2012年07月10日
いろいろ in salon autonomic Paris 2012 --- 2011/03/11からの1週間
足が不自由な人が登山をするためのキャリア(?),後ろのポスターにあるように前後二人がサポートする.そういえばこのブースのおじさんに「JapanでもDisabilityがFuji-yamaに登ったんだろ?」と言われた.どちらも担がれて登っていることに違いはないのだが・・・.
車椅子のホイールに取り付けるバッグ,可愛い.
子供向けの玩具として松葉杖や白杖,歩行器などを使っている人たちの人形があるのが,社会的な受け入れ方に影響しているような気がしないでもない.
全方向移動車輪的なモノを使った,全方向移動じゃない車椅子.なぜピンク.以下は前回同様,チラシの裏に書くような殴り書きです-----
震災から数日間,眠れないながら処方された薬で眠りつつ,twitterなどで関係者の安否確認や職場への傷病休暇願(これは正直助かった)の作業などを細々と行う.その間,いろんな方からの安否確認や心配の連絡を受け,素直に嬉しかった.
そんな安否確認と情報確認の一環で某先生のブログにコメントを寄せたら,後から
「こーゆーときはブログなんかよりまず Twitter だろがコラ」(意訳)
って意訳されてて少々いじける(^^;.っていうか私,どう思われているんだ・・・?そして必要以上に洋服を持ってきていなかった某准に,私のジーンズ(少々緩め)を貸したらぴったりだった,なんか不本意.
そんなこんなは別として,今後について某准と検討.さすがに彼は仙台に戻らねばならない,しかし新幹線が止まっている今,どのルートで帰れるのかという検討を始める.そして私はどうするのか,このまま一人でここに残すわけにもいかないという結論に.結果,彼は羽田−山形を空路で行き,そこからバスで仙台へ,私は羽田−函館(実家)へそれぞれ移動,ということになった.山形→仙台のバスがどれほどの混雑か分からない,ということで,飛行機は18日の早朝の便に.
そして16日に某先生と3人で,近所の女将&若女将がいる(ボトルが全滅した)居酒屋に行って,それぞれの状況報告などなどしながら久しぶりにホッとした気持ちに.普段の私の酒量をご存じの某先生は,薬のせいで酒を控えウーロン茶を飲む私を,違う生物を見るような目で見てましたが….
その後,17日にとりあえず仕事道具(今にして思えば10日に身辺整理して持ち帰ってきていたのが奇跡的なような)と身の回りの荷物をまとめ,前泊のため夜に羽田に移動.計画停電や節電のため,今までとあまりにもギャップの大きい闇の深い街は不気味でした.そして翌朝,私よりも2時間ほど早い便の某准を見送ってから,少しでも手を動かして何かしていないといけない気がして,空港のラウンジで淡々とメール処理.そもそも羽田空港自体が薄暗く,明らかな異常事態という雰囲気が怖かったです.
けれども函館に着いて煌々と灯っている明かりを見たとき,安心感よりはすごいギャップと違和感を覚えました.ガスも電気も水道も復旧していないという仙台と,計画停電・節電で様相を変えた首都圏と,何事もなかったかのような函館.もちろん私一人が仙台や首都圏にいても何ができるわけではないのですが,何だかすごく申し訳ない気持ちになった記憶があります.
でも,その頃はまだ,せいぜい1ヶ月も休めば元のように復帰できるだろうと思っていました.遅くても2ヶ月,GW明けにはちゃんと仕事ができるようになっていなければ,と.少なくとも今でもメール処理や特集号のハンドリング,文章の校正や査読はできているのだから大丈夫だろう,と.
甘かったですね,はい.
そんな安否確認と情報確認の一環で某先生のブログにコメントを寄せたら,後から
「こーゆーときはブログなんかよりまず Twitter だろがコラ」(意訳)
って意訳されてて少々いじける(^^;.っていうか私,どう思われているんだ・・・?そして必要以上に洋服を持ってきていなかった某准に,私のジーンズ(少々緩め)を貸したらぴったりだった,なんか不本意.
そんなこんなは別として,今後について某准と検討.さすがに彼は仙台に戻らねばならない,しかし新幹線が止まっている今,どのルートで帰れるのかという検討を始める.そして私はどうするのか,このまま一人でここに残すわけにもいかないという結論に.結果,彼は羽田−山形を空路で行き,そこからバスで仙台へ,私は羽田−函館(実家)へそれぞれ移動,ということになった.山形→仙台のバスがどれほどの混雑か分からない,ということで,飛行機は18日の早朝の便に.
そして16日に某先生と3人で,近所の女将&若女将がいる(ボトルが全滅した)居酒屋に行って,それぞれの状況報告などなどしながら久しぶりにホッとした気持ちに.普段の私の酒量をご存じの某先生は,薬のせいで酒を控えウーロン茶を飲む私を,違う生物を見るような目で見てましたが….
その後,17日にとりあえず仕事道具(今にして思えば10日に身辺整理して持ち帰ってきていたのが奇跡的なような)と身の回りの荷物をまとめ,前泊のため夜に羽田に移動.計画停電や節電のため,今までとあまりにもギャップの大きい闇の深い街は不気味でした.そして翌朝,私よりも2時間ほど早い便の某准を見送ってから,少しでも手を動かして何かしていないといけない気がして,空港のラウンジで淡々とメール処理.そもそも羽田空港自体が薄暗く,明らかな異常事態という雰囲気が怖かったです.
けれども函館に着いて煌々と灯っている明かりを見たとき,安心感よりはすごいギャップと違和感を覚えました.ガスも電気も水道も復旧していないという仙台と,計画停電・節電で様相を変えた首都圏と,何事もなかったかのような函館.もちろん私一人が仙台や首都圏にいても何ができるわけではないのですが,何だかすごく申し訳ない気持ちになった記憶があります.
でも,その頃はまだ,せいぜい1ヶ月も休めば元のように復帰できるだろうと思っていました.遅くても2ヶ月,GW明けにはちゃんと仕事ができるようになっていなければ,と.少なくとも今でもメール処理や特集号のハンドリング,文章の校正や査読はできているのだから大丈夫だろう,と.
甘かったですね,はい.
baby_touch at 00:52│Comments(1)│TrackBack(0)
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この記事へのコメント
1. Posted by Zak 2012年07月10日 07:08
そのギャップはヲイラも良くわかります。こっちだと、武庫川を渡った途端に、ほとんど何も被害がない町並みがあって、神戸市内との差に唖然としたものです。何が明暗を分けるのかなんて、ホント、わからないものですよね。

