2012年02月11日

まったり?土曜練。5

36615c79.jpg5b023036.jpg「まったり土曜練」に参加下さったのは、BOMAのホイールと赤のバーテープですっかり装いの変わったLOOK−KGBのboseさんと「世界に1台のマイバイク」が可能なAnchorのカーボンバイクのINOUさんで、東海道53次前日の東京ポタ以来…「8時半で30分集合が遅いといいね」との声に「朝ドラのカーネーション見てるから」という自分の返事に、皆さん納得。

99a28141.jpg9d3d05b1.jpg走り始めて信号待ちのある間は何とかなるが、信号が途絶えると上ハンドルでアップライトのポジションでまったり走ってくれる2人に、前傾姿勢で懸命に漕いでも追いつけず、晴れ渡った船越湾から先はまったり一人旅…待ち合わせの伊牟田〜九大伊都キャンパスを経由して、今夜の焼肉屋を確認して帰宅。

03f0131b.jpg6cc725da.jpg今朝は202号線バイパスで深江まで走り糸島半島時計半周り、boseさん・INOUさんお付き合いありがとうございました…本日の鼻歌:北風小僧の寒太郎(童謡)

本日の走行距離:75km





ayabeda at 12:27|PermalinkComments(0)TrackBack(0)この記事をクリップ!自転車日記 | 自転車仲間

2012年02月10日

コブ島5

06f24671.jpgb292f006.jpg糸島北海岸の志摩町の幣の浜(にぎのはま)は玄海国定公園に指定されていて、野北から芥屋の大門まで広がる長さ約6kmの弓状の海岸である・・・緑の松林と白い砂浜のコントラストがとても美しく、2001年5月には「NHK大河ドラマの北条時宗」の元寇ロケも行われた。

2c46da7a.jpg837190a5.jpgこの浜から1.5km北に岩でできたコブ島という名前の小さな無人島があるが、野北港から釣りのために瀬渡しもしてくれるようだ・・・地元の人は「軍艦島」とも言うらしく、「戦争中に潜水艦と間違って米軍が爆撃した」という話もあるらしい。

667b5d0d.jpg7bfd7bf7.jpg今朝はMASIのCCが電池切れなので、火曜と全く同じコースで伊都路〜糸島半島時計回り・・・・本日の鼻歌:Yellow Sabmarine(Beatles)

本日の走行距離:73km


ayabeda at 12:37|PermalinkComments(0)TrackBack(0)この記事をクリップ!自転車日記 | 思い出、特別な場所

2012年02月09日

奥元帥生誕地5

6c5ee490.jpg76a82108.jpg小倉北区の勝山公園内の小倉城址の歩兵第十四連隊の跡の隣に、奥保鞏元帥の生誕地の碑が建っているはずなんだが、見当たらなかった・・・佐幕派である小笠原家に従って長州征伐で初陣し、維新後は陸軍に入り佐賀の乱・台湾出兵・神風連の乱に従軍し、明治10年の西南戦争では熊本籠城戦に参加し、薩摩軍の包囲を突破して政府軍と連絡をとるという活躍で勇名を馳せ、その後は連隊長・旅団長・東宮武官長などを歴任し、明治27年には第5師団長として日清戦争に出征した。

eb2ff156.jpg4015de6a.jpg明治37年に日露戦争が勃発すると薩長出身者が軍中枢の要職を占める中に在って、「奥だけは外せない」と佐幕藩出身でありながらもその指揮能力を買われ、第2軍司令官に抜擢され初戦の南山攻略に於いて苦戦の中で攻撃続行を決断するなど、当時の軍司令官の中で参謀の補佐なく作戦遂行できるのは奥だけと言われるほどであった・・・戦後に急逝した児玉源太郎の後任として陸軍参謀総長を務め、明治44年には薩長出身者以外では初めての元帥となっている。

5a49b83c.jpg6438f1e2.jpg佐賀の乱では銃弾が胸と腕を貫通したにもかかわらず、そのまま部隊を指揮し、西南戦争中の熊本城攻防戦では突囲隊を率いて西郷軍の包囲を突破する時に銃弾が頬を貫通したのに、左手で傷口を押さえ右手で軍刀を振るって指揮を執り続けたという猛将で、その当時に奥の活躍を描いた錦絵は飛ぶように売れたという・・・奥は他人が自分の身の回りのことを世話する「殿様扱い」を非常に嫌がっており、例えば従卒らが奥の長靴を脱がせようとしたときも「それはいけない」と言って自分で脱ぐように、自分のことは自分で行い、部下と苦楽を共にすることを心がけていたらしく、夜分に自宅を訪れた部下を捕まえては「サア、一杯飲んでいけ」と言って放さず、夜が更けて部下が「もう3時です」「もう4時です」と言っても「ナァニ、まだ早い早い」と杯を傾け続け、そのまま朝まで飲み明かすこともあったらしい。

