私説

2005年07月30日

【航空産業のヒューマンエラーについて考える(2)】

●それでは、航空産業がこうした「成熟期」から「衰退期」への転換期にあるのだとすれば、致命的な大失敗を防ぐためにどのような対策を講じればいいのでしょうか。
 
○畑村氏は、技術(産業)の社会的重要度は「成熟期」の手前でピークを迎えるため、経営者はそのターニングポイントをしっかり見極めて適切に対処することが必要だ、と指摘しています。

 つまり、今後は航空産業もこれまでのような右肩上がりの成長は期待できないので、社会から最も期待されている「安全」を担保しながら、徐々にスリム化を図らなければならない、ということではないでしょうか。
 とすると、限られた人材や資金をどの分野に集中させるか考えた場合、キーワードは「サービスの向上」ではなくて「安全の担保」であることが見えてきます。

 したがって、私たちも一つ一つのミスを表面的に批判するマスコミ報道に踊らされることなく、航空産業が「安全分野」に人材と資金を集中しようとしているか、チェックすることが必要ではないでしょうか。

○話を先日の逆噴射装置トラブルに戻すと、今回のトラブルは機体の塗装作業を委託された子会社の整備士と、飛行前に機体を確認したJALの整備士との間で起きた「ヒューマンエラー」といえますが、畑村氏によると、こうした「ヒューマンエラー」は細分化された組織の中で発生するのだそうです。

 つまり、細分化された組織では各々が自分の担当の仕事のことしか考えず、それが全体の中でどういう意味を持つのかを考えなくなるというのです。
 さらに、各部署は決められた範囲内の仕事だけを全うしようとしてお互いの接点が無くなり、その接点が徐々に広がって「隙間」を生み出し、この「隙間」は誰も手出しをしないから連携が寸断されて失敗が発生するのだとか。

 今回のトラブルも、まさに双方の整備士の「隙間」で発生した「ヒューマンエラー」であり、畑村氏は、こうした「ヒューマンエラー」は「隙間」を埋める努力さえしていれば防ぐことができるため、「まさか」ではなくて「当然」の結果なのだと指摘しています。

○では、こうした「ヒューマンエラー」を防ぐためには、具体的にどのような対策を講じればいいのでしょうか。これについて畑村氏は、具体例としてトヨタの「チーフエンジニア」制度を紹介しています。

 つまり、細分化された組織では各々が自分の担当の仕事のことしか考えないため、仕事の全体を見渡してチェックする人材が必要になるわけですが、それを任せるのが「チーフエンジニア」というわけです。
 ただし、この「チーフエンジニア」は一つのシステムをゼロから立ち上げた経験だけでなく、失敗情報も含めたくさんの知恵を持ち、全ての仕組みを知っている人材でなければならない、とも指摘しています。

○その後、ネットで検索して分かったことですが、もともとJALには一つの機体を最後まで責任持って整備する「機付整備士」という制度があったのだそうです。

 これは、520名の犠牲者を出した「123便事故」が起きた1985年に、当時のJALの最高経営会議が機材の安全性を高めることを目的に発足した制度だそうですが、その後はコスト削減や効率の追求のために「機付整備士制度を個人から組織で行う体制に変える」方針に変更し、「機付整備士」制度は2003年に廃止されたそうです。
 この方針変更に伴い機体整備が細分化されたのであれば、現在JALで多発している整備トラブルも、まさに畑村氏が指摘するとおり起きるべくして起きた「当然」の結果と言っても良いのかも知れません。

 にもかかわらず、今回JALが公表した再発防止対策は「整備後にピンを抜いたことを目視確認するよう整備規定を改める」と、マニュアルの改正だけで片づけようとしていますが、これで本当に今回のような「ヒューマンエラー」を防ぐことができるのでしょうか。
 もう一度、多くの犠牲者を出す事故を経験してからでは遅いのですから、「機付整備士」制度を復活させるなど、早急に有効な再発防止対策を講じるべきと思うのですが・・・。
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2005年05月29日

【企業人の個人的情報発信のメリットについて考える】

●ブログタイプに見る日本のブログブームというもの(FPN:4月28日)

 日本における守秘義務の定義は限りなくグレー。
 日本の「仕事」の定義は、その会社における人格が、私生活の人格ともオーバーラップしているようなところもありますから、この守秘義務のグレーな定義が、自動的にネットでの情報発信に対する後ろめたさにつながっている印象もあります。(中略)
 ただ、個人的には大企業に属していた人間なので、大企業の人にも是非個人情報発信の価値を分かってほしいなぁ、などと思ってしまうわけですが、果たしてこの流れを支援するにはどうすれば良いのでしょうか?


○FPNメンバーの徳力さんのこの問題提起について考えて見ました。

 雪印、三菱、日本航空、JR西日本。いずれも日本を代表する大企業ですが、国民の安全に直結すか事故や不祥事を起こして、企業イメージを大きく落としてしまいました。

 これらの企業に共通する特徴として、組織の中での風通しの悪さが指摘されています。
 「現場」の問題意識が組織のトップに正しく伝わらず、あるいは組織のトップが正しく理解せず、最終的に大きな事故や不祥事へと結び付いたのではないかと言われています。

 ならば、ブログを使って企業人が「現場」から個人的に情報発信することにより、こうした事故や不祥事を未然に防ぐことができないものでしょうか。

 もちろん企業に守秘義務がある以上、個人が発信できる情報は限られるかも知れませんが、ブログを通じて組織の外から問題意識を訴えることにより、風通しの悪さを補えるのではないかと思うのです。

○一方で、こうした不祥事や事故を起こした企業にしてみれば、一度悪化した企業イメージを回復するのは並大抵ではありません。
 ましてや、JR西日本に対する報道を見ても分かる通り、マスコミは、これらの企業に対する悪い情報を取捨選択して伝える傾向にあります。

 したがって、こうした逆風の中では、マスコミに頼ることなく「現場」から積極的に情報発信して、ユーザーの信頼を取り戻すことも必要ではないでしょうか。

 もちろん、こうした「現場」からの情報発信を実現するためには、守秘義務を徹底する一方で匿名性を確保するなど、いろいろと課題のクリアが必要だとは思いますが、「現場」で働く者にしてみれば、居酒屋で愚痴をこぼすよりもブログを書く方が建設的ではないかと思っています。

 まだ、頭の中がうまくまとまっていませんが、
 「現場」にとってのメリット・デメリット
 「組織」にとってのメリット・デメリット
 「社会」にとってのメリット・デメリット
を整理して、もう少しこの問題について考えてみたいと思います。

【5/29:一部修正】
 分かりにくい中途半端な文章と自覚していますので、少しづつ修正していきたいと思います。
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2005年05月21日

【ブログの現状(「現実の社会」を意識したコミュニケーション)について考える】

●小島さんのブログ「ベンチャー企業社長の挑戦、そして苦闘」からTBして頂いたエントリー(Webサイトの現状)や松岡さんのブログ「すちゃらかな日常」からTBして頂いたエントリー(匿名の心理、実名の心理〜暴言の抑止力になるものは?)を拝読し、今回は「ブログの現状」について私なりに考えていることを書いてみたいと思います。

○少し前、某大学の教授をお招きした講演会に参加しました。
 この講演会では「社会的ネットワークの役割」をメインテーマに「人とのつながり」について詳しく説明して頂いたのですが、その中で、教授は渡辺深氏の著書「転職のすすめ」をとりあげて、次のとおり紹介しています。
ー匆饂駛椶箸靴討離優奪肇錙璽は、情報経路を構造化し、役立つ情報への接近を可能にしたり、影響力のある他社への接近によって、労働者のキャリア形成において重要な役割を果たす。
∀働者と職業を結びつける就職情報は、労働市場に広く行き渡っているのではなく、社会関係に埋め込まれているので、労働者のネットワークがキャリア形成にとって戦略的な資源となる。
F本の男性労働者では、強い紐帯が多くの情報や望ましい転職結果をもたらすという傾向がみられた。頻繁に会い、親密度の高い、強い紐帯を形成することが転職において戦略的な資源になることが明らかである。しかしながら、このような強い紐帯を中心にした企業社会は変動しつつあり、全体として「閉鎖型ネットワーク」から「開放型ネットワーク」への移行期にあると考えられる。
い海譴ら重要になるのは、強い紐帯だけではなく、弱い紐帯を通じて結ばれる、自分とは異なる人々、異なる才能をもつ人々、異なる文化をもつ人々との出会いという弱い紐帯がキャリア形成において大きな効果を発揮する時代になるだろう。

○この教授は、あくまで「現実の社会」における「人的ネットワーク」について説明していたのですが、この話を聞いた私は、真っ先に「ブログ」を思い浮かべてしまいました、笑。

 ,能劼戮蕕譴討い襦嵬鯲つ情報への接近」については、もちろんインターネットの普及を避けては語ることが出来ません。
 一方、△能劼戮蕕譴討い襦崋匆餞愀犬頬笋畊まれている」とは、「ネットの社会」ではなくて、あくまで「現実の社会」のことを指しています。
 そして、その「現実の社会」がで述べられているように「閉鎖型ネットワーク」から「開放型ネットワーク」への移行期にあるというのです。
 このような社会状況をふまえれば、い能劼戮蕕譴討い襦崋分とは異なる人々、異なる才能をもつ人々、異なる文化をもつ人々との出会い」のためには、不特定多数の方々とのコミュニケーションを可能とするブログというツールが大きな役割を果たすのではないか、と私は思っています。

 実際、私はこれまでの自分の交流関係ではありえなかった多くの方々と、ブログを通じて知り合うことができました。そうした方々の中には、メールのやり取りをするようになった方もいれば、実際にお会いした方やこれからお会いする予定の方々もいます。まさにブログというツールのおかげで「弱い紐帯を通じて結ばれる人的ネットワーク」が構築されたと言っても過言ではありません。

 ただし、ブログがこうしたコミュニケーションツールとして機能するためには、ネット上の言論とはいえ、やはり「現実の社会」を意識したコミュニケーションが欠かせないと思いますが、これに対して「ブログの現状」はどうでしょうか。
 このブログがリンクしているだけでも、小島さん大西さんめたかさんガ島通信さん松岡さんのブログで、ブログにおけるコミュニケーションのあり方について語られています。
 しかし、これらの記事に書かれている現状を見る限りでは「現実の社会」を意識したコミュニケーションはまだまだ少ないように思われて、少しもったいないような気がします。

○繰り返しますが、ブログは「自分とは異なる人々、異なる才能をもつ人々、異なる文化をもつ人々」との出会いを可能にする非常に優れたコミュニケーションツールです。
 ただし、これからの時代ますます重要になると言われている「弱い紐帯を通じて結ばれる人的ネットワーク」を構築するためには、ブログにおけるコミュニケーションを「現実の社会」を意識したコミュニケーションへと変えていくことが不可欠だと思います。
 そして、そのための仕組みをブログ全体でどのようにして作っていくのか、私たちブロガーにアイデアが求められているのかも知れません。

【5/22:追記】
 なんか、大層なテーマをつけたわりにはあまり中身がなくてすみません。m(_ _)m
 こちらの、めたかさんの記事と併せて読んで頂くことをお勧めします。
●ネットも「現実」の一部である(at most countable:2005年05月19日)
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2005年04月29日

【尼崎脱線事故など交通トラブルの背景について考える】

●尼崎で起きたJR西日本の断線事故については、事故原因の検証と早急な事故再発防止対策が求められていると思いますが、単に事故を起こした運転手やJR西日本の個別責任の追及だけにとどまらず、このような事故が様々な分野で多発する背景として、安全を犠牲にしたコスト削減や効率化、必要以上のスピード化社会などが影響しているのではないか、という報道も見受けられます。

