8d06eaba.jpg48edf368.jpg落下死事件(無理してアトラクションに乗らずに、小石川後楽園でも散歩してたらよかったのに)で問題になっている東京ドームシティの東側の白山(はくさん)通りの反対側にある小さな公園の敷地内に、出世稲荷神社と呼ばれる小さい社がある…ここはかつて春日局の宅地だった場所で、その後の春日局の出世を崇め奉って、京都の稲荷山から杉材を運んで「出世稲荷」なる神社を建てたんだそうだ。

6b6a2d51.jpg042a7b84.jpg将軍家の乳母に登用された経緯には、京都所司代板倉勝重が一般公募した話などが伝えられ、また秀忠の正室・江の侍女である民部卿局の仲介で乳母となったともされる・・・一方で家康の手が付いていたという見方もあり、乳母に過ぎない身分の者が将軍世継ぎ問題で家康に直訴したとしても、通常家康が会うとは考えにくいとして、お福がかつて愛妾の一人であったとする説もあるが、定かではないようだ。

414dfede.jpgcaf9b472.jpg春日局の縁故により出世した人達には、まず春日局が参内できるよう画策した三条西実条がおり、後に朝廷から武家伝奏に任じられ、最終的には右大臣になり、子孫の玄長は幕府に高家肝煎として迎えられ、その際には縁のあった武家名字「前田」を名乗ったという…春日局が強く望んで大奥入りさせられたお万の方は、三条西家の同僚の和歌の家である六条家の娘で、後に彼女の弟も幕府から高家として迎えられ、その際こちらも縁のあった武家名字「戸田」を名乗ったそうだ。

1fe34eb0.jpg1d38db52.jpg春日局は形の上で離縁した稲葉家の再興にも尽力し、浪人していた元夫の稲葉正成は松平忠昌の家老として召し出され、後に大名に取り立てられた・・・家光の小姓から老中に出世した者は多いが、その中には春日局の縁者も多く、特に実子である稲葉正勝(下総国柿岡藩主・下野国真岡藩2代藩主・相模国小田原藩初代藩主で老中を務めた)と義理の孫に当たる堀田正盛(異例にも譜代に取り立てられ老中までも勤めた)が著名である。

46d6d066.jpg67d5a35b.jpg今朝は自転車通勤前に、東京ドームまで往復…本日の鼻歌:出世街道(畠山みどり)

本日の走行距離:32km