「マンダレー光機関支部 弓兵団 築城要員
森9746部隊 第四遊撃連隊」を調べて
なかなか興味深い結果となり
自己満足なワタクシ(笑)
この泉大尉の陣中日誌は
昭和19年11月1日~30日までの分である
昭和19年の11月と言えば
この報告文書の宛先である
インド部長の北部大佐には
歩兵60連隊長への異動が発令されている
その後任者は居たのかさえ分からない
しかし、実際の交代は昭和20年の1月であった
北部大佐が盲腸になったためだと言う
それは北部大佐の手記と
前任者の60連隊長・松村大佐の
手記でもそう書かれていた
果たしてほんとうのところは?
その1月とは、光機関が縮小し
2/3の人員を転属させた時期だからである
私は残務整理してたのじゃないかなぁ
なんて思ってしまった
その後は終戦間際に
北部大佐は鈴田中佐に
60連隊長の座を譲るのだが
その交代がいつのことだったのかは
靖国偕行文庫にある旧軍のデータや
数々の文書を見ても分からない
北部大佐が最終の連隊長とされている文書も多く
鈴田中佐が最終連隊長だと
知っている60連隊の人に出会ったことも無い
その上、60連隊を出た後の
北部大佐の部隊は分からないし
いつ日本に帰ったのかも分からないが
戦後は故郷の郷友会の会長を務めておられた
続く…
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歩兵60連隊長への異動が発令されている
その後任者は居たのかさえ分からない
しかし、実際の交代は昭和20年の1月であった
北部大佐が盲腸になったためだと言う
それは北部大佐の手記と
前任者の60連隊長・松村大佐の
手記でもそう書かれていた
果たしてほんとうのところは?
その1月とは、光機関が縮小し
2/3の人員を転属させた時期だからである
私は残務整理してたのじゃないかなぁ
なんて思ってしまった
その後は終戦間際に
北部大佐は鈴田中佐に
60連隊長の座を譲るのだが
その交代がいつのことだったのかは
靖国偕行文庫にある旧軍のデータや
数々の文書を見ても分からない
北部大佐が最終の連隊長とされている文書も多く
鈴田中佐が最終連隊長だと
知っている60連隊の人に出会ったことも無い
その上、60連隊を出た後の
北部大佐の部隊は分からないし
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