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旭山動物園 “空飛ぶペンギン”

シロクマ、アザラシ、レッサーパンダ・・・
人間が「見る」というよりも、動物に「見られている」という感覚。
まだ行ったことがない方は、園長の辛口ブログを読んでから足を
運ばれることをお勧めする。






映画を観てからどうもすっきりしない。
モヤモヤした気持ちのまま仕事に明け暮れていたら、
またも悲しい事件がニュースで流れていた。

大阪・北区で母子?の遺体見つかる 餓死や病死の可能性も

http://sankei.jp.msn.com/west/west_affairs/news/130524/waf13052421150026-n1.htm


ネット上ではたくさんの人が記事をシェアし、
「悲しすぎる」「なんで誰も気づかないんだ」
「福祉は何をしてたんだ」という声(言葉)で溢れている。


障害を苦に無理心中を図る事件や、
DVが原因で所在を隠して暮らす母子、
知的障害、精神疾患があり路上生活をしている人たち、
軽微な罪を犯し生きる手段として刑務所の中にいる知的障害者や高齢者、
(その逆に事情聴取で説明できず、えん罪で服役している知的障害者)
居場所を求めて風俗の世界や闇社会で生きるボーダー領域(未手帳)
の人たち


全て真実だ。
映画でもドラマでもない。

ニュースになれば心がざわつき、我がことのように落ち込み、不安に
なる人もいるだろう。
けれど知ってもらいたい。

この現実と向き合い、ひとりひとりの幸せを願いながら真摯に取り組んで
いる人たちが沢山いるということを。

防げなかった悲しい事件の裏側に、
生きる希望を見出し、新たな一歩を踏み出している人もたくさん
いることを。


各地で起きた障害を苦にした心中事件や生活苦からの病死(餓死)
に至った事件など、どれも詳細な背景などは報道されていないため、
ニュースを見た人はただただ悲しくやるせない気持ちになってしまう。
「死」という現実だけがクローズアップされ、そこに至った経過を
丁寧に追いかける記事を私は殆ど見たことがない。



映画「くちづけ」もそのひとつだ。

映画としては良作だ。
しかしそれは、映像(見せ方)として一流という意味であり、親子愛が
リアルで痛烈なメッセージが込められているという意味で良作だと
感じている。

あの映画は「事実をもとに」とされているが、おそらくノンフィクション
ではない。
ある新聞の小さな記事を見て、イメージを膨らませて脚本がつくられ、
舞台になり映画化されているのではないだろうか?
理由は、映画の中に出てくる知的障害者の自立支援のためのグループホーム
の描写に、いちいち引っかかってしまったからだ。


障害者の生活の場となるホームは、一度立ち上げたら運営を継続する
責任がある。
都道府県の指導も監査も受ける。
個人的感情で安易に運営できるものではない。
管理者として「暮らしを守る」責任があるからだ。
だから、「本当は」簡単に閉鎖できない、いや、してはいけないはずだ。


<映画の中のグループホームの描写について>
★世話人はアルコールを飲みながら業務に従事してはいけないし、
責任ある業務なので“泊を伴うボランティア”を採用するのではなく、
“泊を伴う世話人(スタッフ)”として採用しなければいけない。
知的障害のある娘の入居希望であれば理解できるが、
★“親と知的障害のある子どもが住み込みでボランティア”という
設定はまずあり得ない。

グループホームを運営している管理者も世話人も管理者家族(娘)も、
★利用者に対して手をあげてはいけない。
「躾や指導」を名目に手をあげることも同じだ。
映画の中ではホーム管理者の家族(高校生の娘)が、ホームで生活
している“うーやん(知的障害者)”を、家族のような付き合いを
しいているという理由で、頭を思いっきりはたく場面が何度か
あったが、あれが“アットホームなグループホームの日常”だと
思われてはたまったものではない。

家族が子どもの障害者基礎年金を搾取してホームの利用料を滞納して
いたら、
★金銭管理をしている家族から利用料を回収できないという理由
安易に利用者を実家に戻すのではなく、本人の障害者基礎年金を
本人のために使えるよう行政(福祉の窓口)に相談して対応する。
場合によっては市町村長申立をして後見人制度を利用するなどの
法的な手続きを進めて本人を守る。
自宅に帰すという選択をしたのは運営者(ホーム管理者)だ。
なのに、利用者がホームを出て行く場面で
「何かあったら必ず電話してくるのよ。」
と泣きながら抱きしめるシーン
には呆れ返ってあんぐりしてしまった。
泣くぐらいなら、もっと他の方法を考えればよかったんじゃないか?
わからいなら、抱え込まずに相談すればよかったんじゃないか?
★兄弟、姉妹が兄、姉、弟、妹を引き取りたいと言ってきたら、
まず話し合う。