○北海道新聞の現役記者である高田昌幸さんのブログ「札幌から ニュースの現場で考えること」に書かれていた記事「JR福知山線の事故と、リストラ社会」は、今回の事故と少し前まで連日報道されていた日本航空トラブルを関連づけ、日本のリストラ社会に焦点を当てて事故が発生する「背景」を考察しています。
 私も、漠然ですがこの意見に同感でして「上手く根拠を示せないのですが、事故=余裕=コスト=定時性=スピード=効率化=リストラ=成績主義=虚偽報告・・・・・これらのキーワードがどこかでつながるような」とコメントしました。

 これに関して、4月19日付けの朝日新聞(夕刊)に掲載されていた中野不二男氏(ノンフィクション作家)の記事「かがく批評室:日航トラブルをめぐって」が、まさに「わが意を得たり」という内容でしたので、以下に記事の一部を紹介したいと思います。

 水は100℃、ヘリウムはマイナス269℃で沸騰し、カエルは気温10℃以下になると冬眠に入る。物事には、それまでとはちがう反応が起きるギリギリの値がある。そういう値のことを、化学や技術の世界では「しきい値」と呼ぶ。学生時代に実験室に入っていた人は、いろんな場面で耳にしてきた言葉だろう。
 このところ、日本航空のトラブルが多発している。部品の経年劣化が原因なのか、作業体制に問題があるのか詳しいことはわからない。しかしトラブルのニュースを見るたび、経営合理化の記事を読むたび、つい「しきい値」を思い浮かべる。仕事にも、作業内容や労働時間などの条件が一定の値をこえると、集中力の低下を招く「しきい値」があるはずだ。

○この記事は、今回起きた脱線事故の1週間前に掲載されていたものですが、これを書いた中野氏は、おそらく今回の事故についても「起こるべくして起きた」と思っているのではないでしょうか。
 以前にもこのブログで少し紹介しましたが、リストラ、合理化のかけ声のもと、本来効率化してはならない部分にまで「効率化」が進み、私は、これまで安全を支えてきた現場の「人間」がついに悲鳴を上げ始めたような気がしてなりません。

 朝日新聞記事の中で中野氏は、『航空機の機体であれ、ウラン溶液であれ、安全確保のためには絶対こえてはならない「しきい値」がある。科学や技術の産物を利用するうえで、それは譲ってはならない値のはずだ。そのために保守・運用する人間がいる。そして、その人間の集中力にも「しきい値」がある』とも述べています。

 今回の脱線事故に関しては、余りにもシビア(1秒単位?)な定時性を確保するために現場の「人間」に対して注意・指導を強化する一方、安全性を担保するための「システム」づくりをおざなりにしてきたJR西日本の企業体質を疑問視する報道もあります。
 私はJR西日本の内部事情を知らないので、指導教育方針がどのような状況だったのか、安全を担保する「システム」が本当に不十分だったのか判断できません。
 しかし、『競争の激しい時代に入り、企業は効率だけが優先される体質になってしまった』という中野氏の指摘は、阪神電鉄や阪急電鉄としのぎを削っていたJR西日本に対しても当てはまるような気がします。

○さらに中野氏は、『日本の組織の特徴は、上に行けば行くほど科学や技術を理解できる人材が少なく、そうした具体的な認識が薄いことだ』と指摘しますが、JR西日本や日本航空だけでなく、これまで事故や不祥事を起こしてきた多くの企業に対しても当てはまるような気がします。
 最近の事例では、東武伊勢崎線の踏切事故が思い起こされますが、あの事故でも「機械」では出来ない秒単位の遮断機の上げ下げを、「人間」の努力だけに頼っていたことが明らかになっています。
 こうした企業の経営陣が、現場を支える「人間」の「しきい値」を一体どこまで把握していたのか、私は疑問に思います。さらには、北側国交相までもが「利用者は命を預けているわけで、事故を契機に運転士資格、教育の在り方を点検しないといけない」と「人間」の方を「カイゼン」しなければならない、とも受け取れるような発言をしていますが、日本という組織の指導者は、現場を支える「人間」の「しきい値」をどのように受け止めているのでしょうか。

 中野氏は『小さな組織である中小企業の技術の信頼性が、世界的にも高い評価を得ているのは、経営のトップに現場上がりが多いからだ。彼らは、たとえ効率を追求しても、こえてはならない「しきい値」をはっきりと認識している』と指摘しています。
 私は、すでに悲鳴を上げ始めた現場の「人間」の声に、企業の経営陣や政府、さらには私たち国民自身も気づかなければ、いつかまた、今回と同じ悲劇が繰り返されるような気がしてなりません。

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2005年04月27日

▲「ぱっとさん」からの投稿

●前回投稿して頂いた「ネット侍」さん同様、私の一連のエントリーに積極的にコメントしてくれた「ぱっと」さんからもメールで投稿を頂きましたので、ご本人に了解の上、ここに転載させて頂きます。

○まず、最初に疑問に思ったことはなぜ記事化されたのだろうと言うことでした(パチンコ中の車上荒らしの件です)。その後、「ネット侍」さんからは「どんな些細な情報でも加盟社のために流すのが通信社の使命」という回答を頂戴しました。これは一つの考え方だろうと思います。この場合は配信された情報のどれを新聞記事にするかというところが新聞社の大きな判断になるでしょう。中日新聞の記事も「ネット侍」さんご指摘のように一連の特集の一部であると考えれば納得できます。

●「けしからん」理由は何だろう

○ただ現実に記事にした方はどうもそうは考えていないようです。これらの記事では焦点は窃盗犯より盗まれた教師に当たっていることは「あざらしサラダ」さんも指摘している通りだと思います。この点はどなたも異論のないところでしょう。「あざらしサラダ」さんも私もなぜ窃盗の被害者である教師の方に焦点を当てるのか、が問題意識なのではないかと理解しています。もちろん被害者が教師でなくても同様の論点が提起できますので、「ネット侍」さんが引用して下さった各種の記事でも同じことだと思います。

 実際、共同通信のブログでは教師をはっきりと「成績資料に記載された児童との関係では<故意ではないが>加害者ということになります」と指摘しています。毎日新聞の磯野さんはより正直かつ直裁に「学校の先生がパチンコをやってはいけないとは思いませんが、結果として、児童の成績の控えが盗まれたということになると、けしからん、という感情が勝ってしまう。新聞記事はこのような情緒的な要素で書かれることがしばしばあります」と言われています。この辺に論点があると考えています。要約すればお二方のコメントには「この教師は悪いから記事にした」ということだと考えます。

 これに対する私の見解は以前にも書かせていただきましたが、次の通りです。すなわち「一連の議論を通じて感じることは報道に求められているもの(少なくとも私が求めているもの)は、『透明性』と『複眼的思考』なのかと考えています。前者は『なぜこの記事が重要なのか』をきちんと説明する。別の言葉で言えば『説明責任』というやつです。とにかく思考や意思決定の過程の透明性を確保すること。後者は様々な見方を提示してもらい、結論や意見を表明するときには前者もふまえて相当調べてから自信を持って言ってほしいということでしょうか。『けしからん』だけで記事にされたものを読まされるのも困りますね。」と以前コメントさせて頂きました。つまり、「けしからん」と非難されるのは結構ですがそれは単なる恣意や感情ではありませんか、という問題意識です。

 通常、仕事をする上ではある方針を説明する際には必ず求められる二点といって差し支えないと思います。どうしてこの方針でやるのが適切なのかを説明する際には他の方法と、その比較の上でこれが適切だという説明の仕方をすると思います。それと同じことですし、実際報道でも一般企業が消費者にすべきこととして求めていることだと思いますので特段難しい話ではないと思います。物事の判断とはそう簡単にできないところが現実世界の難しいところだと思います。「誰もが『けしからん』と思うのだから説明は不要だ」と言われるのかもしれませんが、私には記事にするほど「けしからん」かどうかは議論の余地があると思われます。もちろん「報道の自由だ」と言われればそれまでです。

●不祥事だから記事にする?

○次に、教師の不祥事は記事になるという点ですが如何なものでしょう。まず本当に国民が求めているのでしょうか。鶏と卵の議論かもしれません。私は求めていないし、少なくとも求めている人と求めていない人がいると思いますのでその意味では報道が多角化してくれるといいのかと思います(報道する側と報道しない側と言うだけでなく、報道すべきだという側と報道すべきでないという側に分かれてほしいものです。それこそが社論だと思うのですが)。

 いわゆるクオリティ・ペーパーとタブロイドのような棲み分け(日本はできているようでいて前者に後者の記事が、後者に前者の記事が入ったりして意外と区別がつかないことがあります。取材源が同じだから仕方のないことでもあると思いますが)をしてくれたらいいという期待もあります。また、これは個人情報の保護より教師の不祥事に関心があり、教師の不祥事の内容がたまたま個人情報だった(本当に記事にするほどの不祥事なのかという問題もありますが)ということになりますので、「個人情報の保護がなっていない」という批判は単なるあと知恵だということにならないでしょうか。

 さらに、(仮に本当に教師の不祥事報道を国民が求めているとして)いくら不祥事を求めているからといってそれを理由に記事にする世の中はどうなのでしょう。私はあまり好きにはなれません。足の引っ張り合いのような世の中はイヤな世の中だと思いますし、これでやる気のある人が教師から遠のかなければいいなと思いますが人によって見解は分かれるのでしょう。「人のふり見て我がふり直せ」と記者の方が思って下さると少しは変わるのかと期待しています。もっとも不祥事を報じるのも「報道の自由」だと言われればそれまでですが・・・。

どちらの問題意識にも共通するのは「では、どのような事件だったら記事にならないのか」ということです。私には結局は無過失でも非難・追及されそうな怖さを感じます。

●「個人情報」の保護

○最後に一連の記事(教師以外の報道も含め)は全て個人情報の漏洩として同じような扱いで報じられていますが、本来重要度には差があるのではないでしょうか。漏洩した内容がクラスの名簿と成績表(又は患者のカルテ)では重要性が違うのではないでしょうか。こうした観点は「不祥事だから報道」では出てこないのではないかと危惧します。


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2005年04月24日

△「ネット侍さん」からの投稿

●♪誰が加害者で誰が被害者から【犯罪被害者の過失に焦点を当てるニュースについて考える(3)】までの一連のエントリーに対して、これまで積極的にコメントを寄せて頂いた「ネット侍」さんの考えを整理したメールを頂戴しました。
 ご本人にも了解の上、以下のとおり記事としてエントリーします。

あざらしサラダさん、こんにちわ。
ネット侍です。
わたしの考え方を簡潔にまとめると、以下の通りです。

●「パチンコ中、成績票盗難」事件について

(1)まず、記者が「ニュースかどうか」を判断する基準は「法律」や「道徳」ではなく「話題性」である。
(2)「話題性」とはつまり「読者の関心」であって、読者の関心をひくのは「意外性」である。
(3)ところで、公務員や教師、医師、弁護士、銀行員、マスコミなどは「世間の信頼」を前提とした存在である。
(4)したがって、これらの職種の人たちが起こす不祥事には「意外性」がある。
(5)結論として、教師らの不祥事は「ニュース」である。

