とりあえず、いってみよう



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展海峰から見た風景。
日本本土最西端にある九十九島が一望できる。
仕事を持ち込んでの弾丸ツアーだったけれど、“何これ珍百景”で紹介された水族館のようなお風呂(by長崎県平戸市)にも入ったし、ほんの少し現実逃避できた旅行だった。



1月に入ってすぐに山本さん(仮名)から母に連絡が入った。
※山本さんについては「つながっている」を参照。

2月に九州旅行に行こうというお誘いの電話だったが、
「仕事で疲れている娘(私)も誘おう」
ということになったらしく、私までエントリーされていた。

お誘いは非常に有り難かったが、何せ仕事がてんこ盛り。
どうやっても「完全に仕事を忘れて」旅行のみを楽しめる状況ではない。
でも、母と山本さんだけで(私もおまけで入ったけれど)旅行することは今まで一度もない中、なぜ「今」なのか、きっと何か理由があるのだろうと思い二つ返事で誘いに乗った。

新幹線の中では二人は娘のようにきゃっきゃと盛り上がり、私は溜まっている仕事をえげつないスピードでこなしながら、時々会話に参加していた。
前線の仕事(直接支援)とその他業務(会議出席やデスクワーク、法人の管理業務など)のバランスが五分五分な月ばかりではない。
緊急事態になると前線業務にウエイトが高くなり、その他業務は深夜に持ち越しとなる。
毎年、2月はそこそこな感じで余裕もあるのだけれど、今年は違う。
何かが違う。

そんなことを思いながら、博多駅に到着するまでの間にまず一仕事が終了。
その後はホテルに到着するまで観光を楽しむことにした。

国内ツアー旅行に参加する層というのは、ツアー内容にもよると思うが高齢層が多いような気がする。
美しく、饒舌で面白い添乗員(「きれいな(上沼)恵美子」と命名)に付いて行くだけでそれなりに旅行を満喫できる。
仕事から完全に頭を切り離せない状況での旅に「きれいな恵美子」の存在は非常に有り難かった。
※「きれいな恵美子」は「きれいなジャイアン」を真似て呼んでいる。

ホテルに到着すると娘風な盛り上がりを見せる二人は早々に大浴場に行き、私は部屋に残って仕事を再開した。
これじゃあまるで、イケてないお父さんじゃないか。
いや、私はお父さんじゃない。今日は最年少の「娘」のはずだ。
こうなったら、さっさと仕事を終わらせて大浴場→マッサージと洒落込もうじゃないか(その感覚が娘ではない)。

仕事を八分目まで片付け夕食を堪能し、そこから入浴→マッサージを終え、一段落ついたところで山本さんが静かに口火を切った。

「あのな、実は姉ちゃん(私の母)にどうしてもお礼が言いたくて今回旅行に行こうって誘ったんよ。」
母は突然の言葉に驚いた表情を見せたが、山本さんは続けた。

「もう30年経つんよね・・。あの時、姉ちゃんがいてくれなかったら私は間違いなく子どもを道連れに心中をしていたと思う。毎日ご飯作って一緒に食べてくれて、一緒に泣いてくれて。兄弟でもそんなことしてくれへんのに、赤の他人の姉ちゃんがずっと私を支えてくれた。私な、今年還暦なんよ。ここまで生きてこれたのは姉ちゃんのおかげやねん。だから、真っ赤な服来て姉ちゃんと一緒に旅行したかってん。」

母はその言葉を聞いて号泣した。
「そんなこと思ってくれてたん・・。ありがとう。でもな、私も救われたんよ。娘(私)の子どもに障害があるってわかった時、意地を張って助けを求めなかった娘に「親に甘え」って言うてくれたよね。あの言葉に私も娘もどれほど救われたか・・・。」

そうか。
あれから30年も経ったんだ・・・。

涙が笑いに変わった頃、改めて私からも二人にお礼を言った。


ほんまにありがとう。
これからもよろしくお願いします。


山本さんの命の恩人の母。
私の命の恩人の山本さん。
そして・・・。

うん。
まだまだ


つながっている。




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  やっぱりネコが好き。
  好きすぎて、今年もカレンダーを作ってしまった・・。







息子はいわゆる障害者で
4月には勤続4年目の、一見すると中学生のような風貌の社会人だ。

バス停前ではスマートフォンで音楽を聴き、画像検索でプリングルスのラインナップを見て喧騒をまぎらわし、電車は混み合う急行を避け、各駅停車に乗っている。
会社到着はいつも1番か2番。
「余裕がないと混乱する」そうだ。
電車通学するようになった高校生からこのスタイルを貫いている。



2歳2ヶ月から1年間「精神薄弱児通所施設(今は療育センター)」に通い療育手帳は2歳半の時に取得した。
2歳10ヶ月で自閉症と診断され3歳2ヶ月から3年間加配付きで保育所に通った。


