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ラーメンが好きだ。
今年はいったい何杯食べただろう。
相当な数のラーメン屋を巡ったことは間違いない。

11月はしっちゃかめっちゃかに色々と起こって、
休んだ記憶があまりない。
深夜にかかってくるかもしれない緊急連絡のために携帯電話を
握りしめ、でもよく眠るので睡眠不足にもならず・・(笑)
峠は超えたので今は携帯を握りしめて眠るということも
なくなり、こうやってブログをアップする余裕もできた。


さて。
今から約2年前に
相談支援は真っ白な灰になるほど燃え尽きるのか?
という記事を書いたのだけれど、意外にもこの
記事は現在も定期的にぼちぼちと「燃え尽き」などの検索から
飛んできて読まれていたりしているようだ。 

自分のブログの中でも検索で一番読まれている記事といえば、
トカゲのおっさん
だ。これはまぁ、わかる。
あの幻のコントを懐かしんで「トカゲのおっさん」で検索して
飛んでこられた人が多いようだが、申し訳ないほどお笑い
テイストがない記事だったので、読まれた人はがっかりした
んじゃないかと思う。
どうもすみません・・・。



「相談支援は真っ白な灰になるほど燃え尽きるか?」
という自問を記事にした頃は、これから相談支援が変わりますよ、
という意味も含めての問いかけだった。

で、その後相談支援はどうなったか?

答えは計画相談の伸び率を見ればわかるだろう。
サービス利用者68万人に対して、サービス等利用計画は
何人の人に作成されたのか?
指定相談支援事業は劇的に増えたのか?
相談援助ができる相談支援専門員は倍増したのか?
基幹型相談支援事業は着実に設置されているのか?

厚生労働省
障害福祉サービス、障害児給付費等の利用状況について
http://www.mhlw.go.jp/bunya/shougaihoken/toukei/dl/01-24.pdf

障害者相談支援事業の実施状況の調査結果について
http://www.mhlw.go.jp/bunya/shougaihoken/toukei/dl/h24-syogaisoudansien_a.pdf

計画相談に乗らない支援をしている委託相談支援は本当にいらないのか?

平成24年10月から施行された障害者虐待防止法に本気で
取り組むなら、相談支援は数よりも質だと思うのだけれど。
通報(気づき)から、アクションを起こせる支援者を育成しないと。
だって、虐待を暴くのではなく様々な事情で虐待に至ってしまった
養護者や施設従事者、使用者を支えることもこの法律(虐待防止法)
の目的なのだから。
虐待防止センターを一カ所(殆どが市町村)設置しただけで
何が変わるのだろう?
通報をきっかけに、枝葉を広げて支えていくための相談支援じゃないのか?
それとも、相談支援は計画だけを立てていればいいのだろうか?

自分はこの間、やいやい言われている計画相談よりも、やっぱり
地域にこだわって計画相談(サービス利用)に乗らない人を探して、
つながっていくという活動を続けた。
高齢者や児童など直接業務でつながらない機関や医療機関と一緒に
大切な「命」を孤独や貧困という理由で消さないように、そりゃもう
一生懸命取り組んだ。

もしもその取り組みが、計画相談を遅らせていると指摘されたら、
「知らんがな!」
と言うだろう。

虐待防止のための支援や危機介入もしながら計画相談を進めている
基幹型相談支援事業所もあるようだが(配置職員も多いんだろうなぁ)、
職員数の少ない委託相談支援の場合、二兎追うものは一兎も得ず。
求められるままに無茶をしたら、人間だもの。
燃えつきてしまう。
計画を立てる人、計画に乗らない多問題ケースを担当する人と
相談支援専門員も分けた方がいいだろう。
職員の質も数も潤沢な基幹型相談支援っていったい何カ所あるん
だろう?

まぁ、そんなことをつぶやきながら今年も燃え尽きることなく元気に
年末を迎えようとしている。



“リア充(リアルに充実)”の真逆である“リア空(リアルに空虚)”
だという話を聞くことが多かった1年だったけど、

「生きていてもいいことない」→「いいことないけど生きている」
「同世代を見るのがつらい」→「同世代の流行は気になっている」
「外に出る気分になれない」→「気分がよければ外に出てもいい」
「将来が不安」→「これからのことをよく考える」

どれも自分には過去形ではない、現在進行形のように聞こた。
だから、
「リア充」や「素敵」や「かわいい」には、実は嘘だったり盛って
いたりすることももいっぱいあるんだよと言いながら、ストレート
以外の変化球もスピードが速い・遅いに関係なく、とにかく色んな
球を下手くそなりに捕ってみた。

で、下手ながらもいっぱい球は受けた中で、ひとつわかったことがある。
中途半端な技術やプロっぽさを前面に出すと、相手に失礼だという
ことだ。
投げてくる球のクセは相手に聞いた方がいいし、違っていたら謝った
方がいい。
そうやってキャッチボールをすることでお互いの「意識のズレ」の
改善もできる。

イマイチかもしれないけど、いないよりマシぐらいで
付き合ってくださいとお願いしていたら、イマイチな自分に
幻滅する人は減り、逆に心配してくれる人が増えてきた。

「体調どうですか?」
「腰、大丈夫ですか?」
「年なんだからお大事に」

「自分」にだけ向いていた気持ちが「相手」に向けた言葉を出して
くれるようになっていく。




生きるということに、たくさんの言葉はいらない。
言葉じゃなくてもいい。
声を出すことからはじめてみよう。
音痴でもいい。
ちょっと歌ってみよう。
音楽に身体を合わせて揺すってみよう。
お湯を沸かしてラーメンを食べてみよう。
美味しいねって言い合ってみよう。

過去形じゃない。
進行形の気持ちがあることはわかっている。

だから、だいじょうぶ。


かたちや評価にこだわらなければ、支援者は燃え尽きない。
福祉サービスにつなぐことが全てじゃない。
そのことを向き合った人たちから教えてもらった1年だった。

まとまらないけどまぁ、そんな感じだ。