cameratan2
















  やっぱりネコが好き。
  好きすぎて、今年もカレンダーを作ってしまった・・。







息子はいわゆる障害者で
4月には勤続4年目の、一見すると中学生のような風貌の社会人だ。

バス停前ではスマートフォンで音楽を聴き、画像検索でプリングルスのラインナップを見て喧騒をまぎらわし、電車は混み合う急行を避け、各駅停車に乗っている。
会社到着はいつも1番か2番。
「余裕がないと混乱する」そうだ。
電車通学するようになった高校生からこのスタイルを貫いている。



2歳2ヶ月から1年間「精神薄弱児通所施設(今は療育センター)」に通い療育手帳は2歳半の時に取得した。
2歳10ヶ月で自閉症と診断され3歳2ヶ月から3年間加配付きで保育所に通った。


小学校では入学式をパニックで一時中断させ、校長先生より先に壇上に上がりお詫びと自閉症の説明をした。
保育所で初めて息子の障害の説明をした時は泣き吃逆で話せなくなったがその当時の姿を見ていた、たくさんのお母さんが見守ってくれた入学式では泣かずにしっかり説明できた。
当時はかんしゃくを起こすと「どろぼー!!」と叫ぶこだわりがあり、事前に説明しておかないとあっちこっちから通報されそうな勢いだった。
小学2年生の時にとうとう近隣から通報され、複数の町会の役員さんが見回りに来た。
今だったら町会ではなくこども家庭センターに通報されるだろう。

特殊学級(今の特別支援学級)には小学1年から中学3年まで在籍した。
低学年は「本人の利益」を考えて親が決め、高学年から中学校は「本人の選択」に任せた。

担任は毎年変わった。
特殊学級の担任と部活の顧問も含めると6、3、3の12年間で20人を超える先生が息子と向き合ってくれたことになる。
本人が今も尊敬し、心の支えにしている先生とも出会えた。
祖母のように優しく包み込んでくれた先生、いかなるいじめからも大人として教師として守り抜いてくれた先生、自分の弟(自閉症)と姿が重なり悩みながらも真っすぐに向き合ってくれた先生、声が大き過ぎることを長所にして歌の指導をしてくれた先生、クラブ活動で根気よく指導してくれた顧問の先生・・・。
「もうひとつ」な先生もいた。
でも「もうひとつ」というだけに、殆ど記憶にない。
(本人も同意見らしい。)

気がつけば、親が息子の説明をして回るのではなく、強みに気づいた先生が他の先生に伝えていくという教師数珠つなぎ方式で大人が見守り、バトンを受け取る余力のある子ども達に「サポートの極意」が受け継がれていった。

その一方で辛い体験もたくさんした。
家で暴れ、叫ぶこともあった。物を壊すことも、親を殴ろうとしたこともあった。
(いや、実際結構殴られたな・・)


彼はその体験を思い出そうとも語ろうともしない。
だから私も聞かない。
乗り越えたわけではないけれど
「嫌な子もいた。でも、そうじゃない子もいた。」
そんな風に一言だけ発したことがあった。

息子が学校に、人に絶望しなかった理由はなんだろう?
→むかしの記事にちょこっと書いていた。



子ども同士の関係は、ひとつ間違えると大暴走する。
大暴走した列車を子どもの力だけで止めることは困難だ。
どんどんスピードが増し、狂喜する。
何が正しくて何が間違っているかなんて、どうでもいい。
「退屈」でなければなんでもいい。


誰が子どもを守るのか?
加害者が抱える本当の痛みを吐露するために向き合えるのは、
地獄のような苦しみから被害者を救えるのは誰なのか?

教師や親である前に、「大人」なのではないかと私は思う。



子どものプライドを守り、介入し過ぎず放置もせず大人たちが支え、見守った息子は22歳になろうとしている。

「苦手な仕事もある、得意な仕事もある」
「苦手な人もいる、そうじゃない人もいる」

重くもなく軽くもない口調で、大人になった息子はそんな風に私に言った。











1巻の前半部分は読み進めるのが辛い漫画。
辛かった経験は、決して美談にはならない。
怒りに任せた大人
放棄した大人
諦めた大人
子どもだけでなくいろんな大人が登場する。
続きがあるので現時点で評価はできないが、今後どんな風に展開するのか気になるところだ。