小学校では入学式をパニックで一時中断させ、校長先生より先に壇上に上がりお詫びと自閉症の説明をした。
保育所で初めて息子の障害の説明をした時は泣き吃逆で話せなくなったがその当時の姿を見ていた、たくさんのお母さんが見守ってくれた入学式では泣かずにしっかり説明できた。
当時はかんしゃくを起こすと「どろぼー!!」と叫ぶこだわりがあり、事前に説明しておかないとあっちこっちから通報されそうな勢いだった。
小学2年生の時にとうとう近隣から通報され、複数の町会の役員さんが見回りに来た。
今だったら町会ではなくこども家庭センターに通報されるだろう。

特殊学級(今の特別支援学級)には小学1年から中学3年まで在籍した。
低学年は「本人の利益」を考えて親が決め、高学年から中学校は「本人の選択」に任せた。

担任は毎年変わった。
特殊学級の担任と部活の顧問も含めると6、3、3の12年間で20人を超える先生が息子と向き合ってくれたことになる。
本人が今も尊敬し、心の支えにしている先生とも出会えた。
祖母のように優しく包み込んでくれた先生、いかなるいじめからも大人として教師として守り抜いてくれた先生、自分の弟(自閉症)と姿が重なり悩みながらも真っすぐに向き合ってくれた先生、声が大き過ぎることを長所にして歌の指導をしてくれた先生、クラブ活動で根気よく指導してくれた顧問の先生・・・。
「もうひとつ」な先生もいた。
でも「もうひとつ」というだけに、殆ど記憶にない。
(本人も同意見らしい。)

気がつけば、親が息子の説明をして回るのではなく、強みに気づいた先生が他の先生に伝えていくという教師数珠つなぎ方式で大人が見守り、バトンを受け取る余力のある子ども達に「サポートの極意」が受け継がれていった。

その一方で辛い体験もたくさんした。
家で暴れ、叫ぶこともあった。物を壊すことも、親を殴ろうとしたこともあった。
(いや、実際結構殴られたな・・)


彼はその体験を思い出そうとも語ろうともしない。
だから私も聞かない。
乗り越えたわけではないけれど
「嫌な子もいた。でも、そうじゃない子もいた。」
そんな風に一言だけ発したことがあった。

息子が学校に、人に絶望しなかった理由はなんだろう?
→むかしの記事にちょこっと書いていた。



子ども同士の関係は、ひとつ間違えると大暴走する。
大暴走した列車を子どもの力だけで止めることは困難だ。
どんどんスピードが増し、狂喜する。
何が正しくて何が間違っているかなんて、どうでもいい。
「退屈」でなければなんでもいい。


誰が子どもを守るのか?
加害者が抱える本当の痛みを吐露するために向き合えるのは、
地獄のような苦しみから被害者を救えるのは誰なのか?

教師や親である前に、「大人」なのではないかと私は思う。



子どものプライドを守り、介入し過ぎず放置もせず大人たちが支え、見守った息子は22歳になろうとしている。

「苦手な仕事もある、得意な仕事もある」
「苦手な人もいる、そうじゃない人もいる」

重くもなく軽くもない口調で、大人になった息子はそんな風に私に言った。











1巻の前半部分は読み進めるのが辛い漫画。
辛かった経験は、決して美談にはならない。
怒りに任せた大人
放棄した大人
諦めた大人
子どもだけでなくいろんな大人が登場する。
続きがあるので現時点で評価はできないが、今後どんな風に展開するのか気になるところだ。






  
   




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ラーメンが好きだ。
今年はいったい何杯食べただろう。
相当な数のラーメン屋を巡ったことは間違いない。

11月はしっちゃかめっちゃかに色々と起こって、
休んだ記憶があまりない。
深夜にかかってくるかもしれない緊急連絡のために携帯電話を
握りしめ、でもよく眠るので睡眠不足にもならず・・(笑)
峠は超えたので今は携帯を握りしめて眠るということも
なくなり、こうやってブログをアップする余裕もできた。


さて。
今から約2年前に
相談支援は真っ白な灰になるほど燃え尽きるのか?
という記事を書いたのだけれど、意外にもこの
記事は現在も定期的にぼちぼちと「燃え尽き」などの検索から
飛んできて読まれていたりしているようだ。 

自分のブログの中でも検索で一番読まれている記事といえば、
トカゲのおっさん
だ。これはまぁ、わかる。
あの幻のコントを懐かしんで「トカゲのおっさん」で検索して
飛んでこられた人が多いようだが、申し訳ないほどお笑い
テイストがない記事だったので、読まれた人はがっかりした
んじゃないかと思う。
どうもすみません・・・。



「相談支援は真っ白な灰になるほど燃え尽きるか?」
という自問を記事にした頃は、これから相談支援が変わりますよ、
という意味も含めての問いかけだった。

で、その後相談支援はどうなったか?

