状況証拠から更に仮説を

深く検証してみる。。。



60連隊からもらった

座布団(人員枠)であっても

その枠に充てられる人員は

60連隊からの転属でも臨時勤務でもなく

人事的には60連隊を経由せずに

光機関の本属となり

直接、光機関に配属されることとなる





では何故、大叔父の兵籍簿には

60連隊が出てくるのだろう?

それは入営後に第128連隊の所属となり

幹部候補生を受験して

部隊の人員事情から60連隊への

「代替要員」となった後に

光機関行きが決定したため

ではないかと考える





大叔父は日本を発つ前に

「通訳をする」と家族に伝えている

通訳を専門にすると言う意味だと捉えると

歩兵の部隊で実際に戦闘しながら

必要に応じて通訳をするのではなく

即ち60連隊に行くのでは無いと言うことだ





どうしてこんな不自然な人事を

想像するかと言うと

大叔父の〇〇大学から

光機関に派遣されていたA氏は

光機関参謀の香川中佐(後に大佐)から

「5・6名の優秀な青年を

機関に推薦せよ」と要請を受けて

A氏は○○大学の後輩を考えていたからだ





A氏の昭和18年8月5日の日誌によれば

現地の部隊に配属が終わっている者を

光機関に引き抜くことは難しいが

まだ国内の教育部隊に居る段階であれば

調整が出来ると窺える記述がある





また日誌には

8月の段階で引き抜きが出来ずに

上手く行かなかった者の名前と

これから引き抜こうとする

国内の教育部隊に居る者の

名前が列挙されていた

逆に言うと、これ以前の段階で

既に何名か引き抜きが

出来ていることが窺える





これらのことから

大叔父は京都の教育隊に居る段階で

引き抜きにあった可能性が高いと判断する

この場合、事後の配属先に

60連隊が決定していたが

現地部隊に到着前だったため

引き抜きが間に合ったのではないか

そう考えると私が不自然と感じた

強引な人事の説明が付くのであった




続く…




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