに

大叔父を死に至らしめたインドの「蚊」にやられた~

で、帰国したら発熱したので

もうダメかと思ったガーン





マラリアとかデング熱とか

変な病気だったらヤバイ

もしも保健所が来たら困るし

お家を片付けなくちゃ

お礼状とか最低限のところだけ終えて

お仕事の締め切りもあるからPCとか

色々と入院のための荷造りをして

と余計な労力を使って更にヘロヘロに、、、





病院に行ったらバイ菌扱いされて

悲しい思いをするのかしらとか

色々と心配しました

だって私、昔々に伝染病の疑いをかけられて

隔離されたことがあって

もちろん病気にはかかっていませんでしたけど

とっても悲しかったのです、、、





とりあえず帰宅出来て良かったです

解熱剤で熱を下げているけど

まだ体がキツイです

採血ではまだ炎症反応があるので

熱が出ていますねと言われるが

「風邪なら帰ります!」

元気だけど元気じゃない、微妙な体調です





大叔父と同じ病気になったら

洒落にならないところでした

読者の皆様にはご心配をおかけしました

生きていますので大丈夫です

今後ともどうぞ宜しくお願いします



2019.6.27



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スミマセン、ちょっとヤバイ

読者の皆様へ


いつも読んでいただきありがとうございます

スミマセン、、、あの~、ちょっと私

ヤバイので明日のブログの更新をお休みします

久々の本文が書けるかと

楽しみにしていたのですが、、、

それどころじゃないと思います





今日は朝からお礼状やメールや

お土産発送に追われて

まだ全部終わっていないのですけど

疲れもあってか、しんどいなぁと思っていました





すると、、、熱が38度を超えています

外国から帰って発熱ってヤバイ気がします

マラリアとアメーバ赤痢で戦病死した

大叔父を探しにインドに行って

自分が変な病気になったら、、、っっ





スミマセン、もしも明日、元気になりましたら

ブログの更新をしますが、ごめんなさい

今夜はこれ以上熱が上がるようなら

病院に行こうと思います

では失礼します





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ただいま戻りました~☆

【更新:写真追加しました】

読者の皆様へ


いつも読んでいただきありがとうございます

昨日、成田に着いて

夕方に家に戻りました

読者の皆様「ただいま~♪」





短かったですがインドを満喫して

東京駅ではカルボナーラと

コーラとアイスティーで満たされて

幸せを感じました☆





ブログを更新できずにスミマセンでした

かなりタイトな時程と

メカ音痴な私は海外での携帯の使用と

WiFiがいまいち難しくて

時差とかを考えていたら寝落ちしてしまい、、、

ブログどころか家族にも音信不通でした(滝汗)

息子だけラインを入れたら

主人がスネていましたww





インパールの写真追加します

DSC_1449




↑綺麗なイギリス軍の墓地

DSC_1455




↑立派なイギリス軍の慰霊碑

DSC_1466




↑日本の「インド平和慰霊碑」の
壁面シンボル

DSC_1470




↑日本の慰霊碑に献花をする
インド駐在の自衛官とイギリス軍

DSC_1475




↑慰霊碑から資料館までの道
奥の建物が資料館

DSC_1477















↑資料館入り口

DSC_1479




↑資料館の中央ホール


DSC_1570 - コピー (2)




↑インパール市内で地元紙の
インタビューを受ける私
(左の丸い塊です)





たくさんご報告したいことはあります!!

あっ…あの~、先に言っておきますが

残念ながら、この調査は

完結しませんでしたっっ

まあ、予想はしてましたけどね

完結したら奇跡ですものね

でも新な展開には繋がったので

感謝しています





と言うことで、このブログもまだ終わりませんので

楽しみにしていてください

悲しいやら嬉しいやら???