 問題の記事は「車上荒らし」被害が背景になっているけれども、車上荒らしはどこにでもある話であって「意外性」はないから、それだけでは記事にならなかったでしょう。
 この記事が書かれたのは純粋に、「信頼」を前提とする「教師」が、パチンコ中に成績票を紛失するという「不祥事」を起こしたからではないでしょうか。
 逆に言えば、世間の誰もが「教師は信用ならない」と思っているなら「意外性」はないわけだから、記事にもならない。とすると、この事件がニュースになったのは教師という存在が世間から今でも信頼されているから。ならば、こうした記事に「ほとんどの教師は真面目な人なのに」という反発が起きるのも、ある意味で当然のことなのでしょう。

 あざらしサラダさんは当初、この記事を「不祥事」でなく「事件」を報じたものとして読んだのでしょう。だから「被害者が加害者扱いされている」という問題意識を持ったと。 その問題提起自体は有意義なものだったと思いますが、そこに「教師を叩きたがるマスコミ」という先入観が入り込んだことで、論点がありがちな「マスコミ糾弾」調の方向にずれてしまったような気がします。

>記事からは「成績控えなどの個人情報を車内に置いたままパチンコをしている教諭はけしからん」という記者の個人的な「意見」がひしひしと感じられます。
>マスコミは、すでに反省して謝罪もしている犯罪被害者を、どうしてさらに叩く必要があるのでしょう。
>盗まれた教諭に「けしからん」と言う以上、新聞記者はみな、取材の過程で知り得た個人情報などは、決して犯罪被害に遭わないように肌身離さずに持ち歩いている、ということですか。

といった箇所ですね。

 こうなってしまうと「何がニュースなのか」「どう報じるべきなのか」といった建設的な論議よりも、これを書いた記者(あるいは新聞記者一般)への批判に重点が移ってしまう。ちょうど、問題の記事が「学校における個人情報保護の在り方」に焦点を当てるべきなのに「教師個人を叩いて終わっている」とあざらしサラダさんが思われたのと同じ状況が起きてしまったのです。
 また、本来のマスコミ論の中に「教師叩きに対する疑問」が混じり込んだことで、「教師は謝罪しているのに」とか「じゃあ記者はどうなんだ」といった感情論が表に出てしまった。こうなると、わたしが朝日記者を例にとった架空記事を提示した次の記事・・・

取材先の個人情報を盗難 朝日記者がパチンコ中に
 朝日新聞前橋支局の50代の記者が、パチンコ中に乗用車を荒らされ、取材した市民38人分の個人情報を盗まれていたことが26日、分かった。
 同支局によると、記者は22日午後5時半ごろ、帰宅途中に市内のパチンコ店駐車場に車を止め、約1時間後に車に戻ると、助手席の窓ガラスが割られていた。記者は前橋市長の汚職疑惑を取材しており、盗まれた資料には、非公表を条件に取材に応じた住民や市役所関係者の住所氏名のほか、取材内容のメモなどが含まれていた。
 記者は支局長とともに関係者に事情を説明し、謝罪しているという。

・・・を提示して、「これも報道する必要ないのですか」と問うた場合、あざらしサラダさんも明確に答えなくてはならなくなる。(本来の論点はそこではないので意地悪なのは承知の上ですが)
 それより、何より、そうした感情的な反発に対しては、記者の側から真摯な回答を寄せられることも期待できないでしょう。共同通信のブログで佐々木さんが回答したのは「良い兆候」ですが、論点が不明確なため「加害・被害関係」を整理しただけの紋切り型で終わってしまっている。
 読者が批判精神をもってメディアに向き合うのは大事なことですが、最初に「あ、これはマスコミのミスリードだ」と思ったとしても、異なった視点から疑問が寄せられたときには、議論を重ねた上で、ある一定の「決着」を付ける必要はあると思います。そうでないと、かっぱさんのおっしゃる「言い放し」になってしまうのではないかと。

●「三重県ノートPC盗難事件」について

 この記事は、スタイルからして初報ではないと思います。世間の関心が低いニュースはストレートニュース1本で終りますが、タイムリーな話題だったりすると、主な記事の脇に解説や背景説明の記事がつくことがあります。あるいは「続報」という形で、同じ日の夕刊や翌日の朝刊に関連記事が出ることも。中日の記事はこれらのどれかでしょう。
 エントリーで比較のために紹介されている他の記事はストレートですね。だから記事の分量も少ないし、淡々と書かれている。紙面上なら、関連記事はそれと分かる位置に掲載されますが、ネットに流れると一般読者には区別が付かないから、扱いの違いに「記者の偏見」を読み取ってしまうかも知れません。
 比較する場合は、同じスタイルの記事を集めたほうが、より客観的になると思います。

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2005年04月23日

【犯罪被害者の過失に焦点をあてるニュースについて考える(1)】

●これまで、教師が被害者の「車上荒らし」事件と学校が被害者の「空き巣狙い」事件のニュースを例に挙げ、これらの記事は「必要以上に被害者側の過失に焦点をあてて批判しているのではないだろうか」と問題提起してきました。

 私は、別に被害者が「教師」だからといってかばっているのではなくて、どのような職業の方であってもこの考え方は変わりません。
(マスコミ報道が教育関係者に対して他の職業以上に厳しく批判する傾向があるとは思っていますが、その原因についての私の考えはあとで紹介します)

○これに対してコメントやトラックバックで頂いた意見の中には、「過失がある以上、被害者側が批判されるのは当然」といった厳しい意見もありました。
 私は、今回批判の対象になっている盗難被害者(教師)に全く過失がないとはいいませんが、あえてその過失部分に焦点を当てて批判記事を書かなければならないほど、他の盗難被害者と比べて過失の度合いが大きいとは思えないのです。

 そこで、yahooニュースに掲載されていた個人情報が盗難被害に遭ったニュース(一般紙の報道及び通信社の記事のみ)11件を例にあげ、先に紹介した2件のニュースとどこが違うのか具体的に比較してみたいと思います。

●以下は、いずれも「車上荒らし」による個人情報盗難被害を伝えるニュースです。

 禪朕余霾鹽霪顱篆雄倏標社員162人分、車上荒らしで
 人材派遣のフルキャストは21日、同社に登録されている派遣社員162人分の情報が入ったパソコンが盗まれたと発表した。今月19日、大阪市内で、帰宅途中の同社社員が駐車していた車の窓ガラスが割られ、業務用のノートパソコンが入ったカバンごと盗まれたという。現在のところ、不正使用などは確認されていない。(毎日新聞) - 4月21日

個人情報入ったかばんが盗難=大京子会社
*マンション分譲大手の大京 <8840> は19日、子会社の大京管理(東京)・千葉支店が管理を受託する約70世帯の個人情報が流出したと発表した。同支店の社員が16日に東京・品川区の自宅に帰宅後、氏名や電話番号などの顧客の個人情報を記載した文書の入ったかばんを置いていた乗用車が車上荒らしに遭い、かばんが盗まれたため。(時事通信) - 4月19日

<パソコン盗難>自治医大の医師 患者73人分の情報紛失
 栃木県南河内町薬師寺の自治医科大学付属病院は15日、呼吸器内科の男性医師が患者73人分の名前や病名など個人情報を入れた私用のパソコンを乗用車から盗まれたと発表した。パソコンにはパスワード設定をしているが、同病院は患者に謝罪し、事実関係の説明を進めている。(毎日新聞) - 4月15日

づ霪顱Щ童のデータ入りかばん、車の中から盗まれる−−牛久の小学校教諭 /茨城
 ◇駐車中、窓割られ−−つくば
 12日午後10時ごろ、牛久市の市立小学校に勤める男性教諭(22)が、つくば市小野崎のレストラン駐車場に駐車していた乗用車内から、3年生とすでに卒業した6年生の児童計72人分のデータが入ったかばんを盗まれた。同小では13日、該当する児童宅一軒一軒を訪問、事件の報告と謝罪をした。
 市教委の調べでは、かばんに入っていたのは、今年度担任している3年生のクラスの児童氏名が記載された名簿、昨年度の6年生の児童氏名、電話番号が入ったフロッピーディスク1枚、校舎玄関のかぎ、職員会議要綱、教科書。車は施錠していたが助手席のガラスが割られ、助手席に置いてあったかばんを盗まれたという。
 市教委は同日、臨時校長会を開き、事件の報告をするとともに再発防止に努めるよう指導した。淀川ゆき教育長は「市民の個人情報を安全に管理、保存する立場にありながら、管理を怠ったことは誠に申し訳ない」とコメントした。【三木幸治】
4月14日朝刊(毎日新聞) - 4月14日

チ換酸古未慮朕余霾鹽霪顱ヾ阜県各務原市の中学教諭
 岐阜県各務原市の市立蘇原中学校(田口和男校長)の男性教諭が車上荒らしに遭い、全校生徒の個人情報を記載した名簿入りのかばんと、卒業生の成績を記録したパソコンを盗まれていたことが20日、分かった。各務原署が窃盗容疑で捜査している。蘇原中はこれまでに個人情報が悪用された様子はないとしている。
 同校によると、教諭は16日夜、帰宅途中に寄った岐阜市のショッピングセンターの駐車場に自家用車を止めていた。名簿は緊急連絡用に教諭に配布されており、生徒679人の名前や保護者名、電話番号などを記載。ノートパソコンには2001、02年度の卒業生約500人の成績が残っていた。(共同通信) - 2月20日

●続いて、以下は「置き引き」による個人情報盗難を伝えるニュースです。

Α礇肇茱拭簗鵤泳件の顧客情報盗難 委託先の社員が新幹線で
 トヨタ自動車は20日、システムの開発委託先であるNECの協力会社の社員が、トヨタレンタリース横浜(横浜市)の顧客9804件の個人情報の入ったパソコンを盗まれたと発表した。個人顧客1113件と法人顧客8691件の住所、氏名・企業名、電話番号、口座番号などの情報が含まれていた。今のところ個人情報が不正使用された形跡はないという。
 NECの協力会社社員は3月31日に、新幹線の車内で盗難にあった。トヨタは今月4日にNECから連絡を受け、顧客への事情説明を終え、発表した。【工藤昭久】(毎日新聞) - 4月20日

●最後に、以下は「空き巣狙い」による個人情報盗難を伝えるニュースです。

Ю古名霾麁ったPC盗難 三重県立高校で276人分
 三重県教育委員会は9日、津市の県立津工業高校(高瀬進校長)の生徒指導室から、在校生や卒業生計276人分の成績や電話番号などの個人情報が入ったパソコン1台が盗まれたと発表した。
 同校は津署に被害届を提出。県教委は「パスワードが分からないとパソコンの個人情報は利用できない」としている。
 県教委によると、パソコンは数学担当の男性教諭(37)が使っており、1年生から3年生まで197人分の数学の成績や、卒業生40人分の各教科の成績などが保存されていた。
 9日午前11時ごろ、別の教諭が生徒指導室の窓ガラスが割れているのを発見。机の上に置かれていたパソコンが盗まれていたほか、生徒から預かっていた制服約70点も盗まれていた。(共同通信) - 4月9日

名簿入ったパソコン盗難 静岡の小学校教諭が被害
 静岡県豊田町の町立小学校の女性教諭宅から、全校児童と新1年生の計480人分の名簿などが入ったノートパソコン1台が盗まれていたことが15日、分かった。磐田署は窃盗事件で捜査している。
 同町教委によると、被害に遭ったのは今月10日午後9時すぎで、自宅2階の仕事部屋にあったパソコンや現金入りの財布などが盗まれた。教諭や家族は1階にいたが気付かなかったという。
 パソコンには児童や保護者の氏名、住所、電話番号などの個人情報が入っていた。教諭が学級編成の作業などのため、学校のパソコンからダウンロードして自宅に持ち帰ったという。(共同通信) - 3月15日

