子どもは幼い時には、見えない世界の
本体の意識と太く繋がっています。

その本体の意識は、古い魂で様々な
経験を重ね、才能を開花させ、
身につけてきた歴史をすでに持っています。
宇宙の叡智に溶け込んだ意識でもあります。

そのため、子どもたちは大人には
見えないものが見えますし、
人や動物、あるいは花や石ころの
気持ちを読み取ることもできます。

稀に、数学や楽器演奏、運動能力で、
大人顔負けの才能を発揮する子もいます。

大抵の子は、早々に見えない世界との
パイプが細くなりますが、
もともとは皆んな経験豊富な魂なので、
見えない世界とのパイプが遅くまで
繋がっている子どもは、別の人生で
培った能力を発揮することが出来るのです。
そこには計画された個人差があります。

しかし、やがて思春期に近くなると
その才能に急ブレーキがかかったように
萎むことがあります。

幼児期を過ぎ、今生でテーマとしてきた
人生が本格的にスタートすると、
テーマに必要のない才能は影を潜めるのです。
それは失われたのではなく、必要ないのです。

幼い時からの英才教育は効果が出やすいものです。
ただ、子どもの心の安定を基盤にしないで、
能力の追求だけを行うと、
見えない世界とのパイプは詰まり、
才能は失われるでしょう。

本体の意識は、生まれて来る前からテーマを掲げ、
そのための条件を引き寄せますから、
子どもが楽しんで英才教育を
受け入れる時もあるでしょう。

もしも、楽しめなくなったら、
それも受け入れて強制せず、
次のステージは何を引き寄せようとしているのか、
楽しみに見守ってほしいものです。

時に、別の人生で培った才能を
特別な形で今生に生かそうとする魂もいます。
彼らは自閉症スペクトラム症候群といった、
「普通ではない」というレッテルを
貼られることもありますが、
見えない世界とのパイプを
ずっと維持する代わりに、
現実界で普通に暮らすには、
少々難がある状態をあえて選んでいます。

人並み外れた記憶力や感覚。
それは時に過敏症という負荷となり、
心を怯えさせることもありますが、
それを克服してでも、
やってみたいことがあるのです。

なにかの間違いでそうなったのではなく、
生まれる前からの魂の選択なのです。

そしてそれを受け入れることが
出来ると見込まれて、
また、見えない世界で合意して、
親のもとに生まれました。