一時の感情なのか、よくよく考えての結論なのか。
何のための「覚悟」なのか。


<マコちゃんの死について>
SOSは出ていたと思う。
彼女の「NO!」に対してなんでお父さん以外の人、具体的には
ホームの管理者や世話人が必死で考えなかったのか?と思えて
ならない。
この映画を観ていると、「福祉の仕事」にかかわりながら、
先を見ない「やさしさ」や「温かさ」だけを振りまくのは無神経で
罪だと思えてしまう。

グループホームの運営に乗り出す時に「福祉の仕事」に
携わっていくという意識と覚悟を“事業所”は持たなければ
いけなかったのではないだろうか。
※グループホームは“個人”で運営できません。





障害者の生活の場として運営されているグループホーム(ケアホーム)と
いうところは、
細かい取り決めが沢山あって、それが故に「家」っぽくないホーム
の方が実は多かったりする。

その、運営上課せられているいる細かい取り決めを多少窮屈に感じながら
どこを崩せるか、何ができるか、どうすれば「家」っぽくなるかを
そこに暮らす人たちの「声」や世話人(スタッフ)の「声」を聞いて
日々改良し、実践している。

まだまだ課題も多いのだけれど・・・。



日中活動のクオリティが高い施設や作業所は巷でも増えているが、
「暮らしの場」はなかなか増えない。
そりゃそうだ。
生活を支えるっていうのは、(運営費も含めて)非常に地味な
仕事だからだ。
名もなき人たちが働いては消え、消えてはまた募集する。
輝きたい、役に立ちたいと思う人は光の当たる日中支援を
希望するし、常勤職員を複数配置できる予算もない。

暮らしを支えているのはサービス管理責任者と、兼務のスタッフと
学生と、地域の中高年や高齢者だったりする。

でも。
この地味な「生活支援」こそが、地域のセーフティネットになり
親なき後であったり、虐待を受けた障害者の新たな暮らしの場にも
なっている。
グループホームでの生活で自信をつけて、一人暮らしを始める人もいる。
ホームで年を重ね、65歳を越える人もいる。
(高齢化については書いたら長くなるのでやめておく)

グループホーム(ケアホーム)って。

運営は大変だけど、とても大切で温かい場所だと私は思う。





地味なままでは映画にならないので多少デフォルメが必要だと
いうこともわかっているが、
「事実を元に舞台化・映画化」という文言が妙に引っかかってしまった。


とにかく、リアルに感じる方(家族に障害児・者がいる)にはあまり
お勧めできない。
支援者は・・・観た方がいい。
ぐさりと衝撃を受ける人、私のようにやたらと突っ込む人、
いろいろあっていいんじゃないだろうか。


グループホーム(ケアホーム)が終の住処かどうかの議論はまだまだ
しないといけないけれど。

ホームでがんばっている名もなき支援者を疲弊させないためにも、
暮らしにこれからもこだわって、関わりながら大切なことを伝え
続けていこうと思う。





最後に。

お父さん、お母さん。
あなたは一人じゃない。
孤独じゃない。
どうか、どうか一言でいいから「つらい、苦しい」と声を出してください。
声を出すことが簡単じゃないこともわかっています。
それでも、お願いします。
福祉の人が信用できないなら、側にいる誰でも構いません。
私たちも、必死です。
でも、拾いきれないんです。

見守りも強化しています。
連絡もしています。
横のつながり(連携)も取っています.
それでも。
間に合わない時があるんです。
公助(福祉)だけでは、どうにもできない。

それが地域の現実なんです。

そして、声を聞いた人や何かを感じた人は、必ずそのままに
しないで私たちにもつないでください。

まず、生きましょう。
そこからぼちぼち考えていきましょう。
(うつ状態の時は「具体的」よりも「ぼちぼち」の方がいいんです。)

私も踏みとどまりはしたものの、本気で無理心中を図ろうとした
経験者ですから。
死にたくなる瞬間は人それぞれかもしれませんが、
少しはわかります。

だからよけいに「生」に執着するのでしょう。