患者情報入りパソコン盗難 京大病院249人分
 京都大病院(京都市、田中紘一院長)は15日、研究室にあったノートパソコン9台が盗まれ、うち1台に249人分の患者の個人情報が含まれていた、と発表した。田中院長は「患者に不安を与えることになった。関係者におわびしたい」と謝罪した。
 同病院は府警川端署に被害届を提出。個人情報が保存されていた患者に個別に電話をして、謝罪しているという。
 病院によると、禁煙後にニコチン中毒の治療を受けていた外来患者のデータで、氏名、年齢、電話番号、病歴などが含まれていた。通院をやめた患者から相談を受ける際の基礎資料として、担当医が個人のパソコンに保管していた。
(共同通信) - 2月15日

顧客情報入りのPC盗難 滋賀トヨタ、1691人分
 滋賀トヨタ自動車(大津市)は4日、同社彦根店(滋賀県彦根市)で昨年12月、顧客1691人の個人情報を入力したノートパソコン3台が盗まれたと発表した。
 同社は既に顧客に謝罪。彦根署が窃盗容疑で捜査している。
 同社によると、パソコンは彦根市などに住む顧客の住所や電話番号、自動車保険加入状況などを入力。事務所1階に置いてあった。昨年12月22日から23日に、窓ガラスを割って侵入、盗み出したとみられる。
 パスワードを打ち込まないと見ることはできず、これまでに個人情報が不正使用されたという報告はないという。
(共同通信) - 2月4日

カード情報700人分盗難 56人分はネット購入に悪用
 横浜市戸塚区の昭和シェル石油(東京都港区)系列のガソリンスタンドで、少なくとも顧客698人分のクレジットカード情報が記載された伝票を含む約1600枚が盗まれ、56人分のデータがインターネットの商品購入に悪用されていたことが31日、分かった。届けを受けた戸塚署は窃盗事件として捜査している。
 同社によると、盗まれたのは2004年1月5日−10月30日の間の特定の8日分の顧客伝票。支払いがクレジットカードだった伝票にはカード番号、ローマ字氏名、有効期限などが記載されていた。今月7日、信販会社から連絡があり、10月30日に利用した顧客56人分のカード情報で、インターネットの商品購入申し込みが計138件あったことが分かった。
(共同通信) - 3月31日

 【犯罪被害者の過失に焦点をあてるニュースについて考える(2)】に続く。
azarashi_salad at 14:00|この記事のURL

【犯罪被害者の過失に焦点をあてるニュースについて考える(2)】

●【犯罪被害者の過失に焦点をあてるニュースについて考える(1)】で紹介した,らのニュース報道から、個人情報(または個人情報が保存されているパソコン等)が盗難被害にあったときの状況を整理すると以下の通りです。

【車上荒らし】のケース
ゝ宅途中の寄り道で停めていた施錠状態の車内に置いていた。(駐車場所は不明)
⊆宅駐車場に停めていた施錠状態の車内に置いていた。
車内に置いていた。(施錠状況と駐車場所は不明)
ぅ譽好肇薀鵑涼鷦崗譴膨笋瓩討い浸楙状態の車内に置いていた。
サ宅途中のショッピングセンター駐車場に停めていた車内に置いていた。(施錠状況は不明)

【置き引き】のケース
新幹線の車内に置いていたが目を離していた隙に盗まれた。

【空き巣狙い】のケース
Щ楙した生徒指導室に置いていた。
┷濛霖罎亮宅2階の部屋に置いていた。
病院の研究室に置いていた。(施錠状況は不明)
施錠していた事務所に置いていた。
ガソリンスタンドの事務所に置いていた。(施錠状況は不明)


○これらを見て頂くとおわかりのとおり、,らイ了件はいずれも同じ状況(車内に置いていた)で盗難被害に遭っているのですが、これらの記事と比べると、前回の共同通信(毎日新聞)の記事見出しに「教師」と「パチンコ」というキーワードを盛り込むことにより、被害者側の過失を強調して批判する記事になっています。
 また、Гらの事件も全て同じような状況(部屋に置いていた)で盗難被害に遭っているのですが、これらの記事と比べると、前回の中日新聞の記事は「鍵付きワイヤでロックすることを決めていた」という学校の盗難防止対策(及びその不履行)を強調することにより、こちらも被害者側の過失を批判する記事になっています。

 しかし、上記の教師はいずれも施錠した車内及び部屋に保管している状況で盗難被害に遭っているのに対して、Δ療霪馮鏗下圓鷲堝団蠡真瑤凌祐屬出入りする新幹線車内にパソコンを出しっぱなしの状態で被害に遭っていますし、、ァ↓、の盗難被害者は、そもそも施錠していたかどうかもわかりません。
 さらに、の盗難被害ではすでに盗まれた個人情報が悪用されて、実際に2次被害が出ています。

 また、前回の記事のコメントにあったように企業における「ノートPCのワイヤロック」が「一般的」なのであれば、の記事でも(多分)「鍵付きワイヤによるロック」をしていなかった事実(または盗難防止対策の遅れ)に焦点をあてて、被害者側の社員(または企業)を「管理が甘い」と批判することも容易です。

 私の個人的なものさしでは、Δ筬の盗難事件の方が被害者側の過失の度合いが大きいように感じるのですが、こんなことは個人の感じ方の差であり、問題の本質ではありません

 要は、被害者側の過失に大した違いがなくても、マスコミの焦点のあて方(事実関係の取捨選択)次第で、淡々と事実のみを伝える無味乾燥な記事にもなれば、読者が「けしからん」と思うような批判記事にもできるということが問題なのだと思います。

●誤解がないようにお断りしておきますが、私は、盗難事件に限らず「犯罪報道」の基本的な姿勢として、誰が被害者であっても、最も非難すべき悪意ある犯罪加害者に焦点を当てずに、被害者側の落ち度(過失)ばかりに必要以上に焦点を当てて批判するような報道は好ましくないと考えています。

 なお、個人情報保護の重要性を広く読者に伝えるなど、どうしても被害者側の意識をあらためさせることが必要な記事を書く場合には、頭ごなしに「けしからん」や「管理が甘い」と被害者側の過失を批判するのではなくて、前回の私の記事にトラックバックしてくれた方の記事のように、詳細なデータを紹介した上で「啓蒙」するような「やさしさ」を感じさせる報道であってほしいと思っています。

 【犯罪被害者の過失に焦点をあてるニュースについて考える(3)】に続く。

azarashi_salad at 13:13|この記事のURL

【犯罪被害者の過失に焦点をあてるニュースについて考える(3)】

●【犯罪被害者の過失に焦点をあてるニュースについて考える(2)】では、被害者側の過失に大して違いがなくても、マスコミの焦点のあて方(事実関係の取捨選択)次第で、淡々と事実のみを伝える無味乾燥な記事にもなれば、読者が「けしからん」と思うような批判記事にもできることが問題だ、と書きました。

○では、どうしてこのような違いがでてくるか色々と考えてみたのですが、どうもこれはマスコミだけの問題ではなくて、事実関係を公表するときの教育委員会と企業の広報スタンスの違いが大きいのではないか、と考えるようになりました。

 つまり、いずれの記事も記者が自らの足で稼いできた情報ではなくて、教育委員会や企業が公表するデータを基に記事にしているだけだから、もしかすると記者も公表する側が意図するままの記事を書かされているのではないか、ということです。

 前回の2件の事件をはじめ、教育委員会が公表した事実関係(ぁ↓ァ↓А↓─砲箸修谿奮阿隆覿氾が公表した事実関係をよく見比べて下さい。

 教育委員会は、そもそも「不祥事」を伝える観点から事実関係を公表していますので、教師個人の過失を思わせる事実関係を必要以上に詳しく公表し、組織全体で盗難被害の責任を負うのではなくて、教師個人の責任を強調しているような気がします。
 これに対して、企業が公表する事実関係では社員個人の過失だけを強調するのではなく、企業という「組織全体」で盗難被害の責任を負うような姿勢が感じられます。

○もう一度誤解がないようにお断りしておきますが、私は、盗難事件に限らず「犯罪報道」の基本的な姿勢として、誰が被害者であっても、最も非難すべき悪意ある犯罪加害者に焦点を当てずに、被害者側の落ち度(過失)ばかりに必要以上に焦点を当てて批判するような報道は好ましくないと考えています。

 なお、個人情報保護の重要性を広く読者に伝えるなど、どうしても被害者側の意識をあらためさせることが必要な記事を書く場合には、頭ごなしに「けしからん」や「管理が甘い」と被害者側の過失を批判するのではなくて、前回の私の記事にトラックバックしてくれた方々の記事のように、詳細なデータを紹介した上で「啓蒙」するような「やさしさ」を感じさせる報道であってほしいと思います。

 その意味からも、「批判」の意見を込めた報道をする場合は「役所」や「企業」が公表する事実関係だけにとらわれるのではなく、記者自らが公表されたこと以外の事実関係をもっと調査した上で、「批判」する記事が望ましいのか「啓蒙」する記事の方が望ましいか、よく検討することが望まれるのではないかと思います。

○4月から施行された「個人情報保護法」は、個人情報の取扱いについての個人責任を問う法律ではなくて、あくまで個人情報を扱う役所や企業などの組織としての管理責任を問うための法律です。
 その趣旨から言っても、まず問われるべきは組織としての盗難防止対策の有効性であって、故意に個人情報を盗んだ犯罪者も、過失で個人情報を盗まれた盗難被害者も区別なく批判するような記事だけは、止めて欲しいなあと思います。

 蛇足ですが「ノートPCのワイヤロック」については、PC関連に詳しい業界の方々にしてみれば一般的なようですが、毎日新聞磯野記者のブログ「上昇気流なごや」によると、新聞関係者にあってもまだまだ一般的ではないそうです。

 したがって、そのような対策に焦点をあてる場合には「決められていたことをしていない方が悪い」という固定観念ではなく、「その普及率はどうなっているのか」「本当にワイヤロックで個人情報は守れるのか」といった視点から、もう一歩踏みこんだ報道を期待したいと思います。(誰も普及率をご存じないようなので調査報道に期待しています)

★今回の一連の記事に対するコメントとトラックバックは、このエントリーに集中するようお願いします。

【4/24一部修正】
 最初にアップした文章に少し誤解を招く表現があったため一部修正しました。
azarashi_salad at 13:02|この記事のURLComments(23)TrackBack(1)

2005年04月02日

☆現役記者のご意見(2)