6e9229d7.jpge4866b45.jpg今朝は戸畑の実家から、小倉城までポタリング・・・本日の鼻歌:瞳の奥をのぞかせて(ポルノグラフィティ)…本日の走行距離:11km


ayabeda at 09:48|PermalinkComments(2)TrackBack(0)この記事をクリップ!自転車日記 | 逆説の日本史

2012年02月08日

楽水園5

fec96338.jpgde4e57d6.jpg福岡市博多区の住吉神社の裏の楽水園は、福博の発展に貢献した博多商人の下澤善右衛門親正が、明治39(1906)年に造った住吉の別荘が、その雅号の「楽水」をとって名づけられ、現在一般公開されている… こちらは江戸時代の代表的な庭園様式「池泉回遊式」の日本庭園で、その四季折々の和の景観は見事なもので、自然石の合間から流れ落ちる滝は力強く、それを受ける池の色鮮やかな鯉たちが華を添える。

9ec13aee.jpg44f6e88e.jpg園内の草花は種類が豊富で配置も趣深く、並々ならぬ演出へのこだわりが感じられる…楽水園では、この美しい景色を楽しめるだけでなく、茶室も多数用意されていて、中でも親正の茶室を再現した4畳半の「楽水庵」は格別で、古人の気持ちを想像しながら庭園を眺めることができる。

12a92d21.jpg7b77c2a3.jpg今朝は近所を走った後、JRで戸畑の実家へ・・・本日の鼻歌:楽園(平井堅)

本日の走行距離:27km


ayabeda at 12:11|PermalinkComments(0)TrackBack(0)この記事をクリップ!自転車日記 | 綺麗な景色

2012年02月07日

米軍機墜落慰霊碑5

3eeccd0a.jpgdb9efce1.jpg芥屋の旅館街から芥屋の大門に向かう道すがら左側に4基の石碑があり、その一番左のものは十字架をしている・・・昭和29年正月3日のうららかに晴れた朝9時5分に、雁ノ巣基地を飛び立った米軍双発大型輸送機が機関に故障を起こし、久保地古墳の塚に激突炎上した墜落事故で死亡した4名の米兵を祀る碑らしい。

f0e13a8f.jpg2f1788b7.jpgこの日は村総出で消火活動をしたらしく、事故現場に行った人の話では半開きになったパラシュートをつけた搭乗員の死体が大破した飛行機の中に見えたという・・・痛ましい姿を見て戦争未亡人達はひときわ哀れみの気持ちが沸いたのか、この碑は地区の太平洋戦争の未亡人会が立てたとのことらしい。

cfd6590c.jpg2cc1f2d9.jpg今朝はBS-1で2011ツールの総集編を見て路面の乾きを待った後、強風の中を伊都路〜糸島半島時計回り・・・本日の鼻歌:悲しみのジェットプレイン(ジョン・デンバー)

本日の走行距離:73km


ayabeda at 15:50|PermalinkComments(0)TrackBack(0)この記事をクリップ!自転車日記 | 思い出、特別な場所

2012年02月06日

正しい街:椎名林檎5

5d2c79c7.jpgdb34804d.jpg♪あの日飛び出した此の街と君が正しかったのにね 不愉快な笑みを向け長い沈黙の後 態度を更に悪くしたら 冷たいアスファルトに額を搾らせて 期待はずれのあたしを攻めた 君が周りを無くした あたしはそれを無視した♪
(埼玉生まれで小6で静岡から転勤して来て、中学は百道中学校)

18266f0c.jpg55f46ae6.jpg♪さよならを告げたあの日の唇が一年後 どういう気持ちでいまあたしに キスをしてくれていたのかな 短い嘘を繋げ赤いものに替えて 疎外されていく本音を伏せた 足らない言葉よりも近い距離を好み 理解出来ていた様に思うが♪
(高校は筑前高校・・・ピザ屋や警備員等のバイトをしながらも、デモテープを作る日々を送る)

