【歩兵60連隊の機関誌「輝」より】

平成8年に発行された第1号には

インパール作戦間の連隊長である

松村大佐の1周忌の際の

息子さんの言葉が載せられていた





平成5年に松村大佐は

お亡くなりになられたようで

平成6年の60連隊の慰霊祭に

お父様が亡くなられて初めて

息子さんが参加された

かつての部下により

お父様の法要も行ってくれるとのことで

息子さんは東京から京都の霊山観音に

来られたのであった





その席で息子さんは

たくさんの元60連隊の隊員が

霊山観音に集い、今も戦友の供養を

行っていることを知り大変感動されていた





お父様である松村連隊長は

息子さんが幼い頃に

「自分は非常ら多くの戦友を亡くした身なのだ。

それは自分の一生かかってでも

償いきれないような思いが有るのだ。」と

言われたそうだ





松村連隊長の棺が霊柩車に入る時

「俺らに担がせろ」と戦友が担いでくれたと

絆に息子さんは感激されていた





息子さんが感動されていた話を読んで

私はまた感動した

平成の時代になって

連隊長もご高齢になっていたが

ずっと部下を忘れず

慰霊を続けて来られたこと

そして、そんな連隊長を

皆が慕っていたこと





連隊長の奥様が入院されたとか

松村大佐と北部大佐の名前は

常に機関誌に載っていた

(、、、鈴田大佐の名前は無いけど)






それと、私は機関誌を読んでいて感じた

連隊長の息子さんだけでなく

復員された戦友さんのご家族等

戦友会に遺族が増えたこと。。。

機関誌の内容から約20年経っていますが

安心して下さい

思いは引き継がれていると思います





続く…




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