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映画「くちづけ」の特設コーナー

「くちづけ」のあらすじは下記をクリックしてまず読んでみてほしい。
http://www.kuchizuke-movie.com/about/





つい先日、うんざりする出来事があった。

東京→新大阪間の新幹線の中に忘れ物をしたことに
気づいたのが電車から降りて約10分後。 
すぐに駅構内にある忘れものセンターに行き、
・何時着の新幹線だったか
・忘れ物の中身の詳細
・自分が座っていた座席番号 
を伝えたところ、駅員はその場ですぐに問い合わせをして
くれたが、新幹線は既に車庫に向ってしまっているようだった。

駅員から、忘れ物が発見された場合
①新大阪駅まで取りに来る
②着払いで自宅に届ける
どちらがよいか聞かれたので、平日に新大阪駅まで窓口が
開いている時間に取りに行くことは不可能だと判断し、
②の着払いを選択した。
必要な書面に記載し、「よろしくお願いします。」と頭を下げると

「明日以降にこの番号に忘れ物が見つかったかどうかの問い合わせを
 必ず入れてくださいね。」


そう言って、問い合わせ番号が書かれた小さな紙を渡された。
ひとつひとつの説明も丁寧で印象の良い対応だった。

翌日。
指定された電話番号にかけてみたがつながらない。
何度かけても話中だった。
おかしい。
なんでこんなにつながらないんだ?

高校生の時にチケットピアで外国のアーティストの
チケットを購入する時に使った「電話技」を駆使しても
つながらない。

翌日。
再度チャレンジしたけど、やっぱりつながらない。
ずーーーーーっと話中だった。
仕方なく「つながらい時はどうすればいいのか」別のセンターに
電話で確認することに。
すると、
「大変申し訳ありませんがこの番号ではなく◯◯センターに
 おかけください。」
と、別の問い合わせ先を教えてもらった。
ここでもとても丁寧な対応だった。

紹介された◯◯センターに電話してみた。
指定された番号に何度かけてもつながらない。
いったいどうすれば忘れ物が見つかったかどうか確認することが
できるのか?と質問すると、丁寧な口調で問い合わせ先が違うと言う。
また別の連絡先を教えられ、そこに電話をかけてみる。
その窓口では忘れ物が届いているか否かを調べることができると言う
ので早速調べてもらうことに。

「お客様がお探しの忘れ物は届いております。」

私の忘れ物の所在がここでようやく明らかになった。
「ありがとうございます!
 では早速指定した送り先に届けてもらえますか?」

「大変申し訳ございません。こちらのセンターではお調べすることはできますが
 返送させていただく手続きはできませんので、今からお伝えする番号に
 かけていただけますでしょうか?◯◯ー◯◯◯◯・・・・」

全くつながらないと訴えている、その電話番号を再度紹介された。

「だーかーらー!!そこに何度電話をかけてもつながらないんですって!
 コールも鳴らないんです。ずーーーーーっと話中なんです。
 またそこにかけろと言うんですか!もう忘れ物が私の物であるという
 確認も取れたんですから、送ってもらえませんか?」

とても丁寧な口調で「それはできない」「窓口に電話をかけてくれ」と
言われた。

昼休みに昼食も取らず、意地になって電話をかけた。かけ続けた。
通算で100回ほど話し中の「ツーツー」を聞いた後、ようやく
コールが鳴った。

「うわっ!!電話が鳴った!!」
当たり前だけど驚いた。
文句のひとつも言いたかったが、とても低姿勢な言葉使いだったので
今までのいきさつも話さず、そもそもの手続きである忘れ物が
届いているか否かの確認を行った。
さっきのセンターでも質問された忘れ物の詳細についての説明を
また求められ、同じことを再度説明する。
すると対応した駅員から、

「まだ何も届いていないみたいですね。」


「忘れ物」は見つかっている。
しかし、いとも簡単に「ない」と言うのだ。

「そんなはずはない、◯◯センターで確認している。」
と伝えるとしばらく待たされた後、
「すみません。ありましたので配送させていただきます。」



もしも別のセンターで忘れ物の確認ができていなかったら
「見つかっていない」
という言葉を鵜呑みにして、また翌日にうんざりするほど
つながらない電話番号にかけ続け、結果疲れきって
「もういいや・・・」
と、諦めてしまうんだろう。


どの窓口も丁寧な対応だった。
申し訳なさそうに話す口ぶりも同じだった。
(マニュアルがあるから当然と言えば当然だ。)
でも、
機械的に「丁寧に話す」ことと相手の困っていることに対して
解決するためにどうすればいいか考え、対応する(改善する)
ことは別物なんじゃないかと思える、実に不快な出来事だった。


「忘れ物」をしたあなたが悪い。


誰もそんなことをストレートに言ったわけじゃぁないけど、
まるでそう言われているかのような見事なたらい回しっぷり。
いや、それは疲れきった自分の勝手な思い込みかもしれない。
誰も「忘れ物」をした私を責めてはいないのだから。

でも、なんなんだ。
この生暖かさは。

私は「忘れ物」に執着し、意地になっていた。
お土産に買った美味しいバームクーヘンとチョコレートと
帰りの新幹線で読むつもりだった資料を取り戻したかった。

だから諦めなかった。
何度も何度も電話をかけ、つながらなければ他に問い合わせをし、
心身ともに健康だったから
「そんなはずはない!」
と食い下がった結果、早々に忘れ物を返送してもらうことができた。



さて。
このエピソードの「忘れ物」という言葉を
「障がいがある子ども」に、
「忘れ物センター」という窓口を
「福祉の相談窓口」に変えてみたらどうなるだろう。

なんとかしたくて電話をかけているのに、丁寧な言葉で
たらい回しにされ、同じ質問、同じ返答を何度も繰り返し、
丁寧な言葉で「それはうちじゃない」と言われ、気がつけばまた
振り出し(はじめに連絡したところ)に戻っている。
そんな経験をした親御さんを知っているし、私も経験がある。

「障がいがある子ども」を生んだあなたが悪い。

誰もそんなことは言っていない。
でも、周囲の生暖さと自責の念がどんどん「私」を追いつめていく。


我が子のために必死になって動くことができる親ばかりじゃない。
心が、身体が悲鳴を上げていたら、判断する力だって弱くなるし
言葉を発する気力だってなくなるんだ。

私たちは、生暖い傾聴をするだけでいいんだろうか?
「覚悟」って、親や個の支援者だけに必要なものなんだろうか?


映画は、リアリティではなくメッセージ性を強調していたので
素直に感情移入はできなかった。
会場ではすすり泣く声があちこちから聞こえていたので、
メッセージを受け取った人たちは沢山いるんじゃないかと思う。
(もしかするとグループホーム建設の際の反対運動も少しは静かになるかもしれない。)

リアルな現場に身を置いている立場の人間には、日々自分の眼前に
起きている光景の方が映画よりももっと過酷だし、もっともっと
笑いも多い。
うーやん以上の愛すべき強者もたくさんいる。

一番の違いは。

映画と違って「光」があるところだ。

もうひとつの「生きる道」があることを

あの映画を観た人にはぜひとも知ってもらいたい。



まこちゃんが今も楽しくホームで暮らし、パン工場で
働いている「もうひとつの道」があるということを。