フルートとファゴットの家族

Fl奏者、山田みづほと仙台フィル首席Fg奏者、水野一英のブログです。

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ファゴットアンサンブルが終わって9月になってます。

練習は8/28から。

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2日目からは立ちっぱなしで練習。
それも
会話は

ドイツ語。

わからん(笑)

わからないところは周りに訊いてました。
僕以外は留学経験があるもんで。

2日間、1日あたり6時間のリハーサルを経て、30日は大阪へ。
ヘンリックは梨とバナナを大量購入していました。

行きの新幹線の中で、ヘンリックはトッカータとフーガの自筆譜を出してなにやら思案。
そして
「オリジナルはこうなってるがアレンジャーの意思でこう変わっている。オリジナルに近付けたいが変えれるか?」
と(いうようなことを)訊いてきて、隣に座っていた僕は思わず
「とらい…」
と答えてしまい、その場で譜面の変更が。
豊橋あたりを走行中だったでしょうか?
「ノーと言えない日本人」でございました(笑)

ゲネプロ前後、本番前にやたら梨とバナナを勧めるヘンリック。
嬉しいけどそんなに食べれません…

集客が不安視されていた大阪でしたが、お陰様で満席でした。
関西のオーケストラプレイヤーの方々もたくさん。
ありがとうございます。

そして

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仙台ジュニアオーケストラで、ファゴットパートの元パートリーダー、陽子ちゃんも来てくれました。
今もファゴット吹いてくれてます。
嬉しいな。


翌日は東京。
ホテルのロビーで待ち合わせしてたのですが、ヘンリックが現れ
「荷物見ててくれ」
というので、待ってました。
彼が買い物に出掛けている間に他のメンバーも現れました。
「ヘンリックは?」
「買い物。まさかバナナ買ってたら笑うわ」
そこにヘンリック登場。
手にはコンビニ袋、中身はバナナ…昨日のはまだあるのに…

東京は買ったけどいらっしゃれなかった方がいたようで、若干空席も見られましたが基本完売、盛況でした。

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先生や同級生も来てくれました。
先生曰く
「ヘンリックを越えそうだぞ、腹」
ひどいなあ…

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「去年よりはるかにレヴェルが上がったし、日本人がヘンリックに対等に音楽しようとした、という意味で来て良かった」
と行ってもらえたのはもう、嬉しくて。

9/1はマスタークラス。
一緒にいた後にマスタークラスを聴講するとホント、中に入りますね。
受講者の皆さんも吸収力が抜群、楽しめました。
マスタークラスが「ソロ発表会」になると興醒めですからね、よかったです。

9/2にヘンリックは帰国しました。

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ありがとう。

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またいつの日か。
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今日は父にコーヒーを飲ませてあげました。
コーヒー中毒か、と思うくらいの人でしたが、2010年の3月21日に脳梗塞で倒れ、嚥下障害を起こしてから飲食物を口にすることができなくなっていました。
むせるし、誤嚥性肺炎の恐れもあったので、水分は点滴、栄養分は胃瘻でした。
やっと解放されたわけです。

父は教員でしたが、教員になるつもりは本来は無かったようです。
「音楽家になりたい」
そんな夢を持って高校時代にマリンバのレッスンを受けに三条市から東京に通う人でした。
時代を考えると凄い話で。
師は朝吹英一先生です。



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ただ、父の父(祖父。早逝したので僕は会ったことは無いです)は息子が芸を職にすることは認めず
「コック(実家は割烹料理店)か教員になれ!」
と迫られ、教員の道を選んで新潟大学へ進んだんだそうです。

そんなわけで
「俺が死んだときにオケに穴開けたら化けて出てやる」
と言うんでしょうね。
覚悟を決めていましたが、ちょうどオケの無い時に永眠、父の意地、ですかね。
7/31に医者から「あと1,2日」と宣告喰らってから、2週間以上頑張りましたから。

まあ、その意地具合が吹奏楽にハマる要因だったのでしょう。

三条第一中学校→三条第三中学校→三条第二中学校→吉田中学校→三条第三中学校→三条第一中学校、と勤務しましたが、日曜祝日関係なく練習するようになったのは吉田中学校に勤務するようになってからです。

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吉田中では6年間で県代表4回(3年連続を含む)、全国大会1回。



三条三中昭和62年
(↑写真が無かったので映像)

三条三中では8年間で7回(連続)県代表、全国大会1回。


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三条一中では4年間で3回(連続)県代表。

定年前に退職。




テストなどの部活禁止の時には手書きスコアを作り、盆、正月の休み明けにはそわそわと練習に出かけ。
昼、具合悪くて授業休んで夕方部活したこともあったはず(笑)

怒ってばかりいた先生、に見えたでしょうが実際は小心者で、コンクール終わるといつも
「俺のせいでなあ…」
と泣いてました。
三条三中で全国大会に行った時ですら
「3年生でメンバーから外さなきゃいけないメンバーが出たのは、結局、俺に指導力がなかったからなんだよな」
とメソメソ。
その頃は僕は息子兼アシスタントだったので実際にそんな話をしました。

仙台フィルを聴いた最後は倒れる1日前。
演目はペトルーシュカ、ローマの謝肉祭等でした。
ローマの謝肉祭序曲は吉田中最後の年に県代表になれず(父曰く「俺の慢心」)、神経性胃炎などで血を吐くほどになった時の自由曲でした。
終演後に会った際に
「やっとローマの謝肉祭聴けた。ずうっと辛くて聴けなかったけど聴きに来て良かった。」
これが会話として成立した最後でした。
倒れた後、見舞った僕を発見し、ほとんど回らぬ口で
「お前は東京(見舞った翌日が東京公演だった)に行け」
そんな人でした。

今は、やっと苦しくなくゆっくりしているのでしょう。

明日、通夜です。

お父ちゃん、もう楽らろ?



父・水野英二、永眠致しました。
眠るように旅立ちました。

今日、皆休みで、妻、息子、義娘、孫の皆に会ってから旅立ちました。

故人に対する生前の御厚情に感謝いたします。

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