日本財団様、この度は大変お世話になり

ありがとうございました

夢のようなシンデレラストーリーでした

ほんとうに心から感謝しています





詳しくはいつかのブログ本文で

只今リアルタイムから7ヶ月くらいズレています

毎日更新しても追い付かないほどの調査量

ブログ記事は2018年10月頃





おじいさん達に親切にしてもらったこと

皆さんから応援をしてもらってること

日本財団さんから受けた温かい真心。。。

みんな優しいです、ありがとうございます





今回は感動して何度も泣いた

別れ惜しくて東京駅でも泣いた

出会えた人みんなに感謝したいです

でも、私の大叔父の調査は自分だけのことで

世の中には何の役にも立っていない

そろそろ皆様への恩返しも考えないとね。。。

私には何が出来るのかなぁ





ってブログを更新していたら

ゴミ収集車が行ってしまったイヤーン

帰ってきたらゴミの山が

「おかえり~」と待っていたのに

あぁ~ショック大(><)

いつも読んでいただきありがとうございます




2019.6.25




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インパールに行ってきます♪

読者の皆様へ


いつも読んでいただきありがとうございます

本日は予定通りだと午前の便で

インドに向けて出発します

2泊4日のぼちぼちハードな旅程ですが

行けることに感謝しています





インドに行くことは夢のまた夢だった私

単に行くのではなくて

インド国民軍のおじいさんを探し出して

大叔父を知らないか直接聞きたい

と言う無謀なことを漠然と考えていた

それをたしなめられて

泣いたこともあったわ



インド国民軍の人口比率↓↓

「ミャンマーに思いを寄せて 1731」
http://blog.livedoor.jp/aya_sann/archives/2047011.html


インド行きを止められて凹んだ件↓↓

「ミャンマーに思いを寄せて 1735」
http://blog.livedoor.jp/aya_sann/archives/2047tml





インパール作戦から75年

もう時間が無い、、、

何をどうしたら良いのかさえ分からず

半分、諦めモードだった私に

素晴らしいチャンスが訪れた

こんなことってあるんだね

続けてきて良かった






この度、日本財団の事業で

インパールに平和資料館が完成しました

微力ながらそれに協力していたことから

日本財団のご厚意で

平和資料館のプレオープンに

ご招待いただきました





しかもそのオープニングのセレモニーには

インド国民軍のおじいさんも出席されるそうで

私の調査にもご協力いただけるとのこと





海外旅行は不慣れで

外国語も話せません

しかもメカ音痴で

皆さんにどうお伝え出来るか

全く自信がありませんが

頑張ってきます!





インド国民軍のおじいさんが

大叔父をご存知であればこの調査は完結する

不安と緊張で泣きそうですが

たくさんの人の思いと共に

インパールの地を踏んできたいと思います



2019.6.20



慣れないスマホからの投稿でした
ポチっとな🎵

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ミャンマーに思いを寄せて 2146

【読者の皆様へ】

山形沖の地震、大丈夫でしたか?

