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マレフィセント

<あらすじ>
とある王国のプリンセス、オーロラ姫(エル・ファニング)の誕生祝賀パーティー。幸せな雰囲気があふれるその会場に、招かれざる邪悪な妖精マレフィセント(アンジェリーナ・ジョリー)が出現する。オーロラ姫に永遠の眠りにつく呪いをかけたマレフィセント。それは、なぜなのか。答えは、謎に包まれたマレフィセントの過去にあった。



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チョコレートドーナツ 


<あらすじ>
1979年カリフォルニア。歌手を目指しているショーダンサーのルディ(アラン・カミング)と弁護士のポール(ギャレット・ディラハント)はゲイカップル。 母親に見捨てられたダウン症の少年マルコ(アイザック・レイヴァ)と出会った二人は彼を保護し、一緒に暮らすうちに家族のような愛情が芽生えていく。 しかし、ルディとポールがゲイカップルだということで法律と世間の偏見に阻まれ、マルコと引き離されてしまう。

2010年夏、三歳の女児と1歳9カ月の男児の死体が、大阪市内のマンションで発見された。子どもたちは猛暑の中、服を脱ぎ、重なるようにして死んでいた。母親は、風俗店のマットヘルス嬢。子どもを放置して男と遊び回り、その様子をSNSで紹介していた…。なぜ幼い二人は命を落とさなければならなかったのか。それは母親一人の罪なのか。事件の経緯を追いかけ、母親の人生をたどることから、幼児虐待のメカニズムを分析する。現代の奈落に落ちた母子の悲劇をとおして、女性の貧困を問う渾身のルポルタージュ。



これらの映画や書籍には、母性という共通のキーワードがあり

「母がいない、または母として機能していないことへの不幸」
ではなく、
「(母に限らず)愛情をもって誰かが育み見守る」
ことが子どもが育つ過程には重要なんだというメッセージが隠れているような気がする。

マレフィセントは、森の中で母に代わってオーロラ姫を育てる3人の妖精の子育てへの感心の低さ(見ようによってはいち部育児放棄ともとれる行動)が放っておけず、常にオーロラ姫の周辺を窺い時に助け、姫への母性愛が深まる中で自分がかけた呪いを解こうとするが・・。というストーリーが含まれている。

チョコレートドーナツは、母親からネグレクトを受けている隣の部屋の少年(ダウン症)を、
行きがかり上放っておけず一緒に暮らす中で芽生えたゲイカップルと少年の親子愛を丁寧に綴り、性的マイノリティに対しての差別的な扱いとその結果がもたらした不幸な結末を素晴らしい音楽と意味深い詩に乗せて、悲しくも鮮やかに見せてくれる。

ルポ虐待は、虐待事件として忘れられない「大阪二児置き去り事件」を母親が辿った足跡と、彼女の家族や関係者を追い続け、なぜあのような事件が起きたのか、どうすれば事件を防げたのかを社会全体に問うている問題作だ。


「母」という役割に対しての評価は「父」よりも厳しい。
男女問わず「母親のくせに」という言葉を枕詞につけて、事件が起きると決まって母親を責める。父が起こした虐待事件であっても「母親がいながら何をしていたのか!」とやはり母を責める。
母親自身もまた、「母親なんだからしっかりしないと」「周囲が母親としての自分を見ている」という他者の目や評価を強く意識してしまう。
かくいう私もその一人だ。

夫婦だった時は「母親なんだから子ども第一だろ」と言われ、
母子家庭になると「母親一人なんだからしっかり育てないと」と自分で追い込んだ結果、大きく軌道修正せざるを得ない事件が起きてしまい、そこから沢山の人に助けてもらって今がある。


そんなに「母」だけががんばらなきゃいけないのか?
無理に一人でがんばった結末には何が待っているのか?


がんばることは、悪くない。
でも、
そんなにがんばらなくていい。

「つらい」「しんどい」「困っている」「子育てが楽しくない」
まずは声を出せる環境が、人がいれば何とかなる。
一緒に暮らすことで追い込まれてしまう精神状況にある時は、一時離れることもひとつの選択肢であるということを。母であることを誰も取り上げないし、今もこれからも揺るぎないのだということを繰り返し伝えていこう。
そして、つながる仕組みを地域の中につくっていこう。


誰かを自分ひとりで救えるとは思っていない。
「気にかける」ことから始まる「つながり」があるんだということを知ってもらいたいだけなんだ。


ほんと、
いろいろあるよねぇ〜。(春名愛風)