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2006年03月

2006年03月30日

さくら

世のなかに 絶えて桜のなかりせば

   春のこころは のどけからまし

 

この在原業平の歌が好きと申しますより、桜が好きなので、この歌が好きということになりましょうか。

 

今の時季、雨につけ、風につけ、思いは桜に。そしてこの歌を口にのぼせたりいたします。

 

急に誘われて、今日は大法師公園の桜を見にまいりました。咲いてはおりましたけれど、あと4〜5日後くらいが見ごろでしょうか。

 

明日からが桜まつりとか。

 

春風の 花をちらすと見る夢は

   覚めても胸の さわぐなりけり

 

西行もこう歌っています。

 

ここしばらくは、桜に胸のさわぐ思いを味わうことになりましょうか。

 

 

 



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2006年03月27日

二種類の黄梅

二人のではなくて、二種類の黄梅があるって、ご存知でした。

黄梅は存じませんでした

異なった二軒のお花屋さんで黄梅の名札が付けられていたのですって。

黄梅をお気にかけていただけたことに感謝です。

綺麗なお写真と何ともいえない温かさの感じられるHPです。

http://www3.nns.ne.jp/pri/inayama/image/06-1-6flower.html

いろいろお調べくださって

「咲く時期も違うし?  『黄梅もどき』かもしれません。?」

と仰っていらっしゃいますが・・・。



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2006年03月25日

安曇野

山葵の白い花、透き通る水が春の陽射しに輝く大王わさび園。

 

久しぶりの安曇野です。

 

甲斐市3館の図書館司書の方々と、図書館

ボランティア研修です。

 

録山美術館、安曇野ちひろ美術館をゆったりとまわりました。

 

ちひろ美術館で、ピエゾグラフという言葉に出会いました。

 

印刷物はあっても、原画のない絵を復元したものだそうです。

 

水彩画のもつ柔らかな色調や筆づかいが見事に表現されていました。



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2006年03月23日

神々と出会う

昨日の続きです。

馬車道の方へまいりまして、ふと思いたち、県立博物館に立ち寄りました。随分久しぶりです。

 

各フロアーにボランティアさんがいらして、大変熱心に解説してくださいました。これは非常に有難く思いました。

 

さて、常設展から企画展の方へまいりまして、大変嬉しいことがありました。

 

「神々と出会うー神奈川の神道美術―」という展示でしたが、ここに「六十二間筋兜」が展示されていたのです。

 

武田信玄が寒川神社に奉納したものです。

 

昨年秋、この兜を拝見したくて寒川神社をお訪ねいたしましたのですが、果たせなかったものです。

 

レプリカが作られていると伺っておりましたので、そのレプリカをと存じましたのですが、それも果たせませんでした。

それほど大切にされているのです。

 

その兜がひょっこり目の前に現れたのですから、それはそれは感動いたしました。

 

まさに「神々と出逢った」心地でした。

 

 



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2006年03月22日

成島柳北

ネットで、横浜開港資料館の企画展に成島柳北の名を見つけ、眠れぬままに朝を待ち、出かけました。

 

「創業の時代を生きた人びとー黒船来航から明治憲法までー」

という企画展示です。

 

雑誌「花月新誌」や「朝野新聞」の刊行で知られる成島柳北は、幕末の一時期、横浜で洋式軍事訓練の日々を送っていたのです。

 

私は昨年まで成島柳北の名を知りませんでした。

 

私にその名を教えてくださったのは、K先生でした。墨堤の桜を今の姿にした方として。

 

それから、少しずつ調べました。

 

本を読めば読むほど、その桁外れな大きさに驚き、感動を覚えました。

 

さて、この資料館の場所は日米和親条約締結の地であり、中庭の玉楠の大木は二代目ですが、日米和親条約締結の際、応接所の目印になった有名な木だということです。

 

この中庭をはさんで向かい側にある建物は英国領事館だった建物で、その雰囲気を今に伝えております。

 

展示室としては使われておりませんが、一部が休憩室として使われておりまして、自由に入ることができます。

 

なお、この企画展は4月23日までやっております。

 

海や大桟橋を眺めながらの散策も楽しめます。

 

私はこの後、久しぶりに馬車道に足を向けました。



ayako0215 at 01:44|PermalinkComments(0)TrackBack(0) きまぐれ歴史散歩 

2006年03月20日

「えんぴつで奥の細道」大迫閑歩 書・伊藤洋 監修

地図を見ているうち、すでに“前途三千里のおもひ胸に”状態の黄梅であります。

 