●ご本人の了解がとれましたので、『上昇気流なごや』の磯野記者から頂いたメール(全文掲載)をご紹介します。
毎日新聞・磯野です。
 報道の現場にいる者の感覚で言えば、共同通信の見出し「児童の成績控えなど盗難 教諭がパチンコ中に」に尽きると思います。どう説明したらいいかな、最初に見出しが決まって、原稿が後からついてくる、というような。いい悪いの議論はとりあえず別としてです。
 学校の先生がパチンコをやってはいけないとは思いませんが、結果として、児童の成績の控えが盗まれたということになると、けしからん、という感情が勝ってしまう。新聞記事はこのような情緒的な要素で書かれることがしばしばあります。新聞社側の言い分とすれば「庶民感情からすればこういうことじゃないですか」というような。
 おっしゃるように、被害者なのに非難される。共同の記事も毎日の記事もこの先生を匿名にしていますが、実名を出したら、全国から非難が集中するでしょう。実際、この学校では当然問題になっているでしょうし、この先生はPTAあたりからボコボコにされているかもしれません。
 さて、では自分だったらどう書くか。やっぱり、パチンコ中に、というところが主見出しになるような書き方をするのではないか。ただ、この教諭が車上盗の被害者であることをもう少し強調する書き方ができないか。被害届けを受理した前橋署が捜査していると書くだけで多少印象が違うし、パチンコ駐車場での車上盗がどのくらい起きているか、ほとんど検挙されていないとか、そういうことも含めてです。
 もっと重要なのは、教育現場で個人情報がどのように管理されているのか、という問題。この先生はアホだなぁ、ドジだなぁ、で片付くことではないでしょう。特に法律の施行を目前にしているこの時期においては。
 初報でこの程度の行数でしか書けなかったとすれば、紙面に余裕があればですが、続報で問題点を整理する、という手法があります。その後の学校の対応、そもそも教育現場での個人情報の取り扱い、それから、この先生がどのような状況に置かれているか、車上盗の捜査の進展、等々。
 この記事を書いたのはおそらく入社間もない新人記者でしょう。デスクがこのように書かせたのは目に見えるようです。後日談を書いてみたらどうか、と指示できるデスクがどのくらいいるか。そんなことをやっているひまがあるなら、ほかの取材をしろ。そう言われるかもしれませんね。
 長くなりました。現役記者への投げかけだったので、とりあえず書いてみました。歯切れが悪いのは自覚しています。
***********
磯野 彰彦

○『上昇気流なごや』の磯野記者からのメールより
(△記者の意見、▼私の意見)


△最初に見出しが決まって、原稿が後からついてくる
▼私は、ここが問題の発端のような気がします。
 「見出し」は、記事中で読者に伝えたいことを一瞬の「イメージ」で伝えなければならないため、ややオーバーな表現になりがちだと思います。
 その「イメージ」通りに記事を書こうとすると、伝えるべき事実関係を取捨選択する中で誤った判断をすることもあるのではないでしょうか。

△結果として、けしからん、という感情が勝ってしまう
▼前回の記事を読んで私が感じたことは、あの記事からは「教師はけしからん」以外の何も伝わってこないということです。
 上の「見出し」とも関連していると思うのですが、いったん「けしからん」という感情で記事を書き始めたため、「誰が被害者で誰が加害者」という視点や「個人情報保護法」の運用上の問題といった視点が置き去りにされてしまったのではないでしょうか。

△新聞記事はこのような情緒的な要素で書かれることがしばしばあります
▼私は、記事から伝わってくるこの「情緒的な要素」に、昨今のマスコミ批判の原因があるような気がします。
 ブログで自らの意見を発信するようになってから気づいたことですが、感情的な意見は反対の感情的な意見を呼び込みます
 記者の意見もひとつの意見であり、決して国民全てを代表した意見ではありません。にもかかわらず、新聞報道やテレビ報道で意見が発信されれば、私たちは反対の意見を訴えようがありません。
 したがって、様々な視点からの意見を公開した上で、読者一人ひとりに考えさせるような報道のあり方が、いま求められているのだと思います。

△重要なのは、教育現場で個人情報がどのように管理されているのか、という問題
▼共同通信の佐々木さんのご意見にもありましたが、確かに成績などの個人情報は、住所や氏名などの情報以上に厳重な管理が求められるのだと思います。
 だからこそ、「個人情報保護法」の施行を控えたこの時期に、マスコミとしてどういう問題提起をすべきかについて、もう少し慎重に考えていただきたかったと思うのです。

△この先生はアホだなぁ、ドジだなぁ、で片付くことではない
▼私も「そのとおり」だと思います。だから、前回の記事のような「この教師はけしからん」というメッセージしか伝わらない記事からは問題の本質が正しく伝わらない、という指摘について、ぜひとも受け止めていただきたいと思います。

○磯野さんから今回頂いたメールのおかげで、今のマスコミが抱えている問題が少し理解できたような気がします。
 そして、それは先日の踏切事故や昨今の「日航不祥事」とも関連しているように思いますので、考えを整理した上であらためて記事にしたいと思います。
azarashi_salad at 16:58|この記事のURLComments(19)TrackBack(6)

☆現役記者のご意見(1)

●『署名で書く記者の「ニュース日記」』の記事(加害・被害・ニュースの視点)より
(△記者の意見、▼私の意見)

△教師は成績資料に記載された児童との関係では加害者
▼ここが「考え方」の分かれ目ではないかと思うのですが、私は、教師には「過失」はあっても彼は「加害者」ではなく、「加害者」はあくまで「車上荒らし」だと思います。
 もし、今回の事件で教師を「加害者」として報道するのであれば「『個人情報保護法』施行後は、盗難の被害者であっても『加害者』になる可能性がある」という問題に焦点を当てることが必要だと思いますが、前回の記事では「個人情報保護法」には全く触れられていません。
 だから、私やヤースさんは「前回の記事だと問題の本質が伝わらない」と指摘したのですが、記事を配信する側として、本当にこれで読者に問題が伝わるとお考えでしょうか?

△被害品が教師の私物であればニュースとして配信しない
▼今回の記事を配信するにあたって、「車上荒らし」という「刑事事件」よりも「民事事件」の方を重視したとのことですが、これについては前回私が指摘したとおり、ただの「車上荒らし」ではニュースにならないということですね。
 そこでお尋ねしたいのですが、そもそも謝罪している教諭に対して、児童や保護者たちが「民事訴訟」を考えるほど怒っているという事実関係を把握された上で、このような「判断」をしたということでしょうか?
 少なくとも私には、あの記事内容からは児童や保護者の怒りは読み取れないのですが。

△マスコミとしては教師・児童の関係の方にこそ注目する
▼マスコミは、どうして「教師」という存在を過度に注目するのでしょうか。もしかすると、「教師たるもの聖人君子であれ」というレッテルを貼っているのではありませんか。
 もちろん、「センセイ」と呼ばれる方々に高い行動倫理が求められることは理解できなくはありませんが、余りに過剰に「教師批判」ばかりする報道が、かえって教師の行動萎縮(例えば教育委員会や児童、保護者の顔色ばかりをうかがうようになる)を呼び込み、その結果が今日の「教育崩壊」につながっているとは思いませんか?
 私のように子を持つ親としては、そのような「ひらめ」みたいな教師ばかりになってもらっても困るのですが?

△ニュース性の判断には、法律的な思考や形式論理ではない要素が加味されている
▼つまり、良い悪いは別としてニュースの取捨選択には、ある程度マスコミの「恣意」が働いているということを正直におっしゃっているのだと思いますが、時には、その「判断」を謝ることもあるのではないでしょうか。
 私は、教師もマスコミも人間である以上、「判断」を誤ったり「ミス」をすることもあると思いますが、「ミス」した者を責める報道以上に大事なことは、どうすれば次回から「ミス」をなくすことができるか、という視点からの報道ではないでしょうか。
 ブログでは、反省して謝罪している者を更に叩くようなことは余り見かけませんが、マスコミが伝える報道では、今回の記事のように、「ミス」した者を犯罪加害者以上に強く扱う傾向が多々見受けられます。
 私は、そのようなマスコミの「批判姿勢」に対する反動が、今日のマスコミ批判につながっているのではないかと思います。

○次回は、『上昇気流なごや』の磯野記者からのメールをご紹介したいと思います。

azarashi_salad at 09:55|この記事のURLComments(4)TrackBack(0)

▽ご意見ありがとうございます。(1)

●前回の記事(▼現役記者のご意見を伺いたい)に対して、共同通信のブログ『署名で書く記者の「ニュース日記」』からはトラックバックで、毎日新聞:磯野記者のブログ『上昇気流なごや』からはメールでご意見を頂戴しました。

○日頃から、マスコミが報道する記事について疑問に思っている方も数多くいると思うのですが、今回のように、実際に記事を書く記者の方から、一読者の疑問にご回答頂くことが出来たのもブログのおかげだと思います
 読者との対話を強化するため、マスコミ関係者には、ぜひともブログの積極的な活用を願ってやみません。

 ただ、今回コメントを頂いた「ニュースの送り手側の考え」については、まだ気になるポイントが何点かありますので、それらを以下にご紹介したいと思います。
 なお、これらのポイントについての私の意見は明日にでも追記したいと思いますので、どうかご了承ください。
(△は記者の意見)

●『署名で書く記者の「ニュース日記」』の記事(加害・被害・ニュースの視点)より

△教師は成績資料に記載された児童との関係では加害者

△被害品が教師の私物であればニュースとして配信しない

△マスコミとしては教師・児童の関係の方にこそ注目する

△ニュース性の判断には、法律的な思考や形式論理ではない要素が加味されている

●『上昇気流なごや』の磯野記者からのメールより

△最初に見出しが決まって、原稿が後からついてくる

△結果として、けしからん、という感情が勝ってしまう

△新聞記事はこのような情緒的な要素で書かれることがしばしばあります

△重要なのは、教育現場で個人情報がどのように管理されているのか、という問題

△この先生はアホだなぁ、ドジだなぁ、で片付くことではない

○なお、『上昇気流なごや』の磯野記者から頂いたメールには「コメントで入れようとしたのですが、長さ制限をオーバーしてしまったようで、はねつけられてしまいました」と書かれていましたので、内容を公表しても問題ないと判断しましたが、もし問題があるようならば早めにご連絡下さい。

azarashi_salad at 01:21|この記事のURLComments(2)TrackBack(0)

2005年03月27日

☆ブログはすでに新聞を「補完」しているのではないだろうか

●湯川さんのブログ記事(すごくないですか?このところの記者ブログ:ネットは新聞を殺すのかblog)で、団藤さんのブログ記事(ブログの現状はそれほど素晴らしいか。:ブログ時評)をとりあげています。

○湯川さんは、記事の中で『ネット上のブログの知のレベルに対して「私はこのレベルで満足してもらっては困ると思っている」「『もっと勉強しようよ』と言わざるを得ない」・・・言論は自由。だからこそ、ネットの書き手は考えねばならない。プロだと言っている人なら、もっと考えねばなるまい』という団藤さんの言葉を紹介しています。

 私は、団藤さんの言葉に半分はうなずきながら、できれば、その言葉はネット以上に大きな影響力を持つテレビや新聞などで「意見」を発信している方々、もちろんプロのジャーナリストの方々に対してこそ向けてほしい、と思わざるをえません。

 例えば、新聞の紙面上で「意見」を発信している記者の方々は、本当にネットの「書き手」以上に勉強しているのでしょうか?
 このブログでも何度か指摘してきましたが、新聞記事が伝える「知識」や「意見」のレベルは、ネットから得られる「知識」や「意見」に比べて、どちらかといえば相対的に低下してきているのではないかと思うのです。

 もちろん、私は全てのネットの「書き手」が新聞記者以上に勉強しているなどと言うつもりはありませんが、特定の分野に限っていえば、新聞記事以上に深い知識と考察を披露しているブログは数多く存在していると思います。
 そして、このようなブログを閲覧することにより、日頃不満に感じている新聞記事を補完している自分に気づくのです。

○一方、湯川さんは、同記事の【追記】として『現代の読者が持つ問題意識「知のピーク」は、新聞がかつて社会全体にふんわりと被せていた膜を随所で突き破っていると書いた。全体としての知の水準が新聞を超えているのではないが、個々人が関心を持つ特定の問題意識では、本当にあちこちで凌駕されている』という団藤さんの文章も紹介しています。

