経済
2005年03月20日
▲「ものづくり」の価値を見直そう
●クリエーター達が報いられる日(大西 宏のマーケティング・エッセンス)
○いつもお邪魔する大西さんのブログ記事「クリエーター達が報いられる日」で「日本は、クリエーターにとって決して恵まれた環境の国とはいえません。どちらかというとコンテンツを生み出すクリエーターの立場が弱く、コンテンツを流す映画、TV、ラジオ、レコード、出版会社などの流通が主導権を握っているというのが実態です」と問題提起されています。
一方、dawnさんも先日の記事「メディアの融合」において、「日本のコンテンツビジネスは流通サイド(放送、広告代理店、通信も流通の範疇)が強過ぎる。この結果、制作会社は下請として大半が虐げられ、成長性を摘み取られてきた」と指摘されています。
どちらの記事も、「制作サイドが弱く流通サイドが主導権を握っている」という点で共通しています。
私も、中小企業を中心とする高い技術力を持った制作現場がこれまで日本経済を支えてきたと考えており、もっと「ものづくり」を高く評価すべきではないかと思います。
○そのような中、ライブドアとフジサンケイグループの対立問題が連日ニュースを賑わせていますが、そこで気になるのが「会社は誰のもの」という議論です。
というのも、多くのコメンテーターの方々に「会社は経営者のものでも社員のものでもなく株主のもの」という極端な主張が見受けられますが、本当にそれでいいのでしょうか。
もちろん、私も会社が株主に利益を還元することを否定するつもりはありませんが、先ほどの「ものづくり」の価値を高めるという観点から考えた場合、株主の利益のみを追及する会社の社会的存在価値はあるのか、と考えてしまうのです。
株主となって会社の株を買うと言うことは、当たり前ですが「投資する」と言うことですが、ではその投資の対象は一体何でしょうか。
私たちは、先人達が創りあげてきた「文化」や「技術」の上に立って、今の生活を営んでいます。そして、そうした「文化」や「技術」は、多くの先人達が投資した結果、後世に託された「社会資産」といえるのではないでしょうか。
もし会社というものが株主への利益還元だけを考え、何も生み出さない、何も残さない行動を選択するとしたら、今ある「社会資産」は全て食い尽くされてしまい、私たちの子供や孫の世代には何も残らない、残りカスだけの社会になってしまうのではないでしょうか。
○株式投資のすそ野が広がるにつれ、おそらく多くの株主の方は自らの「個人資産」を増やす目的で株主になられていると思いますが、個人の資産なんて「墓場」まで持っていけるものではないと思います。
それよりも、自分が投資した会社が、その投資のおかげで後世に役立つ「技術」や「文化」を残すことにつながれば、「社会資産」に対して素晴らしい「投資」をしたと後世に誇れるのではないでしょうか。
今回のライブドアとフジサンケイグループの対立について、私は特にどちらを支持するつもりもありませんが、どちらの方が後世によりよい「社会資産」を残すのか。私は「ものづくり」という観点から注目したいと思います。
2004年07月22日
★自動車の280馬力制限を撤廃(2)
●産車の馬力無制限に、自主規制撤廃で輸入車に対抗(読売新聞:7月22日)
○日本自動車工業会は、乗用車のエンジンの最高出力を280馬力までとする自主規制を6月30日に廃止したことを明らかにしたそうだ。
この自主規制は、交通事故や死者が増加した1990年に始められたが、車両の安全性能が高まったことや、事故との因果関係が不明なことから廃止が決まったとか。
続きを読む
2004年06月26日
☆所得格差が過去最大に!