今話題の本「えんぴつで奥の細道」を読み始めました。

 

「ひと文字ひと文字、少しずつ、芭蕉のことばを書き写してみましょう。芭蕉が目にし、耳にしたもの、そして出会いの数々。名句と共に、独特の時空間が蘇ってきます」と最初にありますように「奥の細道」を味わいつつ書家の文字をなぞるテキストブックなのです。

 

テキストは二回繰り返してなぞれるようになっておりますが、濃く印刷されたほうの文字をなぞるのは、少しためらわれます。

 

薄く印刷された方をなぞることにしました。

 

そういえば、“えんぴつ”って、しばらく手にしておりません。やはりここは、シャープペンではなく、鉛筆でいきましょう。

 

出来れば、妙な音と共に削るのではなく、肥後守でといきたいところですが・・・。

 

さて、昨日、芭蕉が神様として祀られているところを、お参りいたしました。松尾芭蕉命です。

 

ところは深川富岡八幡宮の境内。ご本堂の右手、社務所への渡り廊下をくぐりますと、「横綱力士碑」がございます。「さすが横綱!」と声をかけたくなるような堂々たる碑です。正面から見た碑の大きさは、四畳半の部屋の広さ以上に感じました。

 

江戸勧進相撲発祥の地ということで建立されたということです。

 

そこを右にまいりますと稲荷社があります。松尾芭蕉命を祀る花本社はこのあたりにあるという案内なのですが、見当たりません。よく見ると隣の建物と稲荷社の間の赤い垣に「花本社」の札が。

 

奥を覗いてもそれらしきお社はなく、隣の建物はいろいろな神様がお長屋風に、いや(長屋に「お」をつけてもねえ)連棟式とでもしましょうか、お祀りされております。

 

車折社、野見宿禰社、住吉社、聖徳太子社、天満天神社、祖霊社です。摂社の団地と思えばよろしいでしょうか。

 

見つからないままに、花本社という札の辺りと、お稲荷様、摂社の団地を拝んでまいりました。

 

帰宅いたしまして調べましたら、祖霊社に合祀されているということです。かつては花本社がございましたのでしょう。

 

昨年でしたか、江東区芭蕉記念館を訪ねたことなど思い出しつつ、さあ「えんぴつで奥の細道」の旅立ちです。

 

ところで、江東区芭蕉記念館分館の芭蕉像が午後5時になると隅田川に向って回転するって、ご存知ですか。

 

黄梅、時間がなく、まわれませんでした。

 

 

 

 

 

 

 

 



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2006年03月18日

きまぐれ歴史散歩「『竜馬室』刻む女の心意気−2」(2002年2月)

甲府舞鶴城の近くに海洲温泉を作った小田切謙明の登場です。

「浅尾人力、金丸馬車で、小田切草鞋で苦労する」と、明治二十五年の第二回総選挙のとき言われた小田切謙明は、藤村紫朗の県政を批判し、自由民権運動に身を投じた人です。

選挙に敗れた謙明は中風に倒れます。

そして、板垣退助に、東京の千住に坂本竜馬と縁故のあった女性が灸治療を行っており、ぜひ治療を受けるようにと薦められます。

そこで謙明は妻豊次に付き添われて千住に赴くのです。

そう、この灸師こそ、千葉佐那だったのです。

佐那は竜馬と結婚することはできませんでしたが、坂本家の桔梗紋の付いた着物の袖を形見として持ち続け、生涯結婚することなく過ごしたのです。

両親、兄弟の全てを失い一人になった佐那は、学習院女子部の舎監などをしたのち、千葉家に伝わる灸を生業としていたのでした。

こうして、謙明・豊次夫妻と佐那は親交を重ねてゆきますが、治療の甲斐もなく、明治二十六年、謙明は亡くなります。

そして、その三年後、佐那が亡くなります。佐那は知人等によって東京府営谷中墓地に葬られますが、縁者のない佐那が無縁仏になるのを心配した豊次は、分骨し、甲府清運寺にある小田切家の墓所に埋葬、墓石を建立いたします。

「千葉さな子墓」と刻まれました墓石の側面には、さらに、「坂本竜馬室」と。

 お参りさせていただきながら、この墓碑銘には、胸にくるものがありました。豊次の、佐那への心遣いと申しましょうか、女の心意気が伝わってまいります。

 

