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入浴用ストレッチャーから見る青空。

空(景色)が日常の暮らしの中で見えることを当たり前だと
思う人の方が多いだろう。
空を眺めることがどれほど素晴らしいことか。
天井しか見ることがない生活を送っている人もたくさんいる。

その人の立場に100%立つことはできないけれど
こんなことが実現できたらいいな。
笑顔が増えたらいいな。

そんな風に思いながら何十本(何十人)のドラマの進行を支える
AD役として、
ロケ地周り(地域の根回し)をしたり
取材交渉(利用交渉)をしたり

いいドラマ(エンジョイライフ)にするために、地味にいろんな
仕事をしています。








さて。
今日は「ネガティブでもええやん!」というテーマでうだうだと書いてみたい。

毎月結構な数と、とてつもなく深刻な内容の相談を受けているが、実はその半数が発達障害の診断が下りている(若しくは受診前相談)ケースだったりする。
で、残りの半数を重症心身障害や精神障害(双極性障害や統合失調症や人格障害など)、強度行動障害や高次脳機能障害、軽・中・重度知的障害や重度重複障害、身体障害に介護保険2号みなしケースなど、バランスよくプロから相談がくるので「特化」できないのが地域の相談窓口のつらーい現状だ。

相談者の障害の状態も多岐に渡るのと同時に、年齢も幅広い。
下は3歳から上は83歳まで。
児童と高齢にあるはずの「ライン」が、障害には実はないので「福祉サービス利用前提」というよくわからない言葉にひっかけて、誰か(支援機関)がつないでうちに来る・・ということが増えている。

その中でもここ最近特に声が集中しているのが、なんらかの発達障害(ざっくり書いてすみません)の診断が下りている児童(主に10代)と成人(20〜30代)だったりする。

そもそも、発達障害支援センターという「箱」があるのだから、そこに行く方がいいに決まっている。
一度はそのように伝えてみるが相手も引かない。
「地域で受け止めて欲しいんです。」
入り口でそんなことを言われるのだが、よくよく聞くと色んな意味が含まれる「遠い」という理由で特化したところに相談に行っていない(行った人もいるけど)ということがわかってきた。
これはこれで課題があるのだけれど、おらが地域に「ない」のだから今はしょうがない。
(課題については議論するテーブルに上げていこう)

兎に角、専門家ではないのに「生きる力がある」という妙な理由で繁盛しているのだ。
(本当は初回アセスメントを求めて・・という理由)

さて、発達障害といってもここからさらに相談内容は分かれていく。
・不登校
・引きこもり
・家庭内暴力
・虐待
・触法(虞犯も含めて)
などなど。

簡単にサービス利用にはつながらないのに、相談支援は何をしているのかというと、結構真面目に(会話は不真面目だけど)インテーク、アセスメントを取っている。
最初にきっちり丁寧に情報整理をして、本人や家族と一緒に見直して、情報提供承諾を取って、次につなぐ機関に持参してもらう。
つまり、全部うち(相談支援)が担っているわけではない。
得意なこと(アセスからヒットするところへのつなぎ)しかしていないのだ。
だって、教育の専門家でも医療や心理の専門家でもないのだから。
時間をかけ、話があっちゃこっちゃに脱線しながらも本音を聞き取ることが得意なのが相談支援なんだと思う。

アセスメントは既存の書面だけではなく、相手が気に入るかたちに作り替えることもある。
色にこだわりのある人には、好きな色を聞いて、その色をテーマにしたパワーポイントで紙芝居のように自分で情報を抜き差しできるようにして整理して手触りのいい紙にプリントアウトして渡したところ、
「あの話(面談)がこんな風になるなんて!!」
と、大層喜んでいただいたこともあった。

でも、自分は「社会福祉士・精神保健福祉士」としてはかなりイケてない方だ。
傾聴と寄り添う「支援」がすごく下手なのだ。
だから、言葉が流暢な相談者の方々(お子様含む)からしょっちゅうダメ出しをいただく。

・人の気持ちがわかってない
・言葉がきつい
・やさしくない
・女性らしくない
・大人げない
・ボスキャラっぽい

ある方(格闘技好き)からは、
「すぐにマウントを取られるから嫌いだった(過去形ですよ)。」
と言われたこともあった。
じゃぁもう会わないのかというと・・・
ダメ出ししながらも、また次の面談日を設定して帰って行かれるのだから不思議だ。居酒屋メニューの「病みつきキュウリ(ニンニク塩味)」のような存在になっているのだろうか?


