89915619.jpg西区の飯盛神社の少し北側の吉武の白い塀の上に、福岡藩の西新生まれの幕末の蘭学者の瀧田悠吉(たきたゆうきち、号は紫城=しじょう)の折中義塾跡の立て札があり、隣の民家には子孫の方が営まれているのだろうか、書道教室の張り紙がある・・・頭山満(戦前のアジア主義の大立者)、金子賢太郎(明治憲法の制作、日露戦争の講和のアメリカでの下交渉で活躍)、栗野慎一郎(明治の外交で条約改正などに活躍)らを育てた。

46f762ae.jpg折中塾は西新にあった時期もあったようで、栗野慎一郎が長崎でのイギリス軍艦イカルス号の乗員殺害の濡れ衣を着せられ、京都の六角獄(生野の変で捕まった幕末の福岡藩の勤皇の志士の平野国臣が獄死した所)に入れられた後、開放されて帰国後に通ったようだが、面白い話が伝わる・・・瀧田先生の娘のおトキさんは活発な美人で、男前で凛々しい栗野に惚れて塾を覗きに来たらしい。

9334af92.jpg男ばかりの塾におトキさんがあまりに来るものだから、元気者の頭山満が縁側から蹴落とし、頭山は瀧田先生に叱られると「お嬢さんが男ばかりの塾に来られるから、滝田家のために嗜めました」と言った所、今度は先生からおトキさんが叱られて襖につかまってガタガタゆすりながら悔し泣きに泣いたという話が伝っている・・・瀧田先生はそういった点でも、フランクでユーモアもあり塾生達に慕われていたのだろうと思われる。

3b65d262.jpg飯盛神社の文殊堂の南側に、瀧田紫城や奥様や一家の墓といっしょに彼の顕彰碑(碑文は黒田長知公)が有志によって建てられ、ひっそりとたたずんでいる。

今朝は、金武〜飯盛〜愛宕山を走った後、仕事で九大伊都キャンパスへ・・・本日の鼻歌:テネシー・ワルツ(パティ・ペイジ)

本日の走行距離:70km