豊次さんとは、どんなお方だったのでしょう。いつか、豊次さんの人生をたどって、歩んでみたいものです。

 



ayako0215 at 02:29|PermalinkComments(0)TrackBack(0) きまぐれ歴史散歩 

きまぐれ歴史散歩「『竜馬室』刻む女の心意気-1」(2002年2月)

今回のきまぐれ歴史散歩は、京都「鍵善」から歩き始めましょう。

 

「つぅ〜き〜は、お〜ぼ〜ろにぃ〜」と東山で、すっかりご機嫌の黄梅であります。

 

いえいえけっして呑んでいるわけではございません。“くずきり”でございます。

 

「鍵善」は、祇園さんと親しまれております八坂神社のご門前にございますが、こちらは高台寺店です。

 

吉野葛で作られました“くずきり”。黒蜜を付けて・・・うーん、美味しゅうございます。

 

お重の蓋には「鍵善」の名に因んで、鍵の文様が。そう、ねずみ小僧が格好よく開けたお蔵の鍵です。

 

“くずきり”をいただきまして、まずは「鍵善」に近い高台寺を訪ねました。ここは豊臣秀吉の正室、北政所ねねが、秀吉の菩提を弔うために建てられたお寺です。

 

高台寺蒔絵で有名な霊屋にお参りし、龍が臥している姿に似ているところから臥龍廊と言われている瓦葺の屋根つきの廊下などを見てまわりました。そう、臥龍廊は通ることは出来ません。

 

さらに坂道を上り、傘亭と時雨亭という二つのお茶室に向かいます。

 

傘亭の名はその天井を見上げれば一目で納得です。竹が傘を開いたように放射線状に組まれています。

 

時雨亭は入母屋造りの二階建てですが、こちらは中を見ることは出来ません。

 

この二つの茶室は、吹き抜けの渡り廊下でつながっています。

 

千利休の意匠によるもので、伏見城にあったものと、伝えられています。共に、重要文化財です。

 

高台寺は以前参りましたときと変わっていませんが、付近は変わりましたねぇ。

 

“ねねの小路”と名付けられた所では、ほとんどの京土産が揃えられるのではと思うほどの賑わいです。

 

この高台寺から清水寺の方角へたどり、二年坂を登らずに東へ上る坂があります。そこには「維新の道」と刻まれました大きな石碑が。

 

途中、黒ずんだご門内に数本の番傘が開いてある邸があります。干しているのでしょうが、絵になる置き方なのです。

 

これは、演出かしらと首を傾げてしまったほどです。翠紅館といって、勤皇の志士達が密会に使った処だとか。

 

坂道を上りまして、右手が霊山歴史館、左手が京都霊山護国神社です。幕末に国事にたおれた諸藩士をまつる神社です。

 

後の山が墓所になっておりまして、志士達1043名を祀っています。入場料300円、それに、お線香を求め階段を上ります。

 

中腹の見晴らしのよい所に坂本竜馬と中岡慎太郎の墓所がありました。墓石の隣には、二人の銅像も。

 

お花や千羽鶴が供えられ、足元には竜馬への想いを記したプレートがずらりと並んでいます。今も多くの人々の心を捉えているのですね。

 

さて、昨年(2001年)、竜馬の妻、お竜の写真が見つかり、話題になりました。ご記憶の方もいらっしゃいましょう。

 

新聞に出ていた写真は、なかなかの美人でした。

 

そうそう、竜馬とお竜さんが鹿児島に行ったのが、日本初の新婚旅行なのだそうです。

 

竜馬は京都で伏見町奉行配下に襲撃され負傷し、その治療のためもあって、鹿児島へ行き、塩浸温泉、霧島山に遊んだのです。

 

そのとき、お竜さんを連れていった。これが日本の新婚旅行の始まりとか。そして、霧島山に登った二人のお弁当は、カステイラ。ここで私、いつもの言葉を呪文のごとくつぶやくのであります。「嘘八百は申しません。でも六百ぐらいは・・・」

 

 

実は、甲府に坂本竜馬の奥さんのお墓があります。いえいえ、お竜さんのではありません。許婚だと言っていた人のお墓です。

 

その人の名は千葉佐那(さな)

 

北辰一刀流 千葉周作の姪にあたります。周作の弟で、やはり道場主であった千葉定吉の娘です。

 