 例えば、先日の記事(△不幸な事故を繰り返さないために)にトラックバックして頂いたecotakaさんのブログ記事(ヒューマンエラー 竹の塚踏切事故を考える)や同ブログの一連の記事で紹介されている数々の「考察」「意見」などは、まさに団藤さんが指摘するとおり、特定の問題意識では新聞記事の水準を凌駕していると言ってもいいのではないでしょうか。

 前回の記事(【メディアの公共性について考える(2)】)でも書きましたが、ブロガーの多くは、私と同じように新聞やテレビなどから発信される『国民を代表するとされている「意見」』に対して「ちょっと違うよ」と不満を感じているからこそ、ネット上で自らの「意見」を直接発信したいと考えるようになったのではないかと思います。

 このように見ると、すでにブログは、新聞では紙面による限界やその他様々な事情により載せられない視点からの「考察」や「意見」を「補完」している、と言ってもいいのではないかと思うのですが。
azarashi_salad at 09:44|この記事のURLComments(10)TrackBack(14)

2005年03月26日

【メディアの公共性について考える(2)】

●前回の記事(【メディアの公共性について考える(1)】)には、kaimさんから(少年非行に関する世論調査)(産経抄「インターネットがテレビや新聞を殺す」)の記事をトラックバックして頂きました。
 またdawnさんと大西さんからもコメントを頂戴しました、どうもありがとうございます。

○そのkaimさんの記事(少年非行に関する世論調査)にTBされていたScottさんの記事(マスコミに期待する「商品」)に書かれていた『「確実な一次ソース」としての役割は万民が認める一方で、社説や記事に付随している「記者の感想」に不満タラタラ、といったところでしょうか。私はよく「事実だけをくれ!その判断はオレが下す!」と思いながらニュースを見ています』という意見に、思わず「そう、そう(笑)」とうなずいてしまいました。

○前回の記事でも書きましたが、災害報道なども含めて国民が必要としている「事実」を伝えるという意味においては、今のマスコミの役割を私も一定評価しています。
 ただし、マスコミ関係の方々が「事実」と「意見」を区別しないまま「国民に伝える義務がある」などと言うものですから、話がややこしくなると思うのです。

 ここにきて、多くの「ジャーナリスト」の方々が、一斉に「メディアの公共性」などと主張する背景について、前回の記事を書きながら私が感じたことは、彼らが「自らの存在意義が問われていることに対して本気で危機感を抱きはじめたようだ」ということです。

 しかし、世の中の「事実」や国民を代表する「意見」を伝える「プロ」であるはずの「ジャーナリスト」の方々は、一体何をそんなに恐れているのでしょうか。
 私は、おそらく彼らの「危機感」は彼らの「仕事スタイル」に起因しているのではないだろうか、と考えています。

○例えば、新聞記者の「仕事スタイル」を例にとって考えてみると、多くの新聞記事において、「政府」や「企業」が発信する情報の垂れ流しや、「意見」を主張する場合でも「政府」や「企業」あるいは「学識経験者」の「意見」の受け売りである場合が、よく見受けられます。

 もちろん、マスコミには『国民にわかりやすく「事実」を伝える』という役割が期待されていますので、決してそれ自体が悪いなどというつもりはありません。
 ただしこの場合、彼らの「仕事スタイル」は、全て頂きものの「情報」を体裁よく加工しているだけで何ら新たな「もの」をつくりだしているわけではない、ということになりはしないでしょうか。
 そして、新たな「もの」をつくる仕事でなければ、いつでもだれでも取って代わることができるということに、ようやく彼らも気がついたのではないでしょうか。

○これに対して、冒頭でも紹介したように、ネットの普及により誰でも簡単に「情報」を手に入れることが可能となった現代においては、マスコミには「事実」を伝えることだけを期待し、「意見」については直接自分の手で伝えたいと考える国民が増えてきた、ということではないかと思います。

 そして、このように直接自分の「意見」を伝えたい国民にとってみれば、マスコミはすでに『「事実」の受信に関しては、本来全ての国民に知る権利があるはずの「情報」を勝手に取捨選択し、「意見」を発信する場合には、その影響力の違いにより個人の「意見」を埋没させる「やっかいな存在」』になりつつあるのではないか、とすら私は思うのです。

 もちろん、上で述べたように自ら「意見」を伝えたい国民ばかりではなく、マスコミに「意見」を代弁して欲しい国民もまだ多くいるとは思いますが、そうであれば、どちらも同じ「意見」なので双方の「意見」を平等に扱って欲しいと思うのです。

○先に述べたように、もしマスコミが抱いている「危機感」が彼らの「仕事スタイル」に起因しているのであれば、彼らには、これまでの「仕事スタイル」を守ろうとするのではなく、国民の変化に対応した「仕事スタイル」に自ら「変革」していくことが求められていると思います。

 このブログでは、以前から「参加型ジャーナリズム」のテーマについてとりあげ、例えば新聞の「社説」や「読者の声」といった一部でいいからブログにして、読者と双方向のコミュニケーションを確立してはどうか、と訴えて続けてきたのですが、残念ながら未だに実現には至っていません。

 しかし、特にマスコミ関係の方々は「テレビやラジオは公共財だ」と主張するのであれば、少なくとも「意見」を伝えるメディア(道具)については、もっと広く国民に開放するべきではないでしょうか。

azarashi_salad at 18:57|この記事のURLComments(4)TrackBack(4)

2005年03月25日

【メディアの公共性について考える(1)】

●先日の記事(▲「ものづくり」の価値を見直そう)にトラックバックしてくれたdawnさんの記事「産経抄」に、「メディアとは、媒体、手段、特にマス・コミュニケーションの媒体」(広辞苑)である。要するに単なる道具である」「消費者が欲しいのは情報(報道情報もあればエンタテイメントもある)なのであって、媒体(道具)ではないだろう」と書かれていますが、もっともな指摘だと思います。
 そこで、「情報」の観点から「メディアの公共性」について考えてみたいと思います。

○一般に新聞やテレビなどのマス・メディアが伝える「情報」でも、その中身はブログが伝える「情報」と同じように「事実」と「意見」が混在しており、「メディアの公共性」について考える場合も、この「事実」と「意見」を区別することが重要ではないかと思います。

 以前に【ブログ記事の社会的責任について考える】の記事でも書きましたが、私たちがブログに書く多くの文章も、マス・メディアなどから入手した「事実」と、ブログオーナーの「意見」から成り立っています。(もちろん「意見」だけを述べるブログや「事実」だけを伝えるブログもありますが)

 一方、多くの既存ジャーナリストの方々が「メディアの公共性」を主張する新聞やテレビが伝える「情報」にしても、誰が伝えてもほぼ同じ内容となる「事実」もあれば、「論説」や「社説」のように、個人や組織の「考え」をつよく反映した「意見」もあるわけです。(このへんは各紙の「社説」を読み比べるとよく分かります)

○しかし、そもそも現在のマスコミが伝える「事実」にしても、その大半は記者クラブに代表されるように「政府」や「企業」から入手した内容を垂れ流しているにすぎず、マスコミが自らが発掘した「新たな事実」がどれだけあるのか、私には疑問です。

 加えて、こうした「事実」に関して「論説」や「社説」の中で「意見」を主張する場合でも、その「意見」のベースとなる「考え」は、「政府」や「企業」あるいは「学識経験者」たちの「意見」の受け売りである場合が多く見受けられ、地道に勉強した上で自らの「意見」を主張するジャーナリスト達がどれだけいるかについても、疑問に思えて仕方がないのです。(新聞記者は忙しすぎてそんな暇がないのかも知れませんが)

 プロ野球ストライキ問題で、読売新聞が自らの「社説」において手前勝手な「意見」を主張し、多くのブロガーたちから反感を買ったのは記憶に新しい出来事です。
 今回は、産経新聞が3月18日付けの「産経抄」で同じようなことを繰り返しているそうで、こうした事実を続けざまに見せつけられれば、いくらジャーナリストの方々が「メディアの公共性」なんて主張しても、市民に受け入れられないのはある意味当然の結果といえるのではないでしょうか。

○このように考えてみると、私を含めて多くのブロガーたちが、既存ジャーナリストの方々の『マスコミが伝える情報には「公共性」がある』という主張に違和感を抱く最大の理由は、客観的な「事実」だけではなくて自らの「意見」も含めて「公共性」がある、と主張しているように聞こえるからではないかと思います。(記事の取捨選択や見出しなども形を変えた「意見」といえるでしょう)

 つまり、マスコミが伝える「論説」や「社説」も、その影響力の違いこそあれ、本質的には私たちがブログで主張する「意見」と何ら変わるものではないのですから、「意見」については本来「公共性」なんてものはなく、「公共性」は、誰が伝えてもほぼ同じ内容となる「事実」に対してだけ確保されていればいいのではないでしょうか。

 そして、その「事実」を伝えるための道具としては、ネットや新聞、ラジオ、テレビなど、選択肢が多ければ多いほど、情報を受け取る市民の側としては使い勝手が良いのではないかと思うのですが。

azarashi_salad at 00:31|この記事のURLComments(5)TrackBack(3)

2005年01月01日

★新年のご挨拶(一時更新停止のお知らせ)

年賀
●新年あけましておめでとうございます。
 昨年は、多くの方から「あざらしサラダ」にコメントやトラックバックを頂き、皆様には大変お世話になりました。

○本年もよろしくお願いします、といいたいところなのですが、実は都合によりしばらくの間、ブログの更新を停止せざるを得ません。

 できる限り早急に再開できるよう努力したいと思いますので、いつも「あざらしサラダ」をご贔屓頂いている皆様には誠に申し訳ありませんが、いましばらくお待ち下さい。

 ブログが更新できない間も、リンクしている皆様のブログに時々お邪魔してコメントなど残すかも知れませんが、その時は、どうかこれまでどおりよろしくお願いします。

 なお「あざらしサラダ」あてに連絡等がありましたら、以下のアドレスまでメールして頂ければ幸いです。
 それでは皆様、とても残念ですがしばしのお別れです。

  azarashi_salad@yahoo.co.jp


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2004年12月31日

♪2004年を振り返る

たいへんよくできました
●始めから数えてこの記事で309件目になりますが、2月から12月までアップした記事の中から皆様の反響が最も大きかった記事を、毎月それぞれピックアップすることにより、この1年間を振り返ってみたいと思います。

○2月:☆埼玉:回収業者現金拾得事件(1)
 埼玉県草加市のゴミの中から2800万円が出てきたというニュース。草加市が、警察に届け出た古紙回収業の男性を窃盗容疑で告訴する検討を始めたことが大きな反響を呼びましたが、結局、男性も市も所有権を放棄し、県が漁夫の利を得る結末に。


○3月:★アイルランドで全面禁煙法が施行(1)
 アイルランドで、人が集まる室内での喫煙を全面禁止する法律が施行されたというニュース。日本でも「健康増進法」が施行されて以来、愛煙家にとっては住みづらい世の中になりつつあり、近い将来「全面禁止法」が施行される日が来るかも知れません。

○4月:☆政治家の言葉に愛情が感じられなくなった
 福田康夫官前房長官をはじめ、イラク日本人人質事件に関して日本政府などの間で「自己責任論」が台頭していることについて、フランス紙ルモンドが「日本人は人道主義に駆り立てられた若者を誇るべきなのに、政府や保守系メディアは解放された人質の無責任さをこき下ろすことにきゅうきゅうとしている」と批判したというニュース。自国の政治家の言葉より他国の政治家やメディアの言葉の方が暖かく思えるのは、なんだかおかしな感じがしました。

