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確実に演劇というものは危なっかしい。僕の解釈で云うと、何だって演劇的に説明が付いてしまう。つまり、どこか遠くから誰かが全部見ている。そうなったら、世の中の出来事全部、まるで騙し合いみたいなもんや。もし世の全てが自意識の中に行われている事なら、いや、全てが意識的に起こる必然であり、偶然という名の運命の下で起こっている出来事なのだからこそ、それはいつだって演劇的なのだろう。それらを意識的に把握し、より高次元にて、意識の集合体である世界を創り、且つ、必然的に偶然の連鎖を起こそうと云うのだから、狂っている。新しい秩序と、世界の創造に他ならない。それは所謂「神」になる行為に近しい。そう思って、演劇とは接している。

確実に演劇って危ない感じがする。僕はどんな事も「演劇的だ!」と言ってしまえると思っている。つまり、「あなた」をいつでもどこかから「お客さん」という第三者が見てる、っていうこと。そう思えたら、やること全部、騙し合いみたいになってくる。もしも、やること全部本人が分かっててやってる事だとしたら、というか、全部分かっててやってる事なんやし、偶然とかも起こるべくして起こってるって感じするし、つまりそれは「あなた」がぼんやりと「お客さん」を設定しているということなんやろう。それを分かった上で、さらに一周回った感じで、もう一度「お客さん」を設定し直して、分かってて偶然を起こそうとするんやから、狂ってる。新しい秩序と、世界の創造に他ならない。それはいわゆる「神さま」がする事じゃないのかな?演劇の事は、そう思ってる。

去年の暮れ、悪い芝居主宰である山崎さんに電話をかけた。「役者がやりたいです」と言った。以前、軽くやけど、「しまん(彼は僕をそう呼ぶ)、役者やってみいへん?」と言ってもらった事があった。山崎さんとはけっこう前に出会ってて、確か21歳か22歳か、なんかそんな頃やったと思う。ぐんぐん山崎さんに迫ったのを覚えてる。あの時は、自由である為にポップは必要や、みたいな話をした。強引で力強い、聡明でタフな人、というイメージやった。そのイメージは今も変わらへん。とにかくブレない人やなと思う。芝居のことでいつも頭がいっぱいなんやろなと思う。

劇団子供鉅人で一度役者をやらせてもらった事があって、でももう六年前、2009年の事で、随分前やから、もう自分が役者やった事あるってのもよくわからん。とにかく壮絶に胸が躍った事は覚えてる。演劇ってなんて可能性ある表現なんやって、ひたすらビビりまくってた。で、今回、毎日稽古ばっかりしてたとき、ふとギター弾いて歌ったりしてみたら、ああやっぱり僕はそれなりに長いあいだギター弾いて歌ってきたんやなあ、と思った瞬間があった。ギター弾いてるとしっくりくる。そんな自分にびっくりした。いつのまにか、ギター弾いて歌う自分が、「普通」になってしまっていた。元来の自分って、なんなんやろうか。去年の暮れ、自分の事が分からなくなっていて、僕は信頼する山崎さんに「役者がやりたい」と伝えた。

今日は東京公演の小屋入りの日で、今照明器具を天井に吊るしているところ。このあと、舞台にセットの建て込みをしていく。大阪公演を終えて思うのは、ひとまず無事終えて幸せやって事と、僕はこの公演が大好きやって事と、まだまだいけるって事やな。僕は、この芝居を、ただの「おもしろ芝居」みたいなんでは終わらしたくない。観た人が、「何が表現したいんや!」ってなるくらい、無茶苦茶なところまでいきたい。舞台の上で命を爆発させたい。ストーリーも、役も、セリフも、音響も、照明も、美術も、バンド演奏も、お客さんも、どれも同じように大事で、でも実はそのどれもがオマケくらいのもので、本当に大切なものは、それらが全て出揃ってドチャッと混ざった時に生まれるモノで、それが僕たちの居る世界をより高次元へ連れて行ってくれるはず。


写真は、稽古期間中に泊めてもらってた野間家の縁側にて、蜘蛛が蟻さんを糸でグルグル巻きにしてるところ。image