江戸へ出てきた竜馬は、定吉の道場に寄宿し、塾頭をつとめています。そんなことから佐那との恋が芽生えたのでしょうか。

 

佐那を、乗馬、剣術、長刀が出来、琴をよくひく人だと、竜馬は姉に手紙を書き送っています。

 

ここで、きまぐれ歴史散歩の足の向きが“きまぐれ”に変わるのであります。



ayako0215 at 02:17|PermalinkComments(0)TrackBack(0) きまぐれ歴史散歩 

2006年03月17日

おきらく亭

第三木曜日、午後1時20分、あと10分でおきらく亭の開店です。

 

最後の練習と打ち合わせを1時までに済ませ、お客様をお迎えする準備は整いましたのですが、まだ空席が目立ちます。

 

心配しながら受け付けに立っておりましたら、5分前になって、多勢のお客様がお出でくださいました。

 

椅子を補充し、定刻を少し過ぎてしまいましたが、今月も満席で開店です。

 

ほっ。

 

ねの会さんも、助っ人さんも、よく頑張ってくださいました。

 

殊に池波正太郎「梅安最合傘」は、3人の読み手が、最後まで、作品の世界にしっかりと入っているのが伝わってまいりました。シリーズでお聴きいただけるといいですね。

 

また、原田宗典「何のアレルギー」では最後の一言に、何ともいえない柔らかな笑いが起きました。

 

起きたというより、部屋の内に立ち込めたと言ったらいいでしょうか。

 

同じ作品を皆で一緒に味わうという、朗読の楽しさを再確認した思いでした。

 

大場みな子「モーツアルトの金星蝕」では非常に個性的な夫人の出現が面白く、藤沢周平「夜の雪」は、朗読者のこの作品に対する熱い思いが伝わってまいりました。

 

資料を見ましたら、おきらく亭も92回になったのですね。お客様のお力添えに、ただただ感謝です。

 

資料によりますと、藤沢周平の同じ学校の一級上に、無着成恭がいたのですって。存じませんでした。

 

あらあら、また日付が変ってしまいました。

 

桜の開花のニュースが報道されました。

 

今年もお花見が待たれます。

 

 

 



ayako0215 at 02:02|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 朗読 

2006年03月16日

夢舎(ゆめのや)

今夜は夢舎(ゆめのや)、玉穂図書館の朗読発表会でした。

 

今回は7タイトルの中に、詩が3篇。

 

プログラムの最初は、吉野浩「虹の足」でした。

 

後方の席で聴いていて、トップバッターの辛さを、胃が痛くなるほど感じました。

 

空気を耕すと言う感じでしょうか。お客様を、非日常の空間へご案内するということでしょうか。

 

Oさん、しっかり読まれ、そのお役を見事果たされました。

 

プログラムの中間に、高村光太郎の智恵子抄。

 

そして、最後が宮沢賢治「永訣の朝」でした。

 

これは朗読会で大変人気のある作品です。

 

そして、朗読者がいつかは朗読したいと願う作品かと。

 

Mさんはこれを、押えた表現で読まれました。それによって、

(あめゆじゅとてちてけんじゃ)という妹トシの言葉が活きたように思います。

 

私は秋明菊が好きです。

 

秋明菊は他の花に添えて活けましても、自己主張をせず、主になる花をひきたて、秋明菊のみを活けましても、立派に役目を果たします。さらに、1本だけでも、凛とした姿で、見事におさまります。

 

脇役も主役も、優しい風情も凛とした強さも併せ持つ花です。

 

「永訣の朝」を聴きながら、ふと、秋明菊を思いました。

 

今回の作品の順序は、会の皆さんが決めてくださったのですが、それが正解であったことを、感じました。

 

また、司会のHさんが、夫々の作品に素晴らしい額を付けてくださいました。

 

今日はゆっくりお休みください。

 

今夜お越しくださいましたお客様に感謝しつつ、黄梅も、「おやすみなさい」

 

 



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2006年03月15日

「明日の記憶」

なにげなくタイトルを見、うっ、何だろうこれはと。

「明日の記憶」

記憶とは過去のものではないのかと。

 

 

荻原浩著「明日の記憶」をようやく読み

えた。

 

“ようやく”と言っても長時間かかった

いうことではない。

 

重かったのだ。読んでいる間中、いや読

終えた今も、ずしりと重いものが胸に

居座っている。

 

この小説の主人公は広告代理店の営業部

長、50歳。

 

