とりあえず、いってみよう


幼少期から貧困と虐待にまみれた生活を送っていた少年3人が少年院で出会い、出所後窃盗団を結成し、被害届を出せない犯罪者だけを対象に「タタキ」と称した強盗や窃盗で世の中を変えようとする話し。
※漫画はフィクションだが、オレオレ詐欺などの犯罪に関する描写は忠実に再現しているとあとがきに書かれていた。

「ギャング―ス」の意味は
毒蛇「ギャング」を食う「マングース」になぞらえたものらしい。
完全フィクションではなく2年以上の取材を経て実際にあった詐欺事件を元に作られた漫画だと聞いていたので、いつか読もうと思いながらも全16巻という長編ものだったのでなかなか手がつけられなかった。
しかし、先日事故に遭い医者から休めと言われたので、いい機会だと思いベッドの上でこの漫画を一気読みした。

ギャングースを読んだ人の中には
「日本にこんなひどい環境で育った子どもたちが本当にいるの?」
と思った人もいるかもしれないが、まぎれもなくこれは事実だ。
「ギャングース」は現在(いま)の日本の縮図といってもいいだろう。


ギャングースは一貫して「本人」の目から見た社会が描かれている。
貧困と暴力にまみれた環境、学ぶ機会も奪われ、漢字も満足に読めず流行りのテレビも知らない。
全うに生きるチャンスも与えられず、さらに過酷な環境に身を置き、ただただ生きるために犯罪に手を染めていく。
彼らの生い立ちだけにフォーカスするのではなく、犯罪のリアルと彼らの「生きる力」をこれでもかというほど見せてくる。


決して遠い世界ではない。
分かれ道で迷っている人もいる。
ぐるぐる回って戻ってくる人もいる。
被害者とも、加害者とも出会うのが私たちの仕事だ。

心に刻んで、腹を括って、何ができるかを考え、目の前の苦しんでいる人と真っ直ぐに向き合おうと思った。




著者は中学生。
久々に目が覚めるような衝撃を受けた。
何も考えず、何の情報も入れずにまずは一読されることをお薦めする。




昨日、訪問から戻ると私の机にメモが残っていた。
「◯さんという女性から電話がありました。ハバネロ(HN)さんと早急に連絡を
取りたいそうです。内容は話されませんでした。」

聞いたこともない名前だったので受電したスタッフにどんな声(様子)だったかを聞くと
「混乱したり取り乱している様子はなく、丁寧な受け応えだった。」
ということだったが、内容を話さなかったということはかなり混み入った事情の
緊急対応を要する相談かもしれないと思い、折り返しの電話を入れようと
受話器を手にしたところで、電話が鳴った。


電話の相手は元夫の遠い親戚からだった。
ああ、いよいよこの連絡を受ける時がきたか・・・。

私と元夫は他人になったが息子はそうではない。
元夫に何かあれば当然連絡はあると予測していたが、あまりにも早い訃報に
「そうですか・・・」
という言葉しか出なかった。



ここ数年、成人病の悪化から重度の合併症を患う男性の生活支援を
MSW(医療ソーシャルワーカー)から依頼されることが増えている。
多くは60歳前の発症だ。
様々な事情から家族と疎遠になり、その後病気が悪化し、仕事も失い、
たった独りで誰の助けも求めず地域の中で孤立した生活を送っている、
そんな男性が少なくない。

若い頃は家庭も顧みず奔放に生き、周囲との摩擦からトラブルを繰り返し、
そんな生活に疲れ果てた妻は子どもを連れて家を出て行ってしまう。
自暴自棄から徐々に生活も荒んでいくが、彼らには独自の「美学」がある。
その美学を貫いたら後戻りできない結果になってしまったと、
小さく笑って話をする姿を何度も見てきた。

彼らと歳がそう離れていない相談員を前に
「あんたみたいなしっかり者の奥さんやったらなぁ。あ、でも毎日
 怒られるから、それはやっぱり嫌やな。前の奥さんの方がええわ。
 この話はこれで終わり!もう二度と言わんからな!」
そう言って、ヘルパーがあかん、医者があかんといういつもの話に戻っていく。



今から4年前、元夫の知人から連絡があり、
「息子に会いたい」
という伝言を預かっているので、なんとか会わせてやりたいという依頼を受けた。

息子と父親は8歳の時に会ったきりだ。
私が会わせなかったのではなく、息子の拒否が強く、会わせる場をつくることが
できなかったことをその知人は知らない。

当時、息子が面会を拒否していることは伏せて、適当な事情を言って私だけが
1年に1回程度息子の近況報告を元夫にしていたのだが、何度目かの秋に
昼間から水のように酒を飲み、凄む姿を見て
「こりゃだめだ」
と確信し、元夫との一切の連絡を絶った。