○5月:☆年金未加入問題で「総懺悔」
 江角マキコに始まって、国会議員や県知事をはじめとする各政治家、さらにはニュースキャスターまで、まさに日本国中で年金未納「総懺悔」状態というニュース。選挙が終わってからはさっぱり報道されなくなりましたが、あの騒動は一体何だったのでしょうか。

○6月:【マスコミに対するバッシングは何を生み出すか?】
 共同通信の小池編集長が同ブログに書いた記事の中で、ライブドアの堀江社長を「スノッブ」と批判したことに対して、それに腹を立てた同社長の支持者(?)たちが、小池編集長と共同通信に対して一斉に「バッシング」を行ったというニュース。この件がきっかけとなり、これまで「情報」を一手に握ってきたマスコミと、個人でも情報発信できる「ブログ」というツールを手にした市民との間で、「情報」というパワーをめぐる勢力争いが始まるかも知れないと書きましたが、少しずつ現実化しているような気がします。

○7月:♪今回の参院選について振り返る
 第20回参院選の投票率は56.57%と、前回(56.44%)をやや上回ったというニュース。今回の選挙における、私の最大の関心事は投票率の行方だったので、前回の投票率をわずかとはいえども上回ったことは、多くのブロガーたちがブログ上で様々な議論を重ねてきたことも、多少はこうした結果に繋がったのかも知れない。次の選挙に向けては、恐らく今回以上にブログも発展しているだろうから、大きなムーブメントを作り出すことが出来るような予感がして、今から楽しみである。

○8月:♪ついに名古屋の地下鉄で携帯通話が不可能に
 名古屋市交通局が、市営地下鉄80駅のうち地上駅などを除く72駅を対象に、ホームや電車内が携帯電話の「圏外」となるようアンテナの調整を進めているというニュース。名古屋市交通局は、ユーザーの自発的なマナー向上が望めないと判断したのか「規制強化」の方向で対応しましたが、一人一人のマナーに欠ける行動が、このような「規制強化」に繋がるということを、もう少し私たちは認識しなければいけないと思います。

○9月:♪本当にプロが書いた社説なの?
 プロ野球再編をめぐる読売新聞の社説が余りにも我田引水だったので、これがプロの記者が書いた「社説」なのかと驚いた、というより呆れてしまったというニュース。私は、ネットでタダで読んでいるからまだ許せるのですが、このような提灯記事をお金を払って読まされている読者は、可哀想だなあと思いました。

○10月:◆日本は「冷淡国家」なのか?
 イラクで拉致された人質について日本政府がとった対応策について、イラクで『イラク人の間では、どうして、経済大国で文明国の日本が、自国の市民の命を冷淡に扱うのか、という疑問が広がっている。この事件で、日本に対するイメージは完全に変わったと思う』との声が上がっているというニュース。江川紹子さん(ジャーナリスト)の発言に対して賛否両論の意見が多数寄せられました。

○11月:【「ブロガー新聞」について考える(1)】
 私が「一日編集長」をつとめた「ブロガー新聞」(第3号)について、批判や感想、「参加型ジャーナリズム」のスタンスなどについて、色々な方のご意見を読ませて頂きましたので、あらためて「ブロガー新聞」(あるいは「参加型ジャーナリズム」)というものについてじっくりと考えてみました。同時に「あざらしサラダ」のデザイン変更についても多くの方から助言や感想をコメントして頂きました。

○12月:♪みんなで「紅白」の視聴をボイコットしよう(NHKの「日放労」にエールを送ろう)
 NHK不祥事を受けて放送された「NHKに言いたい」は、番組を見た多くの視聴者が「消化不良の2時間15分」と感じたというニュース。この「言い訳番組」を見た視聴者・国民が、今後どのような世論を形成するのか、そしてNHKが本気で内部から改革を考えているかが問われているのではないかと思います。そこで、受信料を支払っている視聴者から抗議の意思表示として、私は今年の「紅白歌合戦」の視聴拒否を宣言しました。

○このように、あらためて1年間を振り返ってみますと、5月頃まではコメントやトラックバックもせいぜい1桁頂ければ最高だったのですが、6月にアップした「共同通信のニュース日記騒動」以降、多くの方からコメントやトラックバックが寄せられるようになりました。そういえば、この事件以降「大西」さんのブログとのお付き合いも始まりました。
 そして、これまでで最も反響があった記事は、9月にアップした♪本当にプロが書いた社説なの?で、コメントとトラックバック合わせて50件の反響がありました。これを「週刊!木村剛」にトラックバックしたことが、その後の「ブロガー新聞」発行へとつながり、これまでにお付き合いが無かった新たな方々からもコメントやトラックバックを頂くようになりました。

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azarashi_salad at 12:48|この記事のURLComments(3)TrackBack(3)

2004年12月16日

【NHK受信料支払い拒否について考える(3)】

しばらくお待ち下さい
●前回の記事【NHK受信料支払い拒否について考える(2)】では、NHK問題についてステップを踏んだ議論を進めてはどうかと提案したところ、やまぶし萬力発電さんが以下のとおりわかりやすく整理してくれましたので、このステップに沿って問題点を検証してみたいと思います。
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azarashi_salad at 15:28|この記事のURLComments(6)TrackBack(5)

2004年12月13日

★方法論の違いです。

何度言えば分かるのですか
●トラックバックは頂いていないのですが、ガ島通信さんの記事NHK「問題はどこへ行く」の中で、私が前回書いた記事♪NHKの「日放労」にエールを送ろうが取り上げられていました。
 ガ島通信さんは、『なぜこんなに拡散するのだろう?ブログ上におけるNHKの問題です』と述べていますが、私は問題の拡散ではなくて方法論の違いだと思っているので、少々補足したいと思います。
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azarashi_salad at 23:19|この記事のURLComments(4)TrackBack(2)

2004年12月05日

◇ちょっと違うんです

しばらくお待ち下さい
●このところ、何故だかわからないけどモチベーションが低下していたのでブログの更新頻度も低下していましたが、その間に湯川さんと切込隊長との間で「参加型ジャーナリズム」についての議論が加熱していたようです。
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azarashi_salad at 01:08|この記事のURLComments(6)TrackBack(3)

2004年11月18日

【ライブドアブログの規約変更について考える(2)】

それはよかったですね
●前回の記事【ライブドアブログの規約変更について考える】は、1週間ぶりに呆けた頭で書いた記事にもかかわらず、沢山の方からコメントやトラックバックを頂きまして、本当にありがとうございます。
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azarashi_salad at 16:41|この記事のURLComments(9)TrackBack(5)

2004年11月16日

【ライブドアブログの規約変更について考える】

いちからでなおしましょう
●皆さん、お久しぶりです。あざらしサラダです。
 この1週間、当方の都合により全く記事及びコメントの更新ができなかったにもかかわらず、毎日300名以上の方にご訪問頂き、本当にありがとうございます。
 また、皆さまから18件ものトラックバックを送って頂きまして、中には「切込隊長」からのTBもあったりしてビックリしましたが、それらのTBを読ませて頂いても、多くの方が注目している話題は、やはりライブドアブログの規約変更の件ではないでしょうか。
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azarashi_salad at 12:02|この記事のURLComments(176)TrackBack(7)

2004年11月06日

【「ブロガー新聞」について考える(2)】

今日はこれくらいにしましょう
●前回の記事【「ブロガー新聞」について考える(1)】に、多くの方からコメントやトラックバックを頂きました。ここに、あらためてお礼申し上げます。
 皆さんから寄せられた有益な情報を頼りに、このところブログのデザインを色々と弄くり回しています。感想などお気づきの点があれば、またコメントを頂けると嬉しく思います。
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azarashi_salad at 11:58|この記事のURLComments(2)TrackBack(7)

2004年11月05日

☆ブロガー新聞(第5号)を読んで

たいへんよくできました
ネットは新聞を殺すのかblogのオーナーで、現役記者の湯川さんが「一日編集長」をつとめた「ブロガー新聞」(第5号)が発行されましたので、早速読んでみました。
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azarashi_salad at 14:11|この記事のURLComments(4)TrackBack(4)

2004年11月02日

【「ブロガー新聞」について考える(1)】

今日はこれくらいにしましょう
●前回の「ブロガー新聞」(第3号)の「一日編集長」を担当して以来、「ブロガー新聞」についての批判や感想、「参加型ジャーナリズム」のスタンスなどについて、色々な方のご意見を読ませて頂きましたので、あらためて「ブロガー新聞」(あるいは「参加型ジャーナリズム」)というものについてじっくりと考えてみたいと思います。
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azarashi_salad at 11:13|この記事のURLComments(19)TrackBack(6)

2004年11月01日

【自戒の意味を込めて】

救いようがありません
●自戒の意味を込めて、pavlushaさんのブログ記事『死を望むわれら』を紹介させて頂きます。


azarashi_salad at 23:06|この記事のURLComments(0)TrackBack(0)

2004年10月30日

【自転車での携帯電話使用規制について考える(3)】

今日はこれくらいにしましょう
●前回の記事【自転車での携帯電話使用規制について考える(2)】(あざらしサラダ:10月28日)では行政機関のHPをいくつか紹介し、各自治体などは、携帯電話使用運転など自転車利用者のルール無視・マナー低下により自転車の事故が増加していると見ているのではないか、と述べましたが、この問題についてマスコミ等は、これまでどのように報道してきたのでしょうか。
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azarashi_salad at 19:15|この記事のURLComments(6)TrackBack(0)

2004年10月29日

☆ブロガー新聞(第4号)を読んで

たいへんよくできました
Watch IT,ケータイ,ベンチャーのNaoyukiさんが「一日編集長」をつとめた「ブロガー新聞」(第4号)が発行されましたので、早速読みました。
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azarashi_salad at 11:23|この記事のURLComments(4)TrackBack(3)

2004年10月28日

【自転車での携帯電話使用規制について考える(2)】

びっくりしました
●前回の記事【自転車での携帯電話使用規制について考える(1)】(あざらしサラダ:10月27日)でも書いたとおり、平成16年度の道交法改正では、『交通事故発生件数が極めて少ない』ことを理由に、自転車は規制対象から外れました。
 このため、現在「事故発生件数」について調査しているところですが、その最中に色々な事実が明らかになりました。
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azarashi_salad at 22:13|この記事のURLComments(3)TrackBack(2)

2004年10月27日

◆「対策提言プロジェクトチーム(仮称)」を立ち上げました

しばらくお待ち下さい
●皆さん、こんにちは。
 「ブロガー新聞」(第3号)「一日編集長」の「あざらしサラダ」です。
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azarashi_salad at 10:56|この記事のURLComments(5)TrackBack(5)

【自転車での携帯電話使用規制について考える(1)】

だから言ったじゃないですか
●H11年度の道交法改正により、自動車等を運転中の携帯電話及びカーナビ等の使用が禁止(ただし罰則規程なし)されました。
 しかし、その後もこれらにまつわる事故件数が増加したため、平成16年度に道交法を再度改正することになりました。
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azarashi_salad at 09:47|この記事のURLComments(0)TrackBack(4)

2004年10月26日

◇「問題提起」の今後ですが、

がんばりましょう
●「ブロガー新聞」(第3号)にトラックバックを頂いたseventysevenさんの記事『「携帯電話」のTBの私なりの整理』では、携帯電話に関して「ブロガー新聞」にトラックバックで寄せられたこれまでの記事が分かりやすく整理されています。
 これを見ながら、「ブロガー新聞」(第3号)で表明した「問題提起」を、これからどのように発展させていけばいいか考えてみました。
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azarashi_salad at 18:55|この記事のURLComments(10)TrackBack(2)