●家計の所得格差、02年も拡大続く・高齢世帯増が響く(日本経済新聞:6月26日)
○家計の所得格差が広がり続けているらしい。厚生労働省が25日に発表した調査によると、世帯ごとの所得のばらつきを示す指標が、2002年時点で過去最高を更新したそうだ。
厚労省は、高齢化が進んだことや1世帯当たりの家族の数が減っていることが響いていると分析しているとか。
報告によると、世帯ごとの所得格差の大きさを表す「ジニ係数」は、2002年は0.4983と前回調査(1999年)より0.0263高くなったそうだ。
ジニ係数が0.5になると、所得の高い方から4分の1の世帯が全体の所得の4分の3を占める状態とされ、日本はほぼこの状態になっているらしい。
○少し前に「世界がもし100人の村だったら」という話が話題になったが、その話のオリジナル(ザ・グローバルシチズン 村の現状報告)では、富の分布について「1000人のうち200人が村の4分の3の収入を得ています」と書かれているそうだ。
くしくも、今回、厚生労働省が公表した所得調査のデータ(4分の1の世帯が全体の所得の4分の3を占める)が、このオリジナルの内容とほぼ合致していることに驚きを隠せない。
この件については、ネットで流れているニュースを見る限り、どのマスコミも厚生労働省が発表した「高齢世帯増の影響」にしか触れていない。
しかし、26日の日本経済新聞朝刊には、成績主義の強化により「勝ち組」と「負け組」の二極化が進んでいることや、フリーターなどの増加により若者を中心に所得が低下している影響についても、囲み記事で紹介している。
今の社会情勢を見る限り、私は厚生労働省の分析よりは、どちらかといえば後者の影響が大きいように思えてならない。しかし、こうした情報はネット上では流れていないため、残念ながら「新聞」を読んでいる一部の者にしか伝わっていない。
さらに日本経済新聞の紙面では、アメリカ、イギリス、フランス、ドイツ、スウェーデンの所得格差の実態を紹介した上で、日本社会がより所得格差が大きいアメリカやイギリス型の社会を目指すのか、それとも所得格差の小さいフランスやドイツ、スウェーデン型の社会を目指すのか、岐路に立っていると指摘している。
○所得全体の4分の3(75%)を分配している4分の1(25%)の有権者は、恐らく現体制を支持するだろう。そして、所得全体の25%を分配している75%の有権者が政治に無関心でいる限り、小泉内閣は国民から支持されたことになる。
その場合は、所得格差は今以上に拡大することを覚悟しておかなければならないだろう。
まもなく参院選である。もし、貴方が自分の所得に不満があるのであれば、選挙に行って自分の意思を表明する以外に方法はないと思う。
※この記事に共感して頂けたら、是非ともクリックをお願いします!
→人気blogランキング
2004年06月11日
★自動車の280馬力制限を撤廃?
●「280馬力」規制撤廃へ 国交省も前向き 自動車工業会(産経新聞:6月11日11時17分)
○自動車メーカーの業界団体である日本自動車工業会は、現在、業界の自主規制で二百八十馬力としているエンジンの最高出力の上限を撤廃することを決めたそうだ。
最高出力の制限は自動車メーカーの自主規制だが、輸入車では二百八十馬力を超える車の販売を認めていることなどから、国も規制の撤廃に前向きな姿勢を示しているとか。
今回の報道によると、自主規制撤廃の理由について「輸入車では二百八十馬力を超える車の販売が認められているため、規制には意味がない」とあるが、本当だろうか?
最高出力の制限は、エンジン出力の高い高性能車で事故が多発したことなどから、平成二年に業界の自主ルールとして、二百八十馬力以下に制限されたとあるが、規制の廃止に向けた環境は本当に整ったのだろうか?
○国土交通省のHPによると、「自動車交通における事故件数及び死傷者数は、近年一貫して増加傾向にあり、ここ10年間でそれぞれ約1.4倍となっています。また、平成13年の死傷者数は118万9702人と前年に引き続き史上最悪を更新するなど、交通事故の現状は極めて厳しい状況にあります」とある。
また、「状態別に死傷者数を見ると自動車乗車中の増加が顕著。車両の安全対策の一層の推進が必要。車両の安全対策の推進にあたっては、女性及び65歳以上の高齢ドライバーの増加に伴い、その運転中の死傷者数が増加していることに留意することが必要」とある。
これらの情報を見る限り、とても自主規制撤廃の環境が整ったとは言い難い。ましてや、「車体安全性能の向上に加え、出力向上で加速性能など走行安全性の向上にもつながる側面も期待できる」などの説明は、到底信じがたいものだ。
何でも規制しろと言うつもりはないが、三菱のリコール隠しで自動車業界の安全に対する姿勢が問われているときだけに、こと安全に関わる規制については、慎重な検討が必要だと思うのだが。
大体、公道を走るのにそんなに馬力が必要なの?