2009年09月02日

三浦しをん「風が強く吹いている」



風が強く吹いている (新潮文庫 み 34-8)
(新潮文庫 み 34-8)
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 もう、趣味全開もいいところだぜ、三浦しをん。
 一昨年くらいに本屋大賞で二位入賞を取り、今年は大森寿美男監督で映画化するので、見たいと思っていた。

 何がすごいってこれだけ妄想力全開なのに、普通の人が普通に読むと錯綜する十人プラスアルファの登場人物をきちり描き出している、とてもよくできた物語であるということだ。
 盛り上げるところで盛り上げて落とすところで落とす。緩急のテンポも上手い。
 何よりも「走る人」の心理を克明に描き出している点は、取材に余念がない作家とは言えど、著者自身が一端のアスリートにでもなったかのような気にすらさせられる。



 竹青荘に住む清瀬灰二は、銭湯帰りに逃げる万引き犯に遭遇し、追跡する。
 清瀬にあったのは、正義感や名声欲ではない。彼は逃げる万引き犯の「走り」に魅せられたのだ。
 万引き犯を捕まえて、清瀬は聞くのだ。「走るの好きか?」

 万引き犯の名前は蔵原走。
 とある事情で田舎を石もて追われ、親からの仕送りを全部ギャンブルで使い果たして、食べるものもなくやむなく菓子パンを盗んだ惨めな大学生。
 住むはずだったアパートの部屋の家賃も払えない。
 清瀬はその走に家賃3万という格安の竹青荘を紹介し、そこに住まわせる。
 しかし、すべては清瀬のとある目論見のためだった。

 竹青荘の住民が全員で十人になった。
 清瀬はその十人で翌年の正月に開かれる箱根駅伝に出場しようと提案する。
 それは提案というよりも、むしろ強制だ。
 初め、陸上経験のない素人同然の住民たちは、無謀だと清瀬に猛反発するが、彼らは少しずつ走りの中に何かを見出し、その価値を発見していくのだ。


 無邪気で明るい一年生の双子、ジョージとジョータ。
 高校時代には陸上をやっていたが、今は煙草と脂肪だらけの体をもてあます、すっかり陸上から遠ざかったニコチャン先輩。
 神経質な法学部4年生、在学中に司法試験に一発合格する優等生のユキ。
 真面目で、実家がそこそこのお金持ち、理工学部に国費留学している黒人外国人のムサ。
 クイズ大好きで、雑学に長けているキング。
 実家のある山奥の村で神童と呼ばれていたがゆえに、今もその仇名で呼ばれる神童。
 漫画好きで狭い寮の部屋に漫画本が山と積まれている王子。
 そして、清瀬と走。
 陸上とは縁遠い人間たち、あるいは縁があっても今は遠ざかっている人たちが、互いの絆をたすきに変えて、箱根への山道を往復するという陸上の花形、箱根駅伝に挑む。




 彼らが支えている絆は、友情というか仲間意識なのだが、互いに交わされるひとつひとつの台詞がもう……おまえ、それプロポーズかよっていう台詞ばっか。

 「これが終ったら、僕たちやっと正月だね。僕は冬休みのあいだに一度、実家に帰ろうと思ってるんだけど、ムサも一緒に行かないかい」
 「両親はムサが遊びにくるのを待ってるよ」

 思い過ごしとか考えすぎだと思うかもしれない。そうだ、深読みしすぎなのだ。
 でも三浦しをんは、絶対、ねらってやってる。間違いない。
 例えば惨めに落ちぶれて彷徨う走が清瀬を拾うというシチュエーションもそうだし、ことあるごとに走につっかかるライバル、高校時代の因縁を抱えた榊と走の関係性もそう。
 至るところに、そこから妄想を飛躍させてしまうカップリングがばらまかれているのも、三浦しをんの狙い通りなのだ。
 いや……もう、さすが、しをんさん!と快哉……いや違うな、罵倒?したくなる、そんな素晴らしき妄想力の賜物だ。



 「愛と金のどちらが大事か」という命題はナンセンスだ。
 そんなもん、どっちも大切に決まってる。どっちか選ぶくらいなら、両方強奪して逃げる。
 「結果と経過のどちらが大切か」という命題もまぁ似たようなものかなと思う。
 結果がダメでも途中がんばってりゃそれでいいじゃん、なのか、結果が出なければ途中でくら頑張っても意味がないのか。
 この問いもまたナンセンスだ。
 がんばれば結果が欲しくなる。結果を求めるあまりに経過を蔑ろにすると、それに対するモチベーションが上がらなくなる。
 陸上ってまさにそんな結果と経過、どちらにも偏重しないで、並存し、初めて高みに達せるスポーツではないかと感じた。
 ただ走るという半ば苦行のようなそれは、「走る」ことが好きでなければとてもじゃないが続けられない。
 しかし、スピードを求めれば求めるだけ、過程の苦しみが「走り」の持つ喜びや楽しみからかけ離れていく、という絶妙なバランスで成り立っている。





 ところで、この小説のように素人同然の人間が、短いスパンの練習で、箱根駅伝のような大会でいきなりいい成績が出せるものなのかどうか、陸上経験のある友人に聞いてみた。
 答えは「ノー」。
 一年の練習で駅伝に出るには、それ以前のオフシーズンにちゃんと基礎練習というかたちで「種まき」をしている場合か、あるいはもともとの素養がよほど高い人間ではないと無理だ、と。
 このことから言うと、一部の例外を除いて、どちらかがある人間というふうに描かれている。
 つまりはこの作品に関して言えば、不可能というわけではないということか。

babatune06 at 06:54│Comments(0)TrackBack(0)小説その他 | 三浦しをん

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