物忘れがひどくなり、「若年性アルツハ

マー」と診断される。

 

この作品の中で、アルツハイマーがこの

うに表現されているところがある。

 

「アルツハイマーの進行は年齢が逆行し

いくと考えると、わかりやすい。幼児

が感情を獲得し、言葉を覚え、知識と記

憶をたくわえ、計算能力を発達させ、し

だいにひとりでなんでもできるようにな

る。これとまったく逆の現象が起きてい

くのだそうだ」

 

たしかに、わかりやすい。

あまりにも、わかりやすい。

怖くなった。

 

最後は、・・・いやこれは言うまい。

 

渡辺謙主演で映画化されているとか。

 



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2006年03月14日

別れの季節

春は出会いと別れの季節と言われますが、出会いはいいですけれ

 

ど、別れはいやですね。

 

今夜はカルタの練習日。

 

ご主人の転勤で九州へお引越しするIさん母子の最後の練習日

 

となりました。

 

小学生の兄妹と、お母様。

 

よく頑張って下さいました。

 

お兄ちゃんは、4月からいよいよ中学生。お母様が「身長、お

 

兄ちゃんに越されました」と嬉しそうにおっしゃいました。

 

あちらはカルタの盛んな所です。

 

これからも、どうぞ頑張って、お続けください。



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2006年03月13日

お多福来い来い その後

「お多福こいこい」と上野鈴本演芸場へまいりましてから、1年ほど後、また、上野をうろつく黄梅の姿が。

 

上野のお山から谷中へと。

岡埜栄泉の前にまいりますと、足が自然に店内に。

「こちらの豆大福は、格別ですもの・・・」という私に、「皆さん、豆大福ばっかり、他のお菓子も美味しいんですよぉ」とご主人。

お向かいの「愛玉子(オーギョーチィ)」を横目に三崎坂へ。

 

三崎坂は「みさき」ではなく「さんさきざか」です。坂を下ってまいりますと、右側に全生庵がございます。お蕎麦屋さんではありません。お寺さんです。

山岡鉄舟が建立したお寺です。

 

ここの墓地に鉄舟に可愛がられたという噺家 三遊亭園朝のお墓が・・・と捜し、お参りをしておりますと、「おう、ここだここだ」と云いながら2人の男性が近づいて来ました。

園朝のお墓にいらした方と思い、私は墓前をはずしました。

 

「ないねえ」と云いながら何やら捜している様子。

その内、「園朝のお墓の所に、山岡鉄舟の碑があるということで来たんだけど、ないですよねえ」と私に。

 

3人で捜しました。と申しましても、さほど広くはございませんから、それらしき碑のないことはすぐに判ります。

 

「ないわねえ」等と言いつつ園朝の墓石を眺めておりまして、「あらっ」と思わず声が。

 

「この墓石に刻まれている文字、鉄舟じゃございませんか」という私に、「あ〜、墓石そのものだったんだねえ」とお二人。

「ありがとうよっ」と片手を挙げながら自転車で去って行くお二人を見送りながら、ちらと気になりましたことがありました。

 

墓石の文字が鉄舟ならば、園朝の方が先に亡くなったということ?

帰宅してすぐに調べてみました。園朝が亡くなったのは1900年。鉄舟はその12年前に亡くなっています。

生前に書き与えた旨、記されておりまして、ほっと、胸なでおろす黄梅でありました。

 

園朝のご命日8月11日には園朝忌が開かれ、園朝のコレクションの幽霊画が展示されるということです。絵は1ヶ月間観ることができますとか。

 

この園朝が落語「鰍沢」を作った噺家かと思いますと、親しみを覚えます。

三題噺からできましたのだそうです。三題噺と申しますのは、客席から三つのお題(言葉)をだしてもらい、それを織り込んで即席で作る噺です。お題は「小室山の護符」「玉子酒」そして「熊の膏薬」とか。

 

こうして調べております内、園朝が身延山詣でに来ていることも知りました。今年の8月11日、伺いたいですねえ。

 

さて、全生庵を後に、三崎坂をなおもうろつく黄梅です。

江戸千代紙の「いせ辰」。穴子寿司で人気の「乃池」。岡埜栄泉の豆大福ではありませんが、「乃池」は穴子以外の“にぎり”も大変に美味しゅうございます。

そうそう、「菊見せんべい」も忘れてはいけません。明治8年創業の老舗で、お煎餅も、その店構えも、共に懐かしさを感じさせてくれます。

 

