(1994年5月4日 撮影)
どん。幼時、男の子は何かで一番に成りたかった。勝つのが嬉しかった。そして世界を救ってくれるヒーローに憧れた。通信簿には、「責任感が強い」の欄にマルが付いていた。思ったことを表現せずにいることが出来なかった。それは今もだが。秩序を乱していることに気がつくことが出来ない。どこへ行っても苛められた。辛かった。先生も手に負えなかった。親は、「お前は間違ってない」と言ってくれた。いつもマイノリティだった。何をしても上手く出来なかった。マジョリティに憧れた。
「いじめ」という歌について。子どもの自分にとって、苛められる毎日は、「エジソンは偉い人」ってくらい当たり前過ぎて、そこから抜け出せるなんて微塵も思っていなかった。物心つく前からずっと暗いマイノリティ側で生きてきた人間は、その境遇を、一般的に見れば「捻じれている」と形容されるような理屈で正当化して、毎日なんとか乗り切ってるんだと思う。少なくとも僕はそうだった。そんな僕に歌えることは、「いじめは良くない」なんてことではなくて、「人間は皆、自ずとマジョリティ、若しくはマイノリティのどちらかに属することになる」ということであり、「それは必然で、且つそれのどちらかが正しいという訳ではない」ということだった。
あの頃感じた気持ちは今でもありありと思い出せる。それは、生まれ変わったら、苛められる側ではなく、苛める側になりたい、ということだ。前述の通り、マイノリティの僕は、マジョリティに憧れた。というよりも、明るい世界に行ってみたかった。なにも人を苛めたかった訳ではない。ただただ、孤独で寂しい世界は嫌で、沢山人間の居る晴れやかな世界に行きたかった、という意味だ。いつもどこに行っても浮いているのは、自分は悪い星の下に生まれてしまったからなんだと、当時は全て諦めていた。自分の思ってること、判断、感情は、他人にとっても「普通」であり、同じように感じてると思っていたので、苛められるのはただ運が悪いだけ、と思っていた。大人になるにつれやっと、他人は自分とは違うことを考えてる、ということが分かってきた。そこからはあんまり苛められなくなってきたし、友達も増え出した気がする。馬鹿みたいな話に思えるだろうけど、これが本当に分からなくて、大変なことだった。僕はよく、そんな性格のことを「純粋」だと形容されて、まるで褒められているかのような勘違いをしていたが、それは、「マイノリティだ」と言われているのと同等の意味合いだったらしい。
ここで、少し突っ込んで話してみると、僕の立場からすれば、自身の持論をぶちまけて、差別迫害に遭っている当事者の状況をみだりに掻き回すのはいつも外野だ。つまり外野は壊れたサーキュレーターだ。うむ。そしてサーキュレーターたちはいつも勝手だ。その勝手な人たちは、殆どの場合がマジョリティだ。これはお願いだが、外野の方々はどうか当事者を後押しする立場に徹していてほしい。ところでマイノリティにはふたつある。社会的及び動物学的に弱い立場に置かれるマイノリティ、そして同的に強すぎる立場というマイノリティだ。僕の「捻じれた」理屈を元にすると、マイノリティだってマジョリティだって、それはただの立場であり、その立場に置かれることになるのは運のようなものであり、成るべくしてそう成っているというようなものであろう。時に、その双方が互いを陥れ合おうとする。それを見て僕は、本当に人間は元来より争い合うように出来ているな、と思う。若しくは、本当は互いに歩み寄りたいからなのか。
そして、この話にもし僕なりの結論があるとすれば、「大切にすべきは、人の感情である」ということだろう。どこからともなく湧き上がってくるその感情こそが、かけがえのないものだと思う。ただ、「多くのマジョリティからすれば、マイノリティが特異に感じる」という感情も、外野には否定されたくないところである。それは、僕が常にそれと辛く苦しい戦いを繰り広げてくることで上記の結論を得ることが出来たからであり、それ自体が僕のかけがえのない感情となってしまっているからだ。最後に、語るまでも無いが、最も大切なのものは、今あなたの胸の中にある、その無邪気な生命のエネルギーである。
「いじめ」 music video