その後、昭和30年代の終わりから稲毛海岸の埋め立てが始まりました。稲毛の海は、一度に海浜ニュータウンまで埋め立てられたのではなく、稲毛海岸1~5丁目が先行して埋め立てられたのですが、この地区のコンセプトは、従来の潮干狩りを中心とした観光地の性格を残しつつ、新しい住宅地を造成しようというものでした。このため、団地だけでなく、当初はプールセンターやユースホステルなどのレク施設も造られました。

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△ユースホステルとして使われていた稲浜公民館あすなろ

また、戦前から稲毛海岸で営業していた千鳥や稲毛亭などの海の家も、新しい海岸線沿いに移って来ました。今も稲毛海岸と高洲の境界に辛うじて残る木造の建物がその跡です。海浜ニュータウンができて「海の家」でなくなってからもいくつかのお店は営業していたのですが、最近ではマンションなどへの建て替えが進んでいるようです。

京成電鉄は、この新しい埋立地へのバス路線を昭和40年代前半に開設します。初期に作られたのは、稲毛駅西口から浅間神社の横を通って埋立地に入り、中央公園(現稲岸公園)の先で分かれて北の稲毛公務員住宅と南の公社稲毛団地に至る2つのルートでした。稲毛団地の終点は、黒砂公民館停留所と300mも離れていない場所にありましたので、これと引き換えに黒砂公民館行きは廃止になったのではないかと思います。このあたりのことは、空から路線バスを見てみよう 27.稲毛団地でも大変詳しく解説されています。

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△駐車場となった稲毛団地のバス発着場

当初は、2つの路線を合わせて「稲毛団地線」と呼んでいたのですが、昭和50年代に稲毛団地行きが稲毛陸橋経由になってルートが大きく変わったので、「稲毛団地線」と「公務員住宅線」という別々の路線として扱われるようになりました。その後、しばらくして稲毛団地線は廃止されているのですが、その時期はおそらく昭和61年3月の京葉線開通時です。この時、幸町団地を走る西千葉線に高洲一丁目停留所ができ、高洲東経由からこちらを回るように変わったのですが、これが稲毛団地停留所の廃止代替措置だったのだと思います。