菊見せんべいの先は、しのばず通りです。しのばず通りを渡れば団子坂。江戸川乱歩の「D坂の殺人事件」のD坂はこの団子坂です。

 

そういえば以前、この坂を上がった「鴎外記念本郷図書館(観潮楼跡)」で、この界隈を舞台にした推理小説の地図をいただいたことがありました。ここには森鴎外に関する資料が展示されております。鴎外ファンならずとも、きっと心に響くものを感じましょう。

 

この裏手から薮下の道に出、根津神社にまいりました。

甲府宰相・綱重の子である綱豊(後の六代将軍家宣)の屋敷跡です。えな塚も残されております。

 

こちらへは是非、つつじの季節に。それはそれは見事です。斜面に植えられておりますので、立体的に迫ってまいります。その時季には境内に茶店が出まして、甘酒など誠に結構です。

 

図書館からこちらにまいります途中、猫の家と呼ばれている夏目漱石の旧居跡にも立ち寄ったりいたしまして、いささか足を引きずっている黄梅です。まあよく歩きました。この心地よい疲れを直すには、しのばず通りを渡って、芋甚のアイスクリームが・・・。

この芋甚で買い求めました地域雑誌「谷中・根津・千駄木」によって、黄梅は谷根千をうろつくようになってしまったのです。

 

発行所は谷根千工房。編集者のお一人、森まゆみさんのお名前を、山日新聞の連載記事に発見したときは、黄梅にとって、見たではなく「発見」でございました。

 

やぁ〜、また長くなってしまいました。

お疲れさまです。

 

 



ayako0215 at 02:37|PermalinkComments(0)TrackBack(0) きまぐれ歴史散歩 -後日談- 

2006年03月11日

きまぐれ歴史散歩「お多福来い来いー2」(平成13年8月)

さて、甲斐国ゆかりの落語はと申しますと、まず「鰍沢」でしょうか。

材木と題目をかけて、「お題目(材木)で助かった」というオチの、あのお噺です。

 

鰍沢にお住まいの矢崎総司先生に「鰍沢」についてお訪ねいたしました。

 

先生のお話から、落語「鰍沢」が今も町の人々にとって大きな存在であることが伺われました。

 

落語の主人公の歩いた道を、まるで親しい人が通った道のようにおっしゃるのです。

 

私もその道を辿り小室山妙法寺に行ってみました。

 

見事な山門の奥には、昨年秋、落慶法要したばかりの本堂が輝いています。

 

主人公が飲んで助かった毒消しの護符はこの妙法寺のものとも教えて戴きました。そしてその護符は今も人々に授けられているのです。

 

偶然お持ちの方がいらして、拝見させて戴きました。

 

普通のお守りのような和紙の包みを開きますと、中に、さらに薄い和紙の包みがあります。

その薄い和紙ごとの飲み下すのだそうですが、お願いしてその薄紙の中を見せて戴きました。

中には、黒い細かい粒が数個入っていました。

 

「鰍沢」は初代円朝の作ですが、円朝も身延山詣でに来て、この護符を知ったのでしょうか。それとも、来なくても知っていたほど、有名だったのでしょうか。

 

「そんなことは、あたいに解かるわけがねえ。横丁のご隠居さんに訊いとくれよ」と与太郎モードで寄席の世界へ戻ってみますと、こちらもぼつぼつ終わるところ。

 

トリの芸人さんが終わって打たれますのがハネ太鼓です。「追い出し」などとも言われるようです。

 

ドロドロドロと打ちおろすと同時に、楽屋にいる前座さん二つ目さん全員で言っているのだそうですが、「有り難うございましたぁー」「有り難うございましたぁー」という声が聞こえてまいります。

 

ハネ太鼓はと申しますと、「出てけ、出てけ」と打って、お客が様々な方角へ帰るから、「てんでんばらばら、てんでんばらばら」と打ち、客席からお客が出たところで、太鼓の縁を叩いて「カラ(空)カラ、カラ」とやり、最後に太鼓の縁をバチでこすってギーっと、木戸の鍵をおろしましたとなるのだそうです。

 

ですから、昼の部のときには、まだ夜の部があるので鍵をしめるギーはやらないのだとか。

 

気付きませんでした。

 

「ほんとかなぁ」とまたまた与太郎モードの黄梅。

 

「確かめるには、また寄席に来なくっちゃ-

 

