2015年11月15日

半藤一利「ノモンハンの夏」



 このところ、夏になると太平洋戦争関係の本を読んでいる。大体、半藤先生の本である。
 今年は半藤先生の代表作である「ノモンハンの夏」。
 村上春樹の「ねじまき鳥クロニクル」でもエピソードとして、生々しいストーリーが描かれていた、満州とモンゴルの境界線で起きたノモンハンのドキュメント。

 ノモンハン事件は建前上、満州国とモンゴルの国境紛争とされているが、当時のモンゴルはソ連の後ろ盾を得て独立を果たそうとしていたし、満州国は満州事変以降、日本の占領下にあった。つまり、この衝突は日本とソ連の代理紛争的な位置づけにあった。事実、この事件は日ソ関係を大きく揺るがす。
 当時、満州国に駐留する日本帝国陸軍の指揮は関東軍 が担っていた。もちろん、その上には本国の大本営があり、統帥権そのものは天皇陛下に帰属していたが、遠く離れた大陸で次第にプライドを肥大化させ、増上慢となった関東軍は命令を独自解釈し、やがて暴走し、紛争を激化させていく。結果、その被害は大きなものになってしまった。
 その紛争の裏で蠢く政治的な駆け引き。英米との信頼回復、独伊との軍事同盟、ドイツとソ連の密約。それらを賭けて日本国内は激しく動き、大本営は関東軍の手綱を握りながら、引ききることができなかったわけである。
 下へ命令する位置にいながらにして「三宅坂の秀才たち」と全編通して、皮肉的な名前で呼ばれ続ける大本営の将校の面々は、煮え切らない態度でもって関東軍の暴走を放置、傍観、容認した。
 ここに辻政信という人物がいる。ノモンハン事件の当時、関東軍司令部の参謀を務め、戦後は戦犯から逃れること10年、大陸から日本へと逃亡生活を送った後、衆参両院で議員を務めた。
 半藤先生は議員時代に、辻氏に会っているのだという。
 辻は富に独断が目立った。
「中央部がぐずぐずしているから、独断でやるんです」と中国軍への爆撃を中央の承認なしで実行しようとしたという。この時は上官の厳然たる制止で爆撃を断念したが、ノモンハンでも「“寄らば斬るぞ”の侵すべからざる威厳を備えることが、結果として北辺の静謐を保持し得るものであるという、辻の強硬な精神が戦線の被害を大きいものにし、犠牲を増やした。
 戦後、辻の残した著書の中に記された数々の言葉に対 し、半藤は「いい気なものである」と冷めた眼差しを向け、そして厳しく糾弾している。
(その後、辻は議員としてラオスに視察へ行き、視察途中に行方不明になっている。戦犯逃れをしたものが事件に巻き込まれたということで、何か作為的なものを感じないわけにはいかない)

 辻にしてもその他の関東軍司令部の責任者たちにしても、後方から指揮していた制服組は厳しめの降格処分などを受けてもすぐに中央に復帰している者が多い。太平洋戦争の末期、彼らは高い地位に舞い戻っている。一方で現場から声を上げながらも、国家の名誉を守るためにと戦線に身を投じた者たちは戦禍の犠牲になっている。
 こつこつと良心の下でやっている者がバカを見て、人間関係だけでうまく立ち回る者が甘 い汁をすすり、何か非を犯しても仲間内で庇い合うという構図は今も昔もあまり変わっていないなと感じるのである。
 ノモンハン事件や太平洋戦争の道筋は、実に責任の所在をあやふやにする今の日本の在り方にもどことなく符号しているような気がしてならないのである。



babatune06 at 00:00│Comments(0)TrackBack(0)小説その他 

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