2005年04月29日

連休の初日

学校は暦とおりだが、私は今日から来週の木曜まで授業がないので、世間並みの大型連休となる。この期間に1学期分の授業計画をたて、プリントの原稿を作らなければならないし、日頃の家事も沢山こなさなければならない。遊ぶゆとりは諸々の状況から私にはない。知らぬが仏で、昨年まで、休みとなると温泉に行ったり、山のぼりに行ったりと優雅に過ごしていたのが今は夢のように思える。
連休の初日は、図書館に返本、買い物に使うことになった。必要なものがたまっている。猫の餌は八条通りのアヤハディオで、コンタクトレンズと参考図書は京都駅前で。順路を考えて車で動いた。
コンタクトレンズは、強度の近視でレンズが重く、近場用と普通用と二つ持つのもやっかいなので、使い捨てのソフトがいいというので買うことに決めた。京都駅前の店は安いということなので、丁度その前に大型書店もあることだし昼過ぎに出かけた。
4番目くらいで私の番がきて、機械の検眼がすみ1.2まで見えるレンズも見つかった。のだったが、最後に眼科医の検査があって、白内障が少しでているし、昔レーザーであけた穴がふさがりかかっているから、すぐにかかった病院にいくように言われた。いささかショックである。白内障云々は、いよいよきたかーと言う菅でがっくりしてしまった。
ソフトレンズは装着と離脱が厄介だけど、装着感はすばらしくよく異物感がない。木々の葉っぱが一枚づつはっきり見えて感激だった。けど、しばらくの間はなれないのか、頭がなぜかふらつくように思えた。
本を数冊買って帰路につくともう6時ちかかった。トラオの餌は後回しにすることになった。帰ってから夕食を作るのもせわしないので、桂駅前の王将で餃子を買って帰った。いつもおスーパーで、家人の主食である小松菜とバター7箱と野菜も買って帰宅。7時である。バターは平日340円くらいのが、198円だった。家人のエネルギー源なので、どうしてもかわなければならない。
夕食は燃やしとニラの炒め物、わかめと新玉ねぎの酢醤油和え、餃子、ビール。お腹一杯になった。


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ばあちゃんの休日 

2005年04月28日

4月最後の授業

今日からO校の平常授業である。もち時間は3時限と4時限で、19時30分に始まり21時に終わる。家族の夕食を整え、自分は学校の給食で夕食をとるため6時前に家を出た。
午後から気温が上がり、夕方になっても夏のような暑さだ。学校に着く頃はまだ明るかったが夕食を食べ終える頃には日が落ち、体育館の明かりが夜の学校に活気を与えていた。今日のメニューは、鮭のムニエルホワイトソースかけとジャガイモとレタス、トマトのサラダ。味噌汁、漬物だった。
給食の終わり近い時間だったらしく、炊飯ジャーのご飯は残りわずかだった。
3時限目理科総合Aの化学部分。2年のクラスで今日は学期が始まって2回目、元素名まで進んだ。欠席者が数名いたけれど、まあまあで終了。次は三年の物理である。この時間は3クラスが4講座に別れ、私は各クラスから5,6名、18人のクラスをうけもつことになっている。本日は2講目、電気に入る。
数十年前は、確か光(光の屈折、凹凸レンズ)から始まり、運動と力に進んだように覚えている。電気は確か2学期の後半だった。教科書は電気に始まり、音、光、・・で、運動は終わりの方にある。教科書を見て、目次の配列にはじめ戸惑ったが、現代の状況を思うと納得ができる。
いきなりオームの法則ではと、電気の歴史を少し丁寧に講義してみた。今日の電気機器や情報関係の大元はいつからはじまったのか理解してもらうのねらいだった。歴史を古代ギリシャから1946年の初の電子計算機エニアックにいたるまでを表にまとめプリントにして渡し、それをもとに授業をすすめたのだったが、結果は無残であった。17名のうちの一部であったが前の方にすわり話を中断させるのだ。曰く、「何をいってるのかわからへん!」、「言葉がむづかしすぎる!!」、「あっははは」
注意に時間をとられ、やっとの思いでプリントの終わりまでくると、「もう終わりやな」と席をたちかける。「まだ5分ある」といいながらすすめ、区切り目で一息ついたとたん、「終わり!」とたちまち教室がからっぽになった。ベルがなったのはその数秒あとであった。
一人の生徒が残っていて、
「先生、もっときつくしなあかん。やさしすぎるんや。ぼくはべんきょうしたくてきてるんやから」
と言った。次回はなんとかしなければならない。云十年前の悪夢をみているようだった。
 


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授業 

2005年04月27日

火曜日

火曜は超忙しい。午前に3クラス、夜2クラス合計5クラス持つことになっているからだ。午前は1時限目からで、8時40分に教室にはいらなければならない。学校まで、電車とバスで順調にゆけば40分でいけるが、乗り継ぎの時間や、待ち時間などを考えて、7時30分には家をでることにした。

五時過ぎには身支度を整え、荷物を持って階下におりる。自分の部屋は3階なので、出るまでに何度も階段を上り下りすることのないように、かばんの中やもちものをよくチェックする。それから、まず夫の食事のしたくをし、次にお弁当をつくり、それから簡単な朝食をして家を出発!

