ab7be190.jpgd5d36d80.jpg岡山市の北の御津町の吉尾地区には、何とあの天和の大火で有名な八百屋お七のお墓がある・・・江戸本郷の八百屋の娘お七は、天和2(1682)年に火事でお寺に避難した時に、寺小姓の生田庄之助と恋に落ち、家に戻ったお七の庄之助への思いは募りに募るものの、今と違って携帯で連絡を取って待ち合わせをするといったこともできず、そこへお寺近くに住む吉三郎が「火事になればまたお寺で庄之助に会える」と入れ知恵したばかりに、お七は自分の家に火を付けてしまう。

3ca472e9.jpgd26dd402.jpg火はすぐに消され事なきを得たのだが、火事に悩まされた江戸の町で放火は大罪であり、お七は捕えられた・・・当事は数えで16歳になったばかりだったため町奉行の甲斐庄正親は哀れみ「15歳以下の者は罪一等を減じられて死刑にはならない」という規定が存在したため何とか命を助けようとして、評定の場において「お七、お前の歳は十五であろう」と謎を掛けた。

fc89a8e9.jpg7bfe5908.jpgしかしながら、それに対し彼女は正直に16歳であると答えたので、甲斐庄は彼女が自分の意図を理解出来てないのではと考え「いや、十五にちがいなかろう」と重ねて問いただした・・・ところが彼女は再度正直に年齢を述べ、かつ証拠としてお宮参りの記録を提出することまでしたので、これではもはや甲斐庄は定法通りの判決を下さざるを得ず、鈴ケ森で火あぶりの刑になったという。
 
ad4d4def.jpg井原西鶴がこの事件を「好色五人女」の巻四に取り上げて以降有名となり、紀海音の「八百屋お七」、菅専助らの「伊達娘恋緋鹿子」、為永太郎兵衛らの「潤色江戸紫」、鶴屋南北の「敵討櫓太鼓」など浄瑠璃・歌舞伎の題材として採用された・・・芝居では寺小姓と再会するため、火の見櫓の太鼓を叩こうとする姿が劇的に演じられる場面が著名である。

a0c572fe.jpgd68e9744.jpgその後、お七に要らぬアドバイスをしたことに悔悟の念にかられた吉三郎は、お七の供養の旅に出て、この地の野々口の小山村で亡くなったという・・・憐れに思った村人がここにお七と吉三郎のお墓を立てたということで、写真の左の三角形のものがお七、右の長方形のものが吉三郎のお墓らしいが、二つ並んだ墓を見ると、庄之助に現を抜かすお七を横目に吉三郎は片思いをしていたのだろうかとか、浄土で吉三郎はお七と添い遂げたろうかとか、考えてしまう。
 
fd5ed714.jpg9daee2d5.jpg今朝は土日が雨模様+撮影のため、お気に入りの御津〜宇甘渓(赤橋)〜足守(緒方洪庵先生扶氏医戒之略)のコースを走って、ゆっくり出勤・・・本日の鼻歌:ヤマトナデシコ七変化(小泉今日子)

本日の走行距離:89km