2004年10月25日

♪ほぼ同じ問題意識になりました。

話せば分かります
●前回の記事◆「問題提起」を整理してみた。(あざらしサラダ:10月24日)「ブロガー新聞」と「ぷろとたいぷ」にトラックバックしたところ、再度ブウ*さんから「★大分クリアになってきましたね」の記事をトラックバックして頂きました。
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azarashi_salad at 09:15|この記事のURLComments(10)TrackBack(2)

2004年10月24日

◆「問題提起」を整理してみた。

話せば分かります
●前回の記事◇確かに「陳腐」かも知れないが(あざらしサラダ:10月23日)を「ブロガー新聞」と「ぷろとたいぷ」にトラックバックしたところ、またまたブウ*さんから「うーーーんと、以後、個別ページでやるのかなぁ?」の記事をトラックバックして頂きました。
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azarashi_salad at 10:16|この記事のURLComments(6)TrackBack(4)

2004年10月23日

◇確かに「陳腐」かも知れないが

話せば分かります
●「ブロガー新聞」(第3号)で「公共の場における携帯電話の使用は規制すべき」という問題提起を書いたところ、ブウ*さんから★意外と陳腐な問題提起(ぷろとたいぷ)という厳しい評価を頂きました。
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azarashi_salad at 10:09|この記事のURLComments(2)TrackBack(5)

2004年10月21日

「ブロガー新聞」(第3号)【予告編】

あざらし
●皆さん、こんにちは。
 「週間!木村剛」がお送りする「ブロガー新聞」(第3号)「一日編集長」の「あざらしサラダ」です。
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azarashi_salad at 12:28|この記事のURLComments(22)TrackBack(3)

2004年10月20日

♪毎日新聞記者の勇気を讃えたい

たいへんよくできました
●毎日新聞が記者ブログ(ネットは新聞を殺すのかblog:10月19日)
 毎日新聞の「理系白書」がブログを始めていたそうだ。
 理系の読者との間でコミュニケーションが始まっているようだが、共同通信編集委員室に続き、一般新聞紙の間では、2番目の社公認ブログだとか。

●毎日記者VSブロガー、険悪ムードから相互理解へ(ネットは新聞を殺すのかblog:10月19日)
 著名ブロガーと毎日新聞記者の間で、スーダン・ダルフール問題の署名記事への批判に端を発した議論が起こっていたそうだ。
 しかし二人とも議論を続ける中で、次第にお互いの主張への理解を深め始めたそうだ。

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azarashi_salad at 18:44|この記事のURLComments(4)TrackBack(3)

2004年10月17日

「ブロガー新聞」(第3号)発行に向けての進捗状況について

あざらし
●皆さん、こんばんは。
 「週間!木村剛」がお送りする「ブロガー新聞」(第3号)「一日編集長」の「あざらしサラダ」です。

○本当に「ブロガー新聞」(第3号)が発行できるのか、心配な方も多いのではないかと思いますが、現在の進捗状況について簡単にご報告します。
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azarashi_salad at 21:59|この記事のURLComments(4)TrackBack(2)

2004年10月16日

「ブロガー新聞」(第3号)の「今週のトラックバックテーマ」は・・・

あざらし
●皆さん、こんばんは。
 「週間!木村剛」がお送りする「ブロガー新聞」(第3号)「一日編集長」の「あざらしサラダ」です。

 10月22日の「ブロガー新聞」(第3号)発行に先立ち、第3号で特集する「今週のトラックバックテーマ」を予告したいと思います。

 第3号の「今週のトラックバックテーマ」は ・・・ 「携帯電話」です。

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azarashi_salad at 22:19|この記事のURLComments(7)TrackBack(7)

「ブロガー新聞」(第3号)の「一日編集長」頑張ります。

とりかえしがつきません
●[ブロガー新聞] ブロガー新聞再生機構も誕生!(週間!木村剛:10月15日)

○小西編集長の学習能力と適応能力の高さを見た気がする「ブロガー新聞」(第2号)の出来映えですが、木村さん、早まりましたね。(笑)
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azarashi_salad at 12:00|この記事のURLComments(4)TrackBack(2)

2004年10月14日

♪天唾:さて困ったぞ

どうなっても知りませんよ
●ブロガー新聞は「一日編集長」を公募します!(週刊!木村剛:10月14日)

 「ブロガー新聞」に対して一家言ある方々に「一日編集長」になっていただいて、輪番制でその方が最善だと思う「ブロガー新聞のあり方」を提示いただければよいのではないでしょうか。
 我こそは、と思う方に立候補していただき、様々なパターンを試してみて、トラックバックなんかの反応をみれば、「ブロガー新聞」のスタイルは形成されてくるんじゃないでしょうか。

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azarashi_salad at 11:05|この記事のURLComments(9)TrackBack(12)

2004年10月09日

【「Googleニュース日本版」に対する提言】

相互リンクして下さい
●前回の記事【「ブロガー新聞」創刊号に対する提言】(あざらしサラダ:10月8日)に対してhasenkaさんが『Googleが始めればいいのに』(辺境からの遠吠え:10月9日)の記事をトラックバックしてくれたが、確かにこの試みは面白そうだ。
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azarashi_salad at 12:06|この記事のURLComments(6)TrackBack(2)

2004年10月08日

【「ブロガー新聞」創刊号に対する提言】

よくできました
●多くのブログユーザーが注目する中、「週刊!木村剛」の「ブロガー新聞」が創刊した。

○ブログユーザーの意見をネットの社会から現実の社会に届ける「参加型ジャーナリズム」の第一歩として、私も「ブロガー新聞」には非常に期待している。
 その創刊号を読んだ感想だが、すでに数人のブロガーがトラックバック記事でコメントしているとおり、上手く言い表せないが、木村剛氏には申し訳ないが、「何か」が違うのである
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azarashi_salad at 20:58|この記事のURLComments(0)TrackBack(6)

2004年10月07日

♪ライブドアからお返事が

なかったことにしましょう
●先日の記事♪何とかしてライブドア(あざらしサラダ:10月5日)『livedoor Blog 開発日誌』にトラックバックしたところ、何と10月6日の『livedoor Blog 開発日誌』に『深夜帯の投稿や閲覧につきまして』とのお返事が。
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azarashi_salad at 11:03|この記事のURLComments(5)TrackBack(5)

【企業モラルの崩壊について考える】

武器をすてて出てきましょう
●先日の記事◇景品表示法違反(優良誤認)と詐欺の違いとは?(あざらしサラダ:10月4日)『同じ虚偽表示でも、「サクランボ」(実際はリンゴ)は景品表示法違反で、「森伊蔵」(実際は焼酎)は詐欺罪(懲役3年)である。この違いは一体どこからくるのだろうか』と書いたところ、おおた葉一郎さんから●贋作「さくらんぼグミ」と贋作「森伊蔵」の差は(おおた葉一郎のしょーと・しょーと・えっせい:10月6日)の記事をトラックバック頂いた。
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azarashi_salad at 08:45|この記事のURLComments(2)TrackBack(1)

2004年10月05日

♪何とかしてライブドア

いい加減にしましょう
●無線☆ちゃんさんのブログ記事●やがて悲しきプロ野球 頂上作戦(Mac de DVD:10月2日)にも書かれているとおり、『未だライブドアブログは重すぎて、一番ブログユーザが更新したいおよそ3時間まったく使えない状態』である。

○前回のメンテナンスを実施した9月28日頃からこの状態が続いており、一番ユーザーが集中するはずのこの時間帯に、アクセスできなかったりコメントが残せないのは、正直言ってイヤになる。

 このブログでは、とりあえずの対策としてエキサイトブログに「あざらしサラダ」(別館)を立ち上げ、そちらでも記事を読めるようにしたのだが、正直言って(別館)の方が使い勝手が良く感じており、本気で移転を考えている。

 ただ、そうは言ってもこれまで書いた記事や頂いたコメント、TBなどの資源は捨てがたいものがあるだけに、さてどうしたものだろうか。
 ライブドアには早急な改善が望まれるので、この記事を『livedoor Blog 開発日誌』にトラックバックしてみようと思うが、果たしてこの声が届くだろうか。

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azarashi_salad at 08:28|この記事のURLComments(6)TrackBack(2)

2004年10月03日

【読売新聞の広告問題について考える】

今日はこれくらいにしましょう
●先日書いた記事◇マスコミ倫理とは何か(あざらしサラダ:9月30日)に対して、Dawnさんから●読売新聞の広告問題(dawn:10月2日)の記事をトラックバック頂いた。

○この記事で取り上げた読売新聞の広告問題は、このブログも含めて多くのブログ上で批判の的になっているが、Dawnさんは『blogの中で新聞の「記事と広告とを同一視している」ような記述が多い』ところに違和感を覚えているという。
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azarashi_salad at 00:20|この記事のURLComments(8)TrackBack(5)

2004年10月01日

☆ブログの持つ最大の魅力

今日はこれくらいにしましょう
●先ほどの記事★「ブロガー新聞」の成功に向けて(1)で紹介した「BAIKA Blog」の菅本大二氏(情報メディア学科助教授)の記事●ブログの進行形 [2004年10月01日(金) ]について、余計なお節介とは思いつつもひと言だけコメントをお許し頂きたい。
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azarashi_salad at 20:45|この記事のURLComments(12)TrackBack(5)

★「ブロガー新聞」の成功に向けて(1)

がんばりましょう
●「ブロガー新聞」はじめます!:10月からの番組再編(週刊!木村剛:9月30日)

○9月27日の『駆け込み寺はウエルカム』宣言からわずか3日で「ブロガー新聞」開始宣言。この意思決定の早さには正直いって驚かされるが、10月4日の週から「週刊!木村剛」がさらなるパワーアップを目指してコンテンツを拡充するそうだ。
 木村氏は、『「ブロガー新聞」に対して「専門職・地域色の強い情報発信」(by「この幸福な世界」)をビシバシお送りください』とブログユーザーに呼びかけている。
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2004年09月30日

【ブログ記事の社会的責任について考える】

今日はこれくらいにしましょう
●山口浩氏のブログ記事●Bloggerの社会的責任(H-Yamaguchi.net:8月14日)『Blogが既存のマスメディアの少なくとも一部を代替ないし補完するものとなりうる、との主張はあちこちにみられる』と書かれている。

○まさに、「参加型ジャーナリズム」の確立を呼びかけている私たちの主張に当てはまるものと思われるが、これについて山口氏は、『blogがこれまでマスメディアのもっていた機能の少なくとも一部を代替ないし補完すべき存在と主張するのであれば、マスメディアが負っていた社会的責任の一部をも引き継ぐべき、と考えるのは不適切だろうか』と問題提起しているので、この問題について考えてみた。
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azarashi_salad at 11:55|この記事のURLComments(8)TrackBack(5)
niigata





★プロフィール
あざらしサラダ
ブログでコミュニケーションする際の「ブロガーズ・マナー」【自分用】
1、「人格攻撃」はタブー。
2、コメントを書く場合は、名前に自分のブログアドレスをリンクする。
3、コメントした人同士の遣り取りが思わぬ方向に行きそうな場合は、そのまま放置しないで管理者が捌く。
4、丁寧語を使い、略語や隠語、感情丸出しの乱暴な言い方を避ける。
5、飲み過ぎの状態でコメント等は書かない。(笑)

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