被害があった地域の皆様

お見舞い申し上げます

あまり山形って地震では聞かないので

ビックリしました





山形にはご先祖様のお墓があります

でもお墓は内陸の米沢市

それよりも酒田に近い石原莞爾氏のお墓が

とても心配になりました

落ち着いてから

お墓を管理しておられる方に連絡しましたら

被害が無くご無事でした

良かったです

でもまだ余震にお気を付けくださいね





<ここより本文>

禁衛隊の設立から約10年後

昭和13年(1938年)には国家総動員法

翌14年にはそれに基づいた

国民徴用令の制定で

国家総動員体制は確立される





戦時体制となり

昭和16年(1941年)5月には

学校においても集団勤労作業が実施され

〇〇大学を含む学園は

その他の部活動等が解散となり

全学園の学生・生徒が禁衛隊傘下に統合された

これにより、従来の学生の自主的な組織は

学園による包括的組織へと変化した





この頃、ちょうど大叔父は

〇〇大学を4回生の時に中退する

激動の時代の入り口で

何があったのかは全く不明だが

大叔父は〇〇大学を去るのであった





同年8月には、文部省から

高等専門学校以上の全学校で

「学校報国隊(団)」

(軍隊を模した、勤労作業の学徒動員組織)を

編成するよう命令が出て

禁衛隊も益々戦時体制化を進めていく





学校報国隊(団)は学徒の話だが

その後、勤労動員はもちろん学徒だけではなく

全国的に徹底的に強化され拡大していくのであった




続く…




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ミャンマーに思いを寄せて 2145

射撃部と言うのはいわゆる

部活動であろう

〇〇大学(中学)には

部活動(または体育会活動?)、

生徒会活動のほかに

「禁衛隊」と言う

学生による私設警備組織があった





それは、元々は昭和3年(1928年)の

昭和天皇の即位の礼が

京都御所で挙行された際に

御所の警護を奉仕するという目的で

組織されたもので

当初は有志学生約30人の自主組織であった





その活動に世間は好意的で

新聞が報道し、学園には多くの寄付が集まった

大変注目を浴びたことから

禁衛隊は即位の礼の後も継続されることとなる





翌、昭和4年からは

新入生全員が入学と同時に

禁衛隊員として編入されることになった




続く…




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ミャンマーに思いを寄せて 2144

大叔父は射撃部。。。

写真は昭和10年3月~昭和15年の物





昭和10年3月は、大叔父17才で

〇〇中学の3年生

この時点で射撃部所属だったことは

分かっているが

旧制の中学は5年生まである

中学1年生からずっと

射撃部だったかは分からない





でも中学1年生だと15才

15才の男の子が銃を撃てる(持てる)?

と、ふと思った。。。

当時だと三八式歩兵銃か、その前の銃か?

現役の三八式歩兵銃が

民間に払下げされていたかどうかは微妙なところ





どちらにせよ長くて重たそう、、、

でも、長い割に金属部分が少なくて

現在の自衛隊の銃とあまり変わらない重さ

女性の自衛官でも射撃することを考えると

15才の少年でも撃てたと思う

後には少年兵も誕生するので

15才で射撃練習していても

特におかしくない時代かも





まあ、大叔父が何歳から

射撃部に所属していたのかは

今のところ分からないけど

中学の5年間と大学予科の2年間

所属していたとすれば

7年間も射撃をしていたこととなる

正に即戦力だね



続く…



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ミャンマーに思いを寄せて 2143

写真から分かったことは

大叔父が「射撃部」に所属していたことだった

写真の多くは射撃部関係の物だった





特に多かったのは昭和12年の

富士山での写真だ

中には登山の写真もある

私の率直な感想は

「昭和12年に京都から富士山に

旅行(?)に行くんだ」

今でも関西から富士登山と言うと

ぼちぼち大変な旅行だと思う
DSC_1342 - コピー




富士山のどこの写真でしょうか?

山小屋?右下には鳥居も見えますね

大叔父はどこか分かりません

※分かる方がおられましたら

コメント下さるとありがたいです



続く…



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ミャンマーに思いを寄せて 2142

伯父からもらった写真は他にもある

1番古い写真は昭和10年3月の物





その次は昭和10年5月11日、大叔父17才

〇〇中学3年生

愛宕神社(京都市右京区)に行った時の物
DSC_1341 - コピー




裏面に「3-1」と書かれていることから

3年1組のクラス写真だと思われる

春の遠足兼登山訓練なのかなぁ。。。

大叔父は前列真ん中





それから昭和12年の物

昭和13年、昭和15年

その中で1番多かったのは昭和12年の

富士山での射撃訓練の写真であった





これらの写真から

今まで私が知らなかったことが

色々と浮かび上がってきた




続く…




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ミャンマーに思いを寄せて 2141

曽祖父は自身の1番末っ子である大叔父が

昭和18年4月に伏見の練兵所に入営すると

度々面会に訪れていたと言う

昭和19年7月 、息子である大叔父は

親よりも先に帰らぬ人となった

同年10月、曽祖父も息子を追うように他界した

曽祖父の遺骨は

京都と山形のお墓に分骨をしたそうだ





一方、曽祖父の弟さんがなぜ

京都に来たかと言うと

若い頃に檀家さんのお嬢さんが

山形に居たらダメだと京都に連れて来たらしい

<勝手な妄想劇場>

「あなたはこんな田舎に居たら勿体ない!

私と一緒に京都に行きましょう!!」

(山形の皆様、失礼いたしました

この時代になんて素敵なロマンスなんでしょう

と、これらも以前からブログに書いていたことで、、、

おさらいが長いっっ





当時、お坊さんは結婚が出来なかったそうで

このお嬢さんは内縁の妻として近くに住みながら

生涯寄り添ったとのこと、キャーン





だが!伯父によると

この弟さんには他にも妾さんが居たって

えええぇぇっっ

その上、ひいひいおじいさんも京都に出てきて

住所をコロコロ変えて妾さんが居たって、わおっ!

あ、、、血筋でしょうか?

