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芸術は、爆発だ。
いろんな「かお」が凄然と並んでいる太い柱を前に、しばらく言葉が出なかった。



 
 

自分は、

親として
「どんな場面で」悲しくなったり、やるせなくなったり、怒りがこみ上げて
きたのか。

支援者として
「どんな場面で」本人から、親から、がっかりされてきたか。


自分は、
何に傷つき、疲れ、何を諦めたのだろう?


そんなことをぼんやりと考えてみた。



まず、親としての自分。

①相手に期待が大きい時
専門家や専門職は「プロ」なので「間違ったこと(求めていないこと)」を言う「はずがない」という強い思いから、相手の失言(親フィルターがかかっているので本当に失言か否かは微妙)が許せなくなり、唯一の支えを失ったような愕然とした気持ちになった。
※この体験は1回のみ(息子10歳の時)
帰りの車で悔しくて悲しくて、声を出して泣いた。

②明らかに間違ったことを言われた時
そもそもの考え方やものの捉え方に大きなズレがあるが、いくら話しても説明してもその溝が全く埋まらなかった。
※この体験は3〜4回あった(保育所、小学校、中学校)
正面突破は避けて、複数から側面的な支援を受けて何とかやり過ごした。

③過程を振り返らず、その場で起きた事象のみで「困った子」「できない子」と決めつけられてしまった時
※この体験は1回のみ(息子が高校生の時)
これは支援者に本気で怒った。
「安易過ぎる!背景もわからんと、そんなことを軽々しく言うたらあかん!」と言ってかなり声を荒げて怒ってしまった。
 

次に支援者としての自分。

①相手から大きな期待を寄せられている時
徐々に距離間がなくなっていき、後ろを見たら崖っぷち。咄嗟に口から出てしまった言葉(提案)が命取りに。
「信頼していたのに、裏切られた気分です!」
思い出すだけでも辛い言葉だ。
いやいや、その何倍もお母さんは泣いている。
それはわかる。自分もそういう経験をしているから。
でも、でもなぁ。
そうじゃないんだよなぁ。裏切ってなんかいないんだけどなぁ。
 

②間違ったことを言ってしまった時
・間違っていたらとにかく謝る。
・間違っていなくても、伝え方(言い方)が悪い時も謝る。

③過程を振り返らず、その場で起きた事象のみで「困った子」「できない子」と決めつけてしまった時
これはない。
これはあかん。
「困った」ではなく「本人が困っている」のであって「強み」を見つけて活かすのが我々の仕事のはずだ。




さて、
親として、支援者として。
どちらも決して順風満帆にいっているというわけではないのだけれど、両方の気持ちを味わっている立場から伝えることができることは何か、再度考えてみた。



支援者は・・・
「他人事」を「自分事」として捉える(入り込むのではない)力を養ってほしい。
信頼されているからと、抱え込まず、
一人の力は一人以外の何者でもないということを自覚して、
個人的な好き嫌い(どいつもこいつも!)ではなく、
本人にとっての利益を最優先する。

親は揺れるということを前提に(当然だもの)寄り添う。
親から手厳しい言葉を受けた時は、「自分事」として考えてみる。
考えた後は、他人に戻って大切なキーワードだけ残して後は水に流す。
そんな力を身につけてほしい。


親は・・・
自分も重要なチームの一員であるということを忘れない。
子どもの未来を託す(つなぐ)ということは、「プロジェクト」に参加するということ。
折れそうな時、苦しい時はインフォーマルな輪が救いになることも忘れないで。
(メンター活動やペアトレは、親を成長させてくれる)
支援者を疑似家族にしないで、
すぐに見限らず、
苦言を呈する時は「支援者を育てる」という気持ちで。
そして、
お母さんだけじゃなく、お父さんもチームに入ってもらいましょう。
(毎回話し合いに参加するという意味ではなく、チームの一員として
フィルターがかかっていない話を聞く機会を設ける)


支援者もいろいろ。
親もいろいろ。
抱えている問題や悩みもいろいろ。


いずれにしても、

・本人がもっている潜在的な力←一番大切!!
・家族、友人、恋人、近親者の理屈抜きの愛の力
・支援者の、機能としての力(愛もあります)

この3つが大切なんだと思う。



あきらめず、ぼちぼち育てていきましょう。