1f58e50f.jpg2c9e6783.jpg♪君に涙を教えた あたしはそれも無視した 可愛い人なら捨てるほど居るなんていうくせに どうして未だに君の横には誰一人居ないのかな なんて大それたことを夢見てしまったんだろう あんな傲慢な類の愛を押し付けたり 都会では冬の匂いも正しくない 百道浜も君も室見川も無い♪
(西新の音楽教室でギターの講師に「りんご」か「林檎」を相談した結果、芸名が「椎名林檎」で決定したという。初ライブをした会場は福岡市西新の「西新JAJA」というところだったという)

1cac19e9.jpgd03605e4.jpg♪もう我が侭など言えないことは分かっているから 明日の空港に最後でも来てなんてとてもいえない 忠告は全て、いま罰として現実になった あの日飛び出した此の街と君が正しかったのにね ♪
(室見川を下って単身赴任先に向かう度に「ここが一番なのに・・・」といつも思う・・・)

a0be8160.jpg91d2d5fe.jpg今朝は義父の検査入院に付き添う前に、飯氏〜室見川〜百道浜をポタリング・・・本日の鼻歌:正しい街(椎名林檎)

本日の走行距離:34km


ayabeda at 09:36|PermalinkComments(6)TrackBack(0)この記事をクリップ!自転車日記 | 好きな音楽

2012年02月05日

黒木為呂諒5

75d984e1.jpgc8dbcf40.jpg府中市の多磨霊園の8-1-2-15に、日露戦争では第1軍司令官となりロシア軍に畏れられた黒木為蓮覆燭瓩箸癲砲諒茲ある・・・薩摩藩士・帖佐為右衛門の三男として加治屋町猫之薬師小路に生まれ、後に黒木万左衛門為善の養子となり黒木姓を名乗り、戊辰戦争に4番隊半隊長として従軍すると、鳥羽伏見の戦いでは薩摩藩の小銃隊を指揮して幕府歩兵を集中射撃により敗走させ、宇都宮城攻防戦では城壁に突進して取り付くなど奮戦し、勝利の契機をつくった。

006930fa.jpg05718e8c.jpg明治4(1871)年4月に上京し陸軍大尉を任官し、近衛歩兵第1・第2大隊長を経て西南戦争に出征、明治18(1885)年)5月には陸軍少将に進級し歩兵第5旅団長に就任し、次いで近衛歩兵第2旅団長を務め、明治26(1893)年11月には陸軍中将に進み第6師団長に就任し、日清戦争に出征し威海衛の攻撃に参加すると、その軍功により男爵を叙爵し華族となり、明治36(1903)年11月には陸軍大将に進んだ・・・明治37(1904)年3月には日露戦争開戦に伴い出征し、鴨緑江から奉天会戦まで連戦しロシア軍からは「クロキンスキー」と恐れられた。

f92c1162.jpg16b72bee.jpg薩摩武士らしい豪傑肌の性格で、論理よりも経験を重んじる猪突猛進型の軍人で、それを証明するかの様に、面白半分に相撲の相手を挑んできた明治天皇を容赦なく投げ飛ばし叩き付けたという逸話が残っている・・・野戦指揮官としての長年の経験と勘を生かした優れた采配を見せ、日露開戦直後の日本軍の快進撃は黒木の手腕によるところが大きいが、その猪突猛進型の性格が災いし、総司令部の意思に反した突出を見せることがあり、奉天会戦時には余りの突出ぶりに、満州軍総司令部より再三「進撃中止」の命令を出されている。

a5774bf9.jpgea125fe3.jpg日露戦後は他の軍司令官の大半が元帥位に登りつめたが、黒木だけは大将で軍歴を終えているものの、軍歴や功績を考慮すれば元帥に任命されてもおかしくはないのだが、黒木本人がお飾りだけの名誉職としての元帥位を嫌い、最後まで現場の指揮官としての地位を好んだということもある・・・一方その剛直で荒々しい性格が軍中央で好まれなかったというのが理由であるともされているらしい。

58d1166a.jpgcdf444b5.jpg今朝は多磨霊園まで往復した後、昼の便で椎名林檎の歌う「正しい街」へ半年振りの帰福予定・・・本日の鼻歌:あんたが大将(海援隊)

本日の走行距離:45km


ayabeda at 09:24|PermalinkComments(0)TrackBack(0)この記事をクリップ!自転車日記 | 逆説の日本史

2012年02月04日

朝日山・生酒5

f2646879.jpge283865c.jpg今日の帰りの新幹線のお供は、長岡の朝日酒造の「朝日山・生」で、お手頃な値段ながら下卑たところがなく、すっきりかつまろやか・・・ほんのりとした甘味にねぎみそ煎餅がこれまたばっちり。