あの親戚は…そうだったのね





そう言えば、ひいひいおじいさんの住所が

京都・伏見となっていた書類があって

不思議に思ったことがあった

また伏見が出て来たので

これもいつか調べよう

てか、私は何を調べているのでしょう?

大叔父の出兵にたどり着くのだろうか?



続く…



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ミャンマーに思いを寄せて 2140

昨日の写真の続きで。。。


私は曽祖父の顔を初めて見た

曽祖父は、戸籍兼住民票上では

昭和17年に京都に移っているので

この写真の昭和4年に

結婚式の為に京都に一時的に来た(旅行)のか

移り住んできたのかは分からない





大叔父に至っては、伯父の証言によれば

まだ旧制の中学校に入っておらず

東京に住んでいた頃なので

東京から結婚式の為に来たと思われる





と言うことは、きっと花嫁は身の濃い人。。。

祖父や大叔父の姉妹ではないかと考える

ただし、いつもブログに出て来る

大叔父の姉(及び姉婿)の結婚式ではないことは

末娘さんの年齢から確かである





ちなみに余談だけど

祖父の妹で、大叔父の姉は4人居る

お国さん、お益さん、忠子さん、お信ちゃん

と私達は呼んでいるが

女性の名前は一文字に決まっていて(時代かな?)

曽祖父のセンスで上から国・益・忠・信

国の利益を考えて、忠誠を誓い、信じるw

ちなみにブログにいつも出て来る姉は忠子さん

そして現在も、本家の女性は

一文字の名前が続いている




続く…




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ミャンマーに思いを寄せて 2139

久々の本文です


祖父の父、私から言えば「曽祖父」は

山形で尋常小学校の校長先生をしていて

退職した後は、昭和17年には京都に出てきて

息子である私の祖父のお寺に身を寄せた


DSC_0873





これは、この度、伯父からもらった新たな写真で

添え書きに依り

昭和4年10月17日に撮影されたものであることと

祖父は25才(左端の僧侶)、

大叔父は12才(祖父の右下の少年)、

曽祖父は59才(花嫁の左)

が分かっている





その他、写真から分かることを分析してみる

昭和4年は、曽祖父が退職した年

そして祖父は既に京都で

お寺の住職となって居て

翌5年に結婚するので

独身最後の年である





誰の結婚の時の記念写真かは分からないが

京都の祖父のお寺の近くの写真屋さんが

撮影しているので

場所はお寺なのかなぁ?って感じ

お寺はこの後、戦争に行く人が狂って

放火をして焼けてしまうので

お寺であったとしても

私が知っている面影が無くて当然だ




続く…



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落ち着かない

読者の皆様へ


いつも読んでいただきありがとうございます

ブログ本文を進めたい気持ちと

こんなにのんきにブログを書いていていいのかな?

との思いの狭間で落ち着きません





インパール行きを目前に

めまぐるしい日々にクラクラしています

久々の海外旅行はインド、しかもインパール

「一緒に行こう」と誰に頼んでも嫌だと言われた

インドーーーーーーーーー!!

結局、誰も付いてきてくれない

そう言えばミャンマーの時もだった





家族はこの調査に理解があって

どこに行くのも「いってらっしゃい」と

言ってくれますが

「ついて行く」とは言いません

協力者達は手術をしたばかりとか

ウクライナに行くとか

インドには興味が無いとか

役に立たないう~ん残念





今迄からの色々な思いがあって

嬉しいやけど不安であったり

バカにされてきた悔しさやら

騙されていないよね?とか

言葉にはしませんが

今にも泣きそうなんですけど





インド国民軍のおじいさんの誰か1人でも

大叔父を知っていると言って下されば

この調査はめでたく完結する

その確率はほぼ無いと思うけど

終わるか終わらないか

どっちかなのでドキドキです





実は、その関連で

毎日インドの人とメールをしています

お恥ずかしいことに私は外国語が出来ません

恐怖なくらい苦手です

協力者に全てお願いしていて

それも心苦しくて辛いのですが、、、





それと、おじいさんと文通をしています

偶然にもご健在の60連隊の

おじいさんを見つけました!!