私的感情は入れず、成人した息子に会いたいと父が希望していることを
丁寧に説明し、「会う」という選択が父の救いになることも伝えたが、
彼は8歳の時と同じようにきっぱりと拒否をした。
しかし、
「うーん、会えないけど、手紙を書くよ」
と言ってきた。
息子なりに考えたのだろう。
短いながらも父に宛てた手紙を託してくれた。
父の身体を気遣い、自分の仕事の内容を手順通り律儀に書いた
息子らしい手紙だった。



息子は自閉症だ。
3歳の記憶が今も消えない。

飲んでいた酒の銘柄、タバコ、大きな声で叫び、壁に穴を開けたこと、
わざと足を引っ掛けて転ばされたこと、頭を叩かれたこと、
その姿を見て私が夫をスリッパで殴ったこと、私が殴られたこと、
いつでも逃げられるように服を着たまま寝かしつけられたこと、

すべてを覚えている。

「恐怖しかない」
彼は私にそう言った。

それでも、彼は手紙を書いた。
恨みごとも書かず、本心も伝えず、ただただ淡々と。



元夫の訃報を聞いても涙は出なかった。

深夜、幼い息子が眠っている時に泣きながらアルコール依存症の治療を
受けて欲しいと懇願したが、受け入れてくれなかったあの時に、涙を
使い果たしたのかもしれない。


息子に障害があるとわかった時、きっと苦しんだのだろう。
歳の離れた妻に泣き言も言えず、障害があることを否定し、
受け入れなかった自分の身内に相談もできず、
ひとり、悩んだに違いない。
他の子どもと違う息子の行動を見て、絶望的な気持ちになっていたのかもしれない。
病に倒れた後も息子を思い続け、時々ヘルパーさんに息子の話をしていたのかもしれない。

ひとりなった彼は、何を思い暮らしていたのか?


私は心底冷たい人間かもしれないが
彼の「会いたい」という願いを叶えられなかったことに後悔はない。

息子の意思は、息子のものだ。
息子の記憶は、息子の中にある。
息子の人生もまた、息子の選択で紡がれていくのだ。


相談の現場でもつなぐことで家族と再会できた人、できないまま亡くなった人、
それぞれある。



人それぞれ、

人生、それぞれだ。





さて、空を見ながら今日も働くか。












先日、ちょっとした事情で相談支援について報告できる場が与えられた。
ものものしい会場で審査員席に向かって話すというオーディエンスのいないM1の決勝戦みたいな感じだ。

与えられた時間はプレゼン20分、質疑応答が10分。
12年分の報告と今後の展望を20分で話せとは・・・。

いや、時間が長けりゃいいってもんでもない。


仕事が終わった後、一人静かに考える時間をつくり、
何日もかけて、何度も何度も考え、まとめ、
修正し、また考え、また修正し・・・

結果、相談支援は

何ができるのか、
何がしたいのか、
何が責務なのか、

に、ごく自然と行き着いた。

でもそれは、「全国区基準」ではない。
おらが「まち」を目玉親父になった自分がドローンで飛んでみて、考え、行き着いた結論だ。

・土台となる組織の理念
・相談支援を受けるに至った経緯(私個人が主語ではない)
・相談者の推移(対象者別人数の推移)
・相談支援の仕事(理想論ではなくリアルな仕事の内容)
・当事者がもつ力
・「まち」で何が起きているのか(権利擁護を事例で説明)
・「つながる」「よりそう」という言葉を具体化する
・「人とまち」が必要とする相談支援とは
・私から一言(ここだけ主語が私)


内容が濃いので爽やかな感じで話してみた結果・・・。
しばらくシーンと静まり返ってしまった。

結果オーライなので、まぁいいか(笑)



考え、実行し、振り返って、また試行錯誤しながらやってみて・・・
そんなこんなで12年。

「相談支援」という名の「事業」が必要なのかどうかはまぁ置いといて、
困っていることやどうにもならないことを損得抜きで一緒に考え、
本人の心や身体が楽になって動きやすくなるような手伝いが、
いい塩梅で出来る「人」や「場所」は必要だ。


12年前も今も。
私が担当する「まち」では相談支援がそれを担っている。



そんなことを20分間話してみました。

このページのトップヘ