明日、吉田寮の食堂で行われるイベントで演奏することになっている。外部からの持ち込みイベントで、東京で活躍する人たちが大勢出る。僕はこの間、ひとに案内してもらって、深夜0時の吉田寮に遊びに行ってきた。そこには、京大生や、京大生かどうかもわからない人たちが大勢居て、外国人の若者がMacでブンスカとハウスを鳴らしており、その隣にはビリヤード台があった。広いなと思った。調理場では若い女性が大量の麺と大量の生姜を茹でていた。その片隅にバンドセットが放置されており、それらを使って、一緒に来てた伊奈さんと、これまた一緒に来てた3月33日の野間さんと、小さな音で数曲演奏した。数人がお酒を片手に集まってきて、聴いてくれた。

以前、僕は、京都を拠点にバンドをやっていた。ハタチ過ぎた頃、丸三年間くらい。「the NO」って名前のバンドやった。僕は大阪の堺から通いで、あと三人は京都生まれ京都育ち。当時、なんでもかんでも気に食わんものは嫌いや嫌いやと言って生きてて、京都のことも嫌いやった。メンバーも練習とか遅刻してくるし、古口とか、渡辺とか、家から5分くらいやのに1時間以上遅刻してくるし。僕は大阪から来てるのに。でもみんなケラケラ笑ってた。お客さんも演者も境目が曖昧で、緩い空気やった。みんな仲良しこよしで、それに疑問があった。

でも、今まで歳を重ねて、振り返って、思うんやけど、とにかく懐が深い。京都は。結局、こんな僕に演奏する機会をくれたりもする。僕のこと「しまん、おーい」と呼んでくれたりする人も、ちらほらいる。何ということだ、と思う。

思い出深い出来事がある。京都大学に関わるきっかけは、「ベビー・ピー」という劇団が執り行った「はたたがみ」という芝居やった。場所は吉田寮ではなくて、西部講堂。その公演に「the NO」で生劇伴として出演した。夏の西部講堂はめちゃくちゃ暑くて、蒸し風呂みたいな芝居やった。みんな水を浴びながら芝居してた気がする。お陰でキラキラしてた。

稽古期間中、何人かの元京大生と交流を持った。その中の一人で、以前までは雀士として日本中旅をしており、今は京都に帰ってきて落ち着いてるという人がいた。大学にも相当長い期間在籍してたらしい。七年間いたって言ってたっけかな。モラトリアムを体現したような人やったけど、その人に、「なんで京都に帰ってきたんですか?」と訊いたら、「どの街にも居る理由が必要やったけど、京都だけは居る理由を問うて来ないから」と、その人は言った。その時、京都の核心に少し触れた気がした。吉田寮の存在も、そのときに覚えた。

京都に来たことある人は、「京都らしさ」ってものを肌で感じたりしたことがあると思う。確実に何かある。街とは人である、と思うけど、大きな存在のひとつとして、左京区、そして京都大学があると思う。京都は大学の影響が強い街だと思ってる。吉田寮は京都大学の学生のために設けられた自治寮だ。若者たちが一種の「京都らしさ」を引き継ぎ、新しくし続けてる場所のひとつだと思う。そしてもちろん、学問を研究する人たちが住まいとするための場所だ。この度、吉田寮は京都大学の意向で取り壊されようとしている。大学と話し合いによって合意し寮の今後を決めていく、という「確約」なるものを書面で結ぶことで、以前より自治寮として歩んできた吉田寮、そこを代表する面々が対話を求め続けているが、大学は、確約を反故にし、話し合いを中断、そこからは寮生の言葉に耳を傾けることなく、寮生を相手取って、4月に提訴、7月4日より退去を求めた裁判を始めた。対話を根幹とした教育は京都大学の基本理念としてホームページにも出ている。

僕は悲しい。また状況は違うかもしれないが、大阪府営のワッハ上方という劇場が、当時の橋下徹府知事にいきなり閉鎖されたのを思い出した。そこは、まだ売れてない芸人さんが、お金をかけず、たくさん舞台に立てる場所だった。文化は花と同じで、地中に種があり、最初は小さな芽が出る。芽は摘まれるが、種はその存在に気付かれない。気付かれずに、虎視眈々と英気を養っている。時間をかけてやっと花を咲かすことが出来れば、虫さんがたくさん寄ってきてくれるし、枯れても、種を作れれば、いつかまた違うところで咲くことも出来る。だから、花を咲かすためにも、良い土壌が必要だ。土壌が良くないと良い芽も出ない。これからも変化していく「京都らしさ」という花を咲かせ続けるためにも、良い土壌を保ち続けて欲しいと思う。それとも、多様化のこの時代に「らしさ」は必要無いのか。昔は「京都らしさ」が嫌いだった僕だけど、今はそうは思わない。京都は時間がゆっくり流れる場所、時間をかけて付き合うのがいい気がする。吉田寮がどんなところか知らない人は、是非足を運んで、見て、流れている空気を感じてみて欲しいなと思う。生活空間やし、配慮は必要やけど、優しい人も多いから、誰かと話したりしてみて欲しい。もしこんどのイベントに来てくれるって人も、みんな仲良く楽しみましょう。あそこはそういう場所やと思う。

僕は吉田寮の人でもなんでも無いけど、あの場所を気にかける者の一人です。自由な環境からは、様々な豊かな発想が生まれてくるものだ。そんな環境を失くすことは、学問的、文化的、ひいては社会的な損失だと思う。吉田寮が直面してるこの状況を、一人でも多くの人が知って、何か感じてくれますように。




分かりやすい記事があったので、勝手ながら紹介させていただきます。

京都大吉田寮問題とはなにか――大学自治の行方 / 広瀬一隆 / 新聞記者 | SYNODOS -シノドス-

https://synodos.jp/society/22875