写真 (27)

       風になびく大漁旗

東北の漁港を思うと胸が痛む。
新閣僚には復興に向けた政策対応の強化を切に願う。





私が高校生の頃、毎日のように母と一緒に過ごしていた女性がいた。
その女性は、自宅の斜め向かいに住む若い奥さんだった。
奥さんは、なぜかいつも泣いていた。
母も一緒に泣いていた。

1年以上後に、女性(仮名は山本さん)と母が泣いていた理由を父から聞いた。
山本さんのお子さんは、生まれてすぐに「ダウン症」と診断され、心臓に重い病気も抱えていた。
「20歳まで生きられないだろう。」
医師から受けた宣告を山本さんは受け入れることができず、ただただ泣き続け、
毎日死ぬことばかり考えていたそうだ。
食事も喉を通らず、憔悴しきった山本さんの姿を見かねた母は、
毎日自宅に誘い、食事を作り、こう言い続けていたそうだ。

「一緒にご飯食べよう。何もでけへんけど、一緒にいよう。」
 

10年後。


私は、アパートで息子と二人暮らしをしていた。
両親の反対を押し切った結婚は、わずか3年で破綻した。
息子が自閉症と診断されて間もない中、母子だけで親に頼らず
生きていくということは想像以上に過酷だった。

昼は仕事、夜は眠らない息子をあやす毎日。
パニックを起こし、金きり声をあげる。
ひとたび興奮すると、深夜でもその声は止まらない。
地獄のような日々だった。

ある夜、ひどい悪夢を見た。
息子の声がうるさいと怒鳴り込んできた男性に包丁で刺される夢だった。
刺された瞬間飛び起き、隣に寝ているはずの息子と目が合った。
やっぱり息子は起きていた。

もうだめだ。
もう限界だ。
子どもを殺して自分も死のう。
我が子の顔に枕を押し当て、寸でのところで手を離した。

息子の主治医にその出来事を話したところ、すぐに息子が
入院するか、実家に預けるなどして夜間は母子が離れるように
強く勧められた。
息子は4歳。
入院なんて無理だ。
でも、勘当同然で出て行った実家に、どの面下げてお願いできるんだ。
ぎりぎりの状態にいるのに私はまだ意地を張っていた。

何かを察知したのか?
突然山本さんから連絡があった。
普段は直接電話がかかることなんてまずない。
すぐに実家に来るように言われ、行ってみるとそこには山本さんの姿があった。
母は静かに夕食の準備をしてくれていた。

母が作った夕食を食べ、お茶を飲んでいる時に山本さんから
こう切り出された。

「私な、あんたのお母ちゃんに助けてもろてん。
10年前な、死ぬことばっかり考えててな、泣いて泣いて涙も枯れるぐらい
泣き続けててん。
お母ちゃんな、毎日私にご飯作ってくれて、一緒に食べてくれて、一緒に
泣いてくれてん。
なんで、お母ちゃんに甘えへんの?
何を意地張ってんの?
お母ちゃんに助けてもらい。素直にならなあかん。後悔するで。」

泣きながら私を諭す山本さん。
その横には、肩を震わせて泣く母の姿が。

ああ、昔見た光景だ。
10年経って、あの時の2人は私や息子のために泣いてくれていた。


山本さんの言葉がなかったら、今の自分はないと思う。

いつか、何かのかたちでお返しがしたいと思っていたら、
先日、母から山本さんが子どもさんのことでとても悩んでいると
聞かされた。
役に立てるならと、悩んでいることについて話を聞き、
具体的な解決策を提案させてもらった。

そして、先日。
疲れきっていた私に、山本さんが心からのお礼を言ってくれた。

助言をしたつもりが、またも山本さんに救われた。

ありがとう。
山本さん。

ありがとう。

お母さん。


地域には、昔の私と同じような気持ちの親御さんが、間違いなく存在する。
踏みとどまってもらうためには、家族だけではなく、第三者の支えも必要だ。

だから、昔の私のような人に出会ったら、必ずこう言っている。

「もしも、もしも、消えてしまいたいと思った時は、家族の次に、
私も思い出してください。
しぶとい人間がいることを思い出してください。
死にたい時は、死にたいって言うてください。
メールください。
家族でも友達でもないですけど、意外と捨てたもんとちゃいますよ。」


箱ではなく人だ。
システム、仕組み、なんでもいい。
それを運用するのは、人間だ。


だから、やっぱり諦めたくない。
しぶとくいこう。
命の火を消さないために。

いや、消えてしまった命を悔やむ家族にも、

それでも生きていきましょう  (ドラマじゃないけど)

そう言い続けるだろう。

共に歩むってそういうことなんだろう。