それでは「きまぐれ歴史散歩」は、これにてギー。

 

お後がよろしいようで。

 

 

 

 



ayako0215 at 00:24|PermalinkComments(0)TrackBack(0) きまぐれ歴史散歩 

きまぐれ歴史散歩「お多福来い来い−1」(平成13年8月)

「お多福来い来い、お多福来い来い」「へっ、アタイのことかなぁ」と与太郎モードの黄梅であります。

 

上野駅のほど近く、鈴本演芸場の前におります。木戸口の上で打ち鳴らされております二ばん太鼓は「お多福来い来い・・・」と叩いているのだとか。

 

因みに、入れ込み太鼓とも言われる一番太鼓は、まず、カラカラカラと太鼓の縁をたたきます。これは木戸口の開く音だそうです。

 

ついで、「どんどんどんと来い。どんどんどんと来い。金持ってどんと来い」と、欲張りに打つのだそうです。

 

「ほんとかなぁ」と、いまだ与太郎モードであります。

 

そうして、いよいよ出囃子にのって落語家が登場し、始まるわけですが、前の出演者が終わり次の出演者が上がる前に、前座さんが出てきてお座布団をひっくりかえしたりいたしますね。

これを高座返しというそうですが、見た目よりも大変なことのようです。

 

お羽織とかお湯呑みがあれば、それを片付け、出演者の名前が書かれた「めくり」を返したりいたします。

 

お湯呑みを出すにも、出演者によって位置の好みがあり、全部覚えなければならないのだとか。

 

そうそう、ひっくり返すお座布団ですが、三方が縫い目になっていますよね。残りの縫い目のない方を前にいたしますのは、高座の芸人とお客さんとのご縁の切れ目のないようにですって。

 

落語を聴くには、わざわざ寄席にこなくても聞くことはできますが、やはり寄席独特の雰囲気は何とも云えませんね。

 

「お〜な〜かぁ〜い〜り〜〜」と、「お仲入り」の声が楽屋から聞こえてまいりますと、たまりませんです。はい。

 

さて、ワタクシ、寄席でなかなか出来なかったことがあります。お題を出して「紙切り」の作品をゲットすることです。

 

今回は、手を上げて指してもらえそうな席に陣取り、季節感のある題を用意し、臨んだのであります。

 

結果、見事獲得。

 

戦利品は今も私の部屋に飾られております。

 

高座に夢中になってしまって行かれなかったのですが、この鈴本の近くの下谷神社には「寄席発祥之地」の碑があり、碑の文字は柳家小さん師匠のもので、側面には、上野鈴本演芸場、新宿末広、浅草演芸ホール、池袋演芸場と、都内四つの寄席の名がきざまれているというのです。

 

これはぜひ訪ねたいものです。

 

寛政十年(1798)、大阪から江戸にやって来た岡本万作と名乗る噺家が、神田豊島町で「頓作軽口噺」の看板を掲げ、絵ビラを貼って客を招いたことが記録されており、その直後に、初代三笑亭可楽が仲間三人と下谷柳の稲荷社(現、下谷神社)境内に寄席の看板をあげました。

 

これが江戸の噺家の開席第一号というので、200年目の1998年にその碑がたてられたのだとか。

 

こんどは、その碑を見にまいりましょ。

 

そして、そのついでに鈴本演芸場へ。(続く)

 

  ・・・・・・・・

 

 長いことお付き合いくださいまして、誠にありがとうございます。

 

 散歩はまだまだ続きますが、ひとまず

 

「お〜なぁ〜か〜い〜り〜〜」

 



ayako0215 at 00:02|PermalinkComments(0)TrackBack(0) きまぐれ歴史散歩 

2006年03月10日

一葉 ふたたび

昨日は児童館で、子供さんたちと輪になって、「おおきなかぶ」を朗読しました。会の方々とご一緒に黄梅も輪の中に入れていただきました。

 

これまではステージ上での朗読という感じでしたが、ステージから降りて、子供さん達と一緒に輪になって読むというのも、なかなか良いものです。

 

会の皆さんのアイディアです。

 

子供さん達も一緒になって「うんとこしょ それ どっこいしょ」と。

 

それも、だんだんお声が大きくなっていきました。

 

児童館での朗読も、一年が経ち、今日でお別れです。

 

 

さて、それからです。

 

ホームグランドに戻りまして、「一葉」をいただきました。

 

2日にご紹介いたしました中国のお茶です。

 