要するに何が言いたいのかというと、お叱りには間違いなく真実も沢山含まれてはいるんだけれど、困っている人たちの中には、(精神症状としてではなく)自分へも他者に向けてもネガティブ思考が止められない人も多いんじゃないかということだ。

長年親以外の人間に感情を出したことがないという人もいる。
閉じることで自分を守ってきた人もいる。
土足で踏み込んだりはしないけれど、自分もあなたと同じ未完成の人間だということは伝えるようにしている。

「いつもすみません。ありがとうございます。」
深々とスタッフに頭を下げる親御さんが、通りかかっただけの自分の顔を見るなり
「これだから福祉はダメなんだ!!」
と怒り出す人もいる。
「えぇ!!私、何かしました???」
と言いたくもなるが、いい人じゃない方の自分を見せてもいいと思っておられるのか、単に私のことが嫌いなのか、そのあたりは定かではないけれど本音を言われていることは間違いない。


相手に向けて発するネガティブな言葉って、実は一方向だけに向けられた言葉でないように思う。
眼前の相手であり、放った自分自身にでもあり、いや、もっと過去に遡っているのかもしれない。

長らく健常者として生きてきた人たちにとって「支援者」とはいったい何なのだろう?

「話しは聞いてくれるけど、結局これって仕事でしょ。そういう仕事なんですよね。」
「そうです。これが仕事です。」
「やっぱりね。私一人じゃないんですよね。」
「はい。みんな大切な人です。」
「嘘っぽいですよ。それって。」
「嘘っぽいの「ぽい」はまだわからないという意味なのでもう少し付き合ってください。」
「ぽい?」
「はい、ぽいはぽいです。ぽいかどうか試してみましょう。」
「変なのぉ(笑)」



専門性を磨くことはとても大切だ。
しかしその一方で教科書にはない人間らしさを磨くということも大切なんじゃないだろうか。

彼ら、彼女らに「ぶっちゃけどう?」と聞くと、
「支援っていう感じがありあり出ていると、自分はそうなんだなぁ・・あっちとこっちに分かれてるんだなぁって、凹む時がある。」
こんな感想を言われる人も実は少なくない。

人との距離感というものはその人の状態であったり、その地の風土であったり、地域性も関係してくるので一概にこれといった正解はない。だからこそ、その人の求めているものが本当は何なのかをつかむ感性とでもいうのか、人間性とでもいうのか、プラスαがあったらなお良いのではないかと思ってしまう。

確定診断を受けて著名な先生や有名な支援機関に予約相談をして、適切な指導や支援を受けて安定する人もいれば、何をどう受け入れていいのかが分からず、混沌とした感情の中でもがきながら毎日を過ごしている人もいる。

だからこそ。

なんだかんだ言ったけど、
出会えてよかった。
と思ってもらえる窓口でありたいといつも思っている。


私は劣等感の固まりなので周囲が眩しくてしょうがなかった。

母子家庭で、ちょっと分かり難い(喋ればわかるけど)障害の子どもがいて、旦那さんがいないから自分だけの稼ぎで家族の問題の色んなことを采配しないといけないし、いつも判断に迫られる状態に置かれているし、家族を支えるために食べること、生きることに必死だったので「そうよねぇ」というランチやお茶会とも無縁だった。
女性の中でも、母子家庭の中でも、障害児がいる親の中でも、親族の中でも、職場の中でも、どのカテゴリの中にも入らない存在。
それが自分だと思っていた。実はそうじゃないんだけどね。

だから、立ち位置がわからないという彼ら、彼女らの気持ちは100%ではないけれど、わかる。


で、結局
「ネガティブな思考って誰もがもっているけど、人前では見せたらアカン(色んな意味でアカン)と思っている人も多いから言わないだけなのかも・・。」
という結論に至った。

ということは、
正直にしんどい、苦手・・と言うことは、やっぱりとっても大切なんだ。

辛かったこと、悲しかったこと、嫌だったこと、悔しかったことは、無理に話さなくてもいいけど、よくわからない感情は、親だけでなくちょっといい加減なプロにぶつけてくれていい。
無理にポジティブにならなくていい。ネガティブでもいい。

とにかく、グダグダ言いながら何でもいいから光るものを見つけよう。
そこからはじめませんか?
そんな気持ちで毎回ダメ出しをいただきながら一緒に歩き、同じ景色を見ている。






裏通りのラーメン屋がうっかりテレビに取り上げられて、予想外に繁盛して
しまって、でも味は落としたくないから店主も必死で孤軍奮闘する・・
そんな風に変貌しつつある今日この頃。
うまいラーメン屋の黄金比率(カウンター11席〜13席にスタッフ3名)
はやはり守った方がいいと7、8月の殺人的スケジュールを整え直して
明日からまた、
フレンチ(医療)とかイタリアン(教育)とか和食(司法)とか、
その道のプロの方も気軽に食べに来ることができるラーメン屋を
目指してぼちぼちやっていこうと思います。