なんと御年97才!!大叔父の2つ年下

60連隊の遺族会も知らなかったおじいさん

ここに来て、最後の最後に

大叔父の実像にとても近づきました

奇跡に近い出会いに感謝です





そんなこんなで、近況報告でした

たぶんこんなグダグダなブログが

続くと思いますが宜しくお願いします

いつも読んでいただきありがとうございます



2019.6.12



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どうなりますことやら。。。

読者の皆様へ


いつも読んでいただきありがとうございます

梅雨に入り、スッキリしないお天気ですね

でも暑い夏よりマシかなぁ

日本の四季は嫌いじゃないけど

年を重ねるごとに、体にはキツイです

お年寄りが季節の変わり目に

ポックリ逝かれるのも

分からなくもないお年頃になってきました

皆様、お互い体には気を付けましょうね





さてさて、ドキドキッ

もうすぐインパールに行きます!!

突然、降ってわいたような

シンデレラストーリー(?)で

騙されているのじゃないかと心配されたくらいです

「ほんとうかな?何かのドッキリじゃないかしら?」って

今でもソワソワしてしまいます





詳しくはいつかの本文で~

とは言ってられないほどの事態です

ブログ本文は只今、2018年10月頃の話

もうザックリと飛ばして先にネタばらし(?)

してしまいたいくらいです





「インドに行って、インド国民軍のおじいさんに

大叔父を知らないかって直接聞く」

先日、この件に関して

前もって産経新聞の取材を受けました

それに対して考えることは色々とありました

私の回答も「これで良かったのかしら…」と

思うところもあります





1つだけお願いとして挙げたのは

この記事を、大叔父が戦争で死んで可哀そうとか

何かのプロパガンダのように書かないでほしい

と言うことでした





外国語は全く話せない私、、、

拒否反応が出るくらい苦手です

ここ1ヶ月ほど、外人さんとメールしていて

もちろん私は何も分からないので

協力者に全て手伝ってもらっているのですが

もう~いっぱい・いっぱいです

準備もしなくちゃいけないし

全てにおいてアタフタしています





さてどうなりますことやら。。。

読者の皆様にはタイムリーに

お伝えできればと思っています、乞うご期待

無事に上手く行くように祈っててくださいね

いつも読んでいただきありがとうございます



2019.6.10



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ミャンマーに思いを寄せて 2138

それから伯父は

我が家の家系の昔話をしだした

このブログの主要な登場人物達の

情報ですので

おさらいも兼ねて書きますね

※少しスキャンダラスな内容を含みます

大叔父の出兵には直接関係が無いとは

思いますが、我が家のルーツと言うことで

なかなか興味深いので書いておきます





私の祖父は(大叔父の兄)は

京都で僧侶になった

それは曽祖父(祖父の父)の弟さんが

早くに京都に来ていて

立派な僧侶となっていたため

祖父はその叔父さんを頼って

山形から出て来た





曽祖父のその上の父の時代

(私のひいひいおじいさん)は

山形で材木問屋を営んでいたらしい

(だけど履歴書には士族と書かれていたけど…?)

その材木問屋が大火で無くなって

ひいひいおじいさんは、息子は公職に就かせようと

思ったそうである

そこで兄である私の曽祖父は教師に

その弟さんは僧侶となった





と、ここまでは以前にブログで

書いていて「おさらい」でした

【追伸】今日は産経新聞さんの

取材を受けてきます☆頑張ります



続く…



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ミャンマーに思いを寄せて 2137

そして、伯父は「東京での大叔父の就職先は、

姉婿がお世話をしていたところ」とも言った

東京での大叔父の就職先は

大森の「旭機械工業」





姉婿は、石原莞爾氏と共に〇〇大学を中心に

満州国の予算を以って

技術工養成のために学校を作り

日本で育成した学生を

満州に送り出す教育事業を行っていた





大森では、満州国からの指定は無かったものの

準学校の扱いで

中小機械工場の経営者が協力して

この教育カリキュラムを使用し

独自の路線で活動していた

それが東京・大森の

「大森機械工業徒弟学校」である





大叔父は戦争に行くまで

東京の大森の会社に就職をしていた

”大森”と聞いてすぐに

「大森機械工業徒弟学校」を

思い浮かべた私は

大森と姉婿は当然繋がっていて

大叔父の就職に姉婿が

関わっていたと常々思っていた

しかしそれは想像の域を

越えなかったのだが

この度の伯父の証言に依り

確実なものとなった





伯父が言う「姉婿のお世話」とは何なのか?