前回、緑茶を淹れる方法でいたしましたところ、味が出なかった一葉を、またIさんがお持ちくださって、正しい淹れ方でご馳走してくださったのです。

 

こんどは苦味がしっかりと出ておりました。

 

でも、「ううっ」という苦味ではなく、咽喉越しの良い苦味なのです。

そして、いただきました後、口がさっぱりいたしました。

 

Iさん、ごちそうさま。

 

血の循環がよくなるとのこと。

 

今日はなにやら血の巡りがよいような。

 

 

 

 



ayako0215 at 13:19|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 朗読 

2006年03月06日

黄梅

今日は嬉しいことがありました。

NPHPブログ版に黄梅の写真を載せて
いただいたのです。

ご覧になりたいお方は↓にどうぞ。

NPHPブログ版



ayako0215 at 14:09|PermalinkComments(4)TrackBack(0)

朗読発表会

昨日は南アルプス市立櫛形図書館での、すゞの会朗読会でした。

会場があやめホールから図書館研修室に変更になりましたが、
多勢のお客様におはこびいただき、無事終えることが出来ました。

感謝、感謝です。

会場入口、ご案内のAさんの字がなかなか趣のある字でした。
そして、お花もお花器も花台も、春の雰囲気を・・・。

朗読も皆さん大変頑張ってくださいました。

今月はこれから三ヶ所での朗読会が続きます。

15日 「夢舎」 中央市立玉穂生涯学習間

16日 「おきらく亭」 甲斐市立竜王図書館

25日 笛吹市立石和図書館

お出かけいただけましたら、嬉しゅうございます。

今夜は中道町いえいえ、合併しましたから甲府市での
練習会です。

さあ、それまでに宿題をしなければ・・・。



ayako0215 at 13:58|PermalinkComments(1)TrackBack(0) 朗読 

2006年03月04日

ほどほどに

こんな新聞記事を目にいたしました。

「 中年男性で自殺率が高いのは、1日3合以上お酒を飲む人と、全く飲まない人。低いのは毎日でなく、時々飲む程度の人――。」

ちなみに、この場合の中年男性というのは40歳から69歳までの方だそうです。

中年の巾が広くなりましたのでしょうか。

女性の場合でもこのまま当てはまるのでしょうか。

まっ、ほどほどにというのが、よろしいようで。


ayako0215 at 01:21|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2006年03月02日

一葉

朗読サークル「虹の夢ふくろう」 の練習会で、
珍しいお茶とお菓子をいただきました。

まず、お菓子はと申しますと、
う〜む、難しい。

Aさんがお持ちくださったのですが、
どのように説明したら良いのでしょう。

とにかく、材料は間違いなく“小豆”。

これを一度煮るのでしょうか。
その後、乾燥する?または揚げる?
見当がつきません。

あ〜、残っていたのを1粒いえ3粒ほど
戴いてくるのでした。

ほのかな甘味。なんともいえない食感。
美味しゅうございました。


お茶の方はと申しますと、
I さんが持って来てくださったもので、「一葉茶」。

てっきり樋口一葉ゆかりの・・・と思いましたら、
中国のお土産にいただいたものとか。

4〜5センチの棒状に葉を巻いたような感じで、
大変苦いのだそうです。

ところが、日本茶と同じようにお急須で淹れてみても、
苦味はなし。

やはり、煎じなければ・・・ということになりましたが、
残念ながら時間切れ。

Iさ〜ん、次回よろしくですぅ。

珍しい、お茶とお菓子のお話でした。

朗読の練習は?ですか。
も、もちろん、しっかりといたしましたです。はい。


さて、夜は玉穂の朗読サークル「ごくらくとんぼ」の
練習会です。
今度は正真正銘の「一葉」のお話。

3月15日の夢舎(ゆめのや)で発表する作品の一つに
「裏紫」があります。
樋口一葉、未完の作品です。

聞かせていただいておりまして、あらためて
一葉の文章の、流れる水のような美しさを思いました。

そして、一葉の文章は活字を読むよりも、
聞いた方が素晴らしいと。


昼も夜も、一葉にご縁の深い一日でございました。


第15回朗読の集い「夢舎(ゆめのや)」は、
3月15日(水)午後1時30分から、
中央市立玉穂生涯学習館で開催いたします。
どうぞお出かけくださいませ。



ayako0215 at 00:52|PermalinkComments(0)TrackBack(0)