73cb73e4.jpg9fb978a8.jpg暮れなずむ雪景色をバックに、雪見酒と決め込むが、明日の福岡のお土産は久保田の生酒の一升瓶にした・・・万寿だとこの2.5倍はして予算オーバーなんで、ご勘弁の程を・・・m(_ _)m。


ayabeda at 19:38|PermalinkComments(2)TrackBack(0)この記事をクリップ!自転車日記 | 新潟の酒

里中智(古町マンガストリート)5

f41fb711.jpgbb26a199.jpg「小さな巨人= 里中智 (さとなかさとる=水島が尊敬する少女漫画家の里中満智子に由来)」は、右投右打のアンダースロー投手、誕生日は2月17日でさわやかな容姿と端正な顔立ちの美形キャラであるため女性ファンが多くついたことで知られる・・・普段の言動はさわやかで知的なものが多いものの、反面プライドを傷つけられると逆上しやすく、岩鬼正美に勝るとも劣らない激情家であり、妻は山田太郎の実妹のサチ子で、水島は「里中の投球フォームのモデルは足立光宏だ」と語っているが、2年春のあたりからは明らかに山田久志(2人とも故西本監督の阪急の黄金期に活躍し、V9巨人に玉砕した)がモデルとなっているのだという。

cf0bb3cf.jpg38f2932c.jpg小柄な男が巨人といわれる迄になるには相当の努力をした筈で、これでいいということのない努力家で、東郷学園中等部では補欠投手で、オーバースローのストレートでは通用しないと言われ、意地もプライドも捨てアンダースローの変化球投手に転向し、後に七色の変化球を操るようになる…中学時代に対戦した山田太郎のリードとキャッチャーセンスに惚れ込み、山田と同じ明訓高校に進学すると、1年からエースとして山田らと共に甲子園で活躍し、甲子園通算20勝(21勝説も)をあげた。

a3ccec6b.jpg73cdbaea.jpg3年の夏の甲子園終了後ドラフト3位指名され、千葉ロッテマリーンズに入団するもしばらく二軍暮らしとなるが、「スカイフォーク」を引っさげて一軍デビューすると、ストッパーとして活躍し、3年目から先発に転向する…1996年にはオールスターで9連続奪三振を記録し、1997年の開幕戦でノーヒットノーランを達成、2002年の開幕戦では袖ヶ浦大五郎の絶妙なリードで完全試合を達成するなど、2007年開幕戦の2度目の完全試合で通算150勝を達成した。

016a6f71.jpgd8564fd5.jpg今朝は積雪続きの新潟での仕事前に、氷の流れる信濃川を渡って古町を散歩するが、車窓の長岡でも雪下ろしができてていない屋根の雪の量が半端でない…本日の鼻歌:Mr.アンダースロー(明石家さんま)

本日の走行距離:5km


ayabeda at 08:53|PermalinkComments(0)TrackBack(0)この記事をクリップ!自転車日記 | 思い出、特別な場所

2012年02月03日

日本新聞社跡5

4d7423e8.jpg8b700cfe.jpg千代田区神田小川町1丁目の地下鉄丸の内線淡路町駅・千代田線新御茶ノ水駅・小川町駅A6出口の小川町一丁目町名由来板(鷹匠町と言われていたが、生類憐れみの例で鷹狩が禁止になったため、太田道灌の和歌に因んで小川町と変えられた)に、この町内に日本新聞社あったことが記載されている・・・正岡子規の勤めた日本新聞社は、陸羯南(くがかつなん)が主筆兼社長となって発行した。

1bcfd390.jpgff6d76d2.jpg当時の新聞とはいうものの社会面がなく、論説を主とする硬派の内容だった・・・子規はその日刊新聞「日本」に写生をモットーとした「俳話」を連載し、脊椎カリエスを病みながら36歳で亡くなるまで自らの作品を作り続けた。

804e4ee2.jpg132dfd28.jpg今朝は自転車通勤前に神田まで往復したが、昨夜進路上の赤いコーンに激突して落車し下顎に裂傷を負ったので、風邪でもないのにまたまたマスクをして出勤(1ヶ月の間に顔を2度も怪我するとはどうかしている)・・・本日の鼻歌:ほととぎす(石川さゆり)

本日の走行距離:35km


ayabeda at 07:36|PermalinkComments(6)TrackBack(0)この記事をクリップ!自転車日記 | 逆説の日本史