「大森機械工業徒弟学校」を作る際に

姉婿が指導したのであろうと想像する





今後の課題は、大森機械工業徒弟学校と姉婿

大森機械工業徒弟学校と大叔父の就職先

ここを調べなくてはならない

現在、大森にはこの大森機械工業徒弟学校が

元となった私立の学校が存在する

いつか調べてみようと思う



続く…



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ミャンマーに思いを寄せて 2136

この長谷川一夫のお屋敷を

大叔父の姉は、長谷川一夫の奥様から

「貴女だったら譲ってもいい」と言われ購入した

と言う話を末娘さんが語っていた

でもこのお屋敷を買う前は

どこに住んでいたかは分からない





長谷川一夫のお屋敷ってどこにあるのだろう?

今も京都・伏見にあるのかな?

こんな有名人のお家だったら

すぐに分かるかもしれないわ





すると伯父が突然

「長谷川一夫のお屋敷跡は

伏見の〇丁目で今は〇〇病院になっている」と

言い出したのでビックリ

後で調べに行ってみよう。。。





姉婿は京都と東京を行き来していたと

伯父は言う

京都の家と東京の家

それぞれにまだ調べたいことがある





それを調べて大叔父の行方に

たどり着くとは思えないけど

大叔父に関することとして

調べておきたいと思った

大叔父が確かに約70年前に

生きていた場所。。。




続く…




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映画を見てきました♪

読者の皆様へ


いつも読んでいただきありがとうございます

昨日は神戸でチャンドラボース氏の映画

「忘れられた英雄」を見てきましたよ
20190601a BOSE上映会













DSC_1322





史実に基づき

かなり忠実に再現されているとのこと

上映時間4時間と言う力作です





お話はチャンドラボース氏が1940年に

投獄された後、インドを脱出して

ドイツに向かうところから始まり

亡くなった後に

インドが独立するまでが描かれているので

長い割には、個々のストーリーは短く

何かを主張したかったと言うよりも

駆け足での人生のダイジェスト版で

タイトルのとおりチャンドラボース氏を

「忘れないで」って感じでした





シリアスな場面が多い中

インドの映画らしくコントのような笑いあり

歌と踊りで練り歩くシーンも多かったですw

ここで歌いますか?ってww





登場人物は似ている人を起用していて

チャンドラボース氏の役者さんは

とても素敵でしたよ

また、日本軍の役者さんも

それっぽい人で面白かったです





戦闘シーンもチョロっとあって

そんなに迫力は無かったですけど

臨場感はありました

「ヒカリキカン」なんてセリフもあって

いい感じでした☆

突っ込みどころ満載の映画の詳細は

いつかの本文で!どうぞお楽しみに





チャンドラボース氏の映画って、、、

正直、私にとっては今更感があった

日本から見れば脇役のイメージだったけど

私の知らなかったインド側の思いがあったりで

日本軍とは別物だと感じた

見に行って良かったなと思いました





ご招待いただいた神戸山手大学の先生と

とっても素敵な奥様

親切にして下さった関西日印文化協会の皆さん

映画の翻訳をされた阪大の先生や

そこの可愛い学生さん

最後にお声かけいただき

お茶をご一緒したインド通のご夫婦等

たくさんの方との出会いに感謝です

ありがとうございました



2019.6.2



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ミャンマーに思いを寄せて 2135

どこかの家の前で撮られた写真

場所はどこだろう?と

写真をじっくりと見るが

手がかりは無さそうである

写真の表紙をよ~く見ると

小さくロゴの中に文字が入っていて

「FUSHIMI.KYOTO」と印刷されていた
DSC_1318




あ。。。この家は京都・伏見にあった

姉婿の家なんだ

この家は、歌舞伎の長谷川一夫の元お屋敷

伏見のどこにあったのだろう?

70年前以上前に大叔父が居た場所





この写真は昭和13年のお正月に撮影されている

確か末娘さんは昭和13年に

東京・中野に引越しをする

と言うことは、この写真は京都の家での

最後のお正月に撮った写真であった





日中戦争に始まり大東亜戦争へと拡大していく

日本が大きく動いた時期

この写真の中の大叔父は

何を思っていたのだろう。。。



続く…




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