昼の3クラスは理科総合の4回目だった。前回は元素の歴史と元素名について講義し、定比例の法則の中途でおわってしまったので、その続きから始めた。例題を黒板に書いて解くようにしたけれど、問題の意味が理解できない生徒がほとんどのように思えた。横にほぼ解答に近いことを書いてあるのにである。簡単すぎてどのように答えていいのかわからなかったのだろうか。こちらも何故こんな簡単な問題が即答できないのか理解に苦しんだ。

昼の経験から話をきるだけ卑近なものにして余談を取り入れてみた。元素の歴史のところで、中世の錬金術師や、魔法のことなど、物語を例にあげて話ててみたりした。生徒のほとんどは静かに聴いていたが、一人の女子生徒がそれがどういう関係があるのか、わからへん、とおおきな声で言い出して、腰がくだけそうになった。だれにでもわかるようなお話の仕方ってどうすればいいのか、私の大きな難問である。

昨日は15時に帰宅した。TVをつけて本当に驚いた。JR福知山線の事故である。今日の午後になって犠牲者は90人になった。今から半世紀以上も前、私がまだ小学生だった頃、桜木町でおきた国鉄の事故を思い出す。電車の中でおきた火災で、180人の人が焼け死んだ。窓から半分身を乗り出して腕を上げた人がくろこげになった写真が新聞の何面にもわたって掲載されていたのを今でもしっかり覚えている。大学生の頃には通学で乗っていた常磐線(だった)の電車が三河島で事故を起こしやはり大勢の人がなくなって、ぞっとしたこともあった。

犠牲者のご冥福を祈るばかりである。



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授業 

2005年04月23日

ウイルスバスター

午後3時過ぎになって、来週の授業で使うプリントの原稿を作ろうとパソコンを立ち上げた。ウインドーズの画面が開き、ユーザーを選択しクリックした。ところが、その先に進まない。本体を見ると、CPUのサインが消えたままで、パソコンは固まってしまっている。Ctrl+Alt+Deltを押しても反応がない。仕方ないので強制終了した。10秒待って再起動をかける。又同じ現象だった。電源のコンセントをさしかえたり、別のユーザーを選択したりと4度トライしたが拉致があかない。お助けウーマンにみてもらったが同じ現象だった。セーフモードでたちあげて、しらべると、CPU100パーセント使用で、何にもできない状態なのだった。壊れてはいないらしい。修復はどうすればいいのだろう。最悪の場合、手書きで原稿をつくるしかないと観念した。ふと、メーカーへの無料問合せがまだ3回ほど残っているのを思いだした。電話は15分ほど間ってやっとつながり、こちらの状態を説明して対策を教えてもらうことになった。

電話で、相手の指示通りの操作をした結果、結局これはウイルスバスターの障害で、この先はトレンドマイクロ社に聞いて対策をとるようにという指示だった。今日は同じような質問で電話が混んだということだった。

やっとパソコンから離れ、夕食の支度にかかろうとしたとき、家人が夕刊の一面を指した。トップ記事にウイルスソフトの障害で、新聞社やJR東海のコンピューターが動かなくなった・・・といことが出ていた。

おかげで、私の作業は明日に持ち越しになった。またしても切羽詰った状況だ。つい1月前、三千円あまりを払って更新したばかりだというのに、なんという迷惑な話だろう。TM社のホームページに、「ご迷惑をおかけし、申し訳ありません」とあったが、それだけではこちらの腹の虫は治まらない。明日もそのほかの予定があるのに、原稿ができなかったらどうするんだ!!私は教壇で立ち往生という無様なことになる



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パソコン 

2005年04月22日

XX年ぶりの実験室

XX年ぶりに実験室を使った。1年生の3クラスで、それぞれ2,3,5時限目だった。本日の授業は、実験の基本操作の学習ということで、ガスバーナーの使い方を習得させるのが目的である。中学で学習済みのはずであるが、時間の初めに図入りプリントで説明したにもかかわらず、簡単にはすすまなかった。

ついでに、中学のおさらいを含めて、炎を観察し、燃焼について考察し、プリントにその記録を記入するようにと声をはりあげて説明したが、プリントを回収して目を通した結果はこちらが思ったようにはいかなかった。

それでも、危険なことはなく無事1回目の実験室の使用を終えることができた。次回は、基本操作の試験管や計量危惧の扱い方を覚えることにする。

事件質においてある器具類をみると、自分が浦島太郎になったような気になる。はかりといえば、上皿天秤で、風袋をはかり、薬品をのせて、おもりをピンセットでつまでのせて計量したものだったが、今は風袋を自動的にはかり、重さの単位も0.01グラム、0.05グラムとセットすれば、資料の重さをデジタルで表示してくれる。時間の前にこっちもれんしゅうしておかなければならない。

授業を終えた後、車で校門まで迎えにきてもらい、丹波橋の画材店に向かった。メゾチントに最適というシャルボネ社のインクを買うのが目的である。残念ながら黒はなかった。しかし在庫処分で、8割引きということで、カーマインレッド、ブルーの缶入り、黄色、茶色を購入した。当分の間使えそう。

1週間があっというまに過ぎた。時間がたつのが早くなったように思える。



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授業 
Profile
ばばまま
2人の孫がいるお婆ちゃんです。平成17年4月、幸運なことに、非常勤講師として教壇にたつことになりました。孫のような生徒を相手に悪戦苦闘の開始となりそう。