答えは計画相談の伸び率を見ればわかるだろう。
サービス利用者68万人に対して、サービス等利用計画は
何人の人に作成されたのか?
指定相談支援事業は劇的に増えたのか?
相談援助ができる相談支援専門員は倍増したのか?
基幹型相談支援事業は着実に設置されているのか?

厚生労働省
障害福祉サービス、障害児給付費等の利用状況について
http://www.mhlw.go.jp/bunya/shougaihoken/toukei/dl/01-24.pdf

障害者相談支援事業の実施状況の調査結果について
http://www.mhlw.go.jp/bunya/shougaihoken/toukei/dl/h24-syogaisoudansien_a.pdf

計画相談に乗らない支援をしている委託相談支援は本当にいらないのか?

平成24年10月から施行された障害者虐待防止法に本気で
取り組むなら、相談支援は数よりも質だと思うのだけれど。
通報(気づき)から、アクションを起こせる支援者を育成しないと。
だって、虐待を暴くのではなく様々な事情で虐待に至ってしまった
養護者や施設従事者、使用者を支えることもこの法律(虐待防止法)
の目的なのだから。
虐待防止センターを一カ所(殆どが市町村)設置しただけで
何が変わるのだろう?
通報をきっかけに、枝葉を広げて支えていくための相談支援じゃないのか?
それとも、相談支援は計画だけを立てていればいいのだろうか?

自分はこの間、やいやい言われている計画相談よりも、やっぱり
地域にこだわって計画相談(サービス利用)に乗らない人を探して、
つながっていくという活動を続けた。
高齢者や児童など直接業務でつながらない機関や医療機関と一緒に
大切な「命」を孤独や貧困という理由で消さないように、そりゃもう
一生懸命取り組んだ。

もしもその取り組みが、計画相談を遅らせていると指摘されたら、
「知らんがな!」
と言うだろう。

虐待防止のための支援や危機介入もしながら計画相談を進めている
基幹型相談支援事業所もあるようだが(配置職員も多いんだろうなぁ)、
職員数の少ない委託相談支援の場合、二兎追うものは一兎も得ず。
求められるままに無茶をしたら、人間だもの。
燃えつきてしまう。
計画を立てる人、計画に乗らない多問題ケースを担当する人と
相談支援専門員も分けた方がいいだろう。
職員の質も数も潤沢な基幹型相談支援っていったい何カ所あるん
だろう?

まぁ、そんなことをつぶやきながら今年も燃え尽きることなく元気に
年末を迎えようとしている。



“リア充(リアルに充実)”の真逆である“リア空(リアルに空虚)”
だという話を聞くことが多かった1年だったけど、

「生きていてもいいことない」→「いいことないけど生きている」
「同世代を見るのがつらい」→「同世代の流行は気になっている」
「外に出る気分になれない」→「気分がよければ外に出てもいい」
「将来が不安」→「これからのことをよく考える」

どれも自分には過去形ではない、現在進行形のように聞こた。
だから、
「リア充」や「素敵」や「かわいい」には、実は嘘だったり盛って
いたりすることももいっぱいあるんだよと言いながら、ストレート
以外の変化球もスピードが速い・遅いに関係なく、とにかく色んな
球を下手くそなりに捕ってみた。

で、下手ながらもいっぱい球は受けた中で、ひとつわかったことがある。
中途半端な技術やプロっぽさを前面に出すと、相手に失礼だという
ことだ。
投げてくる球のクセは相手に聞いた方がいいし、違っていたら謝った
方がいい。
そうやってキャッチボールをすることでお互いの「意識のズレ」の
改善もできる。

イマイチかもしれないけど、いないよりマシぐらいで
付き合ってくださいとお願いしていたら、イマイチな自分に
幻滅する人は減り、逆に心配してくれる人が増えてきた。

「体調どうですか?」
「腰、大丈夫ですか?」
「年なんだからお大事に」

「自分」にだけ向いていた気持ちが「相手」に向けた言葉を出して
くれるようになっていく。




生きるということに、たくさんの言葉はいらない。
言葉じゃなくてもいい。
声を出すことからはじめてみよう。
音痴でもいい。
ちょっと歌ってみよう。
音楽に身体を合わせて揺すってみよう。
お湯を沸かしてラーメンを食べてみよう。
美味しいねって言い合ってみよう。

過去形じゃない。
進行形の気持ちがあることはわかっている。

だから、だいじょうぶ。


かたちや評価にこだわらなければ、支援者は燃え尽きない。
福祉サービスにつなぐことが全てじゃない。
そのことを向き合った人たちから教えてもらった1年だった。

まとまらないけどまぁ、そんな感じだ。




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