2008年08月21日

大野病院事件

昨日、2004年12月に起きたこの事件への一審無罪判決が下された。
新聞記事やネットのニュースを見れば見る程、
亡くなられた妊婦さんの病状が私と同じだった事に驚き、
自分の入院-手術前後のことを嫌が上にも思い出す。

上毛新聞の国内社会面によれば、
この癒着胎盤の症例は出産1万件に1件!
亡くなられた方も前置胎盤と癒着胎盤の合併症で、
私はこの事件のことなどまるで知らずに、
あろうことか正月2日の朝出血を起こし緊急入院したのであった。

私の場合も、手術をするまで癒着胎盤とは認められていなかったし、
至って健康だったため、
入院する直前迄おせち料理の買い出しに行っては
両手に大荷物を抱えていたし、
年末31日は、それこそ1日中立ちっぱなしで家事をしていた。

1月5日に管理入院をする予定でいたので、
それまでにしたい事は山ほどあり、
なんとか年越しをしてほっとした矢先の事だったので、
やはり少し無理が祟ったのだとは思うけれど、
入院した病院での厚待遇に、???の連続だった。
今思えば、わたしは何も知らない「超危険な妊婦」だったのである。

何しろ当初は同じフロアにある食堂にも行ってはいけない、
ベッド食のVIP患者。
それまでのありあまる行動力がオーバーフローして、
医師や看護婦に内緒で洗濯に行ったり、売店に行ったり。
今と違って院内に患者の使えるインターネット設備も無かったので、
大学生協に潜り込んで、本を漁った事もあった。
入院前、前置胎盤のサイトで、
別の医療事故で亡くなられた妊婦の事を聞いていて、
それに対する配慮は依頼していたし、
すでにすべての妊婦に対策がされていたけれど、
何しろ自分の病状に対しては、
恐ろしい程無知で楽観的だったのである。

今にして思うのは、
主治医も看護婦も全てを内に秘めて、
ひたすら私の無事の出産の為に全力を尽くしてくれたのだと云う事。
手術前日の超音波検査は、
いつもなら研修医がするところを主治医が時間をかけて見てくれて、
「癒着はないと思うんだよね」
(私の主治医は、軽く10歳は年下だった)
手術当日は、
「僕はよく眠れたよ、がんばろうねっ!」

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今回の事件の遺族の方たちは、
高学歴の医療界すべてを敵に回した裁判となってしまった。
わたしは刑法にも民法にも全く疎いので、
今回の裁判の是非については判断出来ないが、
ネットで検索しても遺族の方々を慮る記事が少ないのに驚く。
何の非もない被害者であるにも関わらずである。

ただ、医療の現場が3Kの職場と化している事は事実だと思う。
壮絶な無菌の戦場の最前線で働く医師や白衣の天使たちには頭が下がる。
そんな中で、
「他のどこでも無理だと云われた、
『VBAC』=帝王切開後の普通分娩を、
この病院では『大丈夫だよ、やってみよう!』と云ってくれた」
と、わたしと同室になった妊婦さんのひとりは、
会陰切開の傷が帝王切開の傷よりも痛いと泣きながら
笑って話してくれた。
リスクを恐れず、患者と前向きにがんばってくれている、
医療現場のあることも書いておきたい。

このときの出産の事は、
書いておきたい事は山ほどあるのだけれど、
忙しさにかまけて出来ていない。
今回の判決分を読んで、
昨日の事のように思い出した次第である。

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